リセット   作:エイ

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忘れていた不合理な掟

「待てェっ!」

 

 誰が待つかよ。

 家から飛び出した俺を目ざとく―――鼻ざとくか?―――嗅ぎつけたらしい雑兵どもが、わらわらと追ってくる。

 そんな鈍重な走りで聖闘士に追いつけると思ったら大間違いだぜ!

 俺は奴らに背を向け、さらにスピードをあげて遠ざかった。

 雑兵相手に戦うまでもない、ましてや、俺がやったら単なる弱いものいじめだ。

 何せ、奴らは走る俺を追ってくることすらできない。

 聖闘士と常人の間には、高い壁がある。いや、深い堀と表現すべきか。

 そこには確固とした断絶があるのだと今の俺ならはっきり分かる。

 聖闘士と戦えるものは聖闘士のみ。

 

「持つものと持たざるものの違い、か」

 

 つぶやきつつ夜の聖域を駆ける俺の前に、待ち受けていたように立ち塞がる影がある。

 

「待ってたよ。星矢!」

「誰だ!」

 

 って、シャイナさん!?

 すっくと立ち、こちらを睥睨しているのは、昼間倒したカシオスの師匠、まがうかたなく白銀聖闘士蛇遣い座(オピュクス)のシャイナさんだった。

 んなっ! 撒いたはずだぞ!?

 驚きのあまり、思考が0.3秒ほど停止する。

 

 ――――囮か!

 

 止まった頭が動き出すと同時に答えがはじき出される。

 なるほど、どうやら、カシオスを一発で倒してしまった成果らしい。

 俺が逃げ出すことを予測の上で、あの気配ばればれの雑兵どもに回りこませ、進路を限定、自分は待ち伏せ、と。多分そんなところだろうと思う。

 そこまで警戒されるとは予想外だったな。まいった。そう簡単には出してくれそうもない、か。

 思わず舌打ちをもらしそうになってこらえる。

 

 前回の侮りや気負いのほとんどないシャイナさんがそこにいた。

 聖衣こそまとってないものの、顔が真剣(マジ)だ。……仮面をしているから雰囲気が、ということだが。

 つまり、当然ながら、

 繰り出される拳も手加減なし、だ!

 

「サンダークロウ!!」

 

 前置きもなしに、前回とは違い本気の拳が俺を襲う。

 閃光の如きその拳は、正確に俺の急所を狙っている。バックステップ。飛んで避ける。間を置かずに蹴りが追ってきた。のけぞる。そのまま地を蹴り宙で身をひねり腰を落とした体勢で着地。さらに後ろに飛んだ。

 聖衣を収めた聖櫃を横に放り出し、身構える。

 

「どうした! 星矢! 逃げるだけじゃどうにもならないよ!」

 

 分かってるさ。

 だけど、そもそも何でそこまで目の仇にするんだよ!?

 俺は必死でシャイナさんを説得できないものかと考えをめぐらす。

 

「シャイナさん、俺は試練を勝ち抜き、正当に聖衣を手に入れたんだ。行かせてくれよ」

「冗談はおよし」

 

 なるべく冷静に説き伏せようとしたが、一言に切って捨てられた。

 ……この手の才能はないんだよな。

 

 さて、前はどうやってこの場を切り抜けたんだっけか。

 どうにも曖昧な記憶をたどる。

 ペガサス流星拳でシャイナさんの仮面を砕いて、終わったんだっけという記憶を思いだしたはいいものの、同時に何かの警鐘が頭のどこかで鳴りはじめる。

 はて……?

 

 動かぬ俺にじれたか、シャイナさんが再びサンダークロウの構えを取った。

 何と言うか、いかに前回の俺が手加減してもらっていたのかよく分かる。シャイナさんはシャイナさんなりに、死なないように気を使ってくれていたんだろう。……当時の俺は間違いなく命の危険をひしひしと感じたが。

 応えて、俺もペガサス流星拳の構えを取った。

 俺達の発する闘気のぶつかり合いに耐えかねたか、かたかたと足元の小石が震えはじめる。

 はじめて、天馬座(ペガサス)の聖衣をまとったのがこの戦いだったな。

 などと、感慨にふけっている暇はない。

 今のシャイナさんは、間違いなく俺を殺す気できているのだ。

 からりと足元の小石が、転げた。転がった石が岩にぶつかり、ひときわ高い音を立てて跳ね返る。

 

「サンダークロウ!!」

「ペガサス流星拳!!」

 

 ほぼ同時に放たれる技。

 シャイナさんの拳を叩き落とし、逆に拳を繰り出す。

 なるべく丁寧に。血を流させずに済むように。カシオスの時の失敗を踏まえて慎重に。

 カシオスならともかく、今の相手はシャイナさんだからな。

 

 フッと鼻で笑って、俺の拳をさばくシャイナさんの顔が段々と強張っていく。……やはり仮面で見えないから雰囲気で推察しているだけなんだが。

 シャイナさんのさばく速度に合わせ、少しずつスピードをあげているから無理もない。

 1秒間に80発。1秒間に85発。1秒間に90発。1秒間に95発。1秒間に100発。1秒間に105発。1秒間に110発。

 ―――もっと速く。

 ―――流星のごとく。

 

