リセット   作:エイ

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道に揺るぎなく

 悩んでいても仕方ないので魔鈴さんの家に帰ろう、と決めた時にはもう日は落ちかけていた。

 怒っているかと思ったら、意外にも魔鈴さんは平静で何事もなかったような素振りだ。

 

「お帰り」

「あ、ああ、うん、ただいま」

 

 それだけの反応にちょっと拍子抜けの俺。

 絶対怒ってると覚悟してたのにな。

 首をかしげつつも、ホッとして俺は部屋の隅に座って考え込んだ。

 

 とりあえず、状況を整理しよう。

 俺の記憶としては、冥界で女神(アテナ)を庇って冥王(ハーデス)の剣戟をうけ意識が飛んで、次に目覚めたらいきなり聖域で魔鈴さんに襲われた、としか言いようがない。おそらく、冥王(ハーデス)の剣に心臓をつらぬかれた俺は死んだんだろう。……覚えちゃいないが。

 死ぬ死ぬと思ったことは、これまでの戦いで数限りないが、本当に死ぬ際はそんなこと思う余裕なんかないもんだな。

 付け加えとしては、ここが過去の聖域らしい、ということくらいか。

 沙織さん、一輝や瞬、紫龍や氷河はどうなったんだろう。俺と同じくここにいるのだろうか。

 そもそも、死んで、過去に巻き戻るってのは何の冗談なんだ。

 

 うーむとうなる俺が何かを隠して悩んでいることには気付いているはずだが、魔鈴さんは何も言わない。

 こういったところは、正直俺とは違いすぎていて、分かりにくい配慮だと思う。

 無遠慮なまでにつっこめばいいってもんじゃないのは分かってるが、だからと言ってこんな迂遠なやりかたは俺の性に合わない。今は、放っといてくれるほうがありがたいから、それを配慮だと分かるんだが、普段なら絶対に薄情だと思ったに違いない。

 そういえば、身体の傷跡を確かめておこうと思っていたんだっけか。

 シャツをめくろうと手をかけたところで、魔鈴さんに名を呼ばれた。

 

「……星矢」

「何だよ。魔鈴さん」

「お前……女聖闘士の……いや、その」

 

 魔鈴さんらしくもなく、言葉には迷いが見える。

 言いたいことはあるが、どう言っていいか分からないといった風情だ。珍しい。言いたいことがあれば、そのままストレートに切り込んでくるのが魔鈴さんなんだが。

 

「いや、やはりいいよ。それよりお前、明日の準備はできたのかい」

「……? あったり前だろ」

 

 意表をつかれたために、一拍、返事が遅れた。

 準備なんかするまでもなく、エイトセンシズ――――セブンセンシズを超えた魂の究極にまで目覚めている俺に敵うものは地上にはいないと言っても過言じゃない。

 この聖域にだって、存在するかどうか。そういう認識がある俺にとって、思いもよらない質問だった。

 ……それでも、海王(ポセイドン)冥王(ハーデス)、神を相手取った戦いには不足。否、不足どころか奇跡を起こさない限りは天と地の差なわけだが。

 

「そうかい。なら今夜は寝てしまいな。余計なことなぞ考えずにね」

 

 魔鈴さんの言葉はどこか自身に向けて言っているように聞こえた。

 何か、悩んでいることでもあるんだろうか。

 仮面があるせいで、表情はよく分からないが、いつもの動作に少しばかり精彩を欠いている、ような気もする。仮面で隠された目線は何か言いたげにちらちらと俺に向けられている、ような気もする。俺が魔鈴さんのほうを向くと絶対にそっぽを向いているのだが。

 俺はあらためて魔鈴さんをマジマジと見やった。

 声を、かけるべきか。止めておくべきか。

 ああでも言っておかなくてはならないことがあったのだった。たとえ、魔鈴さんが何も俺に言わない訊かないとしても。

 それに甘えた黙秘は卑怯だ。師に対する礼儀がなってない、と紫龍あたりなら言うかもしれない。

 俺のこういった部分は、魔鈴さんの教育の賜物だろう。城戸家じゃ教育らしい教育なんざほとんど受けてなかったし、自分自身の気性としてもそうそうお上品てわけじゃない。

 知識面はもちろん、人品もこの人に育ててもらったのだ。恩があるなんて言葉じゃ言い尽くせない。今となってようやく分かることだが。

 

