竜腕ノ少女   作:空の間

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2- 孤独

 

 

 

 月は綺麗な真円を描き、その光で"かー"を照らしていた。

 レレは洞窟の隅に座り、銅像のように固まっている。

 

 "かー"が死んですでに3度、日が登り、沈んだ。

 その間、レレは見ず知らずの動物たちが"かー"に頭を下げていくのをじっと見つめていた。

 角の生えた馬や、羽の生えた白狼など、見るからに気高く美しい動物ですら一礼していく。中には"かー"のように大きな竜すらいた。

 

「"ソレ"は我らの中でもさらに特別な存在、水守だ。水守はこの大陸で住む生物にとって敬愛され畏怖される。なぜなら、獣ならば生まれた時から水をすすり育つ。その水を辿れば全てここにたどりつく。そして、水守がここで水を生み出し、彼らに与え育ててきた。我ですら感知できないほどの気が遠くなる年月の間、ずっとだ」

 

 レレの隣で蹲るように見ていた竜が"かー"を見て言う。

 "かー"の息子だと言う竜だ。

 

「その返礼に来るのは本能的なものにすぎない。野に戻ればここでのことなど忘れ、また、互いに血を流すだろう。それでも、ここで争うことはない。親に対して礼を尽くせるほどの知性なき生き物ですらな……ただ一種、人間を除いては」

 

 本当の意味で竜の発言にレレが耳を傾けたのは、その言葉からだった。

 それまではずっと右から左へと聞き流していただけで、"かー"に関わる以外の一切を耳にしようとしなかった。

 そんなレレが初めて、自分から疑問を抱いた言葉。

 

「人……間?」

 

「そう。レレ、お前らのことだ。人間。利益を求める獣の子よ……まさか自分が"ソレ"の腹から生まれてきたなどとは思っていまい」

 

「知るもんか……”かー”は私の”かー”だ」

 

 そっぽを向こうとするレレに、竜は言葉で縛る。

 

「育ての親と言うのならその認識は間違っていない。だが、生みの親と言う意味ならば間違っている。"ソレ"はお前を産んではいない。"ソレ"は生まれてすぐのお前をこの山で拾い、育てただけだ」

 

 自分の出生にレレは驚きはしたが、臆面にはみせずむっとした無言で返した。

 確かに言葉が伝わらないから面と向かって言われることはなかったが、レレがどれほどの時を費やそうと"かー"のようにはなれないことは普段の生活から身にしみていた。

 どれだけ腰を引っ張ろうと尻尾は生えなかったし、口を大きく開こうと牙は伸びなかった。時がたてば、と言う淡い希望もあったが、心の底ではあまり期待していなかったのかもしれない。

 実際には、レレにとって"かー"の事の方が重要すぎて他のものに対する感情が鈍っていただけだ。

 その反応につまらなそうに竜は鼻を鳴らす。

 

「しかし、"ソレ"も水守でありながら特異なことをしたものだ。本来なら人の子など見捨てればよかったものを……」

 

「”かー”はお前とは違う」

 

「無論、お前ともな」

 

 未だに泣きはらした跡を残す顔でレレは竜を睨ままつけるが、そんなもの、どこ吹く風と竜は受け流す。

 その間も、また一匹、また一匹と動物達は頭を下げて出て行く。

 やがて、一番後ろにいた燃えるように赤い鳥が"かー"に頭を垂れ、空へと飛んで行った。

 

「これで、最後か……」

 

 今まで途絶える事のなかった足音が無くなり、洞窟にはレレと竜だけが残された。

 

「お前は、これからどうするつもりだ?」

 

「……レレは、かーと一緒にいる」

 

「無理だ。ここは水守が死んだ事で加護を失っている、この花が枯れる頃には雪に閉ざされるだろう」

 

 水守に守られ加護の対象として扱われた今までとは違う。

 これからは、大自然の掟に従い、水守ではなく雪がこの山の水源となり、大地へ水を流す。

 けれど、水守がいるのといないのとではまったく違う、水守がいないしばらくは大陸全土で水害が多発することになる。

 尤も、それも一時のこと、数年もすれば新しい水守が選ばれ、また別のところに水源を作りだす。

 その頃には水守の役目を終えた"ソレ"は、とっくに山と共に雪に埋もれ、時と共に忘れられている。

 

