【 三次創作 装填騎兵エミカス ダージリン・ファイルズ 】 作:米ビーバー
―――蝉が啼いている。
夏を精一杯生きていることを皆に伝えるために。その命の証を残すために。
―――蝉が啼いている。
長い時を土の下で過ごし、十日と保たぬ生命を懸命に生きるために。
―――蝉が啼いている。
焼けたコンクリートの地面に、玉砂利の庭に、放られた打ち水で世界が歪む。今日も暑い一日であるようだ。
―――蝉が啼いている。
ただ整然と打ち水を終えて、無表情を増した面の皮の上を伝う汗を軽く手で拭って空を見上げた。
燦燦と降る陽の光が、やけに恨めしい。
―――あの日もこんなどうしようもなく暑い日だった。
「ただいま、エミ」
水を張った桶と柄杓を片手に、独り言というよりは話しかけるように呟く。
あの頃と同じ、黒森峰のPJ姿で墓石と対面している私の姿はきっと一般的には異様に映るだろう。
―――今この場においてはその範疇から外れるものともいえるのだが。
「……やや、遅れましたわね」
「まだ皆も来ていない」
「久しぶりに聞きましたわね。それ」
背後からかかった声に短く答えると、クスクスと笑う声が返って来た。
かつて鎬を削った高校生のころを思い出し、心が温かくなったような気がする。
振り返れば聖グロリアーナのPJに身を包み、トレードマークの紅茶のカップとソーサーを携えたダージリンがそこに立っていた。
「マホーシャ!来たわ!!」
「……ご無沙汰しております」
プラウダのPJを身に着けヘルメットを被ったカチューシャが、ノンナの肩に担がれた状態でやってきた。そのまま地面に降ろされたカチューシャは胸を張り、カチューシャを下ろしたノンナはこちらに向けて会釈をひとつ。
「エミーシャ!!今年も来てやったわよ!!」
墓石の前でいつもそうしていたように胸を張るカチューシャを嗜めるようにノンナが肩に手を置くと、わかっていると静かに座って手を合わせ祈り始めた。
「みほさんは、どうされましたの?」
「ああ、みほならエリカを迎えに行っている」
みほとエリカのことをいつも気にしていたエミにとっても良い傾向なのではないだろうか?などと考える。どこからか温かい視線を感じた気がして空を見上げた。
サンダースのケイ、継続のミカ、島田愛里寿。そして何より誰よりもエミの傍で戦ってきた同じ小隊のメンバーたち。学園の間も、流派間も越えて続々とやってくるのは当時のライバルたちであり、同じ道を志した仲間たち。偏にエミの人徳であると伺える。
もう何年目になるかわからないエミの墓参りは、今年も大盛況で行われる様だ。
*******
「貴女も新入生?私も今年から
「アッハイ」
ファーストコンタクトは、何というか、ぼうっとした娘だった。
校門を前に何やら感慨深そうにしていた少女が勢いよく校門を踏み越え敷地に入ったところで挨拶をしたところ、よくわからない不思議な踊りにも似た妙な動きと呆けた表情のまま短く返事をして反応をしなくなったので、放置することになったのはやや気に病んだものだ。
「わぁぁぁぁぁぁ――――――!!!?」
「撃てっ!!」
中等部で初めての戦車道の教導。同じ戦車に乗り込んだ少女はあの時の少女で。
しかしその体躯から想像した通り、まるで何もできないまま終了まで戦車の中で右に左に振り回されてばかりだった。
遠からず戦車道を諦めるだろうと思っていたあの少女が、掛け替えのない存在になるだなんて、思ってもいなかったのだ。
*******
―――西住家演習場。西住流の道場に併設された戦車用の演習場に、1輛の戦車が待機している。
ティーガーⅠ。黒森峰女学園の、高校生大会のレギュレーションに合わせて調整されたそれに乗り込むのは、かつてのPJ姿のままの私と―――当時の乗員たち。
1児の母になった娘もいる。独身を貫いて今も戦車道を続けている者もいる。もう戦車道を辞めて久しい者も――この時のためにトレーニングを欠かしてはいない。
「――お久しぶりです」
「―――――――ああ」
戦車の手入れをしている背後から掛けられた声に、短く返す。「相変わらずですね」と苦笑したような別の声。人数は4人。
