最近、恋に落ちました。   作:母は歯はいい

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第六話

 硬質な音を響かせるはずの床は何の音も発することもない。

 消毒液の嫌なアルコールの香りと妙な緊迫感はそのままに。

 どうしてか、静かなはずもない病院なのに。一つの喧騒もない状態。

 悲鳴も罵声も、苦痛に喘ぐ声も結果に喜ぶ歓声も。

 それは文字通りの無音であった。

 

 考え事ばかりしながらでもマナーはキチンと身に付いていた。ドアを三回ノックしても反応は無かったが動いた気配がしたので扉をスライドさせる。つい先日も出会った少女が瞳に拒絶の意を溜めながら俺を睨みつけていた。

 

 

 周りには少女以外誰もいない。

 許可をいちいち取るのも野暮だと思い、手近にあった丸椅子を手に取りベッドの横に置いた。

 

「突然来て悪かったな。話に来ただけなんだ」

 

 リアクションは薄いが、ナースコールはされなかった。

 話を続けてもいいのだという許可だと考え口を開く。

 

「これは非常に昔の話だがな、君のためになるから話すだけだ。

 もちろん、聞き流してくれて構わない」

 

 

 そう、これは少女のための物語。ただの御伽噺だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうやって入ったの?」

 

「……堂々と忍び込んだ」

 

 俺は人差指を立てて手を合わせる。ニンニン。

 

 

 

 ☆☆☆

 

「どうして笑顔になってくれないのかしら?」

 

 あの薫さんとこころの漫才の後、こころのそんな疑問が夕暮れ時の帰り道にポツリとこぼれ落ちた。花音さんが辿々しくも相手してくれている。そんな健気な姿を見ながら私は思考に耽る。

 それにこころの問いかけはただの疑問なのか、意識してないだけの独白なのか、細かいところは分かんない。でも、こころは珍しく悩んでいるようだった。

 

(って言っても何となく予想はつくけどなぁ)

 

 私が見るにこころは迷ったことがないんだ、と思う。

 だって、こころには迷う必要がないから。

 

 自分がやりたいことはまず自分でやってみる。こころが少しでも苦手なものはいつのまにか、本人が気付かないまま克服してる。それはバンドの練習でもそうだった。

 躊躇するっていう思考が微塵も含まれていない純真無垢さがこころをこころたらしめているんじゃないか、と私は思うわけだ。

 

 それにもしどうしても無理なことは黒い服の人たちや地域の人たち、……何より先輩が助けてくれる。それぞれがそれぞれのやり方でこころをアシストして、こころはそれに気付かないまま無邪気に人を引っ張ってきたんだ。

 ……まぁ、引っ掻き回すって言った方が正しいかもだけど。

 

 

 けど、今回笑顔にしたいターゲットはこころとは全く正反対だ。

 

 好きなことはやりたくてもできない。

 手助けしようにも根っこの問題が自分自身。

 その自分自身は変わることを恐れている。

 

「……うーん、正直こころと相性が悪すぎると思う」

 

 自分の中で軽い結論が出てしまって口から漏れた。

 それを誰にも聞かれていないことを確認し、いつも後ろで保護者のように暖かい視線を送る先輩の方に振り返った。

 

「……あれ? いない……」

 

 

 ……どこ行った? 

 

 

 

 

 ***

 

 いつもはこころ達を送ってから一人で歩くのだが、病院でのライブからは別行動をしている。紅色の陽射しがだんだんと紫色の夕闇に溶け込んでいく。そんな景色を瞳に映しながら、俺はゆっくりと考える。

 

 

 こころたちハロハピのライブは少女の心に響くことはなかった。

 いや、こころ達のライブは結果で言えば成功なのだろう。ただ帰り際のような嫌な空気になった理由は、『届けたい相手に届かなかった』ただ、それだけのこと。

 それも分からなくはない。あかりという少女の状態を正確に著すなら『新しい刺激に対して臆病になっている』といった所だろうから。

 

 刺激を受け容れるための心の扉が開かない。その副作用で無理に笑うことも前向きに物事を考えることもできなくなったのだ。

 変化してしまった現実が、もう変わらないのではないかと言う不安で覆われている。

 

「……まるで昔の俺だな」

 

