小宇宙の激流が眼に見えるほどに高まり、拳から放たれようとしているその瞬間。
人間の急所、心臓の位置が丸見えになる、紫龍の最大の弱点。
わずか千分の一秒のタイミングで、拳が下がる。
しかし、光速で動く人間には、わずかどころではない。狙ってくれと言わんばかりの隙だ。
その寸分の隙を見逃さず、紫龍の心臓に拳を打ち込もうとしたとき、俺の腕に絡みついたものがあった。
「なにぃ!」
「瞬!」
「させ、ないよ!」
同じく砕けたはずの
壁の助けを借りてようよう立ち上がりましたといった風情だが、立ちのぼる小宇宙に陰りはない。覇気のこもった視線で、紫龍をうながした。
あの鎖、そういえば再生するんだっけか。
「紫龍の弱点くらい、分かってるからね。これを待ってたんだ。今だよ紫龍!」
「ああ、感謝する、瞬!」
むう、カバーしてもらった以上、盧山昇龍覇における最大の弱点は消えうせたと言える。
回避に入ろうにも、瞬の鎖で拘束されたなら大概の敵は動けないだろうから終わりだろう。大概の敵ならな。
俺は、紫龍の盧山昇龍覇の威力を決して過小評価はしない。脅威かと言われたら否を返すが、それだって攻略法が分かっていること、及び俺との実力差によるものだ。仮に俺と同じだけの小宇宙に目覚めていれば全力で迎撃するさ。
「喰らえ! 星矢よ!」
紫龍の拳がうなりをあげた。
燃え立つ小宇宙が、その
まともに受ければ、数百メートル吹っ飛びかねない勢いだ。
お見事。
なんかちょっと寂しい気もするが、素晴らしい。
瞬がカバーすることによって、紫龍の弱点を消しさり、リスクを憂うことなく盧山昇龍覇の威力をそのまま活かす。
俺達は単体で戦うことが多かったから、こんなやり方、前回は考えもしなかったな。俺だけかも知れないけど。
しかし、俺達に限らず、基本的に聖闘士の戦いは仲間同士で組むことなど少ない。個人の実力が高いから、組むと逆に邪魔なんだ。互いにな。
けど、組むとこういう利点もできるってことは覚えておこう。
……が、そんなことくらいで黄金聖闘士に勝てると思ってもらっちゃ困る。
分かりやすい弱点があるということ、そこからして良くない。そんなに分かりやすい弱点なら、せめて逆に罠に利用するくらいでないと通じないだろう。黄金聖闘士ってのは、どいつもこいつも規格外だから、生半可な罠では突破されそうだが。
第一、二人じゃなくて単体で戦うことになったらどうする気なんだか。
そんなことをのんびりと考えながら、小宇宙の激流が俺に放たれる寸前に、左手で突き出された拳を掴みとめ、巻きついた鎖を引きちぎろうと右腕を引いた。
しかし、鎖は俺の腕に巻きついたままきしんだだけだった。
なるほど、強度は申し分ないらしい。ならば、逆に引っつかんで瞬ごと放り投げてやろう。
逆手に鎖を掴みとり、今度は引きずり寄せる意図を持ってぐいっと引いた。鎖そのものが嫌がっているようなビリビリした衝撃が手に伝わったが、耐えられる程度だ。あ、一万ボルト流れるんだっけ?
