「え?」
瞬は何を言っているのだろうと言いたげな表情で、ゆっくりと柳眉をひそめた。何を言われたのか耳を疑うといった風情だ。眉間に皺が寄り、疑問を表す。
俺は黙って瞬を見つめた。
瞬の口が開いて、溜息と呼ぶには浅い、呼吸と呼ぶには長い息をもらす。音にもならぬ息は、それでもささやかな沈黙を破るには十分だった。
「な、んだって?」
「言葉通りだ。お前の師匠が殺されたとしても、お前は戦いたくないと言えるか?」
「まさか! 君、ダイダロス先生に何か……!」
「はッ?」
あれ、なんか誤解してないか。違う、と言いかけて俺は口を閉じた。
ちょうどいい。実力を測らせてもらうか。
瞬の目が真剣味を帯びてきている。燃え上がる小宇宙は静かに、だが確実に高まりながら研ぎ澄まされてゆく。
誤解で済ませられるうちに終わらせないとな。随分と凶悪な誤解を受けてるっぽい。俺は一体どう思われているんだ? 心外な。
城戸家にいたころ、仲が悪かった記憶はない。いや、どちらかと言えば仲の良いほうだったと思うのに。
それとも、さっき紫龍達を叩きのめしたせいか?
なんだか悪役になった気分で、俺はこっそり溜息をついた。遠い目になりかけたのを根性と理性で叩きなおす。誤解だ! と今叫ぶわけにも行かない。人生とはままならないものだ。この年で知りたくはなかったが。
まずは聖衣だけでもさっさと着てもらおう。着せちまえばこっちのものだ。いくら瞬でも攻撃されたら反撃するだろ。
だいたいな、瞬も一輝も含めて聖闘士全般に言えるんだが、何でもかんでも力ずくで何とかなると考えるのはどうにかならんのか?
ついでに、力ずくで叩きのめさないと人の話を聞かない癖もどうにかしろよな、お前ら。
そんなことを考えるついでに、埋まっている蛮に足を乗せてみる。ぐりぐり。ぐりぐりぐりぐり。ぐりぐりぐりぐりぐりぐり。
悪役ってこんなか。どうも釈然としない気分だが、まあいい。
「さてな? 二度目だぜ、瞬、聖衣を着ろ」
「クッ!」
「一輝の居どころを知りたいんじゃなかったのか?」
さらに一押し。一輝の居場所が知りたいなら、実力で聞き出してみろ、と笑ってやる。
どこへ送られたか自体は知ってるはずだ。一輝は瞬の身代わりとなった。あの島の名を瞬が覚えていないはずはない。
この世の地獄とまで呼ばれた、死の女王の名を冠するデスクィーン島。
知っているのに行こうとしないのは一輝と同じわだかまりか。兄を犠牲にしてしまったという後ろめたさか。自分の身代わりとなって、この世の地獄に送られた兄に対する不安か。
よく似た兄弟だぜ、お前らってさ。全然、そんな心配ないのにな。
いや、よく考えたら瞬はまだ
だとしたら、生きているかどうかすら瞬は不安なのかもしれない。生きてここにいると教えてもらわなければ動けないのかもしれない。
こいつらが再会の約束をしたのって、日本だもんな。かならず生きて戻って再会しようって言ってたのを俺は見てたから知ってる。
だから、
大丈夫だ、と言ってやりたいところだが、あの喜びようから察するに、言ったら、一輝のところに即座に行くんだろうな。間違いなく。
それは困る。あの一輝に瞬がどう動くか分からん。一輝も前とは違うから、意外に問題なく兄弟の再会をできるかもしれないが……いや、それでも瞬の知る一輝とは随分と違うしなあ。どうせ必要な時には一輝のほうから来るだろう。
何より、このまま行かせてしまえば、瞬は戦いの覚悟を決めぬままだ。そのまま来たるべき聖戦に臨めば瞬は死ぬことになる。あるいは、
もう一つ、最悪の可能性があるけど、そっちは考えたくないや。
俺は目をそらさないまま、言葉をついだ。
「安心しろ。お前の師匠にも、今はまだ何も起こってないはずだからな」
「今はまだって? 星矢! ダイダロス先生に……!」
「もう一度だけ言うぜ、瞬。聖衣を着ろ。お前は自分の師匠が殺されたとしても、復讐もせず泣き寝入りする気か?」
そんなはずはないと知っていた。
そのまま強く睨めば、瞬は目を揺らがせてひるむ。揺らいだ目が、アンドロメダの聖衣を収めたパンドラボックスをかすめた。通り過ぎてハッと戻りその上に留まる。迷いの色が見えた。
俺は目をそらさない。嘘は言ってない。何かするのは俺じゃないけどな! そこんとこ、是非とも強調したい。絶対に何か誤解してるぞお前。
ダイダロス先生、か。名前は知らなかったが、覚えている。
いつだって善悪を問わず戦いには消極的だった瞬が、いつになく強い口調でまかせてくれと言った戦いを覚えている。
最初は五人だった。
十二宮へと突入し、段々と隣にいる兄弟達の数が減っていった。
だが、たとえ最後の一人となろうとも、必ずや教皇の間までたどり着き
