フリーターの新川悟は映画「ジュラシック・パーク」を実現化させた「ディノランド」への見学機会を得た。訪れた「ディノランド」で彼は恐怖と驚愕の体験をすることになる。


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ジュラシック・ガール~強くてハダカで速い牝(メス)!~

「恐竜島、行ってみたいよな、金があれば」

 

 そう言いながら浜田隆志は、新川聡のノートパソコンを勝手に起動した。

 ここは新川の自宅で浜田は訪問者だというのに遠慮がない。

 

「まさか実現させるとはなぁ。馬鹿じゃないのか外人。さすがは肉食人種」

 

 マウスを前後させダブルクリックでウェブブラウザを立ち上げる。

 

 肉食と行動力に因果関係はないだろう、と新川は思ったが口にはしない。

 どうせ真偽も分からない無駄知識で煙にまかれるだけだ。

 

「まあSFのアイディアが現実になりましたって流れはよくあるけど――」

 

 ブツブツとつぶやきながら浜田は慣れた手つきでブラウザの検索欄に『DYNOLAND』と入力した。

 

「飛行機だってロケットだって、月旅行だって……あ、月にゃ行ったけど旅行はまだだな」

 

 浜田のセルフボケ突っ込みを新川は聞き流す。

 

「スマホだって腕時計型通信機だってそうだ」

「科特隊やね」

「ウルトラ警備隊だ」

 

 新川のボケに浜田は真顔で突っ込んだ。

 浜田は新川を下に見ているのか、突っ込みに気遣いや優しさが感じられない。

 ほんの少しだけ片眉を上げて新川は不機嫌を抑えた。

 浜田は続ける。

 

「こういう無理無茶無謀が科学を発展させてきたんだな。人類の滅亡を進めていたりもするけど」

「人類とは大きく出たな」

「当たり前だ。俺は、俺様は常に全人類の長寿と繁栄を願ってる。ユアロングアンドプロスパー。ここでいうユアってのは――」

「公式サイトで予約できるんだっけ、恐竜島?」

 

 新川は浜田の言葉を遮る。

 いちいち付き合っていたらきりがない類の話だ。

 

「……予約っていうか抽選やね。億単位の応募があるらしい」

 

 発言を遮られた浜田は左眉を吊り上げ、それでも新川の問いに答えた。

 

「億単位かぁ……」

「返信メールが来たら大当たり、恐竜島へご招待いたしますってね……」

 

 

 20XX年、北米のとあるベンチャー企業が恐竜の再生と繁殖に成功したと発表した。

 映画「ジュラシック・パーク」が現実のものになったのだ、と。

 世界の反響は大きかったが、その企業は成果を南米の小島のみで展開するとした。

 怪獣島ならぬ恐竜島の誕生である。

 

 名称についての権利問題が発生することを避けたのか公式サイトは「ディノランド」と表記されている。

 この名前にしてもありふれているし、名称をめぐる小規模な交渉はあったと新川は浜田から聞いた。

 

 ジュラシック・パークと違う点は、ディノランドはテーマパークではないところだ。

 インターネットの公式サイトはあるもののマスメディアの取材は一切受けず、情報は原則として非公開。

 観光客を誘致する訳ではなく春秋の年に2回、見学者を招待する。

 見学希望者は公式サイトから応募し、ごく少人数が当選者として見学終了までの秘密厳守を条件に招待される。

 

 まるで「チャーリーとチョコレート工場」だ、と新川は思う。

 

「維持費かかると思うけど観光客無しでやっていけるんかね」

「うーん。客を集める必要がないんじゃない? 金持ちの寄付でなんとかなるとか」

「向こうの寄付は桁が違うからなー5兆円とか。イチジュウヒャクセンマンオクチョウキョー!」

 

 大昔の特撮番組の主題歌を浜田が口ずさむ。

 

「見物者の人数が少ないのはさておいて、行った報告もほとんど見ないから、本当に恐竜がいるのか疑う向きもあるね」

 

