開けた口が、開きっぱなしでふさがらない。
どっかで同じ事を思ったな。なんだこのデジャブ。
ムウが、大岩を持ち上げて見えたもの、それは大きな空洞に見えた。
大きいと言っても、せいぜい人間一人分ちょっとというところだろう。大岩の大きさに比べれば小さいと言って問題ない。
中は真っ暗だ。
俺の立っている場所が明るいせいもあるだろうが、内部は本当にさっぱり見えない。影があまりにも黒く濃い。
つまり、奥行き分からぬ深さということだ。
「これが……」
「ええ。ここが、正式な館の入り口になります」
「塞いでいる岩が、扉代わりか」
「錠前替わりでもあります。こうしてテレキネシスで持ち上げるのでない限り、砕くしか方法がないでしょう。砕けば入り口ごと崩壊するようになってますから」
「……」
ムウの言葉でようやく思い至った。そういえば、ムウにはテレキネシスがあったんだった、と。
知っていたはずなのに、と呆けた己に少しばかり悔しさを感じる。砕くのなら分かるがそれなら俺にだってできるぞ、こうも軽々と持ち上げるとは、何かが間違ってないかと思い悩み、洗い流せぬような汗を大量に流したのがあほのようだ。
あれだ。視覚的ショックが大きすぎたんだな。
俺は無言のまま、溜息をついて、洞窟と持ち上げられたままの岩をにらんだ。
どういう仕組みなのか聞きたい気もするが、多分、教えてはくれないだろう。
さて、どうも怪しい。
テレキネシスで持ち上げるしかないということは、入り口を知っていても開けられないってことだ。
いや、テレキネシスを使えないとは言わないが、こんな風に自然に持ちあげられないし、多分だが、単純にこの岩を持ち上げるだけが開ける手順とも思えない。テレキネシスさえ使えれば誰にでも開けられるなんて、しかも、それをこんなにもあっさりと教えるなんて、疑えと言わんばかりだ。
それに、何かこう、こっちを見てるムウの微笑が気になる。
もちろん、気のせいだ。疑心暗鬼だと言われればそれまでだし、何かを企んでるとしても、悪いものとは限らない。しかし、何かがもやもやする。
黄金聖闘士に対するこのすっきりしない感情は、何なんだろうな。ほんと。
「入り方を教えるって、言ってなかったか」
「教えてますよ。実行できるかどうかは、また別の話です」
「詭弁って言わないか」
「誠意の問題ですよ。教えるということが重要なのです」
よくもまあ、しゃあしゃあと。
じとっとねめつけたが、どう言い返すか思いつかない。考えていると、肩をすくめたムウに「似合わないことをするより、早くお入りなさい」となだめられた。
理不尽だ。まるで俺が駄々をこねているかのように言いやがって。似合わないって何だ。確かに頭を働かせるより身体を働かせるほうが得意だ。認めはするが、人から言われたくはないもんなんだ。くっそ、悔しい。
何かあればしっぺ返ししてやりたいと思いつつ、まずは頭を突っ込んで奥をのぞけば、ゆるくうねる階段が地下へと俺を誘っていた。
ここまで来たら、行くしかない。うむ。男は度胸だ。
そう決めた途端に、先ほどまでの気分がすっ飛び、逆にわくわくしてきた。
何が出てくるのか。何を仕込んであるのか。
ムウのことだ。ただのお茶会でも、状況説明でもないだろう。
我ながら単純だが、期待感で胸がふくらんだ。
階段をくだってゆけば、背後で鈍く音が響き、光が消えた。
大岩を降ろしたのだろうムウが追ってくる気配を感じながら、先へと進む。真っ暗闇だ。自分の鼻先で手をちらつかせても、指が判別できない暗黒世界。
明かりの一つもつけてくれと言いたいところだが、この真っ暗闇も侵入者対策なのかもしれないので、口をつぐむ。
でも、仮に侵入者対策だとしても効果あるんだろうか。だって、俺、修行時代に暗闇でも戦えるよう、魔鈴さんにしっかりがっちり仕込まれてるぜ。
どんなところで敵が戦いを仕掛けてくるか分からないんだし、どこででも己を保ち戦えるように徹底的にしごかれた。たとえば目が見えない状況、耳が聞こえない状況、たとえば水中、あるいは火中。当然のように実戦形式だぜ。思い出しただけで、背中がふるえる。よく死ななかった俺。
