紅い悪魔の棲む紅い館の紅い応接室。
そこにこの館の主にして吸血鬼、レミリア・スカーレットが座している。
その向かいには、不気味な微笑を浮かべた紫色の美女。
幻想郷最高クラスの実力を持つ二人が顔を突き合わせていた。
「それで、下調べは終わったとの事でいいのね?」
「勿論よ。計画に一切の支障はないわ。運命もそう告げている」
少女は自身の掌の上で踊る赤い糸を見つめながら言った。
糸は無数に伸びており、それぞれが繋がったり別れたりと実に自由気ままに動いている。
「いいでしょう。では、今回の異変に対する双方の条件とその対価を確認させてもらうわ。紅魔館は幻想郷に対しスペルカードルールに則った形で『異変』を起こす。それが解決された後、ここ幻想郷における貴方達の基本的な権利を認める」
「相違ないわ。決行は明後日、深夜から始める」
「明日ではなくて?」
「言ったでしょう、『下調べ』は終わったと。明日、準備を終わらせるのよ」
人間の里の端、赤い外套羽織る首なし少女の向かいの家。
普段、周辺に住む者以外訪れない筈の地域だが、例外の家がある。その家は他に立ち並ぶ家とさほど変わらない。違うのはただ一つ。
入り口に『手伝い屋』の文字。
かつて読んだ本の中に、「良い人の大体は『都合の良い人』だ」という文言が書いてあったのを覚えている。本当にそうだろうか。
私はその都合の良い人と言われる代表格であるという事を自覚しているが、しかしそこには一つの勘違いがあるように思われる。
都合が良い、というのはある一点、つまり現在においてその対象が自身の役に立ったからこそ都合が良いというだけであり、多元的に平行世界の同じ時間軸にのみ注目した場合、都合が良いというのはただの確率の問題だと私は考える。
私の稼業である手伝い屋はその最たる例だ。
そしてこの仕事を今日まで営んで来て、今までに何人か見てきたことがある。『金さえ支払えばどんな仕事をも請け負う』と思い込んだ輩を。
無論そんな訳はない。依頼される側にも選ぶ権利がある上、正面の看板の文字を『殺し屋』だとか読み違えるような、知を持たぬ者の依頼を受けるつもりは毛頭ない。
正直な所、私にとって金銭というのは何の価値も持ち合わせていない。人間と違い、食物から栄養を摂取する必要のない我々妖怪は、金の使い道というのに困る。使う事の出来ない物を回収して何の価値があるだろうか。
普通、金のある妖怪は嗜好品を買うのだろう。あるいは自身の権力・財力を示すために人間を雇うかもしれない。しかし私にはそういった類の欲がないのだ。そして嗜好品に興味も無い。
しかしそこには私の、一つの理念が組み込まれている。というのも、私は金銭以外を要求する事もあるのだ。特に相手が『持つ者』であれば尚更に。
『持たざる者』は、自身の限界と許容される範囲を弁えた上で、慎ましく暮らす。困難があっても乗り越える傾向がある。その逆の彼らは、金さえあれば何でも出来ると勘違いしている。
そういった勘違い達に気付けの一撃として要求するのだ。かつての例で言えばそうだな、依頼主の一人娘(人間、誰でも親族は失いたくない)、依頼主の両腕(彼は大工だったから致命的だったろう)、現在親しくしている者の半数(勿論切り上げだ)など。
つまり『仕事に対して同等の対価を支払わせる』のが私のやり方だ。内容が重大であればある程、失うモノを当人にとって貴重なものにしていく。
逆に言えば、誰かの為であればある程(その行為が善であるならば)価格は安くなる。無償に近い報酬で働いた事さえある。
私はこれを、至極正当な価格だと思っている。そして手伝い屋を利用する多くの者もそれを理解してくれていた。互いに合意の上、一切の誤解・いざこざ無く仕事が終わる事の何と素晴らしい事か。