 第三者の意見の体を装いながらディノランドの成果に浜田が個人的な疑問を投げかける。

 何事も否定から入る浜田の常套手段だ。

 

「動画は凄いぞ」

「映画のCGと区別つかねぇもん。それこそジュラシックなんちゃらと」

「それは……そうだなぁ」

 

 本物の恐竜を見たことがない以上、たしかに新川には見比べようがない。

 

「いくつか記事を流し見したけどこれに関する特許は出てないらしいね。あと恐竜を蘇生させたって論文も出てないとか。まあ英語の論文なんて何を書かれてても分からんけど」

「ニュートンとかネイチャーで特集してるの見たぞ」

「ああ、あれね……。ちょっと読んだけど画像も動画も公式サイトの引用だったな。取材許可が下りなかったのか会社にも現地にも行ってなかったな。作家のロマン溢るる感想文と大学教授の常識的なコメントだけだったな」

「ふーん。俺は写真しか見てなかったわ」

「常識で考えれば、億年単位で昔に絶滅した生き物を蘇らせるってのは信じがたいわな。ニホンオオカミやマンモスだってオフィシャルでは蘇ってねーし」

 

 ディノランド公式サイトの動画から恐竜の恐ろしげな鳴き声が響いた。

 

「白人はさぁ――」

 

 口をゆがめながら妙なイントネーションで浜田が言う。

 悪口や反社会的発言を言うとき、浜田はこんな口調になる。

 

「ティラノサウルスやラプトルじゃなくて、ステラーダイカイギュウやリョコウバトを復活させるべきじゃねーかな。絶滅させた責任持って。あと×××とか×××とか。あ、×××はまだ絶滅してねえか」

 

 浜田お得意の差別発言だ。

 新川のうんざりとした表情を気にも止めず、浜田はネガティブな発言を続けた。

 

「あとはそうだな……恐竜島に行ったらサイボットが動いてた、とかだとガッカリ感満載だわな」

「84ゴジラか。それじゃUSJと変わらんね。アトラクションだったら大阪に行けばいいし」

「まあ、USJはUSJで面白いらしいけど」

 

 差別的な事を平気で口にするわりに、浜田は妙なところで気を使う。

 ここで気を使ってもUSJは浜田に金は渡したりしないだろうに、と新川は思う。

 

「あと行ったらARショーだったとか」

「エーアール?」

「スマホとか専用メガネとか越しで風景見るとアニメギャルが映るやつがあるじゃん。あれあれ」

「ああ……あれね」

「位置データと連動したりして技術的には凄いんだろうけどイマイチ感はぬぐえんわね、触れんし」

「触れないのは嫌だな」

「そいや抽選についてだけど――」

 

 浜田が何か思いついたようだ。

 

「有名人とかブログやってたりする人間は選ばんのかもな。例えばアットランダムな抽選だったらフリーメアドを大量に用意したヤツが当たってもおかしくないし。ブロガーやユーチューバーはもちろん、堀江さんとかひろゆきさんとか好きそうじゃん。あと高須クリニックとか、最近じゃZOZOTOWNとか」

「確かにホリエモンが行ったって話は聞かんね」

「まあ行く機会も行けるチャンスもない以上、いらん心配かね。不運な俺たちはこうやって公式サイトを見ながらモヤモヤするのが関の山よ」

 

 そんな会話をしながら、新川は気をつける点がいくつか抽出できたことに満足していた。

 結論から言えば新川聡はディノランドの抽選に当選していた。

 この部屋で不運なのは浜田だけだったのだ。

 

 見学費用は渡航費も含めて全てディノランド側が持つ。

 見学終了までの秘密遵守が条件だ。

 

 ディノランドの話を浜田に振ったのは、観るときの注意点を確認するためだ。

 当選したことを浜田に話さなかったのは、ディノランドの見学条件はもちろんのこと客観的な意見が欲しかったからだ。

 持っている価値観はいびつであるが、総じて客観的かつ一般的な視点で物事を捉える浜田である。

 それでも新川だけがディノランドに行くと聞けば、嫉妬で目が曇ることは大いに考えられる。

 もちろん行った後で打ち明けて驚かそうという気持ちもあった。

 

