沈黙が満ちた。
もう、多分、これしかない。
これでどうにかできなかったら、俺にはもうどうにもできない。
十三年前に教皇が亡くなった、という事実はない。真相を知らない限りはな。
だが、ムウは知っている。そして、俺も、知っているとの事実を知らしめることが大事なのだ。
「何が、言いたいのです」
「十三年前のアイオロスの裏切りは、真実だと思ってるか」
「……何のつもりです」
「十三年前から失踪している
「星矢!」
「おそらく、協力しているのは三人以上の黄金聖闘士」
「おやめなさい」
厳しい口調だった。
俺はにやりと口元を上げてみせた。
「うかつに話せることじゃないし、話す相手を選ぶ。あんたがいくら黄金聖闘士
「なぜ」
「本当は、分かってるんだろう」
聖域最大の汚点であり、禁忌だ。大っぴらに言えるようなことじゃない。それは誰が見ても事実だ。俺は、ムウになら話しても大丈夫だと分かってる。だが、分かっていない、あるいは大丈夫かどうか確信を持てないでいる、と思ってもらわなければならなかった。
だから、同じ言葉をそのまま帰す。
勝手に解釈してくれるだろう。
頭のいい人間は、ある意味で損だな。
「
険しい表情のまま、ムウがつぶやく。
正しい。まさしく「そんなばかな」ことはない。
ないが、「ありえない」ことでもない。ここが重要だ。
何と言っても、ムウの知りたがる真実こそが、ありえないことの代表みたいなもんだからな。
「記憶の継承は、
口だけが小さく動く。声はほとんど出てないが、聞こえないわけでもない。
ムウの推測は、今のところ順調だ。俺にとって順調ってことだけど。
ただし、これで何とかなるのは、なぜ知っているかってところまでなんだよな。
エイトセンシズまでは、どうにもできん。
押しきれる部分は、これで押し切るつもりだがな!
「修行で吹っ飛ばされたってのは、色んな所に入り込む言い訳になるんだぜ。それなりに納得してくれるからな」
「あなたは……」
「知らないかもしれないけど、あんたが思ってるより、疑ってる奴も多いんだ。腐ってる奴はもっと多い」
そう、だから、俺が内部事情を知ってても、調べててもおかしくない。そう考えてくれればありがたい。
実際、魔鈴さんが、前回、俺達の味方をしてくれたのは、そういうことだと思う。
知らないんだけどな!
だから、明言はしない。誤解するのはムウの勝手だ。誘導しているのは俺だけど。
ムウが、ためらいがちな口調で追求してくる。
「聖域の書庫は、常に歩哨がついていると思っていましたが」
「抜け道はいくらでも」
多分な。
書庫って、あれだよな。神官がよく出入りしている、かびの生えた古文書や、埃臭い史書のあるあそこだろ。手続きが面倒だって、魔鈴さんが言ってた。
入ったことないし、調べてもないから具体的には何も言えんが、方法はあるはずだ。
ムウがこう言うからには、聖衣の知識や黄金聖闘士の名前や任地なんかも書庫で分かるものなんだろう。名簿でもあるのかもしれない。あ、もしかして、魔鈴さんが妙に色々と知っていたのは、書庫で調べたからか。
長年の謎がようやく解けたが、ムウに追求されるとまずい方向だ。今度、魔鈴さんに会えたら、どうやって書庫に入るのか、それ以外にもどうやって調べ回ったのか訊いておかないと。
ムウの再度の質問が降ってくる前に、俺から話しかけた。
「掴んだものを繋ぎあわせれば自然と見えてくる。当て推量に近いもんもあるけど、大体合ってるだろ?」
我ながらなんてずるい言い方だ。良心がじくじく痛む。
痛む胃を思いやりつつ、目線を外さない。知っているわけじゃない。全ては推測だ、とムウに信じてもらうしか、乗り切る方法をもう思いつかないからだ。
頼む。これだけでいいんだ。顔に、出てませんように!
「ええ……見事な推理です。今代の
必死の俺の形相は、どうやら報われたらしい。推理、という単語を引き出せればこっちのものだ。
ムウは嘆息をついて、指先を己の額に当てた。そのままこめかみを軽く揉みほぐす。
はっきりした言葉では何も言ってないんだが、あそこまで言えば、ムウに分からないはずがないと踏んだ俺は正しかった。それをなぜ最初から言って来なかったかも推測してもらえたようだし、難は逃れたな。ひとまずは。
後は、これで言い抜け出来ない部分をどうにか煙に巻くだけだ。……それが一番大変な気もするが、いざとなればお嬢さんに頼ろう。
「そこまで考えて、ここに来たのであれば、私の名も正体も分かっていて当然ですね。まったく、末恐ろしいことです」
それは実に誤解だが、俺は何も言わない。ボロが出るからな!
