リセット   作:エイ

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積み重なった疑惑

 ムウの微笑も、部屋の温度も、お茶の湯気も変わらない。

 だが、確実な圧力が俺を呑み込もうとしている。

 有効な反論をすべき俺ときたら、蛇に睨まれた蛙、いや、むしろ油を取られている蝦蟇だ。動けやしないし、冷や汗ばかりが流れ出るときた。なんてこった。

 だが、何を言われているのか、言葉としては分かっても、何を、求められているのか分からない。問われているのは、疑われているのは、いったい何だ。何についてだ。

 沈黙がひたすら痛くて、とりあえず、思いついた言い訳を口に出してみた。

 

「意味が分からない。話の流れを追っていって、思いついた方法がたまたま正しかっただけだろ。推測が当たってたくらいで……」

 

 もとより冷たかったムウの視線が、急速冷凍ビームとなって俺を襲う。失敗したか。口に出されなくても何が言いたいかは明白だ。「寝言は寝て言え」だ。

 もっと有効な反論をしなければ。

 くっそ、嫌な予感は最初からしてたんだ。小さかった警鐘は、今やガンガンと頭に響く不快なビートと化していた。手遅れだっての。まずい、本格的にまずいぞ。

 

「私とて、まさか、たったそれだけで、無用に嫌疑をかけはしませんよ」

 

 金属杯から手を離したムウが、すっと目を細めた。

 ごまかすなとの意思表明。たったそれだけの動きで、不快だと、言葉より明確に示してのけた。口調は穏やかなままだが、そこがまた、何とも緊張を強いられる。

 

「最初から、あなたは妙でした。私があなた方に声をかけた時、あの二人は驚きましたが、あなたは敵かもしれない闖入者に対して、ほとんど反応を見せませんでした。なぜ安全だと判断できたのでしょう。気配に気づかれていたのかとも思いましたが、紫龍が私に名を問うた時も、無反応でしたね。まるで、最初から、私がムウだと知っていたかのように」

 

 待ってくれ。無反応だったのは、確かにそうだけどさ。ああ、なんてこった。反応が薄いくらいで何でそうなるんだ。

 俺の顔色は恐らくひどく悪いだろう。取り繕おうとする余裕なんか、正直ない。

 

「貴鬼に対してもそうでした。既知の者から初対面の挨拶をされて戸惑っているような態度。まるで、こちらが記憶喪失にでもなったかのようです」

 

 間違っちゃいない。確かに、そういう痛みを感じて、それを抑えるのに精一杯だった。

 けど、気取られるほど表に出しちゃいなかったはずだぞ。寂しいとは確かに思ったが、鋭すぎるだろ。まさか心が読めるんじゃないだろうな。なんて迷惑なんだ。

 遅いかもしれないが、なるべく表情を殺そうとする俺。後手すぎるとは思うが、できることはしとかないとな。

 

「聞けば持ってきた聖衣を破壊したのは、星矢、あなただとか。自らが壊したにもかかわらず、ためらいもなく手首を切り、己の命まで修復のために差し出す。矛盾しているとは思いませんか。破壊することに意味があったのではなく、何かしらの真意があり、破壊は手段にしかすぎなかった。そう取ることもできますよ」

 

 色々違うが、まず言いたいのは、逆だ。

 俺が壊したからこそ、直すために俺の血を流すのは当然だった。

 だいたい壊したくて、壊したんじゃねえや。

 

「ええっとさ、それは―――」

 

 これにだけでも異を唱えようとしたら、ねめつける視線がさらに厳しくなった。

 口を挟むなってか。

 

「決定的だったのが、あなたの血です」

 

 俺の、血?

 わけが、分からない。なんだ、それ。ごまかそうとしてるわけじゃなくて、これは本気で心当たりがない。どういうことだ。俺の血に、何がある。

 

「意味不明、と言いたそうですね。しかしながら、それを信じるには、あまりにもあなたのほうが意味不明なんですよ。本当は、分かっているのでしょう?」

 

 隠しているはずの表情が丸わかりになっていることに衝撃を受けつつ、言葉を内心で復唱する。

 意味不明、か。何を馬鹿な。分かっているわけがない。ムウは俺を買いかぶりすぎだ。

 そもそも俺のどこが意味不明なんだ。天馬座(ペガサス)の星矢、と名乗っただろうに。

 ……いや、これは貴鬼に対してだったか、と俺は思い返す。

 考えてみれば、俺達はムウに対して、きちんと自己紹介はしてない。俺にも紫龍にも瞬にも名乗りは求められなかった。

 ならば、すでに知っていたということか。誰から。なぜ。何のために。

 いや、考えるまでもない。だって、あのとき、ムウは「老師はあなた方をよほど信頼したと見えますね」と言った。

 ムウよ、意味不明ってんなら、それはむしろ老師のほうだと言いたい。何を吹き込まれたんだか知らないが、過大評価にもほどがあるぜ。

 ムウは、軽く溜息をついた。

 