 そんな事を考えながら竜はレレは話半分に聞き流していたのを見て、呆れたように呟く。

 

「もって月が欠けきるまでだ、そうなれば人間が生きるのは難しくなる」

 

「……関係ない。レレは”かー”といる」

 

 体を小さくして目の端に涙を浮かべ、レレは動こうとしなかった。

 ここ3日ほど何も食べてはいない、竜は人間の子どもがくだらない意地を張っているのだと、深いため息をついた。

 

 思えば"ソレ"がこんなものを育てていると言い出した時にも竜は理解に苦しんだ。人間と言えば、礼を知りながら礼を忘れ、言葉を用いながら殺し合う、そんな生き物だ。

 最後に会ったとき"ソレ"に頼まれでもしない限り、本来この竜はレレに関わるつもりなどなかった。だからと言って、"ソレ"のようにレレの面倒を見続けるつもりなど毛頭ない。

 なんとか理由をみつけて下山させれば、後はお互い干渉などしない余生を送る。

 そうタカをくくっていたのだ。

 

───その時は。

 

「無理だ。……死ぬぞ」

「うるさい! お前なんかどっか行け! どんなことがあってもレレは、”かー”といる!!」

 

 レレは叫びながら竜の方に手を振り払い、追い返そうとする。

 けれど、図体が違いすぎる上に生きてきた年数の桁が違う竜にとって、その程度でむざむざと引き下がる選択肢はなかった。

 

「"ソレ"とて、お前が山を降りることを望んでいるはずだ」

「黙れ! かーはお前とは違う! レレも知らなかったお前に、”かー”が望んでいることがわかるはずが無い!!」

「確かに"ソレ"の考えは理解しにくいものが多い。しかし、わざわざ心中して貰うためにお前を育てた訳ではなかろう」

 

 言葉に詰まったレレは俯いてしまう。

 

「……”かー”の元からいなくなったくせに。……”かー”が死んでから帰ってきたくせに。”かー”はいつも寂しがってた! レレがいないときは、いつもお前が来ないか空ばかり見てた! ……お前がいなかったから……”かー”はレレを育てたんだ!!」

 

 レレの叫びに竜は初めて首を上げ、吠えていた。

 

「竜とは孤独なものだ! 常に孤高の存在たるもの! お前らのように群れで生きるモノの目で測りきろうと思うな!!」

 

 

 その圧力は"かー"の迫力に勝るとも劣らないものだった。

 睨みつける眼光は鋭く、殺意こそないがその気になればレレを踏みつぶすことぐらいたやすいはずだ。

 

 だが、レレは"かー"の時のように腰が引けたりはしなかった。

 それどころか、竜を睨み返し、叫ぶ。

 

 

「なら、早くここからいなくなれ! レレは"かー"と死ぬ!! お前は孤独と死ね!!」

 

 竜は始めてレレが意地や戯言ではなく、本気で死のうとしていることに気がついた。

 気がついたが、そこまでだった。

 どうせ、実際に冬の寒さがくれば心が折れて山を降りるだろうと竜は考えた。

 

「…………好きにするが良い」

 

 だからこそ、竜はそれ以上レレに踏み込もうとしなかった。

 何度も説得はしたし、すでに義理は果たしたはずだ。ここで死ぬのもレレの勝手だと見切りをつけたのだ。

 

 翼を広げ、空へと羽ばたき洞窟から飛び去っていく竜をレレはずっと睨んでいた。

 レレにとって、その竜はずっと夢見た姿そのものだったからだ。

 

 "かー"と話すことができ、"かー"と一緒に空を飛べ、"かー"に愛されていた。

 それなのに、あの竜は孤独を選んだ、それが獣の在り方だとしても、レレは空の彼方へと小さくなる竜に憤りを感じずにはいられなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 広大な密林のさらに奥深く、そこは様々な生き物が住みながら強者と曲者が大半を占める混沌とした森。巨大な木々を見下ろすように竜が翼を広げ空を飛んでいた。

 

 その眼下には猪が走っている、竜は獲物を追いかけているのだ。

 だが、空を駆ける竜と、森を駆ける猪。猪が川へと向かった時点で勝負はついていた。森でならば身を隠すことができたが、川に足を取られ速度を鈍らせた猪に、上空から舞い降りた強靭な牙と爪を持つ王者に抗う術はなかった。

 

