ええい黙れ。俺だって話せるものなら話したいんだよ。
そっぽを向きつつ反論する。心のなかだけで。
もし口に出したら、じゃあ話せと言われるのは間違いないからだが、話せないからこそ……と話は延々と巡っていく。
しかし、今後、何につけても、この葛藤は俺を悩ませるのだろうか。
そう考えると、俺はもう今からちょっとばかりうんざりするぜ。
ちなみに、ここでの食事は基本的にムウが作っている。
ムウの手が離せない作業の時だけ、貴鬼が包丁を握っていた。
しかし、驚くべきはムウのサイコキネシス。なんと粉を練ったり、スープをかき混ぜたりするのに手を使っていないのだ。空いた身体を使って、俺達と話したり、よく分からん器具の調整をしたりと、一人にして四人分くらいの仕事をしている。なんとも人間離れしたサイコキネシスの精度だ。
しかし、これは、さすがと言うべきなのか、何やってんだと言うべきなのか。
調理器具や食材が勝手に宙を飛ぶ光景に絶句した俺は、普通の感性だと思う。どう考えてもサイコキネシス本来の使い道じゃないよなあ。
貴鬼は「おいらがあれをやると、色々別のものが入るから無理」と言って、大小取り混ぜ石を十数個浮かべてお手玉をしてみせた。それくらいが限界、ということらしい。
当然のように「これくらいの器用さと、精度の高さがないと、聖衣の修復に倍以上の時間が掛かってしまいますよ」とムウが言った時には、黄金聖闘士の求める高さを痛感して、ひどく貴鬼に同情したもんだった。サイコキネシスと聖衣の修復の間に何の関連があるんだか知らんが、あれは無理。真似する気にさえならん。
器用さと精度の高さとムウは言うが、さらに言えば、半端ない空間認識力が必要だろ。それ。
優しく見えたけどさ。実際に優しいし常識的なんだけどさ。ところどころで、ムウも黄金聖闘士だよな。嫌な意味で。
ああ、空間認識力ってのは、ものすごく簡単に言えば、月は小さいのではなく小さく見えるだけ、ということを理解できる能力のことだ。本当に小さいわけじゃなくて、巨大なものがとんでもなく遠くにあるから小さく見えるというその距離を理解できるかどうか。空間把握能力と言ってもいい。
蟻だって、目の前に持ってこられりゃそれなりにでかいが、地面に置かれたら目にも入んないだろ。大きさが変化したわけじゃない。距離が変化したんだ。
思うに空中戦を得意とする戦士は、全員この能力が高い。氷河や俺も悪くないほうだ。
それでも、だ。氷河はもちろん、俺にだってムウみたいな真似はできん。
どれだけムウの能力が飛び抜けているか、説明したってしたりないくらいだが、だからこそ、雑事に使われているのを見ると、何となくこう脱力する。いいんだけどさ。ムウが自分の能力を何に使おうとムウの自由なんだけどさ。
どこか納得できないんだよなあ。
世話になってばっかりじゃ悪いかと、俺達が厨房に立った時もある。だが、お湯が100度になる前に沸騰するなんて、俺の知る料理の前提条件からして違うわけでだな。
つまり、はっきり言うと失敗した。
瞬もだ。
なぜか紫龍は成功したので、以後、紫龍のみが厨房に立つ権利を得た。聞いた所によると、食事はほとんど春麗さんに頼っていたらしいのに、憎いやつだ。大概のことはできるんだよな、紫龍って。
老師の薫陶か。
この手の話になると、無意識に顔をしかめるらしい。おかげで、そのたびに、紫龍が眉尻を下げて俺を見つめてくる。瞬がいたら、瞬もだ。時々は口に出される。
「聞くなとお前が言うなら、今は聞かないが、いつかは話してくれるんだろうな?」
「そうだよ。そんな顔をされるたびに気になるんだからね」
別に気にする必要はないんだが、そうだな、うん、俺もいつかは話せればいいなと思うぜ。
いつか、全てが終わり、俺もお前達も生き残ってたら。
整理がついて、ちゃんと話せるようになったら。
成り行き次第な考え方で悪いが、俺はもう絶対じゃない約束をするのはやめたのだ。懲りたとも言う。美穂ちゃんに言われたことだけでも神経削ったのに、お前らに男泣きでもされたら、とそんなことを思うだけで、胃が痛くなるぜ。いろんな意味で。
■■■■■■
ジャミールでのそれなりに変化に富んだ日々を、俺はこれまたそれなりに楽しんだと言えるだろう。
だけど、何にだって終わりはある。
この日々だっても当然ながら例外じゃなかった。
二十日を過ぎたころ、俺達はそろってムウに呼ばれた。
差し出されたのは、俺と紫龍と瞬の聖衣だ。
瞬が首を傾げた。
「僕達の聖衣……三体だけですか?」
「ええ。まだ他の聖衣は修復が済んでいません。ですが、ひとまず渡しておきます。どうするかは、あなた方にまかせますが」
「どうする、と言うと?」
紫龍が、貴鬼に手を伸ばしながら尋ねた。
続いて貴鬼は、瞬のアンドロメダ座の聖衣を持ち上げた。受け取った瞬が貴鬼の頭を撫で微笑む。
瞑目したムウは返答を返さない。
こんなにもムウを迷わせているものは、一体何だ。
俺が聖衣を貴鬼から受け取ってようやく、重い溜息とともに口が開いた。視線が俺とぶつかる。
「私が、ジャミールにいながらも情報収集をおこたっているわけではないとは説明しましたね」
「聞いたな。確かに」
それがどうした。
首を傾げた俺に、ムウは真剣な表情で憂うように言った。
