リセット   作:エイ

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話せぬのは君が為

 背後のひそひそ会話をつとめて無視する俺。ここは目をつぶっておいてやる。

 だが、いつまでも黙ってると思うなよ。そのうち泣かしてやるから覚えてろ。

 俺の自制心が今のところ崩れないのは、いずれ、あいつらを鍛え抜くのが俺だからだ。見てろ。とことん死ぬ寸前まで手加減なんかしてやらんッ。死ぬ寸前になってもうまくできるかどうか分からんがなッ!

 ひざまずいたまま、ぎりぎりと歯を食いしばっている俺をお嬢さんは見下ろして眉をひそめた。

 動揺を一瞬でかき消し、今は無表情と言っていいだろう顔つき。雰囲気に尊大なものが交じる。

 

「星矢、何の話か知りませんが下らぬ話でしたら承知しませんよ」

 

 ひくっとこめかみが痙攣(けいれん)した。嫌な部分の記憶がよみがえる。久々の感覚。

 だが懐かしくない。ちっとも懐かしくないぞ。

 邪武が壁にすがりながらも立ち上がって叫んだ。

 

「お嬢様! こいつの話なんか聞いてやることはありません! 今は不覚を取りましたがすぐに俺が片付けてみせます―――!」

「お黙りなさい。下がれと命じたはずですよ。邪武」

 

 懐かしくないし、あまり思い出したくないもないが、そうだった。そうだったな。

 俺達に女神(アテナ)だと暴露してからは、こういう傲慢な態度はなりをひそめてたから忘れてたが、このお嬢さんの性格の悪さは折り紙つきだったんだよな!

 そのせいで最初は誰も女神(アテナ)だなんて信じなかった。仮に女神(アテナ)であっても仕えるなんざ真っ平ごめんだという奴もいた。具体的に言えば俺だけど。それほどこのお嬢さんの信頼度は低かったのだ。

 瞬でさえ、最初は信じようとせず放っておこうとした人望のなさ。もっと割り切りの早い俺や氷河なんか言うまでもない。女神(アテナ)としての小宇宙をはっきり感じたにもかかわらず、だ。

 事実を見てもそれを否定する。それでは、知らないのと同じだ。信じてこそ、知っていると言える。

 お嬢さんに信じてもらうのはともかく、あいつらに真実を伝えて信じてもらえるか、ますます先行き不安だぜ。

 どうしようもない時は、力ずくで納得してもらうしかないか、とこそこそ言いあう奴らを視界の隅に入れる。

 窓際で不審気にこちらを見る瞬。腕を組んで頭を左右に振っている那智。階段の手すりに肘を乗せあくびしている激。他の奴らは部屋から出てくる気配すらない、か。やれやれ。

 そして、廊下の奥には打ちのめされて震える邪武。

 全身で絶望を体現している邪武に、捨てられた犬でもあるまいしと呆れもあるが、思わず同情の目を送ってしまう俺とは対照的に、お嬢さんは目もくれようともせず身をひるがえして、部屋に引っこむ。

 

 目の前には開かれたままのドア。

 その中に消えたお嬢さん。

 

 お嬢さん、分かったって言わなかったか。それは俺の話を聞くって意味だよな? そうだよな? まさか、明日の朝、なんて言わないよな?

 不安に駆られてドアの先に目を投げる。

 さすがにあっちには入れない。

 だって、夜だぞ? 女の部屋だぞ?

 いくらなんでも冗談じゃない。

 

「おおお、お嬢様!?」

 

 邪武が面白いほどに焦って叫ぶが、俺も内心は同じようなものだった。

 入るべきではないというのは理屈じゃない。魔鈴さんに叩きこまれた本能に近い。特に行儀作法にうるさかったわけじゃないが、叩きこまれた習性は強固だ。

 そういった行動は、タブーであり、断固として破ってはならぬ部分なのだ。

 一人の男の意地として、人間のマナーとして、恥かしくない意地を叩きこまれている。

 つまり、絶対に入ってはならないし入れない。だが、話はしなきゃならない。しかし入れない。入れるか!

 

「なんです?」

 

 え?

