日も暮れ始め、空が赤く染まりつつあるというのに、ボクの身を襲う熱気と人ごみは全く落ち着く様子を見せなかった。
相も変わらず賑わう繁華街。時間的にも食べ歩きをする人間が多いらしく、昼間よりも食べ物のにおいが強いが、それでもにおいの元がすべて和というカテゴリーに属しているためか、多種多様に混ざり合った芳香はそれほど不快ではない。ぽつぽつ灯り始めた灯篭と転じた空気感も相俟って、そこはまさに観光地と言うべきな心躍る様相を呈していた。
できることなら、ボクもそれにあやかりたかったものである。
歓楽の喧噪の中、一人だけ陰鬱を纏ってとぼとぼ歩くボクは、その手に持った一枚の写真に目を落とし、封を解かれた己の闇に沈みこんでいた。
写真は悪魔の赤髪から渡されたものだった。
幸薄そうに俯く白い子供が映っている。胸部が膨らんでおらず見た目では見分けがつかないが、性別は女だ。少しつり上がった目元とつやのある肌。そして何より、その頭部の三角耳と腰から伸びる二股の尾は、クロカそっくりの形をしていた。
つまり、シロネの姿だった。
髪色やら体型やらの違いはあれど、見れば見るほどその姿はよく似ている。少し前に見たあの双子のような、目に見えてわかる二人の繋がり。『
ボクにとってのそれは、もうとっくに土に還ったであろうあの肉塊だ。腐臭を巻き散らすだけの残骸だったそれには欠片の親近感も抱くことはできないが、ボクとは違って外見にもこれだけの類似点を見ることができる二人であれば、その感覚も全く異なるのだろう。
二人が一緒に居る光景は、シロネの姿を初めて見たにもかかわらず容易く想像できてしまうほど、ごく自然なものだった。ボクでさえ、そのことだけははっきりと理解できる。
それこそ、そこにいるボクが邪魔者に見えるくらい、
そんな当然の事実が闇の中に注がれて、ボクの心はますますもって冷えていった。
元々、シロネに良い感情を覚えたことはない。クロカが苦しんだ原因の発端、根源はシロネなのだ。今でもその思いは変わってない。憎いと言っても差し支えないほど、その感情は強かった。
しかし、苦しめられた当の本人であるクロカはそうではない。心の深くでシロネを恨んではいても、そうしたいとは思っていない。
あれだけのことがあっても尚、クロカはシロネを憎んでいないのだ。言わば、愛している。
自ら死を望むほどの絶望に突き落とされても、彼女は妹を愛していた。
ならば、ボクはシロネを憎む必要など無いはずだ。シロネに憎悪を向けるということはつまり、クロカの意向に反する行為、反逆に他ならない。そんな考えを抱くこと自体、不敬ですらある。
この憎悪は消さねばならないものだ。ずっと前からわかっていた。
なのに、強く意識した今この時でさえ、ボクにはそれができなかった。
消えないのだ。そうしなければならないという決定事項で何度踏みつけようと、何度水をかけようと、底にある熾火は沈黙しない。勢いを弱めることはできても、たったの一度息を吹きかけるだけで再びメラメラと燃え盛る。
自分自身ではもはや制御が利かない。凡そ一年半の間、心の底に居座り続けたその想いはとうに根を張り、がっちりと固定され、一角を不動のものとして占めていた。
引きはがすにはそれの固定はあまりに強く、そしてボクは弱すぎたのだ。
それはたぶん、根が『家族』に対する嫉妬、否、恐れであるから。
自分自身のためだったからだ。クロカへの依存心を自覚しているからこそ、ボクにはそれが見えてしまう。
クロカは、ボクの唯一にして絶対。彼女がいなければ、ボクはもう生きていられない。想像するだけで胸が苦しくなるほどの強い想いは、際限なく、常に彼女に向いていた。
この世で一番の『愛』を、ボクはクロカに捧げたい。
なればこそ、その想像、別れが現実となり、クロカのその口から『要らない』という言葉が飛び出したとしても、辛かろうが苦しかろうが、ボクは笑って受け入れるはずだ。
それが『愛』なのだから。
そう思いこんでいた。けれど、強く実感してしまった。
そんなことは、どうやったってできっこない。
恐ろしいのだ。
今、クロカの心に根付いているボクの存在。その場所は本来シロネのものだ。かつてシロネがいた場所だ。一年と半年前のボクは、シロネが捨ててぽっかりと空いた隙間に滑り込むようにして今の関係を築いたに過ぎない。
ならばそこは、『妹』のためにある場所なのだ。ボクではなく、『妹』であり『家族』でもあるシロネのほうが、そこに座すにふさわしい。
裏切られても切れなかった強固な血の絆。家族の絆。ボクが居座るその場所にとって、血縁でもなく、『家族の愛』をも理解できないボクは、邪魔者だ。
クロカとシロネの絆が戻れば、ボクはきっと、そこから弾き出されることになる。二人の絆の中にボクの居場所はなく、外側から眺めることしかできないだろう。
それでもクロカはボクを見捨てることはないはずだ。きっとボクたちの間にはまた別の繋がりができて、関係は続いていく。