 何はともあれ浜田との会話によって、新川はディノランド見学のときに注意する点を絞った。

 

 機械仕掛けだったらさすがに分かるだろう。

 CGやARについては現地で考えよう。

 新川はパスポートを取得し長期休暇を取り、郵送されたチケットを手に機上の人となった。

 

 

 果たして――、

 ガラパゴス諸島近くの離れ小島に恐竜は実在した。

 

 赤道直下の密林にティラノサウルス・レックスが、トリケラトプスが、名前も知らない恐竜が、大量に生きて動いていた。

 

 上空を滑空する翼竜。

 草原で草を食むブロントサウルスの群れ。

 見学者を乗せたジープと併走するラプトル。

 

 映画「ジュラシック・パーク」で観た光景が眼前に広がっている。

 その事実に新川はただただ衝撃を受けた。

 

◇◆◇

 

 そして今、新川は息を殺し、禍々しくうねった樹木の陰に身を潜めている。

 サプライズイベントではない。

 

 小型の恐竜に襲われて見学者の一団とはぐれ、新鮮な肉を得ようとする小型肉食恐竜からどうにかこうにか逃れたところだった。

 何故そうなったのかといえば、新川がガイドの指示を守らなかったからだ。

 

 ジャングルクルーズ出発の時に新川は女性のガイドからヘルメットを渡され被るよう指示された。

 透明ではあるがシールド越しに恐竜を見せるという方式に新川は疑問を抱いた。

 ヘルメットのシールドにAR機能が働いているのではないかと思ったのだ。

 見物客に目を配っていた女性ガイドの隙を見て、新川はヘルメットを脱いだ。

 

 ヘルメット越しでは見えなかったアンテナ塔が樹々の向こう側に見えた。

 

 新川はぐるりと頭を巡らせた。

 なるほどヘルメットのシールドには確かにAR機能が働いていた。

 それはジャングルの雰囲気にそぐわない建造物が見えなくなるよう隠蔽するためのものだった。

 

 そしてもうひとつ、ヘルメットには重要な機能があった。

 ヘルメットを被った人間は恐竜から認識されなくなるのだ。

 それは見学者の安全を確保するためディノランドが用意したセキュリティであった。

 

 ヘルメットを脱いだ途端、新川は背中に衝撃を受けた。

 突然のことに意識が混乱し、持っていたヘルメットを取り落とした。

 

 混乱する意識の中で新川は自分がクルーズ用のジープから転落したことを理解した。

 新川の視界に巨大な口が見えた。

 生臭い息を吐くそれは小型の肉食恐竜だった。

 

 小型恐竜はその場で新川を食おうとはしなかった。

 新川のブルゾンに爪を引っ掛け引きずりながら大股で走りだした。

 見学者から上がった悲鳴と怒鳴り声が次第に小さくなった。

 

 小型とはいえ太古の獣は人間の大人ひとりを簡単にデリバリーできた。

 ブルゾンが丈夫でなければ、恐竜の爪で破れすぐにデリバリーが終了しただろう。

 引きずられながらも、ほんの少し冷静になった新川は丈夫なブルゾンを恨んだ。

 そして恐竜のランチになることを拒んで、手足を激しく振り回した。

 

 足先が恐竜の腹にヒットした。

 小型恐竜は恐ろしげな唸り声を上げ腕を振り回した。

 恐竜の爪からブルゾンが外れ、新川は落ち葉とに覆われた地面に投げ出された。

 

 急いで起き上がった新川は、ゆるい傾斜を下に下にと走り出した。

 多くの野生動物と同じようにこの恐竜も坂を下ることが苦手だと考え、それに賭けたのだ。

 

 新川の賭けは当たった。

 小型恐竜は新川を連れ去ったときの敏捷さを失い坂の上でまごついていた。

 その隙に新川は傾斜を下り木々の間をすり抜け、巨大な樹木の根元に身を隠した。

 

