開けた口が、開きっぱなしでふさがらない。
おかしいな。こんなの、予定になかったぞ。
混乱している俺をよそに、ムウは深い溜息をついた。その視線が、痛ましげに動き、聖衣を撫でる。
「いいですか。聖衣にも、命というものがあるのです。ある程度の破損ならば、自然修復します。けれど、限界を超えれば……。人間と同じですよ。大怪我であれば治療も必要ですし、怪我が過ぎれば死に至ります」
「そんな、待ってください。本当に、もう手遅れなんですか?」
「何とかならないか、ムウ。俺達には、どうしても聖衣が必要なんだ」
「死んでしまっている聖衣には、私とて打つ手はありません」
悲壮な表情をした瞬に、必死に言い募る紫龍。ムウはおもむろに肯定する。
俺の頭もだんだんと動いてきた。そういえば記憶にあるな。 前回、富士の樹海に入る前だった。一輝に黄金聖衣のパーツを奪われて、取り戻しに行く寸前。貴鬼が聖衣を届けに来て、紫龍は帰って来ないと言ったんだ。
俺にとって、貴鬼との付き合いは、あそこからになる。
富士山麓、青木ヶ原の十風穴前。
幼い声が脳裏で響いた。
『あの二つの聖衣を修復させるためには紫龍の命が必要だって―――』
その前に、紫龍の首が飛ぶ悪夢を、続けて見ていたものだから、余計に、心臓を刺されたような気がしたものだ。
覚えている。
「復活させる方法が、命か?」
問う俺を、ムウの目線が射ぬいた。あまりにも真っ直ぐにじっと見つめられて、さすがにびくついた。肉体を通り越して、魂を捕らえようとするかのような視線だった。
俺、そんなに変なこと言ったか?
「よく、分かりましたね。そうです。正確に言えば、聖闘士の大量の血液ということになりますが」
それって、これ、全部?
俺は並んだ聖衣を見て、うめいた。八体全てが死んでるなら、ちょっと血が足りなくなりそうだ。
それを見たムウがくすりと笑う。
「より詳しく申し上げるなら、現時点で死んでいるように見えるのは、この四体です」
手で指し示される。
紫龍の
那智の
市の
そして、瞬のアンドロメダ。
「耐えられる限界を越えての破壊ではありませんよ、これは。最初から耐えられるはずもない力を加えられているんです。いや、そんな力を加えられてそれでもこの程度で済んだということは手加減すらされていたのかもしれませんね。他の四体は、深手ですが、今ならまだ間に合います。よくぞ、持って来ました」
ムウの恨み言めいた感嘆に、紫龍と瞬は複雑な顔をした。
ちらりと俺を見つつ、声を潜めて会話を始める。
「これって、星矢の……」
「ああ。つまり……帰国直後の……だな」
「邪武達は参加してなくて、幸運だったね。……だし」
「まったくだ。いや、ある意味では……かもしれないぞ」
ぼそぼそ言うな。聞こえてんだよ。反省してるし、責任も取るから、頼むよやめてくれ。先に深手を負わせたのは俺じゃないだろ。トドメをさしたのは俺だけどさ。
横目で軽く睨めば、紫龍が肩をすくめて笑う。
瞬も表情を緩めかけて、ふと首をかしげた。
「あのう、ムウ。僕の聖衣は、確かに死んでいるんですか?」
言いながら、じゃらりと取り出したのは
……言われてみれば……なぜ、気が付かなかった。確かにそうだ。瞬の鎖は、ここに来るまでの間に何度も振るわれている。理屈に合わない。
ムウが、目を見開いて
「そうか、アンドロメダの鎖には修復能力を超えた再生能力がありましたね。それならば、死んでいるように見えても、まだ救えるかもしれません」
「ならば、ムウよ。もしかすると
即座に、紫龍がたたみ込んだ。
確かに、
ムウの眼光が鋭くなる。
「そういえば、この二体には、
考えこむムウを息を飲んで見守る俺達。なんせ、使い物にならないと言われた聖衣が、二体に減るかもしれないのだ。意気込まずしてどうする。
ムウは貴鬼を振り返った。