けど恐らく、それは長続きしない。
どこの世に自分の好きな相手を憎まれて喜ぶ者がいるだろう。繋がりの名前が変わろうと、シロネに対する憎しみを抱いたまま、ボクの想いは変わらない。
ボクの想いとクロカの想い。変わることも交わることもない二つの核は、ボクとクロカの心に不和をもたらし、いずれあの時のように限界を迎える。ただ、今度はあの時のように解決はできないだろう。ボクのシロネへの憎悪は、間違いなく本物であるからだ。
クロカの傍にいるためにはシロネへの憎悪を消し去らねばならない。しかしできない。ならばボクはクロカの邪魔だ。去らねばならない。それもできない。
愛しているならできるはずなのに、クロカの口から要らないという言葉が響くまで、クロカとボクの心を滅茶苦茶にするまで、不要物のボクは自死することすらできないだろう。
今ボクの身を焦がしているこの想い、『愛』は、クロカを不幸にするだけのものだ。
――何故だ。
ボクはクロカを愛している。それこそ、生まれるはずだった『王』と同じくらいに想っている。
なのに、『王』にであればできることがクロカにはできない。クロカのために自分の憎悪を打ち捨てることも、クロカのために自分自身を殺すこともできない。
身も心も捧げるべきなのに、ボクはボク自身に価値を見出してしまった。
『王への愛』でも『家族への愛』でもない、ボクの自分本位な『愛』。それは、クロカは疎か『キメラアント』にも理解されないような、別の何かであるらしい。
そうなのか。
人でもなければ『キメラアント』でもないボクは、それ故の歪な価値観と同じように、『愛』を誤認しているだけなのか。
己を捧げられないボクの『愛』は、クロカにとっての『愛』ではなかったのだ。
何もわかってはいなかった。
かねてからの熾火は成体と赤髪で燃え上がり、そしてとうとう、シロネを知ったことで確固たる理解を得てしまった。
同じ『愛』であるはずの、『家族』、『姉妹』、『親子』。クロカが求める『愛』のどれをも理解できず、悪魔と混じった
それでもクロカと共にありたいのなら、もう、それ以外に道はない。
考えたくもないことだ。『
(――ごめんね、クロカ……)
……本当に、考えたくもないことだ。
ボクは周囲の誰にも気付かれないくらい小さく、顔を見せた絶望に息を吐いた。
「なんで、ボクは……」
『愛』とは、『家族』とは、いったい何なのだろう。
幾度となく聞き、理解しようと努めたその二つの言葉が、この時初めて耳にしたものであるように思えた。
悄然と、ボクは写真をぶら下げ、茜色の空を仰ぐ。
眼に染みる血のような赤さは、冥界のそれを彷彿とさせた。
――ふと、つまんだ写真が指の腹を滑った。
一応の機密であるそれはあっさりと引き抜かれ、ボクはどちらかと言えば諦めの心境でその犯人に向き直る。
写真をしげしげと眺め、八坂が言った。
「ふむ、ほんにため息が出るほどかわいらしい娘さんじゃな。さすが猫又と言うべきか、元の素材がいいのじゃろうな。将来はきっと男泣かせの美人さんに育つぞ。まあ九重には及ばぬがな!」
「ははうえ!フェル!ここよりあっちのきがいっぱいあるほうが、すずしくてきもちいのじゃ!あっちをとおろう!」
空いたボクの手を引っ張り、進行方向とは真逆の林道に誘おうとする九重も含め、もはや二重苦、泣きっ面に蜂である。
『姉妹』に加えて『親子』までがここにいる。見せつけられる絶望など片方だけでも手いっぱいだというのに……どうしてこうなった。
「これ九重。妾たちは遊びに行くわけではないと言うたじゃろう。フェル殿はお仕事をしているのじゃから、邪魔をしてはならん」
「うう……はい、ははうえ……」
しょんぼりと首を垂れる今の九重には、あのふわふわな耳も尻尾も付いていない。八坂もそうだ。そういった能力なのか、それとも何かの術なのか。衣類でそれらを蒸さざるを得ないボクからすれば羨ましいことこの上ないが……いやしかしそうではなくて――
「そもそもなんで二人ともついてくるかな。わかってる?ボクたちが受けた依頼はシロネの捜索なんだよ?もし誘拐なら犯人と戦うことだってありえるし、二人にまで手を回せるなんて保証はできないにゃ」
護衛の妖怪すら引き連れていないのだ。大量の人間や人外がひしめく通りを、無力な娘と二人っきりで警戒もせずに歩いている。おまけにボクたち念能力者も傍にいるのだ。危険性を理解しているようには見えない。
そして実際、そうであるようだ。写真をボクに手渡して、八坂は呑気に頷いた。
「仕方なかろう?九重が行きたいと言うのじゃから。そのくらいの我が儘、聞いてやるのが親の務めよ。のう九重?フェル殿とおしゃべりしたいじゃろう?」
「うん!おしゃべりしたい!」
「親の務めがあるなら止めるべきじゃないの……?ほんとに、ボク知らないよ?」
