「ここだよな……。」
関西でも一二を争うお金持ち達が集う住宅街の六甲山。
真っ白な高級住宅が立ち並ぶ中でも一際異彩を放っている大豪邸の前で俺は立ちすくんでいた。
「おい。」
「はいっ!?」
ドスの利いた声で背後から呼びかけられた俺は飛び上がりながら振り向いた。
そこには黒いスーツとサングラスでビシッと決めた女性が立っている。
若くてスタイルのいい美人……だが、明らかに堅気には見えない。
「角井秀人先生でいらっしゃいますね?」
「世間では一応そう呼ばれています……。」
「左様ですか。」
恐縮して謎の返答をした俺を笑うでもなくバカ真面目に対応したその女性は俺の肩を掴んで強引にその大豪邸の中へと押し込んだ。
「先生のご到着だ!」
門を潜るとその先にはさっきの女性と同じように黒いスーツを見にまとった明らかに堅気ではなさそうな男達が一列に並んでいた。
皆一斉に膝に手を置いて「お疲れ様ですっ!!」と言いながらお辞儀をしている。
一糸乱れぬお疲れ様ですコールに感動して拍手をしていると、最初の女性が俺を屋敷の中へと連れて行く。
なし崩し的に連れて行かれてるけど本当に大丈夫なんだよね?
誘拐事件とかに巻き込まれてないよね!?
「お初にお目にかかります、角井先生。私は当家の主、夜叉神弘天でございます。」
屋敷の中へと入るといかにも上品そうな老紳士が俺を出迎えた。
普通に見るといかにも好々爺と言った感じの人なのだが、庭の光景を目の当たりにした後だとこの人でさえ極道の当主に見えてしまう。……さすがに違うよね。
「始めまして角井秀人と申します。」
「わざわざ遠路はるばるありがとうございます。どうぞこちらへ。」
夜叉神氏の後を追うように、夜叉と天女の描かれた襖の部屋へと入る。
「これが孫娘の天衣になります。」
あいと紹介された黒衣の幼女は俺の姿を確認すると腹立たしそうに呟いた。
「無冠の方じゃない。」
「うがっ!?」
この娘、会っていきなり俺の心を抉ってきやがった!?
「何黙ってるのよ。早くこっちに来なさいよ。あなたが私の師匠に相応しいか見極めさしてもらうわ。」
天衣ちゃんはそう言うと慣れた手つきで駒を並べ始めた。
可憐な姿からは想像も出来ないほど生意気な子だ。
正直、このまま帰りたい気分だが月光会長にお願いされた手前中途半端なことはできない。
俺は 座布団の感触を確かめて盤の前に腰を下ろした。
「駒なんて落とさなくていいわよ。」
大駒を取ろうとした手を天衣が止める。
流石にそれは勝負にならないだろうと思ったが本人の希望なので仕方なく平手で指すことにする。
「まぁいいけど……拗ねないでね。」
天衣ちゃんの初手を見て俺も2手目を指す。
ーーー4四歩
「ッ!……殺す。」
この手を見て天衣ちゃんの目に怒りの炎が宿る。
乱暴な手つきで無防備に晒された俺の歩を取って挑発に応じた。
後手番用のハメ手として非常に有名なパックマンである。
定跡を知らなければ普通に負けてしまういわゆる奇襲戦法であるパックマンだがそれはもちろんアマチュア界での話である。
当然、天衣ちゃんもこの戦法は知っていたようで対局は定石通りに進んで行く。
「フフッ。これでいこうかな。」
将棋の海の中から淡く光る一つの手を見つけ出して指す。
この先の変化は多様過ぎてこの一瞬では読みきれない。
でもどうしてもこの無限の可能性を指してみたくなるこの深い海の先に何があるのか見てみたい。
ドンドンと深く潜って行く、段々と太陽の光も遠くなって行き暗くなっていくそれでもまだ潜っていく。潜っていく。潜って……
「……けた。」
「え?」
「負けたって言ってんの!!馬鹿っ。」
気付くと盤上では天衣ちゃんの玉が俺の駒たちで完全に包囲されていた。
いつの間にこんなに進んでたんだ……。
