叫ぶと同時に、外へ出ろと手振りで示した。
息を止めろと叫んだほうが良かったんじゃないかとも思ったが、もう叫んじまったものはしょうがない。
皮膚呼吸があるから、息を止めたって無駄かもしれないしな。アフロディーテとは直接戦ったことがないから、そこへんが曖昧だ。
俺が叫んだ直後、瞬と紫龍はそれぞれドアと窓からバッと飛び出した。
ダイダロスも聖衣を装着し、わずかにずれたタイミングでそれを追う。俺達は聖衣姿でここに来たからな。少しだけダイダロスより早く動けるわけだ。
俺も、一番反応の遅れたジュネさんを抱きかかえて、窓から飛び出した。
海に向かって真正面に立つダイダロス。
その右斜め後ろに紫龍と瞬。
そこに、ジュネさんを後ろに置いて俺が並ぶ。
俺達の目の前に、目に突き刺さる陽光を背後に従え、自らも光り輝くような戦士が立っていた。
双魚宮を守る、黄金聖闘士。
―――
ただの立ち姿さえ、太陽を、海を、砂浜を、従えているような鮮烈な美しさだ。
逆光が表情を消していたが、目が慣れればうっすらと微笑んでいるのが見える。満月の輝きを紡いだ金髪、一滴の紅を溶かしこんだ白磁の頬、形よくすっと通る鼻筋、双眸には透き通った紺碧が宿り、長い睫毛のもたらす目元に落ちた深い陰影は、神秘的ですらあった。
だから―――
「あれでも本当に男か?」
俺が、前回と同じ感想をついもらしたのも、やむを得ないんじゃないだろうか。
いかん。口が滑っちまった。右手で、口元を押さえる。この思ったことがすぐ口に出る癖は、直すべきかもしれない。正直は美徳ではあろうが、口に出していい時と悪い時があることくらいは知っている。
「せ、星矢、何を!?」
同じ女顔だからか、瞬が慌てる。
安心しろ。お前には言わない。今のだって、ついうっかり口が滑っただけだ。
怒ってないといいんだが、と、そろりとアフロディーテを見やったが、こちらを一瞥して、鼻で軽く笑っただけだった。
なんか、すごくむかつくな。あれ。
瞬でさえ、正面切って言えば、怒るようなセリフを、あの手のプライドの高そうな男が怒らないわけはないと思ったんだが、無視することに決めたようだ。
「ダイダロス、君に聖域から召喚命令が来ている。従うか否か。答えよ」
「
「教皇は
「
アフロディーテの朗々たる命令を、ダイダロスは固い意志を感じる声で静かに跳ね返した。
手を出していないだけで、交わす視線はもう闘いを始めている。
アフロディーテの赤く艶めいた唇が、すうっと弧を描いて、両端がつり上がった。
苛烈さの噴き上がる微笑だった。
「ならば、死ぬがいい」
■■■■■■
瞬時に二人の姿が消えた。
と見えたのは、もちろん錯覚。実際は、高速で移動しただけだ。
あまりにも急加速だったので、残像にだまされたのだろう。紫龍と瞬が首を巡らせていた。
腕を持ち上げて指し示す。
「あそこだ。なんか口をはさむ間もなく始まっちまったな」
ちょうど、俺達がこの島に降り立った場所付近に二人は移動していた。
たちのぼる水煙。
えぐられる地面。
岩は砂と砕け、木々は木片をあたりにばらまいている。
「先生……」
二人の闘いに、瞬は真剣に目を凝らしている。
ちゃんと見えているのか、それとも見ようとしているだけなのか、これだけじゃさすがに分からんな。
紫龍は、間を見計らっているようだ。生真面目な顔つきは厳しく引き締められ、目つきは鷹のように鋭い。こちらも見えているのか見ようとしているだけなのか、よく分からん。
「おぉ、すげえ」
俺はぽつりとつぶやいた。
アフロディーテの一人勝ちになると思いきや、ダイダロスは思いのほか善戦している。
互いの拳の威力は負けてない。速度はアフロディーテのほうが早いようだが、攻撃のさばきかたはダイダロスに一日の長があるようだ。
と言っても、ダイダロスの不利はくつがえせない。
実力が対等なら、聖衣の違いは圧倒的な差になる。どうしたことか、ダイダロスの聖衣は、胸部を中心にひび割れ、もはや鎧の残骸なのだ。
何かがあったことは間違いないが、今、重要なのは、それがどう勝負に影響するかだ。もちろんマイナスにしか影響しないに決まってるが。
もちろん俺は最初から全部見えている。動きの全てを認識できている、という意味でな。