また一つ、ボクは湧き出た失意を呑みこんだ。二人の古風な格好のせいか、物珍しそうに横目を向ける観光客どもを先陣切ってかき分けて、前に進む。
その中でも八坂の声はよく通り、はっきり鼓膜を揺らす内容は、再度ボクに肩を落とさせた。
「案ずることはない。妾とて戦えないわけではないからの。それに、親だから、じゃよ」
「……親だから?」
「うむ。親だから、じゃ。子の喜ぶ姿は何ものにも代えがたいじゃろう?」
その通りなのだろうが、しかしどうしてそれほど簡単に危険を容認できるのか。
ボクの『愛』と八坂の『愛』が別物である証明だ。己が一人であることを再確認させられながら、ボクは無心に脚を動かし続ける。
何か言いたげな視線を向ける九重に知らぬふりをして、続く八坂の言葉に耳を傾けた。
「それに、まさかウタ殿が仙術を使うとは思ってもおらなんだのだ。妾も、特殊とはいえ地に満ちる『気』を使う故、一度見てみたくてな。しかし……どうしてフェル殿はウタ殿から距離を取っておるのじゃ?この混雑じゃが、固まっていて邪魔になるから、なんて理由ではないじゃろう?」
そう言って、八坂は数十メートルほども離れてしまったクロカと曹操に眼を向ける。空と空気の色以外は昼頃の移動とほぼ同じ光景。ああ、と呟き、ボクは思考の接続先を知識に切り替えた。
「まさにそれ、『邪魔だから』だよ。八坂も九重も『纏』使ってるじゃない?念能力者の『気』っていうのは仙術の邪魔になるんだよ。気配の主張が大きくて、他が感じづらいんだって。まあ、『絶』までしろとは言わないけど、できるだけ離れていた方がいいってわけ」
「『ぜつ』!フェル!わたし『ぜつ』ならできるのじゃ!みてて!」
と、突然割り込み、手を繋いだままほんのりと薄れる九重の気配を感じつつ、ボクは付け足す。
「……言っとくけど曹操は念のための護衛だからね。集中してるとこを襲われたら厄介だからってだけで」
「ふむ?そうじゃったのか。ウタ殿の護衛なら、妾はてっきりフェル殿がするものだと思っておったが……」
「ボクより曹操のが適任なの。……口惜しいけどにゃ」
邪気濡れのボクが傍にいては仙術どころではないだろう。当初は『絶』をしてでも護衛の役目を果たすつもりであったが、他ならぬクロカがそれを拒んだのだ。いい加減ボクの『気』にも慣れていきたいということらしい。
確かに、ボクがいることでクロカが本来の力を発揮できないという事態は、ボクからしても喜ばしいことではない。クロカがリスクを負うよりも、禍々しいと言われるボクの『気』自体をどうにかできればよかったのだが、残念なことにそれは非現実的すぎるらしく、ならば今後のためにも己のほうを改善したいという言い分には、当然賛成できる。
ただ、それを実戦で、加えてボクが真横にいる状態で行おうとしていることには未だ疑問が残る。何やら恥ずかしそうに提案してきたクロカの笑みをあまり強く拒否することができず、なし崩し的に今の配置のような妥協案に落ち着いてしまったのだ。が、しかしこうなるのであればもっとしっかり反論すべきだったかもしれない。
「はぁ……」
無駄に必死な集中力で『絶』を続ける九重。道行く人間と蹴り飛ばされそうになるその身体を引き寄せて、ボクは何度目とも知れない気鬱にため息をついた。
その動作で、どうやら九重の集中力も途切れてしまったようだ。ぷはあ、と止めていた息を吐き出し、ボクの腕に縋りついてささやかな抵抗をかける。
特に支障はないので勝手にさせていると、突然その荷重のベクトルが横を向いた。
「あっ!フェル、フェル!じゃあ、あっちのおちゃやさんはどうじゃ?おかしがすっごくおいしいのじゃ!」
せわしなく表情を変えた九重が指し示すのは、珍しいがここではよくある古屋敷だ。何やら妖怪らしき気配が漂う伝統的日本家屋に寄り道をさせようと、九重は脚を突っ張っていた。
微かな苛立ちがボクの表情に薄く皺を寄せる。
支障はないとはいえ、妨害されていることには変わりないのだ。原理のわからぬ九重の駄々こねは、度重なるストレスにささくれだったボクの感情に、余計な苛立ちを口走らせた。
「あのさあ、だからゆっくりしてる暇はないんだって。呑気に間食なんてして、その隙にウタが襲われるなんてことに――」
はっとして、気付いた時にはもう遅かった。
あっという間、九重の目に涙の雫が盛り上がる。零れ落ちる寸前で辛うじて堪えられた悲しげな瞳がボクを見て、そして俯き滴った。
「……ごめんなさい、なのじゃ……」
「え!?あ、いや、えっと……ああ!別に腰を下ろすことはないじゃない?歩きながらなら、その、食べたいなー、なんて……」
ご機嫌伺い然とした後付けは、あまり意味を為さなかった。
幼子は喜怒哀楽の変化が激しく、よく泣くものだという知識はあったが、そんなものは動転に何の冷却効果も発揮しない。怖々歩くボクと、黙り込んで導かれる九重。周囲のざわめきに呑まれてしまった無言が非常に気まずい。