「アフロディーテが動くそうです。反乱者討伐の密命を受けたとか」
「へえ……?」
「行き先は、アンドロメダ島」
「なんだとっ!」
「まさか!」
俺と瞬が同時に叫ぶ。
思い浮かべたのは同じ人物だろう。瞬の師匠だ。
焦りがわいた。
早く駆けつけなければ、と、向きを変えた瞬間に浮かんだ新たな疑問に動きが止まった。ありえないと思いたい。だけど―――。
「なあ、いつから知ってた。知ってて放置してるのか」
そう、前回、それを知っていながら動かなかったのか。
問いながらも、もう分かっている。今、それを俺達に告げるなら答えは一つ。
動かなかったのだ。
だから、瞬の師匠は死んだ。
聖域にも他にも犠牲はあったはずだ。
知らなかったのだと。
止められなかったのだと。
ずっと、ここまで、疑問すら持たなかった。
「おい、知ってて見殺しにしたのか!」
腹の奥底に溜まった何かが、焼き切れるほどの熱を発する。耳鳴りするほどの怒りが、俺を支配した。
なぜだ。なんで見捨てた。どうして見過ごした。
足元からピシリと音ともにひび割れが走る。言葉にすることさえできない激烈な炎が腹を焼いて、そのまま視線に宿った。
貴鬼が怯えたように後ずさった。
ムウの表情は変わらない
「その通りです。我々は動いてはならない。黄金聖闘士の責務ゆえに」
「けっ、そんなにも大事か、それが!」
「大事ですとも!」
猛然たる口調だった。
それを恥じるようにムウは再び瞑目した。
次に出てくる声はすでに静かだ。
「大事ですよ。我々こそが大地に対する最後の守り、最後の要。黄金聖闘士同士の争いは、たとえ何があっても起こしてはならない。あなたがたに教えるだけが、私にできる精一杯の手出しなのです。我々は決して争ってはならない。地上を守りぬくために耐えねばならぬ義務があるのです」
私には伝えることしかできない、と最後の一言だけがポツリと岩に落ちる水滴のように静かに響いた。
師を失っても、師の教えを守りぬいた漢にそれ以上言えることなどなかった。
ムウは悪くない。好き好んで見捨てるはずがない。
ああ、だけど、この胸のくすぶりはなんだろう。
泣きたくなるほどの衝動が不意に心臓を揺さぶって、俺は息を飲み込んだ。呼吸ができなかった。
なるほど。
俺が黄金聖闘士たちに相談しなかった、特に老師に相談しなかった理由が分かった。
彼らの大局的なものの見方についていけないからだ。
間違っていないと分かっている。
だけど、納得できない。
けれど、彼らが、老師が、好き好んでやってるわけじゃないと分かってる。
童虎は
黄金聖闘士達は大なり小なり同じだ。
そんな漢達に何を言うこともできはしない。
でも、納得もできない。
―――置いていかれるのはもう御免だ。
ああなるほど、そう言うことなのか。
閉じた目の暗闇に、己の真意を悟る。
置いていかれた。
不要だと。
たとえ守るためであったとしても確実に示されたそれに。
―――勝手に決めるな!
と叫んだ。
その慟哭が
―――勝手に決めるな!
―――俺達が戦うのも、俺達が何に命をかけるのかを勝手に決めるな!
―――勝手に戦いから排除するな!
―――俺達はそのためにいるのに!
ひどく、情けない気分だった。
彼らは俺達のためにそれをなしたというのに、俺はそれを逆恨みしているのだ。
なぜ、置いていこうとしたのか、と。
我侭にも叫んでいる。
あれだけ良いように使っておいて、肝心なところから排除するのか、と。
毒を喰らわば皿までと言うが、毒だけ食らわせられたようなものじゃないか、と。
なぜ、最後まで共に戦わせてくれないのだ、と。
それは屈辱だ、と。
死なせたくないとの優しさを、彼らの精一杯の思いやりを踏みにじって、叫んでいる。
許せない。受け入れられない、と。
俺は浅ましいのだろうか。
それでも、彼らが血を流している時に、安穏と何も知らず平和に暮らしてなど、いたくなかったし、いられなかった。今も同じだ。
前と違うのは彼らがなぜそうしたのか分かっている。それだけだ。
詰まっていた息を、意識して吐き出す。
目尻ににじんだものは、根性で引き戻した。情けないにもほどがあるぜ。しっかりしろ。これがムウの出してくれた精一杯のカードなら、最大限に活かせ。それこそがムウに応える道だ。
わがままな泣き言が、今、何の役に立つってんだ。不抜けてんじゃねえ。
俺のやるべきことはなんだ。
限界まで吐き出して、吸った息を、また言葉にして吐き出した。
「……急ぎなら、送ってくれるか? アンドロメダ島まで」
「ええ、もちろんです」
ムウはどこかで見たような痛みを含んだ気配を漂わせていたが、即答した。
それに安心して、紫龍と瞬を振り返る。
「俺は行ってくるけど、お前達はどうする?」
「訊かれるまでもないよ。星矢が前に言っていたことだろう? ダイダロス先生ほどの方がまさか、と思っていたけれど」
「もちろん行くさ。お前達だけに背負わせるわけにはいかない」
苦悩のにじんだ表情の瞬が途中で言葉を切る。そのまま唇を噛んで、首を左右に振った。瞬にしてみれば、信じがたいのだろう。
その瞬の背をぽんと紫龍が叩いて、俺にしっかと頷いてみせる。
よし、なら行くか。
俺は笑った。
「出陣だ!」
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