「ゴメン。なんかボーっとしてたみたいだ。」
「ッ!?……あんたなんかに絶対に教わらないわっ!!」
天衣ちゃんは大泣きして席を立って部屋から出て行ってしまい、隣で座って見ていた夜叉神氏は長い長い溜め息を漏らした。
「すいません。つい熱が入ってしまいました。」
「いや、あれでよろしい。」
きっぱりと夜叉神氏は言った。
「角井先生のようなお若い方に厳しく躾けていただけて、天衣も勉強になったと思います。」
そうは言ったものの恐らく、俺と天衣ちゃんの関係はもはや修復不能なほど悪いものになってしまっただろうなぁ。
これじゃあ将棋を教えることはおろか、口を聞いてくれるかすら怪しい気がする。
「今回の弟子の話ですが、大変有り難い申し出なのですが……。」
「ええ、わかりました。やはりあの娘にはあの方しかいらっしゃらないのかもしれません。」
俺の言葉を遮るように夜叉神氏は呟いた。
心の中がチクリと痛む。
そうかあの娘にも俺は選ばれなかったのか……。
幼い孫の行く先を案じて悩む夜叉神氏を見ながら俺は深い自己嫌悪に陥った。
ーーーーーー
「用事は終わったんですか?」
『お疲れ様です』の雨を抜けて屋敷を後にした俺の前に聞き慣れた声がかけられる。
声の主を辿るとその先には見慣れた顔の見慣れない姿があった。
「本当に記者やってるんだな。」
「はい。中々似合ってるでしょ?」
スーツ姿が似合ういかにもキャリアウーマンといった雰囲気の観戦記者、鵠こと供御飯万智がドヤ顔で俺を迎えた。
正直めっちゃ似合ってるんだが何となく認めたくない。
その勝ち誇った顔がなんかムカつく。
「その風貌になると2、3歳老けて見えるな。」
「あら、私は山城桜花というタイトルを守る立場なのでとても気苦労が多いのですよ。」
鵠になっても持ち前の毒舌は顕在のようだ。
いい加減無冠ネタはやめてくれないかな、本当に病むぞ……。
「それで何か俺に用事があるんでしょ?」
「察しがいいですね。」
そりゃ、万智が俺を迎えにくる為だけにわざわざ京都から神戸にまで来てくれるはずがないからな。
自分で言ってて悲しくなるなぁ。
「今から一緒に静岡に行きましょう。」
「今からって…….静岡に着いたら夜になってるぞ!?」
「もちろん、泊まりです。」
泊まり……。
万智が俺をお泊まり旅行に誘ってるだと!?
いつの間にそんなに好感度上がったんだ。
まさか万智は世の中で言うところのツンデレというやつだったということか。
普段の俺に対する理不尽とも言える対応はまさに愛情の裏返し。
そう考えると今までの万智の横暴な態度が不思議と可愛く見えてくるなぁ。
「……なに気持ち悪いこと考えてるんですか?明後日の女王戦を観に行くだけですよ。」
どうやら明後日は月夜見坂と銀子ちゃん女王戦があるらしい。
月夜見坂は万智と仲が良いし、銀子ちゃんと月夜見坂は今の女流棋士の中でトップクラスの2人だ、観戦記者として友として見に行かなければならない対局なのだろう。
「でもなんで俺と一緒に行くんだ?それこそ、他のやつ誘えば良いじゃんか。例えば八一とか。あの子、銀子ちゃんの弟弟子だろ?」
万智の動きが突如止まる。
万智は狐のようにニュ~っと口を吊り上げて、目を細めてこちらを見てくる。
側から見れば愛想よく笑っているように見えるかもしれない。
しかし長年兄弟子として近くで万智を見てきた俺にはわかる、確実に怒ってる。
どこで地雷を踏み抜いたんだ。思い返せ……
「それができたら苦労してまへん……。とにかく記事の取れ高的に兄弟子の解説があった方がいいのです。……来て下さいますよね?」
「……はい。」
有無を言わせないお願いを承諾して俺は静岡に向かうことになった。
天衣ちゃんはやっぱり可愛いですよね。