リセット   作:エイ

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屈辱の敗北

 デスマスクの小宇宙が、膨張ではなく収束し始めた。

 奴の背後。薄暗くも輝き広がっていた星雲の奥、暗闇が見える。死の国へと通じる穴だ。ひゅごうと音が聞こえる。滝の音ではない。風の音だ。生者を引きずり込もうと泣きわめく死者の声にも聞こえた。

 鳥肌が立つほど、気温がぐんぐん下がる。空間を満たしていた俺の小宇宙を押し返しながら、白い霊魂のようなオーラが、穴から這い出してきた。

 

「フン、知りたけりゃ引き出してみろ。ただの青銅ではないようだが、冥府でも減らず口を叩けるかッ!」

 

 振り上げられたデスマスクの右腕に、亡者の白い魂がまとわりつき、不気味に明滅した。

 ああ、こりゃあ、本気だな。

 いいだろう。

 来い。

 真正面から、叩き潰してやる。

 

「積尸気冥界波ッ!」

 

 デスマスクの圧倒的な小宇宙が激流となって押し寄せてくる。俺の魂を抜き出し、冥府へ連れて行くために。

 冷たい亡者の手が、俺の頬を撫ぜた。怖気をともなう冷気は首へ降り、背骨に染みこんで、内臓へ入り込み、心臓を掴みとろうと俺の身体を取り巻いた。

 いいや、そうはさせない。

 ―――燃えろ、俺の小宇宙よッ!

 

「ペガサス流星拳ッ!」

 

 腹の底から渦巻く小宇宙が、一気に開放される。空間を震わせる衝撃波が、ごうんと大地をえぐり割った。

 まとわりついていた白いオーラが切れ切れにはじけ飛ぶ。ごうごうと唸る大気が、俺の拳とともにデスマスクの積尸気を押しつぶさんと螺旋を描いて襲いかかった。

 

「なんと、飛流直下三千尺とうたわれた廬山の大瀑布が、逆流しておる……! しかも、デスマスクを狙った拳圧の余波で、じゃと。まるで、神話の戦いを見ているようじゃ」

 

 老師のうめき声が遠く聞こえるが、何を言っているかまでは気が回らない。聞こえちゃいるが、脳味噌がそっちに働かないのだ。

 動物的な闘争本能に身を任せれば、加速する思考がより戦闘へと絞られていく。

 

「馬鹿なッ! 俺の、積尸気冥界波を、受けて、びくとも、しない、だとッ」

 

 デスマスクの咆哮は、切れ切れだ。俺の拳をさばきながらだから無理もない。怒りと焦りが、声から滑らかさを奪っている。だが、お喋りより俺に集中した方がいい。今のところ、なんとかいなしてるが、どこまで持つかな。そら、胸部にひびが入ったぞ。

 わずかにバランスを崩したデスマスクのヘッドマスクが、千切れ飛んだ。

 だが、さすがに黄金聖闘士。俺の拳打を躱し、いなし、逸らし、致命傷を避けている。上手い。

 でも、もう限界だろう。さて、気合を入れるか。

 デスマスクが目を見開いた。見えてから避けるんじゃ遅えよ。避けられん。とっさに、腕を交差させ最も無防備な頭をかばう。正確な判断だ。そう、頭以外は黄金聖衣があるから死にゃしない。

 受けろ、俺の、最後の一発!

 デスマスクは絶叫した。

 

「アジャパアァァァァァァァーッ!」

 

 

 ■■■■■■

 

 

 

 絶叫を伴にして、デスマスクが空高く打ち上げられる。

 俺は、地上から、それをまぶしく見上げた。奴に翼はない。さほど待たずとも、落ちてくる。そこをふんじばって、連れて帰ろう。一仕事終わった気持ちで、俺は氷河達のもとへと歩いた。打ち合っているうちに、ちょっとばかり離れてしまっていたのだ。

 軽い気持ちで歩けば、シュプールのようにえぐられた大地の爪あとも、せっかく荒れた大地にしがみついて懸命に生き延びていた植物が薙ぎ倒されて全滅したのを見ても、明るい気持ちでいられる。いや、すまん嘘だ。よくもまあ、崖が崩れなかったものだ。

 軽い危機感を覚えた。どうも、力の制御が甘くなっている気がするぜ。

 歩いて行くと、冷たい滝の飛沫が、俺を出迎えた。老師は、元通りの場所で相変わらず鎮座。氷河は、そのそばで俺を待っている。

 俺は足を早め、小走りになった。

 穏やかな朝の光が、美しく滝と俺達に降りそそいでいる。

 

「ただいま」

 

 しわがれた声になった。

 喉がいがらっぽい。砂埃を吸い込んだせいか。

 

「どうする気だ」

 

 どこか固い顔つきで空を見上げていた氷河が、目線を俺に移して聞いてきた。見ていたのは、落ちてくるデスマスクだ。どうするってのも、当然デスマスクのことだ。

 その語尾が消える前に、ずうぅんと地響きが俺達を揺らす。デスマスクが地面に激突した音だ。まったく受け身を取ってないが、大丈夫だろうか。

 と言うか、頭から落ちたと思ったのに、なんで、両手両足を開いた人の形にめりこむんだ。

 デスマスクの落ちた跡の大地を見ながら、俺は答えた。

 