「魔鈴さん、話があるんだ」

「聞いてやるよ。明日ね」

 

 自分から声をかけたくせに、ベッドに寝転がった魔鈴さんは興味なさげに俺の声を流した。ちらちらと観察されているような視線はさりげなさすぎて、捉えられない。

 そういうの、弟子の情操教育に良くないと思うぞ、と軽くふてくされる俺。

 

 ん?

 いや待て。

 時間を逆行したなんて、まだ自分でも半分疑っているようなことを言う気か。俺は。

 明日の戦い、カシオスとの最後の勝負。

 もし、俺の記憶通りだったのなら、間違いなくここは過去だと確信できる。

 それまで待ったほうがいいんじゃないか? よし、明日にしよう。

 

 そう明日に。

 その前にやっぱり傷跡があるかを確かめておくか。

 シャツを脱ぎ、俺はがさごそと自分の身体を探って確かめる。

 っ! 無いっ!

 触った感触で分かっちゃいたが、目で見てもきれいさっぱりだ。

 何の傷跡も――――幼少時に城戸家でうけた虐待もどきの訓練や魔鈴さんとの修行でついた傷は別として――――数々の戦いで残った傷が何一つ残っていない。

 どういうことなんだ。俺は混乱しそうになる頭を抱えて鏡を見た。俺の顔が写っている。当たり前だ。

 幼いような気がすると言えばするが、しないと言えばしない。

 そもそも、水仙男(ナルキッソス)じゃあるまいし、俺には鏡の自分の顔に見惚れるような趣味はないから、細部まで覚えてない。

 駄目だ! 分からん!

 やっぱり、明日待ちだな。

 

 魔鈴さん、冷たい視線になるのはやめてくれ。俺は別に露出狂じゃないしナルシストでもないっ! 事情があるんだよっ!

 

 

 ■■■■■■

 

 

 

 翌日、俺は闘技場コロッセオにカシオスと向かい合っていた。

 遠雷の音が響く空は物騒な音とは逆に晴れわたり、強い陽射しが高い天からふりそそいでいる。

 観客席には、立会人をかねた野次馬の雑兵どもが待ちきれぬと立ち上がり、今か今かと試合が始まるのを見守っていた。

 

「そんなに俺に殺されたいのか。逃げずによく来たな。星矢」

「お前ごときに逃げる理由なんかないぜ」

「な、なんだとぅっ!」

 

 ゆるみきったニヤニヤ顔から沸騰したかのようにいきり立つカシオス。

 前々から思ってたが、お前、本当は何歳だ。自称15歳か?

 その口からは聞くにたえない雑言が飛び出してくる。

 と言っても、今は実力が違いすぎるせいか、そこまで腹はたたない。

 

「双方やめい!」

 

 段上からの鋭い声。太陽を背にした姿は黒く影になっている。

 仮面で口元は隠されているにもかかわらず張りのある声は闘技場コロッセオ全体に響きわたり、雑兵どもは身を縮めひざまずいた。

 もちろん、俺達もだ。

 

「お前達は今日まで九人の戦士と戦い勝ち抜いてきた。残った戦士はもはやお前達のみ。今日戦って勝ち残った一人が女神(アテナ)の栄誉ある聖闘士となることが叶うのだ。そしてその者には……」

 

 教皇の法衣に身を包み、よどみなく語るその男の姿を複雑な気分で見上げる。

 今の俺は、その仮面の下にある素顔が誰のものかを知っている。

 光と闇の運命に翻弄された男。

 女神(アテナ)に拳を向けた黄金聖闘士。

 同胞殺しの血塗られた手を持つ者。

 教皇の座を略奪した双子座(ジェミニ)のサガ。

 死後の栄誉までもを汚す覚悟でもって、女神(アテナ)のために蘇り闘い散った姿を知っている。

 今の俺ならやろうと思えば、今すぐにでもあの仮面を引っぺがし、教皇の座からサガを引きずりおろすことは不可能じゃない。簡単だと言ってもいいくらいだ。

 ただ、俺がそれをやってはならないのだということくらいは、分かっている。

 女神(アテナ)の聖闘士が犯した罪ならば、裁けるのは女神(アテナ)だけ。……赦す権利を持つのも女神(アテナ)だけだ。

 

