主なきノラネコたちの家   作:もちごめさん

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ながァァァァァいッ説明不要!!(文字数)(22222文字)(ฅ^・ω・^ ฅ)


四話

 大きく一息を吐いてから、ボクは猛然と突撃した。

 

 距離感があやふやになってしまいそうなくらい均一な白い大地と空。冷気を切り裂く肌は寒さを感じることもなく、研ぎ澄まされた感覚の上を滑っていく。

 

 自然体のまま先に佇む老人 ネテロは昂然とボクを見つめていた。

 接近するボクに対して、その眼には驚きも恐れも何もない。かといってその要は高慢ではなく、ただひたすらに戦いに対する喜びとか高揚感とか、そういう類のもので奴の口元は笑みを形作っていた。

 

 全力では足りない。

 

 直感したボクの『気』は、今まで最も力強く、強靭な『力』となって顕現した。

 

黒子舞想(テレプシコーラ)

 

(限界を超えて、舞えッ!!)

 

 次の踏み込みから身体が急激に加速した。果たして常時の何倍だろうか。抵抗を増す空気を突き破り、五十メートル近い間隔を瞬きの合間に消し飛ばす。

 

 ネテロはピクリとも動かない。『気』の流れも静謐であり、圧縮された時間の最中、ボクの攻撃は残像を引いて奴の心臓に迫っていた。

 

 普通であれば、もはや回避どころか防御も不可能。今まで生きてきた中で間違いなく最高最速の一撃だった。悪魔やさっきの『ハンター』であれば、気付くことすらできずに胴体を四散させていただろう。命を終わらせる以外の未来を思い浮かべることすらできないくらい、それは致命に近づいていた。

 

 人間に、いや、一個の生物には到底反応できないはずだった。しかし、ネテロのその双眸は間違いなくボクの姿を捉え、そしてにやりと笑っていた。

 

 映像がぶれる。

 

 ボクとネテロの間合いはもう一メートルもない。小数点以下二桁もなかっただろうその合間、切れ切れにしか知覚できない僅かな間の中をネテロの両手が流麗かつ緩やかに動き、そして悠々と合掌の形をとっていた。

 

百式観音(ひゃくしきかんのん)

 

 今度こそ、その姿を確かに目にする。ネテロの背後に出現した金色のそれは、多腕の巨像だった。

 

 全体的な見てくれは人間に似ているかもしれない。顔と思わしき部分には、目、鼻、口、と揃っており、長大な胴体の下には一対足がついている。いくつもの節があり、脇腹にかけて幾多も生える腕には生物らしさが欠片もないように思えたが、仔細に確かめるにはその間はあまりにも短かった。

 

 合掌するネテロの手が離れ、再び残像を作り出した。と思った次の瞬間には、既に事が起こっていた。

 

壱乃掌(いちのて)

 

 限界を超えて圧縮された時の中で、ようやくその起結が見えた。

 

 合掌から、恐らく手刀を振り下ろしたのだ。何もない空間に。

 鋭い一撃。だが、腕の中で行われたそれはボクの身体にかすりもしない。合掌と同じく一見無意味に見える空打ち。しかし、ボクの触覚は確かにさっきと同じ強い衝撃を受けていた。

 

 次に認識したのは、ボクの身の丈くらいの金色の棒だった。いや、棒ではない、これは手だ。手刀の形でボクの身体を打つ金色の掌打なのだと、ボクは瞬時に納得する。そして同時、その長大な手刀の出どころにも理解が及んだ。

 

 背後の巨像だ。

 

 思考の加速が終わり、打ち払われた身体がまたしても大地にめり込んだ。降り積もった雪が舞い、蜘蛛の巣のように亀裂を走らせ、次に衝撃波で破裂する。そのころになって遅れた音がたどり着き、聴覚に瓦礫の音を鳴り響かせた。

 

 しかし、そのような雑音は全く意識に届かない。【黒子舞想(テレプシコーラ)】の発動から今に至るまで、ほんの一瞬すらも逃さずネテロの姿を注視し続けたボクは、ようやく得られた確証を繰り返し脳裏で転がしていた。

 

 それでも尚、起結のみしか見ることはできなかったが、ネテロの不可解な攻撃の正体は割れた。

 

 今もネテロの背後に佇む金色の巨像が、人間故に威力と射程に乏しいネテロの攻撃を代行しているのだ。つまりあの巨像はボクの【黒子舞想(テレプシコーラ)】や【人形修理者(ドクターブライス)】と同じく『発』の賜物、念人形。故に『気』での防御がてきめんに効いて、あれほどの衝撃にもかかわらず、ボクはさしたるダメージを受けずに済んだのだ。

 

 そして同時に、それを身を以って知ってしまったという事実は、ボクがどうあがいてもネテロの速さに追いつけないという屈辱の証明でもあった。

 

 正体不明の攻撃に進んで当たりに行くバカなどいない。少なくともボクはそうだ。

 

 最高の一撃ですら軽く防がれ、一方こちらは攻撃を回避するどころか顛末を認識することすら困難な有様。全力のさらに先を発揮しているというのに、これだ。自身が速さの面ではるかに格下であることを理解せざるを得なかった。

 

 無意識的にボクはこぶしを握り締めていた。もやの向こうではネテロが相変わらず昂然な笑みを浮かべている。底知れない『力』に吹かれた決意の炎がゆらゆらと揺れるのを感じて、ボクは再び突撃せんと四肢に力を込めた。その時、

 

「ピトー!!一度下がって!私がやるッ!!」

 

 地に伏し低く構えるボクの背に、強烈な魔力の波動が吹き付けた。

 

 空気をビリビリと震わせる振動がいくつも重なり、数多の光弾がネテロめがけて頭の上を飛んでいく。

 

 しかしボクはその弾幕の結末を見るまでもなく、次の瞬間、背後を振り向くと、複数の魔法陣を操るクロカに怒声を浴びせていた。

 

「前に出るなッ!!」

 

 クロカが驚愕の眼を向けると間もなく、ボクは再び地を蹴り跳躍した。

 

 まっすぐネテロに向かって飛ぶ身体。直線的な攻撃だ。奴の掌打による迎撃をすり抜けることはないだろう。しかし、やむを得ない。クロカの間近に居続けることは、ネテロと相対するこの状況に於いてそれ以上にないくらいの悪手だからだ。

 

 奴が相手でなければ、逆、傍にいることで敵の攻撃からクロカを庇う立ち回りを選択していただろう。しかしネテロの攻撃は神速。あれから庇うなどという絵空事を実現できるはずもない。二人そろって掌打を食らい、なすすべもなく蹂躙される未来がありありと目に浮かぶ。

 

 そうでなくとも、クロカはボクに比べて防御力が低い。掌打の数発で無視できないダメージを負ってしまうことは間違いなく、万一ダメージを防げたとしても、クロカをあの猛攻に晒すことを許容できるはずもなかった。

 

 故の突撃だ。少なくともボクが攻め入る間は、それを迎撃するために繰り出される掌打がクロカに向けられることはないだろうから。

 

「ぐぅッ!!」

 

 三度、巨像の掌打がボクの身体を打ち据える。『気』の防御の向こうから顔を見せるのは、小さいが確かな痛み。ボクは眼前にある神々しい『気』の威容を睨み続けた。

 

 やはり単なる攻撃は通用しない。今までの力押しが通用しない格上の敵。それを、絶えず攻め続けなければならないという制限の元で打破せしめねばならない。

 

 どうすべきか。制御不可の飛行に勤しむ間、手札を巡回するも目覚ましい有効打などは見当たらず、結局方針はごく単純なものへと定まった。

 

 ボクがネテロに対して勝っていること。一番大きいのはやはりクロカの存在だろう。

 

