にやりと笑った俺に、怒りをこめてデスマスクも笑い返してきた。
何というか、捻くれた感情表現だ。こめかみは波打ってるし、口の端はピクピク引きつってるし、色々隠せてない。それでも、この男は笑うのだ。殺意をこめた笑みで威嚇する。
ふん、面白い。
機嫌よくそれを受ける俺に、氷河がわずかに身を引いた。おい、なんだよ何か言いたそうな目をするのはやめろ。お前に呆れる権利はないぞ。お前のマザコンっぷりも大概だからな。あれだって俺から見たら後ずさりする程度にはどうかしてるからな。
「ふうむ、話は丸く収まったようじゃな」
髭をしごきながら老師は、この殺伐とした空気を丸っと無視して言い放った。
無視してるのは俺もだけど、それでいいのか、黄金聖闘士。これを丸く収まったとするのは何か違うんじゃないか。
今度は俺が言葉を飲み込みながら見つめる番だった。
当然ながら通じなかったわけだが。
■■■■■■
五老峰の天は高い。
澄んではいるが常に風が吹き荒れる。その風の異変に最初に気づいたのは、住み慣れて長い老師だった。
「やれやれ今日は千客万来じゃのう」
言葉尻にかぶるように、カツンと石を踏む足音がした。
瞬時に戦闘モードに戻った俺。
わずかに遅れて氷河が腰を落としすぐにも動ける体勢に入る。
「失礼いたします。老師」
言葉とともに現れたのは、豪奢としか表現しようのない輝かしい男だった。
陽光を受け燃え立つ麦穂のような金髪に、蠍の尾を模したヘッドマスクの黄金が重なる。軽やかな生命力を感じる金のまばゆさ、力強く重みを感じる黄金のきらめきをまとい、まったく見劣りせぬ姿は一目見れば一生涯忘れまい。
風に煽られる髪を無造作に押さえた手の下には、悍馬のような精力に満ちた笑みがあり、先程の足音はあえて立てたものであったことが分かる。
聖域十二宮の八番目の天蠍宮を守護する―――
「ホッ、久しぶりじゃのう。ミロ」
「老師が一向に聖域に来られませんので、聖域に詰めていると、確かにお会いする機会がございませんな」
「耳が痛いのう。そうすると用向きは、そこのデスマスクと同じか」
「いいえ、私は誰の命も受けておりません。強いて言うなら、我が友を救うために来ました」
友好的な姿勢に、俺は戦闘体勢を一応戻すことにした。
氷河も同じく、デスマスクは最初から様子見の体勢。
さて、討伐ではないというのなら、ミロは何の用事だろう。すがすがしいほどに俺たちを無視しているからには、少なくとも目的は老師なんだろうけど。
「本日、我が友カミュが聖域に帰還したのはご存知ですか。老師」
「風の噂で聞いたような気もするのう」
「フッ、ギリシャからここまで吹く風の音まで聞き分けるとはさすが老師」
肩をすくめて、茶化しているのか警戒しているのか判別のつかぬ表情をミロは浮かべた。風にはためく白のマントが、わずかに身じろいだミロに光の濃淡を装飾する。
老師は髭をしごきながら、続きをうながす。
「さて、どこから話したものやら……」
そう今更ながらに迷った様子だったミロだが、再度老師にうながされてカミュが聖域に到着してからの経緯を話し始めた。
それにしても、俺の知る限り、カミュってカノン島に向かったはずなんだけど、なんで聖域に行ってるんだ。那智と激と邪武はちゃんとカノン島で凍結した手足の治療を受けられたんだろうか。
僅かな疑問を心の隅に放り投げ、ミロの話を聞くところによると、何でもカミュは聖域に戻ってからすぐミロに会いに行ったらしい。余人を避けて人目を忍んでって、ああうん、それだけで何となく何しに行ったか分かった。そうだよな。俺だって一輝に会いに行ったもん。俺の場合は相談目的だったけど、多分カミュは違う。
きっとカミュは教えに行ったのだ。信頼する友だけにでも、と。
聖域の汚濁を。
教皇の悪徳を。
忠誠の在処を。
しかし聖域とデスクイーン島じゃ危険度が段違いだ。行くんならミロをふん縛って連れてくるくらいの覚悟じゃないと無理だと思うのは俺だけかな。う、ううむ、何だかとても嫌な予感がする。
「カミュが帰参したのは昼前でした。そのまま訪ねてきてくれたようで、共に昼食を取り、その後カミュはなぜか教皇への拝謁をしに
「ふむ、何か訊かれはせなんだか?」
「はっ、
「確証を得たがゆえの言葉だとは思わなんだか」
「もしそうであれば話してくれたはずです」
短い言葉には自信がこもっていた。
その自信が、カミュとの友情に由来するものなのか、あるいは自身の忠誠に偽りがないからなのかは分からない。ただ確かなのは、カミュがその言葉を聞いて教皇に会いに行ったんだろうってことだ。なぜか、じゃないぜ、ミロよ。カミュはお前のために行ったんだ。
自らの言葉の証を立てるために。
ああ、カミュよ、気持ちは分かる。だが、それにしたって、先走りすぎてやしないか!