「―――フリューゲル小隊。全員揃いました」
「―――あぁ、始めようか」
整備を終えた乗員たちが全員で軽く汚れを落とし、PJ姿で整列する。
「「「――――よろしくお願いします!!」」」
*******
「私の浅慮を謝らせて欲しい。貴女は得難い才能を持っている素晴らしい選手よ」
「あ、はい。アリガトウゴザイマス」
緊張しているのかやや青い顔の少女を前に頭を下げ、握手を求めた。
「――今日“も”決着はつかなかったな」
「いや、西住さんを抑え込むことしかできなかったしなぁ……」
何度も鉾を交えた。戦場で向かい合った――模擬戦でのぶつかり合いだが。
「お前さんの要望通り、“指導”してやるよ」
「成程――そのご指導、受けましょう」
「―――待ったぁーーーーーーー(ガピー)!!!」
三年生による、後に“かわいがり”だったと知った指導の際に、自分のチームを引き連れて助太刀に駆け付けてくれた。大声にハウリングを起こす拡声器にクラクラしながらも笑っている彼女の様子が、なんだか面白いと感じてしまったものだ。
その後、労をねぎらうためにもヤークトのメンバーを含めて慰労会という名目で部屋で(ノンアルコールだが)宅飲みのようなものを催し―――
―――後にも先にも母以外の存在であそこまで恐怖を感じた瞬間は無かった。
*******
「じゃあ、始めるけど―――準備はいい?」
ヤークトティーガーの内部、車長席に座って乗車の感触を再確認した車長が装填席へ視線を投げる。
“彼女”の居たその場所で、砲弾を両手で抱える“彼女”よりやや大きな、しかし小柄な姿。
「――お任せください!!天翔殿にはまだまだ及びませんが、精一杯務めさせていただきます!!」
元気な声で応えて、少女はくせっ毛を揺らして車長に笑顔を返した。
********
旋回、迂回、後退旋回、砲塔旋回、全速前進、等速旋回、信地旋回。
目まぐるしく合図を送り、その合図全てに応えてくれる操縦手に心の中で賛辞をひとつ。目の前のヤークトティーガーは最小限の動きでこちらへ砲塔を向け、最短3秒半ほどの感覚で砲撃を放ってくる。
十分すぎるほど早い。が、足りないのだ。
「まだ遅い」
砲撃の感覚としては世界レベルに達するそれを切って捨てて、砲塔の射線上からスルリと退避する。0.5秒の遅れで攻撃の有効・無効は覆される。だからこそ
―――天翔エミは装填を極めたのだから。
*******
「「「「ありがとうございました」」」」
フリューゲル小隊と私の小隊が互いに礼を交わして演武を終える。
この模擬演武が始まったのは―――翌年のエミの一回忌からだっただろうか。
あの世で見守っているエミのために、エミの大切な小隊たちが「自分たちはもう大丈夫です」と伝えるために―――そして私は「私はこの通り強くなっているぞ」とエミに報告をするために、こうして今年も演武を続けている。
―――"今日も決着はつかなかったな"
空を見上げて、独り心の裡で呟く。それに応える声がない以上、口に出すこともない。年々体力も落ちていることを実感して、肩で息をするほどに疲弊している自身に焦燥を感じながら、毎年続けている演武の果てに―――
もうあの頃には戻れないこと、もうあの頃に届かないこと
―――それを、実感してしまう。
********
桜吹雪はすでに終わって、葉桜になってしまった庭の大樹。その木の下で座り込んで、盃を傾ける。
酒を嗜むようになったのは、“彼女”が亡くなってからだった。
痛飲するほど飲んだこともあった。戦車道からとうに引退した身には、もはや酒で身を崩したところで聊かの問題もない。
この樹の下で、独り飲むほどに想うことがある。
―――いつか生を閉じることがあるならば、ここで。この場所で。と
ゆるりと傾けた杯の中身は飲み干し、二杯目。盃に注いだそれを、ゆっくり手首を返して桜の木の根元に落す。上等な酒が庭土に吸われて消えていく様をゆっくり見送って、3杯目。ぐいと飲み干し、杯を替える。
少し大きな杯に、酒を注いで、再び樹の根元に。注いで、飲み干し、注いで、落とす。周囲に家人が居たら、気が触れているのかと思われていることだろう。