「連れて帰るぜ」

 

 もう、相手の説得だの何だのは面倒だ。持って帰って沙織さんに任せるに限る。俺は、そういうのに、向いてない。向いてないものを無理にやると、ろくな結果にならない。

 デスマスクの正義や、その価値がどこにあったとしても。

 聖闘士たるもの、女神(アテナ)に跪けぬならば―――死ね。

 

「割り切っていると思えば、お前は、時折、恐ろしく諦めた目をする。悔いるような、失われた何かを悼むような、痛い目にあって懲りた人間の顔だ」

 

 そういう氷河のほうが痛ましい顔をしていた。

 そんな顔をすんなよ。別に諦めてるわけじゃない。前回とは違う道筋でと、そう思う気持ちが消えたわけでもない。

 ただ、救えないものを救おうとするのは、女神(アテナ)だけで充分だと思う。

 俺は、この世には殺すべき命があると思ってるし、許されざる幸福だって存在するのだろうと思う。救うべきではない、救えない、そんなものだってどうしようもなく存在するのだ。

 食い食われて命が立って、潰し潰され信念を通して。それが、人間の生きていくということだ。それでも、生きていく覚悟を決めなくちゃいけないんだ。

 救いたいとは思う。でも、救えないならしょうがない。デスマスクも、サガも。

 救えなかったものを悔いるより、これから救えるものを見る。その覚悟をしている。

 そして、その果てに、自身が、救われない命になってしまったとしても、それはしょうがない。自分で、その道を選んだのだ。

 

「蛇に噛まれて朽ち縄に怖じる真似はしねえよ」

 

 いや、(あつもの)に懲りて(なます)を吹くのほうが良かったかな。

 氷河が、長めの前髪を自分の手でかき乱した。苛立たしそうな目で俺を見る。なんと言えばいいか、えぐりたいほど痒くてたまらないカサブタを、剥がそうかどうしようかといった顔だ。もどかしそう、というのが似てるかな。

 何を訊きたいんだろう。俺は小首をかしげて待った。

 

「……お前を噛む蛇なんざ、いるのか?」

「そりゃいるさ。俺だって、噛まれたら痛いし、死ぬかもしれないし、恐いし」

 

 疑わしそうな目はやめろ。地味に傷つくんだよ。

 恐いってのはちょっと嘘だけど。

 実は、聖域で食べてたけど。

 そもそも、それを、本当に訊きたがっているとは思えない。でも、多分、俺が言いたくなさそうだから、そういう言い方になるんだよな。氷河はいいヤツだ。苛立ちが顔に出てるから、あんまり意味ないが。

 どうしても、知りたいならヒントは出すけど、大した意味はないんだぜ。

 俺は、こほんと咳払いして、続けた。

 

「俺もお前も、万能にも全能にもなれない。人間だからな。今後のことを考えると不安ではあるが、それでも、俺は退いたりはしないさ」

「何が、そう不安なんだ。お前がいるなら大丈夫だろう」

「そうかもしれない。だけどさ、氷河」

 

 真正面から顔を見た。

 ここは肝心だ。

 言っておかないと。

 信じてもらわないと。

 俺がいれば大丈夫なんて、幻想だ。

 

「いつか、俺はいなくなるぜ。いつまでも一緒にいられるわけじゃない。いつか必ず傍にいられなくなる日が来る。避けられない別れが必ずある。だから、その時は頼むぜ」

 

 具体的に言うと、冥王(ハーデス)との戦いの後な。

 もちろん、死ぬ気はない。それでも、同じ選択を迫られたら、同じ選択肢になる。俺が、沙織さんをかばわないなんてありえない。

 それまでの戦いは、なんとかなると思うが、冥界での戦いだけは、生き残ると断言できない。氷河たちがあの後どうなったかは知らないが、きっと生き残ったのだろう。もう敵はいなかったはずだからな。

 だが、俺は地上には帰れなかった。“俺”がここにいるんだから、どうあっても、それは確実なことだ。

 

 何を考えているかは知らないが、氷河はじっと俺の顔を見つめた。俺の内奥をえぐり、魂まで見通そうとするかのような真っ直ぐな視線だった。

 青い目にはうっすらと水の膜が……どうした、いったい。トイレにでも行きたくなったか。いやいかん、茶化す場面じゃない。でも、そこまで深刻に考えなくてもいいんだぜ。大丈夫だ。お前たちがいるんだから。

 ややあってうつむいた氷河の表情は、読めなくなった。

 ひるみながら、俺はゆっくりと続けた。

 

「俺はいつか居なくなる。忘れないでくれ。氷河。俺がいなくなる日は必ず来る。考えておいてくれ。俺がいない日のことを」

 

 

 ■■■■■■

 

 

 

 氷河は何を考えているのか、顔を伏せたまま動かない。いたたまれないから、何か反応してくれよ。笑い飛ばしてくれてもいいからさ。ただし、その場合は殴られるまでがセットだと思え。