 焦っている間に、お嬢さんはさっさと出てきた。

 上に羽織っていた薄いショールのようなものではなく、どっしりとした上着を着て、なぜか耳飾までつけている。

 き、着替えてくるだけなら先に言ってくれよ……焦っただろ。

 

「お嬢さん?」

「分かっています。ついて来なさい」

 

 振り返ろうともせずに先に立って進むお嬢さんに、いつの間にか来ていた辰巳が駆け寄り、何事か言い募る。

 しっちゃかめっちゃかに口をもつらせているせいで、あまりはっきりとしないが、俺の悪口だろう。あいつの言いそうなことくらい見当がつく。

 右から左にあっさりと沙織さんは流して、自分と俺の茶の用意をしろと逆に言いつけている。言われた奴の形相と言ったらもう闘犬だって逃げ出す顔つきだが、お嬢さんにだけは逆らわないからな。

 誰を睨むって俺を睨むわけだ。あのタコハゲ。逆恨みだろ。そんなに恨みがましく見るなよ。俺が命令したわけでもないってのに。

 あーあ、あいつの用意した茶には雑巾の絞り汁か何かが入ってそうですごく嫌だ。

 

 そんなことを考えながらも、スタスタと進むお嬢さんを追いかけ、客間の一つに入る。

 ほどなく銀のティーポットを乗せたトレイを持った辰巳が追ってきて、沙織さんが座るんだろう一人がけのソファの前には丁寧に、向かいのソファの前には茶器を割らんばかりの手つきでお茶を置いた。露骨な奴。

 今ので割れたらお前のせいだぞ。

 さすがに割れてやしないが、湯気ののぼる紅茶はまだかなり波立っている。

 城戸家だけはあると言おうか、俺なんか触るだけで砕けそうなほど上質な薄手の茶器だ。やたらとくねった造形。金の縁取りに薄ピンクの薔薇意匠。

 うへえ、俺には理解できない趣味だ。嫌なわけじゃないけど、すごく触りにくい。

 沙織さんに何事かありましたらお呼びくださいと涙まで浮かべてテーブルの上のベルを示した辰巳は、俺に貴様無礼は許さんぞと歯をむき出して言い残し、ようやく退出した。

 扉から何度も振り返るのが実に未練がましい。

 

「ここは他の部屋と同じように見えるでしょうが、盗聴対策をはじめとして、数々の防犯設備が設置してありますから、この屋敷の中では私の寝室と同じだけの安心が得られます」

 

 なるほど、だから移動したのか。

 沙織さんは座ろうとせず、俺に背を向けて窓際による。しゃっと軽快な音が室内に響いて、窓ガラス越しの暗い庭に俺達の姿がうっすら映った。白い手に握られたカーテンにぎゅっと皺がよるのが見える。

 自分だけがソファに身を沈めるのも気が咎め、俺も突っ立ったまま落ち着きなく目線をさまよわせる。窓ガラスに映るお嬢さんの眼は、同じく窓ガラスに映る俺から離れない。

 まいった。もしかして警戒されてるのか?

 

「……お嬢さん、俺は」

「長らく会わぬ間に、随分と口調が変わりましたね。星矢」

「……は?」

 

 さえぎる言葉に呆けた俺は悪くない。

 この流れでンなこと言われると誰が思うよ?

 

「ギリシアで、女性に対する言葉遣いを学んできたのでしたら成功していますよ」

 

 久しぶりに会って、大事な話があるという人間に対する言葉がそれか!?

 ねぎらいを期待してたわけじゃないけど、そりゃないだろ。

 しかも、これは、もしかして、責められてる? 何で?

 嫌味ったらしい言葉面にむっとして、言い返そうと沙織さんを見ると唇を噛んで何かに耐えるような顔をしていた。

 思わずぎょっとして、言い返しかけた言葉を喉に引き留まらせる。

 そのままお嬢さんは顔を伏せて黙り込んだ。何をも言えず、俺も黙り込む。

 

 俺は悪くない。断じて悪くないと言いたい。そうむっとしつつも、何やら沈んだ様子に押され、沈黙の原因を責められない。紅茶の湯気が無言で消えていく。

 とはいえ、俺が不機嫌になったくらいは分かってるんだろう。沈黙に小さな溜息を落とすお嬢さんは苦しげに眉根を寄せる。俺か? 俺が悪いのか? だとしたら理不尽だと思う。

 だが、話があるのは俺で急いでいるのも俺だ。だから、俺が折れるべきなんだろう。

 何で、俺が妥協してるのか不思議だけどな。そこは割りきるしかないだろう。人生って理不尽だよなまったく。

 そう思いながらも、指先で軽く額を押さえて再び息を吐いたお嬢さんに、しぶしぶ話しかける。

 

「お嬢さん、俺に言いたいことでもあるのかよ?」

「それは……、いえ、話があるのはあなたのほうでしょう。先ほど“私”を呼びましたね? それに、その小宇宙は……青銅聖闘士のものとも思えませんが……」

 

 なっ!