弱い者を傷つけた罪悪感だけでなく、料亭での負い目も大いに介在する心痛だ。後悔と焦燥感の板挟みでそれ以上九重を慮ることもできず、ボクは停滞する理性に耐えていた。
それを破ったのは、いつの間にかボクと九重の傍を離れ、包みを手に戻ってきた八坂だった。
「ほれ、急ぎで包んでもろうてきた。九重もフェル殿も食べるとよい。いやはや、妾の顔が利く店で助かったわ」
その店に眼を向けると、店員らしき妖怪が警戒の視線でボクを睨みつけていた。それで幾ばくか現実を思い出すと、ボクは甘い香りを発する包みから茶色い板切れのようなそれを引き抜き、口の中に放り込んだ。
ばりぼり噛み砕きながら、もう一枚を引っ張り出す。
「うん、おいしいね、これ。……九重は食べないの?」
「……たべる」
受け取って口に運んでくれたことを静かに安堵し、八坂に目礼を送る。にっこり微笑んだ彼女は自身もそれを摘み取り、咀嚼して飲み込んだ。
「やはりこうでなくてはな。近頃……といっても五十年ほど前じゃが、人気の生よりも、妾はこちらのほうが良い。そうは思わぬか?フェル殿」
「生憎、生とやらは食べたこともないから何とも言えないね。和菓子自体も食べなれてないし、色々と比較のしようがないかにゃ」
「ならば土産に詰め合わせでも送るとしよう。曹操殿やウタ殿と一緒に、帰ったら感想でも聞かせておくれ」
「んー、まあ、国際電話でもエアメールでも、渋るほど貧乏じゃないけどさ」
店員である妖怪の視線。警戒を通り越してもはや敵意のように鋭いそれを感じながら、ボクは軽口を吐く。
「調達するなら人間の店でにしてよね。毒でも盛られたら感想も何もあったもんじゃないから」
八坂はクスクスと笑った。
「すまぬな。護衛も連れずに念能力者に近付くなど言語道断、とな、あの者に叱られてしもうたのじゃ。心配性が過ぎると、言ってやったのじゃがな」
「そりゃあ心配にもなるさ。八坂も九重も九尾の狐だし。
うん百年前の九尾の抜け毛がオークションにかけられて億の値付いたって話、知らない?狙ってる人間なんて星の数ほどだよ。……はあ、どうしてそんなに呑気で居られるかにゃ」
「……?フェルはわたしのかみのけがほしいのか?」
食べかけの菓子を片手に、またしても何かが九重の琴線を刺激した。
「べつにちょっとくらいなら、わたし、へいきじゃぞ」
と、おずおず上目遣いに言って自身の金髪を引っ張り始めた九重を、ボクは慌てて止めた。
「待って待って!そういうことを狙う輩がいるってだけだよ。ボクは全くお金には困ってないんだから……ああ!必要ないってば!」
「いらぬのか……」
ようやく乱暴な髪梳きをやめてくれた彼女は、なぜかまたしょんぼりと肩を落としてしまう。
いきなり自傷的な行為に及んだこともそうだが、何故そこで落ち込むのだ。予測のつかない幼子の行動原理に頭と心の奥を悩ませ、途方に暮れる。
「くふ、そうじゃろうとも。フェル殿が凡百の悪漢のようなマネをするとは露ほども思っておらんよ。故に、心配性じゃ。
しかし……ふむ、抜け毛が億か。金が要りようになったら寝床にころころでもかけるとするかの」
恐らくたぶん冗談であろう言葉で笑う八坂に、ボクは愛想笑いを浮かべてため息をついた。
そうしているうちに口の中の甘味も消え、おかわりをと、ボクは再び八坂の包みに手を伸ばす。捻った身体にジャケットが振れ、もそもそと子リスのように菓子をついばむ九重に覆いかぶさった。
こつん、と、ポケットに埋まったそれが、九重の額で小さく鳴った。
「あいた!」
「あ、ゴメン」
言ってから、ふとそれの記述を思い出す。そういえば、幼子の骨は大人よりも随分柔らかいのだった。
さすがにこの程度では問題ないだろうが、家の書架に収まっている医学書を思い出したボクは少しばかりの心配に侵されてしまう。痛みにうめきながら額をさする九重を落ち着かぬ心地で見つめつつ、下手人であるジャケットのふくらみから、突っ込んで以来その存在すら忘れ去っていたけん玉を引っ張り出した。
「九重、大丈夫?ホントごめんね?うっかりしてた」
「うう……だいじょうぶなのじゃ……。わたし……なかないもん……」
逆側のポケットにそれを押し込みながら、負い目から必要以上に糾弾を恐れるボクは謝罪を重ねる。
が、批難の声は九重はもちろん八坂からも上がらず、呑気な彼女は、慌てたせいではみ出した赤色に視線を移し、瞬きする間に鈍痛を忘却してしまった。
「あ!けんだまじゃ!フェル!かしてかして!」
いつもの如くの突飛にたじろぎ、言われるがまま差し出した。
どういった精神構造をしているのか。興味は尽きないが、とりあえず九重が笑顔になったのだから良しとする。彼女は木槌に絡んだ糸を外すと突然先に走り出し、少し距離を稼いでから立ち止まって振り返った。
「フェルー!わたし、けんだまとくいなのじゃ!ばあやにもほめられたのじゃぞ!みててみてて!」