戦いに果てようとも魂は必ずや追いつくと。
あの時の誓いを覚えているのが、俺だけだったとしても。
あの戦いを忘れる理由にはならない。
決して忘れない。
覚えている。
俺だけがってのは、ちょっと寂しいけどな。
視線の先ではすでに瞬は己の聖衣を手に取っていた。
高まる小宇宙にはまだ逡巡の色が濃いが、先ほどのお遊びを見て、俺相手に手加減できるとはさすがに思ってないだろう。あれは闘いですらなかった。 聖衣をまとい、こちらを見る目線に何の油断もない。口調は、それでも優しく心配げだ。これが嘘やハッタリじゃなくて本心だからすごいよな。
「星矢、君は何をする気なんだい」
思わず笑ってしまった。
一輝の「お前は何をする気だ?」を思い出したのだ。
兄弟だなあ。お前ら。
正反対に見えるくせに、肝心なところはそっくりだ。選ぶ結論もきっと一緒なんだろう。兄弟だもんな。
本当に良く似て……いやまて、だとすると、味方になってくれるとは限らんかも……。
よし、念には念を入れて叩きのめしておこう。
「知りたけりゃ聞き出せ。実力でだ」
瞬は瞼をふせる。
それから溜息をついた。
「星矢、僕はこの力を争いに使いたくないんだ。だけど、聞かせてもらうよ」
言いながら、鎖を握った瞬が面を上げる。
金属特有の音が空気を切り裂くようにジャラリと響く。瞬の四方に鎖が円を描いて、アンドロメダ星雲を形成した。
ようやっとその気になってくれて助かるぜ。
俺は晴れ晴れと笑いかけた。
■■■■■■
「馬鹿な! 僕の
愕然と、瞬は砕けたチェーンの欠片を握りしめた。起き上がっての第一声がこれだから、それなりに本気で戦りあおうとはしてたんだろうな。
何をやったかって話は簡単だ。襲ってくる鎖ごと、本体である瞬に一撃くらわせただけ。
空間ごと、拳の衝撃を叩きつける。空気だって物質だ。圧倒的なエネルギーで叩き揺らしつぶしこんで圧縮する。距離があるから破壊力は反発によって多少相殺されるが、その分、広範囲に散った圧力は鎖ごと瞬を吹き飛ばすだけの面としてのエネルギーを持つ。
言うだけなら単純だが、手加減は案外難しいんだぜ。
威力を殺しすぎては意味がない。だが、下手すると、威力を殺さずにそのまま点としての攻撃で相手を打ち抜いちまう。
殺さずにいようと思うなら、それなりの距離がないと使えない。距離があっても、相手にそれだけの強度がないと使えない。しかし所詮しょせんはスピードとパワーを活かした力押しだ。技でも何でもない。
だが、今の瞬ならこれで事足りる。ちょっとくらい手加減を間違えても、瞬の力なら大丈夫だろうしな。
一方、瞬は宙に飛ばされたところで身体を反り返らせ、戻る反動で空中にて一回転、叩きつけられるところを態勢を変えて四足接地。したと同時に全身のバネを使い沈みながら地を転がってもう一回転して起き上がったのだ。無傷だぜ。器用な奴。
「……僕の負けだ」
砕けた鎖を握りしめ、瞬が悔しそうにつぶやいた。
嘘つけまだやれるだろ、と言いたいところだが、置いておく。
「俺の言葉を信じる気になったか?」
「最初から疑ってるわけじゃないよ。でも、ダイダロス先生は多くの人に信頼される誠実な方だ。殺される理由がない。それに強い方だ。殺されるなんて」
「甘い。甘すぎるな。蜂蜜にシロップぶちこんで水飴で練り上げて砂糖をまぶすより甘い」
「そこまで!?」
「言うさ。それを黄金聖闘士相手でも同じように言えるか?」
「それこそありえない! さっきも言っただろう。理由がない! ダイダロス先生はとても」
「だからだろ?」
「エッ?」
「立派な人格者だからこそ、真実を見抜く目を持つからこそ、多くの支持を持つ者だからこそ、殺されるんだ」
「そんな、なぜ……どうして先生が」
「……分かるだろ」
瞬は唇を噛んだ。聖域の最高峰に裏切り者がいる。その裏切り者にとって、誠実で確かな実力を持ち多くの者の支持を集め、そして、真実の
邪魔に決まっている。
理由なんてものはあってなきもの。とは言えども、そう断言できるのは「そうであるという事実」を知っているからだ。
おかしいよなあ。知っているなんてさ。瞬が信じきれないのは知らないんだから当たり前で、そっちのほうが多分まともだ。誰かにどうして知ってるんだって問われても、俺は答えられない。少なくとも、挙動不審にならず答えられる自信はないときっぱり言える。
俺のほうが、どう考えてもおかしいんだよ。
悩んでもどうしようもないから、いちいち悩まないけどな。何が起こっていようと、俺が
聖域の汚濁を信じたくないのか、あるいは、俺の提示した未来を否定したいのか、瞬の顔は苦悩に歪んでいる。口からは意味をなさぬ小さなうめき声がもれた。握った拳は骨が浮き出るほどに力がこめられている。
