「応援してますです。」
「私も携帯でこっそり対局見ます!」
朝の8時、4月になったとはいえ朝はまだ少し肌寒い。
こんな朝早くから俺は真っ赤なランドセルを背負った2人の幼女と話していた。
……俺が呼んだわけじゃないからね!!
「嬉しいけど、授業はちゃんと受けようね。」
2人とも幼女であるといつ点では同じなのだが2人の雰囲気はとても異なっている。
姉弟子である万智譲りのお嬢様な雰囲気を纏っている綾乃。
綾乃とは正反対の快活な幼女である水越澪ちゃん。
てか何で俺は朝から幼女の解説をしてるんだよ!!
「2人とも学校でしょ。早く行かないと。」
「そうですね、そろそ行かなければなりませんです。でもどうしてもお兄様に一言応援をしておきたくて。」
そう言ってはにかむ綾乃はやっぱりとても可愛い。
だらしのない笑みで綾乃の頭を撫でる。
「お兄様ぁ……はっ!?そういえば大事なことを忘れていました。万智お姉様からの伝言です。」
綾乃はそう言うと狐みたいにニュ〜っと口の端を吊り上げて万智の口調を真似る。
「『どうせ負けて病みはるやろうから先に言っときますけどこなたは今日は関東の方に行くので面倒は見られまへん。ちゃんと食事だけは自分で取ってくださいな。』だそうです。」
おぉ、中々クオリティの高い物真似だ。
俺の体の事を心配してくれてるのはありがたいのだが今から対局に行く兄弟子にそんな事普通言うかな……。
「あ、ありがとう。肝に命じておくよ。」
「それでなんですけどね……も、もしよろしければ綾乃がお待ちしておきましょうか?」
綾乃は手を前で重ねてモジモジと恥ずかしそうに小さな声で呟く。
「何時になるかわからないしいいよ。綾乃は明日も学校だろ?」
「そ、そうですけど……。うぅお兄様は鈍感すぎです、デリカシーゼロですっ。」
「あっ!?綾乃ちゃん待って~。」
綾乃は突然踵を返して物凄い勢いで走り去って行ってしまった。
やっぱり女の子の機嫌は終盤戦の優位くらい変化しやすいなぁ。
✳︎
関西将棋会館に入りそのままどこにも寄り道をしないで真っ直ぐと5階の対局室へ向かった。
「あっ!おはようございます。お早いですね。」
対局室に入ると高く綺麗な声が出迎えてくれた。
しかしこの声の主は女の子ではない、声変わりをしていない男の子のものである。
小学6年生の奨励会員、椚創多が部屋の中央で駒を丁寧に拭いていた。
「おはよう。今日は椚くんが記録員なのかい?」
「はいっ!希望者がとっても多かったので振り駒をして何とか権利を勝ち取りました。」
「そっか、今日はいい将棋を指さないといけないね。」
「八一さんと角井さんの対局なら素晴らしいものになるに決まってますよ!あぁ、今から楽しみだなぁ。」
椚は目をハートマークにして対局を楽しみにしてくれている。
今日行われるのは王座戦の二次予選である。
八一と公式戦で当たるのは今回が初めてだ。
史上最年少でタイトルを獲得した天才棋士と現役最年少のA級棋士の対決だ。
世間的な注目度もそれなりに高い気がする。
俺にとってもこの一局はとても重要な意味をもっと思っている。
「おはようございます、八一さん。」
程なくして八一も対局室へやって来た。
「おはよう。」
「おはようございます。」
お互いに素っ気ない挨拶を交わすと駒を一つずつ並べていく。
竜王タイトル獲って以降の八一はスランプに陥って長い間勝利から遠ざかっていた。
しかし先週行われた同い年の神鍋歩夢との対局で八一本来の将棋を取り戻したように見えた。
そして今日は俺にとっては願っても無い状況だ。本来の輝きを取り戻した八一でなければ確かめることができない。
今日の対局で見定めるのだ、自分に足りないものを。
八一にあって俺に足りないものを……。
「「お願いします。」」
俺は沈んでいく、どこまで深くて広い将棋の海の中へ。
俺と八一の初対局の戦型は角換わりになった。
正直に言うと序盤の攻防は上手く立ち回れたと思う。
八一の得意戦法は一手損角換わりだ。
俺としてはこの戦型になるのは避けたかった。
いささか変な手順での角交換になってしまったが通常の角交換将棋にできたのはそれだけで十分心理的アドバンテージがある。
しかし序盤から変な手順で角交換をしたため、従来の王をしっかりと矢倉囲いの中へと移す角換わりの定跡からは完全に外れてしまった。
八一は王を最初の位置から一切動かさないいわゆる居玉のまま攻めの陣形を整えて早めに攻撃を仕掛ける作戦らしい。
それに対して俺の玉は一つ前進して5八の地点にいる。
いわゆる中住まいと呼ばれる囲いである。
玉が中央にいて左右の金と銀がバランスよく配置されたこの囲いで八一の攻撃を向かい打つ。
26手目、7五歩で八一の手によって戦争の火蓋が切って落とされた。
八一は6四の地点にいる銀を使って飛車とともに俺の囲いを攻めようという作戦のようだ。
望むところだ。
力強い手つきで同歩と取り開戦に応じた。
✳︎
「どっちが優勢なの?」
「まだ互角だ思う。」
「あいちゃんのちちょうとあやのちゃんのおちいちゃんがたたかってるの?」
私とあいちゃん、澪とシャルちゃんの4人は学校が終わると同時に全力疾走で学校を飛び出して清滝九段の家に行きました。
なんでそんなに急いでいたのかというと今日は一大事なのです。
今日は私のお兄様とあいちゃんの師匠の八一先生の初対局の日なのです。
「学校出る前はまだ開戦してなかったのに突然激しくなったね。」
私とあいちゃんはお互いに気が気じゃなくて将棋にはあまり集中できてないけれど澪は純粋に2人の対局を楽しんでいるみたいです。
「あいはもう緊張で倒れそうです。」
「私も……。」
「自分たちが戦ってないのになんでそんなに緊張してるの?おっかし~。」
澪は緊張でロボットみたいになってる私とあいちゃんを見てゲラゲラと笑っています。
あとで覚悟しときなさい……!