着物姿の幼女がそんなふうに手を振って叫び、何やらしようとけん玉の柄を握って集中している。
その姿はどうしようもなく人目を引いた。ちらほらと観光客たちの脚が止まり、みんな揃って腑抜けた微笑を九重に向ける。
警戒心を掻き立てられるボクとは裏腹、その視線にまるで気付かない九重は、赤い球を垂直に垂らして静止させるとキリッと勇ましく見つめ、「せーのっ」という掛け声と同時に、膝の屈伸で球を宙に浮かせてみせた。
彼女の握りこぶしほどもあった木の球は僅かな浮遊の後、木槌の槌部分、皿のようにへこんだ部分で受け止められた。が、直後球は不安定に揺れはじめ、九重はバランスを取るため慌てだす。衆人環視の中を右往左往。やがてその動きも緩やかに止まり、最終的にはけん玉を持つ腕をめいっぱい突き出すヘンテコな体勢で、彼女は自慢げに口角を上げた。
「どうじゃ!フェル、ははうえ、わたしすごいじゃろ?」
ちょうど歩きが追い付いたボクの腰に、九重は思いっきり抱き着いてきた。
ぐりぐり頬を擦りつけてくる彼女。一様ににやけ顔をしながら散っていく野次馬どもに威嚇の眼光を向けてやる。その端に一瞬ちらりと見えた不満顔の八坂は、次の瞬間微笑みに戻って九重の頭を撫でていた。
「さすが我が娘じゃ。一度で成功させるとは、上手になったの、九重」
「うん。すごいすごい。結構集中力あるね。ちょっとふらふらしてたけど。……ねえ、今ので天辺の針に刺したりはできないの?」
顔を上げた九重が顔を綻ばせ、次いで気まずそうに眼を逸らす。
「えっと……『とめけん』は、うぅんと……まだばあやにおしえてもらってないから、しらないのじゃ……」
なんと技の名前まであるらしい。そしてどうやら、ボクの思い描いたそれは九重には難しすぎるようだ。
得意と言った手前、小さな見栄を張らざるを得なかった彼女より、けん玉が返却される。木槌で球を叩いたりするわけじゃないんだなと、手の中でそれを弄んだボクは、その時ふと思い立ち、針に留められた球を解き放った。糸がピンと張り、弾むようにして持ち上がる。
「……おお、フェル殿も中々上手いものじゃな。歩きながらは難しかろう」
「フェル、すごいのじゃ!」
八坂と九重から感嘆の声が上がる。単に九重の真似をして球を槌に乗せただけだが、確かに立ち止まってするよりは幾分難易度は高いだろう。
とはいえボクにとっては微小な差だが。
「うん、いけそう」
呟き、腕を垂直に振った。
くるりと木槌を回し、逆の槌に乗せる。続けて柄の底、そして今度は縦に百八十度回転させ、スコン、と球はあっけなく針に収まった。
「すごい!すごいのじゃフェル!ばあやみたいじゃ!」
褒めているのだろうが、しかし残念なことにボクは負けん気を刺激され、そこからさらにけん玉を動かした。
槌の真ん中、縁、針との間。乗せられそうなところはすべて網羅し、その度九重のテンションが上がっていく。調子に乗って木槌のほうを浮かして球で受け止めたりしながら、ボクは法悦ににやりと笑った。
「ま、こんなのはちょっと練習すれば誰でもできるにゃ。重心さえ安定してればね。確か……『とめけん』だっけ?それくらいならこの時間でもできるようになるさ。ねえ九重、教えてあげようか?」
教鞭を振るう間は九重の予測不能に翻弄されることもないだろう。ついでに自尊心も補充できる。いいことずくめだ。
自分のことで精一杯な状態であったから、それはカウンター気味によく効いた。
「でも……わたし、なんかいやってもできなかったのじゃ……」
たちまち建前も忘れて意気消沈してしまう九重に、ボクの優越感は間もなく吹き飛んだ。またか。という自戒は積み重なって自己嫌悪に転じ、二人とのやり取りで上塗りした心にじっとり苦いものを滲ませる。
九重の気持ち、正常な感覚を、ボクは何度読み違えれば気が済むのだろうか。
咽喉のしこりに喉を鳴らし、頭を掻いた。
「あー……いや、大丈夫だよ。コツさえつかめばあっという間だから。……ほら、ちゃんとできるようになるまで付き合ってあげるからさ」
「……ほんとう?」
眉尻を下げ、上目遣いに小首を傾げる九重。ボクをしても心を揺さぶられるあざとさは、声色を和らげるに十分な庇護欲をそそった。
「うん。約束してあげる」
「ほんとに、ほんとう?」
「本当だって。もう……」
くどいな、という余計は呼気に変えて吐き出した。
「……わかったのじゃ。フェル、わたしにけんだまをおしえてくれ!」
「はい、かしこまりました――っと」
わだかまりの平定にほっと息をつくと、一時の平穏の上でボクは九重を抱き上げた。腕に座らせ、けん玉を握らせると、そこに手を添える。
「とにかくまずは感覚を覚えることかな。特に腕を上げる時と球を受ける時。引っ張ってあげるから、一緒に腕を動かして身体で覚えること。いい?」
「うん!」
元気よく返事をして、九重はボクの導きに従い腕を振った。一度目でスコンと針に貫かれた球に目を輝かせる彼女を、ボクは微笑ましい気持ちで見つめている。
