みほエリは果てしなく素晴らしい   作:奇人男

5 / 10
失敗作だって、見捨てられりゃ傷つくし、腹も立つんだがね。


EMIKAS SENTINEL 愛里寿の懺悔 中編

私は目を疑った。

何故あの女がここにいる。何故、エミのいるこの店にあの女が踏み入っている?

 

対して、あの女はいかにもつまらないものを見るような目で私を見てきた。鼻持ちならない上から目線。他人を下らないもの、価値のないものと断じることのできる傲慢な視線。

数え切れないくらい私に向けられてきた、あの目。

その目に射抜かれると同時に、葬ろうとしてきた過去がフラッシュバックしてくる。

 

不安と、孤独と、絶望に彩られたあの日々の記憶が蘇り、負の感情が無尽蔵に湧き出してくる。

一瞬ごとに、私の心が怒りと憎しみに塗り潰されていく。

私という器に注がれた激情があっという間にあふれ出し、島田千代への憎悪の権化となって私は叫んでいた。

 

「どうして……どうしてお前がここにいる! 島田千代ッ!!」

 

私の絶叫を、しかしあの女は泰然と受け流して、呆れたように肩をすくめた。その余裕ぶった態度も私の神経を逆撫でするには十分だった。

 

「……そういえば『あなた』もこの高校にいるんだったわね。あーあ、エミさんに会いに来ただけなのに、とんだ邪魔が入っちゃった」

「エミに……? エミに何の用がある。彼女をどうする気だ!?」

「『あなた』には関係ない。大人のすることに口を挟むものではないわ」

 

気に入らない。あの女が口から吐き出す言葉のすべてが癇に障った。

私も、エミも、大人のすることに翻弄されてきた。大人の思惑に振り回されて人生を狂わされた。

所詮島田流も西住流も同じ穴の狢だ。その中でもこいつは極めつけだ。自分の都合のために他人を利用することしか考えられない女が、エミに触れていいわけがない。お前なんかにエミは渡さない!

 

「ここはお前がいていい場所じゃない! 出て行け! エミに近づくな!」

「あら、おかしいわね。そんな決定権が『あなた』にあるのかしら?」

「うるさい! いいからさっさと……!」

「ミカ!」

 

横合いから投げかけられた声に、私はハッとした。

カウンターを出て私のそばに駆け寄ってきたエミが、不安げな表情で私の顔を覗き込んでいる。

 

「落ち着いて、ミカ。いい? 大丈夫、大丈夫だから」

 

エミは私の手を握り、幼子をあやすように私をなだめる。彼女の小さな手のひらに包まれて、確かな熱が伝わってくる。こちらをまっすぐに見つめる大きな瞳から、私は囚われたように目が離せなくなった。

怒りに沸騰した頭が、急速に冷めていくのがわかった。エミの前で冷静さを欠いて醜態を晒してしまったと思うと、途端に恥ずかしくなってしまった。

 

「あ……ああ、ごめん……熱くなってしまって」

「うん。大丈夫、ここは私に任せて」

 

私が落ち着いたのを確認すると、ミカはあの女に向き直って言う。

 

「……島田さん。さっきの話、今すぐお答えすることはできません。もう少しだけ時間をください」

 

決然とした面持ちで告げるエミを、あの女は少しだけ意外そうに見やる。

あいつがどんな提案をエミに持ちかけたかは知らないが、島田の家名と財力からして、断られたり返事を先送りにされることなどありえないと思っていたのか。

 

「そう。いきなりの話だったもの、考える時間は必要よね」

 

怖気が走るような微笑とともに、あの女が言う。そして財布から紙幣を取り出してカウンターの上に置き、ハンドバッグを手に取って入り口へ歩いていき、エミの前に立つ。

少し屈んでエミと目線の高さを合わせてから、あの女は言葉を続けた。

 

「美味しいコーヒーをありがとう、エミさん。いい返事を期待してるわ。それと……」

 

そしてチラリとこちらに視線をやり――その目にはありありと侮蔑の色が浮かんでいた――こう言い放った。

 

「ひとつアドバイスしてあげる。くだらない人間と付き合っていても貴女の才能を腐らせるだけよ」

 

