琴葉探偵事務所   作:aihorrn

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琴葉探偵事務所 ~琴葉茜の災難な一日~

 魔道士の集う町、ロイドボイスの繁華街から少し外れた地域にある平屋。

 琴葉探偵事務所である。

 時間は朝を過ぎた頃。町も微睡から覚め、徐々にお店も開き始めている。

 普段の事務所はコーヒーの香りが漂う、居心地良いまったりとしたスペースだ。

「…………」

 しかし現在、こうして事務所の応対用ソファに座っていると、なぜか汗の滲むような緊張感が首筋をチクリと刺してくる。

 そんな気分を誤魔化すため、姿勢良くコーヒーを口に運んでいるのは、事務所の仮初の主、琴葉葵だ。

 青い長髪はサラサラと流れ、瞳は吸い込まれそうな赤色で、見る者を惹きつける。可愛い顔立ちとスレンダーな体のライン。

 これらの外見的魅力は、彼女を本業の探偵としてでなく、美しい女性という意味で心を掴まれたファンを作ってしまうほどだった。

 横には葵の双子の姉にあたる人物──自称冒険家兼葵のボディーガード、琴葉茜──がまるで動物のように目の前に座る男を威嚇していた。

 双子だけあって、葵と外見の特徴は一致している。髪色が赤いことくらいしか違いがなく、色を染めてしまえば区別がつかないのでは、と姉妹をよく知らない人たちは口にする程だ。  外見の類似さに反して、内面は姉と妹で全く違った。現に今も、姉妹を正面から見据える男は、彼女たちのことをまるで180度反転させたみたいだ、と感想を抱く。

 茜はグルルル、とでも喉を鳴らしそうな勢いで目の前の男を睨みつけている。

「嫌ですねぇ、そんなに警戒しないでくださいよ、茜さん」

 そんな明確な敵意を飄々とした態度で受け流す男。

 細身の長身に、しわのない紺色のスーツを着こなしている。身だしなみからは、魔法学園の頂点と呼び声高いロイドボイス魔法学園の教授という階級に相応しい気品を滲ませている。茜にとってはそんな事実でさえ腹立たしいと感じていた。

 常に顔を緩ませているその表情が特徴的だ。茜にとっては常に悪巧みをしているようにしか見えない。

 フィジー教授。ロイドボイス魔法学園の優秀な教授だ。学生たちからの人気は高く、講義は分かりやすいと評判だ。

 また、曲者ばかりの飛びぬけた魔道士の中でも常識人であるところは、彼に対して学生たちが親近感を芽吹かせる一助になっていた。フィジー教授ともう一人、コウ先生と呼ばれている教授は二人合わせて”優良教授2トップ”と学生の間で囁かれているのだとか。

 葵は爆発しかねない茜を遮るため、口を開く。

「と、ところでフィジー教授、今日はどんなご用で?」

「何しに来たんや、また厄介事持ち込みに来たんやないやろな」

 ──敵意むき出しぃ!

 気遣い空しく、葵に続いた茜の切れ味鋭い発言に、思わず横を振り返る。

 フィジー教授はそんな二人をいつものようにニコニコと眺め、言う。

「ええ、依頼に来たんです。また、困った状況になってしまいまして」

  

 フィジー教授が琴葉探偵事務所を訪れたのはこれが二度目だ、と葵は記憶している。

 一回目は茜にとって、散々な内容だった。

 ロイドボイス魔法学園中等部は卒業試験があり、合格することで卒業の資格を得る。

茜は実技に強く、筆記に弱かったが、卒業試験は筆記の割合が高かった。持てる集中力を総動員させて勉強に打ち込んだものの、一科目──フィジー教授の担当する”生物学”の試験でギリギリ合格圏に満たなかった。

 しかし、偶然茜の答案を採点していたフィジー教授は、ケアレスミスをあえて見逃すことでその答案用紙を紙切れから卒業証書へと捻じ曲げたのだ。

 茜がそれを知ったのは答案用紙が返却された時のことだった。

 試験の出来が良くなかったと頭を抱えていた茜は、フィジー教授にとても感謝していた。

 が、その心をフィジー教授は利用した。琴葉探偵事務所にやってきた彼は、遠回しに卒業試験での採点の件を引き出してきたのだ。無茶だと思う依頼だったので葵は断りたかったが、受けざるを得なくなった。

 その瞬間、茜にとってフィジー教授は恩人から、弱みに付け込む悪いヤツ、に評価が一転したのだった。

 

