城戸家へと歩きながら、情けないことに俺は動揺していた。
美穂ちゃんが別れ際に言った言葉が頭をチラついてとまらない。
何か、俺は悟られるような真似をしただろうか。彼女には、何もしゃべっていないのに。そりゃ城戸家にいるってことくらいは話したけど。沙織お嬢さんの手伝いをしなきゃならんってことも話したけど。
だけど、これからどんな戦いにいくかも、何のために戦うかも、何も彼女には話していないのに。
そう、本当に何も俺は話してない。聖闘士になったことさえ、だ。
話しはじめると、聖闘士の説明から必要だろうから面倒だったのもあるんだが、話したところで心配させるだけだからな。おまけにその心配される原因を改める気もないときている。
訊かれれば話すが、話したところで美穂ちゃんの心痛を増やすだけ。ならば訊かれぬうちは黙っているほうがお互いにいいに決まってるさ。
事実、俺がかつて十二宮に戦いを挑みに行った時、やっぱり同じように行く前の挨拶をして、彼女に二度と帰ってこない気がするとまで言われて……ある意味ではまったくその通りになってしまった。
訊かれれば話すが、なるべく話さない。そのほうがいいんだ。多分な。
というのは、単なる理屈。
実際のところ、妙な気まずさにしゃべれなかっただけだ。
なんで気まずいかって考えると、こういうことになるんだと思うけどな。
つくづく、俺も臆病になったもんだ。沙織さんに未来の俺の死を告げられないのとほぼ同じ理由じゃないのか、これ。
どっちにしたって、話さないことに変わりはないけど。
そう、何も話さない。話さなかった。生きて帰る、と決めてんだしな。万が一、それが無理なら……やっぱり話さないだろ? どっちにしたってさ。
だというのに、どうして前回の人生で聞かされた言葉をもう一度向けられたのだろう。
彼女の言葉は、そのままではないものの、俺が前回、沙織さんとともに聖域に乗り込む際に向けられた言葉とほぼ同じだった。帰ってきてくれ、と無事を求める意味をこめて与えられた願い。
分かったって返事しといたけど、一瞬、言葉に詰まった。誤解させちまったかもしれんな。
帰ってくるつもりではいる。だけど、大丈夫だと安易に返事した前回、俺は帰れなかった。いや帰りはしたのか。だけど終わらない戦いから帰ってくることはできなかった。俺の生きているうちに戦いは終わらなかった。
その記憶が俺に大丈夫という返事を拒ませた。約束は多分しちゃいけないんだ。嘘は良くない。だろ?
たとえ、永遠に戦い続けることになったとしても、俺は決して逃げたりしない。
美穂ちゃんの気持ちは嬉しい。だけど、約束をしちまうのは危険だ。男なら守れない約束なんざするもんじゃない。
気にしすぎか? たまたま同じタイミングで同じようなことを言われてしまったから、過剰に気になるだけかもしれん。お嬢さんに言えなかった負い目があるから余計に。ああくっそ! わけ分からん! ごちゃごちゃしてきたぞ!
残念ながら、俺が混乱から立ち直ったのは自力ではなかった。悩んでいても足は進む。気持ちを表すような遅々たる歩みではあったものの、順調に俺は城戸家へ向かっていた。
その途中に、混乱を吹き飛ばすトラブルがやってきたのだ。
ありがたいようなありがたくないような。
最初に感覚に引っかかったのは、けたたましいクラクションだった。
目を上げれば、車道の真ん中で女性が立ちすくんでいる。渡ったときに落とし物でもして、拾おうとしている途中に車に気がついて顔を上げましたってとこか。
けたたましさの元はわりかしでかいトラックで、白地に緑のラインの入った車体だ。運転手は顔をひきつらせ、半分目をつぶってブレーキを踏んでいる。ハンドブレーキのレバーを握る手は筋が浮き出ており、見るからに渾身の力はレバーを折らんばかりだ。
冷静に聞こえるかもしれんが、別に傍観してるわけじゃないんだぜ。
光景が目に入った瞬間、とっさに左足で地面を蹴り、迫り来るトラックと女性の間に割り込んだ。着地した右足をたわめながら、勢いのまま身体を反転させる。凍りついたように動かない女性に腕を回し、垂直に地面を蹴った。女性を抱き抱えて真上に飛び上がれば、伸びた足先をかすめてトラックが過ぎる。ギリギリだったか。
簡単に言うと、向かってきたトラックを飛び越えたような形だな。より正確に言えば滞空している間に、下を通過させたんだが。
甲高いブレーキ音に続いて、重い振動。
横転しそうになりながらも何とか完全停止したトラックから、乱暴な音とともに運転手がまろびでてきた。
「そこのおっさん、目は開けとけよ。危険、だ、ろ……」
一呼吸の間をあけて着地した俺は、腕の中の女性の顔を見て固まっていた。それはもう見事に。運転手にかけた声が裏返って立ち消えたが、そんなことはどうでもいい。
なんでこんなところに彼女がいる?