 猪は必死に暴れまわるが、水を跳ねさせるだけで強者からの致命傷を避けることはできない。川は血で赤く染まり、その匂いにつられおこぼれを頂こうと群がる肉食の魚や獣達が来る頃には、両者の影はそこから消えていた。

 

 竜は巣に戻り食事を済ませると、うつ伏せになるように尾を丸め、土に頭をつける。

 だが、何かを感じたように、ふと首をあげた。そこには巨大な木々の間から、雲間に隠れるように有明の月が鈍く光っている。そして、地平線の先には濃い雲がかかり雪が積もり始めた山脈が見えた。

 

 すでに、あの日から幾つもの日輪と月輪が交互に空を跨いた。

 

 本来、今を生きる獣に過去など不必要なはずだ。それなのに、竜が眠りにつこうとすると、瞼にはあの日出会った少女の顔が焼き付いていた。

 

───レレ。

 

 竜が口にできる中で最も人間の発音に近い言葉の連なり。

 竜に名前という概念は存在しない、人に飼われた下等な飛竜ならともかく、野生の竜同士が交流するのは数十年に一度あればよいほうで、幼い頃に教わった言語とてめったに使う必要がないからだ。

 だから名前などつけても誰も覚えようとはしない。

 

 それなのに、"アレ"は自らあの少女にレレという名を与えたという。

───……まるで人間の親子のように。

 

 竜はその日もまた頭を悩ませた。

 どうして、あんな年端のいかない少女が自ら命を断つような真似をするのか。

 何が彼女にそうさせるのか。

 

 どうして、"アレ"は寿命を減らしてまで、左手を与えたのか。

 わからない。

 いや理解できない。

 長い時を生きる竜の感性は刹那を生きる人の感情とは違う。

 

 それを理解して尚、思想の困惑と迷走が竜の眠りを妨げていた。

 そんな時、自分の体に小さな水滴が落ちてくるのを感じた。それは段々と多くなり連続的にポツポツと落ちてくる。

 

 雨。

 先程まで見えていた月はすっかり雲に隠れ、通り雨はあっという間に勢いを増していく。

 竜の体から雨が地面に滴り落ちていった。

 ここらへんで決して珍しいものではない、いつもなら気にせず寝ていられる程度のはずだ。

 それなのにその雨は竜の身に冷たくしみていく。

 

──あの人間の子は大丈夫だろうか。

 

 唐突にそんなことを考えてしまう。

 この竜が誰かを心配するなど初めてのことだった。

 それも見捨てたはずの無関係な人間の子を。

 

 雨音が竜の心臓を走らせ、水滴が思考を留めさせない。

 竜は目を開き、雨が落ちていくのを見ると、その心は何故か穏やかでなくなっていった。一度抱いてしまったその不安はどんどん大きくなる。

 

 そして、無性に耐えきれなくなった竜は翼を広げていた。

 翼を羽ばたかせ、地を蹴り、雨が落ちてくるその空へと舞い上がる。雨粒が体で飛び跳ね、目に入り視界を歪ませようと、竜は猛スピードで飛んでいた。

 風を切る音と水を弾く音が響きあい、雲の隙間から雷がこだまする。

 

 何度も翼を羽ばたかせ、風に乗る。

 何時間も空を飛び続け、竜はレレのいる山脈にたどり着いた。

 

 だが、それは想像していたよりも遥かに大きな雪雲が山脈を覆っていた。中では吹雪になっているだろう。

 竜といえどその中に飛び込むのは危険だ。

 空を行くものなら誰も知る自然という名の大きな壁。それでも、竜はその中へと飛び込んでいた。

 空気が薄くなる限界まで高度を取り、この山脈で一際高い山頂を目指す。

 

 雲が視界を封じ、中途半端に凍りついた雨が鱗に張り付く。

 視界に頼れない感覚でのみの飛行、どれほど危険で無謀かは言うまでもない。

 

 それでも、ひたすらに竜は前に進んだ。

 何が自分をそれほど駆り立てるのかすら理解できなかった。

 

 それでも、盲目的にレレのところへと目指す。

 

 

 暴風に襲われ吹き飛ばされそうになるのを堪え。

 石のように降り注ぐ氷に我慢し、ひたすらに翼で体勢を整える。

 