「聖闘士、いえ、神々も含め、力ある者の血液は力を持ちます。覚えていますか。私は、聖衣を復活させるには、聖闘士の大量の血液が必要と言いましたね。そう、あくまでも聖闘士の血液であって、誰の血液でもいいわけではありません。例外は女神(アテナ)のみ」

 

 ムウは教え導く者の、いっそ辛抱強い優しささえ感じる声音で語った。

 内容は、知っている事実だ。それがどうした、と言いたくなるのをこらえて、続きを待った。

 有効な反論には、確かな反論材料と糸口が必要だ。ムウの言葉から、それを引きずりださなければならない。……苦手なんだけどなあ。弁論術。

 

龍座(ドラゴン)狼座(ウルフ)の聖衣にあなたは血をそそいだ。あの二体のまばゆいばかりの生命の脈動、打ちなおす手までが影響を受けそうなほどでした。黄金聖闘士の血をそそいでも、ああまで輝くかどうか―――授位されたばかりの青銅聖闘士の力ではありませんよ」

 

 ああ、ううむ……エイトセンシズに目覚めてるもんな。そこまで如実に影響がでるとは思わなかったが、言われてみれば無理もない、とも思う。

 海王(ポセイドン)神殿へ突入したときに与えられた、黄金聖闘士の血を受けた青銅聖衣。その輝きに、俺達の誰もが感嘆したものだ。あれと同じようなことになったんだろう。予測してしかるべきだったのかもしれない。うかつだったぜ。

 困った。反論を、思いつかん。

 だが、あのとき、誰が血を捧げるべきだったかといえば、やはり俺だろ。俺の責任だったんだ。それが、こんな事態を招いたというなら、どうすればよかった。何が最良だったんだ。

 

「そこまでの力を持っているというのに、彼らのリーダーはあなたではないと言う」

 

 お嬢さんの命令を受けてきただけだからな。

 命令されずとも来たとは思うが、それだって、やはりお嬢さんのためだ。聖衣の修復が聖戦には絶対に欠かせないからだ。

 

「ここへ来るときも、なぜ抵抗しなかったのですか。知っているならともかく、そうでないなら、怪しいことこの上なかったはず。あなたの言うとおり、説明もせず、誘拐に近い強引なやりかたをしたと思っています。けれど、疑いもせずにあなたは私に従って進んだ。私があなたに害をなさないなど、どこにそんな根拠が?」

 

 言われてもな。あんたが俺に害をなす?

 前回から、いつだって、あんたは俺達の味方だったのに?

 むしろ、問い返したい。なぜ、そんなことを思わなきゃならないのか、と。

 前回、唯一と言っていいあんたからの攻撃だって、俺を守るためだった。師を欺いて、死を偽って、俺を逃した。それを知っているのに。

 しかし、言われたことを落ち着いて考えてみよう。

 部外者の立場から。

 他人事として。

 俺の個人的な感情を一切抜いて、俺の行動を振り返って考えてみたなら、どうなるか。

 うむ……確かにムウが正しい、かもしれん。いや、ぐうの音も出ないほど、明らかにおかしい。反論が、まったく浮かんでこない。

 

「初対面のはずなのに知り合いのような態度。授位されたばかりとは思えない実力。知りうるはずのない知識。力に見合わぬ立場。つじつまが合わない、すべてがちぐはぐです。何よりも、私に対するその信頼こそが、不思議でしかたありません。……敵、とは思えません。しかし、見過ごすには、あまりにも」

 

 ムウはそこで言葉を切った。

 冷たいと思っていた目線に、あふれるほどの真摯さを感じて、ひどく動揺させられた。

 ごまかそうとする俺のずるさを、見ぬかれた気がして、声が出ない。

 

「もう一度、聞きましょうか」

 

 声は変わらず穏やかで、俺はもう、反論なんて考えられる状態じゃなかった。

 どうすれば、いい。

 

「あなたは、何者なのです」

 

 なあ、もういいじゃないか。

 俺はまぶたを下ろす。

 本当のことを、言ってしまえ。俺は黄金聖闘士に全幅の信頼を寄せている。なのに、なぜ躊躇する。

 いっそ全てを話して、協力を仰いだほうがいい。そう思うのも嘘ではないのに、同時に、それはダメだと頑なな峻拒も立ち上がる。

 なぜだ。

 

 お嬢さんにも話してないことだから、というのも無論あるだろう。

 ムウに話せば、いずれはお嬢さんまで伝わる。そうしたら、俺の死ぬ未来をお嬢さんは嘆くだろう。泣かせてしまうと思えば、どうしたって気は重い。

 目を閉じたまま、俺は必死に考えた。

 じゃあ隠しとおすのか。どこまで隠せばいい。全部か。せっかく知っているのに、誰にも明かさずに終わるのか。

 ムウなら、俺よりも情報を有効活用できると分かっていて、隠し通すのか。

 いや、それ以前に、誰にも真実を話さず抱え込むなんてしていいのか。耐えられるのか。いや、秘密にすること自体は大した問題じゃない。俺はもう過去なんてどうでもいい。意味はない。だから、話そうが話すまいが俺は同じだ。持っていても持っていなくてもどちらでもいい荷物に過ぎない。

