百年に一人、千年に一人の天賦の才がある。
屈辱の泥をすすり、修練の血をにじませた努力がある。
切磋琢磨し、しのぎを削りあう仲間がいる。
だが、それでも到底手の届かぬ高みが、この世には存在する。
研ぎ澄ませた牙は届かない。
磨き上げた爪も届かない。
避けられるでなく、弾かれるでなく、受け止められるでなく、飲み込まれるでなく、折られるでなく、砕かれるでなく―――最初から、届きもしない絶望を、知っている。
才能を磨くだけでは足りない。
努力で研ぐだけでは足りない。
そう知らしめて、俺はシベリアに出立した。
それだけの、はずだった。
目の前を担架と白衣の集団が通り過ぎて行く。「輸血の用意を!」だの「心拍数が低下している!」だのの叫びが、耳に痛い。
俺は隣を見やって、げっそりと深い溜息をついた。
「星矢、具合でも悪いの? 大丈夫かい?」
「体調は万全だぜ。それより、何なんだこの状況。何が起こってんの」
「落ち着いて、星矢。お茶でも飲みながら話そうか。ジュースのほうがいい?」
「いや、俺は」
美穂ちゃんのところで飲んできたばかりだ。必要ないと返しかけて、喉が乾いていることに気づく。嫌な汗をかいたからなあ。今もだけど。
瞬の部屋へと移動して、ソファに腰掛けた。
俺達の部屋は、おそらくどれもこれも似通った間取りなんだろう。内装に差異はないが、小さな花を慎ましく飾ってあるところが瞬らしい。
運ばれてきたうす緑色のジュースに礼を言いながら、俺は瞬に話をうながした。
落ち着いて聞くところによれば、ことの発端は、邪武達だったらしい。詳しくは、邪武と激と蛮の三人組。
俺が瞬に勝てればと言いおいていったこともあり、俺が出かけてすぐさま瞬に挑んだところ、相手にされなかったんだと。先回りしても避けられ、待ち伏せしても見抜かれ、囲んでもすり抜けられて、とにかく徹底的に相手にされなかったらしい。
相手にしなかった当人は、「参ったよ」と全然参ってなさそうな顔で肩をすくめた。相手してやればよかったのに、と思うが口は挟まない。逃げられるのは奴らの不甲斐なさがためだ。
しびれを切らした邪武達は、お嬢さんの名前で
だが、瞬も罠だってことくらいは読んでいたらしく、
それでも行ったのは、お嬢さんの名前を無視できなかったのと、その状況にかなりうんざりしてたんだろうな。思い出す表情が渋い。
邪武達も考えたな。黒だろうと白だろうと無視できない名前をつかったのは正解だった。正面からじゃ無理だという判断も正解だった。人数をそろえて挑んだのも正解だった。
むしろ奇襲を受け、複数に囲まれても物ともしない瞬のほうが青銅聖闘士とは思えないぜ。だが、安心しろ。そのうち正面から挑めるくらいには鍛えてやる予定だから。
瞬にとって予想外だったのは、奴らのスッポンのごとき食らいつきだった、らしい。
俺に三秒も経たずこてんぱんに負けたのが、よほど堪えたと見えて、闘争心によるしぶとさの底上げがあったんだな。相手にしない瞬を腹に据えかねてってのも入ってると思う。
予想外れた瞬は、思わず思ったよりも強めの力でたたきのめしてしまった。逃げるだけのつもりだったのに、とは本人の弁。
だが、しまったと思ったのもつかの間、今まで手加減されていたと知った奴らのプライドを逆撫でしてしまった。奮起させてしまったわけだ。
気づけば、倒しては挑まれ倒しては挑まれの連鎖。負けて復活するたびに力をつけてくるため、瞬も力をいれて相手をせざるを得ない。
復活速度も半日かかってたのが、いつのまにやら一時間くらいに縮まっていたそうだ。進歩が早いな!