 百年も昔、まだこの山で"アレ"と飛んでいた感覚を掘り出し、荒れ狂う空を飛ぶ。

 まるで、母がそうしたように……。

 そう思うと嫌でもその時の記憶がよみがえる。

 

 自分が幼かったころ、我侭をいい母の言うことを聞かず天候の悪い空に飛びだした。

 その時は山の天候を理解していたつもりだった。

 だが、全く理解していなかったのだろう。水守の加護があったとはいえ、季節によってはこれくらいの嵐は起こる。

 

 唐突な暴風に小さな体が耐えきれるはずもなく、墜落しそうになるのを必死に堪えていたが、怖くて仕方なかった。

 雨が身に染み、後悔を促す。涙か雨粒かわからないものを流して空を飛ぶ。

 翼はいつ落ちてもおかしくないほどに震え、恐怖で体が凍ったように感じた。

 

 だが、そんな恐怖から助けてくれたのは母だった。

 小さな自分を口で器用に挟み嵐の空を飛び、巣へと返してくれた。

 あの温かさは今でも忘れることができない。

 

 そんな、感傷に浸っていると唐突に吹いた強い風に体勢を崩してしまう。

 だが、何故かその時の母の姿と今の自分が重なった気がした。

 巣に戻ろうとする前に母がわざと体勢を崩したように、この山の山頂には独特の風が吹くため一度体勢を崩しながら風に乗り巣へと戻るのだ。

 

 だから、それは偶然にすぎない。

 雲の切れ間から、雪に埋れている大きな洞窟を見つけた。

 間違いなくそこは母が住んでいた巣だ。竜は記憶の中にある母がそうしたように迷わず飛び込んでいた。

 

 

 今でも中には水守の加護が残っているのか、そこまで強い風は吹かず、雪がしんしんと降り積もっていた。

 母の死骸は半分以上が雪に埋もれ美しかったころの見る影を失っている。

 咲き乱れていた花は雪に埋もれ、木は雪の重みに耐えきれずいくつも折れていた。

 湖は凍り付き、雪がつもっている。

 一面が白く変わり果てたそこに、外から来る豪風だけが音を反響させていた。

 

 すぐに、竜はレレの姿を探し始めた。

 だが、どこにも見当たらない。

 最後にレレを見た部屋の隅には屋根があり、あまり雪が降り積もっておらず探す場所も無い。

 まさか水の中で死んだのかと思い、湖の氷の中を見たが、見つからず安堵してしまう。

 

 もしかして、寒さに耐えきれなくなり山を降りたのかと考えたが、今になって最後に見たレレの瞳が力強くそれを否定した。

 同時に記憶にあるレレの口からその言葉が発せられる。

 

「レレは"かー"と死ぬ!!」

 

 自然と竜は母の亡骸の下に目がいった。

 昔、自分が使っていた寝床。今も変わらずに使っているのだとしたら。

 祈るような思いで、覆いかぶさるように雪のつもった母の翼を口で掴みゆっくりとどける。

 

 そこには、小さく自分の左腕に抱きつくように、倒れている少女の姿があった。

 見るからにやせ細り血の気は失せ肌は青白い。

 死んでいるのかとも焦ったが、か細く白い息が口から漏れ出している。

 

 なんとかレレは生きていた。

 

 けれど、本当にレレは母と共に死ぬ気だったと、今更ながらに竜は痛感した。

 だが、考えれば至極当然だろう。ほとんどの生き物が住めないこの山奥で、レレにとって"かー"の存在は世界の唯一にして全てだ。その"かー"が死んだことによって、レレの生きる意味は失われたに等しい。

 

 それを獣として育ち、本能で巣立った竜に理解できなかったのはある意味仕方がない。

 だが、母は何年も前からそれを承知していた。

 だからこそ、生きて最後に母を見たのは一年程前、死期を悟ったのか自分にレレを頼みにきたのだ。

 竜は母がいつか死ぬだろうと思っていたが、心の何処かでもっと先だろうと考えていた。その母の頼みも話半分程度にしか聞いていなかった。

 

 唐突に竜は後悔に襲われる。

 自分は息子としての義理も母の頼みも、どれ一つとして果たしていなかったと。

 

 

 竜はレレをくわえ、舌でその折れそうな体を押さえると、大空へと飛びたった。

 母が自分にしたように自分がレレを助けるために、嵐の中へと。

 

 

 

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