 だが、話すまいと思うなら、日常のうっかりした失言でさえ、注意を払わなくてはいけなくなる。

 ただでさえ、ムウは隠しているはずの表情でさえ、勝手に読み取っていくのだ。

 信じてもらえるなら、話してしまったほうが楽じゃないのか。

 

 とここまで考えて、無意識に唸り声が喉からもれた。

 隠し通すというのは、すごく面倒で難しいように思えたのだ。分かりやすいらしい己の顔が少々恨めしい。だが、信じてもらえるのか、恐ろしくもある。

 俺は目を開け、ムウと視線を合わせた。

 

 決めた。

 一つだけ。

 一度だけだ。

 ムウを試そう。

 

「なあ、ムウ、あんたさ、過去に戻って、過去を変えるってのをどう思う。してもいいと思うか」

「先ほどの話の続きですか……?」

 

 唐突に思えるのだろう。ムウは訝しげだったが、気にせずに答えを促した。

 

「いいからさ。できるかできないか論拠が聞きたいんじゃないんだ」

「個人的な意見で構わないのですね。分かりました」

 

 ムウは一度、視線を手元に落とした。

 さあ、何を考えているか聞かせてくれ。

 

「そう、ですね、机上の空論であってほしいと思いますよ。過去に戻るということは、過去の私と未来の私、すなわち同一存在が同時に二人、場合によってはそれ以上の数、存在することになります。私は、この宇宙に、私自身が二人以上存在しうるなど考えたくもありませんので」

 

 この宇宙に、どこを探しても、己はたった一人だ。その意味を失いたくはない。

 そう、ムウは言ってのけた。

 そろそろ湯気のたたなくなった茶を口に運び、ムウは一息ついて続けた。

 

「それに、過去、歴史といったものは、先達がその時に考え抜き最善と信じ、血を吐きながら作り上げてきた道程のようなもの。それをたかだか一個人が、いかに未来を知っていると言えど、壊していいはずがありません。それは彼らへの冒涜と私は考えます」

 

 言い終わり、俺を見据える。

 迷いのない目だ。諦観ではなく、毅然とした覚悟が光っていた。

 恐らくだが、ムウは似たようなことを以前に考えたことがある。じゃなけりゃ、こうも即座に返事が返せるものか。

 過去を変え、誰かを救えたら、その上に積み重なる悲劇を消滅させることができたなら、と願ったことが、きっとあるのだ。

 

「付け加えるなら、質量保存の法則をどう突破するか……抜け道がないとは言いませんが……いえ、とにかく人に許される所業ではない。できないし、したくもない、と言ったところでしょうか」

 

 おまけのように理屈を言い足し、念押しをすると、ふっと軽く息を吐いた。

 剣呑さを失っていた視線に、再び力がこもる。

 

「さて、満足ですか。星矢。ならば、そろそろ答えていただいても?」

 

 落胆が俺を支配している。正確には、焦りかもしれない。

 だって無理だ。言えない。今の俺は、思いっきりムウの否定していたことをやろうとしてるんだ。どうしたもんか。

 ムウの全面的な否定を聞いても、俺の心は揺るがない。

 俺は俺のなすべきことをする。それが、たとえ、先達を踏みにじることだとしても、女神(アテナ)の聖闘士として生きるこの道で、それをなさないという選択肢はない。何が起こるか知っていてそれを見過ごす、そんなことはできない。

 やってはならないことだと、その心も理解できる。けれど、それでも、ならば知りながら見捨てることは罪ではないのか、と叫ぶ心も真実だ。

 切り捨てざるを得なかったものを救い上げる未知に、俺は進む。

 先達の目指した場所に、彼らの選べなかった道でゆく。

 そう決めた。

 だって、もう分からないだろう。どう思うかなんて、誰にも言い切れない。彼らを踏みにじるかもしれないなんて想像したって、それは本当に俺達の想像でしかない。それなら、つめる悲劇の芽は全部つんで何が悪い。文句があるなら、俺の目の前で言いやがれ。俺だって冥界からの生還が掛かっているんだ。

 

 それにしても、どうこの難局をのりきったもんか。

 真実は明かせない。だが、ごまかしてもバレるなら、ごまかさずに乗り切るしかない。しかし、何度も言うようだが、俺は頭脳派じゃないのだ。

 そんな都合のいい方法を、都合よく思いつくなんて俺には……いや、待て……あったかも。ちょっと無理があるが、押し通せば何とかなる、かもしれない。何とかなるはずだ。いや、押し通せ。

 どうせ後から話さなきゃならないんだ。もう、これしかない。通じるかどうかは分からないが、一か八か。

 やってやるぜ。

 

「十三年前の、前教皇の死は、誰の手によるものだと思う? ムウ」




感想、評価、応援ありがとうございます。そろそろ息切れしますが、できるところまでベストを尽くす所存です。
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