リセット   作:エイ

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今ひとたび己の星を

「うぅうおおおおおおおぉぉっ!」

 

 吠えながら、カシオスが掴みかかってくる。その腕が俺に届く前に眉間めがけて拳を放つ。むろん手加減はしている。

 たとえ、今ここにカシオスが生きているとしても、カシオスの死に様を覚えている身としては、以前のように容赦なくなぶる気にはなれない。

 誰のために何のためにカシオスが命を散らしたか、俺は知っているのだ。

 六年分の貸しもあるが、それ以上にでかい借りがあるってことだな。

 勢いを殺いだところで距離を取って、流星拳で終わらせる……つもりだったんだが、ここで予想外なことが起こった。

 

 予想外なこと=壁にめり込んだカシオス。

 

 ―――っ!? なんでそうなる! 避けるか受けるかしろよ!

 ……もしかして、今の、手加減ミスったか……? 音速マッハ超えてた……かもしれないような……気がしなくもないような……。

 めり込んだカシオスは通常の動きにあらざる……具体的に言えばひくひく痙攣けいれんしている。絶命寸前のゴキブリのようだ。

 ……う、動いているなら生きてる。生きてるなら、大丈夫だ! カシオスは頑丈だし、きっと大丈夫……だよな!

 

 俺は冷汗をかきながら、ふと人体における攻撃目標を思い浮かべた。

 魔鈴さんとの修行の日々。死ぬかと思うほどきつかった鍛錬、寝たら次の組み手が地獄になるある意味決して油断できない講義。曰いわく―――。

 ―――いい、星矢。鍛えられない人体の急所はおおよそ頭部に八、胸部に七、その他に九、このうち重要なのは狙えば一発で相手を殺せる箇所さ。

 ―――すべて知っておかないと、効率的な攻撃も機敏な防御も有効な反撃もできないわ。よく覚えておくんだよ。

 

 当然、次の組み手で座学は実践される。

 つぶれよとばかりに容赦なく狙われる双眼。落ちよとばかりに微塵も迷いなく攻撃される頚椎。喉仏。心臓。思いだすと今でも身震いが出るぜ。よく生きてたな俺。

 一発で相手を殺せる箇所ってのは、当然のことながら守りも固い。そこを突くためにまず狙う肩口、肘後部、上腕骨。

 相手の足を止めるための膝、脛、かの有名な英雄アキレウスの名を冠されているアキレス腱の足首、足の甲。

 金的は、納得いくことに警戒が強いので、奇襲でもされない限りは特に問題ないが、下腹部の膀胱には神経の束があるので、そっちには警戒しなきゃならない。……本当に、よく生きてるな俺。

 

 思わず自分の生存に感動しそうになったところで正気に戻った。所詮(しょせん)は逃避だ。

 だがどうしようもないことってのが世の中にはあるものだ。強く生きろよカシオス!

 

 激励を心の中で密かに送り、回りに注意を払えば、やたらと凝視されている。雑兵どもは馬鹿なと眼を見開きひそひそとざわつき……、これはまあいいんだが。アイオリアは驚嘆とどこか嬉しげな光を眼にやどし、ミロは愉快そうに戦意を秘めた笑みを浮かべ、カミュも感心したような表情になって……三者三様の熱い視線が重圧となって伸し掛かってくる。黄金聖闘士とまでなると、存在感だけで空気を支配し人を圧倒できる。視線の圧力も押して知るべし、物理的なまでの力を持っている。

 平服なこともあってか先ほどまでは曲がりなりにも抑えていた力を、惜しげもなく視線にこめてきた。

 魔鈴さんのやんわりとした物問いたげな視線や、シャイナさんの警戒と憤怒のまじったきつい視線もまったく気にならないのはそのせいだ。

 あとで喧嘩を売りにくる身としては目立つのはまずかっただろうかと少し悩んだが、やっちまったものは仕方ない。

 とりあえず、これで俺が聖衣を手に入れたことになるはずだと、段上の法衣を見上げた。

 

女神(アテナ)は星矢を新たなる聖闘士と認めた! ここに聖闘士の証である聖衣を授ける!」

 