 つまり攻撃の手が二人分あるということだ。後方から魔力を放つだけならネテロの攻撃を受けることはないと、そう信じて託すしかないだろう。クロカをこんな戦闘に参加させるのは気が進まないが、それでボクがやられては元も子もない。

 

 彼女の母親と同じ轍を踏むわけにはいかない。

 

 ともかく、一人でネテロの速さに追いつけないのなら、二人で連携して迫ればいいのだ。

 

 巨像による掌打とその圧で、入れ替わりに飛んで行ったクロカの光弾がすべて砕けた。それを横目に吹き飛ぶボクは、体勢を取り戻すと同時、自身の足元に魔力を使った。

 

 少量、とはさすがに言えない程度の『力』を注ぎ、瞬時に足の裏で捉えたそれは、握りこぶし程度の大きさの結界だ。

 

 ネテロの打撃に体勢を失い、一度宙を舞ってしまえば、ボクは再び攻撃するために手足が地面に着くことを待つしかない。

 

 それではあまりにも遅すぎる。

 

 数えるほどしか使った覚えのない忌まわしい悪魔の羽では、到底あの威力を制動しきれるはずもない。空中浮遊の術がないのなら、他に手段は己の両脚のみ。宙に足場さえ作れば、それは十全に機能するだろう。

 

 座標の固定と威力を受け止めるだけの頑丈さ。それらを踏まえての握りこぶし大がボクの身体に掛かる慣性を支え、腿の強張りの解放を見届けた後、甲高い音を残して損壊した。

 

 取って返して身体が飛び、鈍く瞬く光弾の破片を突き抜けた。

 

 ネテロが僅かに目を見張る。ボクが掌打を受けてからおよそコンマ三秒、クロカの魔力を打ち消した二撃目に至ってはコンマ一秒も経っていない。

 

 この攻撃間隔が唯一の矛。

 

 ネテロが巨像の掌打を放つ場合の動作、合掌と操作のための一打には、恐らくこれでも届かない。奴に迎撃される前に攻撃を当てる、打撃自体の速度を上回ることは、二人合わせても不可能だ。正確無比な攻撃が続く限り、ボクたちに勝機はないだろう。

 

 殺すためにはそれを崩さなくてはならない。手を誤らせるのだ。

 

 相対しているボクこそが最も疑わしく思っているだろうが、ネテロは間違いなく人間だ。人間である限り、その身は骨と筋肉と内臓と、そして脳味噌によって動いていることは間違いがない。頭の命令によって合掌し、掌打のための型を取る。その基本性能は人間の範疇に留まるはずだ。

 

 『念』というものの性質からしてそうだ。ネテロの『発』が特別強力だとしても、自らの生命エネルギーたる『気』を操る以上、入れ物である人間という種族の限界を超えることはできない。巨像が掌打を放つには、どう攻撃するかという技の選択を必ず挟まねばならず、その処理速度はボクらのそれと恐らく大差ない。

 

 その点でボクらは明確な有利を取れる。技自体の速度ではなく、その前段階で奴を出し抜く。

 ボクとクロカの攻撃をそれぞれ対処させ続け、そのために必要となる攻撃指令の過程を、二人分の脳味噌で切り詰めるのだ。

 

 とにかく攻撃を重ね、奴の思考能力に負荷をかけ続ける。それができれば、あるいは――

 

 みし、と身体が軋んだ。

 

 打たれたことを知覚する間もなく、視界が回転する。その中でネテロは未だ驚きの表情を浮かべたまま。思考が滞ろうが最善手を打ち放つ超人的要領にうすら寒いものが脳裏をよぎり、決意だけを抱いた思考の中に陰が混入する。

 

 本当に、できるのか……?

 

 泉の鏡面のように静かで動じず、それでいて果てしない重圧を有するこの『気』の持ち主からミスを引き出すことが。

 

 決してゼロではない掌打のダメージがボクの命を呑みこむ前に、それを為すことができるのか。

 

 大きなミスでなくてもいい。小さくてもその完璧に隙間さえあれば、そこに一本針を潜らせるくらいのことはやり遂げられる自信がある。人間の脆弱な肉体であるなら、それだけで十分致命傷に届くはずだ。

 

 しかしボクは、その大業が達成される未来をどうしても思い描くことができなかった。

 

 自分が気迫に圧されていることはわかっている。わかっていても、心の中に生まれてしまったその怖気は大きく分厚く、到底打ち破れる気がしない。

 

 もし、本当に打ち破れなければどうなるのだろう。

 

 弱気の暗雲が、決意と入れ替わるようにして感情の表層に現れる。全身が何か頼りないもので満たされているような錯覚に陥り、自身の中の『力』が僅かに揺らいだ。

 

 その精神のまま、知らずに身体は指令の通りにその身を動かし、『力』を行使する。結果、作り出した結界は、足を乗せた瞬間に、ばき、と嫌な音を鳴らして破砕した。

 

 歯を食いしばり、一回転余計に飛んだ後に再度足場を作り出す。新たな魔力弾がネテロめがけて飛んでいくさまを忸怩たる思いで見送りつつ、ボクはそれを以って陰を殴りつけた。

 

(ボクはバカか!?)

 

 彼我の実力差が気迫の通りであり、本当にボクではネテロに勝てないのだとしても、それがいったい何だというのだ。

 

 勝てないなら、諦めるのか。ここで終わらせてしまうのか。

 

 完全無欠に無意味な考えだ。クロカを守る盾は、ボク以外にない。

 

 ボクの諦めと終わりは、そっくりそのままクロカに及ぶ。ボクがやらねば、牙はクロカに届いてしまうのだ。

 

 立ち止まることなど、許されるはずもない。

 

 弾ける光点を目にしながら、ボクは自身の中身が冷え、鋭利さを増していくように感じていた。

 

 雑念など必要がない。ボクはただ、奴を殺すことだけを考えていればいい。

 

 殺すためだけに思考を回し、殺すためだけに身体を動かし、殺すためだけに感情を切り捨てろ。さもなくば、自身を一筋に絞らねば、あの澄まし顔に赤を彩ることなどできはしない。

 

(クロカの、ためにッ!!)

 

 結界の足場を蹴り飛ばした。

 

 掌打の軌跡が眼前を横切り、風圧、もはや風の壁が身体を叩く。魔力弾を吹き消す一撃の余波を突き破り、その続けざま、真に限界を超えたボクの『力』は、新たに繰り出された迎撃の掌打に触れていた。

 

 これもまた、心身一体が故の反射だった。

 

 瞬間、金色の巨像に異彩の光線が弾けた。ボクの身体が打ち払われると同時、光線は巨像の全身を這いまわり、つんざくような轟音を鳴り響かせた。

 

 電撃だ。巨像の掌に叩きつけた魔力が形を変え、隅々までを流れ巡った。

 

 生物の肉体であれば、少なくとも一時的なショックは免れない。ほんの少しでも巨像の動きが止まってくれれば、ことは随分簡単になったのだが――

 

 風圧。斥力を受けるボクと入れ替わりに襲い掛かった魔力弾は、あっけなく次の掌打に打ち消されていた。

 

 やはり巨像は独立した傀儡なのだ。

 

 遅れて到来する痛みと、電撃の余波を腕に感じながらそれを目にする。

 

 ボクの『発』とは違い、術者と直接繋がっているわけではないのだろう。視界のほとんどを塞ぐ多腕の向こうにちらりと見えたネテロは、電撃の影響を受けているようには見えなかった。

 

 であれば、巨像の破壊ないし無力化を目論むことは、あまり効果的ではないだろう。奴の荘重な『気』を打ち砕くことは、奴が繰り出す掌打の軌道を読み切ることと同じくらい難しい。