ゴトン、と乾いた音がしたかと思うと、私はあの女に向かって身を乗り出し、エミに制止されていた。あの女に掴みかかろうとして抱えていたカンテレを放り出したことにすら、数秒も経ってようやく気づいた。

エミはその華奢な身体と細い腕から想像もつかない膂力で私を抑えつけ、悠然と立ち去るあの女の後姿を見送った。

 

カランコロンとドアベルが鳴らす穏やかな音が、静けさを取り戻した店の中に響いていく。やがてそれも静謐の中に溶けてゆき、二人分の吐息のみが残った。

 

 

 

全身にのしかかってくる疲労感に圧されるまま、ふらふらと近くの席に歩いていき、テーブルにすがりつくようにして座った。

胸の中に吹き荒れた怒りの嵐が過ぎ去り、その後に残ったのは、ただ言いようもない哀しみの灰燼だけだった。どうしてだろう。あの女をこれほど憎んでいるのに、どうしてこんなに哀しくて、寂しくなるんだろう。

身体に力が入らない。もう何もする気が起きない。

ほんの数分前までは、エミにコーヒーを淹れてもらって、一緒にご飯を食べて、日曜日らしくのんびり過ごそうと決めていたのに。

 

それなのに何故。どうして。なんであの女が、また私の前に姿を現したんだ。

 

しかもよりにもよって、エミを? あの女はエミに何をしようとしていたんだ。

私から何もかも取り上げておいて、その上エミまで奪っていこうとするのか。

悪い夢だと思いたかった。いや、そもそもこれは現実に起こった出来事なのか?

それとも私は、12歳のあの日から、決して醒めない悪夢の中を彷徨い続けているのか?

 

胸の奥で、今も膿んだままの傷跡が痛みに疼いている。

記憶の彼方から忌まわしい声が聞こえてくる。私の身に降りかかった出来事がめまぐるしく押し寄せてくる。

 

『――あなたはもう要らないの』

 

あの日、冷ややかに投げかけられた最後の言葉が記憶の彼方から蘇り、ズキズキと痛む古傷を抉った。

もう何年も前のことなのに、脳裏に焼きついた記憶があまりにも鮮明に蘇ってくる。忘れたいと願っても忘れられない記憶が、消そうと思っても消せない過去が、私を苛んだ。

 

しばらくの間、テーブルに突っ伏して頭を抱えて、じっと背中を丸めていた。

ただ、怖かった。あの女のあの目が。記憶の中にあるのと寸分違わぬ、あの冷酷な視線が。

所詮お前は捨てられた子どもなのだと、呪わしい事実を改めて突きつけられたようで、身体の震えが止まらなかった。

 

けれど――押し寄せる感情の波濤に押し流されそうな私を現実に繋ぎ止めたのは、目の前に置かれたたった一杯のコーヒーだった。

嗅ぎ慣れた芳香が鼻腔をくすぐり、私の意識を引き戻す。

いつの間にか、対面の席にはエミが座って、顔を伏せて肩を震わせる私を見守っていたようだった。顔を上げた私に、エミはいつもの調子で言う。

 

「砂糖は四個でよかったよね? ほら、あの夜もそうだっただろ」

 

エミの言う「あの夜」がいつのことを指すのかは言うまでもない。

あの時は思い返すと赤面してしまうくらいみっともない姿を見せてしまった。そして、彼女もまた大人の思惑の犠牲になった子どもなのだと知った。

戦車道という競技をエゴの腐臭にまみれさせ、自らの利益のために利用する大人どもに吠え面をかかせてやる。

高みから見下ろしているつもりの奴らを全員地獄に叩き落としてやる。

そんなケツイを胸に私は“死神”になったのに、その正体といえば何のことはない、ただのひとりぼっちの子どもに過ぎなかったというわけだ。

 

いや、エミのことはただのきっかけでしかなかったのかもしれない。私はただ、自分の中に燻っている報復心を爆発させてやりたかっただけで、エミの哀れな境遇を言い訳に使っただけなのかも……。

そう考えれば、私もエミを自分のために利用した者の一人ということになる。こんな滑稽で醜い行いがあるだろうか。私は自己嫌悪でエミの顔を直視できなかった。

 