 気づいてたのか。

 女神(アテナ)を呼んだことだけならともかく、まだ寝ていただろう時分の小宇宙の気配を?

 じゃなけりゃまさか、挑発のためほんの少しだけ燃やした小宇宙だけでなく、抑えている今の状態で気づいたってのか?

 ―――俺の小宇宙が尋常じゃない、と。

 あまりに予想外なことを言われた驚きに不機嫌が吹き飛ぶ。

 凛と見つめてくる女神(アテナ)としての目はすでに先ほどの気配を残していなかった。

 

「あ、ああ、そうだな。お嬢さんの言う通りだ。なあ、今から―――」

 

 ちょっと口に出すのをためらう。

 恐れがそこには存在していた。

 かつての俺なら、決して持たなかっただろうもの。

 だけど俺はもう、恐れずにいるにはあまりに多くを知り、多くの経験を積んでしまったのだ。

 

「今から話す。多分、信じられないだろう。だけど、信じてくれ」

 

 目を見る。

 偽りなど吐くくらいならこの場で腹をかっさばいてもいい。

 それだけの覚悟を持っている。それだけの覚悟を求めている。

 沙織さんを見る。

 信じて欲しい。ここで信じてもらえないのなら、何のために戦うのか、誰のために戦ってきたのか分からなくなる。

 安心させるようにニコッと笑いかけた。俺を信じてほしいのだ。

 

 ■■■■■■

 

 

 俺は一輝にしたのとほぼ同じ―――海王(ポセイドン)冥王(ハーデス)の件を一切はぶいた説明をした。

 俺の覚えているすべてを話すべきなのは分かっている。分かっちゃいるんだが。

 多分、泣かれる気がするんだよなあ。俺が死んだ結末まで話すと。

 それが嫌で俺は話したくない、だから話さないという態度になってしまっている。

 

 どうせ、未来には話さなきゃならないんだから、と結果を先延ばしにしているのだ。

 逃げなのは分かってる。分かってるけど、女を泣かすなんて後味が悪すぎる。それも、泣かせると分かっていてってのは性質が悪すぎだろ。

 それに、二度も死ぬつもりなんざさらさらないからな。

 同時に、同じ選択をせまられれば同じ判断になることも分かってる。

 だから、話せない。

 要は泣かせずにこの事実をきちんと説明できる自信がないんだよな。俺は。

 むしろ泣かせてしまう確信ならあるから余計に話したくない。

 

「俺を信じてくれるか?」

「もちろんです」

「随分、あっさり信じるんだな。これが嘘だったら、いや嘘じゃなくても俺の妄想や勘違いだったらどうするんだ?」

 

 良いのか? と言外に訊くだけでは飽き足らずに言葉に出す。

 信じられないと言われたら困るが、こうも簡単に信じられてもむしろこっちが信じられない。

 自分でもまだ疑っているほどの荒唐無稽な話だぜ?

 しかも、なぜ知っているのかと訊いてくれるなだなんて、信じるなって言われてるようなもんだと思うんだが。

 

「俺と一緒に死ぬようなことになっちまってもいいのかい?」

「……あなたを信じています」

 

 お嬢さんは俺を見つめた。その瞳に浮かぶ陰りのなさは信頼だろうか。

 疑念などないのだと語る瞳が真っ直ぐに俺を写し、唇は何のためらいもなく心を寄せる言葉を微笑む。

 信じてくれるか危ぶんでいた自分が気恥ずかしくなって、俺は頬をかいた。口からはらちもない言葉が出てくる。

 

「まあ、まず一番にやるのはあいつらを鍛えることだな」

「今のままでは……?」

「間違いなく死ぬぜ」

 

 断言した俺にお嬢さんが目を伏せる。

 卓の上で握りしめられた拳が震えた。

 

「心配すんなよ。俺が何とかするから」

 

 あまり自信はなかったが、笑って保証してやる。

 念のため言っておけば、これは殺さぬ程度に手加減できる自信がないって意味だ。

 まあ、あいつら丈夫だから大丈夫だろう。

 ちゃんと戦う正当な理由もあるしな。

 そう、望んでの強者との戦いが俺達の小宇宙を高める。正当なる理由あっての戦い、負けられぬ理由あっての戦いが。

 

 ということは、もしや銀河戦争(ギャラクシアンウォーズ)も、俺達の実力の底上げを狙ってのことか?