ただ表情筋の抑制のみに力をそそいで、耐えしのぐ。
そこまで、というのが何を指しているのかは分かるが、どこまでを指しているのかまでは分からない。現教皇の正体や、アイオロスの無実まではいいとしても、俺だって全部を知っているわけじゃないんだから。美しい誤解は美しいままに。それが誰にとっても幸福だ。と、少しばかり遠い目になりつつ、俺は自分に言い訳をした。
この時は、夢にも思わなかったのだ。それが自分の首をあれほど絞めることになろうとは―――なんてことには、ならないといいな。大丈夫だよな。
「いえ、愚痴はよしておきましょう。見誤ったというだけのことです。あるいは、あなたのほうを賞賛すべきなのかもしれません。恐れ入りました」
長い金髪がさらりと前に垂れた。
会釈程度にムウが頭を垂れたのだ。
俺はうめいた。本気でよしてくれ。罪悪感が半端じゃない。
「やめてくれ。それより、俺の考えているとおりでいいのか? 老師と……」
「ええ、私と老師は、真実を知っています。アイオロスが
ちらりと苛立ちに似た何かが心中を走った。
何がカンに障ったのか、分からん。
俺がちょっと考え込んだ間にも、ムウは新しい話に入ってしまった。表情が深刻なので、飛びかけていた意識を引き戻す。
「私達は教皇の聖闘士ではなく、
「一応聞いとくけど、なぜだ?」
「ふむ、薄々は分かっているようですが、聖域の頂点たる黄金聖闘士や教皇を裁けるのは
「試練だとでも言うかと思ったけど」
「それもありますね。私自身も完全に納得しているわけではありませんが、老師も以前の
「俺達はサガに拳を向けることを躊躇わないぜ?」
「それはあなた方が新しい世代であり、……言ってはなんですが、私達よりも替えがきく存在だから許されるのです」
ムウの言い様は苛烈だった。
前回の冥界から還ってきた聖闘士との戦いは、つまり彼曰くの禁じ手だったのだ。
だからこそ、あんなにも最初は戦いを拒んでいたのか。大恩ある師匠だからってだけじゃなかったんだな。
いや、でも、待てよ。
ああ、だけど、そんな風にあっさり割り切れたら苦労はしないよなあ。逆に、そんなに簡単に割り切れてしまっても、どうかと思うしなあ。
かつての仲間への情があるなら、反撃をためらうだろうし、ためらって許される理由を探すだろう。黄金聖闘士同士での闘いはご法度、か。
だが、結局のところ、やはり師弟関係があるかないかだよな。
俺だって、他の奴らならともかく、魔鈴さんが襲ってきたら反撃できるか分かんねーもんな。魔鈴さんの場合、反撃しなかったらしなかったで、何やってるのと怒られそうだけどさ。
そして、青銅聖闘士ならばともかく、黄金聖闘士は替えがきかない、ね。俺達は、使い捨ての安物かよ。
言ってくれるぜ。
俺の苛立ちを察したのだろう。ムウがゆっくりと目を伏せた。
わずかな動作一つで、何を言うこともなく感情を伝えてくるのは卑怯だと思う。責めたくても責められない。何をこっちが言いたいのか分かっているのだと、それに対しての謝意を持っているのだと、どうしようもなく分かってしまう。
それとも、これは前回を覚えている俺の、勝手な憶測に過ぎないのか。あるいは、隠し事をしている後ろめたさが俺を止めるのだろうか。
なんにしても、俺は、口に出しかけた不満を押しとどめてしまった。
代わりに、思慮深い声が苦い沈黙を破る。
「お気をつけなさい。悪の根は、おそらくあなた方の想定を超えて深いでしょう。一本だけとは限りません。地上を奪おうとするものは多く、支配の欲望は過去に未来にと幾重にも絡みつき、無慈悲にひざまずかせようとする。我々にある幸いなど、いるかどうかも分からないと人々が揶揄する神々を真実と知り、その加護を得る資格をもっているだけです」
サガだけでは終わらない。
知っている。俺にとっては過去だ。記憶だ。けれど、今はまだ起こらざる未来。
わざわざ言うのは、死ぬなという迂遠な警告か、来たるべき聖戦の新戦力としての期待か。
さて、どっちだろうな。
だって、普通言わないだろ。「いるかどうかも分からないと人々が揶揄する神々」を、いかに神の加護があろうとも敵に回す未来は、重すぎる。「いるかいないか分からない」と、そう疑うくらいで丁度いいんだぜ。普通の人間ならな。
重さに耐えうる、と見込まれたのだと思いたい。でなければ……いや、今考えるべきことじゃないか。
「分かってる。あんまり心配するなよ。今は何も起こってない。だったら今できることをやればいいだろ」
「星矢、それはあまりに楽観的な見方です」
「そうか? 心配しようがしまいが、何か起こるときは絶対に起こるんだから、今何を考えてもどうしようもないと思うぜ」
それ以外に何もしようがないのに、心配なんてするだけ無駄だろ。
必要なら、戦うだけだ。
俺が肩をすくめると、ムウは痛ましげに顔をしかめた。
「……本当に、そう考えていますか? 星矢」
「どういう意味だよ」
「哀しい、と思っただけですよ」
は? 哀しい? なんで?