「馬鹿なっ! たかが青銅聖闘士のお前の拳が見えないなんて!?」

 

 動揺が表れ出たシャイナさんの隙を見逃さず、前に出る。

 瞬間的に目の前までせまった俺に、シャイナさんはとっさに腕をクロスさせ頭をかばう。

 その腕を丁寧に跳ね上げ、仮面に触れる寸前、拳をとめた。

 ―――衝撃波。

 

 パラリ―――。

 ほとんど音もなく二つに分かれ地に落ちる仮面。

 片方は地面にぶつかった衝撃により、さらに二つに割れ、もう片方はひび割れがさらに大きくなった。

 左右に割れた仮面の下から、清楚な素顔が驚きの表情をあらわにしている。

 こうして見るのは二回目だが、今回は傷つけずに済んだ。よかった。

 女の人に傷をつけるなんて、冗談じゃない。

 拳を向けるのも嫌だってのに。

 心の底から安堵してニコッと微笑む。

 

「俺は、シャイナさんより強い。女の人に拳をふるうなんてしたくないんだよ。退いてくれ」

 

 前はこれで何とか済んだはずだ、済んだはずだが―――むぅ、何か忘れているような気がしてしょうがない―――何か、何か忘れちゃやばいことだったような気がするぞと警鐘が鳴りっぱなしだ。

 はて……?

 

「お前っ、まさか風圧だけでっ……? 青銅聖闘士のお前の小宇宙が……そんな」

 

 安心したり悩んだりしている俺の前で、シャイナさんは驚いた表情のまま、言いよどむ。

 驚愕、混乱、怒り、悔しさ、そういったもので千々に乱れた心がそのまま口調にも表情にも表れていた。

 そんな自分を落ち着けるためか、ふうっと息を吐き、姿勢をただし、俺を見る。

 そこで仮面がない素顔を俺にさらしていると意識したらしく、はっと顔を手でかばって後ずさった。もう遅いと思うんだが。

 みるみるうちに、シャイナさんの口元が引き結ばれ白い頬にわずかな朱がのぼる。

 

「……っ、星矢、次に会う時は聖衣をつけての勝負だ!」

 

 ザッと音がしそうな勢いで背を向け、離れていくシャイナさん。

 その後姿は隠しきれぬ動揺に満ちていた。

 遠ざかっていくにつれて、争いの気配は薄くなり、聖域の穏やかな夜の静けさが戻ってくる。

 

「なるべくなら、そんなことで会いたくないなあ」

 

 小さくなる後姿に声をかけながら、相変わらずだな、シャイナさんは、と苦笑いする。

 終わったと、何はともあれ一安心して気を抜いた瞬間だった。

 脳裏に響く言葉があった。

 背筋の毛が一気に逆立つような感覚。

 聖域を出るべく、前に出した足が凍りついた。

 

 家を出る前、

 魔鈴さんは、

 何と言った?

 

『――――星矢、お前、女聖闘士の仮面の下を見るということが何を意味するか知っているのかい?』

 

 耳元でささやかれたかのようにはっきりとその言葉を思いだす。

 おざなりにしか聞いてなかったけど、別に聞こえてなかったわけじゃないんだ。

 もっと真面目に聞いとくべきだったぜと今更な後悔に、俺は頭を抱えたくなった。

 何の冗談だよ!

 

 脳内で鳴り響く警鐘が示していた、今やはっきりと思いだした事実。

 女聖闘士にとって、素顔を見られるってことは、その相手を、殺すか、愛すか!

 前回、シャイナさんが俺を執拗に殺しにきていたきっかけを俺はすっかり忘れてしまっていたのだ。迂闊(うかつ)だった……。

 さらに見過ごしてはならないことがある。

 なぜ、魔鈴さんは俺にそんなことを言ったのか。

 正直、見過ごしてしまいたい―――んだが、

 

 ―――俺、魔鈴さんの素顔、見た、よな―――?

 

 決して看過できぬ恐ろしい現実に、思考が停止しようとするのを必死にひきとどめる。

 何の解決にもならん!

 だからと言ってどうすりゃいいのかも思い浮かばんっ……!

 俺は脱力のあまり、しゃがみこみそうになった。

 勘弁してくれ! というのが正直な心情だ。

 

 脱力ついでに、息を深く吐いて、肩をまわし、戦闘のみならず精神面の問題で緊張した身体をほぐす。

 落ち着いて、客観的に考えろ。

 平常心、平常心だ。唱えているだけで保てたら苦労はしないけどな!

 

 俺は魔鈴さんの素顔を見た。

 魔鈴さんは女聖闘士の仮面の掟を俺が知っているとは多分知らない。

 俺はシャイナさんの素顔を見た。

 シャイナさんは仮面の掟を俺が知っているかどうかは多分頓着しない。

 

 殺すか、愛すか、どちらにしても。

 

「ど、どうすれば……!」

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