 自分の与り知らぬところで世界は変化していった。その結果、目まぐるしく世界が変わっていくのが怖くて、自分の力で現状を打開するしか方法がなかったのだ。

 けれど、一歩目を踏み出せず足踏みをする毎日。

 

 理由は海千山千あれど、踏み出す一歩目というのは往々にして艱難辛苦に思い込みがちだ。俺も実際そうだった。

 

 けれど、それはただの思い込みなのだ。

 

 俺がこころに話しかけたのも、花音さんがバンドに参加しているのも、美咲がバンドになんやかんやあってバンドに所属しているのも。

 結果的に踏み出して、成功しただけだ。

 

 

 

 

 一歩を踏み出さなければ傷つくことはない。だが後々、その選択は本人をいつまでも未来永劫に呪い続ける。

 

 “あの時ああしていればよかった”

 “あの時こうしていればもっと違う結果になったかも”

 

 そうしてその呪いを後世にまで託していくのが、どれだけ愚かか。

 

 

 

 

 そう考える俺は、どうしてもあかりのことを放っておくことはできない。このままでは彼女は進めない。逃げ続けるだけなのだ。

 

 

 

 

 

 数日後、俺はいつものメンバーを集めた。

 俺のやりたいことを効果的に叶えられるのはハロハピではダメだったのだ。

 

「また悪巧みかな? セン」

「試合が近ぇんだが……ま、いつも通り。なんとかやろうぜ!」

「鬼ごっこだといいなぁ! 最近身体動かしてないんだよ!」

 

 場所は24時間営業のファミレス。

 ミツ、ゲン、コーの三人は俺の呼びかけに快く応じてくれた。

 時刻は夜7時。メシ時でもあるのに迷惑をかけるな……。

 

「明日こころ達が帰った後で決行だ。作戦の内容は———

 

 

 

 それじゃ、始めよう! 俺たちなりの世界の変え方で!」

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

「ライブの後から吉野くん見ないよね……。どうしたんだろう?」

 

 花音さんのその言葉に今更になって思い出した。そうだよ。あのライブの次の日から私は先輩に会ってない! 

 いつもこころの思いつきを色んなアイテムで助けてくれるスーパーアドバイザー。自分ことを演出家なんて言ってるけど、私にしてみればどう考えてもそっちの方が印象的な先輩だ。

 

 そんな先輩とこころをセットにして考えてしまっていた! 

 

「こころは何か聞いてないの⁉︎ 先輩がこういう予定だとか、……とにかく、そういう話!」

 

 私は焦りに焦っていた。何でこんなに気が気ではない状態になっているのかは自分でも分からない。何となく一番仲が良さそうなこころに問いかける。けれど、思いもよらぬ答えが返ってきた。

 

 

「千里が何をやってるかなんて知らないわ! 千里のことはよく知らないもの!」

 

 

 ? 何やってるか知らないのは仕方ないとしても、先輩のことをよく知らないってどういうことだろう? 

 

「千里はいつも本当に難しいことを考えているわ! だから、あたしには千里が考えていることは分からないの。

 でも分からなくてもいいと思ってるわ! 千里の気持ちは千里のもの。あたしの気持ちはあたしのものなのよ!」

 

「いや、それ答えになってないから……」

 

 素っ頓狂な答えに私はガクリと膝をつきそうになる。

 いや、でも。こころから見た時の先輩は、『目的が一緒だった時に手伝ってくれる人』っていう印象なのかも? そう考えれば今の回答にも辻褄が合う……のかな? 

 

 だから、今回のことは目的が違うから先輩と別行動することになったと思っているかもしれない。客観的に見れば、そんなことはあり得ないのに。けれど、こころは今どんな気持ちなんだろう?

 私が思うに多分こころにとって先輩が一番笑顔にしたい人だ。そんな先輩が現在進行形で笑顔にできていないこころを助けるために動いている。その事実にこころは気づいているのかな? 