相手の聖衣のみすぼらしさを鼻で笑ったアフロディーテの右拳が、風を巻いて襲いかかった。
ダイダロスは受け流し、逆に一手返す。そのまま左足を狙って突っかけに行くが、これをアフロディーテは身を傾けて逃れた。
胸に振り下ろされた掌を、ダイダロスは左肘を上げて払いのける。
アフロディーテが、肩にかかろうとする腕を振り払おうとした。その動きを待ってダイダロスは掌を返す。腕にそって顔面へ迫る掌撃を、アフロディーテは反撃を中止して飛び退いて避けた。
力強い小宇宙の乗った掌風が、アフロディーテの見事な金髪を数本散らして、光にきらめかせる。
喝采の声を上げたいほどの立ち会いだ。
純然たる実力ならアフロディーテが上かもしれない。絶頂期の肉体のみが持つ強靭さだ。ダイダロスは、それを経験のもたらす技巧で補っている。
だからこそ、聖衣の差が出てくれば、ダイダロスの負けだ。
ダイダロスの攻撃ではアフロディーテにさしたる傷をつけられない。逆にアフロディーテの攻撃を、一度でもまともに食らえばダイダロスは動けなくなるだろう。
そろそろ割り込もうと、一歩踏み出しかけて、妙な違和感に気付いた。
あれ、おかしいな。
目の前では激しく入れ替わる攻防が繰り広げられている。
何がおかしいのか、分からないが、何かがおかしい。
大事なことを忘れていると脳の隅でのささやきが、足を前に進ませてくれない。おい、進め俺の足。
中途半端な姿勢で止まってしまっていると、後ろから声が掛かった。
「待って、星矢」
「なんだよ、あんまり待ってる時間はないぜ。それともお前が行くか?」
「そうだね。できるならそうしたい」
意外な発言だな。
振り返った。
「お前が?」
「そう、僕が」
瞬は断言し、焦りをにじませた表情で
眼差しは戦う二人に向けられている。
「でも、星矢。僕には分からない。行っていいのかどうか」
「……なんで?」
「先生はご存知でいらっしゃった。覚悟の上で戦っているんだ。僕は……先生に死んでほしくはないけれど」
「なら行けばいい。ここでダイダロスが殺されるのは間違ってる」
「でも、それは先生の意思を無視してはいないだろうか。すべてを承知で、先生はここにおられたんだ」
「死んだら、先生の意思とやらを無視することもできなくなるぜ」
そりゃ「最善」があるなら、そっちを選ぶだろうが、「まだしもマシ」しかないんだ。贅沢言うな。
この際、先生の意志は無視しろ。
そもそも意思確認なんかしてないんだ。邪魔するなとも言われてない。何を気にすることがある。
これを見て、手出ししないほうが問題あるだろ。
「だいたいアフロディーテが、俺達がここにいて、明らかにダイダロス側なのに仕掛けたのは何でだと思う」
「それは……」
「舐められてんだよ。おもいっきり。俺達が手出ししてもどうってことないってな。ここまで舐められてお前平気なのか」
進まぬ足を反転させて、向きなおる。
瞬自身は平気かもしれない。力に対して潔癖、というより、力を誇るということをしない、むしろ嫌がる男だからな。
だが、瞬の手出しを軽く見る、ということは、間接的に瞬を鍛えたダイダロスを軽く見る、ということだ。
それでいいのか。本当に。
「それに、どう考えても聖衣がぼろぼろなダイダロスのほうが不利だろ。あれで公平と言えるかよ。何があったんだか」
惜しい。どう考えても、ダイダロスはもっと対等な勝負をできる実力があるはずだ。明らかな不利に、憤慨交じりの疑問がこぼれる。
とたんに、瞬が顔をぱっと伏せた。なぜだ。あれだけ二人の戦いを注視していたのに。
どうにも後ろめたい気配を漂わせる動作だった。いったいお前は何をした、という胡乱げな目になったのも無理ないだろう。怪しいんだよ。態度が。
しかし、寛大な俺は追求しない。したくはあるが我慢する。
だって、チャンスだからな。
「いいか、聞け瞬」
「なんだい?」
目に見えて、瞬がぎくりとした。
そう警戒するな。
にこやかな表情を浮かべて、話しかけると、さらに身を引いた。なんて失礼なやつだ。でも、今は見逃してやる。俺は寛大だ。少なくとも優先事項がある時は。
「弟子のけんかに師匠が手を出したら反則だが、師匠の勝負に弟子がでばるのは、露払いって言って許されるんだぜ」
「……そんな理屈、初めて聞いたけど」
ごちゃごちゃ言うな。
行ってこい!