エミが差し出してくれたカップを手に取り、口をつける。

普段とは違って砂糖が多めに入った甘い甘いコーヒーは、それでもエミ以外には淹れられない素晴らしい味だった。

冷え切った心と身体に一縷の熱が染み渡り、いつの間にか震えはなくなっていた。本当に、エミの淹れるコーヒーは魔法みたいに優しい。

 

「……私ね、島田さんに誘われたんだよ。うちの子にならないかってさ」

 

エミが吐息混じりにこぼした言葉に、私は目を見開いた。同時に、あの女の思惑が透けて見えるようだった。

あの女にとって大学戦車道を席巻する大学選抜チームなど、愛する愛里寿の将来の踏み台でしかないと見切っているに違いないのだ。島田流を体現するよう英才教育を施し、たった一輌の戦車で戦局を左右することができる、まさに天賦の才を持つ愛里寿。車長としての技量は西住まほをも凌ぐかもしれない。

その愛里寿を支えるに相応しい人材を、大学や社会人チームからだけでなく、高校戦車道からも集めようということだろう。黒森峰に根を張り高校戦車道に大きな影響力を持つ西住流とかち合うことになるが、そのリスクを冒してでも、というわけだ。

私もエミの転校前の活躍ぶりについて校長から聞いたことがある。純粋な身体能力の高さゆえに装填手として屈指の実力を持っていたこともさることながら、非公式の練習試合でのことではあるが、なんと戦車を降りて森を駆け回り単独偵察任務をこなしたという情報まであった。

なるほど定石にこだわる西住流には馴染まないやり方だが、島田流であれば喉から手が出るほど欲しい人材だろう。いかなる戦局にも対応可能なワンマンアーミー、それこそ島田流の目指しているものだ。

 

「島田さんは私をずいぶん買ってくれてるみたいだったけど、イマイチピンと来なくてさ。自分にそれだけの価値があるかどうか、わからなかった」

 

あの女はエミを戦車兵としての素質でしか評価すまい。そして悔しいが、あの女の目は本物だ。エミが自分にとって価値のある人間だと、彼女を心底欲しいと思わなければわざわざ継続高校の学園艦などに足を運ばないはずだ。

そして私も、一人の友人としてエミに何者にも代えがたい価値を見出している。戦車道に関係なく、私はエミにここにいて欲しいと思っている。

見方や目的は違えど、私もあの女も同じ人を求めている。奇妙な偶然もあったものだ。神様とやらの悪意を呪いたくなってくる。

 

「それに……ミカは昔、島田さんと何かあったんだろ? その辺りの事情を聞いとかないと答えは出せない」

 

確認するように言うエミの真剣な眼差しが私に向けられた。流石にあれほど取り乱しておいて隠し通せはしないだろう。

 

「……私の過去なんて語ったところで、それに意味があるとは思えない」

 

だけど、自分でもよくわかったんだ。

私はあの女を憎んでいる。それは間違いなく断言できる。しかし、偶然であるにせよ私と会ったというのに、あんなにも冷淡な態度を取られて、私は言いようのない哀しさと虚しさを感じてしまった。

いい思い出なんかひとつもなかったくせに、私はまだ未練がましくあの女を恋しがってもいる。私のことを気にかけていてくれはしないかと密かに期待している。つながりなどとうに切れてしまっているというのに。

そんな自分のことを改まって話すのに、私は強い抵抗感を禁じえなかった。認めざるを得ない、けれど認めてしまえば、自分を支える芯のようなものが折れてしまう予感がする。

つまらない自尊心とエミへの信頼のせめぎ合いで、私の胸は軋んでいた。

 

「あるよ」

 

逸らした視線を追うように顔を傾げたエミは、ふっと笑った。

それはエミが時折見せてくれる、不思議と大人びて見える表情だった。

部屋に忍び込んだりつまみ食いしたりしても笑って許して受け入れる、母親のような表情。

あの女が私に向けなかった顔。

私がどんなに求めても手に入らなかったものが、そこにあった。

 