◇◆◇

 

 そして今、新川は曲がりくねる樹木の根本で息を潜めている。

 

 恐竜と距離を取ることには成功した。

 その一方で見学者のジープからも大きく離れてしまった。

 

 傾斜の下の下、低地にはARで隠すような人工の建造物はなく、小さな川が流れているだけだ。

 ディノランドの職員が居そうな場所は見当たらない。

 女性ガイドが説明していた緊急時の対処法を新川は思い出す。

 ガイドは緊急時にはヘルメットのボタンを押すよう見学者に指示をした。

 だがそれはヘルメットを取り落とした新川には出来ない対処法だった。

 

 ミシ……ミシ……

 

 葉を踏みしめる小さな音が聞こえた。

 

 シュー……シュー……

 

 そして呼吸音。

 

 先ほどの小型恐竜かどうかは判断できないが、何かが居るということを新川は理解した。

 

 葉を踏む音と呼吸音は確実に大きくなっていく。

 新川は音を立てないよう身体をねじり、木の陰から周りの様子を伺う。

 視界に恐竜らしき姿はない。

 

 それからゆっくりと首を伸ばし、じわりじわりと視界を広げていく。

 動くものに細心の注意を払いながら。

 

 視界の右側。

 

 細く長いものが見えた。

 新川は頭の動きを止める。

 

 小型恐竜の尻尾だ。

 

 尻尾を目で追いながら息を止め、新川は慎重に頭を動かす。

 枝の間から見える小型恐竜は、新川が居る樹木の方を全く注意していない。

 これなら恐竜は気づくことなく通り過ぎるだろう。

 

 緊張から開放された新川はゆっくりと息を吐いた。

 ふと、目の前の枝がゆっくりと蠢く。

 

 周囲に広げていた意識をかき集め、新川は目の前に集中する。

 

 それは木の枝と同じ太さの芋虫だった。

 

「くぁwせdrftgyふじこlp;@:!!」

 

 新川は奇声を上げた。

 その声に恐竜が振り返った。

 

 新川は木の根元から飛び出し、さらに下へと転がるように坂を下る。

 そして、行き着いた先は――

 

 ドバシャッ!

 

 水の中だった。

 

「……ぷはあっ!」

 

 新川は顔を上げた。

 

「ごほっ!……ごばっ!……ごほっごほ……」

 

 つまづいて倒れただけで、そこは浅瀬だ。

 立つと新川の腰までしかない。

 そして新川は言葉を失った。

 

 川の向こう岸に、ひとりの少女が岩に腰掛けていた。

 

 薄く日焼けした肌は肌理細かく、無造作に伸びた金髪は輝いている。

 水浴びをしていたのだろうか。

 身には何もまとってなかった。

 

 ずぶぬれの新川を見ているが興味を惹かれているようには見えない。

 とはいえ外国人の表情は分かり辛いものだ。

 

 そう。

 

 少女の顔つきは外国人のそれだった。

 口や鼻は幼さが残り、まだ女として完成されていない。

 それでも未完成だからこその美があり、それはやがて訪れる完成美への確信も含んでいた。

 美少女――というごくごくありふれた言葉。

 そんなありふれた言葉がよく似合う稀有な美少女だった。

 

 少女はふいに立ち上がると、ぱしゃぱしゃと水音を立てながら向こう岸まで歩いた。

 岸にある大きな岩の上に置いてあったモノを身につけ始める。

 それは衣服と呼べるか判断が難しい紐のような皮だった。

 

 ゆっくりと丁寧に少女は自らの身体に紐を巻きつける。

 それから毛皮を胸と腰に付けた。

 最後にナイフホルスターの付いたベルトを毛皮の上から腰に巻く。

 

 陽光が零れ落ちるジャングルの中、厳かな儀式のような時間が過ぎた。

 

(まるで、『恐竜100万年』だな……)

 

