甲高く引っ掻くように響くかと思えば、低く潰れた人を嘲る不快な哄笑が響く。
「此処から先は何人も入ることはできんぞ。命が惜しくば帰れ!」
声に誘われたか、周囲の霧にはすでに、多種多様な具足を身につけた骸骨どもが、浮き上がってきていた。
ガシャリガシャリと具足の組み上がる音が、周囲一帯から湧き上がる。
俺達が見渡す間にも数を増やし、前後左右すべてを壁となって囲んだ。
亡霊どものおめく声を無視して、軽く溜息をついたのは紫龍だ。
「なんだこれは。ここが聖衣の墓場か?」
「そうだろうね。奴らは敵と考えるべきなんだろうけど、僕の鎖は反応していない。妙だな」
「では幻術の一種と見るべきか。どう思う、星矢」
「……お前ら、のんきだな」
やかましい亡霊どもを、いっそ気持ちいいほどに無視する二人に呆れていると、「星矢に言われたくない」と見事に重なった声が返ってきた。
溜息をつきながら「実はそう落ち着いてもいないが、楽しそうなお前を傍らにして、怖気づくほど自恃を捨ててはいないさ」と苦笑する紫龍に、「元よりたどり着くまでに障害があると覚悟を求めたのは星矢だっただろうに」と肩をすくめる瞬。
紫龍も瞬も素手のままだというのに、実に頼もしい。
前々から疑問だったんだが、もしかして
何でもいいが、前回はどれだけ実力を隠していたんだろう。瞬のやつ。
肩をすくめながら、俺は片足を踏み出した。
けたたましい亡霊共の笑い声が、いっそう騒がしさを増す。
その瞬間に、何とも言えぬ違和感―――わずかな空気の流れの変化を感じて足を戻した。なんだこれ。
気のせいかとも思えるほどの変化だったが、うん、結論から言えば気のせいじゃなかった。下方から上方への微風。思わず頬がひきつる。
もしや、ここは崖の上か何かか。そう考えかけて、俺は首を振った。違う。左右どちらからも気流の変化を感じる。となれば結論は明らかだ。
不自然にもほどがある。霧が濃いとはいえ、今まで俺達がそれに気付かなかったこと。気付かなかったにも関わらず、誰も足を踏み違えることなくここまで真っ直ぐ来ていること。
誰の作為だ。ムウか。
可能性としては一番高いが、世の中万が一だらけだからな。
「気をつけろ、横にも後ろにも動くなよ」
警告だけ発して、今度は足場を確認しつつ前を探った。
実体か、幻か。
貫いて穴が空くかどうか試してみるか。
俺が腰を落として踏み出すより、骸骨共が動き出すのが先だった。
狙われたのは先頭の紫龍だ。手甲つきの骨の拳が、空気を裂いて襲いかかる。紫龍は横に身をかわそうとして、ハッと元の位置に戻った。もう一歩ずれてたら落ちてたな。
回避よりも迎撃を選んだ紫龍の小宇宙が、瞬時に燃え上がり、霧中を鮮やかに切り取った。
「廬山昇龍覇!」
気合一閃。
俺達を隙間なく取り囲んでいた骸骨どもが打ち砕かれて、前方の道があいた。
重たげな長髪が、一呼吸の間を置いて、バサリと音を立てて重力に従う。
振り抜いた己が拳をじっと見て、紫龍は眉根をしかめた。
「感触はあるぞ。実体があるようだが」
言い終えた直後に、砕けた骸骨共が舞い上がった。音を立てて、骨と武具が再び組み上がる。せせら笑う声は甲高い。罵る声は逆に低くしゃがれた唸り声として降ってきた。
「無駄だ無駄だ無駄だ。我らはすでに死した者。お前らも死して我らが同胞となるがいい!」
うるさい奴らだ。別にいいんだよ。無駄だってことが分かっただけで十分だ。
それに目的は奴らの全滅じゃない。突破だ。
抜けるだけなら、まっしぐらに突っ走ればいい。その程度の時間は作れると証明できただけでいいんだぜ。
聖衣の墓場。
はびこる亡者ども。
侵入者避け罠か、選別用の試練か。
しゃらくせぇ。何にせよ、邪魔者は蹴散らして押し通るまでだ。
「ペガサス流星―――」
「駄目だ。よせ、星矢!」
一掃しようとした俺を制したのは瞬だ。
言葉のみならず
そもそも、なぜ止める。
振り向いて抗議する前に、切羽詰った声が理由を語った。
「こんなところで撃ったら、道ごと崩れるよ!」
うん? ふむ……言われてみれば、そうなるかもしれない。
なんせこの道、とにかく細いし、狭い。
よくも落ちずにここまで進んでこれたもんだ、と感心するくらいだからな。む、確かにどれだけ加減しても崩れかねんな。
一応納得した俺に、瞬は言葉を続けた。にっこりと輝かんばかりの笑み付きだった。
「ここは僕らにまかせて。お願いだから」
圧力を感じるというほどじゃないが、言葉には力がこもっている。
そういや、そんな約束もしたっけな。
俺は足を引いて、頭をかいた。断じて忘れてたわけじゃない。
でも、紫龍の意志も確かめずにいいのか、そんなこと言っちゃって。
お前の聖衣は、
と、紫龍を見やると力強くうなずいた。
無駄な心配だったか。
「じゃ、頼んだ」
肩をすくめて笑った俺に、紫龍と瞬も笑みを返す。
やれやれ、本当に頼もしくて、本音を言えば少しばかり寂しい。