「あっ!八一先生が強引に食いちぎろうとしてるよ。」
澪の言葉を聞いて慌ててタブレットの覗き込む。
38手目7六歩打。
本格的に飛車先を突破しにいく狙らしい。
でもお兄様なら魔法みたいな手で鮮やかに受け切ってくれる……はずっ!
でも数分後、その予想は鮮やかに外すことになってしまいました。
「4六角打ち……厳しい~。」
「えっ!?」
銀の後ろから飛車を狙う攻めの一手。
お兄様は受けるのではなく攻め合いを選択したみたいです。
「どっちが早いんだろう……。」
「こう、こう、こう、こう、こう……じゃダメだ。じゃあ……」
漠然と盤面を見ていると私とは打って変わって隣のあいちゃんは小刻みに体を揺らして局面を読んでいる。
この意識の差が私とあいちゃんの差なの……。
私が心の中に突然生まれたモヤモヤと戦っているうちにドンドンと局面は進んで行っている。
対局はお兄様の鮮やかな攻めが決まり、八一先生は飛車を逃がさざるを得なくなってしまいました。
これで局面は完全にお兄様が有利になりました。
51手目、すかさず角を敵陣に成り込ませて八一先生の王を追い詰めていきます。
やっぱりお兄様の将棋は綺麗でカッコいい……。
「そんな……。」
あいちゃんが隣でショックを受けている。
私は自分は何もしていないのに何故か少し嬉しくなってしまう。
最低なことを考えている自分を怒るように右手を強く握りタブレットに目を凝らした。
「まだ八一先生諦めてないよっ!」
澪の言葉を聞き再び盤面に目を移すと八一先生はさっきまで攻めていた8筋とは反対側の4筋から再び攻めを開始している。
しかしここに来て居玉で開戦したツケが回ってきてしまった。
矢倉というしっかりとした囲いに入っていない王はとても脆い。
お兄様は焦ることなく一枚一枚着実に駒を剥がしていき、八一先生の戦力を削いでいく。
92手目、飛車を取られたところで手が止まりまった。
「うーん。」
4人の中で誰よりも早くあいちゃんが自分の師匠の敗戦を悟りうな垂れる。
私もあいちゃんに遅れながらもしっかりとお兄様の勝利を確信して小さくガッツポーズをした。
そして程なくしてタブレットに投了の文字が映し出される。
ヤッタ!お兄様の完勝ですっ!
「秀人さんは相変わらずチョー強いなぁ。スゴイや。」
「ちちょーまけちゃったのぉ?」
「悔しい~。」
私は芸術作品みたいに綺麗な棋譜を眺めてお兄様に改めて惚れ直してしまいました。
「カッコよすぎです……。」
「あー、綾乃がスーパー乙女モードになっちゃった。」
「どうしたの?」
「そっか、あいちゃんはまだ見たことなかったっけ。綾乃は秀人さんの会心譜を見るとこうやって違う世界に行っちゃうんだよ。こーなると中々帰ってこないんだぁ。」
澪はそう言うと私を無理やり立たせようとする。
私はそれを拒否して一からお兄様の棋譜を見直す。
あぁ~カッコいい。
「ほら綾乃帰るよ。あいちゃんも手伝って~。」
「あ、うん。ちょっと待ってね。」
「ほら綾乃、今日はあの作戦するんだろ?行くぞ!」
澪の言葉を聞いて現実に帰ってきました。
そうだ!今日はアレをする予定だったんだ。
早く支度しないとサプライズに間に合わなくなってしまいます。
私はガサッと立ち上がって帰り支度を始める。
「待っててお兄様。絶対に喜んでもらいます!」
「そうだ。その意気だ!ガンバレ~。」
「私も応援してるね。……あと、どれくらい効果があったか後で教えてね。」
澪とあいちゃんも応援してくれている……。
よしっ!私頑張るのですっ!!
作者の将棋知識は初心者並みなのでご容赦ください。