 

 それに何より、それほどの手間をかけて撃破せしめたとしても、恐らくあまり意味はない。どれほど強力だとしても所詮は『念』、傀儡だ。どれだけ物理的な損壊を受けようが、発動しなおせば元通り、傷一つない巨像が背後に佇んでいるに違いない。

 

 だがしかし、ネテロと繋がらず独立しているということはつまり、あの巨像はネテロの掌打をそのままは反映している、というわけではないのかもしれない。

 

 『気』は、身体から離してしまえば途端に扱いが難しくなる代物だ。

 

 ボクと接続する【黒子舞想(テレプシコーラ)】や【人形修理者(ドクターブライス)】は、その繋がりを通してボクの意思や『気』を受け取り、能力を発揮している。あくまで自身の肉体の延長上に存在するからこそ、ボクは思考とずれもなく自分の身体を操作でき、燃費の悪い【人形修理者(ドクターブライス)】に大量の『気』を注ぎ込むことができる。

 

 その繋がりがない『発』の場合、逐一細かな操作を行ったり、強大な『力』を保持し続けるといったことはほぼ不可能だ。

 

 その足枷はネテロとて同じだろう。ならば巨像の打撃は、ネテロのそれをそのまま拡大、強調したものではない。

 

 恐らく、巨像が放てる攻撃にはあらかじめ決まった型が存在する。軌道、威力、速さ、それらが掌打の一つ一つに明確に定まっていて、ネテロはその中からスイッチを押すかのように選択しているに過ぎないのだ。

 

 巨像は、型通りの動作しかできない。この想像が当たっているなら、もしかすればネテロの悪手を待つよりも素早く、その穴を突けるかもしれない。

 

 吹き飛びながらの帰り際、超高速で瞬いた脳味噌がその可能性に至った。結界に足を引っかけるボクはネテロと視線を交錯させたまま、見通し立たぬ迂遠を離れ、その寄り道を決意した。

 

 足場から反発した身体が飛び、変わらずネテロに切っ先を向ける。このまま直進するならば、この凶刃の末路は前と一片も変わらないだろう。

 

 しかしそんな気は毛頭ない。一足飛びで伸びた脚が縮み、体勢が変わって前に出る。所謂ドロップキック。移行までは瞬き程度の時間しか掛かっていないが、それでもネテロにとっては認識のために十分すぎるほどの時間だっただろう。

 

 それでいい。これもブラフなのだから。

 

 ネテロの目が呆れたように細められた、その瞬間、ボクの足先に結界が出現した。蹴り、今度は直角に地平を滑る。ネテロの視線を横切り、軌道の急転換を為したボクは、すぐにもう一度足場を出した。

 

 まっすぐにネテロを見据える。その光景は前と全く同一だ。一手前、ボクが魔力を打ち込んだ、その前段階。

 巨像とネテロとボクの位置関係、そして角度。一秒前と少しも違わぬ条件下。

 

 有限とはいえ、いくつあるかもわからない掌打の型、そのすべてを把握することはボクにはできない。しかし、その一部だけならどうだろう。

 

 ある一点から放つ、一定の角度からの攻撃。それに対応する型くらいなら、読み切ることもできるのではないだろうか。

 

 読み切り、それらの掌打では塞げない穴を、見つけることができるのではないだろうか。

 直前の掌打の軌道は眼の奥に焼き付いている。もちろん、それが打たなかった空白も。

 

 グッと力んで魔力を放出する。魔法陣と、空白を狙う電気の槍。

 

 最初のこれは防ぎ切られるかもしれない。だが、いい。防がれたのなら、次はその孔もまとめて狙うだけのこと。突き詰めて、一本でも奴の身体に届けばいい。一度痺れさせさえすれば、もうこっちのものだ。

 

 ネテロの目がゆっくりとボクを向く様子に体感時間の加速を感じながら、ボクは三つ目の足場を蹴った。同時に電気の槍も放たれる。

 

 一方ネテロはちょうど合掌をし終え、その目もボクにたどり着いていた。

 

 表情を動かす暇がなかったわけではないはずだ。

 

 その顔はやはりつまらなさそうだった。

 

三乃掌(さんのて)

 

 視界に異変。何をされたのか、考察に入るよりも早く、それはボクの身に襲い掛かった。

 

「があああああああぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 全身を、体内まで貫く熱いものが這いまわった。身体のすべからくがパニックを起こし、暴れ、止まり、焼かれている。

 

 有無を言わさぬ衝撃に絶叫するのみのボク。見開いた眼球の上を光芒が横切って、それにようやく思考を取り戻した。

 

(電撃!?魔力!?ネテロが――いや、これはボクの――ッ!!)

 

 熱線は何十秒も続いたかのように思えた。唯一思い通りに動く脳味噌の酷使が、現状をはじき出す。

 

 狙いを読まれたのだ。今、ボクの視界を埋め尽くし、全身を包み込むように圧す眩い『気』。電気の槍ごと、巨像の合掌の中に囚われてしまっている。

 

 迂闊が過ぎた。悠長に狙いを定めようとしたことがそもそも墓穴。二歩も三歩も使って間をうかがえば、それはもちろん、撃退ではなく捕獲をするだけの余裕も生まれてしまうだろう。絶対にやってはならない制限の一つではないか。

 

 徐々に手足の感覚が戻ってくる。そのそばから押しつぶされてしまいそうなほど強力な圧迫を感じ、舌打ちなんかではとても済まないくらいの激情がほとばしった。

 

 瞬間、巨像の掌の向こうから、鮮烈な気配がその憤懣に叩きつけられた。

 

「ピトーを、放せえええええぇぇぇぇぇ!!!」

 

 見えずともわかる、慣れ親しんだ魔力の鼓動。激甚なる怒りの悲鳴が閉じた空間さえも揺らし、ボクの憤懣に焦りの色を突き刺した。

 

 一刻も早くこの窮地を脱さねば。痺れの残る四肢を張り、猫の額ほどもない隙間を押し広げようと『念』を練る。しかし、ただでさえ重い巨像の『力』。扉が開く気配はない。

 

 そうやって歯を食いしばるうちに、外の気配に変化が生じた。

 

 継続的に続く魔力弾。一層威力の上がったそれだが、ネテロは変わりなくただ防いでいたのだろう。巨像の掌越しに感じる振動に、貫かれた様子はなかった。

 

 その振動に突如、違和感を感じた。巨像に込められた『気』の質。言ってしまえばネテロのそれ。ボクに向いていた殺気が、唐突に薄れたのだ。

 

 薄れたなら、その分はどこに向くだろう。考えるまでもない。

 

 パキ、と、体内で筋が鳴る音がした。と思う間もなく、体表を覆う『気』の量が何段も飛ばして膨れ上がった。

 

 増大したボクの『気』の圧が、一瞬にして巨像の掌を上回る。開かずの合掌が軋み、漂う金色の『気』を、ボクの暗い『気』が覆い隠した。

 いつの間にか、痺れはどこかに消えていた。膠着の隙間が少しずつ広がっていく。

 

 クロカを、やらせて、なるものか。

 

 閉じた掌が一気に解かれた。視界は再び吹雪の白に満たされ、その中で眉一つ動かさないネテロを視認する。息つく間もなく、ボクは攻勢のため結界を発動させようとした。

 

 しかしそれは許されなかった。奴の神速を待たずに二撃を講じることは、やはり不可能。殺意に急かされた身体はもろに巨像の打撃を食らい、吹き飛んだ。

 

 防御を疎かにしたために体勢を取り戻すにも時間がかかり、結局ボクの身体は久方ぶりに地面を抉ることとなった。

 

