みほエリは果てしなく素晴らしい   作:奇人男

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「……あ?
 大きな花が咲いたり散ったりしている……あはは……あぁ、大きい!
 みほエリかなぁ? いや、違う。違うな。みほエリはもっとこう……バァーッて動くもんな!
 ……暑っ苦しいなぁ、ここ。うーん……出られないのかな?
 ……おーい、出して下さいよ。ねえ!」


パンツァークエストⅢ そしてみほエリへ…

 

――月――日

 

明日は決勝戦だ。

明日、俺の十数年の転生人生のすべてが結実すると言っても過言ではないだろう。

 

この運命の日を幾度夢に見たことか。失敗は許されない。今こそ原作を改変し、みほエリを成す。俺はそのために生きてきたんだ。

だが先のことはまだわからない。

もしかしたらバタフライがなんかこうバタバタしたせいで気づかないうちに事故が起こらない世界線に移動している可能性もある。

今はただベストを尽くすだけだ。みぽりんとエリカ、その薔薇色の未来のために。二人を引き裂く運命を打ち砕くために。

願わくば、みほエリに栄えあらんことを。

 

 

 

――月――日

 

おれは

 

とりかえしのつかないことを

 

してしまった

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

果たして、事故は起きた。

 

篠突くような豪雨の中で始まった決勝戦は、一発の砲声によって大きな転機を迎えた。

雨によって緩んだ地盤はプラウダの戦車が放った牽制程度の砲弾によって大きく抉り飛ばされ、土砂崩れに巻き込まれて黒森峰の戦車が川へ滑落していった。

ついに始まった。原作どおりだ。

 

そしてここで俺がみぽりんの代わりに水没した戦車の救助に向かい、乗員を救出して脱出する。試したことはないが俺の腕力ならハッチをこじ開ける程度ならば十分可能だろう。行けるはずだ。

フラッグ車とはいえ装填手が抜けたくらいで負けるとも思わないが、ワンチャン黒森峰が十連覇を逃したとしても戦犯はみぽりんではなく俺だ。この天翔エミだ。責めるなら俺を責めろ。まさに今この瞬間のために俺はフラッグ車の装填手の座を勝ち取ったのだ。

さあ、みぽりん。座席から立ち上がってキューポラから身を乗り出してくれ。そしたら救助に行こうとするみぽりんを俺が制止して、代わりに川へダイブする。順番どおりだ。どこもおかしくない。

何千回と行っていたイメージトレーニングの成果を今こそ見せてやるぜ。

よし、今だ――!

 

 

 

そこで俺は気づいてしまった。

 

 

 

今しも濁流に飲み込まれつつあるあの戦車。みぽりんが助けに行こうとしているあの戦車は。

 

逸見エリカが車長を務める戦車ではなかったか?

 

――違う。

何もかも全部原作どおりに進んでいたと思っていたが、ここだけが原作と違う。

このただならぬ状況に気づいた俺の脳細胞はいまだかつてない速度でフル稼働し、ある仮説を導き出した。

あるいはそれは悪魔の囁きだったかもしれない。

 

“このままみぽりんにエリカを助けさせたほうが、みほエリを成すのに都合がいいんじゃないか?”

 

その仮説に辿り着くと同時に、みぽりんに向けて伸ばしかけた俺の手はぴたりと止まってしまった。

 

“今は緊急事態だ。エリカの命が危ない。だがその絶体絶命のエリカをみぽりんが颯爽と助けに行く。するとどうなる? その結果二人の仲は深まるんだ。当然、俺が助けに行けばそうはならない。ならここはみぽりんを行かせるべきだ。彼女ならうまくやる”

 

“この際、今までの計画はすべて破棄しろ。先が読めないならアドリブでやっていくしかないだろう。その上で善後策を講じればいい。妹に甘いまほパイセンを味方につければどうとでもなる”

 

“なあに、状況が変われば最適な行動も変わるのさ。もう原作どおりにやればいいって状況じゃあない。すべてはみほエリを成すためだ。わかるだろう?”

 

俺の中の俺が、合理性の衣をまとった誘惑を囁いてくる。

だが、みほエリを成すという大儀の下に生きてきた俺がそれを誘惑と感じたのは、それが損得というか、みほエリの実現可能性だけで考えられたものだと直感したからだ。

俺の本心はみほエリを望みつつも、今まさに戦車から飛び出そうとしているみぽりんと同じく、窮地にある仲間を救い出したいという衝動に駆られている。合理性の悪魔の囁きを受け入れたら、俺が俺でなくなるような恐怖すらあった。

だけど、みほエリだぞ。みほエリなんだぜ?