多分、瞬達もこういう訓練してんじゃないかな。
闇は必ずしも敵じゃない。まずは恐れないこと、味方として利用すること。
とは言っても、やはり一筋の光もない状態で落ち着くことは、できないが。
階段はひたすら地下へとくだっている。
まっすぐではなく、ゆるやかに螺旋を描いているように感じられるが、曲がりくねっているだけかもしれない。
時間はよく分からない。もう随分と経っている気もするし、三分と歩いていない気もする。
一つ、奇妙なことがあるとすれば、気温だろう。
進めば進むほどに暖かくなっていくのだ。暖かいどころじゃないな。
「なんか、暑い、か」
口に出す前は俺の勘違いかと思ってたけど、やはり違う。気のせいじゃなく、どう考えても明らかに気温は上がっている。
目的地も近いらしく、前方から、わずかな光も漏れてきており、わずかながら周りも見えるようになっていた。
地上では、しゃべるたびに口から白い息が漏れていたが、今の独り言ではそれがほとんどなかった。
ほとんどであって、多少は出てくるから、実際はそんなに暑くないかもしれない。地上の寒さと比べて暑いと感じるだけでな。
あともう少しだろう。進めば進むほどに明るくなる。
もう、薄暗い程度の暗さでしかない。ムウを振り返ったら、そのまま進めとうながされた。
最後であろうカーブを曲がって、思わず立ち止まる。
「なんだ、これ」
視界が急激に広がった。
これまでの通路とは違い、広々とした回廊のようになっている。
荘重な印象を受ける彫刻がほどこされた円筒形の石柱が、ずらりと立ち並び、均等に置かれた篝火に照らされていた。
ギリシャでなら、いや、聖域でならば見慣れたドーリア式の柱並ぶ神殿。
見慣れた景色が、見慣れぬ場所にあって、しばらく呆ける。
ムウの声が、耳元で聞こえた。
「地下神殿へようこそ。星矢」
「ここが、本当のムウの館、か?」
「上も別に偽りではありませんよ。ただ工房としてはこちらこそが本来の部分、そして、神話時代から受け継がれてきた古き場所でもあります」
「じゃあ―――」
言いかけた言葉に「おっそーい!」という不平がかぶさった。
振り返る。
頬をふくらませ、怒りを主張する貴鬼がいた。
「ムウ様、遅いですよ! お茶が冷めちゃいますよ」
「ご苦労でした。すみませんでしたね。彼らにはうまく言ってきましたか?」
「問題ないと思います。疑問にも思ってなかったみたいだし」
師弟の会話に口を挟むのは気が引けるが、ついていけない。どういうことだ。
ええい、俺は頭脳担当じゃねえんだよ! 説明求む!
というわけで、どうなっているんだと盛大にわめいた俺。
大人気ないとは思わない。説明もなしに連れてこられ、行けと言われたから進み、さらにはここまで放っとかれて、このまま大人しくすると思うほうがおかしいってもんだぜ。
開き直ってふんぞり返る俺の手を取ったのは貴鬼だ。手を引きながら「ムウ様ー、こっちに用意してますからね」と声だけムウに投げて進んでいく。俺の了承を得ず引っ張っていくあたり、師によく似た弟子だ。それでも悪い気がしないのは、俺に向ける笑顔が、好意を含んだ好奇心にあふれているからかもしれない。
柱の間を抜ければ、一段低くなり、毛皮が敷いてある一角があった。その真ん中に卓が据えられ、グラスらしきものが置いてある。なぜ、「らしき」ものかといえば、今までそんな形のグラスを見たことがないからだ。形としてはフタ付きのゴブレットと呼ぶのが一番近いだろう。表面には細かな文様がでこぼこと浮き出している金属杯だ。
戸惑っていると、「こっちこっち」と座らされた。
ムウが対面に腰を落ち着け、貴鬼はその斜め後ろで盆を持って立っている。つい、と卓上をグラスが滑らされてきた。
飲めということか。
グラスのフタを開けると、見た目ほど中身は入ってなかった。せいぜい湯のみ程度。ココアにクリームを大量に混ぜたような色合いの液体が、湯気を立てている。表面のわずかな泡立ちが白い渦巻き模様を作り、何とも独特の匂いで香ばしい。