 ぶつかり、跳ね、転がり、無様に体幹を翻弄されたボクは、数十メートルも移動したところでようやく止まり、上体を持ち上げた。

 

「――っくぁ……はぁ、はぁ、クソ……オマエ、ごときがッ……!!」

 

 詰めた息を吐き出せば、思いのほか呼吸が荒い。急激な『気』の増幅がかなりの負担になってしまったのか、肉体も即時の反攻を拒んでいた。

 

 そうやって身を縮めるボクを訝しみ、警戒しているのか、あるいは、考えたくはないが余裕の表れか。微動だにせず静観の構えを貫くネテロを射殺さんばかりに睨みつけ、ボクは殺意を剥き出しにしながら精神集中に苦心していた。

 

「待って、待ってピトー!これ以上ネテロに向かって行っちゃダメよ!魔力で遠距離戦を――」

 

「無理、だよ!!ボクでも軌道が読み切れるような攻撃じゃ、アイツに届かない!!離れてなんかいたら、殺せるわけがないじゃないか!!」

 

 鬼気迫ったクロカの恐れを遮り、ボクは言い放った。

 

 魔力弾の牽制を放ちながら走り寄ってきた彼女がその怒号にぴたりと立ち止まり、縋るようにボクに手を伸ばす。

 

「でも、だってあなた、こんなにボロボロに……」

 

 クロカの心配がわからないわけではない。だが、それでもボクは向かうしかなかった。思い通りに動かぬ身体を【黒子舞想(テレプシコーラ)】で無理矢理持ち上げ、闘争心を注ぎ込む。

 

 練りあがった『気』を滾らせる最中、クロカはそれでも尚不安を捨てきれないのか、さらに言い募ろうと口を開いた。だが、それを待つ気も猶予もすでになく、地を蹴る寸前、辛うじて自分に言い聞かせるような約束だけを、ボクは口の中で繰り返した。

 

「ボクは、死なないから――ッ!!」

 

 クロカを残して死なないためにも、ボクはネテロを殺さねばならない。決意を新たにボクは突進し、そして背後に制御できるギリギリの数、魔法陣を展開した。

 

 クロカを害そうとしたネテロへの殺意を御しきれず、勇み足になっている。そんな側面ももちろんあるが、それ以上に長期戦に対する不利を自覚したがための行為だった。

 

 電撃の自爆と後先考えぬ『力』の解放が、ここに来てスタミナの限界に一歩足を踏み入れてしまった。ハンターと聖剣での消耗も併せ、表面化してしまったその格差。このまま戦いを引き延ばしたとしても、先に倒れるのはボクだろう。

 

 当初の目論見は破綻した。たとえ強引にでも早急に決着をつけねば、その先に待つのはボクとクロカの死だ。

 

 故に限界まで攻撃の手を増やした。一度それで下手を打ちはしたが、それも結局は立ち回りが悪かったというだけのこと。魔力自体は有効であるはずだ。

 

 今までの急撃に加えて魔力をばらまくのであれば、少なくともあんな失態にはならないはずだ。負担は大きいが、もうやらないわけにいかない。生を求めて、ボクは『力』を振るい続けた。

 

 しかし、それだけ能力を振り絞っても尚、魔力も『気』もネテロに命中する気配すら見出せなかった。

 

 こっちは脳味噌が火を噴きそうなくらい必死だというのに、ネテロは涼しい顔で淡々と攻撃を捌いている。まるで堪えているように見えない。

 

 これでも、まだ足りないのか――!?

 

 無駄な攻撃を重ねるうち、知らず知らずにそんな思いが心に芽生えた。その双葉は無意識から眼球に波及し、そしてその先のネテロの相貌を捉える。

 

 幻覚か現実かはわからない。だがその時、引き結ばれた口元が上向きに歪んでいるように見えてしまったボクは、心に恐れの進行を許してしまった。

 

「くっ!?――このッ!!」

 

 魔法陣に分散する魔力を身に戻し、数が駄目ならとそれらを束ねて右手に集める。それを無意味と断じた自分の言葉さえ忘れ、ボクは結界の上で新たな魔法陣を描き出した。

 

 眼下の雪中にて巨像を従えるネテロはこっちを向いてさえいない。常態であるはずのそれにすら情動を誘発させられ、注意を縫い付けられていたボクは、その時ネテロが見ていたものに気付いていなかった。

 

 唐突に、視界が黒煙に満たされた。

 

 吹雪の白から一転。瞬時にネテロの姿も巨像の『気』も隠れ、激変した環境に驚愕した身体がつい動きを止めてしまう。そしてその驚愕は、後方より来る気配にさらに増幅することとなった。

 

「ピトー!」

 

 クロカが悪魔の羽を広げ、ボクめがけて突っ込んできた。

 

 絶句。思考停止に近い状態で反射的にクロカの抱擁を受け止めてしまい、小さな結界から足を滑らせる。かいた冷や汗が浮遊感でこめかみを上り、それでなんとか我に返ったボクは、やむなく自前の悪魔の羽を出し、落下を止めた。

 

 ぎゅうっとボクの胴体を締め上げるクロカの、柔らかで温かい肉感に現実味が蘇り、そのまま喉になだれ込む。爆発する寸前、辛うじて踏みとどまり、ボクは念話にて怒号を叫んだ。

 

『何を、考えているんだ!!ボクの近くにいたらクロカもアイツに狙われるって、なんで……なんでわかってくれないの!?』

 

 激情に喉をつっかえさせながら、ボクは錯綜する感情を唯々ぶつける。

 

『あの打撃はボクだから耐えられるんだ!!クロカがあれに当たったら、死ぬんだよ!?煙幕だってアイツに通用するかわからない!!早く、早くアイツを殺さなきゃいけないのに、クロカが……なんで……』

 

『わかってる!!わかってるから、お願いだから、せめて冷静になって!!』

 

『冷静!?なれるはずがないだろう!?ボクとクロカが一ヶ所にいることがどれだけ危険か――』

 

 ばっ、と、弾けるようにして、クロカはボクの胸に押し付けた顔を上げた。

 

 その胸中にはいかなる思いが巡っているのだろうか。

 うっすら涙の滲んだ瞳でボクの双眸を見つめるクロカの表情は、やはり不安げに歪められていた。視界は良好とはいえないが、それでも数十センチの距離にあるクロカの顔色を読み違えることなどない。

 

 そのはずだ。そのはずなのに、どういうわけかそれより感じる印象は、下がった眉と似ても似つかない。目にして悠長に疑問を覚えてしまったボクは、次の瞬間、思考停止したさっき以上の衝撃に襲われた。

 

『私もちゃんと生きてるから!!』

 

 クロカが微笑んでいるように見えた。視覚野にはきちんと正しく現実が映っているのに、なぜかそう感じた。

 

 不思議な感覚。覚えがあるような、そんな気がしたが、それより先に想起が進むことはなかった。

 

 重い圧が聴覚に届いたからだ。

 

「さて、もういいかの?」

 

 とっさにクロカの身体を突き飛ばした。直後、黒煙の流れが微妙に変化し、と思えばやはり、ボクの身体に巨大な掌打が叩きつけられた。

 

 クロカを逃がすことはできただろう。掌打に巻き込まれる視界の中に彼女の姿は見えなかった。自制の甲斐なく心の中で安堵のため息をつきながら、ボクは自分の肉体が地面を割る感触を受け入れることとなった。

 

 煙幕に包まれて見えたものではないが、視線の先ではほんのわずかに金色の光が灯っている。そこから聞こえるネテロの剽軽な声色に、ボクは静かに深呼吸をした。

 

「魔力、いや、術者が黒歌であるなら妖術か。ワシにはさっぱり判別付かぬが、ふむ、実に厄介よな」

 