そのためだけに俺は、人生のすべてを捧げてきた。戦車道すらみほエリを成すための手段に過ぎなかった。大事なのは勝ち負けじゃない。その先でみほエリが成るか否かだ。そのためなら俺は何でも利用する。

ならここで信じるべきなのは何だ? 感情か、理性か。

 

俺が固まっていたのは、時間にすれば、二秒か三秒か、そのくらいだっただろう。

だがその二、三秒で、これからのすべてが決定付けられてしまった。

 

俺は理性という名の悪魔の手を取り。

みぽりんは、原作どおりに褐色に濁った激流へその身を擲った。

 

これでいい、これが正解なんだと自分に言い聞かせながら、俺は救助作業に向かうみぽりんを見送った。早鐘を打つような心臓の音が、戦車のエンジンの駆動音よりハッキリと聞こえてくる。

車長の突然の現場放棄にざわつく車内で、俺は呆けたように主のいなくなった車長席を見つめていた。通信手の絶叫のような状況報告が聞こえたが、どこか他人事みたいな気持ちでそれを聞いた。

 

「……こちらフラッグ車。西住隊長、応答願います! 副隊長が味方の救助のために現場を離れました! 繰り返します、現在、川に落ちた戦車の救助のため車長が不在です! 指示を……」

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

みぽりんがイジメに遭っていることはすぐにわかった。

エリカも今までのグループから距離を置かれて、有り体に言えばハブられている。

俺以外誰も組んでくれないからか、エリカはひたすら基礎練に打ち込んで嫌がらせを吹っ切ろうとしていて、みぽりんは練習どころか授業にも顔を出さない日が続いた。

無駄に影響力のある後援会や口だけは達者なOG会からのひっきりなしのクレームもあり、学校の雰囲気自体も最悪だ。地元のメディアも戦車道チームの体制について疑問を呈する記事がいくつも載った。

「敗北の罪は勝利をもって償えばいい。特定の個人にこの敗戦の責任を問うことは固く禁じる」とまほパイセンが声高く訴えても、戦犯扱いのみぽりんとエリカが敵視されるのを止めることはできなかった。

善後策を講じるどころではなく、どこから手をつけたらいいかわからない。それほどまでに、王者黒森峰陥落は地元の一大ニュースだった。

 

……全部、全部、全部、俺のせいだ。

俺があのとき、みぽりんの手を取って止めていれば。

 

みほエリを成すために、俺は自分の為すべきことから目を背けた。その結果がこれだ。二人はラブラブになるどころか学校中から孤立してるじゃないか。こんなの俺は望んでいなかった。こんなはずじゃなかった。

みぽりんとエリカが悪意に晒されるのを見ていられなくて、何度この目を潰そうと思ったかわからない。足の親指の爪を剥いだり錐で太股を刺したりしても罪悪感から逃れることはできなかった。

やっぱり、俺が背負うべきだったんだ。俺がやらなければならなかったんだ。

みほエリを成すことよりも、ずっとずっと大切なものがすぐそこにあったのに。

 

だが、俺はもう後戻りできない。

俺はみぽりんの手を取らず、俺の中の俺の手を取った。エリカを救う選択肢を選ばなかった。友達としてすべきことをしなかった。

だったらもう、みほエリを成す他に生きていく甲斐などない。

あの日「天翔エミ」は泥の下に沈んで、どこかへ消えてなくなってしまった。

ここにいるのは百合豚カプ厨ガルパンおじさんの残骸でしかなかった。

 

俺は、みほエリを成す。そのためだけに生きよう。

 

 

 

決勝戦から数週間が経ったある日、俺の部屋のポストに待ち望んでいたものが届いていた。大洗女子学園のパンフレットだ。

みほエリを成すためにまずやらねばならないこと、それはみぽりんとエリカをこの状況から救い出すことだ。そのためにこのパンフを取り寄せたし、大洗について調べられる限りのことを調べた。

大洗女子学園には戦車道はない……いや、今はないというだけだ。いずれ廃校の危機を前に生徒会が相当な無茶をやりつつ復活させるだろう。

今のところ原作とズレたのは水没戦車の車長がエリカであったという点だけで、相変わらず大洗は活動実績もパッとせず、募集も定員割れが続いており、このまま行けば遠からず文科省の仕分けの手が入るのは確実。

普通ならこの廃校寸前の県立高校に、日本有数の戦車道強豪校の副隊長が転校してくるなんて都合のいい展開はない。だが今この状況は普通じゃないし、だからこそ原作でもみぽりんは大洗に転校した。今はある種のショック状態で、正常な判断が機能しない状態であるとも言える。利用しない手はない。