心中悶絶する俺をさておいて話は進む。
「……教皇の間まで共に行ったわけではありませんので伝聞ですが、カミュはそこで教皇に対し
そうだろうな。そうだろうとも。
サガにとって
頭を抱えたくなる衝動を何とか押し殺しつつ、それでもまずまずあまり面白くはないだろう展開予測に目が死んでいく俺。
「それを非難し、強行突破しようとしたカミュを止めたのは
一息つくミロ。
さもあらんとうなずく老師。
う、うわぁぁぁ、さっきからの嫌な予感が加速する。
おお神よ、俺がいったい何をしたってんだ。心当たりは無くもないが、どの神だ。
「しかし、そこで教皇が
「なんと、教皇にのみ許される魔拳を用いたか!」
覚えず漏れたといった様子のうめき声を老師があげた。驚き七割、怒りが三割ってところか。
氷河は聞き覚えのないという顔をしている。知らなくて当然なんだけど、と俺はこっそりため息をついた。何度も思い知っているのに、何度でもやっぱり少し寂しい。
デスマスクは平坦な表情の中に、僅かな嘲りを見せた。目が素早く動き腹の中でなにがしかの計算をしているのが分かる。無駄だぞ。少なくとも今しばらくお前から目を離す気はない。
ぐらぐらと絶望に頭を揺らしながら現実逃避も兼ねて周りを観察する俺を許して欲しい。だって、行くならアフロディーテだと思ってたんだ!
ああ、カミュ。あんたって人は、なんだってそんな予測の付かない方向に行くんだろう。
ああ、しかし、考えてもしょうがないことを考えるのは時間の無駄だ。そもそも氷河を迎えに行った時の遭遇からして予想外だったしな。カミュに関しては諦めよう。
ぐらつく頭を立て直しながら、俺は続くミロの話に耳を傾けた。
「その後は語るまでもありますまい」
「仔細は分かったがの。それでなぜここに来たんじゃ。この老いぼれに何を求めておる?」
悪戯っぽく老師の口が吊り上がる。あ、これ分かってていじめてないか。
ミロは老師に応えるように目を細めた。
「ご謙遜を。かつての聖戦を経験し生き延びた智者を侮るほど、このミロ、目を曇らせてはおりません。しかし正直なところ、私ではなくこれはカミュが求めたものなのです。おそらくは」
「ほう」
ううん?
なんだぁ、その煮え切らない答え。
興味深そうに目を輝かせる老師。
内心首をかしげる俺。
「カミュがすれ違いざまに私のマントを一部凍らせて行きました。その瞬間のカミュの瞳の色―――あれは正気に、見えたのです。錯覚でしかないかもしれませんが」
苦悩の色が垣間見えた。その複雑さを何と言い表せばいいのか分からない。
ミロは視線を落としてうつむいた。悔い、失意、痛み、混然とした表情の半分に影が落ちて、全体的に悄然とした雰囲気が強くなる。
「教皇の魔拳は我が目にも完璧に見えました。むろんカミュの意識がアイオリアに向いていたからこそではあります。正面からの全面対決であれば、ああも無防備に受けることはありますまい。しかし、であらばこそ、カミュに正気なぞ残るはずもありません」
それはもちろんそうだろう。
たとえば、そういう事態になることを予想して対策を取るんじゃないかぎり、俺だってそこで対抗できるとは思えない。
あのアイオリアだって抗えなかった魔拳だ。
「ですが、我が友の、水泡のごとき正気の浮上を、それがいかに淡いものであろうとも、私は信じてやりたいのです」
信じている、と言わず、信じたい、と言ったミロの表情は揺れていた。
ふぅと溜息を吐いてしばし沈思黙考した老師は、数分後口を開いた。
「カミュがここへ来るように、そなたに求めたと?」
「これをご覧ください」
示されたのはミロのマント。黄金聖衣の力強さに対し、素朴な生成りの白に透明感を付け加えたようなふんわりとした風合いだ。
その一部が意図的な形を以て凍りついていた。本当に小さく、示されなければ分からないだろう。具体的に言うと小指の爪くらい。
老師、ついで氷河の顔色が変わった。
「これは……」
「フリージングコフィンの応用でしょう。黄金聖闘士を持ってせねば解けぬ氷でもって、描いたものです」
へえ、なるほど。だから、今じっと見てても解ける様子がないのか。
老師が顔色を変えるのも無理はない。その文様は♎―――すなわち
だけど、なんでまた老師?