 全くかみ合わない内容。侮っているような悠揚迫らぬ物言いに、敵愾心を掻き立てられる。クロカの言動がなければ、ボクはたまらず飛び出していただろう。

 

 しかしどうやら、脳味噌への衝撃がそういったわだかまりを一旦すべて吹き飛ばしてしまったらしい。冷えた理性を取り戻したボクは、至極冷静に思考を回すことができていた。

 

 そんな心情を知りようもないネテロが、またまた挑発的な調子を連ねる。

 

「理の通じぬ『力』。魔法の才も持たぬワシらのような大多数の人間からすれば、『念』以上に理解しがたい代物じゃ。応用力が極めて高く、出力も膨大。それさえあれば何でもできるという言も、まあ誇張ではないのじゃろうな」

 

 光のほとんどを通さぬ黒煙。しぶとく吹雪の中に居残り続ける理外の煙幕の奥から、変わらずネテロが一人しゃべっている。一つ息を吸い、「じゃが」と少しだけ荘重さを取り戻すと、続けた。

 

「応用力が高すぎるというのも中々考えものでな、それなりに長く生きてはきたが、超常の『力』を極めている、と思えた存在にはついぞ出会ったことがない。ワシなんかよりずっと強く、長命の神々でさえ、恐らくまだ向上の余地が残っているじゃろう。

 まあつまり、何が言いたいかというとじゃな――」

 

 巨像が動く。ぼんやりと、まるで後光のように『気』が輝き、閃いた掌打は、襲い来る氷の蛇を打ち砕いた。

 

 『気』混じりの風圧が煙幕を切り裂き、晴れて純白を取り戻した一画に、魔力をけしかけたボクの姿だけが取り残された。

 口を引き結び、向けた掌に描いた魔法陣で新たな氷の蛇を生み出そうとするボクをネテロが見て、鼻で笑う。

 

「おぬし、魔力の扱いにはあまり慣れておらんじゃろ。強力でも付け焼刃の上っ面なんぞ、ワシには効かんよ」

 

 ぐるりと、その顔が正面のボクの姿を離れ、横を向いた。

 

「理解できずとも、感じ取るくらいはできるのでな――」

 

 眼が合った。

 

 『絶』で気配を消し、魔力で最低限の身体強化をした上で死角から音もなく飛び掛かった本物のボク(・・・・・)を、巨像の二撃目は確実に捉えていた。

 

 偽物が掲げてた魔法陣が消え、その腕に亀裂が走った。蛇よりずっと精巧にできた質感が抜け、見た目が氷像に戻る。

 薄い防御の弊害に想定以上のダメージを負ったボクは、またしても体勢の制御を失いながら、その有様を目にして喉を鳴らした。

 

 まさに奴の言う通り、弄ばれている。そしてそれはボクのせいなのだ。あっけなく激情が蘇り、痛切な感情が行き場を求めて砕かんばかりの力で拳を握り締める。

 

 しかし、ダメだ。自棄になるな。

 

「『絶』の精度は申し分ない。加えてあの煙幕もあれば、ワシとてすぐには気付けなんだじゃろうな。じゃが魔力との併用でそれが乱れておった。併せてむしろ前より読みやすかったわい。殺気も駄々洩れだったしの」

 

 結界の上で荒く息をつくボクに、ネテロがとぼけた顔でにやりと笑った。

 

 見破られていることが腹立たしい限りだが、奴の言葉はどうやら正鵠を射ているようだ。クロカの治療のために【人形修理者(ドクターブライス)】の能力向上を図ったためだろう。『念』と魔力の熟練度。時間で言えば三分の二、好悪を言えばさらに下がる。

 

 だが、だからといってどうすればいい。【黒子舞想(テレプシコーラ)】単体ではネテロの速度に追いつけない。魔力は言わずもがな。『念』との混合も駄目。

 

 答えが出ぬまま、ボクはクロカを守るため舞い戻ろうと両脚に『気』を集める。その直前、響いたクロカの声が否応なしにボクの意識を引き付けた。

 

「惑わされないで!!魔力を感じ取れるっていっても、完璧じゃないはずよ!!だからもう一度!!ピトーも魔力で、手数で押し切るの!!」

 

 煙幕魔力の気配。クロカの思惑を理解する。確かにネテロが『念能力者』である以上、視界の効かぬ中でなら、生身よりも魔力のほうが隠密性は高いだろう。ネテロの言葉を真と取るなら、それは理にかなっている。

 

 ほんの一瞬、ボクは逡巡することとなった。その方法はクロカの安全を保障できるものなのか、と。

 

 瞬きするほどの間だった。けれど、それだけあれば一つの結論を導き出すのに不足はない。すぐさま決心はついた。

 

 しかし、その間を得たのはネテロも同様だったのだ。

 ボクの決心と同じ時、奴はクロカの思惑の、さらにその先までを看破していた。

 

 小さく、嘆息の音が聞こえた。

 

「全く、これでは埒が明かんの」

 

 突き刺さるような悪寒が、突如として全身を貫いた。第六感、野生の本能としか言いようのない危険信号。最初に奴の姿を目にした時の数倍近い戦慄が、その時ボクの頭から決意を吹き飛ばした。

 

 今の今まで直立不動でいたネテロが、ふと、ひざを曲げた。自然な前動作から天高く跳躍する奴より少し遅れて、ボクの身も追って飛ぶ。

 

 しかし、間に合わなかった。

 

九十九乃掌(つくものて)

 

 上空より見下ろすような形で巨像が顕現する。金色を目にするや否や、ボクは自分の顔面に、掌底が叩きつけられる痛みを知覚した。

 

 威力、速度共に今までの掌打と変わりはない。これだけであるなら、むしろこの攻撃はただの隙だったろう。人間であるネテロには空中で身動きする術はなく、地面が消えた分、攻撃の始点は倍増したことになる。

 

 しかし当然、目に見える悪手などに悪寒を感じるわけもない。

 

 打たれ、落下するよりも速く金色の掌が顔を離れる。その後ろから、幾多もの掌底がすぐそこまで迫っていた。

 

 大地に落ちる。間もなく次の掌打がボクを押しつぶした。掌打が直に地面を割り砕き、ボクの身体がさらに深くへ沈む。

 

 打撃の一つ一つを追えたのはそこまでだ。

 

 あっという間に、すさまじい掌打の連打と、何重にも重なる破砕音がボクの総身を呑みこんだ。

 

 今までの攻撃がぬるま湯であったかのような、猛然とした打撃の連続。反撃の隙などまるでない掌底の豪雨。激しさを増す一方の連撃に拘束されるボクは、『気』の防御だけを頼りに、その中に身を晒すことを受け入れるしかできなかった。

 

 意志で指一本を動かすことさえ叶わないそんな中、他に許されることといえば思考くらい。クロカの盾となることすらできない状況でボクが正気を失わずに踏みとどまれている理由は、拘束の向こう側より感じる波動に、それが絶好の好機を見出したからだった。

 

 その声は連打の轟音に掻き消されてわからないが、その強大な『力』の気配は、確かにクロカのものだ。

 

 察するに、恐らく彼女は光線で巨像を破壊しようと『力』を振り絞っている。

 覆いかぶさるようにして連打を放つ巨像。クロカの照準は上部、胴体あたりに向いているだろう。

 

 酷く惜しく、もどかしい。

 

 痛みが意識に上らないほど魅力的な、ボクが見た道筋。そこからクロカはほんの少しだけズレている。

 そのズレさえ正せば、ネテロの慢心が引き起こした、信じられないほどの致命的見落としにクロカが気付いてくれさえすれば、今までの比にならぬ可能性をネテロにぶつけてやれるのだ。

 

 その思いでいっぱいの脳内に、絶望が入り込む余地などない。

 

(違う!!そっちじゃないんだクロカ!!お願いだから気付いてくれ……!!)