いつの間にか、紫龍や市達も加わり、バトンタッチ形式でやってくる。
と、そういう話らしい。
ううむ、思ったよりも十分にやってくれているようで何よりのことだ。
思ったより、いや、思ってすらいなかった事態なんで、少しばかり頭が混乱しそうだけど。
俺が留守にしていたのなんて、たった三日だぞ。なんて急展開。
俺がいるより効率よさそうだ。嬉しい誤算だが、ちょっとばかり物寂しい気持ちがないでもない。俺がいなくても平気か。そうか。
頼もしい、と思うべきなんだけど、がっかりするのはなぜだろう。
しかし、瞬が一応きちんとやってるのが意外と言えば意外。助かるが。
「なあ、瞬、お前、戦いたくないって言ってなかった?」
「言ってたね。戦いで生み出せるものなんか何もないって思ってた。いや、今でもそう思ってる。思っているけれど、ね」
そう言いながら、瞬はストローをくわえた。
ならって俺もうす緑のジュースをすすってみる。強い酸味が舌を刺した。甘味が後から追いかけてくる。キウイか。
一口飲んで、それで? と視線を瞬に飛ばせば、憂いを帯びた表情でまだちびちび飲んでいる。
何をそう悩むことがあるのか知らないが、言えないなら別に言わなくていいんだぜ? 何が瞬の心境に変化をもたらしたのか知らないが、それは俺にとって歓迎すべきことだ。理由なんざどうしても知らなきゃならんものじゃない。
瞬と俺達は何かが違う。
それは戦いに見出す意義かもしれないし、あるいは強さに求める意味の違いかもしれない。
だけど、戦いの障害にならないならば、それは別にどうでもいいことだ。
話を変えた。
「で、あの白衣の集団は? 怪しげなマッドサイエンティスト軍団にしか見えなかったんだが」
「失礼だよ、星矢。ふふ、確かにそう見えるかもしれないけれどね。あながち間違ってないし」
「間違ってないのかよ! そう見えるだけなのか、実際そうなのかどっちだ」
「お嬢さんの紹介だからね。身元はちゃんとしてるよ」
瞬の表情が一転して軽くなる。くすくす笑って、俺の発言を肯定しつつも訂正と追加情報を加えた。
曰く、あれは城戸家から派遣された医者集団なんだと。
いかに俺達聖闘士が丈夫だと言っても、それなりの怪我はするので、城戸メディカルグループのスタッフが屋敷に設備を持ち込み泊まり込むことが早々に決定したらしい。そりゃ時間単位で呼ばれたらな。無理もない。
元々、
ところが、俺達聖闘士は医学の常識を無視して回復力も半端ないため、発狂寸前になる者が続出したとのこと。よって、今ここで働いているのは確かにマッド的な性質の強い者であるらしい。
常識の破壊に対して気が狂うどころか、目を輝かせて驚喜するような人間だな。ある意味、最初から常識なんかない人間ばっかりってわけか。
そして、あんな状態の
道理で城戸家の人間がやってるにしちゃ雑だと思った。
血飛沫の跡なんて、俺達、残ってても気にしないもんな。要は目についた瓦礫を脇に置いておこうくらいの感覚だ。
しかし、あの状態からすぐに回復して挑めるって、やっぱり聖闘士は人間じゃないな。前回はもうちょっとあいつら人間じみてたと思うんだけど。
気のせいだったらしい。あいつらもしっかり聖闘士している。
しかし、こいつらが掃除なんて想像できない。
「なんだよそれ。当番制か?」
「違うよ。勝率。高ければ高いほどしなくていいんだ。つまり負ければ掃除」
「罰ゲームかよ。お前、参加したことは?」