本当に俺は色々と忘れすぎてるよな。これで何度目になるのか、自分への溜息をこらえながら、掴んだ鎖をさらにたぐりよせ……られない。
瞬は微動だにしない。
先ほどまでたわむだけの余裕のあった鎖がいつの間にかピンと張っている。ギチリときしむ音がした。
「無駄だよ。僕の
言いながら瞬は手甲に包まれた手を上にグイッと引っ張る。鎖が俺の右腕に食い込んだ。かつての俺であれば、腕がちぎれていたかもしれない。
なるほど。伸縮自在と言っても、それはお前のほうからコントロールできるって意味か。俺が引っ張れば引っ張るだけ伸びて、お前が引く分には締まるわけだ。
力で負ける気はしないけど、これじゃ引っ張り合いでは決着はつかないだろうな。
すぐには対処できないと判断して、引っ張り合いつつも意識を左手に移した。
激発しそうな小宇宙が俺の手の中で無理やりに押さえつけられて暴れている。逆流する威力に紫龍の顔は苦悶にゆがみ、血を吐かんばかりだ。
ボトボトと腕をつたい落ちる赤い色彩に、危機感を覚えて声をかけた。
「紫龍、拳を引け。さもなくばお前の拳が使いもんにならなくなるぞ」
「だ、れが!」
「お前の拳を押しとどめているのは誰の手だ。誰がお前の盾を砕いた。そら、そろそろ骨が砕けるぞ」
さっさと終わらせないと、砕けるどころか腕ごと無くなるんじゃないだろうか。まずい。いくら紫龍でもそれは再生できない気がする。一輝だったらやりそうだけど。
ええい、さっさと拳をひけ紫龍。
それに時間もない。那智はこのままじゃ死ぬ気がするんだよ。少しずつ小宇宙が薄くなっていって、正直もう生きてるか死んでるかよく分からない。
位置的に背後にいるもんで、目視もできない。なら感覚に頼るしかないんだが、こうして戦っている最中にそっちへの集中なんぞできるかというのが本音だ。失礼だろ。……集中したって分かるかどうかは別としてもだ。
俺のアンテナは鈍いわけじゃないと思うが、ちょっとばかり細やかさに欠けている。ちょっとだけな。
しかし、いつまでもこうしてはいられない。
俺は、紫龍の拳をはねのけ、同時に瞬のほうに向かい地を蹴った。
「クッ、うああぁぁぁっ!」
「なっ!」
紫龍が己の拳の威力のままに吹き飛ぶのをかろうじて視界の端にひっかけ、瞬の虚を突かれた表情を確認。
鎖は気にしない。
ついでに言えば、接近戦は得意なんだ。師匠が得意だったもんでな。
背後から風音を立てて迫ってくるのは、瞬が引き戻した円鎖か。だが、遅い。
「とめてみろよ、瞬ッ!」
聖衣に頼って実力を隠したまま、とめられると思うな!
加減しつつも、ひねりを加えてぶん殴った。
聖闘士にしては細身の身体がのけぞって一瞬宙に浮き、そのまま地に叩きつけられる。一、二回と弾み、動きをとめた。
その名を呼びながら、紫龍が駆けつけてくる。ちょうどいい。
ペガサス流星拳の構えを取った。起き上がろうとする瞬と、それを支える紫龍の目が見開かれ全身に緊張が満ちる。
どうするよ? 今度はあまり手を抜かないぜ。紫龍を巻き添えにしてなお、お前は力を隠すか? 瞬。
「ペガサス流星拳ッ!」
打つ少し前に、確かに抵抗を感じた。
空気が急に重くなった感触。
渦をなして重みがまとわりつく。
空気そのものが鎖と化して全身に絡みつくような重たさ。
だが、突破できないほどじゃない。
地力が、違う。
瞬の掛けた無形の鎖、それを引きちぎるだけの力を、小宇宙を呼び覚ます。
俺の拳は、若干勢いを殺しながらも力技でソレを撃ちぬいた。
かなり容赦なく。
セブンセンシズの高みに至らねばこの速度には達せまい。
速度が生み出す激突の衝撃。耳障りなソニックブームが破壊を撒き散らす。
……やっちまった。
「なぜ、こうなったんだろう。どうしたもんかな」
その後のことは言うまでもなく、泣き言と悲鳴と怒号の嵐だ。
紫龍と瞬はともかく、それに市が加わっているのはなぜだろう。動けない那智をかついで、振ってくるコンクリート塊をかいくぐる羽目になったからか。その途中で破片が頭にあたって崩れかけていたモヒカンが完璧に崩れたからか。