俺が拳を握ったのを見て、瞬は無言でかけ出した。行く先はむろん師匠のもとだ。
最初っからそうしてろっての。
本当は割り込みたくてしかたなかったくせに、面倒なやつめ。
「親切だな。お前は」
紫龍が、笑みを含んだ声をかけてくる。
うるせえな。分かってたんだったら、お前も動けよ。
じろりとねめつけると、紫龍の笑みはさらに大きくなった。
不可解だ。
思わず戦況を忘れて、かつての紫龍と今の紫龍の違いに思い悩みそうになった。前はもうちょっと紫龍を理解できていたと思うんだけどな。何が違うんだろう。
渦巻く思考は、俺に答えを返してこない。ううむ。
分からないなら、しかたない。
紫龍を理解するのを諦めて、戦況に目を戻せば、師弟が争っていた。
何やってんの。お前ら。
呆れて耳を澄ました。
「下がれ、瞬。これは俺の戦いだ」
「承知しています。ですが、弟子である僕を倒せもしない者と先生が戦われる必要はありません。露払いをつとめさせてください」
ダイダロスは苦い顔つきになった。
ごちゃごちゃ言ったくせに、露払いを口実にしっかり使ってるな。瞬のやつ。
それにしても、似合わぬ物言いだ。けしかけた俺の言っていいセリフじゃないが、優しげな虫も殺せそうにない顔で言うことじゃないぞ。
しかし、瞬が自分から戦いに行くのは珍しい。つまり、喧嘩を売られたことはあっても、自分から売ったことがないもんだから、売り方を分かってないんだろうな。それなら、あれでも上出来か。
感心しながらアフロディーテを見れば、優越を浮かべた微笑でわざわざ手を止めてやっている。
「フフッ、美しい師弟愛ではないか。だが、師の言うことは聞くものだ。無駄に命を落としたくないのであればな」
投げかけられた言葉は、己の絶対的優位を疑わぬ傲慢さだ。
行け、あの余裕ヅラを歪ませてやれ、瞬。
俺の応援に反して、ダイダロスは瞬に引き留める言葉を掛けた。
「ならぬ」
「先生!」
「お前にはお前のなすべき使命があるはずだ。ここではなく、別のところに」
では、ダイダロスの使命はここで散ることか。
聖闘士としてこれまで戦い、傷を負ってきたはずだ。
多くの弟子を育てあげ、聖衣を与え、独り立ちさせてきたはずだ。
ここまで
それでいいのか。
握りしめた拳が震える。怒りだった。
―――それでいいはずがない。
ダイダロスはそれでいいのかもしれない。受け入れて納得しているのかもしれない。だが、それでも、
だから、俺はここにいるのだ。
「お前の力は、
「いいえ、先生。ここで先生を見捨てることが、
ダイダロスは諄々と説く。
瞬は言い募る。
それに冷たく水を差したのは、アフロディーテだった。
「そろそろ三文芝居は、幕切れにしてもらおうか。私とて暇なわけではないからな」
「……あなたは」
「どうしても犬死にが望みならば止めはせぬ。待つ理由も、もはや、ないようだ。一気に決めさせてもらう」
言葉が終わるか終わらないか、ずっと淡く漂っていた甘い香りが急速に強くなる。
それで、ようやく、俺は思い出した。
違和感の理由を。
アフロディーテの本来の牙を。
俺は、忘れていたのだ。
紫龍や瞬と肩を並べて戦う、この感覚があまりに懐かしかったから。
どうしようもなく、忘れていた。
ようやく大事なことを思い出した。
アフロディーテの攻撃は、あんなものじゃない。
先程までかすかだったのに、むせ返るほどに甘く香る薔薇の気配。
アフロディーテは、双魚宮の守護者、
その本領を発揮しようとしているのが、分かる。小宇宙を読み取るまでもない。
相手の高まった小宇宙に、それを知らぬ瞬も己の小宇宙を燃やし、
だが、防げない。分かっている。
ああ、どうして俺は!