 ────本当に、身から出た錆だよお姉ちゃん。

 葵は内心、ため息をついた。

 葵は知っていた。茜が生物学の卒業試験前日、一夜漬けにかけていたことを。そして加え、集中力が続かずに何度も漫画に手が伸びていたこと。葵が指摘しても、へーきへーきとヒラヒラ手を振っていたこと。

 そりゃ赤点とってもおかしくないよ、と呆れたものだ。

 葵はフィジー教授に言う。

「はあ、困った状況ですか」

「ええ、それがもう猫の手も借りたいくらい忙殺されてるんですよ。問題児達には本当に困ったものです」

 普通に会話している葵に対して表情で不満を露わにする茜を無視して、フィジー教授は続ける。

「それで依頼内容ですが……私、美味しいものが食べたくなりまして。お二人には採取と釣りをお願いしたいんです」

 ズコッ、と葵と茜は思わず態勢を崩した。

「パシリか! 嫌がらせやんけ!」

「だから本当は僕自身で採りたいんだって。でもどうしても時間がないんだよ」

 とんとんとん、と小刻みに足を揺らす。

 葵は言う。

「はぁ、採取と釣り、ですか。具体的に何が欲しいんですか?」

「まず採取は……明日一日で、キョウソウタネを五つお願いします」

「えぇ、五つも!?」

 葵は驚きのあまり声を上げた。

 キョウソウタネ。日の昇った正午ピッタリになると一斉に蕾が開くキョウソウ花に実る種のことだ。味は絶品で、『病気になったらキョウソウタネを食べろ』と言われるほどに栄養満点。 高級食材に分類されるだろう。少なくとも琴葉姉妹からすると、そう手軽にありつけない代物だった。

「五つは厳しいなぁ……」

 葵の弱音が聞こえたのか否かは分からないが、フィジー教授は特に反応せずに言う。

「次に釣りですけど、こちらはマンゲツコウを一匹お願いします。こちらも当然、明日の内に釣った個体でお願いします。鮮度が命ですからね」

「マンゲツコウ……」

 葵は思わず苦笑する。

「何やそれ、怪物とかとちゃうやろな」

「怪物じゃなくてマンゲツコウだって。大きくて50cmを超えるかどうかくらいの魚で、とても美味しいんです」

「私たちは釣りのプロでもないですし、正直、一日で釣れると思えませんが」

 フィジー教授は不敵に笑う。

「心配ありませんよ、実は私、大穴場を知っているので。そこならあなたたち二人なら釣れる──いえ、むしろ適任です」

 葵と茜は沈黙する。二人とも態度に差はあれど、どちらもフィジー教授の心の内を探っている様だった。

 葵は口を開く。

「まあ、依頼をお受けすること自体は構いませんが……如何せん、明日一日で終わらせてほしいという条件が厳しいですね。なんとかなりませんか?」

「せやせや、いくらなんでも横暴すぎるで」

 便乗する茜を一瞥し、フッ、とコートの内側に手を伸ばす。

 ごそごそと紙面を取り出し、机に置いた。

「それは今回の依頼の詳細です。ひとまず、読んでもらえますか」

「はぁ」

 眉をひそめ、葵は紙を手に取る。ぺらりと開いた。

 その瞬間、葵と、葵の首元から覗き込んでいた茜は目を見開いた。

「ごひゃく──!?」

「500セヤナぁ!?」

 でかでかと赤文字で強調された当依頼の報酬金には、確かに『500セヤナ』と書かれていた。それだけあれば、一か月は一切仕事をせずに遊び惚けていても充分に余るほどだ。

 ──たった一日の依頼で500セヤナも……?