「貴鬼、あれを持って来なさい」
「えっ、じゃあムウ様!」
「ひとまず、見てみなければ何とも言えません。超純水も用意しなさい」
「はいっ!」
すっ飛んでいった貴鬼が、背中と両腕に荷物をいっぱい背負って来る。
金槌やら、ノミやら、はっきり言ってどれも大差はないように見えるんだが、種類が違うんだろうな。その他、音叉っぽい形のものやら、筒型の何に使うか分からない器具やら。
それらをムウの側に配置し終わると、またテレポートを繰り返して、今度はクリスタルの小瓶を片手に二本ずつ持ってきた。透明な小瓶の中には、これまた透明な液体が入っている。これまた、何なのかさっぱり分からない。俺には、何の変哲もない水に見える。
何が始まるのか分からないし、できることがあるとも思えないため、今は静かに見物するしかやることがない。
蚊帳の外におかれた俺達は、互いに顔を見合わせて、好き勝手に岩場に腰掛けた。
それにしても器用なもんだ。なんで、ああも場所を間違えずにテレポートできるんだろう。後で、コツでも聞くか。
■■■■■■
待ち続けること、およそ三時間。
ようやくムウが顔を上げた。
「あ、終わったのか?」
「終わるわけがありませんよ。一区切りつけることにしただけです。まだ積み残した問題もありますからね」
そろそろ待ち飽きていた俺が尋ねれば、聖衣にかかりきりだった視線が俺達に戻ってくる。
膝をついていたムウは、おもむろに立ち上がった。
「この二体に関しては、再生能力を利用し、形を変えれば復活は叶うでしょう。しかし、残りの二体、
つまり、命を出す覚悟があるかと訊かれているのだろう。
今更だなあ。
俺は目だけで肯定して、ためらわず両手首に互いに手刀を落とした。傷から勢い良く吹き出す血液を、両聖衣に浴びせる。
貴鬼が「ヒェっ」と奇声をあげ、あたふたとムウと俺を交互に見る。聖衣の表面を流れ落ちる血液は、ヒビをなぞるように滴り、あっというまに地面に達して染みこんでいった。
「あなたは……」
「責任を取るって、言ってきちまったんでね」
なぜか、ぎこちなく言葉の途切れたムウに、笑ってやった。
これくらいじゃ死なない。
こんなところで死ねない。
こんなもので死んでいたら、これまで倒してきた敵が泣くぜ。運命に立ち向かい、神にも挑み、多くの血を流して戦った。その俺がこんなふうに死ぬはずがない。死んでいいはずがない。その程度の男に倒されるような敵と戦った覚えはない。
倒してきた奴らに申し訳が立たないというのも、妙な言い方かもしれない。
けど、俺は……。
ぐらりと視界がかしいだ。
ちょっと深く切りすぎたかもしんない。勢いが良すぎたか。
「俺達のためにそこまで……!」
かすむ視界で、紫龍が近寄ってくるのが分かる。
そうじゃない。違う。
紫龍の言葉に応える。理解はできないだろうから、心の中で。
かつて、お前がしてくれたことだ。そして、付き合いの長い方のお前がここにいればしてくれるだろうことだ。
借りも貸しも、お互いに多すぎて分からないくらいだけど、返す機会があればいつだって返すさ。
だって、きっとお前だってそうするはずだから。
お前達が知らなくても俺は知っている。
お前達が覚えてなくても、俺は覚えている。
だから、同じことをする。当然のことなんだから、そう泣きそうな顔をするなよ。大袈裟だ。恥ずかしいだろ。
ただ、いつか、もしかしたら、俺が俺でなくなっても、同じようにしてくれたらいいと思う。俺であることには変わりがないと、そう思ってくれるはずだと信じている。
俺の肩をつかんで支える紫龍に、ムウが何かを話しかけている。もう耳が聞こえない。瞬はどこに行ったんだ。右腕の温もりは誰だろう。
意識がかすむ。
■■■■■■
俺が目を覚ました時、目の前にあったのは幼い少年の顔だった。うん?