「だめだ。瞬、留まるな!」
いつだって、間に合わない。
ちくしょうめ。どんだけ忘れやすいんだ俺は。
うっかり見入るんじゃなくて、さっさと手を出すべきだったのに。
アフロディーテがいつのまにやら構えた赤薔薇から、恐ろしいほどの小宇宙が溢れ出た。
「せめてもの手向けだ。師弟仲良く苦しまずに逝くがいい」
意識の霞むような香りが、甘くも濃く広がっていく。
紫龍が苦しげに顔をしかめ、ひざをついた。両腕を地面について身体を支えようとしているが、力が入らないのだろう。震えている。
ジュネさんは女聖闘士のマスクのためか、まだ立っている。あのマスクに防毒効果があってよかった。だが、呼吸音が聞こえるほど息が荒くなっているところを見ると、長くは保たないか。
かなりの距離があるのに、これだけ影響を受けるとはな。舌を巻かざるをえない。アフロディーテの力量を見誤ったか、あるいは、いや、考えてる暇はない。瞬とダイダロスの危機だ。
アフロディーテの小宇宙が爆発的に高まる。
いかん、間に合うか。
「さらばだ。ロイヤル、デモンローズっ!」
IF偽与太予告
文字を透明にするタグがあるのを先日はじめて知りました。余分な後書きは見たくない方のために、以後、後書きは透明に……する、かも。
いえ面倒になりそうなので、するとは断言できないんですが。
「させないでヤンスよおぉぉぉぉっ!」
その男。 ヒーローのごとく現れた。
その名を、星矢達は知っている。
よく、知っている。
「てめ、市!?」
「逃げてくれ、市!」
星矢が驚きのあまり名を呼べば、瞬は逃げろと警告を発した。
モヒカン男は二人を無視してポーズをとった。
なめらかにして流麗。
あでやかにして華麗。
磨きぬかれたパフォーマンス。
最高に市は輝いていた。
「この、市様が来たからには、みな、もう安心ザンスよ!」
パチリとウインク一発。
キラリと光る白い歯。
シャランと頭頂部のモヒカンポニーテイルが揺れる。
「うぜええええええぇっ!」
星矢はキレた。
近来まれに見るうざったさだった。
「……うわあ」
瞬はドン引きした。
近来まれに見る勘違いっぷりだった。
「……………………………………」
紫龍は他人のふりをした。
近来まれに見る身内の恥だった。
しかし、一言一句違わずに、市の言ったとおりであった。
彼は見事にアフロディーテの攻撃を防ぎ、倒れたダイダロスとジュネを救い、勝利に大いに貢献した。
しかし。
そう、しかし、だ。
彼の名が勝利の歴史に刻まれることがなかったのは、不幸ながらも、当然といえよう。
後に神の座に足をかけることになる某天馬座の聖闘士はこう証言した。ねえよ。あれはさすがに。
後に神に運命を翻弄されることになるアンドロメダ座の聖闘士も同調した。あれを記録に残したら、いくらなんでもアフロディーテが気の毒です。
後に神と対峙することになる某龍座の青銅聖闘士は追撃した。むしろあれを記録に残せると思うのが間違いだ。
「何でザンスかああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
理由を理解できない。
まさにそれが理由である。
次回「きらめく道化は眠らない」
砕け! 教皇の野望を! ペガサス流星拳ーーーーっ!!!
.(初期構想では、本当に市は大活躍する予定でした)