 葵は目線を上げ、言う。

「これ……書き間違いじゃないですか? 500セヤナって」

 フィジー教授は小さく首を振り、言う。

「いえいえ、その通りで間違いありません。明日一日でお願いした品を収穫していただければ、お支払いしますよ」

 500セヤナもあれば……と姉妹の脳裏で妄想が展開されていく。

「……で、でも達成できるか怪しい依頼をそう易々とお受けするわけには」

「そう言いつつ、葵さんの頭の中ではシミュレーションができてるでしょ? キョウソウタネの収穫方法について」

 葵は面くらった。フィジー教授の言う通り、葵はどうすれば5つ確実に収穫できるのか、これからの予定を既に立てていたからだ。

 フィジー教授は茜に向き直り、言う。

「そしてマンゲツコウは心配ナッシング、私がお伝えするポイントは誰も来ません。──それに茜さん、私はあなたに釣りの才能があると確信しています」

 茜は自分の顔を指さして、言う。

「ウチに? 何言ってんねんコイツ」

 フィジー教授はゆっくりと立ち上がりながら、言う。

「まぁ、そういうことで、よろしく頼みます。冒険家として有名な二人には簡単すぎるかな」

「いや探偵ですから!」

「せや! ウチらは探偵やぞ!」

 その言葉に、口をあんぐりと開け茜を見つめる葵。

 フィジー教授は微笑して、何を言わずに事務所を出ていってしまった。

 がちゃりと閉まった扉に向かって、茜は舌を出す。

「べぇ~~だ! 二度と来んな!」

 子供か、と内心でツッコみ、葵は言う。

「でもお姉ちゃん、依頼はやらないわけにはいかないでしょ」

「む、ぐぐぐぐ……!」

「ほら、フィジー教授も期待してくれてるみたいだし、頑張ろう?」

「葵にならともかく、あんな奴に期待されても嬉しくないわ!」

 そういうことになった。

 

  △△△

 

 某所。林の中。

 今日の天気は晴れ模様だが、日光は木々に遮られ、その大半がここまでは届かない。

 そして雰囲気もまた、不気味なほどに静寂だった。

 風だけが林の中を動き回っている。

「……あと一分」

 葵は首に掛けていた懐中時計を見て呟いた。

 現在時刻は11時59分である。

 周囲に生命感はない。しかし葵は確かに、虎視眈々と時を待つ別の生命が周辺一帯に溢れていることが分かっていた。

 ──私の方で2つ……いや3つは取りたいな。お姉ちゃんが4つ採れる保証はないし。

 フィジー教授が訪れた翌日、葵と茜は車で遠出をしてここまでやって来た。

 キョウソウタネを狙う競合者を極限まで排除するためである。その狙い通り、二人が確認している分には、この一帯に他の人間は来ていない。

 しかし、厄介なのは魔物だ。キョウソウタネを狙うのは人間だけではない。魔物たちにとっても大好物であり、魔物とこぞって取り合いの競争になるから”キョウソウ”タネなのだ。

 熟練した人が入念な準備、誰も知らないポイントを使ったとしても、一日に10個も取ることは厳しいという。

 それを素人の姉妹二人で五つを採取してほしいというのがいかに難題であるかが分かる。

 ……そう、それが琴葉姉妹でなければの話だ。

 葵と離れた別の場所で陣取る茜は、いかにも不満そうな顔つきだ。

 今になって、中等部卒業試験が近づいてきても暢気に遊んでいた過去の自分が腹立たしくなってきた。あの時にちゃんと勉強していれば、今こうしてあんなヤツの為に頑張らなくてよかったものを。

「……そろそろやな」

 茜は時計を持っていないが、敏感に辺りの様子を感じ取っていた。

 来る。そう思った瞬間、時計の長短の針が両方ともに真上を向いた。

 ざわっ、と一瞬にして周囲の静寂が破られた。

 どこに身を隠していたか、小型から中型の魔物が一斉に姿を現す。

 そして所々の木の根元の土が盛り上がり、花が伸び出てきた────!

 

 葵は目を凝らし、キョウソウハナが芽生えた箇所を最速で観測する。1、2、3、4──!

 オオカミ種、イノシシ種の魔物たちが素早くキョウソウハナ向かって駆ける中、捉えたものは4つ。葵は片膝をついて、両手の平を地面に着ける。

「”氷の造形魔法:氷の檻”──!」

 詠唱を行い、一息に魔力を両腕に流した。

 瞬間、キョウソウハナが花開いて種を覗かせた丁度のタイミングで下から氷が正方形に生成され、それを覆った。狙った4つの内、一つは氷が間に合わずに魔物がタネに被りついたが、3つは確保に成功したようだ。

 勢い余ったイノシシ種が氷の檻に衝突したが、びくともしない。魔物たちはなんとかキョウソウタネを引きずりだそうと、爪を立てたり突進したりしたが、薄い傷、小さな欠けが精々だった。

「よし、なんとか3つ採れた! ……後はお姉ちゃんの方だけど」

 魔物たちの関心が氷を作った犯人へと向いたことをよそに、葵は姿の見えない姉を心配した。

 

 

