リセット   作:エイ

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それぞれの出立

 カミュの話はすぐに終わった。

 氷河を城戸家に残さず、五老峰に同行させてほしい、と言われただけだったからだ。

 わざわざ連れ出す必要もなかっただろうに、もしかして、これは困った俺に助け舟を出してくれたんだろうか。分からんが、とりあえず感謝しとこう。

 

「氷河を、五老峰に連れてきゃいいんだな」

「うむ」

「俺としては、沙織さんの守りに当てておきたいんだけど」

「無意味だ。聖域にはまだ女神(アテナ)の存在は知られていないのだろう。刺客の心配は薄く、仮に来るとしても、残る者で対処できる」

 

 言い切るな。

 何か、理由があるんだろうか。

 

「ここには青銅聖闘士しかいない。いまや聖域の実効支配者たる教皇が、初手から白銀聖闘士や黄金聖闘士は動かせん。面子というものがある。臆病風と見える行動は取らぬはずだ」

女神(アテナ)に対しても、か?」

「それこそ公にはできん。女神(アテナ)女神(アテナ)神殿の奥におわすことになっているのだから」

 

 カミュはわずかに目をすがめた。

 なるほど。教皇が、刺客を送り込むためには理由が必要だ。だが、女神(アテナ)をその理由にすることはできない。そして、女神(アテナ)という理由もなく、黄金聖闘士や白銀聖闘士は動かせない。よって、少なくとも最初に来るなら青銅聖闘士だと。それなら、屋敷に残る者達で対処できる、と。

 あいつら、信用されてるな。俺が戻ってくる前に一体何があったか聞きたいくらいだ。

 だけど、それは氷河を城戸家に残す理由がないと説明しているだけだ。一緒に五老峰に行く理由にはなってない。

 

「氷河と一緒なのは別にいいんだが、何か老師に用事があるのか?」

「いいや、あるのはお前に、だ。星矢よ」

 

 俺か。

 なんだろう。

 俺は、首を斜めにかたむけた。

 

「私は氷河を厳しく育ててきた。これ以上ないというほどに」

 

 ……うん、知ってる。

 と言うより、扱いで察した。シベリアで垣間見た扱いだけでも、厳しすぎるほどに厳しかった。

 思い返すだけでげっそりした俺を、気にも留めずに語るカミュの声は、どことなく優しい。

 

「聖闘士としての実力をつけさせるためだけではない。誇りを育てるためだ」

「誇り?」

「そうだ。星と女神(アテナ)に選ばれた者だ。氷河には強くなる素質があった。力だけで良いのならば、もっと早くに聖衣を与えられる水準に達しただろう。だが、正しく力を振るい、決して歪まぬよう、どんな目にあっても怖じることなく立ち上がれるように導くのが師の役目だ」

 

 言いたいことは分かる。

 だが、なぜ、それが生死の境目を何度も見るようなスパルタになるんだ。

 俺の苦悩を、気にも留めずにカミュは続ける。

 

「私亡き後は、自身で己を導かねばならん。そのために誇り高くあらねばならない。あるべき己自身の姿、かくあるべきとの誇りこそが、道を照らす星となる」

 

 一旦、言葉を切り、俺の目を覗きこんだ。ざわりと胸の奥が波立つ目つきだった。

 良くも悪くも、カミュは俺に何かを見ている。カミュにとって重大な何かを、見ようと、している。何なのかは分からん。それを俺が知るべきなのかどうかも分からん。

 

「これだけ辛い思いを、これだけきつい境遇を、これだけの修行を他の誰がしているか、否、していない。だから、負けるはずがないという勝利に対する信念と誇りは表裏一体だ。お前にはそれを完全に打ち砕かれた」

 

 否定できない。

 でも、謝らないぞ。俺は悪くないし、謝ったところで何か良くなるわけでもない。

 

「敵であれば、信念を保ったまま、相手を葬り去るべく奮い立つこともできたろう。屈辱を噛み締めながらな。だが、お前は味方で、しかも氷河の弟だ」

「知ってたのか」

「氷河が目覚めた後に話してくれたのだ。お前について質問したからな」

 

 あれ、あいつ忘れてたんじゃなかったか。

 思い出してくれたのか、悪口を言ってないだろうな。

 ああ、裏切られると、人間、疑い深くなるものだ。

 

「ゆえに、氷河はお前に対する感情を、溜め込んだまま、どこにも発散しようがないのだ。本人は、悔しいだけだと思っているようだがな。フッ、未熟者め」

 

 ほんの少しカミュの口調がゆるむ。特に、未熟者のあたりが。

 あれか、不出来なところも可愛いってやつなのか。スパルタ教育は、獅子は我が子を突き落とすあれなのか。でも、崖から這い上がってきたのをまた蹴り落とす方式は、愛情ではなくいじめだと思うのは、俺だけじゃないよなあ。