このまま黒森峰に留まっていたところでみほエリが成る可能性は低い。みぽりんは原作どおり転校するだろうし、エリカだって来年の全国大会のメンバーに選ばれるかすらわからない。今後二人が一緒に戦車道を続けていく保証など皆無だ。

ならばみぽりんとエリカを揃って大洗へ転校させることによってみほエリを成す。大洗のこれからを考えれば否が応でも二人は一緒に戦車道をやるし、ただ二人の経験者ということもあって必然的に隊長と副隊長、あるいはそれに準じたポジションに落ち着くだろう。二人で過ごす時間は黒森峰にいるよりずっと長くなり、それを通じてみほエリに発展するという寸法だ。現状、これが最もみほエリを実現させる可能性が高い。みほエリが成らぬのであれば黒森峰に価値なしである。

必ずどこかにみほエリへの活路はある。難しいだろうが、やる以外に道はない。

 

 

 

まず、自室に閉じこもり気味のみぽりんに会うのは少々難儀した。

まあ数日通いつめる必要が生じた程度は計算のうちだ。なんとか大洗のパンフを渡して、しばらく戦車道から離れたらどうかと提案すると、みぽりんも同じことを考えていたと言った。

自分の中の正義の確信というか、正しいことを行おうとする確固たるものに従ってやったことに、冷然とした非難と陰湿なイジメでもってその評価を下されたのだ。まして共に戦車道をやってきた人間達によってだ。みぽりんは自分の信念と現実とのギャップ、矛盾に苦しんでいた。

このままでは戦車道そのものが心底嫌いになりそうで、そうなってしまえば、まほパイセンや私やエリカとの楽しかった思い出さえ嫌なものに変わってしまう、それが怖いのだと、みぽりんはまた泣きそうな顔で言うのだ。だから戦車道のない環境で過ごして、気持ちの整理がつくまで戦車から離れていたいという。

俺ごときガルパンおじさんの成れの果てをそうも買い被ってくれるのは嬉しい。だがすまない、今の俺は、君の痛みを利用してでもみほエリを成そうとする存在なんだ。今となっては親切心や友情が動機じゃない。

俺の目的のためにはみぽりんには確実に大洗に転校してもらう必要があるから、一応考えうる限りの甘言を弄して念を押しておいた。なんならボコミュの存在も教えておいた。ボコと聞いてみぽりんの表情が明るくなったので、これで間違いなく転校先に大洗を選ぶだろう。

さすがにないとは思うが、まかり間違って聖グロだのサンダースだのに引き抜かれたりしては困るから、みぽりんの身辺にも気を配らなくてはならないな。

 

……まあ、みぽりんのことはこれでいい。問題はエリカだ。

彼女の性格上、転校などするくらいなら来年の全国大会での再起を目指して練習し続ける方を選ぶだろう。というか、今まさにそうしている。

さて、どうしたものだろうか。

鉄板の方法としてはまほパイセンに説得してもらうことだ。敬愛する隊長の言うことであればエリカは耳を傾けるだろう。しかし、今回の場合は内容が問題だ。妹と百合百合してもらいたいから転校しろなんてパイセンが言うはずがないし、俺もパイセンにそんな内容で説得など頼めるはずもない。いよいよ頭がおかしくなったと思われるだけだ。

とはいえ実際、エリカのやり方は不発に終わる可能性が大だ。エリカはともかくみぽりんは既に逃げを選んでいる。

エリカだってみぽりんのことを無二の親友と思っているから、彼女が再び立ち上がってくるのを待っている。いつだってみぽりんと肩を並べて戦える戦車乗りであろうとしている。そんなことは俺にだってわかっている。

しかしみぽりんは戦車道が、というよりは黒森峰や西住流の戦車道が嫌になりつつある。エリカだけがやる気に満ちていたところでみぽりんは乗ってこない。原作でそうだったように、黒森峰から逃げ出してのうのうと暮らしているばかりか、当てこすりのように戦車道を再開などして……などと拗らせてしまうだけだろう。

この食い違いをどう利用したものか……いや、まずはぶつかってみるしかないか。うまくいかなかったところで、何度でもやってみるだけのことだ。

俺だって、劇場版や最終章を何度観に行ったかわからない。ガルパンおじさんってのは本当にしつこい奴らなのさ。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

数週間前の第六十二回戦車道全国高校生大会、その決勝戦の顛末を、我が黒森峰女学院の歴史にあってはならぬ汚点だと評する声もあるが、私はそうは思わなかった。

 