俺の腕の中で、恐怖か驚愕かに瞳をうるませている小柄な女性、と言うよりは少女。見覚えがあった。いるはずのない人物だった。
濡れた黒い瞳。三つ編みにされた同色の髪。チャイナ服。
春麗―――紫龍と家族のように育った少女。
間違いない。
倒れた紫龍を助けてくれとすがりついた声音の必死さ、俺の身体を揺さぶる両手、こぼれ落ちる涙の熱さ、鬼気迫る眼差し、震えていた肩。
どちらかと言えば、姿形よりも紫龍に向けるその想いが印象に残っている。
いやまて、だから、なんでここに彼女が!
驚きに目を見開いて凝視した俺に、彼女が戸惑いの視線を向けてきた。慌てて声をかける。
「ああっと、怪我は? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。あの、ありがとうございました」
「気にしなくっていいぜ。当然のことしかしてないし、紫龍の家族に怪我なんてさせたら顔向けできないしな」
「えっ? あの、紫龍をご存知なんですか……?」
あ、そこの説明から要るのか。そっか。初対面だもんな。彼女にとっては。
了解して自己紹介する。と言っても、名前と聖闘士ってことだけだが、どうやらそれで納得してくれたらしい。
紫龍に用事があるとかで城戸家まで案内することになった。それはいい。当然だ。
しかし、何の用事なんだろう。何か、何かこう、ぞくぞくするものがさっきから背筋を行ったり来たりしてやがるのだ。
紛うかたなき面倒の予感。
今までの経験から言って、まず外れな……ああ、天が俺が嫌いなのか、面倒事が俺を好いているのか!
いや、用事が何か聞いてからでも絶望するのは遅くない。ないはずだ。
「あのさ、紫龍に用事って?」
「はい、実は老師が……お倒れになって……」
歩きながら、春麗が涙ぐむ。
先ほどの件で、道路と車に恐怖心を持つようになったらしい彼女が握っていた俺の服にしわがよった。
それ自体は特に何とも思わないんだが……なんだろう。周囲から視線の重みが一気に増した。おまけにトゲのあると言うか、咎めるような囁き声まで聞こえてくる。
「うわ、あれ見てよ」
「女の子を泣かせるなんて……」
「若いのによくやるよ。将来どうなるやら」
「青春を謳歌しやがって。くそ!」
「あんな清純そうな子に何を……まさか」
「なんて羨ましい奴。呪われろ」
無実だ! 俺が泣かせてるんじゃねーよっ!
ぐっと内心の声をこらえたものの、ひくりと頬が
目をつぶって感情を抑えた俺の左腕に重みが加わった。
無実を訴える俺の声は、俺以外には当然ながら聞こえない。だから彼女が俺の腕にすがってすすり泣き始めたのは彼女のせいじゃない。ないんだが……この居たたまれなさをどうしよう。
仕方なく、しゃくりあげる彼女のために立ち止まった。
ああ、と遠い目になりつつ、俺は彼女の背中を撫でて肩に手を置く。泣いている女を目の前にして放っておく男は、男じゃない。仮に周囲の視線がどれだけ気になっても、だ。
俺が、俺が泣かせてるんじゃないんだ……頼むよ。
うつろな俺の目に、どこまでも罪の無い彼女が映る。泣かないでくれよ。ああもう、こういうのは紫龍の役目だろうに、なんでいないんだ。
いや、いないからこそ日本に来たのか。
すすり泣く彼女に表情を見られなかったのは幸いだった。ちょっとげんなりしちまったから。もちろん彼女に対してじゃなくてな。
まったく老師もよくやるよ。倒れたっていうと、前回のアレだろ。仮病だったって聞いたけどな。紫龍が愚痴ってた気がする。自分の未熟さがどうの、老師もお人柄が悪いだのなんのと。
よくよく思い返せば、老師は
……亀って脱皮するんだっけ?
するよな。そうでないと、甲羅はどうやって成長するんだよ。
駄目だ、前回は仮病でも、今回は本当かもしれないのに、本当かもしれないと疑いさえできない。
あの老師をどうやったら病気になんかできるってんだ。病気のほうが尻尾巻いて逃げ出すか、土下座して勘弁してくれと泣きを入れるだろうよ。
「大丈夫、老師ならすぐに元気になるさ」
自分でも軽いと分かる言葉は、どれほどの重みをもって伝わるものだろうか。
そんなことを考えながら、なるべく言葉を選んで口に出す。俺が何を思ってても、そのすべては彼女のせいじゃない。
泣き止んでくれないと、俺を極悪人扱いした誤解がそこら中にはびこるじゃないかと危惧しているのもあるけど。
■■■■■■
関係ないことに頭を逃避させてもいたが、それでも必死に彼女を慰めた俺は、城戸家に着く前にすでに疲労困憊していた。
なんでかって、彼女が泣き止んだのは、城戸家につく少し前だ。そして、俺はその間ずっと居たたまれなさに耐え続けたんだ。もう口に出してもいいだろう。
俺は、無実だ!
出さないけど。男なら、このくらいの苦難は黙って耐えるべきだ。
ただ理不尽な言葉の暴力には、聖闘士の力も無意味だという事実を忘れまい。くっそ!