「一度もやってないのは悪いと思って、申し出たらものすごい勢いで断られたよ。逆に失礼だったみたい」
「だろうな。それは瞬が悪いだろ」
俺は頬をひくつかせて、ジュースをすすった。
そりゃ屈辱でしかないだろうよ。同輩から憐れまれたんじゃな。
俺がカシオスあたりから同じ扱いを受けようものなら、次は血反吐を吐いてでも勝つぞ。次は絶対に片付けさせてやると、気合を入れて片付けるぜ。
まったく、どれだけやりあってんだか。
ジュースを飲み終わった瞬が立ち上がった。
「さて、僕そろそろ行かないと。もうすぐ紫龍達が来ると思うから」
「俺も行く。
「そうだけど。まだ僕に勝てはしないと思うよ?」
「違う違う。今回はお前もあっち側だ。多分、紫龍は来ないからな」
不可解そうな顔になった瞬の動作が止まった。
残ったジュースを俺も飲み干せば、舌に残る刺激を帯びた甘さ。お茶じゃなくてジュースを出されたのって、もしかして子供扱いされたんだろうか。お前とは同い年のはずなんだけどな。数カ月、お前が上だけど。
立ち上がりながら、説明を加えた。
「老……じゃなかった、紫龍の師匠が倒れたんだってさ。知らせが来てたから、今頃はお嬢さんに呼び出されてるんじゃないか」
「星矢が行ってたのはシベリアじゃなかったっけ。中国にも行ってたの?」
「まさか。空港からこっちに来る途中に行き合わせたんだよ」
会話をしながら、
どれだけ強くなったのか、俺に見せてくれ。
黄金聖闘士とやりあってなお、生き残るだけの強さがあるかどうか、俺に見せてくれ。
できれば、セブンセンシズ、及びエイトセンシズに目覚めててくれれば言うことなしだぜ。
別に帰ってきたばかりのときに冷たい目で見られたお返しをするつもりなんかじゃないから安心しろ。俺は根に持たない主義だ。
多分な。
■■■■■■
何の気なしに、瞬より先に一歩足を踏み入れ、肩透かしをくらった。
待ち受けている人影があるはず、と思った予測は外れ、どこにも人影がなかったのだ。
疑問に、瞬を振り返って―――。
岩石が飛んできた。
瞬時に身体が反応した。
何を考える間もなくはたき落す。
これは、
一つ、二つ、と砕いたところで、縦横無尽にうねる
そのまま、金属のすれ合う音を響かせ、俺達を中心にアンドロメダ星雲を模した円を描く。その様、まさに互いの尾を共食いする二匹の蛇の如し。
「星矢、無事かい」
「誰に聞いてんだよ。それより俺は出るぜ。今回はお前もあっち側だって言ったろ」
「ああ、そうだったね。ちょっと待ってくれる?」
肩をすくめた俺に、瞬はニコッと笑って、鎖を掴みなおした。
間髪を入れず、小宇宙が高まり力強さを増す。
「いけっ、
ずざぁっと影が広がるように鎖が伸びた。
伸びた先から次々に悲鳴が上がり、同時に金属と金属のぶつかり合う音が聞こえた。
……なんだろう、この言葉の通じてない感覚。
俺は、瞬の絶対防御から出ると言っただけだよな?
ピクリと自分の眉がひきつったのが分かった。
「……なにしてるんだ?」
「今回は僕と共闘だって説明しないと、問答無用で始まってしまうから先に捕まえただけだよ」
「別に共闘しなくてもいいんだぜ? 個別で狙ってこいよ」
「それだと勝率が限りなく低いじゃないか」
へえ、勝ちたいんだ。いい傾向じゃないか。
自然と口の端が上がった。そう簡単に勝たせてやる気はないけどな。
目の前には鎖に引きずり出された紫龍、市、那智。
嘆息がもれた。
お前らな、簡単に捕まってんじゃねえよ。
もうちょっと……あれ?