確かに、みほが味方を救うために増水した川へ飛び込んだと聞いたときは、頭を殴られたような衝撃だった。この予期せぬ事態に私達の動揺を見抜いたプラウダにはまんまとやられてしまったし、十連覇を逃したのも残念だ。

後先を考えず危険を冒したみほにはしっかりお灸を据える必要ありとも思う。

しかし、私はみほの行動を恥ずかしいものだなどとは思わないし、みほが自分の戦車道を貫いて負けたのならむしろ誇らしいとすら思っている。

 

私は自分のことを、西住流の教理のみを刻み込んだ一枚の鉄の板だと規定している。西住流以外の戦車道など知らないし、考えもしない。だが西住流は戦車道の一流派なのであって、決して殺し合いのやり方を教えるようなものではないことは知っている。

戦車道とは淑女を育てる芸事であり、正々堂々と戦うその姿勢そのものが『道』であり、戦車道の本質であろうと私は考える。これは建前ではない。勝ち負けだけが目的であるならそれは単なる闘争であり、その行く先は殺し合いにしかならない。

私達は戦争をやっているのではないし、勝利を志向するのはともかく勝利のための犠牲を仕方のないことと容認すべきではない。この点に関して、お母様が何と言おうと私の見解は変わらない。

戦車道は理念なき闘争に堕してはならない。戦車道が戦車道たりうる理念を明確にしてこそ、戦車道はただの戦車戦から一歩先へ進み、私達を心身ともに成長させ、人生を豊かにする道標となるのではないか。

 

……と、ご高説を垂れてはみたが、実のところ私がこういう考えに至ったのは割と最近のことだ。

天翔エミ。

私達とはまた違う形で戦車道に人生を捧げた後輩。

彼女との交流があったからこそ、私は戦車道で育まれる精神の重要性に気づくことができたと言っていい。

かつて、私がエミに「どうしてそんなにまで戦車道に打ち込めるのか」と問うと、エミは「戦車道が好きで仕方ないから」と答えた。

またみほによれば、「どうして戦車道を続けていられるのか」との問いに、エミは「戦車道が楽しくて仕方がないから」と答えたという。

エミは戦車道そのものを深く愛しているから、誰よりも真摯に戦車道に向き合えるのだ。時には勝ち負けにすらこだわっていないように見えたことに、私は感心させられた。

西住流は常勝不敗を旨とする。しかし本当のところは、お互いが真剣に戦車道に打ち込み、競い合い、結果として勝ちと負けが現れてくるだけで、究極的には勝利そのものすら無価値なのかもしれない。勝利を通して、あるいは敗北を通して、何を学び何を得ていくかが戦車道の真髄なのだ。

そして、その『戦車道の先にあるもの』をエミは求めている。私にはそう思えた。

 

しかし、黒森峰戦車道チームの現状は決して楽観すべきものとは言えない。

みほの行動によって指揮統制に混乱が生じ、プラウダを強気にさせてしまい、大乱戦の末フラッグ車を討ち取られてしまった。我々は負けた。その結果自体は受け止めねばならない。

だが、その発端となった人間を吊るし上げて責め立てるなどということは容認できない。第一、敗戦の責任を問うならば、隊長の私こそ一番に責めを負うべきだ。

嫌がらせのターゲットになっている人間はわかっている。みほとエリカだ。みほは西住流の人間で私の妹だから身内びいきで重用されていると噂されていた時期もあったし、大人しく優しい性格だから悪意をぶつけられても反撃などすまい。

エリカの場合、上級生相手でも物怖じしない強気な性格が災いして、普段から敵を作りやすかった。今回水没した戦車の車長であったというのはきっかけにすぎないのだろう。ここぞとばかりに戦犯扱いされている。

そのくせ、隊長である私の指揮の未熟さを批判しようという者はいない。強きに媚びて弱きを虐げる。愚劣の極みだ。

情けない。

今の黒森峰を見てお母様は、歴代の西住流家元はどう思うだろうか。悲しむか、憤るか、失望するか。考えるだけで忸怩たる思いが込み上げてくる。

早急に隊の規律を取り戻し、みほとエリカを救わなくては。

 

 

 

エミはまだ一年生ではあるが、戦車道にかける熱い思いは人一倍だ。それは私だけでなく、レギュラー・補欠を問わず多くの隊員が知っている。

私はいかにも西住流のトップダウン式のやり方しか知らないが、現状を見るにそればかりでは効果が薄いだろうと思われた。むしろ他の隊員をフォローし部隊の雰囲気を和らげるムードメーカーの存在は不可欠だろう。隊の立て直しのためにもエミに力を貸りようと、私は一年の寮に向かった。