 芯の通った鋼のような声が、俺に聖衣の授与を告げる。

 はじめて聖衣を授かった時にははしゃいだが、今は落ち着いている。勝って当たり前の実力の違い過ぎる勝負で、しかも手加減を間違えたのだ。恥じ入りこそすれはしゃげるはずもない。

 無言のまま進み出て、声の元を仰ぎ見た。太陽を背にしているため、シルエットしか見えない。考えを、読めない。

 

 それはそうと、考えてみれば、この男まで含めて、この場には黄金聖闘士が四人もいるわけだ。

 お前ら、実は暇なのかよ?

 黄金聖闘士十二分の四だぞ。つまり三分の一がここにいるってことだぞ。教皇の振りをしているサガはともかく、前も見に来てくれてたアイオリアもいいとして、ミロとカミュは何でここにいるんだ?

 いていいはずは……ない、よな。この距離なら、聖域に何があろうと即座に対応できる自信があるからであって、暇だったから見に来ただけだなんてことは……そんな迷惑な気まぐれを起こしただけだなんてことは……。

 いや、これ以上、考えるのはやめとくか、と俺は頭を振った。

 

 そういや、回りがやたらと大人しいな。前は、星矢めだの、くそっだのと負け惜しみが露骨に漏れ聞こえていたのに、今はひそひそがやがやと溜息を殺すようなざわめきしか聞こえない。

 向けられる強烈なまでの視線のほうに、俺の意識が集中しているからそう感じるのかもしれないが。

 

「なお、星矢に忠告しておく。聖闘士は神話の時代より女神(アテナ)を守護し正義を守ってきた……。その聖衣も正義を守るためにのみ身にまとうのだ。決して私闘や私欲のためにまとってはいけない」

 

 一拍の間。

 

「もし、この掟にそむき聖衣をけがすようなことがあれば、このギリシアはおろか、世界中にいる女神(アテナ)の聖闘士がお前を滅ぼしに行くだろう。それを忘れるな。星矢よ……」

 

 女神(アテナ)の聖闘士、か。最もそれを口にする資格のない者はお前じゃないのか、サガよ。

 苦いものが胸に満ちる。俺はサガを憎んじゃいない。恨んでもない。

 だが、どの(ツラ)さげてそんな言葉を吐けるのか、と思う。

 同時に、言わねばならぬ苦衷はいかばかりか、と思う。

 苦痛の生から解放してやりたいのか、あるいは偽りの正義を砕きたいのか、どこからか湧く衝動をこらえ、俺は、いずれ敵として再会するだろう男から聖衣を受け取った。

 晴れわたる蒼天は下界の争いなど知らぬがごとく高く広く、どこまでも遠い。同じ色をしているはずの男の眼は仮面に隠され、蒼天よりさらに計り知れぬ―――遠い。

 

 あっけない試合と同じく、聖衣授与もあっさりと終わった。

 

 三々五々と人が散っていく。

 その中には、シャイナさん一党の姿もある。すでに担架で運ばれたカシオスのもとに行くのかもしれないし、俺への夜襲相談でもするのかもしれなかった。

 黄金聖闘士三人は最後にそれぞれの感情をこめた複雑な一瞥をくれ、各自別れていく。

 ようやく突き刺さらんばかりの視線がなくなったことにホッとしつつ、俺も聖衣をかつぎあげてその場を離れた。ぶっちゃけ眼をつけられたかもしれんと思わなくもない。勘違いであることを祈るばかりだ。

 だけど、俺、悪運は強いけど幸運とは言いがたいんだよな。

 

 

 ■■■■■■

 

 

 

 さて、聖衣を受け取り、魔鈴さんの家に戻った俺は手荷物をまとめて夜逃げの準備をした。

 さっさと夜逃げしないと面倒なことになるからな。

 明るいうちはあちらも手が出せないかわりに、俺も逃げにくいので、闇に紛れるべく星が瞬きはじめる時間まで待たなきゃならない。

 