いつも通り、胸を突いた不都合な感情には、こうやって知らないふりをするつもりでいた。
そうやって存在する穏やかな気持ちは、塗りたてのペンキのようなものだ。
九重のように、ついさっきまであった苦い思いを瞬時に忘却できるほど、ボクは能天気にはなれない。表面に決して取れない汚れがあるなら、そのうえから別の感情を塗りたくり、覆い隠す。
根本的な解決には程遠いのかもしれない。隠しても、その下には汚れが存在し続けるのだ。いつ剥げてしまうのかと怯えつつ、その度塗り重ねなければならない。
それでも時間が経って乾けばある程度の水は弾けるのだ。今日の波状攻撃でだいぶ水に薄められてしまったが、それでも元来ペンキは水に強い。一度にすべてが剥げ落ち、下の全体像を見る機会など無いに等しい。
剥き出しにならぬ限り、残ったペンキを基にしてまた隠すことができる。辻褄の合う嘘を吐くことができる。
まだ、留まれる。
成体の時も赤髪の時も、そして白音の時も、ギリギリであったが留まれた。致命的な気付きには、たどり着かずに済んでいたのだ。
一度それを目にしてしまえば、もう自分自身を誤魔化しきれない。そんな境目。
八坂の苦笑は、そこに大きな亀裂を入れた。
「ううむ……そうではないかと思っておったが、フェル殿、お主中々『母親』が上手いな」
一瞬、思考が止まった。
単語がぐるぐると、ニューロンを行き来する。やがて思考停止のまま、しかし独りでに、ボクは平淡な声を押し出した。
「……母親?何を言うかと思えば。九重の母親はキミでしょ」
「いや、そういう意味ではなくてじゃな……つまり九重の気持ちを慮ることが上手い、と言いたいんじゃ。妾ではそう易々と九重を納得させられんかったじゃろう。フェル殿は良い母親になりそうじゃな」
けん玉に熱中する九重に聞こえぬよう、声を潜める。ともすれば喧噪に掻き消されてしまいそうなほど微かな声であったが、その時のボクには、耳元で叫ばれたと感じるほど、それは聞き流しようがなく明確な音であるように思えた。
音の内容を何度か舌先でなぞるうち、ようやく思考が追い付き始めた。真っ先にしたことは、感情に頼らず頬を上げて笑うことだった。
「は、はは。なれるわけないよ母親なんて。馬鹿じゃないの?」
「む、馬鹿とはなんじゃ、馬鹿とは。これからのことなど誰にもわからんじゃろう。今はおらずとも、いずれフェル殿にも気に入る男ができるやもしれんぞ?」
「あり得ないってば。ホントにさ……そんなの、できるわけがない……」
完成度の高い作り笑いだったが、しかし長くは持たなかった。
暗い感情が這い上がる。理解を拒絶してもその進行は止まらず、自然、笑顔も消えた。今ボクの表情は、その心境と同様に醜く歪んでいるだろう。
そんな不穏に八坂も感付いたようだ。苦笑から疑問符、やがて訝しげに片眉を上げ、言った。
「……なぜ、それほど頑なに断言する?なぜ母親になど成れぬと思うのじゃ?」
胸の奥で何かがせり上がり、喉元まで登り詰めた。堰き止め、下るのを待ってから、弱々しくその切れ端を口にする。
「わからない、んだよ。母親っていうのが、何なのか……」
「それは……そうじゃろう。妾も九重が産まれてからようやくその自覚が――」
「そんなんじゃない――ッ!」
爆ぜた切れ端に、ボクは無意識で声を荒げていた。九重がびくりと跳ね、けん玉の球を受け損ねる。
瀬戸際で堰き止めていなければ胸の内から爆発していただろうが、今はそれ以降の言葉を発することができなかった。九重と八坂が向ける驚愕の視線。考えることすら辛く、ボクは歯切れ悪く逃げ出した。
「……ああ、うん。この話、やめない?九重もつまらないでしょ」
「いや、」
と、制したのは八坂だった。
「……調べさせたのじゃが、フェル殿は『流星街』の出身らしいの。ということは、やはり親はおらなんだのか……?」
亀裂にタガネでも打ち込まれたような気分だった。蜘蛛の巣状にひび割れは広がり、ぽろぽろと破片が降ってくる。
つまり、ペンキが剥がれ落ちようとしていた。自分自身にも隠されたすべてが、内と外から押され、砕けようとしている。
今まで隠し通してきたそれは、たったの一言であっけなく正体を現そうとしていた。
それは恐らく、揃ってしまったからだろう。
「フェル、フェルは、ははうえがおらぬのか?……さみしくはならぬのか……?」
九重が憐れみに満ちた眼でボクを心配そうに見つめていた。それが鋭く深く、心臓に突き刺さる。
寂しく感じたことなど、一度もなかった。
(普通は、そうなんだろうな)
脈動と共に鮮血を噴きながら、ボクは九重に微笑んだ。
「……うん。ちょっとだけ、寂しいね」
自分の乾いた声が、まるでシンナーのように容易く防壁を溶かし貫き、心の奥深くまで手を伸ばす。幾度となく被せられた水を伝って、ペンキ全体に広がってしまったのだ。
目を瞑る暇もなく、それは海馬に焼き付いた。