一口飲んで、ちょっとむせた。し、塩辛い。この白いのは牛乳かと思ったけど、それにしちゃ癖が強すぎるな。濃厚で脂分が強い、うむぅ、はっきり言ってしまおうか。口当たりはあまり良くない。お茶という言葉の印象からは、まったく想像できない味だ。
飲み込めば後味が苦く舌に残った。茶ではない。岩塩の苦味だ。お茶なのに、お茶じゃなくて塩の苦味って、何でだ。
本当に、お茶なのか。これ。
煮詰まったクリームスープですと言われたほうが、まだしも納得できる味だぞ。
ムウは普通に飲んでいるところからして、特別なものじゃないようだ。
熱いうちに飲んでしまおうと、俺も再度お茶を口に含んだ。
お茶じゃなくて、お茶風味のクリームスープだと思ってしまえば、そこまで奇天烈な味でもない。うむ、これはお茶じゃない。別の何かだ。腹が減ってたんだし、栄養価は高そうだし、ちょうどいい。
そう思えば、こくこくと喉が動いた。
カラになると、貴鬼が継ぎ足しに来る。
それを飲みながら、ムウが言った。
「お口にあったようで何よりです。馴染みのない味でしょう。あまり外の人には好まれないんですよ」
「分かってて出したのかよ」
「歓迎していればこそですよ」
「笑顔で何でもごまかせると思うなよ。なんで、俺だけここに呼んだんだ」
直球で聞いた。腹芸は得意じゃない。ましてやムウだ。この時点で味方だと、はっきり分かっている相手だ。何も遠慮する必要はない、はずだ。たぶん。
俺の真剣な顔につられたか、ムウもいささか真面目な空気になった。
「ああ、それは簡単ですよ。あなたが彼らのリーダーでしょう?」
「……む?」
いや、それは違うんじゃないのか。
そりゃ、ここに来るのは俺だけのはずだったが、だからと言って、この面子で、俺がリーダーねえ。そんな柄じゃないよなあ。
だいたい俺達にリーダーなんて、いるのか。存在するかどうかと、必要かどうか、両方の意味で疑問だ。
俺はどっちかといえば先陣を切る役割ではあるけど、リーダーじゃないよな。あえて言うならお嬢さんがそうであるべきだろう。俺達聖闘士を率いるのは
だが、ここで問われているのは、今ここに来ている俺と紫龍と瞬限定だろうから、その答えは、ない。しかし、じゃあ誰かと言われると、困るな。考えたこともなかった。
ふにゃりと首を傾けてうなった俺に、ムウは穏やかに苦笑した。
「おや、少し読み違えてしまいましたか。あなたが一番彼らに影響力があると思ったのですが」
「……それとこれとは別だろ」
否定はしない。
あれだけ叩きのめして影響力がなかったら、そっちのほうが問題だ。
だけど、リーダーってわけじゃない。それと、少しばかり嫌な予感がする。
リーダーにだけ、話があるってなんだ? 俺をリーダーだと思ってここに呼んだんなら、相応の話があるってことだよな。まさか……いまさら修復不可能な聖衣があるとか言わないよな。
胸が嫌な感じにどきどきしてきたぞ。
そんな予感をよそに、ムウは関係ない、当り障りのない話を始めてしまった。手を心臓の真上に持ってきて、どうにも心情を落ち着かせたいのを我慢しながら、ムウの話に耳を傾ける。気になるなら、自分から訊けばいいんだろうが、知りたいのも本心なら、聞きたくないのも本音だ。
また、この話はこの話で面白かった。
寝ている俺がいたところはムウの館の一部であり、居住区として扱っているそうだが、不測の事態には吹き飛ばすことのできるよう仕掛けがされており、実際のところ、重要なのは地下だけらしい。
精錬作業も、採掘作業もすべて地下だそうだからさもありなん。ああ、もう何を聞いても驚けない。
マグマで金属を鍛えていると言われても信じられそうだ。さすがに、それはないと思うけど。
上は敵に備えた隠れ蓑に近いのだそうだ。そこまでして何に警戒する必要があるってんだろ。こんな山の上に、そんな重要なものがあるとも思えないんだけどな。
地下何層まであるのか聞いてみたが、「さて」とにっこり微笑まれて話を変えられてしまった。
また、俺達が通ってきたあの真っ暗な通路は、いわゆる正式通路で、えらく長くて曲がりくねっているのは錯覚ではなかったらしい。「もっと近道もできるんですよ」と言ってのけたムウに殺意が湧いたのは、俺の気が短いからじゃないと思う。
