リセット   作:エイ

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神たる威

 日本に移動した。テレポートは老師がやってくれた。きっちり城戸邸座標ぴっちりだった。

 話がそう決まるまでには、デスマスクがミロにちょっかいを掛けたり、氷河がミロにカミュの件を聞きたがったりで面倒だったが、無事に着いてしまえば些細なことだ。

 老師が送ってくれた場所は、城戸邸の門内かつ絶妙に屋敷に近いポイント、しかも空中じゃなくてちゃんと地に足が付いた状態だった。

 俺はできないんだよなぁ。なぜピンポイントで転送できるんだ。老師すげえと思いはするが、それはそうと、女神(アテナ)の住まう場所を調査して監視してたんじゃないだろうな。俺の拳を振るう必要があったら怒るぜ。

 ……疑い過ぎだと思っていたい。

 

 俺はちらりと傍らのミロを見上げた。

 今更ながらに不思議な発言があったと思いだしたからだ。

 はて、追跡をごまかしたって何だったんだ。

 混乱して、魔鈴さんから逃げ出したあの時のことだろうが、特に自分の小宇宙を隠蔽したりするような能力は俺にはない。そりゃ意識して燃やしてる時と平常時は違うが、それは誰だって同じだろう。

 俺は三秒ほど首をひねって、多分ミロの勘違いだなと結論付けることにした。俺は特に何もごまかしたりはしていない。

 とはいえ、もしかして、魔鈴さんとの修行から逃げ出した時の小宇宙って、聖域中に知れ渡ってたりするんだろうか。迷惑な。

 

「おかえりなさい、星矢」

「ただいま、沙織さん」

 

 屋敷の玄関までのんびりと歩いていっていると、先に玄関が開いた。監視カメラか何かで分かっていたのだろう沙織さんがうっすらと微笑んでいる。わざわざ迎えに来てくれるとはお嬢さんも変わったものだ。

 そこはかとなく嬉しい気持ちに浸っていたら、何の前触れもなく、背筋がゾッとした。

 え、なんだ、今の。

 沙織さんの微笑みに曇りはない。含みもない。やや傲然たる気配の寛容さだが、それは通常通りだから問題ない。

 あれ? と思っていたら、沙織さんの背後十五メートルほどの角から、邪武の頭が覗いていた。その眼光たるや地獄の鬼どももかくや。何があったのか知らないが、俺だけを睨み据えている。さっきの悪寒はこれか。なんだ、その怨念の視線。やるか? あ゛? 

 

「長い不在だったことだな、星矢よ。わざわざお嬢様に出迎えなぞさせるとは出世したじゃねえか」

「おう、お前らが動けない分、わざわざ俺が働かなきゃいけなかったからな」

 

 条件反射で嫌味を返しつつ、邪武を観察する。見た目にはさほどの変化はない。傷が増えたわけでもなければ、身長が伸びたわけでもない。嫌われているのは元からだが、ここまで睨まれる覚えはない。何があったのやら。

 そのまま少しだけ意識して邸内を探る。姿を現しているのは、お嬢さんと邪武だけだが、視線はゆうにその三倍はあった。

 玄関から右上に五つ数えてカーテンが半分だけ開いた窓に一人。長大な屋根の左側端のほうに二人、他にもいるな。こっちに視線と微かな殺気をよこしている。警戒しているのだと、こちらを牽制するためのわずかな気配の露出。いいじゃねえか。思わず顔がほころんだ。

 なんせ、最初に俺が帰ってきた時は、警護についているのは邪武一人。小宇宙を燃やした時の反応も鈍かった。だが、今は違う。相手が俺であっても警戒を怠らない。女神(アテナ)の近衛としての自覚を感じるぜ。

 そうまでさせるとは、じんわりお嬢さんの成長も感じるな。女神(アテナ)三日会わざれば刮目して見よってか。

 

「お嬢さん、こっちは蠍座(スコーピオン)のミロと、約束していた蟹座(キャンサー)のデスマスクだ。説明するから時間をもらえるか」

「ええ。部屋も用意させましょう」

 