 

 この状況では念話も何もないだろうが、それでも念じずにはいられない。だって、千載一遇の機会なのだから。

 

(―――ッ!!)

 

 その時、ボクは唐突に気が付いた。

 

 ボクの偽物の氷人形。クロカが気付けなくとも、あれがあるではないか。

 

 その発見とひらめきの想いが、打撃の檻の外、人知れず雪の中に埋もれていた氷人形に届いた。そして、動く。

 

 ぼす、と、雪の中から這い出た氷人形は、滑らかな動作で走り出した。行く先は当然、囚われの身のボクの方。クロカもネテロも、すぐその動きに気付いたはずだ。だが、気付いたところで何もしない。莫大な『力』のぶつかり合いに、欠片程度の魔力が割って入れるはずもないのだから、気にかける必要もないのだ。巨像に向かって飛び掛かるその姿に、悪あがきの援護を試みたとでも思ったことだろう。

 

 実際、ボクの氷人形にネテロの巨像をどうこうできるほどの魔力は込められていない。連打の一撃で粉砕されてしまうだろう。

 

 だからもちろん、立ちふさがる掌打の壁を目前にした氷人形が狙うのは、そのような無謀ではないのだ。

 

 欠片程度の魔力でも、それがよく知るクロカの『力』であるなら、統率を乱すことは実に容易い。

 

 振るった拳が向けられたのは、クロカの光線のほうだった。

 

 クロカから驚愕の気配が伝わって、次の瞬間、閃光がはじけた。

 

 轟音が、鼓膜を破らんばかりに空気を揺らし、互いに反発しあう魔力と妖力が生み出した衝撃波が一拍遅れて到達する。

 

 物理的な破壊力という点で『気』のはるか上を行く超常の力。二種の力の暴走が引き起こした大爆発は、連打がもたらした破壊を大きく上回り、ネテロも巨像もボクも、すべてを呑みこみ広範囲を吹き飛ばしていた。

 

 より深くの地面をえぐり、消し飛ばす。荒れた『力』は防御もままならない身体を容赦なく襲い、鮮烈な痛みを神経に瞬かせた。純粋なダメージは、恐らく今までで最も大きい。

 

 しかしその代わり、爆発の威力に押され、『力』の乱流に予測不能の軌道を描いたボクの身体は、精密なる連打の狙いをほんの少しだけ外した。

 

 ボクを捕らえる連打の檻の、その間隙をすり抜けることが叶ったのだった。

 

 拘束から弾き出され、檻の内側にもぐりこんだボクはようやく目にする。殺したくてたまらなかったネテロの姿。見開かれた両目と、その表情に現れる動揺を、ボクは確かに認めたのだ。

 

 【黒子舞想(テレプシコーラ)】が歓喜して肉体を操る。無理矢理跳躍するのと同時、ネテロの手が胸元から離れ、合掌した。

 

 足場をもう一度作り出す。ぶれる合掌を眼に映しながら、ボクは記憶の映像を追っていた。

 

 程度は違えど、奴が目を見張るのは、これで二度目だ。

 

 迫る金色は記憶のそれと瓜二つ。浮かぶ軌跡に左腕を伸ばす。

 

 刹那

 

 腕がひしゃげた。掌打の威力を一身に受け止め、殺す。神速の一撃が、ボクの身体を逸れて消えた。

 

 いなしたのだ。

 

 がら空きの懐。繋がる視線。踏み切り、突き出す右腕が、柔らかい肉に触れて切り裂き飛ばした。

 

 しかし――

 

(――仕留め、損ねた!?)

 

 宙を舞ったのは奴の首ではなく、左腕だった。

 

 寸前に身体を反らしたのか。信じ難いがそうとしか考えられない。

 

 極限の集中が途切れ、加速した爆風がボクの身体を押し流す。錐揉みしながら弧を描き、なんとか地面に着地すると、ボクは悔恨に顔をしかめつつ、そっちを見やった。

 

 巨像の全身がすっぽり入ってしまいそうなほどの大穴。その少し離れたふち、視界の通るギリギリの距離に降り立った隻腕のネテロは眉を寄せ、血を噴き出す己の左肩を見つめていた。

 

 やはり致命傷には程遠い。ボクの腕との等価交換、いや、受けたダメージはこちらの方が大きいだろう。見た限り、爆発も防いでしまったらしい奴の深手はそれだけだが、一方ボクは肉体のいたるところに不調を感じている。

 

 スタミナも、もう限界だ。先ほどからぜいぜいと、自分の喘ぎがうるさくてしょうがない。【黒子舞想(テレプシコーラ)】がなければ立っていることすら難しいだろう。

 

 滝のような脂汗を流すボクとは対照的に、ネテロの表情は苦悶にもなっていない。剽軽の仮面は引きはがせても、それ以上の危機には至っていないということか。

 

 その憤懣を証明するように、吹雪に紛れて耳に届いた。

 

「……俺も、人のことは言えねえな」

 

 重低音。しかし迫力は微塵もない。まるで自嘲のようなその響きとは裏腹に、まるで衰えない静謐が奴の残った腕をゆるりと動かした。

 

 認めた瞬間、再度の意識の集中と共にボクの両脚が跳ねた。現れる巨像に、腕がなくても出せるのかと舌打ちしつつ、ならば今度こそその首刈り取るまでと、なけなしの力を振り絞る。

 

 ボロボロの身体を飛ばし、拳を振る。とはいえネテロが二度も悪手を犯すはずもなく、ボクはあっさりと巨像の掌打を身に受けた。

 

 これもまた、当然のことだ。くるりと回り、最短で体勢を立て直す。届かぬ攻撃の再開。もう一度、あの奇跡を引き寄せるしかない。

 

 だが、

 

「――ッぐ……!!」

 

 体内の何かがビシと硬直したかのような不快感が突如として身体を貫き、『力』の発露が妨げられた。

 

 脳裏に追いやった痛みが激烈にぶり返し、結界も、【黒子舞想(テレプシコーラ)】すら発動できない。

 それどころか能力すら解除され、ボクは掌打の向くままあらぬ方向へ打ち払われることとなった。

 

 そこまで身体に限界が来ていたのか。信じられぬ思いでネテロと巨像の姿を凝視する。すぐにそれは吹雪の中に溶け、完全に消え失せたころになってボクの片腕は地面を捉えた。

 

 露出する土肌をガリガリ削りながら静止すると、奇しくもそこはクロカの真横だった。立ち竦む彼女の気配に無事を理解し安堵するも、それ以上に背筋が冷える。ネテロの間隔の前では吹雪の目隠しなどあってないようなものだ。

 

 故にすぐさま離れようとした。不調だが、そんなことは理由にならない。

 

 しかしボクは次の瞬間、あっけにとられて背後を振り向いてしまった。その衝撃は一瞬ネテロへの敵愾心を忘れ去ってしまうほどで、心の奥深くが疼き、反射的に動揺を抑えることができなかったのだ。

 

 クロカの悲痛な泣き声が、ボクの心臓を盛大に跳ねさせた。

 

「ご、ごめ……ごめん、なさい……」

 

「く、クロカ!?」

 

 両目をしとどに濡らしたクロカが、初めて見る一色の絶望を、その表情に漂わせていた。

 

 いかにもただ事ではない雰囲気に、然しものボクもパニックに片足を踏み入れる。気付けばここがどこだかも忘れ、崩折れるクロカに動揺をぶちまけていた。

 

「ごめんなさいって、何がどうしたの!?まさか、どこか怪我を!?」

 