杯を再び替えて、もう一回り大きなものに。
酒を注いで、飲み干し。注いで―――地に還す。
最後にもう一度酒を注いで、飲み干した。
「―――――ふ――――――――ぅ―――――」
飲み過ぎたかもしれないな。と、自己満足を終えて空を見上げた。葉桜の葉に遮られて、月が陰る。樹の幹に身体を預けて、瞳を閉じる。
「―――死んでもいいなんて、言わないでくれ」
身体を捻って体勢を入れ替えて、樹の幹に縋りつくように手を回す。すすり泣く様な真似はしない。声を上げるなどあってはならない。ただ静かに、雫が落ちた。
【おばあちゃんのはなし】
「――――“ ”」
私の名前を呼んでいる声に、顔を上げる。
「何故、己が人と違って生まれたのか、わかるかい?」
答えられない。わかるはずがない。
兄弟、姉妹の中で私だけ―――わたしだけが違っている。その理由なんて……
「―――わたしが、【西住】ではないからですか……?」
涙の粒が落ちる。ぽろぽろと畳を濡らす涙が止まらない。悔しくて辛くて申し訳なくて止まらなかった。そんなわたしの様子を、ただ静かに見つめていたその人は、優しく私の髪を梳くように頭を撫でた。
「人より“強く”生まれたのはね。誰かを“支え護る”ためだ」
皺の浮かぶ手で優しく頭を撫でる彼女の声もその様子も、頗る珍しいものだ。普段家族相手に見せる厳しい態度は鬼を彷彿とさせると周囲に噂されているから。
理由はわからないけれど、本当に優しい表情で私の頭を撫でる彼女は、私を通して遠いナニカを見ているようだった。
私は彼女を「おばあちゃん」と呼んでいるけれど、実際のところは私の祖母ではなかった。祖母に当たる人物は彼女の妹で、彼女自身は、自分の娘にも、その娘である孫にもそれほど興味がある様子はなくて、何を考えているのかわからない無表情無感動な様子から実家の人間からは敬遠されていた。仲が良かったのは私の祖母、“おばあちゃん”の妹と、曾祖母、おばあちゃんのお母さんくらいだったらしい。
「―――私が君に【その名前をあげた】のはね。君が誰かを護る者になれるからだ」
皺涸れた手に力を込めて、強くわたしの腕を掴むおばあちゃんの目には、年相応の弱った老人のものではなくて、もっともっと熱くどろりとした強い執着があった。
「―――君は信じて真っ直ぐ思うままに進むと良い。天の頂を目指して手を伸ばせ」
強い言葉だった。有無を言わせずというのはこういうものなんだろう。
「―――だって君の名前は、【天翔エミ】なのだから」
おばあちゃんの話は、わたしにはよくわからなかった。わたしの名前がどういう意味を持つのかも、その時はわからなかった。
けれどおばあちゃんの言葉に頷いたわたしを、もう一度優しくなでてくれたから、わたしはただ自分を信じて進もうって決めた。
*******
天翔エミの死から約半世紀。齢90に届く手前で、西住まほが天寿を全うした。
頑なに婚姻を拒否して、家の血を残すことは妹に任せ、後進育成と、人材の発掘に力を入れた彼女は、後に分家筋の一門としてある家名を【創った】。
その一門は、代々西住の後継者を支える人物として育成され、特に身体能力に秀でた人物を養子として家名に加えるという歪な一門構成をしており、たとえ一門から生まれた子であろうと、一門の掲げる足切りに達していなければ家名を名乗ることを許されなかった。
その代々の当主となる人物は、通名として継承される名を継ぐことが定められており、それは西住まほの死後、戦車道が廃れるまで続いたとされている。
西住まほの死後、一つの事件が起きた。
西住まほの死後、葬儀を取り仕切った当代の家元が、亡き天翔エミの亡骸とともに眠らせてあげようと西住家のものではなく天翔エミの墓を開き遺骨を収めようとしたところ、墓の中が空洞だったことが発覚。何者かに天翔エミの亡骸が盗まれたと一大事件となった。
すべての真相が露見したのはそこからさらに数十年後、西住の家を建て直す際に、土台ごと庭を掘り起こした時だった。
―――それまでの間、毎年桜は芽吹き、美しい桜吹雪を魅せていた。