 それにしても、着地点がさっぱり見えてこない話だぜ。

 氷河と一緒に五老峰に行ったからって、解決するもんなのか。それ。

 

「むろん、氷河の惑いは氷河にしか晴らせん。だが、その原因として、少し協力してやってほしい」

 

 言い方が、頼みのふりしたほぼ強制じゃねえか。

 まあ、でもいいぜ。迷いは拳に出る。ほんの少しの小さな迷いが、戦いにおいては非常に大きく拡大されて、明らかな違いとなって目に映る。味方の目にも敵の目にも。

 本当に大したことないものであっても、小さな意識のずれが恐ろしいほど身体に出る。それは、俺達みたいな命を掛ける者にとって、致命的だ。

 氷河を死なせるために、シベリアに会いに行ったわけじゃない。

 

「責任持てないぞ」

「分かっている。感謝するぞ、星矢」

 

 うん、それは別にいいんだけどな。なあ、カミュ。あんた……実は、弟子大好きなのか。

 その笑い方は、初めて見る。安堵が薄く広がって、そのまま自然に氷が溶けるように頬が少しだけ緩んだ、そんな顔だ。

 すぐに元に戻ったけどな。

 ああ、こんな師弟が、前回は殺しあったのか……。

 俺は、ため息を付いた。誰のせいでそうなったのか、考えれば考えるほど、許されるべきではない理由が増えていく。許すべき理由を見いだせない。

 それでも、許されてほしい、と思うのは、甘いんだろうか。

 ……サガ。

 

 

 ■■■■■■

 

 

 

 俺は、考えを切り替えた。

 ダイダロスの死を経なければ、瞬が戦う覚悟を持てなかったように、氷河が先に進むためには、カミュとの死闘は必須だったのだ。

 さらなる聖戦を、神との戦いを乗り越えるために。

 

 この考えを突き詰めると、つまり、今、氷河にはそれが足りてないということになるが……いや、うん、でも、そのあたりは、自分でどうにかしてもらわなきゃならん。

 もちろん、できることなら手伝うけど。叩きのめしたりとか、打ちのめしたりとかは得意なんだが、メンタルケアは専門外だからな。そこは手助けできなくくてもしょうがないよな。

 視界に、紫龍が入った。近づいてくる。

 

「星矢、まだいたのか」

「いちゃ悪いのかよ」

「悪い。そういうつもりじゃない」

 

 軽く手をふって、紫龍はいなした。

 絡むつもりはないので、俺も流した。

 

「だが、アフロディーテは既に出立したぞ。お前は行かなくていいのか?」

 

 は?

 聞いてないぞ!

 俺の驚きように気圧されたか、紫龍も目を丸くする。

 

「もしかして、知らなかったのか?」

 

 その通りだ。

 どこへ行った。目的地によっちゃ、危険きわまりない。

 まさかとは思うが、聖域に戻ったんじゃあるまいな。

 

 俺の眉根が寄ったのを見て、紫龍は話を切り上げた。手をふって行けと示してくれる。

 気の利くいい兄弟を持ったものだ。肝心なところで、空気を読んでくれないけどさ。

 

 

 ■■■■■■

 

 

 

 お嬢さんにひとまず相談しに行くと、心配するなと告げられた。

 

「彼は、己の運命を正しに行ったのです。決意は固く、止められませんでした」

「だが……!」

「けれど、約束をしてくれました。決して、命を無駄にはしない、と」

 

 じゃあ、聖域じゃないのか。

 アフロディーテにとって、一番危険なのは聖域だ。二重の意味で裏切り者になったアフロディーテを、教皇は決して許すまい。前回のアイオリアの(わだち)を踏ませてなるものか。

 だから、もし行き先が聖域であれば、手足の一、二本はちぎってでも止めねばならないと思ってたんだが、命を無駄にしないと断言したなら別の所だろう。そう、信じたい。

 だが、無駄にならないならば捨ててもいいと考える奴らが多いんだよなあ。聖闘士って。

 ああ、心配だ。落ち着きなく室内をうろついてしまう。

 うーん、本当に放っておいていいんだろうか。

 悩んでいる間に、気づけば沙織さんも、いつもの冷静な面に少しだけ不安を刷いていた。

 いかん。アフロディーテが心配だからって、俺が沙織さんに不安を与えてどうすんだ。

 

「なら、いい。アフロディーテを信じる。俺も行かなきゃいけないしな。氷河も連れてくからよろしく」

「え、氷河を?」

「カミュから頼まれたんだ」

 

 手早く事情を説明し、了承をもぎ取ると、俺は氷河を連れて屋敷を出た。

 飛行機の手配?