しかし、瞬や紫龍と見比べれば、奴はまだマシなほうだというのに。ひびは入っているけど、奴の聖衣は一応まだちゃんと聖衣の形状を保っているし、怪我だって大したことないしな。
ところで、今気づいたんだけど、瞬は「待っていた」と言った。つまり、仕掛けるタイミングを待ってたってことだよな。それって、取りも直さず那智達のことを見殺しにしたってことじゃ。
……いや、その頃はまだ倒れていただけだろう。瞬だし。わざと見殺しになんてするはずがない。
俺は深く考えるのをやめて、コロッセオの入り口に手をふった。そこには医療班が入ろうとしながらも入れずにいる。その脇に立っているのはお嬢さんだった。
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戦闘可能なのが俺一人になった時点で、当然ながら手合わせは終了だ。
報告を後回しにしてしまった俺は今、書斎でお嬢さんと向かい合って、シベリアで何があったかを説明していた。
「なるほど。でしたら、いずれ氷河は来るのですね」
「ああ。いつとは言えないけど、怪我が治り次第だから、十日以内には来るだろ」
「……死にかけていたと言いませんでした?」
「死ななかったんだから、それくらいで回復する。多分」
「そうですか。では、それはおいておきましょう。それよりもこっちのほうが懸案事項です」
来た。
よこされた眼差しの冷ややかさに、心に鎧を着せる。
何せさっきから文句を言いたそうだったから、準備はしていたのだ。
「那智は集中治療室で緊急治療中ですが、まだ意識は戻りません。このまま戻らない可能性もあるとのことです。紫龍と瞬と市は高度治療室です。骨折、裂傷、挫滅傷合わせて最低でも安静三ヶ月だそうですが、聖闘士としての回復力を考え合わせればもっと早く動ける可能性も高いそうです」
医療チームからの簡易報告書に目を通しつつ「まあ、聖闘士ですものね」と呟くお嬢さん。
慣れが見えるな。俺のいない三日間、どれだけやってたんだろう。あいつら。
「さらに深刻なのは、聖衣の損傷です。
お嬢さんは嘆息をもらして、書類を机に置いた。
顔を上げ、しっかりと合わせられた目線が俺に訴えている。
「この問題の最も深刻な点は、修復不可能であるというところですけれど……」
無言が絶対の強制力を持つ。
分かってる。俺のせいだ。責任もってなんとかします。方法は一つしかないけど。
でもな、一言だけ言わせてくれ。
「俺が手出ししなくても、壊れかけてたと思うんだけど」
我ながら言い訳がましい。
自覚しつつも弱々しく反論した俺を、お嬢さんは一刀両断した。
「だからなんです? あなたが壊したことに変わりはありませんよ」
口に出されずとも目が語る。「トドメを刺したのは誰だ」と。
ごもっともだ。
聖衣を修復できる者は俺の知る限りただ一人。ムウだけだと説明すると、当然ながら行けと命令されたので、聖衣はどこだと尋ねると、「もう行くのですか」と逆に尋ねかえされてしまった。
俺にどうしろと言うのだろう。
即日、行ってほしいから命じたんじゃないんだろうか。
じとっと目線だけで責めると、なぜかお嬢さんはうつむいた。
沈黙が意味不明だ。
「せめて明日にしなさい。今日は疲れているでしょう」
長い髪で顔を隠して、合間から見える耳だけがほんのりと赤い。
俺は了承を返して、手をひらりと振った。
勘弁してくれ。それは気遣ってくれているととっていいんだよな。なんで命令形なんだ。もっと分かりやすい言い方をしてくれたら、とは思うが、お嬢さんだもんな。仕方ない。
明日か。ならば。
「お嬢さん、紫龍達の見舞いに行ってもいいか」
「……ええ。好きになさい」
部屋を出てから気づいた。
紫龍達がどこにいるのか知らないな。
■■■■■■
どうしようかと焦ったものの、怪しい白衣集団を追いかけているうちに城戸家一角に病室が設置されているのを発見した。