そして、何よりも、楽しみだ。
俺が引いたのを確認すると紫龍は一瞬まぶたを閉ざし、次の瞬間カッと見開いた。
霧を割って立ち昇るは小宇宙。龍が天に翔けのぼるがごとき力強い覇気。
その拳に宿るは龍の爪か牙か、あるいは魂そのものか。
それを見た瞬がふっと息を吐いたかと思えば、
乙女の裳裾にも通じるたおやかさは、真金の剣が息をひそめた静けさだ。
強固な攻守一体の陣は、先を見越して変則的な形を見せている。
「廬山龍飛翔!」
放たれた小宇宙を追って、空いた正面に走りだした。
もちろん邪魔しようと廬山龍飛翔から逃れ得た亡者どもが群がってくる。だが、瞬が角鎖を一振りすれば絡め取られ、円鎖を手繰れば弾き飛ばされ、俺達に届くことはない。
紫龍を先頭に、走る走る走る。
しかし、そうそうスンナリといくはずはなかったのだ。千里を往くもの九十九里を半ばとせよ、と言ったのは誰だったか。上手いこと言うもんだ。
亡霊どもを抜ききるまであと少し、というところで、後背から鎧武者の手が追ってきた。無視していい速度じゃなかった。
振り切るために速度を上げた紫龍の背から、那智の聖衣函が宙にこぼれ落ちる。
すかさず瞬の鎖が放り出された聖衣函をすくいあげ、紫龍へと放り投げた。
ここまではいい。
だが、敵が瞬の防御をかいくぐり、俺達に手を伸ばすには十分な隙も同時に生まれた。
紫龍が走りながら、落ちてきた聖衣函を片手で受け取るのが亡者どもの狭間から垣間見え、次の瞬間にはもう見えなくなった。亡者どもによって完全に分断されたのだ。嘲笑う骨の戦士はあれよあれよという間に数を増やし、もう紫龍どころか向こう側さえ見えない。
さて、どうするか。
手を出すかどうか迷っているうちに、骸骨どもが吹っ飛んだ。強烈な力に圧され、膜を指先で押し破るように厚みのあった骨の壁が俺達側にへこみ、そしてはじけ散った。地面が大きく揺れ、見る見るうちに亀裂が入る。
衝撃の余波をこらえ、開いた視界を見渡した。
紫龍だ。
聖衣を受け止めた時点で走るのをやめ、俺達の加勢に回ったらしい。この威力は盧山昇龍覇だろうか。
あ、やばい。足元が崩れだした。
俺と瞬は慌てて走りだした。
音を立てて崩れる岩盤。崩落に飲み込まれる亡者ども。
骨の壁を打ち破るだけに及ばず、紫龍ときたら、この岩橋ごと破壊する威力の拳を打ってくれたらしい。
本気も本気、最初に亡者に放った昇龍覇とは比べ物にならぬ威力。間違いなく最高のセブンセンシズを発揮して、全身の力を惜しみなくこの一撃にこめたに違いない。自分のためでなく仲間のために発揮されるなんて紫龍らしいこった。
そして、その渾身の拳に、この岩橋では耐え切れなかったんだろう。さもありなん。龍の怒りを亡霊ごときで受け止められるものか。
俺が納得する間にも、崩壊は進む。瞬の危惧が現実になったな。やったのが俺じゃないだけで。
崩れ落ちる足場に、紫龍は脇に置いていた那智の聖衣函を抱え、あと一息だった対岸へと跳びこむ。
瞬と俺もひた走った。
だが、間に合わない。
一歩先が、足を踏み出そうとする矢先に落ちていった。
「鎖よ、届け!」
とっさに瞬は角鎖を振るう。向こう側の何かに巻きつけたらしい。うまいこと固定できたとみるや、「星矢」と呼びかけてきた。
同時に、残った円鎖を俺に伸ばしてくる。
思わず、バッとなぎ払った。
ううむ、使い勝手がいいのは分かる。助けようとしてくれてんだろうとも思う。
だが、そいつは武器だぞ。どういう使い方をしようとも、どういう意図があったとしても、女神アテナの敵を撃滅するための武器だ。
意識して自分から掴まえるんならともかく、捕まえられそうになったら払いのけるのは戦士としての脊髄反射だ。どうしようもない。こら瞬「えっ?」じゃない。心外そうな顔やめろ。そもそもお前の助けが必要な場面でもないだろ。
俺は落ちる岩石を、蹴り割らぬよう気をつけて下に蹴り落としながら飛び移っていった。
あいにくと、向こう岸に着く前に岩が尽きたので、最後は崖肌にしがみついて、えっちらおっちらよじのぼる。背負うものがものだからな。あまり無茶な動き方もできない。
つい落っことして拾いに行くなんてごめんだぜ。
ごつごつとした岩の出っ張りに手を伸ばし、常より重たい身体を持ち上げる。
頂上までたどり着けば、左右から手が差し伸べられた。ガシッと握って笑いかける。
「よお、待たせたな」
いつの間にやら霧も晴れ、先程までが嘘のように澄んだ青空だ。
地上の緑が遠かった。見晴らしの良さを楽しみながら道を進もうと踏み出したが、ついてくる気配がない。振り返ると、紫龍や瞬は谷底を覗き込んでいた。
何か面白いものでもあったか。
「これは……恐ろしいほどの急崖だな。随分と危うい綱渡りをしていたものだ」
「落ちていたらと思うと冷や汗だね。見て、崖下の隆起した岩を。まるで刃のように尖っている」
「もし落ちていれば、奴らの仲間入りしてたところだな」
そうかぁ?