「これは、そうか、ふむ、ううむ、信用されとるのう、星矢よ」
へ?
俺?
思わず、自分を指差して事情を飲み込めぬと表情を作った。
隣でハッと息を呑んだ音が聞こえた。氷河だ。
「そ、そうか。だから我が師はお前に同道せよと言われたのか……つまりここにミロが来るは必然」
え、なんだ、その納得しましたって感じの顔。
俺は納得してない。分かってない。それと、お前に分かって俺に分からないのも納得いかない。
そう顔面で主張するつもりで、じっと氷河を見つめた。
氷河はいやに興奮した顔つきで俺を見つめ返す。普段は冷たい印象を与えるブルーアイズが熱を持って輝き、俺の心臓を握ろうとするような異様な迫力だ。若干こわいんだが、どうした氷河。
「お前はいったいどこまで読んでいる……力のみならずとは……。六年前と違い秘密主義になるわけだ。フッ」
うん?
んんん?
嫌な予感が急加速してラストスパートを掛けてきたぞ!
ああ、頼むぜ、待ってくれ!
なんかこう、妙な誤解を!
受けている、気がするんだが!
「ちが、いや、それは―――」
「だがそれならばなぜ我が師を行かせた。なぜだ、星矢よッ!」
なんで、そうなるッ!
心中絶叫するほどのあせりは次の瞬間に山を通り越して霧散した。なんという誤解。もはや釈明する気も失せる。俺は静かに目を閉じた。現実を拒否するサインだ。諦めが早いとは言わないでほしい。これでも学習の成果なんだぜ。
ああいやだ。誤解に基づいて人の話を聞かない、そんなものが兄弟たちの共通項だなんて、気づきたくはなかった。しかも大体にしてほとんどこっちの言い分を聞こうともしないんだよな。一輝といい瞬といい、いや、やめよう。むなしい。
でも誰か説明して欲しい。
なんで俺が指名されている、ことになっているんだろうか。
「ほほう、瞑目するだけとはな。さすがに落ち着いておるのう」
「別に落ち着いてないが、それ大丈夫だったのか? 教皇の目の前でやったんだろ?」
老師に水を向けられて、苦し紛れを吐いただけだったが、実際かなり危ないんじゃないかと思う。すれ違いざまに凍らせたって、つまり教皇の目の前でやったってことだろ。見つかったら老師討伐にもってこいの理由になりはしないか。
それを託されたというだけでも、反逆者と呼ばれかねない。
だって教皇の目の前で、その悪事を暴こうとした者が託したメッセージだ。ミロさえも危険にさらして、カミュはいったい何を……。
「ゆえにこそ、でもあろうよ」
「どういう意味だ、老師」
問い返せば、深いしわの奥で老師の目が笑みの形に歪んだ。
「そなたは、とぼけるのが上手いのだか下手なのだか、よく分からんのう」
誰に何を聞いたか知らないけど、間違いなく下手だぜ。
と心で言い返しながらも、俺は乾いた心持ちで沈黙した。これは間違いなく適当に返したらますます誤解されるに違いない。慎重に答えなければ。
しかし、そう言葉を選んでいる俺を待たないのが黄金聖闘士であり老師なんだよな。知ってた。
「だが、星矢よ、少しばかり予想を外したようじゃな。本来であれば、ここにはミロとカミュがそろうはずだっただろうに」
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