 あのジジイ、どこまで考えてやがった。

 あの大会で、まずは聖域から悪の根を引きずり出す。同時に俺達の実力を底上げして、聖戦に備えさせる。あわよくば黄金聖衣を着られるものが出現するかもしれない。

 一つ投げた石で、最大限の効果を狙う。ぞっとするほど効率的だ。どこまでも、俺達を人形扱いしてやがる。反吐が出るぜ。

 効果的だったってのがまた腹が立つ。お嬢さんの前じゃなるべく隠すけどさ。

 

 思い当たりにムカッとしつつ笑った俺に、分かりました、とうなずいたお嬢さんがテーブルのベルを鳴らした。

 たちまち辰巳が飛んでくる。

 

「お嬢様! コヤツが不埒なことでもいたしましたかっ!」

「辰巳、銀河戦争(ギャラクシアンウォーズ)を中止します。明日の記者会見にはその発表をできるよう準備をなさい」

「は、ええ!? ど、どうしてまた、いやそれより、本気ですか! お嬢様!! 旦那さまの悲願であった銀河戦争(ギャラクシアンウォーズ)を……お前! 何を言ったのだ!」

「何か問題があるのかよ?」

「ありまくりだ! どれほどの金が動いたと思っている!」

「知るかよ。こんな馬鹿げたことに使う金なんざ」

「馬鹿者! お前らを聖闘士にするためだけにでも莫大な寄付が要ったのだぞ!」

「お止めなさい、辰巳。私の言ったことが聞こえなかったのですか。お行きなさい」

「は、はい!」

 

 バタバタと駆けだして行く。足がもつれてやがるぜ。

 それにしても、金か。

 金ねえ?

 

「金が要ったのか? お嬢さん」

「当然です。申し込めば誰でも参加できるボーイスカウトではないのですよ。聖域、及び各地の修行地に受け入れてもらうために、おじいさまは財産からお金のみならず、貴重な文献や技術、情報やコネクションまでをも提供しました。そのほとんどが無駄に終わるだろうと分かっていて、です。それでもなおかなりの時間がかかりました」

 

 なるほど、俺達が六歳頃まで城戸家にいたのはそれでか。

 その恩着せがましい言い草にムッとくる。

 

「頼んでないぜ。ついでに言えば、それは全部あんたのためだろう」

「……分かっています」

 

 沙織さんは唇を噛んで一言だけつぶやいた。

 驚いた。絶対に言い返すと思ったのに。

 唇を噛んでうつむいたお嬢さんの顔を見て、瞬時に後悔がわく。言わなくてもいいことを言っちまった。くそ。

 

「……悪いな。お嬢さんがあまりにもお嬢さんらしいもんだから、ついいつもの俺で言っちまう」

「い、いいえ!? あなたはそのままでいてください!」

 

 お嬢さんは、なぜか慌てたように身を乗り出してきた。

 柔らかい白魚の指が俺の腕をすがりつくように捕らえる。

 

「星矢は……星矢らしいままでいてください。……態度や口調を、変えたりしないでいいのです」

「そりゃ、俺は頼まれたって俺以外にはなれないけど」

 

 最後の声は消え入るようにかぼそかった。かぼそい必死さが湿った懇願の色をさらに強める。

 俺か? 俺のせいか? 俺、なんかしたか?

 声音にうろたえる俺に、ふっと沙織さんは笑った。その目に涙は浮かんでいない。ああ、お嬢さん、あんた、何が言いたいんだ。俺にも分かるように口に出してくれよ。

 

「もう夜も遅いですから、また明日、話しましょう。星矢。あなたの部屋はすでに用意してありますから」

「あ、ああ、おやすみ、お嬢さん」

 

 女って分からない。何を考えてるんだろう。

 俺は唖然として、それから考えるのをやめた。今日一日は目まぐるしすぎた。いい加減、ゆっくり休みたいぜ。

 一輝とやりあって説得したり、シャカとやりあって説得したり、予想外すぎることが多すぎる。戦うだけならともかく説得のために回転させた脳みそがそろそろ限界だ。

 俺には、人を説得したり、引き込んだりするための才能はないってことがよく分かった。

 だというのに、明日も俺は瞬や紫龍、那智や蛮、兄弟を説得するために動かなければならないのだ。考えるだけでもげっそりくる。

 あいつらには拳で話を通すと決めたから気は楽だが。

 

「……ええ、おやすみなさい。星矢」




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