 悠然と頷く沙織さんから、慈愛に満ちた小宇宙が薄く広がっていくのが分かる。隠さなくなった小宇宙は、凪いだ湖面に天から雫がしたたって作られた波紋のよう。

 見る者が見れば後光すら差していると感じるかもしれない。

 俺は目を細めた。心地のよいそれは、沙織さんが神として振る舞い始めている証拠でもあった。

 だが、デスマスクは膝をつく様子も見せず、俺たちを睥睨(へいげい)している。

 ああ、こりゃあ、まだ認めてないな。

 ミロもそうだ。デスマスクより穏やかな目線ではあるものの、女神(アテナ)に対する聖闘士の態度ではない。

 俺の注意が自分たちに向いているのを分かっているのだろう。二人とも隔意を隠しはしないが、不穏な行動はしない。目つきだけが沙織さんを疑っている。

 

「お茶でも用意させようと思いましたが、お話を先にしたほうがよろしそうですわね」

 

 それに対して、沙織さんは余裕を見せてふっと笑った。

 さすがの貫禄だ。

 

「ああ、ぜひそうしてもらえると助かるな」

「ククッ、話が早くて結構だ」

 

 ミロはうなずいた。

 デスマスクは(わら)った。

 

「この者の話では、貴女が女神(アテナ)であり、教皇は偽りで聖域を統治していると言う。だが、どうにも信じられぬ。我が友カミュは信じたようだが、貴女が偽物ではないと誰に証明ができるのか」

 

 まずはミロの舌が疑いを吐いた。

 

「俺は、どっちでもいいがね。教皇こそがこの十三年、聖域を、ひいては世界を守ってきた。その偉業を成すだけの力を、あんたは持ってない。偽物だろうが本物だろうが、それが全てだ。力なきものに聖域でふんぞり返られたら困るんだよ」

 

 デスマスクは沙織さんを否定した。

 

「それでは、どうするというのです?」

 

 揺らがない。

 それで、いい。

 それでこそ、女神(アテナ)だ。

 

「試させていただきたい。貴女が本物であるならば、我が蠍の尾が貴女を貫くこと能わぬはず」

「死ぬなら死ね。偽物なら不敬に対する報いとなるだろうよ。本物でも、俺の拳をいなせぬ程度の本物なら無いほうがマシというものだぜ」

「いいでしょう」

 

 沙織さんは即答した。

 氷河が顔色を変えた。

 沙織さんが、片手で俺たちを制したからだ。

 それにも関わらず、前に出ようとした氷河を俺も止める。

 ああ、きっと、昔の俺ならば看過できなかっただろう。あの頃の俺は沙織さんが女神(アテナ)だと教えられてはいたが、それを骨身に刻んではいなかった。あの頃の俺にとって、沙織さんは女神(アテナ)だと名乗る傲慢なお嬢様だった。傲慢ではあるが、それでも見捨てられない、無力な守るべき女性だった。その手は楽器と本以上に重たさを知らず、その足は柔らかな草と絨毯しか踏んだことはなく、その鼓動はすぐ失われる儚いものだと思っていたのだから。

 だが、今の俺は、目の前の沙織さんが女神(アテナ)だと知っている。理解している。頭ではなく魂がそれを納得している。ゆえに下がる。そして、動かない。

 

「なにっ、正気か」

 

 ミロが動かない俺に、非難の目を向けた。無力な女性をかばわない男など、ミロにとって最大の侮蔑対象なのだろう。それは正しい。

 しかし、聖闘士にとって女神(アテナ)の命令は絶対であるべきだ。なぜなら、少なくとも今、女神(アテナ)に危険などないのだから。

 女神(アテナ)女神(アテナ)である。 そして、俺がここにいる。不遜なようだが、何があろうと守りきれると確信している。油断しきっている黄金聖闘士(ゴールドセイント)二人に対する、本気の女神(アテナ)だ。万が一の「何か」など起こり得ない。

 心配など、逆に女神(アテナ)に対する侮辱となろう。もちろん俺に対しても。

 慢心だと言わば言え。俺が起こり得ないと決めたからには起こらせない。

 

「ハッ、バカどもめが」

 

 デスマスクが嘲った。

 言ってろ。その言葉、すぐに己に返ってくるぞ。

 

「クッ、可能な限り、急所は外して差し上げようッ! 喰らえッ!」

「死に晒せ! 教皇の治める世のためにィッ!」

 

 大気が渦巻き始める。

 力ある戦士の小宇宙が、燃え上がり揺らぎ空気を動かす。

 熱を孕んだ風が無軌道に通り抜けていく。

 ミロの黄金の髪がはためいた。握られた拳には迷いは見られない。

 