 同時刻。茜の周囲でもキョウソウハナが芽生え始めた。

 茜には葵のような氷魔法は使えないし、そもそも繊細な扱いが要求される魔法全般が苦手だ。

 ──ならば、圧倒的な魔力と出力でカバーすればいい。

「琴葉流奥義の六、”縮地”──!」

 茜曰く。この奥義を練習している時は距離感が狂って大変だったという。

 視界に映る物は、瞳とその物の位置関係から、大きく見えたり小さく見えたりするものだ。

 しかしこの瞬間に限って言えば──全てが等しい距離に見えるらしい。

「おっとすません!」

 まさに刹那。茜は見えたキョウソウハナとの距離をいつの間にか手が届くまでに縮め、近くにいた魔物に謝りながら、すぐ横を通り過ぎていく。

 視界に捉えるのがやっとの速度で木々の隙間を動き回り、結局、4つのタネを手に取った。

「よし、これでノルマは達成、葵が1個でも取っていればクリアやな。……うん?」

 袋にキョウソウタネを入れていた茜は顔を上げる。

 魔物たちが茜を見て、目を血走らせている。

 茜は袋をじぃ、と見つめ、向き直る。

「もしかして、これが欲しいんか?」

 魔物はもちろん答えず、じりじりと距離を詰め始める。

 茜はぽりぽりと頬を掻いて、呟く。

「本当はあんな教授にじゃなくてお前らにあげたいんやけどなぁ。────すまん!」

 どんっ、と茜は地を蹴り、空高く飛び上がった。

 高く伸びる木の更に上へ────

「ははははっ! ここまでは来れへんやろ!」

 油断する茜へと接近する黒い影が、風を切りながら進む。

 茜が音に気付いて後ろを見て、

「うおっと危なっ!?」

 右手に掴んでいた袋を強奪せんと突進してきた鳥から、身体を捻ることで回避した。

「何や、今度はカラスか!? 空の魔物まで好きなんかこのタネ!」

人がそうそうやって来ないということは、魔物が大量に生息しているのだ。

 着地後、ほぅ、と一息つく。

「これは帰るのも骨やな……僻地すぎたんちゃうか葵」

 そう呟く間にも、周囲からは人間でない生物の発する足音、吐息が茜に届く。

 状況を確認すべく、全方向を素早く観察する。

 ──そして、茜は目を見開く。

「……っ!」

 びくっ、と身体が強張った。

 緊張。頬を汗が伝う。

 ────どす黒い、あまりに大きな恐怖がそこに居た。

「なっ……嘘やろぉ……!?」

絞るような声で呟いた。

 茜の中で、キョウソウタネを取り合った魔物たちを落ち葉と同等の意識レベルにしてしまうような存在感。

 ──葵ぃ! 何でアイツが居る所を選んだんや!

 右後方に向けていた視線を咄嗟に戻した。茜は自身が無事であることを数秒間確認して、ホッと息をつく。

 見えたのは、ロックグリズリーというクマ種の魔物だ。

 全身は茶色の毛並みで、大きな四肢を持つ。目元は影か、それとも毛の色か──真っ暗であり、その瞳がどこを捉えているかは視覚では判断できない。

 魔物の中でも相当な危険生物に分類されているが、その理由はロックグリズリーの特性にある。

 目を合わせたが最後、この魔物は執拗なまでにその生物、いや獲物を捕ろうと追いかけるのだ。複数名で挑めば逆に利用できるが、個人で行動している際にはあまりに脅威。

 敵意が強くなるだけでこうも恐ろしくなるものか。ロックグリズリーは魔物と縁遠い人々でも恐ろしい魔物であることを知っていた。

 相当に危険なので討伐依頼が多く出され、手練れたちが、時には犠牲を払いながら討伐を行った。その甲斐あって、人の生活圏周辺ではロックグリズリーの姿を見ることはほとんどなくなったが……当然、茜が現在居るような僻地はというとこの通りである。

「……とにかく、さっさと逃げよ!」

 茜はもう後方を見ることができなくなったので、追いかけてくる魔物を全て振り切ろうと速度を出して駆け抜けていった。

 

 