瞬ならさっきと同じく鎖を使えばいいし、紫龍だって落ちる時間があれば取れる手段はあるだろ。
俺だったら、どうするか。ふむ。
問題なのは突っ立つ岩の切っ先だからな。
「落ちる前に、地面ごと吹っ飛ばしちまえば、着地しやすくなると思うけど」
俺は口を挟んだ。
紫龍と瞬の首がギギギと動き、俺を見た。油を差していないブリキ人形の動きだ。な、なんだよ。その目は。間違ったことは言ってないぞ。
自然と睨み合う、いや、そこまで険のある目つきじゃないな、とにかく見つめ合った。意味がわからん。しかも、奴らの小宇宙は少しずつ高まっていく。なぜだ。めげるな、俺。
そうして虚しい見つめあいをして、どれほど経ったか。恐らく数分も経ってないが、精神的な疲労に参ったと言うべきかどうか迷っている時に声がかかった。
耳なじみのよい優しげな声だ。ただし、口調は厳しい。
「何をしているんです? こんな所で果し合いでもする気ですか。小宇宙を収めなさい」
記憶に残っている声、だった。
■■■■■■
どこから現れたのか、はっきりしない。
もしかするとテレポートしてきたのかも知れない。
端然とした容姿に、明らかな呆れの表情を浮かべた青年が、岩場の上に立っていた。
天から吹き降ろすような風の中、凛冽たる声には一筋の乱れもない。
―――黄金聖闘士、
紫龍と瞬は、ハッと気がついたように小宇宙を抑えた。どうも無意識だったらしい。何なんだろう。
反応しそこねた俺に代わって紫龍が謝罪し問いかける。
「失礼しました。俺達はここに争いに来たわけではありません。あなたがジャミールのムウでしょうか?」
「ええ、そうです。私に何かご用ですか」
瞬が息を呑んだ。
恐る恐る問いかける。
「あなたがこの地上でただ一人、聖衣を修復できるという……」
「確かに。ここで聖衣の修復を行っているのは私以外にはいませんね」
ありし日と変わらぬ姿と口調。
ただ黄金聖衣をまとっていないためか、精悍さは薄く、より知的な印象が強い。
よく分からないが、ここの民族衣装だろうか。シンプルな貫頭衣に浅葱色の帯を締め、ゆったりとしたズボン状の下衣をひざ下から紐で結い留めている。さらに赤茶色の肩布を帯に挟み込んでいた。飴色がかった長い金髪は、背中で簡単に束ねている。
久しぶりに見る姿だ。
紫龍が勢い込んで口を開こうとした。
ムウが手を上げてとめる。
「話は私の館でしましょう。ここは長話には向きませんから」
そう言いながらも、視線は瞬と紫龍に向いたままだ。二人の後ろには越えてきたばかりの切り立った幽谷。何かあるのか……って、同じことをさっきも考えたな。
あ、そういえば橋が壊れたんだった。怒られるかな。ごめん、でも、わざとじゃないぞ。
ムウは、静かに目を伏せると溜息とともに、手を上げてかざした。その手から陽炎として見えるほどに強大な力があふれでる。五本の指の一本一本から力が編み上げられて放出されているような無駄のない力強さ。捕まえられれば押し潰されることは間違いない。
向けられた紫龍と瞬の表情が、驚愕一色に塗り込められた。
「それに後始末もせねばなりません。面倒事はさっさと片付けてしまうに限ります」
応援、評価ありがとうございます。いつも嬉しく思っています。励みにします。