 そうか。お前は迷わないのか。

 身勝手ながら、怒りが湧いてくる。

 女を殴る。それに、お前は迷わないのか。

 見るからに戦など知らぬ柔らかな手の、傷などついたこともないだろう滑らかな頬の、それでもなお戦士の覇気を前に揺るがぬ凛然たるその姿。

 それをお前は殴るのか。迷わないのか。

 ぐっと己の拳を握りしめ怒りを潰しこむ。

 

 本気の拳。それがミロなりの敬意であろうということは分かる。

 本物の女神(アテナ)であれば、その拳が通ずるはずがないという確信。同時に偽物であろうと思っているがゆえの、本物に対する不敬を咎める断罪。

 ミロの拳には、ミロなりの誠実と、女神(アテナ)への忠誠がこめられている。そう、知っている。

 ゆえにこそ、まだしも、ミロは許せる。

 

 だが、デスマスクよ。お前の拳は沙織さんを殺すためだけの拳だ。

 だから、デスマスクのほうが速い。

 力をこめずとも、一般人の女性程度なら、軽く殺せると思っているからだ。それなら必要とされるのは、獲物に逃げる猶予を与えない速度だからだ。ヤツにとって重要なのは、むしろ俺をどうあしらうかだろう。

 正しい。

 それでも、許されるとは思うな。

 

 俺がガチりと牙を打ち鳴らしたその刹那。

 沙織さんは、眼を伏せた。蝶が羽ばたくような優雅さをもって長いまつ毛の影が頬に落ち、そして、上がる。青とも灰とも付かぬ美しい瞳が世界をとらえたその瞬間、爆発的に小宇宙が広がった。

 そのさま、夜闇を薙ぎ払う暁光のごとく。

 この上なく雄大(ビッグ)

 果てしなく遠大(グレート)

 否、人間の計りうる尺度の中に収まらない全宇宙的な神の小宇宙。

 圧倒的な“威”がそこにはあった。

 

「うっ!?」

「なにぃ!?」

 

 ミロとデスマスクの両者ともに拳が止まる。二人の額から汗が一挙に吹き出て、頬の輪郭を伝い顎先から地面にしたたった。ぼとり。ぼとり。落ちる水滴の音が重い。

 いつの間にやら、沙織さんの手に黄金の錫杖が握られている。そのまま少し持ち上げた。実にささやかな、さりげない動作だった。そのまま錫杖をスッと下ろす。

 

 トン。

 

 石畳を打つ小さくさりげない音。

 普段なら雑音とも言えぬ生活音のざわめきに紛れるような音だ。

 だが、絶大だった。

 神の威に対抗するには、ヒトはあまりにもろい。

 崩れ落ちる黄金聖闘士たちの膝が、地についた。意図しない動きだっただろう。思考を経由せず、そうすべき、と本能が先に判断した。

 

 意思が瞬時に肉体に逆らえと命じたのはさすがに黄金聖闘士というべきか。

 しかし、反射的に、立ち上がろうとするミロとデスマスクの判断は、悪手だった。それは女神(アテナ)に逆らうということなのだから。

 もはや錫杖での示威すらせず、沙織さんは一瞥した。人が人に向ける眼差しではない、神の透徹な眼差しで。

 

 バヂィッィィィン! 

 はぜる音を立てて、二人の聖衣が脱げる。大気に残るは遠く鈍い残響音。

 名残を惜しんだか、離れた一つ一つの聖衣のパーツは空中で一瞬カッと輝きを放ち、自らオブジェ形態へと形を変え、女神(アテナ)の前に座した。

 残るは胴着姿の二人の男の驚愕だ。

 

「なにィィィィィィ!」

「バカなっっっっ!」

 

 吹き出た汗が凍りつく思いだっただろう。

 ミロとデスマスクは、たった今、己が聖衣に見放されたのだ。

 ―――すなわち女神(アテナ)を守る聖闘士の資格無し、と拒まれたのである。

 

 それにしても、沙織さんの神としての覚醒が早い。前回は、これほど安定した神としての振る舞いをしてなかったと思うんだが、なんでだろう。

 ありがたくはある。

 期待していたとおりでもある。

 同時に、少し心配でもあった。

 沙織さんは、大丈夫だろうか。無理をしてるんじゃないだろうか。後でちゃんと様子を見なければ。

 知っている。人としての「城戸沙織」を手放したくないと、知っている。その俺が、見て見ぬ振りをするのは卑怯千万。手放さなくていい、と伝えなければいけない。たとえ、それによって俺の苦労が増えるとしても。沙織さんは沙織さんのままでいいのだ。