 魔物から人気者になった茜は、ひーこら言いながら合流地点、林の入り口付近の平地に到着した。

 葵はどうやら先に着いていたようで、時計を見降ろしていた。茜に気づいて、顔を上げる。

「あ、やっと来た。お疲れ様、いくつ採れた?」

「4つ……。はぁ、ホントしんどかったで~! ずっと魔物が追っかけて来るんやもん、しかもロックグリズリーまで出てきてもうめちゃくちゃや」

 葵は胸を撫でおろした。

「良かったぁ。私は3つだから合計7つ。これでキョウソウタネはクリアだね」

「……えらい元気やな、葵は魔物に追っかけられたりせんだんか?」

 目を細めて尋ねる茜に、葵はきょとんとして、言う。

「え? 採ったタネを狙われはしたよ、すぐに外から凍らせちゃったけど」

 ケロっと答える葵を見て、茜は顔を手で覆い、天を仰ぐ。

「はぁ~ホンマずるいわ、葵は氷魔法が上手くてええなあ~~」

「それを言うならお姉ちゃんの魔力量の方が羨ましいよ、大抵の状況をごり押せるんだから」

葵は茜に背を向けて歩き出す。

「それ褒めてるんか? なあ?」

「褒めてるよ。ほら、早く次行こう? 急がないと夕まずめに間に合わなくなっちゃう」

「……へいへーい」

 二人は昼食を取りながら車を走らせ、フィジー教授が指定した場所へと向かった。

 

  △△△

 

 また数時間の運転の後、二人はまた別の僻地へとやって来た。

 車中でも話していたが、こちらの空は曇天。明かりは必要ないが、これではいつ雨に打たれるか分からない。

 山の中へと入っていく細道が見える入り口で、険しい表情を浮かべる葵は、言う。

「うーん、土砂降りになると困るなぁ……釣れたとしても帰ってくるのが難しくなっちゃう」

「よし葵止めとこ、こんな悪天候になりそうな状況でこんなところ入ってくの危ないしな!」

茜は手に持った釣り竿を放り投げるポーズをとって、言った。

 葵は目を細めて、言う。

「……別にいいけど、500セヤナも無かったことになるし、何より一番困るのはお姉ちゃんじゃないの?」

「ハッ!? うぐぐぐぐ……!」

 自身の置かれる立場を思い出した茜は悔しそうに歯がみして、釣り竿を握りしめる。

「ああもう! さっさと終わらせるで!」

 ずんがずんがと歩いていく茜の背中を追いかけて、葵は秘密のポイントへ向かって歩き出す。

 ――そしてしばらくの後、雨が降り出した。

 

 

 なだらかで、時に険しい山道を二人は進む。

 登山知識の浅い一般人でも問題なく歩ける程度だ。

 雨が木々の枝、葉から零れ落ちてくる。その影響でぬかるみ、滑りやすいこと以外は全く問題がないように思える。

 しかし、当の二人はそうは思っていないようだった。

「……ここは、相当やな」

「うん、私でも勘で分かるくらいだもんね。──とんでもない魔物たちが生息してる」

 不気味な静けさ。激しく交戦があったと見られる、ぽっかりとした空間。

 この山はヤバい。二人の直感はそう告げていた。

「くぅ、フィジー教授が言っていた大穴場とか、誰も来ないとかはそういうことだったんだ……! あの人の性格を考えれば、こんなことだろうと推理できたのに……」

「ホンマろくでもない奴やで。ところで葵、後どんくらいや? 横で水も流れ取るし、もう近いちゃうか?」

 葵は腰に巻いた小型のバッグからフィジー教授お手製の地図をとり、雨から守るように前傾になる。

「ええと……ここは過ぎたし、ここも通ったし、変な形の木も見た────ここだ、もうちょっとで池が見えてくると思う」

「やっとか! なんとか無事に着けそうやな」

 既に二人は小型~中型の魔物と数回の交戦をしているが、そこは流石と言ったところか、難なく片づけてここまで歩いてきた。

 まだ充分に明るい、これなら夕まずめに間に合うだろう。

 そう、夕まずめ。魚たちは活発にエサを食べようと探し回り、口を使う。活性がたかくなることを釣り師たちは経験則から知っていた。

 

 それならば。

 人よりはるか長く、魚を獲物として捉え、食べていたモノは────?

 

