でもハイスクールDDだし大丈夫な範囲だと思う。
ピトーに引きずられるように連れて行かれ、たどり着いたのは“猫カフェ”だった。所謂、猫と戯れられる喫茶店。ピトーにデートを唆した赤龍帝の母親が、初デートの緊張を癒すのにいいとピトーに勧めたのだという。
けれど、現実は全く癒されない。
私とピトーは、その“猫”と近すぎるのだ。人間であるなら耳と尻尾が付いた小さな異種の姿を純粋に愛玩できるのだろうけど、私たちにとってはそもそも完全な異種じゃない。だから猫カフェも、感覚的にはお昼に行ったレストラン、食事する人間たちが周囲にいる状況と大して変わらない。
加えてその猫たちも、私たちが普段来る人間の客とは違うことがわかるんだろう。私たちを警戒して遠巻きにうろうろと様子を伺うばかりで、こっちには一切寄ってこない。気まずそうな顔をした店員が玩具やおやつやらで私たちに猫をけしかけようとしはしたけど、尽く意味がなかったほどのアウェー感。
私たちは入店してからずっと、うじゃうじゃいる猫たちに檻の中の珍獣でも見るかのように見つめられながら床に座っているばかり。申し訳なさそうな顔をした店員からサービスだと出されたお茶セット、ココアパウダーか何かのくすんだ茶色の粉がかかった小さなクッキーはわきに置き、湯気の立つティーカップを口元で傾けていた。
そして何より、心の安寧が得られない最大の理由は目の前に。
「………」
「………」
向かい合って座るピトー。私の口が恐ろしく重たいせいで、ピトーのほうもずっと無言のまま。
その時間は正直、ありがたいものだった。ピトーが口にした、“黒歌を性的な対象に見ている”という趣旨の台詞によって壊滅的なまでに引っ掻き回されてしまった頭の中を、私は整え、応える決意を固めなければならないからだ。
いや、
ピトーのように、私も
今はまだ、その決意には
「…………。ねえ、ピトー」
黙りこくった末、ようやく私はどうにか声を押し出した。頼りない声量だったけど、静かな中の突然の声に周囲の猫たちが驚き、一斉に目を見張って私を凝視する。
ピトーも、口を付けていたお茶のカップから顔を上げ、私を見た。その眼にまた私の顔の温度が上がる。気恥ずかしさが私の首を曲げようとする。それらの羞恥全てに抗って、私はピトーを見つめ、
「……私、そ、その……今まで、ピトーをそういう眼で見たことがなかったの。私にとってピトーは、恋人じゃなくて……どっちかっていうと、もう一人の、お……お、お母さん、みたいに、思ってたから……」
これだけでも顔から火が噴き出そうだ。けれど一番最初、抱きしめられた時のあの感覚。それに今まで白音のことでピトーに貰った慈愛。言い表すとすればそれしかない。
だから熱は振り払いつつ、続ける。
「でもそれは別に、私がピトーに……れ、恋愛感情を持てないとかそういうんじゃなくて……いや、難しいことはそうなんだけど、それって最初の出会いがああだったからで、私がピトーに“母親”を求めてピトーが応えてくれたから、今日までそれが続いてきたからってだけで……」
一度、喉元までせり上がる羞恥を呑み込む。目を閉じ、息を吐き、脆いながらも決意して、私は告げた。
「出合い方が違ったら、“恋人”の関係になっていたってことも、きっとあると思うの……。だから、今からそうなることだってできるはず……でしょ……?」
つまり、私が何を言いたいのかといえば――
「けど、そうなるにしたって時間が掛かると思うから……ほ、ほて……ホテルのことは、今日のところは一旦忘れて、ま、また別の日にって、思うんだけど……?」
別にピトーとそういう行為をするのが嫌なわけじゃない。違和感がものすごいのだ。
――今のままでは“母親”とシてしまう、なんてことになってしまうから。
女の子同士では子供ができないとか、そもそも異種族だとか、後の問題はどうでもいい。私がピトーの想いを受け入れられないのも、あるいは最初に“デート”の意味を疑ったのも、すべてこの一点のためだ。……そんな相手との行為を想像してしまえる自分自身が恥ずかしくてたまらないからだった。