妙に暖かいのは地熱らしいが、仕組みまでは教えてくれなかった。地熱だけでこんなに気温が上がるもんだろうか、と思ったが、追求してもしょうがないので置いておく。詳しいわけでもないから、どうせ説明されたって分からんのだ。無駄なことはしないに限る。
ムウは博識なばかりじゃなくて、それを万人向けに分かりやすく説明する能力にも長けていた。
おかげで、いつの間にやら当初の緊張は俺から消え去り、雑談を楽しむだけの余裕もできていた。話は四方八方に広がり、でたらめに収束していく。
本来まったく興味のない話題さえ、ムウの口から出ると、惹きつけられる輝きがあった。
「時間は反復可能なものではありえないってことか?」
「宗教的に言うならその逆でしょうね。円環構造を考えると分かりやすいでしょう。しかし、大体が、時間は現象ではありません。概念ですよ」
「とすると、時間を遡行するってのはできないのか。過去に、戻るのは不可能ってことだろ」
軽い気持ちでの質問だった。
俺がここにいる以上、どんな理屈も無意味だ。可能不可能の問題じゃない。だが、ムウはどう思うのだろう。そんな気持ちで、返答を待つ。
ムウは指で顎をなでた。考え込む仕草だ。
「いえ、そうとも言い切れません。すべての物理基礎法則は、時間について可逆的ですからね。t=-tです。否定はできません。可能性は存在します」
ただし、と一区切り置いて、鋭利な圧力を持った目で俺を見た。
「分子運動の逆回転が物理法則に反していないとしても、それを実現可能な存在などあり得るかどうか、疑いますね。強力な重力ポテンシャルによって、光子をねじ曲げることができないとは言いませんが、時間のループを創りだせても人間サイズというのは難しいでしょう」
ここまで言われた時点で、俺は会話を放棄した。
よく分からん。つまり、できないことはないけど、人間には無理ってことか?
ああ別に詳しく解説してくれなくていいぞ、と説明しようとしたムウに手をひらひら振った。どうせ分からない。そして、現実の前に理屈は無意味だ。
俺は、ここに、いる。
「なぜ、そんなことを? 過去を変えたいのですか?」
「変えちまったら過去じゃなくなるだろ」
その質問は無意味だ。変えた時点で、それは現在に他ならない。
変えたいのはいつだって、未来だ。未来を変えることによって過去が変わるとしても、それは結果論に過ぎない。
かつて俺が持っていた、過去から未来へ一直線上に伸びる時間のイメージは、すでに失われている。おそらく、時間というものは、川のように上流から下流に流れていくだけのものではなく、きっともっと多元的で、多くの法則が、互いに影響を及ぼすものなんだろう。俺の知っている天則ばかりでなく、もっと高次の展開と、低次の縮約があって、それぞれに共鳴しあっているのだろう。それは、さぞかし複雑に違いない。理解できないくらいに。
でも、どうでもいい。俺は自分がここに存在する不可思議さえ、今となってはどうでもいいのだ。
俺は、ここにいるし、いるからには為すべきことを為してみせる。
「それもそうですね。それともう一つ、問いたいことが」
ムウは言葉を切ると、杯を卓上にコトンと置いた。
目線が静かに鋭くなる。
話をしている間に薄らいでいた冷たい感覚が蘇り、背中に汗が浮き出てきた。
何を言う気だ。
「あなた、何者ですか」
「……?」
無言で首をかしげたのは、単純に、意味が分からなかったからだ。何者って何だ。名乗りならとうに済ませただろうに。
だが、そうとは捉えられなかったらしい。
ムウの眼光が、心臓が縮み上がるほどに張り詰めたものになった。
「不自然すぎるんですよ。聖衣の復活方法など、そうそう知れるものではありません。特にあなた方のような年若き者はね。他にも―――いえ、今は置いておきましょうか」
首筋の毛がぞっと逆立った。
うわ、これ、まずくないか。
俺の一挙一動を見逃すまい、という視線が、ただ硬く重い。
「あなたは、何者ですか」
評価応援本当にありがとうございます。とても励みになります。