 先に気づいたのは茜だった。

「っ! 後ろや!!」

 葵はその声を聞いて素早く振り返る。

 と同時に、二人が居た場所に猛スピードで白銀が駆けた。

 左右に飛んだ茜と葵にケガはない。

「無事か?」

「うん、平気。それよりアレって……」

 四つ足を着く白銀の毛並み。

 筋肉に覆われた太い身体は体高で人の背に近い程に大きい。

 知能も高いと知られているこの魔物は――――

「ああ、間違いなく『ギガウルフ』やな……強敵や」

 葵は唇を噛む。ここまで来て、まさかの危険度高の魔物と遭遇してしまうとは。嫌な予感はしていたが、それにしたってゴール目前で現れなくてもよいではないか。

「きっとこいつも魚を食いに来たんやろな……魚が浮いてくる時間を狙って」

「……なるほど、理由はあったんだね」

 葵は気分を切り替えて立ち上がり、泥の付いた手の平を払う。

「お姉ちゃんは先に行ってマンゲツコウを釣ってきて」

「葵一人で相手するつもりか? 相当に危ないで」

「二人で戦っていたら夕まずめを逃しちゃうし、二人で逃げても結局池にアイツが来るなら釣りなんてできたもんじゃないでしょ。これしか選択肢はないよ」

「でも……」

 なお渋る茜に対して、葵は空を指さした。

「大丈夫だよお姉ちゃん、今の天気を見てよ」

「雨……そうか、そうやったな。なら、任せるわ」

 茜は笑みを浮かべた。

「じゃあ、合図で動くで」

「うん」

 二人はギガウルフを見据え、目を合わせずに言葉を交わしていく。

「頼んだよお姉ちゃん、頑張って釣ってきてね。できれば私が追いつくまでに」

「ウチだって素人やぞ? ……ま、お姉ちゃんに任しとき」

「うん、任せる」

「いくで、3、2、1────」

 ぐっと足に力をこめる。

「「ゴー!!」」

 二人は叫んだ。

 

 

 葵はギガウルフに向かって跳んだ。相手もそれに応え、噛み砕かんと大きな口を開いて突進する。

「っ……”氷の造形魔法──地中槍”!」

 葵はすんでの所で牙を避け、地面に手を着いて詠唱した。

 その瞬間、ギガウルフの足元から氷の槍が伸びる。

 ――避けられた!

 間違いなく死角からの攻撃だったはずだが、ギガウルフは後ろ脚を蹴り、くるりと半身になって180度回転した。

簡単には行かない。葵は雨に濡れた目元を拭った。

 仕切り直し。今度はギガウルフがじわりじわりとにじり寄り、間合いを詰める。

 葵は後ろに下がりながら、次の一手を考える。

「噛まれたら一撃。近距離なら一息に決めないとダメだし、でも遠距離から捉えられるとも――ひゃっ!?」

 完全に意識外の出来事だった。

 後ろを見ずに後ずさっていた葵の右足が小さな段差に差し掛かったことで、カクンとバランスを崩してしまった。

 狡猾なギガウルフは、もちろんそんな隙を逃すはずもなかった。一瞬にして間合いを詰め、噛み付こうと牙を向ける!

「くっ!」

 葵は無詠唱で右手を前から上に弧を描くように振り、そのままの形をした氷の壁を生成した。確かにこれならば、氷魔法のスペシャリストが作り上げた氷を砕かなければ牙は届かない。さらに、砕くことに時間を掛ければ隙となり、懐に入り込むチャンスとなる。

 ────が、ギガウルフの判断はこの最善手と見える一手さえを凌駕する。

 咄嗟の判断で口を閉じながら、横に顔を捻る。

「っ、マズい──!」

 葵は危険を察知して飛んだ。

 しかし、間に合わない。

 大きな鈍器となったギガウルフの顔が横から振られ、氷の盾と葵を”横”から吹き飛ばした。

 

 

 茜はついに野池に辿り着いた。

 四方は木々に囲まれていて、透き通った綺麗な水面に雨粒が落ちている。特に騒がしさもなく、これならば釣りに集中できるだろう。

 岸はなだらかな角度が付いているので、おそらくは中心に近くなるにつれて深くなっているのだろう。開けている場所はここしかないので、投げられるポイントは他になさそうだ。

「早よ釣って葵のフォローに行かな……」

 茜は急いで釣り竿を準備する。結んでおいた針に、キョウソウタネを突き刺して、針が隠れるようにした。

「よし、さっそく……」

 ざっと池を見渡すが、ぱっと見ではどこを狙えば良いのか全く分からない。

 とりあえず岸に近づこうとして、足を止めた。

「分からん、とにかくてきとうに投げ──いや、待てよ、魚だってアホやない、人間が居ると知ったら警戒するんとちゃうか?」

 そう感じた茜は、岸に近づく前に苦手な遠見の魔法を使い、主に岸付近の水面から水中へと目を凝らす。近づいても問題ないか、つまり浅瀬に魚がいないかを探るためである。

「んー、雨でちょっと見づらいな……金色、金色……おった!」

 茜は水深が1mもない浅瀬の底付近をゆったり泳ぐ魚を発見した。薄く金色に輝く綺麗な姿は情報通りだ。

「近づかんで正解やった! とりあえず遠くから投げてみよか……」

 次に悩むのは、このキョウソウタネをどこに落とせば良いか、だ。

 ──目の前に落とす? いやいやアカンやろ、ビビッてまう。じゃあ遠くか、でも気づいてくれな釣れるわけないしなぁ。

 うーん、と考えていると、ピコーン、とアイデアが降ってきた。

「ちょっと後ろ、やな。驚かせずに、それでいて着水音で気づいて振り返させるイメージで……ここや!」

 慣れないリールを操作して、茜はキャストした。元の運動神経が幸いしたか、初めてのキャストとは信じられない精度で、概ね狙い通りの位置に着水した。

 ゆったりと泳いでいたマンゲツコウはポチャン、と着水したと同時に動きに変化が起きた。 静かに回転して、音がした後方へと泳ぐ。

 ──キタキタキタキタ! 