あの時のような絶望だった。
家族の愛など、わからない。
何も知らなかったあの時からずっと、そればっかりは変わらなかった。クロカとシロネ、八坂と九重、赤髪のそれですら、ボクを理解まで導いてはくれなかった。
今日一日の京都だけではない。アメリカでも数えきれないほど目にしている。家を一歩出れば人間はいくらでも歩いているのだから、家族らしき集団を見つけることは造作もない。
見本は、掃いて捨てるほど知っている。だから当然、大多数の家族は血の繋がりを持っていることも知っている。
その事実に照らして考えれば、ボクの家族は『女王』や『兵』たちだ。ボクを産んだのだから『女王』は『母親』で、同じく『女王』から産まれた『兵』たちは『姉妹』にあたる。
記憶にあるあの肉塊たちがボクの『家族』であることは明らかだ。見本のように血の繋がりがあるならば、そこに『愛』が発生することも、統計的には疑いようがない。
『家族』を理解できずとも、家族の『
なのに何も感じない。
ボクは肉塊と化した彼女らを思い描いても、何の感慨も感じえない。
これに疑問符を浮かべ、何故だろうと一蹴していたのが今までだ。わからないまま、知りたいとただ闇雲にもがいていた。
一歩たりとも先に進まず。
踏み出せば奈落に落ちると、深層心理は理解していたからだ。
――当て嵌めること自体がバカバカしいことだった。
例えば、最上位の愛。持ちえる『愛』の中で最も崇高かつ強い想いを、ボクはクロカに抱いている。それを以ってして、ボクはクロカを愛しているのにと、そう宣った。
今にして思えば失笑ものだ。その執着は『愛』なんかではなく、ただの『忠誠心』なのだから。
本来、最上位の愛は『王』への想い。主人に仕えようとする『義務』であり、『責任』であり、『使命』だ。ボクはずっと、それをクロカに向けていた。
どこに『愛』の文字がある。
クロカや八坂や赤髪のように、捨てられても尚相手を欲する繋がりも、守るべき者のために当人を危地に晒せる勇気も、血の繋がらない者を助けたいと思える心も、『王』への想いには含まれない。世間一般にいう『愛』は、そこにはない。
ならばそれを核とし模倣した『
『王』は
ボクは、産まれたその瞬間から、『王』に奉仕することだけを定められていた。そのため
だからボクという生物には、元来『家族』も、『愛』という概念すらも存在しない。
『王』に仕える宿命に、それらは必要がないからだ。
『キメラアント』のすべては、産まれなかった『王』のためだけに存在する。ボクも、『女王』も、『兵』も、『家族』なんかではなく『王』の道具。つまりは、それだけのことだ。
『忠誠』以外を持たず、執着という一点で己の想いを『愛』と誤解したボクは、それをクロカに押し付けるしかなかった。たとえ『愛』でなくても、クロカを欲するこの想いが、強く美しい繋がりであると思いたかった。紛い物どころか全くの別物であると、自分が『クロカの愛』を決して理解できないかけ離れた存在であると、そんなことを認めたくなかったのだ。
その覆いが、外れてしまった。深層心理の気付きは思考に届き、知らん振りができないほど大きく口を開けた。
もはやボクには、クロカと共にある資格がなくなってしまったのだ。
「――ならば、そう思うのは、ただ知らなんだから、というだけではないか……?」
「……なに?」
心の余力は残っていないはずだった。
自分がクロカに抱いていたモノは愛ですらなかった、という事実。クロカが欲し、そしてボクも欲したそれが絶対に手に入らないのだと確信したその瞬間に、事情も葛藤も何も知らないはずの八坂が口に出した言葉だ。
反応することに何の意味も無いはずだった。だが、ボクの弱った無意識は、それを都合よく解釈してしまったようなのだ。
つまりそれが、ボクの抱える事実に対する否定の言葉であるように思えたのだ。
一歩遅れて事態を把握した理性が、下らないと鼻を鳴らした。
「何の話?主語くらいはっきりしてよ。そのわけのわからない――」
「フェル殿よ」
遮った声の重さに、ボクははっとして八坂を見た。
さっきと変わらぬ微笑に、どうしてか堂々たる威厳を感じた。
「孤児であるお主の心境を完全に察することは、妾にはできておらぬのじゃろう。お主らに何があったのか、もな。じゃがな、妾の言ったことは、やはり間違っておらぬよ」
無意識的に、ボクは歩みを止めていた。後続の人間が訝しげな顔をボクたちに向け、避けていく。
しかしボクの視線は八坂に縛り付けられ、そんな周囲の様子などまるで気にしていなかった。ただじっと、唇の動きを見つめていた。
「お主は、母親に向いておる」
そこに憐れみを見つけ、途端、ボクは平静を失った。
「そんなこと、あるわけないって言ってるだろ……ッ」
声が震えた。異変を察したのか、九重の手が頬にそろりと伸びる。小さな手に撫でられるその感触すら、今は不快だった。