 顔を伏せたままの氷河と、困りながらそれを眺める俺。向かいあって突っ立ったままの男二人って、けっこうシュールな眺めだろうな。誰も見てないけど。

 

「ホッホッホ、盛り上がってるところ悪いがのう、そろそろ出てきそうじゃぞ」

 

 違った。老師が見てた。存在を忘れてたぜ。

 別に盛り上がってないから、その目はやめてくれ、老師。かなり恥ずかしいんだよ。好奇心と微笑ましさと懐かしさをブレンドした目つきを言語化すると「青臭い奴らだ。フッ、俺にもあんな時代があったな」というところか。

 頼むから本気でやめてくれ。げっそりしながら、俺は、デスマスクの埋まったほうを見やった。

 

 大の字に空いた穴のふちに、デスマスクの指が掛かったのが見える。

 一度、指が掛かってしまえば、後は出てくるだけだ。そのまま力を入れて、飛び上がるように地表に上ってきた。ヘッドマスクはない。肩部は半壊、胸部はひび割れている。脛当ては片方だけで、もう片方はない。血は大して流れてないが、俺の最後の一発は腹だった。内臓が無事かどうかは分からんな。

 さて、どう出るか。

 

「てめえ、何者だ。たとえ黄金聖闘士であろうとも、この俺をここまで簡単に殺せるはずがねえぞ」

 

 人聞きが悪い。死んでないだろうが。

 あと、一気に口が悪くなったな。

 でも、ちょっと安心したぞ。そんなに口が回るなら、大怪我じゃないな。だから、その殺人的な目つきはやめろよ。死んでないんだからお門違いってもんだぜ。

 俺は、肩をすくめてやった。

 デスマスクは凶暴にうなった。

 

「てめえが最後の一発を本気で放ってりゃ、死んでたんだよ。黄金聖闘士の中で、俺が最も死を理解している。だから分かる。てめえが殺すつもりなら死んでた」

「本気だったぜ」

「嘘つけ」

「本当だ。ただ、本気と全力は違うけどな」

 

 にやりと笑ってみせると、デスマスクは壮絶に怒りのこもった笑いで返した。こめかみから額にかけて浮き出た血管がビクビクと脈打ち、頬が引きつる笑み。

 あ、これはやばい。そろそろ血管が切れる。

 

「そうかよ。つまり、本気で手加減した、と」

 

 ひどい勘違いを見た。どうしてそうなる。

 デスマスクが舌打ちする。

 

「てめえは、本当に人間か。教皇だってお強いが、それでも、こうも簡単に黄金聖闘士を殺せるわけじゃねえぞ」

「失礼なやつだな。俺が人間以外の何に見えるってんだ」

「見えねえから訊いてんだよ」

 

 ごもっとも。

 でも、黄金聖闘士にそれを言われるのは納得いかない。聖闘士なんて、全員人間やめてるようなもんだし、黄金聖闘士はその頂点だろうが。

 

「俺は、天馬座(ペガサス)の聖闘士、星矢。でも、俺が何者だって、お前にはまだ関係ないさ。一緒に来てもらうぜ」

「ああ、分かった」

 

 え、即答かよ。いいのか。何も訊かなくって。

 驚いた顔になった俺に、デスマスクが自虐的な笑い声をたてた。

 

「勝った奴が、負けた奴の都合なんか気にするんじゃねえよ」

 

 笑っているくせに、目がぞっとするほど鋭くなる。

 ペッと血混じりのつばを吐き捨てた。

 

「てめえが手加減さえしなけりゃ、死んでも戦い続けたかもな。だが、てめえは手加減した。俺が殺す気でいたのに、てめえは俺に加減したんだ。この時点で完全敗北よ。生きていること自体が屈辱だぜ。どこにでも連れて行け」

 

 隣の氷河が、分かると言わんばかりに頷いている。なぜだ。

 ちなみに本当に手加減はしてない。全力ではないってだけだ。だって、俺が全力出したら、このあたり一帯壊滅するぜ。

 ここは紫龍の第二の故郷で、大事な場所だ。何かあれば老師が何とかするとは思うが、まあ、アンドロメダ島で全力が出せなかったのと同じ理由だな。

 俺は、兄弟が大事なのだ。兄弟が大事にしている場所は、壊したくない。

 それと、全力を出すなら、後がないときだ。もう、死んでもいい。ここさえ何とかなれば、後は倒れてもいい、と思うとき。

 あいにくと、そこまで追い詰められてないし、残念ながら、まだお前らに後を任せる気にもならないんだよなあ。お前らが俺に追いつくまで、きっと、任される側に立っている。傲慢かもしれないけど、そう思う。

 前に立って、追い付いてくるのを待っているから。だから、なるべく早く来てくれよ。俺がいつ倒れてもいいように。

 いや、死ぬ気は微塵たりともないんだけどな。

 そう、そんな気は露ほどもない。だから、ここに来た。だから、必ず連れて帰る。味方を増やすためか、敵を減らすためか、決めるのはお前だぜ。

 俺は、デスマスクに笑いかけた。そう怒るなって。

 

「物分かりが良くて助かるぜ。死んでるより生きてるほうがいいに決まってるからな」

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