 茜は興奮を押し殺すが、顔がニヤケ、手汗がにじんでいる。雨が強まっている事にも気づいていなかった。

 底まで沈んだキョウソウタネに近づいて、じっと観察するマンゲツコウ。

「喰え、喰え!」

 茜は小声で祈る。誘いをかけようと動かしたりはしなかった。

 そして、釣り師の間でも釣るのが難しいと言われているマンゲツコウが、誰も人が来ない雨模様という釣り場の状況、さらには茜の判断が見事に合致したことで────

「! 喰った!」

 ついに、口を使ったのだ。

 

 

 吹き飛んだ葵は一本の木にぶつかった。

「ぐっ、痛っ……」

 痛みに顔をしかめ、息を詰まらせる。

 しかし、すぐに顔を上げた。 

 視界に映るのは、次こそトドメと言わんばかりに口を開くギガウルフ────

「危ないっ!」

 葵は前転して、大きく距離を離す。ギガウルフの追撃はなかった。

 痛む左腕を右手で抱き、立ち上がる。

 ギガウルフに油断の色は見られない。距離を離して尚、その目は捕食されるモノに対して絶対的な威圧を放つ。

 葵はふと、気づいた。

「……雨が、強くなった」

気づけば本降りだ。絶え間なく頭、肩に雨が降り注いでくる。

 ぼそりと呟いた後、右の掌を胸の前にかざす。

 すると、パラパラと雨が氷に変化して、落ちていった。

「──これならいける。まあ、元々やられるつもりはなかったけど、さらに盤石になったかな」

 前を向き直る。

 びっしょりと濡れた髪は顔に張り付いている。不快そうに見えるが、葵は特に拭う様子も見せず、ただ半身で真っすぐと立ち、ギガウルフを見据えている。

「もう、この天候になった時点で私の勝ちだよ、ギガウルフ」

 言葉の意味が分かるのか──ギガウルフは、怒ったように吠えて、地を蹴った。

 対する葵は足を動かさない。

 スッと、右手を前に突き出した。

「──────”凍りつけ”」

短い詠唱を呟いた。

 不思議なことが起こる。

 ギガウルフの周囲に降り注ぐ雨粒が一斉に氷へと変化した。

 気づいた時にはもう遅い。それらが瞬く間に成長して、本当に、刹那にギガウルフを氷で包み込む。

溢れだした冷気が雨粒に伝い、キラキラと光って見えた。

 「ふぅ。左腕見せたらお姉ちゃん怒るかなぁ……」

 勝負は決した。

 雨粒を素材に用いる高等技術。雨が降りしきる空間において、葵は手の届かない距離であっても即座に氷を生成することができるのだ。

「……ごめんね? 中から凍らせはしなかったけど、強めに固めちゃったから1日は脱出できないと思う」

 そう。葵の言った通りだった。雨模様な時点で、ギガウルフに勝ち筋は一切残っていなかった。

「あーあ、もうびっしょびしょだ。気持ち悪いなぁ……」

 葵はもう手遅れだとため息をつきながらも、手早く氷で傘を造形する。

 それを差して池へと向かおうと思った矢先。

「あおいー! 葵ー! 釣れたでー!」

 茜が池の方角から、大きな魚の口を右手で持ちながら走ってきた。

「本当だ、その見た目はマンゲツコウ……凄いよお姉ちゃん、まさか本当に釣っちゃうなんて」

「それよりギガウルフは────あー、何とかなったみたいやな、お疲れさん、ケガはないか?」

「ちょっと左腕を打撲しちゃったくらい、全然平気だよ。……それより、早くマンゲツコウを水の中に戻さないと! 私が箱を作るから、池に戻ろう!」

 …………こうして無事、フィジー教授の依頼を達成することができた二人は、衣服を乾かす暇もなく、ロイドボイスへと車を走らせるのだった。

 

  △△△

 