ピトーはこの問題をどう思うのだろう。いや、どうとも思わないんだろう。私がこのことを恥ずかしく思うのは“母親”を、“家族”というものを知っているからだ。生まれた時から一人ぼっちのピトーには、そういうことは想像がつかないんだろう。だから私と違って今まで心を乱したりはしなかった。
(……いや、待って)
ということは、“恋人”だって想像がつかないはずだ。知らないものを、なんで彼女は求めようと思ったんだろう。
浮かんだ疑問。ピトーは私の提案の後、ゆっくりとお茶を置き、それに答えた。
「……ボク、クロカはてっきり『嫌だ』って言うものだと思ってたにゃ。心ここにあらずっていうか、身に入ってないみたいだったから」
今まではずっと内心がわかりづらい硬い表情だったけど、ピトーはそれを、ふと和らげさせた。安心するようなふにゃっとした微笑。私の動揺もいくらか緩んで、出た声は拗ねたみたいに萎んでいた。
「……だから、恥ずかしかったのよ。いきなり恋人とか言われて、わけがわかんなくなっちゃって……」
「そう。じゃあ、やっぱりよかったにゃ。ボクだけが“恋人”をよくわかっていないんじゃなくて」
「……それよ。なんでいきなり、よくわかっていないのにこんな……デートなんか……」
今のまま、ゆっくりと慣れていけばいいじゃないか。どうせ悪魔の血を持つ身、時間はいくらでもあるのだからと、口にしたわけじゃないけれど、そう言ったのは他でもないピトーだ。
「“恋人”になって“結婚”すれば、ボクたち“家族”になれるんでしょ?」
ただそれでも、見つけてしまった近道には手を伸ばさずにいられなかった、ということなんだろうか。
「ボクとクロカとの間には、シロネみたいな血の繋がりはないけど……“夫婦”なら、それが無くても“家族”。赤龍帝の両親は、そうやって繋がってた」
それは確かに道の一つ。家族の形の一つ。
けど、ピトーが言うのはいわば外面、形
だから私にとって、既にピトーは家族なのだ。けれどピトーにとってはそうではない。なにせ“家族”というものが理屈ではないことを、彼女は理解できないから。
キメラアントの血が、私を
だから彼女はその本能を否定するために理屈を求め、そして私はもう、彼女の本能に寄り添うことはできない。私は元猫又の悪魔で、白音の姉だと、心に決めてしまった。
それに関して、私からピトーに言えることは何もない。故に、仲良さげに寄りそう二匹の猫を眺めて呟く彼女を、私は静かに見つめていた。
「だから試してみたけど……でも、やっぱりよくわからないにゃあ」
ピトーが大きく息を吐く。
「“恋人”になって、“結婚”して“夫婦”になったとして、それで何が変わるんだろう? ボクたちじゃ
「こど、ん゛っ……ま、まあ、そうね。結婚なんて、役所に書類を出せばそれだけで終わっちゃうくらいのものだし……」
止めていた言葉と羞恥心がつい飛び出してしまったけど、頷く。形だけのそれらに意味はない。
「“恋心”っていうのも結局ピンと来なかったんだよね。あの人は胸が焼けつくみたいに苦しくなってドキドキするって言ってたけど……クロカならわかる?」
「わ、私もよくわかんないわ……。恋、とか……し、したことないから……」
今まさに似た症状が出ているけど、これはあくまで恥ずかしいからだ。すっかりほてりが戻ってしまった顔をぶんぶん振って払い除ける。
勝手に背いてそっぽを向く私の視界、その端では、ピトーも同様に猫を見つめたまま。思い悩んでいる表情で、ため息を吐くように鼻が鳴った。
「……なら、赤龍帝とかに聞くべきなのかにゃあ。アイツ、よくメス相手に欲情してるし。それに確か、同棲してる金髪が花嫁修業だとかなんとか……あ、でも、この間、黒髪のほうと“デート”してたんだって聞いたような……。“恋人”と“夫婦”が、両方いるってこと……?」
「あ……あれは、あんまり参考にしない方がいいと思うわ」