 ……何を迷ってたんだ。俺は。

 ここが過去であろうと未来であろうと、俺が女神(アテナ)の聖闘士なら――――やるべきことは決まっている。

 

 俺の固めた決意に水をさすように声が割って入った。

 

「お待ちください! 恐れ入りますがその前に申し上げたいことがございます!」

「何か、シャイナよ」

「実は、昨日、星矢が聖域を脱走したという疑いが……」

 

 あー、そういえばこんなイチャモンをつけられたっけな。

 あの時は憤慨しただけだったが、今はちょっと感心する。

 だって、俺が脱走したなんて証拠ないんだぜ? 今だって、その根拠を示しているわけでもない。

 それにもかかわらず、回りはざわめきはじめている。

 

「なんだと、脱走!?」

「本当か。それは……」

「魔鈴、お前は何をしていたんだ。指導者にあるまじきことだぞ」

「まったくだ。脱走は厳罰と知らぬお前ではあるまいに」

 

 シャイナさんは、疑いがある、と言っただけだが、まるで俺が本当に脱走したかのようだ。

 脱走したなら、今頃、ここにいる筈がないってのに。

 ざわめく衛兵達の不審の目がちらりと俺達の全身に走る。

 

「何かの間違いでしょ」

 

 クールに返した魔鈴さんとは対照的に、激しくまくしたてるシャイナさん。

 

「とぼけるな! お前ははるかに実力の勝るカシオスと戦うことに怖じ気づいたのさ!」

 

 今度は何の反論もせず黙って見ていた俺に指をつきつけ詰め寄る。

 仮面越しの苛烈な視線。今にも襲いかからんばかりの攻撃的な口調と動作。

 こりゃ間違いなく、俺が勝ったら闇討ちされるな、と前回の苦い記憶を呼び覚ます。今回も夜逃げ必至か、と溜息をつきそうになってこらえた。

 

所詮(しょせん)、日本人に女神(アテナ)の聖闘士になる資格などありはしないのだ!」

 

 いつのまにか、俺の脱走どうのこうのではなく、女神(アテナ)の聖闘士の資格云々の話になっている。

 見事なまでの話のすり替え。シャイナさんには扇動家(デマゴーグ)としての才能があるんじゃないか。

 俺がこんな場違いな感心ができるのは、雑兵どもはともかく、教皇……いや偽教皇はそうそうのせられない、つまり、俺に不利益なことは何もないと分っているからだ。

 ……複雑な気分はいっそう強くなる。

 

「さあ、それはどうかな」

 

 進み出てきたのは平服の獅子座(レオ)の聖闘士アイオリアだった。

 その脇にミロとカミュもいる。

 あれ? 前回、こんなだったっけか?

 

「日本人だから聖闘士になれないということはないはずだ。それに勝負というものはいつも同じとは限らない」

「その通り。そもそも脱走するような臆病者に勝利の栄冠を掴むことなど叶わんからな」

 

 アイオリアが力強くさとした傍らで、ミロが笑みを浮かべて同意する。カミュは静かな目線で沈黙を守っているが、否定をする気はないようだ。

 さらに言いつのろうとしたシャイナさんは、教皇の袖の一振りに機先を制され沈黙した。

 

「いずれにせよ、戦えばはっきりすることだ。勝者にはこの聖衣を与えよう!」

 

 自ら輝くように存在感を主張する天馬座(ペガサス)聖衣の聖櫃を見て、雑兵どもが畏怖の念に打たれたかのように息を呑んでどよめいた。

 開戦が、力強く宣言される。

 

「戦え! 二人とも!」

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