 要らない要らない。自分の聖衣以外の荷物はないし、連れて行くのもセブンセンシズに目覚めた氷河だ。ちょっとテレポーテーションに失敗したくらいで死んだりしないだろう。

 目覚めてなかったら、そりゃ手配を頼んだと思うが、俺は氷河を信じる。目覚めてる、よな。あの時、掛け値なしに本気の俺の攻撃を受けても、死ななかったもんな。多分きっと大丈夫。目覚めてなかったらごめん。

 

 

 ■■■■■■

 

 

 

 俺は、山のてっぺんに立っている。

 月が非常に大きく見える。吐き出す息は白く、見下ろせば雲があり、そして、隣には不機嫌顔の凍えそうな空気を出す金髪碧眼の連れがいる。つまり、氷河だ。

 すまん。泣き言を言わせてしまうほど、危険がある場所ばかり飛んでしまって、本当にすまん。

 

「なんで、飛行機にしなかったんだっ」

「ああ、うん、悪いとは思ってるんだぜ」

 

 でも、ほら、飛行機から降りて、老師のところまで行くのに、道案内で紫龍が付いてくるかもしれなかったからさ。ただでさえ危険なんだ。今は特にお嬢さんのそばから守りを外したくなかった。

 と、言ったようなことをもうちょっと詳しく説明すると、反論材料がなかったようで沈黙した。

 寒い上に、空気も薄いので、無駄に口を開きたくなかっただけかもしれない。

 すまん。実は適当な言い訳で、本当にすまん。カミュを信じるならば、邪武達だけで対処できる敵しか来ないはずだ。

 カミュはこれを氷河に説明してなかったのかな……?

 わずかな疑問が浮かんだものの、たとえ説明していても言葉が足りなかったのだろう、主に師匠のほうに、と納得した俺は、追求せずに済ませた。

 俺にはちゃんと説明してくれるのに、氷河には足らないあたり、親しくなればなるほど対応が杜撰になるのかもしれない。魔鈴さんも、俺に対してそうだもん。

 聖闘士だからな。

 なんとなく悲しくなりながら、俺は満天の星空を見上げた。

 天を埋め尽くす星々よ。人間の使う明かりがない高みでしか見られない景色だ。塵や埃のほとんどない澄み切った空気も、星見を邪魔しない。ここまで星の数が多いと、星座どころじゃない。むしろ星がないところを探すほうが難しい。

 ああ、でも、星占って苦手だったんだよな。表を見ながらの天典運算でさえ混乱してたのに、こんな何にもない場所で分かるはずがない。

 天典運算が何かって?

 うん、俺もよく分からないけど、簡単に言うと、どの季節の、どの時間帯の、どの場所からなら、どの角度に、どの星があるということが分かりさえすれば現在地が分かる、と言う代物だ。ちっとも簡単じゃないだろう。良く分かる。でも、俺の理解がそうなんだから、そうとしか説明のしようがない。

 魔鈴さんもあまり得意じゃないようだった。この授業の時は優しかったからな。

 間違ってるかもしれない、というか、確実にかなり違いますと言われるような覚え方だが、魔鈴さんは俺のまったく分かってない顔を見ながら「それでいいさ」と言ってくれた。

 講義の終わった後で、「球面幾何学を仕込むのは無理だね」とぼそりと呟いたのはきっと優しさだろう。ごめんなさい。無理です。

 しかし、もうちょっと真面目にやっときゃ良かったぜ。こういう時に役に立つはずなんだけど。

 もしくは、アストロラーベがあればなあ。あ、いや、無理か。まずは自分が三十三度の角度で地球に突き刺さっているところを想像しろと魔鈴さんに言われた時、俺は絶句したもん。無理無理。分からん。

 

「さて、ここはどこだろうな。近づいちゃいるが、位置が分からん。童虎の小宇宙は、多分、あっちだと思うんだけど」

「また、飛ぶのかよ」

「そう嫌そうな顔すんなよ。もう噴火口にも、底なし沼にも落ちたんだから、恐いものないだろ」

「アチッくらいで噴火口から飛び退いて平然としているお前に言われると、理不尽さが際立つな」

 

 返す言葉もない。

 俺は、肩をすくめた。正当な理由ある八つ当たりなので、甘んじて受けざるをえない。

 それに気持ちも分からんではない。底なし沼は、凍らせて何事もなく済んだんだが、噴火口は大自然の火力に退いたので、きっと悔しいんだろう。凍らせてもすぐさま溶けてってたからな。足場にと作った氷の塊が、あっという間に溶けるもんだから、安全地帯に飛び下がってくれるまでひやひやした。なんかあればちゃんと助けるつもりだったので、外道だの非道だの言われるのは不本意だぜ。ちょっと高みの見物してただけじゃねぇか。

 それに、俺に言わせれば、高温の毒ガスの噴出している噴火口に落ちて、火力に負けただけで済むあたり、氷河とて理不尽人間だろ。

 空を見上げてこっそり心の声で反論する俺を気にせずに、氷河は話を変えた。

 

「おい、北極星から考えて、飛ぶならこっちだ。さっきので合ってる。星矢、今度こそ飛びすぎるなよ」

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