私は当然、エミに断られるなどとは考えなかった。彼女なら、求められるまでもなく協力するにやぶさかではない、と、協力を惜しまず私を助けてくれるだろうと思っていた。決勝戦の直後は浮かない顔をしていることが多かったが、さすがに時間が解決してくれただろう。

しかし、私の作戦予想は早くも裏切られることになった。予想どころか想像もしていなかった事態によってだ。

 

「――ふざけるな!」

 

一年生の寮を訪れた私を出迎えたのは、廊下の端にいてもハッキリと聞こえる、エリカの怒鳴り声だった。ただならぬ雰囲気を感じて声のした方に急ぐと、エリカがエミに掴みかかり、エミを廊下の窓際の壁に追い詰めていた。

窓から差し込む陽光に照らされて、エリカの虎を思わせるような苛烈な表情が際立って見える。一方、エミの表情は影になっていて、瞳に光がない。

 

「エリカ! よせ!」

「っ……隊長!」

 

エリカとエミの間に割って入る。何枚かの封筒や書類のようなものが二人の手から離れ、バサバサと音を立てて床に落ちた。

喧嘩? いや、ありえない。みほとエリカとエミは一年生の仲でも特に仲が良かった。それはあの決勝戦の後でも変わらなかったはずだ。

 

「一体どうしたんだ。お前達が喧嘩なんて、らしくもない」

「……何でもありません。失礼します!」

 

言い捨て、エリカはさっと身を翻して走って行ってしまった。取り付く島もない。だが、あれでは何かありましたと自供しているようなものだ。嘘をつけないのは美点だが、時と場合によるな。

床に落ちた紙の束を拾い上げ、エミに手渡してやる。見ればそれは学校案内のパンフレットだ。表紙には『茨城県立大洗女子学園』の文字が飾り気のないフォントでデザインされている。表紙に採用されている写真から、陸の学校ではなく学園艦であることも読み取れた。

 

「エリカと何かあったようだが、これが関係していると考えていいのか?」

「……はい」

 

やはり声に力がない。いつも見かけによらず、大人びて落ち着いているエミが疲れきったような顔をしている。それだけで小さな悩み事でないことはわかった。

 

「良かったら話してみてくれないか。私としても、お前達の仲が拗れているような状況は好ましくないし、隊員のフォローをするのも隊長の務めだからな」

 

そう、力になってやらなければ。歴史的敗戦を招いた無能な隊長には荷が勝った任務かもしれないが、この状況を黙って看過しては西住流の名が廃る。

 

 

 

――エミが説明してくれたところによれば、この聞いたこともない遠くの学園のパンフレットはみほとエリカに転校を勧めるためのものだという。

この大洗女子学園という学校は、戦車道が廃れて二十年近くにもなる、ごくごく普通の県立高校だ。確かに黒森峰を離れて静養するにはちょうどいい場所だろう。

さっきのアレは、エミはエリカに大洗への転校を提案したところだったがうまくいかず、エリカを激昂させるだけに終わってしまったということか。

しかし二人を助けるためとはいえ、私は妹とその親友の両方を失わなければならないのかと思うと鼻白まざるを得ない。それはさすがに最終手段というものではないだろうか? その方法を取る前に打てる手はあると私は思う。

だがエミは、これは何よりもみほとエリカのために必要なことだと言う。

 

「試合なんかよりも大事なことがある――そういう、彼女にとって当たり前の倫理観に対して返ってきた答えがアレじゃあ、みほもショックを受けて当然です。みほは黒森峰や西住流に失望しています。戦車道そのものに嫌気が差してしまうのも時間の問題でしょう」

 

確かにそれを言われれば一言もない。

みほが深く傷つき、黒森峰や西住流にうんざりしてしまったのは、ひとえに私の隊長としての力量不足だ。しかしだからこそ、今の黒森峰を変えようと私は決心したんだ。

私はその成果をみほやエリカに、そしてエミに見届けて欲しいと思っている。

 

「確かにエリカならそれを望むでしょう。でも、私は……無理矢理に戦車道をやっているエリカを見ているのが、辛いんです」

「無理矢理に……というと」

「今まで一緒にやってきた仲間が一転、敵になったんです。エリカがいくら意地を張ったって、私や隊長が味方になってやったって、以前のようにはなりません。毎日の練習にしたって、エリカは戦車に乗れもしないんですよ」

 

エミの言葉には熱があった。まるで自分のことのように友人の無念を語る、生々しい熱が。それは普段の飄々とした調子からは想像もつかない温度を伴って、私にぶつかってきた。