話を戻して、結局は確率なのだ。不倶戴天の敵がいて、それを排除する為に自身の命を捧げなければならないとして、その依頼主が必ずしも同じ受け答えをするとは限らない。「気が変わった」という言葉を使うものが多いと体感するくらいには、人間の意識は移ろい易いものだ。
―――というのが、今私が読んでいた『量子学的に見る多次元可能性論』の言わんとしている事らしい。多少の拡大理解、誇張はともかくとして。
この本の書き手は魔法使いか何かだったのだろうか。魔法使いというのは大抵の場合において、一般人が理解可能な範囲の話を難解複雑に聞こえるよう説明するきらいがある。
このような奇妙な本を取り扱う店は、この幻想郷には多くない。森の入り口にある骨董品屋か、街中の貸本屋のどちらかだ。元々外の世界の本らしいから、当然とも言える。
確かに、この世界にあるべき本としては内容が進みすぎているような、時代遅れのような、何とも中途半端な内容だった。今度彼に、これを売る気になった理由について尋ねてみようか。
さて、問題は私がこの本をあと何度読み返すだが……。
と、考えた所で扉からノックの音が響く。
「どうぞ。まだ受け付けているよ」
普段利用するものはノックをしない。戸を叩かないと入れてもらえない店というのは店主が余程心配性か、常識的な営業時間外のどちらかだ。因みに今は夕刻…というよりは宵という方が妥当かもしれない。人々は皆家で大人しくし始める時間だ。
つまり訪れたのは普段ここを利用しないご新規さんという訳だが…なるほどそうか。
開いた扉の先に立っていたのは明らかに異国の妖怪だった。服装から見るに大陸出身か。立ち姿が非常に綺麗な長身の女性。姿勢が良い事も相まってその長身に磨きがかかっている。
赤い長髪のその女性は深く一礼すると滑らかな動作で扉を閉めた。
私が席を勧めると頷いて徐に着席する女性。
全ての動作がしなやかであり、かついつでも動き出せるという機敏さを含んでいる事を私は認めた。加えてその双眸は射抜くような鋭さを持ち、辺りへの警戒も怠っていない。私の力の程を推し量っているようだ。
果たして見た目だけでどこまで分かるのだろうか?
「用件を聞こう。私を頼らなければ出来ないという事もそう多くなさそうだが」
あくまでも相手の実力を理解しているという雰囲気を纏わせ告げる。しかし残念ながらそれは触れてみるまで決して分からない。つまりこれはただの虚仮脅しに過ぎない。未知の相手に挑む時、最も力を発揮するのは情報だからだ。
久しぶりに訪れた不穏な空気に、私の心がチリチリと燃え始める。
「白黄さん、単刀直入に言います。反乱を手伝って下さい」
「ふむ………ん…?」
起きた火種に水をかけられた気がした。
「…なるほど、全く全容が掴めない」
それはつまり協力不可である事を意味する。
情報というのは恐ろしいもので、多くあればあるだけ説得力が増す。説得する事が出来たならば、想定される如何なる被害もただの杞憂で収まってくれる。逆に情報を持たずに説得へ臨むというのは最悪手である。相手の警戒心を呼び起こし、不信感を募らせる。不審な言動が相手を不信にさせてしまうという訳だ。
所謂『人徳がある人』というのはこの『情報を常に多く持つ者』に他ならない。説得力が強い、ただそれだけの話である。説得力。私が操れない物の一つだ。
さて、彼女の説明から得られたのは、主人の吸血鬼が異変(その命名の真意は不明だ)を起こし、退治される。その為の手伝いが必要、という事だった。
「反乱というのは言い過ぎなんです。ただちょっと問題を起こして、それを退治してもらって…それで、白黄さんにはその手伝いをして欲しいんです」
彼女は先ほどと殆ど変わらない説明を繰り返した。その様は壊れた電子人形にも似ている。
「君の主人が撃退される事に何の得があるんだ?それに私が手伝う内容も明確じゃない」