 

 

「……分かんないけど、取り敢えず先輩を信じて待ってみますか」

 

「そうね♪ それがいいわ!」

 

 そう言ったこころはご機嫌なハミングとともに止めていた足を動かし始めた。また、あかりのところで何をするか考えているのかもしれない。

 

 だから、頼みますよ、先輩。

 

 

 

 

 

 ***

 

 あたりが寝静まった頃。病院内の電気が全て消え、暗闇が支配する闇夜の時間。そこに怪しい人影が四つ。

 千里とその仲間たち。ミツ、ゲン、コーの四人組だ。

 

 手慣れた手信号で合図を出し、彼らは俊敏に敷地の影を突き進む。間も無く所定の位置に到着した。ターゲットの部屋は5階。だが、正面から入るのはバレたくはない彼らにとって愚策だ。

 だから、いつも通り、こっそり入る事にした。

 

「ゲン、頼んだ」

 

 ゲンはそれに親指を立てると膝をしっかりと曲げ、指を絡ませたバレーのレシーブのような姿勢を作った。

 

「じゃ、お先に!」

 

 ゲンに向かって、身軽なコーが跳ぶ。ゲンの絡ませた指に足をかけ思いっきり上に投げられたコー。だが、彼らの中でも屈指の運動神経を持つコーのボディーバランスは3階の目的地にまで余裕で届かせる。

 一人目が音を立てずに侵入したのを三人は見るとすかさずミツが同様に跳ぶ。コーが腕を掴み後は自力で音を立てずに3階へ侵入。

 三人目の千里も同様に跳び上がった。ただ、彼の場合二人の手助けもありギリギリで侵入に成功したが。

 

 昼間に開けておいた空き部屋の窓から侵入。鍵が開いていることはすでに確認済みだ。

 現在3階。

 

 

 

 

「こんばんは、病院の皆さん。少しの間お静かに、なんてね」

 

「ミツ、お前はどこのキザな怪盗だ。デカイ宝石でも狙っているのか?」

 

「夜の病院ってワクワクすんね! 興奮してきたよ!」

 

 しかし、コーとはここでお別れだ。ここで、逃げ道を確保しておく役目がある。いざとなったら、彼の身体能力なら隠れるのは容易なのだ。

 

「それじゃあ、また後で」

 

「バイバーイ!」

 

 俺とミツは空き部屋からスタスタと立ち去った。

 

 

 

 

 エレベーターは使えない。ナースステーションのある通路の延長線上にあったからだ。夜勤の巡回ルートは最高効率であると相場が決まっている。基本的にナースステーションに三人。その内1時間に1度の巡回がローテーションで一人。

 物音を立てれば飛んで行ける様にである。

 

 そんなことは百も承知と二人は素早く行動。ナースステーションのカウンターよりも腰を屈め張り付きながら進んでいく。目的の階段までほとんどノンストップで歩き続ける。

 こんな奇妙な動きも彼らにとってはすでに手馴れたもの。ひっそりコソコソと動く事に関していえば、誰が相手でもそう負けることはない。

 

「ふぅ。漸く階段に辿り着いたねぇ。それで監視はどうするんだい? あれ壊れたまんまなんだろ?」

 

「……いつも通りだ。今回はこれを使う」

 

 ズボンのポケットから取り出したのは小さな蜘蛛のおもちゃだ。

 

「へぇ、完成したんだ。スパ○ダーボット。……操作はオート?」

 

「簡単なアルゴリズムだけだがな」

 

 ギミックは用意してあるが、今回はおそらく使わないだろう。だから、ミツへの説明も省く。

 

「センサーだけは取り付けたからこれを見ながらいざとなったら相手してやってくれ」

 

 センはそう言ってミツの手に収まるサイズのデバイスを渡した。それをみたミツ、「これは?」とだけ告げる。

 

「レーダーだ。ボットを三匹放つからその情報を受け取る係が必要だろ?」

 

「まるで、ドラ○ンレーダーだね。夢が膨らむよ」

 

 クススと声を落としながら笑うミツ。けれど、それも長くは続かない。チャチャっと残り二つの内ポケットからボットを取り出したセンはそのまま壁に放り投げる。触れたと思えばピタッと張り付いたボットを見てミツは少し驚いた。

 そんな光景もつかの間。動き始めたセンの後をミツは追いかけた。

 

 

 

 

 

 

「ボットによればナースが来るらしい。それじゃ、捕まえてくるよ」

 

「よろしく頼む」

 

 10分もしないうちにナースの巡回ルートに引っかかった様で、残念ながらどうしても逃げ場がない。予定通り囮になってくれるのだ。感謝しかない。

 

 

 そうして、俺は一人になった。

バンドストーリーが終わった後は……

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