なんでそうなるんだろう。
素朴な疑問は口に出されることなく事は進んだ。気づけば、あれよあれよと話は通り、後は、出発を待つばかりなり、だ。
もしかして俺は鈍いんだろうか。
落ち込む俺にかけられる声は優しい。優しいだけに、落ち込むからやめてくれとも言えない。
「どうしたの、星矢。いつもの元気がないけど、何か悪いものでも食べたのかい?」
特に瞬に対してはあまり強く言えない。瞬の言葉は、仮にそう聞こえなくても、からかいも皮肉もなく善意だけだと思うからだ。
だからこそ落ち込むんだが。
あっという間に話が進んだ結果、一人増えて瞬と紫龍と俺の組み合わせでジャミールに向かうこととなった。
どうして瞬も一緒に行くことになったのかといえば、これまた話の流れとしか言いようがない。
どうしてこうなったのか……知ってはいるが、それゆえにこそ納得できない。
件の紫龍の訳の分からない提案。それに呆けた時間は長くはなかった。決して長くはなかったはずだ。
だが、正気に戻って疑問を口に出す前に、いきなり瞬が入ってきて「僕も行くよ!」と言い放ったのだ。気配に気付かなかったとは不覚。いや、それ以前にお前も紫龍と同じく全治三ヶ月だろう。なんで自由に出歩いてるんだ。
かすり傷一つない整った顔は、わずかに上気して色味を増している。腕に抱えていた花束は見舞いの品か。ふっくらとした花弁が瑞々しく、鮮やかな葉が大地から切り離されて間もないと教えてくれる。城戸家なら花壇の一つや二つ、いや、どこかに花園の一つや二つあっても驚かないが、これほど花の似合う男も珍しいな。
とまあ、紫龍の提案に呆けた頭が正気に戻りかけた瞬間を狙って叩き込まれた衝撃的発言に、俺の頭は一時的にショートを起こしていた。
瞬に花が似合うか似合わないかなんてどうでもいい。問題は今のおかしな発言だというのに。
「いいでしょう?」
「あのな、いいも何も、なんでそんな話になっ」
「そうと決まればお嬢さんに許可を取らねばなるまい。俺はすでに帰郷の許諾だけは得ているが、お前はまだだろう」
決まってねえ! 聞けよ。人の話をさえぎるのは良くないんだぞっ!
文句を口から出しかけたタイミングで、花束を押し付けられた。思わず受け取ると同時に「じゃ、沙織さんに話をしてくるね」と身をひるがえす瞬。「頼んだ」と手をあげている紫龍。病室から出て行く瞬を思わず見送る俺。
待て待て待て。
言うべきことが多すぎてどこから言っていいのか分からないが、とにかく待て。
いつ、そんな話が決まったんだ。お前らだけで納得してるんじゃない。
大体、何も言わずに渡されてもこの花束をどうしろってんだ。俺に飾れってか。お前の見舞い品だろうが、なんか言ってけ。
いや、その前に、俺はいいとは一言も言ってないんだけどな!
訴える声はどこにも届かず、お嬢さんはあっさりと許可を出した。出したばかりじゃなく三人でムウの元まで行くこととなった。春麗さんもいるが、彼女は五老峰までだからな。
と言っても抗議しなかったわけじゃない。目一杯したんだけど説き伏せられたんだ。
俺は口の回るほうじゃないからな。丸め込むのは難しくない。自分で言うのもどうかと思うが、事実だ。しかし、丸め込まれたと分からないほど頭が悪いわけでもないんだよ。ええい、ある意味じゃ一番不幸だ。
■■■■■■
廬山、五老峰。
険しい岩山が連なって天を衝く眺めはまさに奇景。断崖絶壁は山というよりも巨大な岩がそそりたっているように見える。
かと言って緑がないわけじゃない。俺達のいるところからはもう見えなくなっているが、山麓にはこれまた巨大な湖があった。深みのある緑青から鮮やかなエメラルド色の融け合う湖面は小波もなくなめらかで、木々も灰白色の岩肌にしがみつき強靭な生命力を発揮していた。中洲には牛が草を食んでおり、牧童らしき人影もあった。
いくつかの集落を通りぬけ高みを目指す。山に引っかかる白い帯は霧か霞か、あるいは雲かもしれない。陽光が白さをつらぬいて地上を照らし出す。
その雄大さに心がほんの少しだけ晴れた。まだまだ暗雲が立ち込めているが、さっきよりはマシだ。納得はできてないけどな。
「まだグズグズ言っているのかい? 一日以上経つのに諦め悪いなあ」
破顔して瞬は俺を撫でようと手を伸ばしてきた。のけぞって露骨に避けたというのに、瞬は嫌な顔ひとつせずクスっと笑う。