彼女自身、計画の全容を把握していないようだった。見た所武闘派、それもかなりの手練れだ。それを踏まえて考えると、彼女は実戦要員兼特使といった所なのだろうか。確かに、特使として遣わせる者はそこまで知的でない方が主人は得をするだろうが。
となると、彼女の主人は吸血鬼であり魔法使いという事だろうか?そのような前例は聞いたことが無いが、幻想と現実が共存するこの世界では有り得るのかもしれない。
第一、可能性として存在する以上はその事象は起こり得るのであって、それを否定出来ないのであれば認めなければならない、というのが先の本の内容だったはずだ。今この場で虱潰しに考えるのは止そう。しかしいよいよ動機が分からなくなってきた。
「あー、えーと、そのですね…」
彼女はやはり上手く言葉に出来ないらしく、間投詞を繋げるばかりだった。これはその『ご主人様』とやらに直接聞いた方が早いかもしれない。依頼をしに来ておいて追い返すという様な事もあるまい。
「君の主人に直接訊ねたい。良ければ案内を頼みたいのだが」
「そ、そうですよね!私も直接聞いて頂く方が楽だと思います!そうと決まれば早速…」
「少し時間が欲しい。現地で依頼を結ぶ為にいくつか必要なものがあるんだ」
私は机の引き出しから依頼請願書と報酬保障書を数枚ずつ、ペンを2本取り出した(無い事はないだろうが念の為だ)。それらを鞄へと仕舞い込むと、彼女に先へ行くよう促した。
外に出てすぐ、彼女は振り返り訊ねてきた。
「空、飛べますよね?」
私達は空中で軽く自己紹介を済ませた。妖怪ならではだ。
彼女の名は紅美鈴。大陸出身である事は間違いないようだが、武闘家かという私の質問に彼女は茶とまでは行かなかったが言葉を濁した。曰く、
「そこまで大層な自負がある訳じゃないんですよ」
とのこと。この仕事で大事なのは、他人の事情に首を突っ込む事。何と言っても本人の立場と状況によって報酬が変わるのだ。向こうは多く語るだけ支払いが少なくなる可能性がある。私は多くを知り、より力を持つ事になる。どちらにとっても得だ。
しかし私は追求しなかった。元より、彼女は依頼者ではなく、ただの特使だ。親しくも無い間柄の者に、心を開く程彼女も単純ではないだろう。
私達は互いの能力についても話した。彼女は『気を使う程度の能力』を持つらしい。聞くに、体内を流れる気を操作し、それを自身及び相手へと作用させるらしい。相手の数を問わないらしく、格闘戦にはうってつけの能力と言える。それが理由で武闘派になったのだろう
しかし彼女は悩んでいるようだった。なんでも、もうじき施行されるらしい『スペルカードルール』なる法の下において、彼女の能力を活用しづらいそうだ。このような点で情報戦に負けているのだろうが、それは置いておいて。
スペルカードルールとは、妖怪が人間と対等に争う為の法らしい。確かに、力比べで言えば弱小妖怪でも人間に勝る者が多いのだから、人間は減る一方だろう。それを解決する為に、力以外で人間も容易く扱える物、『美』が注目された。美しさで相手を圧倒するのだ。
その美しさの基準についてもっと聞きたかったが、しかし目的地である『紅魔館』という屋敷はそう遠くなかった。私達が速かったのもあるだろうが、人里の近くである事も否定できない位置だ。
人間が見つけて騒ぎを起こしても不思議ではない位にその屋敷は赤かった。恐怖さえ抱くかもしれない。ここの名前が赤魔館でない理由にも納得させられた。
私達はその屋敷の扉前へと降り立った。背後の湖から流れてくる空気が嫌に冷たく感じる。
「それでは、私は門番の仕事に戻るので失礼しますね」
「ああ、ありがとう。良い一日を」
美鈴は門番不在だった屋敷の防護を固めに行った。彼女がいないからといって問題に巻き込まれる様な場所ではないと思ったが、伝えないでおいた。他人の仕事に口出しするのは野暮と言えるだろう。
私は扉を押し開け、その悪魔の根城へと足を踏み入れた。