 ラクエル・ウェルチよりははるかに若い。

 ハリウッド女優とは違うナチュラルでスレンダーな身体。

 身長は新川と同じくらい。

 日焼けした肌にはところどころに擦過傷があり、それが少女の美をより際立たせている。

 絞り込まれた筋肉質。

 新川は軽量級のMMAファイターを思い出す。

 

 新川は現実離れした少女の一挙手一投足を見つめつつ、やけに現実的なナイフとベルトに違和感を感じた。

 

 少女は無造作に足元の石を拾う。

 その何気ない動作さえも流れるようで無駄がなく美しい。

 

 少女が腕を振った。

 拾った石を投げたのだと分かったのは後からだ。

 

 ギシャアッ!!

 

 背後で獣の叫び声が上がり、新川は慌てて身を伏せた。

 さっきまで新川を追っていた小型の肉食恐竜だった。

 

 少女は猫のように岩伝いに跳ぶと新川の前に立った。

 新川の襟首を掴んだ少女は、そのまま川へと放り投げた。

 

 再び川から顔を出した新川の目に少女の姿が映る。

 その手には黒い刃のケイバータイプのナイフがあった。

 

 少女は小型恐竜の牙を払いのけつつ、ナイフで首筋を切り裂く。

 恐竜は長い首をしならせ、二度三度と少女を噛み付こうとする。

 その度ごとに少女は恐竜の頭部を払いのけ、ナイフを突き立てた。

 

 恐竜が少女から離れる。

 2メートルほどの間で、牙を剥き鳴き声を上げて少女を威嚇した。

 少女もまた腕を広げてナイフを構え、威嚇の声を上げる。

 少女の威嚇の声は樹木の間に広がり、不思議と新川の心を落ち着かせた。

 

 しばらく睨み合いが続き、やがて恐竜がじわりじわりと後ずさりする。

 少女から目を離さないまま5メートルほど距離を取り、振り向きざま一気に坂を駆け上がった。

 

 小型恐竜は坂の途中で一度だけ振り返って少女と新川を見た。

 口惜しそうに一声鳴くと、木々の奥に姿を消した。

 

 

 川から岸に上がった新川は少女と恐竜の様子を伺っていた。

 ふと、何かの息遣いを感じて新川は頭を巡らせる。

 

 右横にいつの間にか小型肉食恐竜が立っていた。

 

「くぁwせdrftgyふじこlp;@:!!」

 

 新川はもう一度、奇声を上げて走り出した。

 そのまま川に転がり落ちて、少し乾いた服がまたずぶぬれになる。

 

 その恐竜は慌てふためく新川を見ても、すぐには動かなかった。

 鋭い爪の生えた短い両前脚を少し上げ、新川の感情を窺うように頭を傾げる。

 その仕草は敵意がないことを訴えているかのようだ。

 

(……自分は怪しい恐竜じゃないって?)

 

 川の中から新川は恐竜を観察する。

 身体の大きさは新川を追ってきた恐竜と同じくらいだが、頭はふた回りほど大きい。

 頭部と腕にわずかに羽毛が生えているのが見えた。

 

(こっちも映画で見たな。名前はなんて言ったっけか……)

 

 バシャ

 

 背後の水音に新川は振り返った。

 小型恐竜を追い払った少女が水音を立てながら、新川に向かって歩いてきた。

 

「あ、ありが――」

 

 助けてもらった礼を言おうとした新川の襟首を少女が掴んだ。

 

「ちょ、ちょっと! その……待って。じ、自分で歩くから!」

 

 新川の言葉を意に介さず、少女は新川をひきずって大頭の恐竜がいる川岸まで歩いていった。

 

 少女が手を離したのは大頭恐竜の前だ。

 少女と恐竜に挟まれた新川は、恐る恐る一人と一匹の様子を窺う。

 

 恐竜は巨大な牙と爪を持ち、少女の手にはケイバーのナイフがある。

 どちらも新川の命を奪うには充分な凶器である。

 新川は自分の考え違いに気づいた。

 

 恐竜はもちろんのこと美少女であっても食事はする。

 それは木の実かも知れないし肉かも知れない。

 もし肉だとしたら――。

 

 新川は少女の目を見た。

 やはり外国人の表情は分かり辛い。

 

 いや、表情が分かり辛いのではなく、そもそもこちらに対して感情がないのではないか。

 

 人間がスパゲティやカレーライスやハンバーグに感情を向けるだろうか。

 新川は恐竜のランチから美少女のランチに、捕食者が変わっただけかも知れない。

 

 新川の推察を裏付けるように少女はナイフを構えた。

 

(……!)