「私が知りたいんだよ、ミカのことを。それに島田さんの言葉を信じていいのかわからないけど、ミカの言葉ならきっと信じられる。友達だからね」

 

その言葉が決定打だった。

相手がどんな金持ちでも、権力があっても、エミは私なら信じられると言ったんだ。友達だから、ただそれだけでいいのだと。

 

エミはこんなひねくれた子どもの言うことでも全力で受け止めてくれる。自分も孤独を抱えたひとりぼっちの子どものくせに。

いや、だからこそなのだろうか。他人の寂しさや心細さが理解できるから、ひとりぼっちの隣に寄り添う、もう一人のひとりぼっちでいてくれるのかもしれない。

受け入れて、受け止めて、寄りかからせてくれる。温かいコーヒーをそっと差し出して見守ってくれる。ただ友達であるというだけで、それを許す。

それが天翔エミという人間なのか。

西住まほがエミのことを気にしていた理由が今更ながらわかった。彼女は間違いなく黒森峰のムードメーカー、精神的支柱になりうる。そのエミを心ならずも手放すことになったのだから気にするなと言うほうが難しいだろう。その意味で、西住まほもエミに寄りかかっていた人間の一人だった。

 

……なら、私も自分のことを洗いざらい話して、後はエミの判断に委ねよう。

きっと彼女なら受け止めてくれると、私も信じているから。

 

コーヒーカップの黒い水面にぽつんと雫が落ちて、波紋を広げる。頬に一筋あふれ出た涙を拭って、私はエミに向き直った。

 

「……つまらない話だよ」

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

島田流師範にして次期家元、島田千代の長女。その肩書きこそ私が人生で最初に与えられたものだった。ただ、その肩書きが私に要求する役割がどんなものか、幼い私にはよくわからなかった。

だけど今ならわかる。それはこの社会を回す一個の歯車であるということであり、戦車道という名の巨大な戦争ごっこを演出する側に回るということだ。

そのために戦車道の大家を持って任じる島田流は強くあらねばならないし、地元の企業、特に軍需産業との良好な関係を保っておかなければならない。

 

戦車道という血の流れない戦争は、あまりにも巨大な消費イベントだ。

全国大会のたびに無尽蔵の燃料と砲弾が浪費され、修理資材、乗員の装備、糧食、その他諸々の莫大な需要を生じる。結局、人間は戦争なくして社会を維持できない動物だということなんだろうね。戦車道がもたらす経済効果は戦後の好景気を支える大きな要因となっていたし、国内外の軍需産業の影響力を大きくしてきた。

それだけじゃない。大会の会場に指定されて戦場となった街が瓦礫の山と化せば、大仕事が降って沸いた土建屋も、政府から巨額の給付金が降りてくる住民も小躍りして喜ぶだろう。今は陰りを見せているとはいえ、本来どれだけのカネを生む事業であることか。

戦車道が学園艦を持つ学校で栄えてきたのも決して偶然じゃない。戦車や学園艦の部品を供給する重工業、学園艦を建造・整備する造船業との利害関係だって当然ある。近頃文科省が推し進めていると聞く学園艦統廃合計画にしたところで、どこの企業の上役が書いた筋書きなのだろうね。

そんな無数の関連企業や利権亡者の議員とのズブズブの癒着関係を保ち、業界の中で存在感を示してイニシアティブを確保するために、日本戦車道の二大流派は反目しあっているわけだ。

島田流、あるいは西住流ここにありと内外に示しスポンサーを納得させなければ、ただでさえ金食い虫の戦車を何十輌もまともに稼動させることは難しいという切実な懐事情もある。

要するにそれぞれの流派がアイドルとなる選手を擁立し、活躍させるってことだ。そのためにも、次期家元の娘となれば相応の才能と実力をもって華々しく活躍することが求められるし、ついでに言うと容姿も優れていたほうがいいだろうね。

 

私にしろ愛里寿にしろ西住姉妹にしろ、戦車道というビジネスに衆目を集めるための見世物になるために産まれてきたようなものなのさ。

 

 

 