ありがたいことにネームプレート付きだ。全員に個室を与えているらしく、廊下を挟んだ右に三部屋、左に四部屋、合わせて七部屋。贅沢だと思うのは俺が貧乏性だからだろうか。だって他にちゃんと個人のための部屋はあるんだぜ。
病室のドアを軽く叩いて、返事を待たずに入る。
中にはベッドに半身を起こした紫龍と、椅子に座ったままベッドにもたれかかって寝ている春麗さんの姿があった。
「よう。邪魔するぜ」
「星矢か」
「ん。思ったより元気そうで何よりだ」
「嫌味か。それは」
「まさか。考えてもみろよ。那智は意識不明、回復しない可能性もあるんだとさ。聖衣は破損が激しく、もう使いものにならない」
比べればまだ元気だろ、紫龍はさ。
そう続けながら窓の縁にもたれかかった。よく晴れた空から乾いた風が気まぐれに入ってきて、気持ちがいい。
紫龍は何とも言えぬ顔で苦笑して、そのままなぜか拳を握って挑戦的な目つきになった。
「確かに、明日までには動けるようになってみせる程度には元気だな。無傷のお前を見ると複雑な気分だが、次はこうはいかんぞ」
真摯な目線に、カリカリと頬をかく。
なんだろう。一輝と同じようなことを言っているのに危機感は薄い。人徳の差か、実力の差か。
けど、残念だったな。
「明日は、もう俺いないぜ」
驚いたように紫龍が目を見張った。
そのまま気遣う表情になる。
「またどこかに行くのか? 随分と慌ただしいな」
「聖衣が壊れちまっただろ。俺のせいもあるし、ちょっと修理を頼みに行ってくる」
「お前が言うと近所にお使いでも行くようだな」
思わずといったように、紫龍は嘆息混じりの笑いを漏らした。
そうかあ? そうでもないんだけどな。
お嬢さんに返事をしたときはお説教嫌さにあまり考えてなかったが、よくよく考えるとちょっとまずいかもしれない。老師とムウが協働して
ああ……どうしたもんか。
「そういえば、俺の
「るっせい。お前らもっと強くなれっての。だいたい、お前だって出るだろ。老師が倒れたって聞いたぞ」
「知っていたか。そのとおりだ。会者定離は世の習い。会うは別れの始めと白居易も言っている。老師もお年だ。まだまだお元気でいていただけると信じてはいるが、万が一のことも考えねばならないからな。大恩ある方の一大事に駆けつけもせぬ恩知らずな真似はしたくない―――」
懸念を目に浮かべ心配げに語り続ける紫龍。
俺の口元に乾いた笑みが浮かんで苦く消えた。
そのうち知るだろうけどな。お前と大して変わらない肉体年齢なんだぞ。老師って。
言わないけどさ。知らぬが仏とはこのことだ。遅かれ早かれ老師自ら正体を明かすのだから、驚きを奪うこともあるまい。実際見ない限り信じられないだろうし。なんで知ってるのかって訊かれたら答えられないし。
……でも、なんとなく釈然としない。なぜだ。
どうにも割り切れぬ気持ちに人生の苦味を感じつつ、紫龍の発言を聞き流す。
まともに聞いてなんていられるものか。居たたまれないったらありゃしねえ。王様の耳はロバの耳。ミダス王の理髪師の気持ちがよく分かる。言ってはいけないと分かっちゃいる。それでもなお、いやむしろ、だからこそ、言いたくてたまらんのだ。
カラ笑いと欲求を抑えこみつつ、雑談を続けること十数分、紫龍がわけの分からないことを言った。
上の空ではあったが、聞いてなかったわけじゃない。それでも思わず聞き返してしまうほど意味不明な発言だった。理解はしたけど、意味が分からず「なんだって?」と顔をしかめて聞き返す。
首をかしげて紫龍を見つめれば、柔らかく苦笑された。そういう幼子をあやすような目はやめろっての。なんか嫌だから。「しょうがないヤツめ」と口に出してなくても目つきで分かるんだよ。目つきで。って違う。そうじゃない。話がそれた。
俺は紫龍の発言を今一度思い返した。 やっぱり理解できない。老師やジャミールの話題から、なんでそんな発言になるんだろう。
まったく不思議だ。
「なんだ聞いていなかったのか? 俺とともに五老峰に行こう、と言ったんだ」
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