 昼下がり、ロイドボイス。

 太陽が昇り、ポカポカ陽気が降り注ぐ。

 こんな素晴らしい天候の日は、のんびりと外を散歩でもしたくなる。

 そんな中、琴葉探偵事務所の一室で顔をしかめてベッドに潜り込む人物が居た。

 琴葉茜である。

 彼女は昨日の悪天候に身を晒していたことが災いし、体調を崩してしまったのだ。

 せっかく500セヤナが手に入ったというのに、ご褒美のエビフライを食べに行くことさえできず、寝転んでいることしかできない。 

 とても歯がゆい気分である。ずびー、と鼻をかむ。

 カラカラン、と事務所の扉から音がした。葵が帰ってきたようだ。

 葵は真っ先に茜の部屋へと足を運ぶ。扉を開け、様子を伺った。

「ただいまー、ちゃんと渡して、報酬も貰ってきたよ。……大丈夫?」

「全然大丈夫ちゃう……ああ、ウチの高級エビフライ……」

 干からびた声で言う茜に、葵はため息をつく。

「ダメ、ちゃんと体調治してからだからね」

「……くぅ~~、これも全部アイツのせいや、足の小指ぶつけてしまえ……」

 嫌いな相手に対して願うことがそれか、と葵は苦笑する。

「ほら、ゼリーとか色々買ってきたから、ちゃんと食べてしっかり寝ること」

「はいはい……」

 観念したように呟いた茜を見て、葵は胸中、微笑ましい気分だった。

 

 ──朝、とある飲食店。

 葵はなぜフィジー教授がこの場所を指定したのか疑問を抱きながらも、キョウソウタネとマンゲツコウを持っていった。

 驚いたのは、厨房に立っていたのがフィジー教授その人だったことだ。  

「え? フィジー教授、調理するんですか?」

 きょとんとして尋ねる葵に、フィジー教授は言う。

「うん、趣味なんだ。ところで依頼の品は……持ってきてくれたんですね、ありがとうございます。正直言うと、流石に全部は厳しいだろうなと思ってました」

「ということは、やっぱり強い魔物が生息していることを知っていてあのポイントを教えたんですね」

「そうですよ、でもお二人は突破できたでしょう? 万が一にも死亡事故なんて起きてほしくないですからね、そこは力量をちゃんと量りましたとも」

 するすると糾弾から逃れてしまう。

 葵は話題を変える。

「ところで、私たちが採ってきた物を自分で調理して、自分で食べるんですね」

「え? いやいや、違いますよ。これは私の研究室の子たちに振る舞うんです」

「美味しいもの食べたいからって言ってませんでしたっけ? 依頼持ってきた時は」

 フィジー教授は肩をすくめ、言う。

「あれは嘘です。本当は最近、ちょっと色々あって落ち込み気味な子たちのために、美味しい料理を食べさせてあげたかっただけですよ。どうです、凄く良い教授でしょう?」

「自分で言わなければ、ですけどね。お姉ちゃんは教授のこと、とんでもない悪者と思ってますけどいいんですか? どうせ、試験の点数に下駄を履かせたことなんて問題にもならないでしょう。意図的か否かなんて誰にも分からないんですから」

「あれはワザと。だって面白いんですもん、茜さん。まるで威嚇してくる犬みたいで」

「性格悪っ!」

「あ、報酬はちゃんとお渡ししますよ。カウンターの上に黒い袋に入れてますので、袋ごと持って行って下さい。今回は本当に助かりました、また、何かあったら依頼させてください」

「……それじゃあ、失礼します」

 フィジー教授はもう葵に興味を失くしたのか、マンゲツコウを手に取って、鮮度の良さに関心していた。

 

 ──お姉ちゃんにバラしてもいいんだけど。

 悔しそうな表情で目を閉じている茜を見て、葵は逡巡したが……わりかしすぐに、決心した。

「じゃあ、何かあったら呼んでね、事務所で仕事してるから」

 それだけ言い残し、葵は扉を閉めた。

 そもそも、事の発端は茜が勉強をサボったことが悪いのだ。

 それに、本当は生徒思いなフィジー教授の楽しみを潰してしまうのも悪いだろう。

「ふんふふ~ん」

 葵は小さく鼻歌を歌いながら、冷凍庫から先程買ってきたチョコミントアイス──いつものではなく、ちょっと高めの物だ──を取り出した。

「ごめんねお姉ちゃん、頂きま~す!」

 葵は、それはそれは、幸せそうにアイスを頬張るのだった。  

 

  

   

  

 

 

  

  

  

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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