「ちが……だって……わ、わたしの、せいで……ごめん……ごめんなさい……」

 

「『わたしのせい』?いったい何のこと!?どうしたのさクロカ!?」

 

 クロカの嗚咽からそれ以上の言葉は出なかった。ネテロの攻撃によるものではないのなら、いったい何が原因なのか。ボクはきちんと生き延びているし、傷もすぐさま死ぬほどのものではない。クロカを悲しませる要因など無いはずなのに。

 

 困惑に呑まれつつも、半身に残った闘争本能が辛うじて疑問を棚上げした。それよりも、肝心なのはまずクロカを落ち着かせることだ。絶望の理由を知るのは後でいい。

 

 ボクはクロカの肩に手を伸ばした。こういう時はとりあえずスキンシップ。孤独の寂しさには肌の接触が一番だ。

 

 飛び込むようにして、クロカの首元に抱き着く。そうするはずだった。

 

 手足が地に着く体勢からクロカめがけて踏み出した一歩目、硬い地面を踏んだ足が何の前触れもなく沈んだ。

 

 足がもつれた。前傾する身体に気付けば、当然反射神経は手を突こうとする。しかし、無事であるはずの右腕は動かなかった。

 

 いつしか痛みと並び立ち、強烈な脱力が全身を浸していた。指一本すら動かせず、ボクの身体は目算誤りクロカの胸に倒れこんだ。

 

「……ぴとー?」

 

 逆にクロカに身体を支えられ、その呆然とした響きを聴いた。大丈夫、と告げようとするも声は出ない。代わりに、声帯のさらに奥から灼熱が込み上げた。

 

 己の目を疑う。クロカの膝にどくどくと流れ落ちる大量の液体は、まぎれもなくボクの青い血液だった。

 

「あ……ああ……あああああああああ!!!」

 

 後頭部に響く悲嘆。その身を抱きしめてやることさえできないボクは、クロカのコートを汚すばかり。しかし、血が抜けた脳味噌はむしろすっきりとしていて、冷静とはいえずとも、己の状態に思索を巡らすことはできていた。

 

(内臓の損傷!?爆発の時!?いや、そんなはずはない。スタミナはともかく、肉体の限界はまだ先だった!!いつの間に、これほどのダメージを……ッ!?)

 

「うそよ……わたしのせいで……ごめんなさい……ピトー、ゆるして……おねがい……ゆるして……」

 

 けれども原因を突き止めるには至らない。クロカの絶望に何もできないこの状況は、身を引き裂かれそうな心痛を併せ持ち、現状確認より先に思考を進めることなどできるはずもなかったのだ。

 

 ボクの頭に顔を押し付け、呪詛のように同じ言葉を訥々と繰り返すクロカの声に、ボクの吐き出す水音が混ざる。それだけしかない無音の中では、そいつの足音が酷く目立っていた。

 

「そいつをワシは【無間乃掌(むけんのて)】と呼んでおってな」

 

 背後に立ち止まる気配がすると、クロカが僅かに顔を上げた。

 

「打撃すると同時に体内の『オーラ』を乱し、根本から無力化する。要は【百式観音(ひゃくしきかんのん)】に仙術を組み込んだ技じゃ。お主の連れ合いがどうなっておるのかはわかるじゃろう?」

 

「仙術……?」

 

(そんな……バカなことが――)

 

 ――事実なのか?

 

 ネテロの攻撃を『気』の防御なしに受けたことは一度もない。そしてボクの『気』は、少なくとも奴よりはずっと強固で分厚いはずだ。そうやって守りを固めれば、ボクに影響を与えることはクロカにだってできない。

 その防御を貫通し、これほど甚大なダメージをもたらしたというのか。しかも傀儡の拳を通し、加えて一撃で。

 

 そもそも仙術とは、先天的な資質が必要な、習得できる者が極めて少ない技であったはずだ。それを『念能力者』たる『ハンター』の首領が、クロカをも上回る技量で扱えると?

 

 そんなもの――

 

 身体がほんの僅かに強張り、吐血の勢いが増した。しかしそれ以上動けず、ネテロの接近を止めることもできない。

 

 激情のあまり、目の奥に星が散っている。

 

「これが立ち合いであったなら、腕を落とした時点でワシの負け。勝負は仕舞いだったのじゃがな」

 

 足音が止んだ。

 

「言うた通り、取り逃がすわけにはいかんのよ」

 

 明確な殺気が、クロカを自失から呼び戻した。金色の光が辺りを照らし、直後、クロカが展開した結界を、左右から掌打が覆っていた。

 

 ボクが電撃で自爆した時のような型。しかし攻撃的な威力は皆無で、結界には亀裂の一つも入っていない。

 

 が、ネテロに背を向け続けねばならなかったボクは、それ故に気付いた。

 

 クロカの肩口を介して、見る。ネテロではなく、クロカの背後に出現した巨像。大きく開かれたその口内から覗く、眩い死の光(・・・)

 

 振り向いたクロカの目にもそれが映る。感じ取った印象は同様だろう。

 

「ねえ、ピトー」

 

 クロカの落ち着いた声色が、涙と一緒にボクに落ちた。

 

「私、短い間だったけど、すごく幸せだった。あなたと出会えて、本当に良かった」

 

 微笑む。

 

「今まで一緒にいてくれて、ありがとう」

 

 やめろ

 

「―――」

 

 恒星の如き光弾。結界を貫き、音すら消し去る死の無慈悲にボクの腕が喰われ、そしてクロカを呑みこんだ。

 

 何も感じぬまま、ボクの姿もクロカの姿も咆哮の中に消え、そして見えなくなった。

 

 後には何も残らなかった。

 

 

 

 

 

「……すさまじいな」

 

 男は呆然と呟いた。

 

 手にした魔道具を介して見ているものは数キロ先の惨状。剥き出しの大地と大穴、そして、ちろちろと赤く瞬く焼け溶けた土の跡。

 

 『SS級はぐれ悪魔』の黒歌と『変異キメラアント』のピトーの二匹が、ターゲットのアイザック=ネテロと戦い、敗れるまでの一部始終。それを直に目にした男は、驚嘆に呑まれていた。

 

 信じ難い光景だった。実際のところ、戦いはあまりにも速く激しく、男は何が起こっていたのか半分も理解できていない。だがそれでも、いや、だからこそ、己の目を疑うほどの驚きを、男はその喉元から零すことになった。

 

「まさか、これほどの力を、人間が……」

 

 当初この任務を申し付けられた時、男は、ネテロが黒歌とピトーに勝利するとは微塵も思っていなかった。むしろ興味すらなく、ネテロが破れたことをどう穏便に報告するか、下僕に愚痴を洩らすくらいだったのだ。

 

 それがこれだ。人間は、はぐれ悪魔と危険な魔獣に打ち勝ってしまった。

 

 男の常識からすればありえないことだ。神器(セイクリッド・ギア)も持たない脆弱な人間が、純血でないとはいえ悪魔を倒す。

 

 『念』なるものはそこまで強力な力であるのか。光線を放った直後は疲労している様子だったが、今はそれもない。老体に似合わぬ活力はこれだけ離れていても感じられ、否応なしに男の視線は縫い付けられていた。

 

 見つめていると、その隣に霧の塊が出現した。気付き、躊躇なくそれに触れたネテロは、その霧が自身の全身を覆うのを何の動揺もなく受け入れている。

 少しして、人間大に広がった霧が消え去ると、そこにもうネテロはいなかった。

 

 数時間前もネテロは同じように霧に包まれ、この荒野に現れたのだ。今更驚きはしない。しないが、それでも淡い危機感はどうにもならず、男はため息をつくと、手にした望遠魔道具を懐にしまい込んだ。

 