 適当な時間に、まとめおわった荷物をかつぎあげる。荷物と言っても、着替えはすでに済ませてあるので些少の金と水、そして聖衣だけだ。

 後は、魔鈴さんに……話しておかなきゃならないよな。やっぱり。

 俺が見ているのに気づいたのか、無言で何事か考えていたらしい魔鈴さんは振り返った。

 

「行くのかい。星矢」

「ああ、シャイナさん達がこのままだと黙ってないだろ」

 

 条件反射的に返事をして歩みよる。

 何も魔鈴さんは訊かない。だけど、それに甘えていられない。もしかしたら誤解を与えてしまうかもしれないこれからの己の行動について、何も言わずに行くことはできない。魔鈴さんにそんなことはしたくない。

 

 それに、敵にまわられる可能性はなるべく減らしておきたいからな。

 前回でも魔鈴さんはなぜか全般的に俺の味方をしてくれていたから大丈夫だとは思うけど、万が一ってこともある。

 世の中は何が起こるか分からない。

 なんせ、あの、お嬢さんが女神(アテナ)で、この、俺が過去に巻き戻っているのだから、これ以上の証明はない。説得力がありすぎるぜ。

 そう、世の中は何が起こるか分からないのだ。

 だから。

 これだけは言っておかなければ。

 

「魔鈴さん、俺がこれから何をするとしても、信じてほしい。俺は女神(アテナ)に剣を向ける者じゃない」

 

 眼を見る。仮面の下の双眸を見つめる。

 仮面に隠された素顔を今の俺は知っている。

 普段の態度からは考えもつかない優しげな風貌を見たことがある。

 

「俺、は―――」

「―――いいよ。誰の師匠を六年もやってきたと思ってるんだい。お前は長年手塩にかけた私の弟子だ。嘘をついたり、人を謀るような奴じゃないことは分かってるさ。お前がそうまでも言い濁すことなら、それは、少なくとも今は言えないことなんだろう」

 

 言葉を継ごうとした俺を制して、淡々と紡がれた言葉に思わず絶句する。

 俺の態度から、こんなこともあろうかと予測していたんだろうか。あまりに静かな口調だった。

 

「お前がもしも聖域に反逆しようものなら、私の命だけじゃ償えない。それでも、お前が女神(アテナ)に背を向けるわけじゃないと言うのなら、信じてくれと言うのなら、私はお前の敵にはならないよ。私の眼はお前を疑うほど曇ってやしないさ」

 

 素っ気ないほどにあっさりと、望む答を魔鈴さんは俺の手の平に転がしてよこした。

 知らず眼から何かがこぼれる。熱くとめどないそれは俺の心に一滴の誓いを落とす。

 ―――決して、この信頼を裏切ったりしない、と。

 

「……行くよ。また。魔鈴さん」

 

 別れを告げる。それ以上の言葉は必要ないと分かったから口にしない。

 外には、雑兵どもの殺気だった気配が立ち現れ、だんだんと増してきている。これ以上ここに留まるわけにはいかない。

 感謝をこめて、ニコッと笑いかけ、俺は外へ飛び出した。

 

 小動物の密やかな息がそこかしこに感じられる聖域の夜の静寂は、たゆたうような昼の熱から急速に冷めようとしている。雑兵どもの気配は、その中でも目立つ。わざとかと言いたくなるほどだ。

 夜襲だってのに、お前ら隠す気ないだろ。それとも舐められてるのか、これは。

 いい度胸だ、と俺の口元に笑みが浮かぶ。魔鈴さんに向けたものとはまったく違う笑みだと、自分でもはっきりと分かる笑いだった。

 

 魔鈴さんが、出て行く俺の背に何かを言っているのが聞こえた。聞かせる気はなかったのかもしれない。よく聞き取れないほどの声だった。

 ぶっちゃけ俺は、外のこととこれからのことに頭が飛んでいたので、聞こえてはいたが、音の羅列としてしか認識しちゃいなかった。実に悔やまれることに。

 後悔ってのは、後で悔いるとはよく言ったもんだぜ。

 

「星矢、お前、女聖闘士の仮面の下を見るということが何を意味するか知っているのかい?」

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