逆に罪悪感すら湧いてくるが、年齢はほぼ一緒で、身長も変わらない相手に撫でられるという屈辱には耐えられない。なんで撫でようとするんだよ。
そもそも、諦めなんかよくってどうする。自分で言うのもどうかと思うが、諦めの悪さと悪運で実力以上の危機を乗り越えてきたんだぞ。今まで。
「そうだぞ。これだけの荷物、お前ひとりではさすがに辛いだろう」
紫龍も諌めてきた。ええい、気に食わない。連携しやがって。別に俺は荷物が多くても辛くない、と大人気なく返したくなる。言ったら実にいたたまれぬ温かい苦笑を向けられると段々分かってきたから言わんが、八人分の聖衣くらい本当に平気なんだ。
事実、四人分の聖衣を背負っているが別に苦じゃないしな。
八人分持って行くなんて面倒と言えば面倒だから、感謝してないわけじゃないけどさ。
俺は、当初、持っていくのは紫龍と瞬の分だけと思っていたんだが、お嬢さんの認識は違っていたらしい。瞬が許可をもらいに行くと「分かりました」とうなずいた後に荷物持ちを指示してきたんだと。
お嬢さん、聞いてない。全部持っていくなんて聞いてない。持っていくのは別に構わんから、まず俺に言ってくれよ。
複雑な気分だ。不満ばかりがあるわけじゃない。
俺についてくるより、城戸邸で修行して実力をつけたほうが死ぬ危険は少なくなるぞ、とか。
万が一、ムウに敵認定されて攻撃されたら、今のお前らじゃ一溜まりもないぞ、とか。
これから、ゆっくり休む暇もないのに、わざわざ俺と来るより、つかの間の安らぎを大事にしろよ、失ってからじゃ遅いぞ、とか。
言いたいことは色々とあるんだけどなあ。
口に出すわけには行かないのが辛いところだ。問い詰められたら答えられないし、嘘もつきたくない。
となったらもう言い負かされるしか手がない。
それでも、言い負かされただけなら、叩き伏せて入院を伸ばせばいい。すぐに復活しそうだが、気合を入れて叩きのめせば三日は足止めできるだろう。多分。
本気で実行しようかと一瞬だけ迷ったのは内緒だ。シャカやカミュが頭にちらついたからやめたけどな。俺も大概気が短いのかもしれない。気をつけよう。
それによくよく考えれば、ムウに敵認定される可能性はこれで潰せるかもしれない。ムウと老師が繋がっているのは間違いないからな。紫龍にかこつけて老師に会い、信頼を得ればムウに襲われたりはしない、はず。しないといいな。
希望的観測に過ぎないかもしれないが、前向きにいこう。災い転じて福となす。これはチャンスだと考えろ。自分に言い聞かせるも気分の重たさは変わらない。
置いていったほうが安全だ。連れていったほうが安心だ。
置いていけば面倒だ。連れていけば危険だ。
さて、どっちがマシだろう。
そもそも、俺はこんな問題を考えるのに向いてないのだ。考えていると脳髄が沸騰する。誰かに放り投げられればいいのにな。頭脳労働は俺の持分じゃない。
ここまで考えたところで、諦めに似た疲労感が俺を襲った。放り投げられないからやってるんだよな。ああ、高山の薄い空気が目に沁みるぜ。なんで紫龍も瞬もそんなに楽しげだ。
ちなみに俺と同じく瞬の背にも四つパンドラボックスが積まれている。
では紫龍は空手かと言えば、そうじゃない。その背では春麗さんが寝息を立てている。
彼女も途中までは自分で歩いていたんだが、急ぎたい理由ができたので紫龍に背負ってもらったのだ。
疲れていたらしく、背にのって数分もしないうちに寝てしまった。もしや、かなりのハイペースだったか? なるべくゆっくり進んだつもりだったんだけど……女性の基準を魔鈴さんにするのが間違いなのかなあ。
どうでもいいことを思いながら、彼女が寝てから速めていた足をさらにせかす。
手振りで紫龍と瞬にも急ぐようせき立てた。
「星矢、何をこんなに急いでいる? 何か感じたのか」
「僕の
分かるも何も、と肩をすくめた。
はっきりとは分からん。そこまで露骨じゃない。だが、竹林に潜みこちらに視線だけ向ける大虎のごとき小宇宙。
いや、特にこちらを注視しているわけでもないな。ただ縄張りの中の存在感が大きすぎて、自身が異物であるとはっきり思い知らされるだけで。
あまりにも雄渾。
あまりにも強大。
紫龍が何も感じないのは、この中で育ったからだろう。
包み込まれることに慣れているのだ。
敵意や悪意を感じないから、瞬もあまり反応してないんだろうが俺は落ち着かない。居心地が悪い。