手のひらをきつく握り締め、上目遣いに私を見つめるエミは、さらに続ける。

 

「エリカは――責任を取る道があるとすれば、来年の全国大会で勝つことだって。黒森峰に優勝旗を取り戻すことしかないんだって、そう言ってました。それはエリカの言うとおりでしょう。でも、私はエリカにそんな、自分を傷つけながらやるような戦車道をさせたくない。そんな戦車道は間違ってる」

 

必死に訴えるエミもまた苦しんでいる。戦車道を愛するがゆえに。友達を想うがゆえに。共に歩んだ戦車道を忌まわしいものにさせたくないと、その一心で。

 

「それとも……私達が今までやってきた戦車道のほうが、間違いだったっていうんですか?」

 

エミの潤んだ瞳から、ひと粒の涙が零れ落ちた。

間違いなんかじゃない、お願いだからそう言ってくれと、目顔で懇願していた。

その姿は一枚の絵画のようでもあり、触れれば消えてしまいそうな儚いものにも思えた。私は思わず、エミの小さな背中に手を回して抱きしめていた。

 

「……わかった。エミ、お前の気持ちはよくわかったよ」

 

みほとエリカを転校させて一時的に黒森峰から遠ざけたとしても、いずれ二人を相応の地位に迎え入れて名誉を回復させることは叶うだろう。

だがそれも、二人が戦車道を好きでい続けてこそだ。今この時機を逃せば、みほとエリカが笑いあいながら戦車道をする日は二度と来ないかもしれない。エミはそう考えて、敢えて転校を提案したのだ。喧嘩になるかもしれないことも承知で。

ああ、間違いなんかじゃない。間違いであってたまるか。こんなにも友達を思いやれる心を育てた戦車道の、どこが間違いだというんだ。西住まほの名に懸けて保証してやるとも。

 

「……戦車道の先にあるもの、か」

 

ぽつりと口の中で呟く。多分、エミには聞こえていなかっただろう。

だが今は、ただの独り言で十分だった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

黒森峰学園艦の右舷側にある海を臨む小さな公園は、かつて俺とみぽりんとエリカの三人でよく訪れた場所だったが、今は俺一人だけがそこにいる。

俺の手には1枚の写真が握られている。

中央にはみぽりんとエリカが写っていて、その周りには華さん、さおりん、秋山優花里殿、冷泉麻子ちゃん。みぽりんもエリカも、みんな笑っている。

先日、「こっちでも友達ができたよ」と、みぽりんが手紙と一緒に送ってきてくれたものだ。向こうに行ってすっかり元気を取り戻したようで、俺も安心した。

大洗で戦車道が復活したことも書いてあった。生徒会に請われて履修し、未経験者ばかりのチームを引っ張っているという。当然、エリカも一緒に。

 

決勝戦から数ヶ月が経ち、季節は冬を経て春になっていた。

まほパイセンがエリカの説得に協力してくれたおかげで、冬を待たずしてみぽりんとエリカは大洗へ転校していった。

さらにそれと前後して、パイセンは黒森峰戦車道チームに対して改革を行った。

まず部隊の綱紀粛正を掲げ、みぽりんやエリカへの嫌がらせに加担したものを徹底的に処断し、密告の奨励すら行ったほどだ。その結果、結構な数の隊員がチームを追い出されることになった。

スタメンがわずか一ヶ月でガラッと入れ替わったことを受け、パイセン自ら率先して一年生の教導に当たっている。優しく頼りがいがあると評判はいいようだ。

作戦会議でも学年に関係なく自由な議論をさせ、内容如何では一年生の提案も取り入れている。軍隊式のガチガチの上下関係を徹底していた頃よりはだいぶ風通しがよくなったと言えるだろう。

一方で戦車道の社会的・教育的意義についてパイセンなりに思うところがあるらしく、その手の講演会やら何やらによく誘ってくるようになった。「西住流の宗家の生まれでなければ、教師や学者になるのも面白かったかもな」と語っていたのを覚えている。

またウチの作戦に口出ししてくるスポンサーやOG会ともかなり頻繁にやり合っていて、西住流のあり方についてしほさんや西住流のお偉方とも激論を交わしているそうだ。さすがに心配になって大丈夫かと聞いてみたことがあるが、パイセンはどうってことなさそうに、

 

「私が西住流家元を襲名すればこんな雑音は消えてなくなる。心配はいらない」

 

と言ってのけた。それは要するにしほさんを倒すってことか? 在学中に殺る気なのか? ゆくゆく手伝わされそうな気がするが、パイセンには転校の件で恩があるし、断りにくい。