だいたい、紫龍を呼び戻してどうする。
知らない……わけがない。
とすると。いや、まさか、そんな馬鹿な。
俺の足がピタリと止まった。
城戸家門前で立ち止まって動かなくなった俺に、隣から妙な視線が送られてきている気がするが、今は気にならない。
思い当たった可能性の恐ろしさに、目の前が真っ暗になりそうだからだ。
そう、銀河戦争のからくりを知っていてなお、老師はなぜ弟子を送り込んできたんだ?
紫龍にとってのものであれ、
間違っていてほしい。だが、もしも、この考えが正しいならば……これは、もしや、老師の計画を邪魔してるってことになるんじゃ、ない、か?
他の誰でもない、この俺がだ。
だとすると、大体がして、
なんて嫌な推論だ。頭痛がする。
だが、さらに推し進めて考えてみよう。
反教皇派の老師の計画だとすれば、ムウが一枚噛んでいないはずがない。つまり、今の俺はあの二人から見て、邪魔者ってことになるんじゃないか。
これは仮定に過ぎない。だが、もしもこの仮定が正しければ……。恐ろしい結論に至りそうになって、俺は思考停止した。
俺は、どうすればいいんだろう。
次代の
……詫びを入れに行ったほうがいいんだろうか。
いや、城戸光政と老師に関係があったかどうかは分からないし、分からない以上、
限らないわけだが、もしもそうであったなら……まずくないか俺。
今回、紫龍を呼び戻そうとしてるのは何でだ? 不測の事態への情報収集か?
とすると、当然ながら紫龍は俺のことを言うだろうし、そもそもがいつまでも隠し通せるわけがない。
うん?
焦った思考が妙な方向に転がり始めていると気づいて、額を手のひらでピシャリと打った。思考を冷やす衝撃。
俺は何を考えているんだろう。
隠し通す?
なんだそれは。
何を隠すってんだ。
隠す理由はもちろん、隠すモノはなんだ。
自分が分からない。
大体、不思議だったんだ。一輝のところに相談に行こうと決めた時からそうだった。
老師もムウも含めて、黄金聖闘士に頼ろうとは絶対に思えない。むしろ忌避感さえ感じる。
なぜなんだ。
「あの、星矢さん。どうしたんですか?」
「へっ? ああいや、何でもない」
おずおずと問いかけてきた彼女が、心配そうに見上げていた。
ええい、悩むなんて柄じゃない。下手の考え休むに似たり。考えてもしかたない。なるようになるさ。
俺はぐちゃぐちゃになっていた思考を放り出して、城戸家に入った。
彼女を見とがめられるかと心配していたが、問題なく通過。
もしかして、内部犯がいればこの屋敷、案外もろいんじゃないか。先日だって、難なく侵入できたしなあ。
少しばかり心配しながら、紫龍より先にお嬢さんに話を通した方がいいと、彼女をお嬢さんのところに、送り届けてきた。
俺と一緒じゃなきゃ屋敷にも入れなかっただろうし―――紫龍の身内だと話せば通れたかもしれないが、どっちにしたってお嬢さんに話を通さないと先には進めないだろう。
お嬢さんも、遅いと叱責する目つきだったが、表立っては客の対応を優先してくれた。
卑怯かもしれんが、これでお説教はまぬがれたぞ!
上向いた気分で向かったのは
留守中、あいつらは少しは強くなっただろうかという好奇心めいた期待があったのは否定しない。
そこで目にしたものといったら、まったくもって予想もしなかったものだったが。
ひび割れた壁。
鋭い亀裂の入った地面。
荒れた状態の
そこに、切り出されたばかりの丸太のごとく転がった……まだ生きてるが、もうすぐ死にそうな何か。
まさに、廃墟。
前回、白銀聖闘士にやられた状態でもここまでじゃなかったぞ。瓦礫の山は変わらんが、死体は転がってなかったし、血飛沫の跡もなかったし、肉片や脂が飛び散ってもなかった。
「おい、一体、何があった! 誰がこんな、なんで!」
「し、瞬が……」
「俺は、もう、駄目だ……」
息が絶えるように、蛮と激の頭が落ちた。
他の奴らは、最初から沈没している。
なあ瞬、お前何したの? 何があったらこんな事態になるんだ? お前の平和主義はどこに行った。
すっごい全員ぼろぼろなんだけど。
誰の聖衣もひびだらけじゃねえか。あいつのショルダーパーツなんて砕ける寸前だし、あそこに半分だけ割れて転がってるのは誰のヘッドマスクだ。
……いやもう本気で何やってんだ、お前ら。
唖然としていると当の瞬がやってきた。背後に、謎の白衣集団を引き連れて。
なんだ、それ。
「あ、帰ってきたんだね、星矢。お帰り」
ごくごく普通の態度に、普通の笑顔だ。
だが、普通なのが異常だ。お前、そんな奴だったっけ。
思わず尋ねずにはいられなかった。
「何をやったんだ? お前の聖衣についているのは誰の血? さっぱり分からん。なんでこんなことになってんだよっ!?」
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