「紫龍、お前お嬢さんに呼び出されたりしなかったのか?」
「いや、何も言われていないが」
あれ、そんなはずないけど。
きょとんと首をかしげた俺に、紫龍のほうが困惑のにじんだ口調で話しかけてきた。
「お前、何かしたのか?」
「なんで俺が何かするんだよ。大体、俺が何かしたからって、お前が呼び出される理由にはならないだろ」
「逆に、お前が何もしてないのに、お前が帰ってきたとたんに呼び出される意味が分からないんだが」
言われてみればそうかもなあ。単に偶然会っただけだけど。
納得してコクンとうなずくと、紫龍が優しげに顔を緩ませた。
なんだ、その仕方ない奴だなあという笑い方。何と言うか、手のかかるやんちゃな弟を見守る慈悲深い兄といった感じだ。やめろ、そんな目で見るな。事実、兄弟ではあるわけだが、そんな可愛いものを見る目で見られるようなことはしてないだろうに。
俺がむっとしたのに気づいたか、紫龍は考えを切り替えるように笑みを消した。
たちまち空気が緊張する。
「ハァッ!」
薄く開いた口元から小さな気合を発した紫龍の四肢に、力がこもった。
全身に小宇宙が満ち、背後に天に昇る
……ほう、なかなか。
瞬が解いたんじゃない。小宇宙は緩んでない。
紫龍が自分自身の力だけで解かせたのだ。
立ち上がった紫龍に呼応するように、市と那智の小宇宙に力が増す。
市の背後には、無数の牙から毒をしたたらせた禍々しい
那智の背後には、鋭き鋼の牙を歯茎まで剥き出した猛々しい
膨れ上がった小宇宙が爆発した。
その直後、鎖の束縛から逃れ立ち上がる二人の姿がある。
瞬は分かっていたことのように鎖を鮮やかに繰り戻し、鉄壁の守護陣を再び敷いた。
三人、いや、瞬も含めて四人か。三日前とは別人のようだ。
今ここにいないが、邪武達もきっと同じなんだろう。
胸に満ちるのは高なる期待か、求めた以上を得られた安堵か。
自分でもよく分からない。
ただ、どうしようもなく血が騒ぐ。
弟子を持った師なら、子のある親なら、被造物に対する神なら、この感動に相応しい名を与えられるのだろうか。
瞬間的に揺らめいて消えた
想像以上だぜ!
面白い!
「お前ら、死ぬなよ?」
「は? 星矢、何を……!」
「なんだ、何をやる気だ!」
「星矢、どうして、そんなに嬉しそうに攻撃しようとしてるんだい!?」
何かわめいているがどうでもいい。
懐かしいとこの身の内にうずく衝動を、身を震わせうめかんばかりに突き上げる衝迫を、どう呼べば、涙なしにしのげるんだろう。
この時代に、天と地の狭間で男として生まれ、戦士としてともに戦い、歩んできた熱き血潮の兄弟よ。
脳裏で呼びかけた。
かつて、戦場を駆けた仲間であり友であり兄弟であった者達に呼びかけた。
ほんの少し本気を出して小宇宙を燃やせば、瞬達の顔色が変わる。
かまわず笑いかけた。
俺だけが、と思ってたけど。
いるんだな。ちゃんとここに。
何も俺は失ってなんかいないんだな。
ならば。
俺は、もう、いいと思うことにする。
燃えろ! 俺の小宇宙よ!
「ペガサス流星拳ーーーっっっ!!!!」
与太IF偽予告
ついに、星矢の本気の一撃が彼らを襲う。
吹き荒れるはパワーの嵐。
ことごとくが、破壊の激流の前に屈していく。
熱き友情も、兄弟としての絆も、戦士の誇りも。
―――何もかも、が。
「手加減してるんだぜ! これでも!」
「……星矢、聞きたいんだが、お前の手加減とは『死ぬ寸前でやめる』という意味なのか」
「あ? そ、んな、わけが……」
紫龍の言葉に星矢は絶句した。
かつて、黄金聖闘士が一人、水瓶座のカミュを前に、決して己はそうなるまいと誓った姿がそこにあった。
風は巡り、水は流れ、季節は移ろい、人は変節する。
それは見えない糸に手繰られた、この世の絶対の掟。
だから、誰しもが過去を忘れていく―――それでも。
それでも、自分だけは変わらないと誓ったはずだったのに。
「うわあああぁぁぁぁぁっっっっ!! 魔鈴さん達みたいになるのは嫌だあぁぁぁぁっっ!!!」
耐えきれずに星矢は絶叫した。
それはそれは真情の籠もった絶望的な叫びだった。
「あ、星矢、後ろ!」
瞬の忠告は遅かった。
引きずられて行く姿に、「冥福を祈ろう」と誰かがポツリとつぶやいた。
同情に満ちた声音に、その場に残った青銅聖闘士全員がいっせいに同意して手を合わせたと言う。
「お前ら、見捨てる気満々かー!」