 

そう、あの時は形振り構わない泣き落としでパイセンの協力を取り付けたんだ。真正面からエリカに転校を勧めて、大方の予想どおりエリカを怒らせるだけで終わってしまったが、都合のいいことにまほパイセンが通りがかってくれたおかげで、みぽりんとエリカは大洗で仲良くやっているのだ。

自分でも、あそこで言った内容の何割が本心で、何割が口から出任せか判然としない。エリカを大洗に転校させる理屈もかなり無理筋だった気がするし。だが結果オーライだ。みほエリはすべてに優先するのだから。

俺一人じゃエリカを説き伏せることは難しかったし、借りを返す意味でも、しほさんと戦うくらいはやらなきゃならないのかもな。俺にできることなんてただひたすら弾を装填するしかないが、それだけは誰にも負けない自信がある。

……しかし、あの時は我ながら名演だった。卒業後は女優でも目指してみようかね。西住流の後継者をだまくらかした演技力、持ち腐れるには勿体無い。なにせ生まれたときからずっと「天翔エミ」を演じ続けているのだから。

 

まあ卒業後のことなんてそのときに考えたって遅くはない。それよりも俺は最後の仕上げをしなきゃいけないんだ。

みほエリを成すための、最後の仕上げを。

 

制服のスカートのポケットからスマホを取り出し、エリカの番号にコールする。

みぽりんとエリカが大洗に引っ越してからも頻繁に連絡は取り合っているから、問題なくつながった。放課後のこの時間なら戦車道の練習も終わっている頃だろう。

 

「もしもし、エリカ。私だ」

『もしもし、エミ? どうしたのよ急に』

「いや、ちょっと話があってね。みほは近くにいるかい?」

『? いないわよ。今はグラウンドに残って一年生に色々教えてると思うけど。呼んでくる?』

「いや、いいよ。手紙と写真、こっちに届いたからさ、伝えておいてくれ。みんないい顔してたってね。エリカも。安心したってさ」

『ちょっと、やめてよ。もう……わかった、あの子に伝えとくから』

 

茶化して誤魔化したが、みぽりんに聞かれる心配はなしか。ますます好都合。

 

『……それで、話って何なの?』

 

エリカが問う。俺が改まって「話がある」とくれば何か大事な用だと察しているに違いない。

俺は努めて冷静に、今日の夕飯の献立の話でもするように、なんでもないような話であるかのようにこう言った。

 

「うん。私さ、もうみほとエリカに連絡を取り合うの、やめようと思う」

 

電話の向こうでエリカが息を呑んだのが聞こえてくる。予想だにしていない言葉に困惑したエリカに畳み掛けるように言う。

 

「黒森峰は変わったよ。優秀な者は一年生でもどんどん登用してる。その分後輩の教導に時間を取られることも多くてね。単純に忙しくなってきたんだ」

『忙しいって……でも、電話くらい休みの日でもなんでもできるじゃない。どうしてそんな』

「ああ、そうだよ。だから今言ったのは表向きの理由。せっかくだからエリカにはきちんと教えておこうと思ってね」

 

表向きの理由なんて回り道を挟んだのは、会話のテクニックでもなんでもない。

単刀直入に話してしまうための心の準備ができなかっただけだ。五臓六腑を締め付けられるような罪悪感から逃避したい、俺の覚悟のなさの現われだ。ほんの数秒だけでも長く、エリカの声を聴いていたいだけだった。

さて、現実逃避はこの辺にしておこう。ここからが名優天翔エミの一世一代の大舞台だ。

 

「まほ隊長はいずれ君達を呼び戻すつもりでいるけど……私はそうじゃないんだ。君やみほに戻ってこられると、少し都合が悪くてね」

『は? な……何、言ってるのよ? だってエミが私達に転校を勧めたのだって』

「君らを可哀想に思ったのも確かだけど、私にはチャンスでもあった。副隊長と、一年の中でも特に優秀な君が消えてくれれば、私がまほ隊長に次ぐ黒森峰のNo.2になれる可能性があったからね。ほら、私って結構、隊長に好かれてるみたいだし?」

『嘘……そんなの嘘、やめてよ。エイプリルフールはとっくに終わったわよ』

 

エリカの声が俺を揺らがせる。今すぐにでも悪いジョークだったと、全部ひっくり返してしまいたい衝動に駆られてくる。

いや、震えるな。悲しむな。自分が世界で一番正しいと思い込め。

俺は本心から、自分の地位と権力欲しさに、みぽりんとエリカを追い出したのだ。そう信じ込むんだ。

 