その点で言うと、まあ、自分に何の才能もなかったとは言わないよ。

少なくともちょっとばかり年上なだけの凡庸な戦車道家などには負けたことはないし、特に相手を誘き寄せてからの奇襲戦法には定評があった。

だけど私が持って産まれた才能の質と量は、島田千代の要求する水準には達していなかったらしい。

私が最初に違和感を覚えたのは、3歳くらいの頃だったか。

お母さんと一緒に遊ぶゲームくらいに思っていた兵棋演習で、もちろん私は島田千代に勝てた試しなどなかったが、それがあの女には不満だったらしい。目を瞠るような特異な戦法を編み出すこともない。せいぜい基本的な定石の組み合わせだけだ。

幼稚園にも入っていない子どもに彼我の戦力の測定や地形効果の把握、状況に応じた戦術案の検討をこなし、大人に勝つなど望むべくもないと常識的には考えるだろう?

しかしあの女に言わせれば「私があなたくらいの頃には出来ていた」とのことだ。嘘なら性質が悪いし、本当だとしても常に自分を基準にしてしか物事を考えられない女だということになる。西住流の西住しほもそういう人種なのかな。

 

とにかく、私が自分の期待していたほどの人間でないことが徐々に明らかになってくるにつれて、島田千代の態度は常軌を逸してきた。出来損ないをモノにするために必死だったんだろう。だんだん島田千代が私にかける声は厳しく、向ける目は冷たくなり始めた。

座学も演習も、毎日毎日、朝から晩まで、くたびれてヘトヘトになるまでやらされた。片手の指で足りるくらいの年齢の子どもにだよ? 本当にどうかしてる。

5歳になると戦車にも乗り始めた。愛里寿が産まれたのはその少し前くらいかな。

そのときは、妹ができたことは純粋に嬉しいと思っていたよ。お姉さんになるんだから今以上にがんばらないと、とも思った。

今にして考えれば、愛里寿は失敗作の私の代わりに作った子どもだったのは明らかだし、妹の存在が私に発破をかけることを狙ってもいたんだ。

でも相変わらず、私は島田千代の求めるようにはできなかった。夫を尻に敷いて島田流のすべてを取り仕切る女の求めていたのは、島田流を体現する一騎当千の傑物であり、島田流の権勢を世に知らしめるスター選手だ。

残念ながら私は、秀才どまりの二流の戦車乗りでしかなかった。

 

私が10歳になって、愛里寿は5歳になるかならないかの頃。愛里寿が戦車に乗るようになって、家に私の居場所はなくなっていた。その頃になると、あの女は私よりも愛里寿の方こそ可愛くて仕方がないんだと、ハッキリ理解していたよ。

その頃の私はもう、「要らないほうの子ども」だったんだ。

君も知ってるかもしれないけど、愛里寿は本物の天才だった。内気で人見知りな性格だけど、人一倍勘が鋭くて飲み込みも速い。信地旋回で車体の角度をずらすことで敵の砲撃を避けたりダメージを受け流して有効判定を出させないなんて芸当、他の誰にできると思う? たった一輌で相手チームの戦車の大半を撃破するような指揮を5歳の妹が振るったなんて信じられるかい?

当然、相手をした門下生の誰一人として手加減なんかしていない。愛里寿を相手に手加減をして撃破されてあげるなんて真似をしたら島田千代直々に破門されかねなかったからだ。

若干5歳にして圧倒的な才気の片鱗を見せる愛里寿は、既に周りの大人達を問題にしない異端の強さを身につけようとしていた。

まさしく、島田流が求める至高のワンマンアーミー。それに相応しき大器を持って愛里寿は産まれてきたんだ。

 

戦車道に関する限り、島田千代は私と同様のスパルタ教育を愛里寿に課していたと見えたが、私生活においては溺愛もいいところだった。愛里寿が欲しがったもので、あの女が買い与えなかったものなどないと言い切れる。傍から見てもどうかと思うくらい極端な甘やかし方をしていた。

一方で失敗作の私に対しては、事務的な必要最低限の会話があるだけだ。私の目を見て会話をしてくれたことなど何回あったか。私に何も告げずに愛里寿と一緒に出かけて、たくさん買い物をして帰ってきたことなんてザラだった。そんなことが、日常の中に数え切れないくらいあった。