――惨めだ。
慰めの言葉など欲しくはない。それを持ちえないと、理解してしまった上からかけられる憐憫は、ただ苦しいだけだ。
ボクはクロカと同じにはなれないと、証拠を突き付けられているようで。
「ふむ……難儀じゃな」
「……だから、何が」
自身の苦悩と葛藤を踏みにじられたような屈辱感は、鼻にかけた物言いで、すぐさま憤激に転じた。
怒気を受けた八坂は、にも関わらず悠揚迫らぬ穏やかな声音で続ける。
「逆に聞くがの、フェル殿。違うと言うなら、どうしてお主はそこまで憤っておる?今でなくてもよいぞ?沖田殿の時、リアス嬢の時。どうして怒っておった?今一度、考えてみてはくれぬか」
「どうしてって、そんなこと――」
クロカを手放したくなかったからに決まっている。
奴らのせいで、己の歪が表に出てしまうことが怖かった。変えられない自身の
また、一人ぼっちにならないために。
避けようのない未来だとしても、その時が来るまでこの恐れを抱き続ける力はボクにはなかった。それを受け入れることがクロカのためだとわかっていても、できないのだ。
この想いは
「弱い者に傷ついてほしくなかったから。つまりは、子を守ろうとしたから、じゃろう?」
自分の想いは、彼女らのように尊いものではない。むしろそれらを穢すものだ。
『欲望』は決して『愛』ではない。変化することも、受け入れられることもない。そのことに、間違いはないはずなのに、
「……子?」
何故、どうして、ただの戯言であるはずなのに、ボクは心をかき乱されてしまうのか。
何故期待してしまうのだ。
目を逸らす。
ボクはクロカに受け入れられない。本質的に何から何まで違うのだから、どうせ傷つくだけだと、気付いたボクにはわかるはずなのに。
「でも、ク……ウタとは血が繋がってない。ボクは、『姉妹』でも、『親子』でも……ない」
「『姉妹』や『親子』であるために、血の繋がりなど不要じゃよ。そんなものは一端にすぎん。肝心なのは、その者を愛しているかどうかなのじゃからな」
「なら、なおさらありえない……!ボクに……ボクに『家族の愛』なんて……」
「……ふむ?ならば、フェル殿はウタ殿と家族になりたくはないのか?ウタ殿を愛しておらぬと、そんなわけはないじゃろう?」
当たり前だ。
そう言い切ることができれば、どれだけ気が楽になることだろう。胸中に渦巻くこの想いが『愛』ではないと知れた時点で、そんな幻想は消え去った。
ボクに『愛』と『家族』を理解する機能があれば、それを欲するクロカの笑みを見ることだって、母親と妹に裏切られ、心に穿たれた穴を、他ならぬボク自身の手で埋めることだってできたはずだ。
そして何より、裏切られても尚途切れぬほど強く、ボクもクロカに想われることができたはずだった。
そんな幸福な幻想を、追い求めないはずがないだろう。
「うむ。それだけ苦しむのなら、過ぎるほどの証じゃな。お主にも十二分に、愛はあろう」
淀みなくそう言ってみせる八坂。虚言であるはずのその言葉が、胸の奥を叩いてやまない。
「それでもお主が否定するのは、やはり知らぬからなのじゃ。家族の愛の、その伝え方を知らぬだけ」
頭の上に手が乗った。帽子を越して、温かな感触が心に染みる。
「ならば、これから知ればよい。知って、お主にとっての愛を見つければよいのじゃよ。案ずることはない。愛とは千差万別じゃが、その根っこは皆同じじゃ。……アレじゃな、ママ友として、妾も手助けしてやろう。九重にけん玉を教えてくれた礼もあるでな」
不思議な感覚だ。そんなはずはないのに、眼前の景色に初めて色彩が灯ったような、そんな感慨が浮かぶ。
いつの間にかボクは、八坂の言葉を嘘だと、本心から断じることができなくなっていた。それが願望なのか、あるいは、もしかすれば真理なのかはわからないが、少なくとも今、頬を撫で続ける九重の手は不快ではない。
自分の中の何かしらが変化し始めたことを、ボクは感じていた。
「でも……でも、ボクのこれは……」
「紛い物などではないとも。妾はお主の何十倍もの年月を生きておるのじゃぞ?先輩の言うことくらい信用せんか」
断末魔はあっさりと切り捨てられ、急変する己に動揺しながら、ボクは続く言葉を耳にする。
「種族も境遇も違おうがな、お主はウタを愛しておるよ」
嘘偽りなく言う八坂の瞳に、輝かしい慈愛を見た。
直視できない眩さに明らかな羨望を感じつつ、ここで改めて生を受けたような心地で、何故だか少し恥ずかしくなる。
これがどのような変化なのかは、まだよくわからない。ただ、八坂の提案を拒否するという考えは、いつの間にかボクの中から消えていた。
愛愛愛愛うるせーな。南の島のおサルさんかよ(抱腹絶倒ギャグ)
なるべくわかりやすく書いたつもりですが、もう少しうまくできたのではないかという思いがなくもない…
あまりにも伝わりづらいようなら書き直すこともあるかもしれません。ので感想ください。