「一応言っておくよ。大洗で素人相手の戦車道に満足したからって、黒森峰に帰ってこられても迷惑だ。君達の席はもうないんだから」

『……騙したの? 私と、みほを。あんたは、自分が副隊長になりたいからって、私とみほを利用したの……?』

「だからそう言ってるじゃないか。まあ、みほはあのまま黒森峰に留まらせて、完全に潰してしまってもよかったかもなぁ。でもそうするとまほ隊長に悪いし」

『あの子は! エミに感謝してたのよ! あんたのおかげで戦車道を嫌いにならなくて済んだって……いつかまた一緒に戦車道やりたいって……! そのみほを、あんたは騙したの!?』

「そうだよ。ついでに言うと、私の嘘を信じた君も同罪さ」

『……っ、あんたは!』

「悔しかったら全国大会で黒森峰を倒してみせるんだな。ウチから逃げ出した敗北者がどれだけ叫んでも負け犬の遠吠えだ。せいぜいがんばりたまえよ」

 

一方的に言い終え、終話ボタンをタップする。

そして俺は大きく振りかぶって、手に持ったスマホを海に向かって放り捨てた。スマホは放物線を描いてぐんぐん遠ざかり、やがて小さなしぶきを上げて海に沈んだ。

 

これでいい。これで俺は完全に悪役だ。

大洗が廃校を回避するために優勝を目指すなら、否が応でも黒森峰と決勝でぶつかることになる。万が一にも大洗が負けることなどあってはならないが、俺自身がその原因にならないとも限らない。

みぽりんとエリカには、俺への友情など欠片もなくしてもらったほうが戦いやすいだろう。何の遠慮もいらない。俺という明確な敵の存在によって、みぽりんとエリカはより強固に団結する。

そしてその先にみほエリは成る。

 

ああ、そうだよ。これでいい。これがベストの選択だ。

考えてもみろ。そもそもみぽりんが大洗に行かなければ大洗は確実に廃校になり、あそこに住む人達はみんな陸に下ろされてバラバラになる。

生徒会は廃校を阻止するという一睡の夢さえ見ることはできない。

華さんはイマイチな花を活け、さおりんは打ち込める何かを見つけられない。

麻子ちゃんは出席日数が足りず留年するだろうし、優花里殿はぼっちのままだ。

そしてみぽりんも、自分の戦車道を見つけることはできない。

みぽりんが転校しなければたくさんの人が不幸になる。エリカにとっても、みぽりんと一緒に転校したほうが幸せになれる。針の筵の黒森峰にいるくらいなら、大洗のほうがずっとマシだ。

 

俺一人が悪役になるだけでみんな幸せになれるし、俺はみほエリさえ成せればそれでいい。

誰も不幸になんてならない。

これでよかったんだ。俺は世界一正しいことをしたんだ。

 

 

 

だから、これも嘘なんだ。全部、何かの間違いだ。

とめどなく溢れてくるこの涙も、嗚咽も。込み上げてくる後悔も、絶望も、全部――

 

 

  

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

そこを通りがかったのはまったくの偶然だった。

この小さな公園で、愛すべき三人の後輩達が戦術論議に華を咲かせていた頃を思い出し、懐かしさからふと立ち寄りたくなっただけのことだった。

だから、そよぐ海風とみかん色の夕陽の中で立ち尽くすエミに出くわしたのも、きっと神の悪戯とでも言うべき何かの賜物だろう。

 

彼女は一枚の写真をかき抱いて、静かに泣いていた。

その涙の意味はわからない。けれど、エミの頬を濡らすそれは、きっと遠くにいる親友を思って流した涙なのだと私は信じた。

 

「エミ」

 

名前を呼ばれ、振り向いたエミを、私は何も言わずに抱きしめた。

思っていたよりも泣き虫だった後輩にこうしてやるのも、何ヶ月ぶりになるだろう。エミが落ち着くまで、私は胸を貸してやろうと思った。

 

今は悲しくても、いつか悲しくなくなりますように。

みほが、エリカが、エミが往く戦車道のその先に、どうか幸せが待っていますように。

 

私はただ、それだけを願っていた。




エミカスの敗因
・みぽりんの代わりにダイブしなかった
・まほお姉ちゃんの意識が高かった



この後、阿修羅をも凌駕する存在となったみぽりんとエリカとの最終決戦とか、黒森峰卒業を前にまぽりんとしぽりんの一騎打ちとか、まあ色々あるとは思いますが続きませんし始まりません。

あくまでもエミカスを幸せにせずにみほエリを成そうと思いましたが、まほエミの希望を残さなければ終われませんでした。非力な私を許してくれ。

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