 女は、それを見計らったかのように男を呼んだ。

 

「あの、ライザー様……」

 

「ん?どうしたユーベルーナ。まさか記録術式に何かトラブルでもあったのか?」

 

 振り向いた男に、女は青い顔で手の中の水晶玉を差し出した。

 

「い、いえ、録画はきちんと成功しています。ただその……つい今しがた、魔王様より通信が――」

 

「な、なに!?そういうことは早く言え!すぐ繋ぐんだ!」

 

「は、はい!ただいま!」

 

 女は慌てて水晶玉に意識を向ける。手早く身だしなみを整えた男が咳払いをし、向き直ると、水晶の上には青いホログラムが浮かんでいた。

 

 若い男性の姿を作ったそれは、優しげな声でにこりと微笑んだ。

 

「やあ、ライザー君。ちょうど終わったころかと思ったんだが、どうかな?」

 

「……さすがは魔王ルシファーの名を継承なされたサーゼクス様。そのご慧眼には敬服を禁じえません。はい、たった今戦闘が終了しました。アイザック=ネテロも帰還し、私の任務も問題なく完了しています」

 

「そうか、それはよかった」

 

 ホログラムは満足そうに頷いた。しかしそれで終わることなく、少しだけ目を細めると、緊張に背を伸ばす男にさらなる言葉を向けた。

 

「ならば、簡単にで構わないから事の顛末を報告してくれないかな?できるだけ早く知っておきたいのだよ」

 

「は、了解しました。では失礼して、報告させていただきます」

 

 息を吸い込み、続けた。

 

「『SS級はぐれ悪魔』の黒歌、及び『変異キメラアント』のピトーは討伐されました。高火力の攻撃にて消し飛ばされたため、死体を回収することは難しいでしょうが、証拠としての映像記録も確保に成功しましたので、断定して問題ないかと思われます。

 そして例の情報の真偽ですが、こちらも確認しました。【聖剣創造(ブレード・ブラックスミス)】、【闇夜の大盾(ナイト・リフレクション)】、他多数の神器(セイクリッド・ギア)所持者、及び……神滅具(ロンギヌス)である【絶霧(ディメンション・ロスト)】のハンター協会在籍。いずれの所持者もまだ子供ですが、その技量は大人と比べて遜色ありませんでした。将来間違いなく、危険な使い手に成長するでしょう」

 

 終わり、男は気付かれぬように小さく緊張の息を吐く。他に特筆して報告すべきことはなかったはずだと油断していた男は、次に発せられた言葉に素の疑問符を浮かべた。

 

「アイザック=ネテロはどうだった?ライザー君の主観でかまわない。彼への率直な印象を聞かせてほしい」

 

「え?ああ、はい。そうですね……『念』や仙術などは、私にはよくわかりませんが、すさまじい強さだと感じました。悪魔の討伐隊を何度も撃退したあの二匹を倒してしまうとは、正直に申しますと、露ほども信じていませんでした。あれは、人間が持っていていい力ではない、と……そう、思います……」

 

「ふむ、なるほど……ありがとう、ライザー君。とても参考になったよ」

 

 そう言うと、ホログラムは黙り込み、何やら思索するように目を伏せてしまう。その様子に男はつい耐えかね、閉ざした口を開いてしまった。

 

「もしや、魔王様はあの男を眷属にするおつもりですか?」

 

 顎に手を当てたまま、ホログラムが眼を上げた。

 

「いや、しないよ。私に余分の駒はもうない。それに、もしあったとしても、彼は転生を承知しないだろう」

 

「承知しない、ですか」

 

「ああ。過去に何人かの上級悪魔が彼を眷属にしようとしたが、いずれも断られている。矜持、のようなものがあるのだろうね、『ハンター』には。知らないかい?『ハンター』上がりの転生悪魔は、神器(セイクリッド・ギア)持ちのそれよりはるかに少ない」

 

 男はそれを知っている。知っているからこそ言葉を続けたのだ。ホログラムの返答は男の不満を解消させることができず、少しばかり非難がましい口調となって喉を出た。

 

「では、何故あのような老いぼれのことをお聞きになられたのですか……?」

 

 ホログラムが不思議そうに眉を寄せる。男が何故内心を揺らしているのか、全くわかっていなさそうなその表情に、男の口がまくしたてた。

 

「そもそもこの任務からしてそうです!何故わざわざあの二匹の討伐をハンター協会に依頼し、しかもそれを監視するなどという任務を出されたのですか!?

 もしも奴を警戒してのことなのであれば、それには値しないと私は愚考します!確かに奴は異常なまでに強い。しかし所詮は人間、人間にしては強いというだけです!私でしたら奴よりももっと破壊力のある一撃を放つこともできますし、ましてや魔王様なら奴の打撃をすべて消滅させることも十分に可能でしょう!我々の崇高なる悪魔の力の前では、奴は脅威足りえない!お命じ下されば、今すぐにでも私が――」

 

「まあまあまあ、落ち着きたまえライザー君。余計なことを言って悪かった。そのようなつもりで訊いたのではないよ。ちょっと、彼に興味があっただけさ」

 

「……そうですか……いえ、私こそ、失礼いたしました」

 

 まるで納得はいっていないが、それでももう男にはこれ以上追及することができなかった。不承不承に頭を下げ、底に残った不信感を飲み下す。

 

 万事解決だとばかりにホログラムは微笑み、手を打ち鳴らした。

 

「さて、それではこれで立ち話は終了だ。帰還して、報告書と記録映像を提出してくれたまえ。ご苦労だった、ライザー君、ユーベルーナ君」

 

 突然名前を呼ばれた女がびくりと跳ね、裏返った声で「はいっ!」と返事した。

 

 下僕の失態に男が顔を赤らめ、羞恥がわだかまりを吹き飛ばしたことを見届けると、ホログラムは苦笑し、腕を振った。

 

「では私も失礼するよ。妹が……結末を知りたがっているのでね」

 

 ホログラムがぷっつりと消えた。後に残された男は、諸々が合わさってまたしても嘆息し、女に転移魔法陣を出すよう命令する。

 

 優秀……少なくとも魔力の扱いという面ではそうである女が、赤面しながら魔法陣を組み立てていく。さすがに叱責する気にはなれず、見守りながら男はぼんやりと、ホログラムが言った『妹』から想像を膨らませていた。

 

「そういえば、はぐれのほうは話題になってる猫又の姉だったか……リアスはあのチビを眷属にするつもりなのか?」

 

 もしそうであるなら、あのおてんばは中々の命知らずだ。世間からどんなバッシングを受けるかわかったものではない。

 

 愛すべき婚約者殿のやらかし。頭が痛い話だ。

 

 そのような未来が来ないことを祈りつつ、男は完成した魔法陣に足を乗せた。女がそれを発動させると、たちまち二人の姿は消え、そこにはブーツで踏みしめられた雪の地面だけが残っていた。

 

 しかしそれも、じきに埋もれて消えるだろう。大地はすでに、一面の白銀を取り戻していた。




オリジナル念能力

【無間の手】 使用者:アイザック=ネテロ
・百式観音の型の一つ。観音像に仙術の力を加えた打撃。
・仙術によって相手のオーラに直接損壊を与える。ネテロの念と仙術の技量が相俟って、それは不可避の速攻且つ防御無視且つ一撃で致命傷を与える攻撃となっている。

今回から非ログインの方からも感想を受け付けるように変更しました。
べ、別に、前々から他作者様の感想欄に名前が黒文字の人がいっぱいいて何なんだろうなーって思ってたらそういう設定があるってことを初めて知ってその上で感想募集中って言い続けてた自分がなんか恥ずかしくなったなんてわけじゃないんだからね!勘違いしないでよねっ!
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