 

 呆然とするミロとデスマスク。

 装着者から剥がれたオブジェ形態の蠍座(スコーピオン)蟹座(キャンサー)の黄金聖衣。

 静観する俺。

 畏敬の眼を向ける氷河。

 それらを見渡して、沙織さんは莞爾と微笑んだ。透徹さを保ったまま。

 よろりとミロがぐらついた。デスマスクは蒼白なまま一歩も動かない。

 

「まさか、本当に……!」

 

 どちらが漏らしたとも付かぬ一言。

 凍りついたような空気。

 先に動いたのはミロだった。息を吸い込み表情を変え、今度は自らの意思で片膝を付いて礼をとる。その視線は真摯そのもの。本心からのように見える。それでも油断はしないが。

 

「我が身の不明を心よりお詫びいたします。女神(アテナ)よ。この度の失態は、我が忠誠と(いさお)しをもって必ずや(そそ)いでみせましょう」

「許します」

 

 沙織さんの答えは簡潔だった。

 更に言い募ろうとするミロを片手で制し、必要ないと示す。その目線は次にデスマスクに向かった。

 とうのデスマスクは無言で冷や汗をかき、こちらを向いた。雷光の狂おしさを含んだ苛烈な眼差しが、俺の全身を焼き尽くさんばかりに射抜く。

 ん? んん? なぜ俺を見る。首をかしげて、はっとひらめいた。

 これ、俺の意向待ちなのか、と。

 そうか。いや、必要、なのか。かしげた首をそのままに考え込む。理屈的には分からなくもない。デスマスクを負かしたのは俺だ。恐らくデスマスクとしては、やつの生殺与奪は俺が握っている、あるいは敗北したデスマスクが勝者たる俺に与えた命令権は未だ有効という認識なのだろう。

 でも女神(アテナ)だぞ。

 俺がどの陣営に属すかなんて分かってるだろうに、ためらう必要あるか? 

 わざわざ俺の許可をとらなくても問題ない、と思うんだが、よく分からんな。

 分からないなりに、とりあえず目配せしてみた。どう取るかは知らん。好きに深読みしてくれ。

 それを受けて、僅かに頷き、俺から視線を外したデスマスクの膝が折れる。

 

女神(アテナ)よ。この地上を守り、この地上の悪を討たんがため、我が力をお使いあれ」

 

 ぎりぎり自尊の範囲内の傲慢さ、そして、己への自信を隠そうともしない声だった。恭順の礼を示す動作は、黄金聖闘士らしく堂に入っている。

 自分が悪かったとも間違っていたとも言わないあたり、デスマスクらしいっちゃデスマスクらしい。もしかしたら、もとより悪いとも間違いだとも思っていないのかもしれない。確かに教皇は悪だけではない。それを否定はしない。

 前回を思い返すにしても、確かにこの男、犠牲を厭わず悪を必要悪だと許容するだけで、自分が正義を行う側であるという意識はあったからな。

 俺たち側からすると悪そのものにしか見えない男だったけど。悪を許容するのを通り越して楽しんでるようにしか見えない男だったけど。そもそも、女神(アテナ)への反逆自体が聖闘士としては悪だと思いはするけど。

 それでも、この男の裡にあるものが、この男なりの正義であったことは否定しない。

 冥界を覚えている。嘆きの壁の前に集った魂の煌めきを、何よりも尊い十二の輝きを、この世でたった一人、俺だけが覚えている。

 デスマスクの正義を否定することは、すなわち俺の記憶を否定することだ。

 ちょっと不安なのは、デスマスクの恭順は、本当に女神(アテナ)に対してか、というところだろうか。

 俺の目配せ一つで裏切ったりしないよな。信じていいんだよな。

 ……いや、俺が裏切らなければ、どっちにしても問題はない。そして裏切る予定はまったくない。

 一瞬かいた冷や汗を引っ込め、沙織さんにならって俺もにっこり笑った。おいこら氷河咳き込むな。どういう意味だよ、その表情。えらく複雑に歪んでるぞ。変顔選手権一位間違いない。

 

「星矢、笑顔のまま拳を固めるのはやめろ。ほどけ」





今回の分岐点は、黄金聖闘士の二人が膝を折るかどうかかなと思います。
折らなかった場合、星矢が無理やり二人の膝を砕きます。場合によっては頭も砕くので死亡イベ入ります。IFルート。

感想も楽しく拝見しております。ありがたいです。
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