今、機嫌よく寝そべり牙を剥いてないからといって、虎に爪や牙がないと信じる阿呆はいないだろう。
風の一吹き、雨の一滴をとっても誰かの支配下にあると感じる感覚。
あそこまで圧倒的じゃない。ただ間違えて立ち入り禁止の私有地に入り込んでしまったような違和感だ。
こうして考えると、聖域や城戸家は俺の縄張りみたいなものだったんだな。正確には縄張りってわけじゃないけど、帰属意識はある。俺が帰るべき場所、帰ってもいい場所、俺の居場所が誰に確かめるまでもなくちゃんとある。
ここは、どうにも尻の座りが悪い。
だから、急いでるんだが……紫龍、老師が急病だなんて、絶対に嘘だと思うぜ。お前には言えないけどさ。
■■■■■■
最後の絶壁に見上げた。首の痛い角度だぜ。
道がないわけじゃないが、回り道だ。直接行ったほうが早い。
僅かな足がかりにつま先だけかけながら、パンドラボックスを下ろして軽くなった身でひょいと飛び上がっていく。時に足場が崩れるが、崖に手刀を垂直に突っ込んで落下をふせぎ、そこを支点に身体を蹴り上げさらに飛んだ。足場がなければ速度を上げて一気に上に駆け登る。山羊にでもなった気分だ。
上空から小さな影が落ちた。
握力はおよそ百四十㎏超。山羊でも鹿でも、仔はもちろん時として雄の成獣だって獲物にする。俺達なんてあいつらにとっちゃ手頃なサイズだろう。
ああ、思い出すな。魔鈴さんに連れて行かれた地獄の特訓。三十㎏の肉の塊を背負って必死に逃げ回った恐怖の思い出。おかげで特性も倒し方も分かったし、何より逃げ方は一生忘れないが……なんだか素直に感謝する気になれない俺は恩知らずなんだろうか。
遥かな大空の彼方で舞う姿は豆粒のようだが、おそらく全長一メートル以上、翼を開いた姿はおよそ三メートルに達するだろう。だが恐るには足らない。人間よりも遥かに攻撃力にすぐれてはいるが、あれに負けるようじゃ聖闘士の名折れだぜ。
頭の隅でそう思いながら、垂直に近い傾斜を駆け走った。
頂上についたタイミングに合わせて、下から瞬の鎖が追ってきた。腕を差し出して巻きつかせれば、グッと重みがかかり、背にパンドラボックスを負った瞬と紫龍が登ってくる。
俺を支点ボルトとすれば、
あの人どんな時でも何がなんでも助けてくれなかったからな。それでも弟子入りしてすぐの頃は、気絶から覚めると綱だけが垂れ下がってたりもしてたんだが、一年もすれば自力で這い上がるしか生き残る術はなかった。
過酷な思い出に自然と天を仰いだ目が遠くなる。空がいやに青く高い。何だろう。涙が出そうだ。感謝してるし尊敬もしてるが、スパルタな上に優しさの分かりにくい人だった。厳しさこそあの人の思いやりだと分かるのは、今でこそだ。厳しすぎだもんよ。よく生き残った俺。
空を見上げながら虚しく己を褒めている間にも紫龍達が距離を詰めてきた。
紫龍の背には俺の背負っていた分のパンドラボックス。右腕に目覚めた春麗さんを座らせ、左手は瞬の鎖を掴んでいる。
瞬は同じく背にパンドラボックス。右手で上へ伸びる角鎖を制御しながら左の円鎖を紫龍と春麗さんに巻きつかせて安全ベルト代わりにしている。気遣いは分かるが、見た目がちょっとよろしくない。ううむ、見ようによっちゃ逃げないように拘束してるみたいだぞ、瞬。
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滝に最も張り出た崖の先。
大岩の上にちょこんとコブが盛り上がっているように見える背。老師の真正面を流れ落ちる滝の飛沫は、離れている俺達にまで冷たさを感じさせるが、気にもとめずに瞑想しているようだ。
瞬と俺は一歩下がり、紫龍が逆に踏み出した。
滝壺になだれ落ちる水が轟々とこだまする。その轟音を制して紫龍の声が響いた。
「老師、
心配そうにしていた紫龍が言葉を訝しげに途切らせた。
正確に言えば、楽しげな笑い声でさえぎられたのだ。
ゆっくりとコブの上部が動き、白髯に埋もれたしわ深い顔が俺達のほうを向いた。稚気を帯びて悪戯っぽく輝く目だけが老いを感じさせない。
「ホッホッホ、ただの冗談を信じて帰ってきてしまうとは、まだまだヒヨコよのう、紫龍よ。巣立ちにはちと早かったかの」
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