 

 声にならない声を上げ、新川は頭を巡らせて逃れる術を探す。

 

 そんな新川とナイフを構える少女の間に大頭恐竜が割って入った。

 大頭恐竜――ディノニクスは少女を押しとどめ、時折、新川を指差しながら少女と声を交わす。

 

(そうだ……ディノニクスだった、恐竜の名前)

 

 恐竜の学名を思い出した新川を尻目に少女とディノニクスのやりとりはしばらく続いた。

 

 やがてディノニクスの説得(?)が功を奏し、少女は渋々ナイフをホルスターに仕舞った。

 その様子にほっとしたのもつかの間、新川は少女にブルゾンを掴まれ引き倒される。

 

「ちょ!……まっ……な、何を……?」

 

 少女は新川の脚を踏みつけブルゾンを、まるで皮を剥ぐように脱がした。

 

 少女は新川から剥ぎ取った戦利品を両手で掲げる。

 それから幼い美貌に満足そうな表情を浮かべ、少女はブルゾンを羽織った。

 

「あ、それ……裏返し……」

 

 得意げな少女にブルゾンが裏返しだと指摘したものかどうか、そしてどんな方法で指摘したものか起き上がりながら新川は悩む。

 

(リバーシブルじゃないしなぁ……)

 

 そんな新川の問題を解決したのはまたしてもディノニクスだった。

 

 恐竜は軽い足取りで少女に近寄り、一言二言、声をかける。

 その鳴き声とも唸り声ともつかない声を聞いて、少女は慌ててブルゾンを脱ぎ、表裏を正して着直した。

 

 ディノニクスは新川を見て爪を立てる。

 サムアップのつもりだろうか。

 

 少し大きめのブルゾンを“正しく”羽織った少女は、まるで新しい洋服を買ってもらったように、その場でくるりと回って見せた。

 ディノニクスがかちかちと前足を合わせ、新川も付き合うように拍手をする。

 

 少女は恐竜と新川を交互に見てから、新川にその顔をぐっと近づけた。

 少女が問いかけるような表情を浮かべる

 新しい服を着て見せた少女に言う言葉はひとつしかない。

 

「その……すごく……似合ってて可愛いよ、うん。ぷりてぃー、びゅーてぃふる」

 

 新川は笑い顔で少女を褒める言葉を並べた。

 笑い顔が少し引きつったのは仕方のないことだろう。

 

 男物のタフな作りのブルゾンを羽織る金髪の美少女。

 その姿は服が似合っているというより、ミスマッチによる魅力の増大だ。

 むき出しの胸元、そして健やかに伸びた両足は愛らしく扇情的であった。

 

 新川の高評価が伝わったのか、少女は笑顔を浮かべぴょんぴょんと何度も跳ねた。

 それからディノニクスの首の辺りをバンバンと叩き、新川にも抱きついて喜んだ。

 

(返せ、とは言えなくなったなぁ……)

 

 血抜きされバラバラにされて保存食になるよりマシだと、新川は思うしかなかった。

 

 笑顔の少女は新川の腕を掴むと、森の奥に向かって歩き出す。

 

「いや、その、俺は帰りたい……ん、だけど……?」

 

 そんな新川の呟きに反応するかのように少女の前にディノニクスが立ちふさがった。

 

 説得するかのように小さくそれでいてしっかりと唸り声を上げるディノニクス。

 頬を膨らませ不満そうに頭を振る少女。

 何度かのやり取りの後、少女は新川の腕を掴んでいた手を静かに離す。

 むくれた表情の少女は顔を伏せ、その場に腰を降ろした。

 