記憶が繋がらずに、ぱちりと瞬きを一回。これで頭がクリアになった。貴鬼か。
目の前で、限界まで開いた口に嫌な予感を感じ、とっさに耳を手でおおった。
「ギャアッ、起きたっ?」
耳をふさいでさえ聞こえる、驚きと慄きの合わさった悲鳴だった。子供特有の甲高い、耳に響く声は、普段ならともかく、起き抜け、それも目の前で叫ばれるとくらっと来る。
おまけに、なんという言い草だ。起きちゃ悪いのか。
寝かされていた状態から、憤然と上半身を起こせば、貴鬼は飛び退いた。
「まさか。まだ目覚めるはずはないって、ムウが言っていたのに」
「……起きてるな。一日で目覚めるとは、お前は本当に人間か?」
お前らもひどい感想だ。
歩み寄ってきた瞬と紫龍を一睨みして、ひとまず周囲を観察した。
随分と天井までの距離がある。高く広い天井全体を覆う巨大な曼荼羅。そこから蔦が伸びるように柱へと文様が伸びる。色あせた朱と鬱金が絡み合う幾何学模様。
間仕切りとでも言うのか、一メートル半程度の高さのついたてがあるため、部屋の全貌は分からない。立てば話は別だろうが、半身を起こしただけの状態では無理だ。
俺のいる一角から判断するに、円形か、正六角形の部屋を仕切っている形になるのだろう。
明るさは外からだ。
露台に通じる窓があり、そこから、風と光が入ってきている。
窓というより、露台への入り口と言ったほうが正確かもしれない。楕円を横半分に切り、立てたような形だ。ただし、戸らしきものはない。両脇に、今度は普通の真四角の窓があるものの、こっちにもガラスや、開け閉めのできる板はない。枠だけがある感じだ。
ううん、侵入し放題じゃないか。いいのかよ。
余計なことを考えながら、自分を見下ろして絶句した。
俺は棺の中にいた。
「おい、俺はまだ死んでないんだが」
抗議する俺に、紫龍が腰をかがめて、手を差し伸べた。
その手を取って、立ち上がり、棺桶の外に出る。
「お前は、死ぬか生きるか、境界をさまよっているとムウは言っていた」
「帰ってきてくれて嬉しいよ。星矢。君が死ぬはずはないと信じていたけれど」
瞬が軽く肩を抱きよせて、祝福する。さらりとした口調に反し、目はひどく真剣だ。すり寄せられた頬がくすぐったい。そのまま瞬は、頭を俺の肩に乗せてほうっと息を吐いた。随分と気を揉ませたらしい。
くつくつと軽く笑って、当然だろ、と肩に置かれた頭をなだめるようにたたいた。こんなところで死にゃしないさ。エイトセンシズには目覚めてるけど、今冥界に行ってもしょうがない。
紫龍が「瞬」と呼んだが、返事はない。何かをためらうようにゆっくりと手が伸びてきた。引き剥がしてくれるのかと思ったら、瞬ごと抱え込まれて、ぐっと力をこめて抱きしめられた。瞬と反対側の肩に押し付けられた額が熱を伝えてくる。
勘弁しろよ。起き抜けだってのに。つぶれそうだ。
続けて、小さく名前を呼ばれた。それがまたなんとも真摯なものだったから、どうにも抵抗しがたい。いや、心配してくれたのは分かってる。ありがたいよ。でも、重い。あまりに遠慮ってもんがない。病み上がりなんだから、もうちょっと遠慮して体重を掛けてくれたっていいだろう。お前ら。いくら俺が頑丈でも、血を大量に失った後だぞ。ああ、そういや腹も減ったな。補給が必要だ。
俺はなんとか重みを支えつつ、ぽんぽんと二人の身体をたたいた。落ち着け。
半楕円の露台の入り口に影がさした。
「もう、起きましたか。さすがに尋常ならざる回復力ですね」
変わらぬ穏やかな声だった。
ムウの後ろには、貴鬼もいる。いつの間にやらいなくなってたと思ったら、ムウを呼びに行ってたのか。