表面上は不自由をさせていないというだけで、不出来な姉と将来有望な妹とで明確に扱い方に差をつけていたし、あの女はそれを悪いとも後ろめたいとも思っていなかったみたいなのが、尚更キツかった。

人間というのは生きてきたようにしか生きられないものさ。島田千代の子育ての手本になったのが自分自身の経験だと考えれば納得できなくもない。才能に恵まれた人間は大事に扱われて当然、能力不足の人間はたとえ実の娘であっても邪魔者扱い、それが島田流の常識なんだとね。

出来損ないの姉として心配だったのは、愛里寿が弱い人間は軽んじ、蔑んでもいいという偏見の塊に育ってしまわないかということだったけど、今愛里寿がどうなっているのかは私にはわからない。今となっては確かめようもないからね。

 

あの女と愛里寿が楽しそうにしているのを見ていると、世界中で私の味方なんか誰もいないみたいに思えて辛かった。もしかして私の悪口を言ってるのかも知れないと考えると胸が押し潰されそうになった。

わざと泣き喚いたり悪いことをして関心を引いてみようかとも考えたけど、そんなことしたって鬱陶しがられるだけだってこともなんとなくわかってしまった。

せめて島田家の子どもとして恥ずかしくないようにって、学校での勉強もスポーツも、死に物狂いでがんばって成績優秀な優等生になろうとしていたし、それは実際成功していたけれど、私はあの女が最も重要視している分野で愛里寿を超えることはできない。

どれほど努力したところでお母さんが私を褒めてくれることなんかないだろうって思いがあったけど、でも家名に傷をつけるような真似をして本当に捨てられてしまったらどうしようって思って、今更優等生をやめることもできなかった。

親っていうのは、子どもにとって最も拠り所になって欲しい存在なんだと思う。当時の私にとって「お母さんを嫌いになること」なんか考えもつかなかった。何をしたって無関心にあしらわれるだけだとしても、自分がお母さんの期待するような「良い子」になれば、愛里寿みたいに可愛がられて大事にしてもらえるという期待から抜け出せなかったのさ。

 

その期待にすがりついていなければ、私はきっと生きていられなかったから。

 

 

 

……その期待が最低最悪の形で踏みにじられたのが、私が12歳、愛里寿は7歳のときだった。

 

その頃には「島田流に稀代の天才用兵家あり」という評判が、戦車道関係の企業や学園艦の関係者に広まり始めていた。

愛里寿は大人達が束になっても敵わない、本物の才能を持った人間だ。母親の愛を一身に受けていることに嫉妬のような鬱屈した感情はあったけど、妹が認められているのはそれ以上に誇らしかった。なんだかんだ言って可愛い妹だったからね。

愛里寿の側が私をどう思っていたか? ……それは、怖くて確かめられなかったけれど。

そんな折、珍しく私は島田千代の下に呼び出された。

一体何事かと思ったけど、近く愛里寿を島田流と付き合いのある方々にお披露目するから、模擬戦の相手をせよということだった。

愛里寿の社交界デビューの当て馬にしようとしているのは目に見えていたが、私は千載一遇のチャンスが巡ってきたと思ったよ。

ここで私が愛里寿に勝つことができれば、お母さんも私を見直してくれると。愛里寿に恥をかかせることにはなるが、彼女はまだ7歳。5歳年上の姉と戦って負けたとしてもそんな重大事と受け止める者はいないだろうってね。

これこそ、私がお母さんに愛される最後のチャンスだと感じていた。

お母さんはずっと私と愛里寿を平等に扱ってこなかった。私に一切の配慮をせずに思いきり愛里寿だけを甘やかしてきた。けれどお母さんだって本当は私を愛したいと思っていて、私が完璧な良い子になりさえすれば、その成果を見てもらいさえすれば解決できるんだと、そんな甘い夢を見てしまった。

わかっていたはずなんだ。そんなものは、ただの現実逃避の妄想でしかないということくらい。

 

模擬戦の相手に任じられたその日から、私は前にもまして必死になって練習した。

本来、私と愛里寿とではまともにやり合っても勝てないだろうことはわかっていた。分が悪いどころの話ではない。なら情報戦で優位に立つしかないと思って、愛里寿の練習の記録を片っ端から見て研究した。情報と時間は時に金や宝石より価値があると、私はこのときに思い知った。