 ディノニクスは少女を見ながら首を軽くすくめた。

 それから新川に顔を向けると鋭い爪を持つ前脚で川の下流側を指し示した。

 

「……あっち? あの方向に行けってこと?」

 

 新川は自分と方角を指差し、恐竜の真意を確認する。

 ディノニクスは一声鳴くと大きな頭を縦に振った。

 新川の解釈が正解だったのだろう。

 

「ありがとう……サンキュー……それじゃあ」

 

 ブルゾンは惜しいがここには命の危険がある。

 新川はディノニクスの話――仕草を信じることにした。

 

 川の下流に向かって新川は歩き出す。

 振り返るとディノニクスはまだ新川を見ていた

 隣の少女は俯いたまま、何かをする様子もなく羽織ったブルゾンをいじっていた。

 

 新川は振り返り手を振った。

 短い間だったが縁が出来、そして命を救われた相手だ。

 挨拶をしても罰は当たるまい。

 

 新川の挨拶にディノニクスが前脚を振って応える。

 その隣で俯いていた少女はブルゾンの胸をばんばんと叩く

 それから少女は立ち上がって顔を上げ――

 

「aaaAAA-AGGGHHHHhhh!!!!」

 

 気高く鋭い声を森中に響き渡らせた。

 

 新川はもう一度大きく手を振り、川の下流に向かって歩き出す。

 もう振り返らなかった。

 

◇◆◇

 

 その後、ディノランドの警備員に発見され、新川の恐竜体験ツアーはここで終わった。

 見学規定違反で強制的に帰国させられたからだ。

 定期便の船が到着するまでの間、軟禁状態にされて言われるままに大量の書類にサインをした。

 書類の内容については詳しく確認しなかったが、要約すると今回のツアーで新川に生じた問題でディノランドの非を問わないという文書だった。

 

 帰国の船を待つ間、ホテルの部屋の前には警備員が立ち、新川の外出を制限していた。

 無愛想で口を利かない警備員の腰にはケイバーのナイフが下がっている。

 ナイフを見て新川は少女のことを思い出したが、そのことは警備員にもガイドにも話さなかった。

 

◇◆◇

 

 新川の自宅を訪れた浜田はニヤニヤと笑いながら開口一番こう言った。

 

「ディノランド、どうだった?」

「それが色々と面倒に巻き込まれてね……て、なんで知ってる?」

「やけに長い休み取ってるって聞いたからな。家にゃ居ないくせに車あるし」

 

 まんまと引っかかってしまったことを後悔しながら、浜田の次の言葉に新川は驚いた。

 

「メールの返事の意味は、よく分からんかったけどな」

 

 恐竜少女のことに頭がいっぱいで、新川はすっかり忘れていた。

 少女に渡したブルゾンにはスマホが入っていたのだ。

 

「どんな……返事だ?」

 

 恐る恐る浜田に聞く。

 

「服がどうとか……。なに、自分が書いた返信、覚えてねえの?」

「スマホは……ディノランドに忘れてきた」

 

 浜田のニヤニヤ笑いが消えた。

 

「……んじゃなんで返信がくるんだ?」

「メール……見せて」

「ちょっと……待て……これだけど、心当たりは?」

 

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Re:どこにいる?

 

服ありがとう

電話返す次

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「……」

「ドコモに言ってスマホを止めてもらったほうがいいんじゃね?」

「……うん、そうだな。そのうち……」

 

 自分のスマホをいじる少女と恐竜の姿を思い描き、新川は楽しくなってくる。

 他人のスマホを握り締め急に笑顔を浮かべた新川を、浜田が怪訝な顔で見ていた。




『ジュラシック・ガール~強くてハダカで速い牝(メス)!~』 (終)

<追記>

 その後、海外通信による超高額のスマホ使用料に新川が絶句したり、新川のアパートに少女とディノニクスが押しかけたりするのだが、それは別の話。


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