「お前らも聞け!」
俺は声を張り上げた。芋虫のようにそこらに転がっている奴らに問うためだ。
わざと目線を外しながら叫ぶ。血のにじむような目線を向けられた。じっとりとした目線は実に恨みがましい。
少しばかり良心の痛みを感じなくもない。これでも手加減はしたんだけどな。
カシオスの時も同じようなことを感じた……あの時だって手加減はしてたんだが。
いや、そんなことは今どうでもいいんだ。俺は咳払いをした。
「お前らの師匠は
「老師は信じられないとおっしゃっていた。あの仁義礼智信すべてを兼ね備えたアイオロスが
紫龍が客席から、場壁を乗り越えて内部に降りてきた。
右手をわき腹に当て庇いながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
よろよろしているが、さすがにカシオスより丈夫だ。
「……ダイダロス先生も、まさか、と言っていた。黄金聖闘士のアイオロスこそは真に正義を知り、慈悲を施す偉大な聖闘士だと」
握りしめていた拳をほどき、苦悩に満ちた息を吐いて、瞬も同意した。眉間の皺はいまだ健在だ。
地面に座りこんでいる市は同じくとうなずき、那智も確かにと首を縦に振る。
壁にめり込んでいた激は、頭を振って瓦礫を払い落としながら立ち上がった。
邪武と激の師匠は、アイオロスの裏切りについて良くも悪くも評価しなかったらしい。
結論として言えば、アイオロスを悪く評した者はいなかったということだ。評価自体を放棄はしても。
それを知り、俺を否定するものはもはやいなかった。
ただし、悪あがきをする者が一人―――瞬だ。
「星矢、どうしても闘いしか選べないのかい」
「それ以外を選べるなら、俺達は聖闘士になってないだろうな」
アイオロスが
逃げ出したアイオロスは、光政に会い
―――あ?
何かが脳裏に引っかかった。
俺はまた何かを忘れてるんだろうか。何かが引っかかる。だが思い当たらない……気のせいだといいんだが。
眼前の瞬はまだ納得できない様子だ。
もう一発、ボカッと強めにやるべきだろうか。具体的に言えば、ヒクヒク
「それでも、僕は―――別の道があるなら!」
「だったら脱げ」
「エッ?」
「脱げって言ったんだよ。聖衣を。足手まといだ」
別の道、か。
愕然とした様子で瞬は俺を見やった。
実力は惜しい。瞬は強い。
戦いに向いているのと、戦闘の才能があるのは別物なのだ。
「お前は戦うのに向いてない。それは知ってる。でも、今からどうしても戦わねばならぬ局面がある。戦いたくないというのなら聖衣を脱いで守られる側に回れ」
俺は一息ついた。
どんなに実力があったとしても、誰かが目の前で倒れなければ、何者かの犠牲なくば、死が切羽詰るまで全力を出せないんじゃ意味がない。
瞬は優しい男だ。万人に平等に優しくあろうとしている。だが、その優しさは戦いにおいて害にしかならない。
「全力で守ってやる。心配すんな」
瞬の顔が、カッと屈辱に燃えた。口元からは穏やかさが消え、代わりに怒りの気配に歪んだ。心配げだった目線の力が変わり、一気に強くなった。
瞬のプライドは決して低くはない。ただ、その方向性が俺にはよく分からない。
「星矢、それは僕に対する侮辱かい?」
「聖衣は戦うためのものだろ。まとうのならば覚悟を決めろ」
瞬を真正面から見据える。
侮辱なのはどっちだ。殺すどころか傷つける覚悟すらなく聖衣をまとうな。
それは瞬の強さだと知っている。だが、それは何にも傷つかず何にも揺らがぬ強者のみに許される憐れみだ。お前は本当にそこまでの強者か。
守りきるだけの強さを持っているか。
「誰を傷つけてでも、守る覚悟を」
それを持たぬお前では何も守れない。
前回だって、お前は何をも失わずに戦う決心はできたか。
本当に戦えたか。
戦って勝てたか。
何の犠牲も出さずに守り通せたか。
師ダイダロスを失わずとも、本当に全力を出せたのか。
「必要なのは勝てるだけの武じゃない。圧するための威だ。それができるだけの力だ。そうでなければ結局己も守れず、守るべき物も守れない。身につける気がないと言うのなら守られる側に回れ。……そのほうが向いてんだ」
瞬は戦いに向いていない。それは分かっている。誰かを傷つけるより自分が傷つくほうがまだマシだと考え、たとえ守るためでも何かを壊すことに拒否感を示す。
瞬を見据える。
守るために、その優しさを犠牲にせねばならないことを覚悟しているか。自分が誰かを傷つけなければ守れぬものがあることを分かっているか。
返答次第じゃ―――本気で脱いでもらうぜ。
「――――
感想、評価、応援ありがとうございます。いつも励みにしています。
誤字脱字報告も助かります。ありがとうございます。