「昼食の時間にはまだ早いですから、あなたが眠っている間の説明でもしましょうか」
「ああ、頼めるか」
食いものを先に、と空腹を訴えなかったのは、返事する前にムウが貴鬼にお茶の準備をと言いつけていたからだ。俺の反応を待たないってことは、ムウの中では決定事項だったんだろう。存外ムウも我が道を行く男だよな。黄金聖闘士にしては控えめだけどさ。
無駄に要求して残り少ない体力をさらに減らすより、ひとまずお茶会なら、お茶請けの一つや二つも出るだろう。食事時間を待つよりは、まだマシだ。と思ったわけだ。
もちろん、ここがどこで、何がどうなったのか、知りたかったのもある。
ムウの登場で、瞬と紫龍はようやく離れてくれた。
露台からムウが歩いてきて、俺の手首を掴む。と思えば視界が一気に変わった。
空が鮮やかに高く、風は冷たく新鮮だ。
だが、テレポートするんなら事前に言ってくれ。
「ムウ、なんか誘拐された気分なんだけど俺」
「失礼なことを言わないでください」
ささやかに抗議すれば、溜息をつかれたが手首は離してくれた。
あの塔からそう離れたわけじゃないな。
ムウの右手二百メートルほどの場所に、俺の寝ていたと思しき塔がそびえている。俺の左手には巨岩が不規則にいくつか連なって先をさえぎっていた。どうも、俺達の来た方向とは逆側っぽい。来る途中でこんな岩は見かけなかったからな。
「まだ、正式に、私の館へ招待したわけじゃありませんでしたからね。ここは入り口ですよ。入り方を覚えておいたほうがいいでしょう」
手招きするムウに、疑問が浮かぶ。
あそこは、ムウの館じゃなかったのか。
あの塔だったら、確かに地上からの入り口こそなかったが、上がり込めないことはないもんな。ジャンプして窓から入ればいい。入り方なんて教えられることのほどでもない。だが、この周辺にあれ以外にそれっぽい建物なんてないんだけどな。
「フッ、あそこへ無断で侵入などすれば、亡者の谷より危険度の高い罠を誘発するだけですよ。見え透いた無防備さですが、あそこまで露骨だと逆に疑いにくいようですね」
「どういうことだよ」
「そのままですよ。さあ、おいでなさい」
手で差し招かれた。
答えてくれたのはありがたいけど、肝心なところはやっぱり分からない。ムウの館はあの塔なのか、そうでないのかどっちだ。
そして、さらに不思議なんだけどさ。なぜ、口に出してもいないことは察してくれるのに、口に出していることを汲んでくれないんだろうな。黄金聖闘士って。謎だ。
ムウは、連なる巨岩群を迷わずに歩いて行く。
およそ真ん中くらいに、ひときわ巨大な岩がつったっていた。人間の三倍はあろうかという巨岩だ。表面は粗くざらざらと突起が見える。形にも一切の丸みがなくて、無骨なばかりの大岩だ。
その前に立ったムウは、表面の手頃なくぼみに手を掛けて。
なんと。
軽々と。
持ち上げた。
想像してみて欲しい。二十代前半、下手すればまだ十代後半、まかり間違っても肉体派には見えない優しげな青年が、縦も横も高さも、己の三倍以上にもなる巨岩を片手で持ち上げている光景を。
あまりのシュールな光景に、俺があぜんとしたのも、ごくごく当然じゃないだろうか。
砕くんだったらともかく、持ち上げるなんて、俺だって片手じゃできないぞ。いや、両手でやったって、力余って砕いちまいそうだ。
だが、その結果、現れたものは、俺にさらなる驚きを与えた。
「……ムウ、そりゃ一体何だ。それが本当の……!?」
評価、応援ありがとうございます。いつも手を合わせてお礼を言っています。誤字脱字矛盾の指摘もありがとうございます。