様々な状況を想定したシミュレーションも徹底的にやった。愛里寿ならばどうするか、この策は愛里寿に通じるのか? 私は今まで島田流で学んできたすべてをぶつけるつもりだった。でなければ、私の無様で滑稽な人生を肯定することなどとてもできない。作戦の焦点はすべて「愛里寿を倒す」ということのみに絞られた。

幸い、使用する戦車は同じものを使うことになっていた。試合は現在の大学選抜チームでも採用されているM26パーシングが五輌の編成で行われる。私と愛里寿は両チームのフラッグ車、乗員は門下生の中から腕利きが選出される。

条件は同じ。なら純粋な実力と、この試合にかける執念が勝敗を分かつ。私は寝食を忘れて練習と戦術研究に打ち込んだ。

……それまでの人生の中で一番死に物狂いで戦車道に向き合った理由が、ただお母さんに振り向いて欲しかったからというのも、寂しい話だけれどね。

 

結論から言って、私は負けた。完敗だったよ。

確かに私は愛里寿を研究して徹底的に対策を練った。しかし愛里寿は戦いの最中にも私のチームの動きに順応し、一輌、また一輌とこちらのパーシングを撃破していった。むしろ私の意図を読みきり、完全に私を圧倒していた。

寮機を次々と撃破される中で、愛里寿の才覚は私の執念を易々と超えていくほどのものだということを再認識させられた。

呆気ない、あまりにも呆気ない幕切れだった。少なくとも私にとっては、拍子抜けなくらいあっさりと、自分の未来が閉ざされてしまったように思えた。

 

だけど、周りで見ていた奴らはそうは思っていなかった。

居並ぶ招待客達は私と愛里寿の試合を観戦して興奮気味に、口々に愛里寿を褒め称えていた。素晴らしい試合だったとか、島田流の姉妹の熾烈な攻防とでも見えたみたいだったけど、私は最初から愛里寿に完全に負けていたんだ。所詮見る目のない外野の意見だよ。

 

それよりも私を打ちのめしたのは、試合の直後にあの女の口から告げられた言葉のほうだった。

 

「皆様、ご覧頂けましたでしょうか? 私の愛娘であり、島田流の正式な後継者である愛里寿の活躍を」

 

自分の耳を疑ったよ。島田流の後継者? 愛里寿が? まるっきり初耳だ。あのときはそんな話、全然していなかったじゃないか。

私をかませ犬にしようとしているのには察しがついていたけど、最初っから愛里寿を自分の跡継ぎに指名しようとしていた? だとしたら、まるで、私は。

 

あの女が招待客に向けて何事かスピーチをしていたけど、その内容はまったく頭に入ってこなかった。

頭の中で最悪の未来予想図が出来上がりつつあった。

 

愛里寿という神童の登場にこれからの島田流の一層の隆盛を予想してか、大企業の社長や地元出身の議員先生その他が盛り上がっている中で、あの女が呆然と立ち尽くす私の下に歩いてきた。

 

あの女がこれから何を告げようとしているか、私にはわかってしまった。

 

――お願い、やめて。お母さんはきっと、私の想像しているとおりの言葉を言おうとしている。

言わないで。お願いだから。それだけはダメ。聞きたくない。

 

「今までよくがんばったわね。でも、それも今日でおしまい」

 

嫌だ。やめて。どうして? 私が弱かったから? 良い子じゃなかったから?

 

「『あなた』にも聞こえたわね? これからは、愛里寿を正式に島田流の後継者として育てていくことに決めたの。だから」

 

そんな呼び方しないで。お願いだから。どうして私の名前を呼んでくれないの?

愛里寿が島田家の跡取りになるなら、私はどうなるの?

どうしてお母さんは、そんなに冷たい目をしているの?

 

どうして――

 

「――あなたはもう要らないの」

 

 

 

――その瞬間、島田千代は、親としての一線を越えた。

 

 

 

 

 




またリアルに体調を崩しそうな闇属性の話を書いてしまいましたがもうちょっとだけ続くんじゃ。
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