瞬きをした俺を見てムウは苦笑する。
「死ぬ覚悟があるのですね。そのように幼いというのに」
「聖闘士だぜ。当然だろ」
もう十三だ。幼いなんて言われる筋合いないと思う。
呆れた声音になったのは仕方ない。
だって、そうだろ。
そうでなくたって、人は死ぬ。幼かろうが長じていようが関係なく、命の焔を吹き消すのは、ひどくたやすい。俺のものであろうと他者のものであろうと。
ならば
「それを哀しいというのですよ。私達黄金聖闘士、あるいは聖域に仕えて歳経た者ならばともかく、あなた方にはまだ早すぎる覚悟でしょうに」
憐れみを含んだ眼差しに強烈な反発が湧きあがり、一瞬で静まった。
残ったものが、腹の底に沈む。
「それ以上言ったら、侮辱ととるぜ、ムウ」
頑然と言った俺に、ムウは沈黙する。そして、静かに微笑んだ。柔らかく、真意の知れぬ笑みだ。ただ、その前に一瞬だけ、怒りのように激しい悲痛さを目に映した気がした。
それが何を意味しているのか、何とも俺には量りがたい。
そして、分からないことは考えない。
さあ、たたみこめ。
「疑問が解けたなら、そろそろ疑うのはやめてもらえるか。俺は
やましいことなんぞ何一つない、と全面的に顔に押しだす。
訊くなよ? お願いだから、もう何も訊いてくれるなよ!
目をいっぱいに見開いて、まばたきもしない。真実味を増すため、瞬みたいに、瞳をきらきらさせたいんだが、どうしたらいいんだろう。習っとけばよかったな。
目が乾燥して、涙がにじんできた。
だが、根性だ。耐えろ。ここで折れてもらわなきゃ、俺が折れる。精神的にも物理的にもな。
何が気になったのか、ムウはまじまじと俺の顔を見つめ、手を伸ばしてきた。
あえて抵抗せず、されるがままになっていると、あろうことか、ぽむぽむと頭を指で軽く叩かれた。ぎょっとまごついた俺に、ふわりとムウの表情がゆるむ。
あのな、俺は真剣極まりないのに、何がしたいんだよ。覚えずもれた唸り声のためか、手つきが猫でも撫でるようなものに変化した。冷や汗と反抗心が、相争って俺の心を食い荒らしていく。
ムウよ、あんたのほうが、俺なんかよりよっぽど意味不明だ。不愉快だ。くそ、この指、食いついてやろうか。それとも頭突きのほうがいいか。
不穏な誘惑に屈しかけたところで、ムウの邪魔が入った。鋭いな。
「そうですね。要らぬ波風を立てたいわけでもありません。時間も時間です。そろそろ昼食にしますか?」
俺が、首が折れる勢いで、縦に振ったのは言うまでもない。
腹が減っていることを、ようやく思い出した。
「ぜひとも、そうしたい」
渾身の力を込めて頷きながら、ムウの手から逃れる。
ついでに、ふと頭に浮かんだことを訊いてみた。
「それと、結局、俺が寝てる間の途中経過って、いつ説明してもらえるんだ?」