あれが言うのは“ハーレム”だ。他の形ならともかく、女を侍らすような家族はさすがにごめん被りたい。首をかしげるピトーに、おかげで私は乗じて熱を吐き出すことができた。
幾らか頭に理性が戻る。冷えて凪いだ思考。故に表に出てきた、そのささくれ。
(『ピンとこない』、か……)
少しだけ寂しさが滲み出て、ピトーから外れた私の眼は、半ばひとりでに呟いていた。
「……私とのデート、ピトーは楽しかった?」
「うん?」
なんでそんなことを聞くのかと、不思議がるような声だった。私は一度目を閉ざし、それから改めてピトーを見やる。キョトンとしたその顔が、私の様子を眼にして少し考えるそぶりを見せた。
「……いつもとあんまり変わらなかったかにゃ。“デート”だっていう、そういう特別な感じはしなかった。……だからもちろん、楽しかったよ。いつも通り、クロカがいたから」
「そう……」
安堵と、そしてむず痒さ。『私がいたから楽しかった』なんて、もはや告白の言葉のようだけど、もちろんピトーにそんなつもりはない。そんな親愛が、私たちの日常であるからだ。
「なら、それでいいんじゃない? わかんない“恋人”なんて関係より、楽しい“いつも通り”で」
結ばれなくたって、私たちはもう結ばれているんだから。そのことがピトーに理解できるようになるまで、そのままでいいじゃないか。そう言う。
私は身を乗り出し、ピトーに身体を寄せた。腕が触れ合う。そこに生じる温もりからは、もはやピトーも私も抜け出せない。抜け出す気は欠片もない。
せめてそのことでも伝わればいいなと、私の口は微笑んだ。
「……これから先、何が起こったって、私はピトーの傍を離れたりしないから」
ピトーはそれに、私と同じ微笑を浮かべた。
「……そうだね」
お互いに、それで緊張が解けたようだった。ピトーの場合は理解できないことによる焦りが、私の場合は理解してもらえないことへのもどかしさが、少なくとも、今は。
にゃあ、と近くで鳴き声がした。見やれば大柄な猫が一匹、恐る恐るといったふうではあるけどこっちへ近づいてきている。
図体と同じように、特別その猫の胆が太いというわけではないだろう。気付けば周囲の猫たちも、随分私たちへの警戒が薄れてきているようだった。その原因、そもそも彼らが私たちに強い警戒心を抱いた理由は、もしかしたら私たちの正体を見破ったからではなく、私たちの間のその緊張を見透かしていたからなのかもしれない。
しかし事実がどうであれ、もはやどうでもいいことだ。私は、その猫がどうやら床に置きっぱなしのお茶菓子を狙っているらしいことに気付いて、慌ててそれを取り上げた。
「ああちょっと、駄目よあなたには――?」
取り上げて、てっきり恨みがましくまた鳴かれるのだと思っていたけど、猫はなぜだかお菓子が置いてあった床の上で寝転がり、ぐりぐりと身体を擦り付け始めた。こころなしうっとりしているようにも見える。
(……おねだり?)
しかしそんなにされても駄目なものは駄目。クッキーはともかくとして、上にかかってるココアパウダーなんて猫にとっては猛毒だ。
故に、そんな毒物はさっさと処分してしまおうと、私はクッキーを一掴みにして、自身の口に放り込もうとした。
――仮にも猫とのふれあいを主とする猫カフェがそんな毒物を出すわけがないと、そう気付いたのは、ずいぶん後になってからのことだった。
「……ああ、でもさ」
不意に、ピトーがこう言った。
「まだ“
「――んごふぁッッ!!?」
盛大にむせた。口に放り込んだクッキーたちが跳ね返されるみたいに口から飛び出た。粉も噴き出しぼふっと広がるけれど、大部分は喉にへばりつき、私をさらに咳き込ませる。
台詞の衝撃と喉の衝撃とでパニックで、故に感じる味が全くココアでなかったことには気付くことなく、私は急いでそれをお茶で洗い流して飲み干した。
「はっ、は……な、ななな、なにをいきなり、え、えええエッチって……! それ、どういう意味なのか本当にわかってる!?」
「わかってるよ。交尾のことでしょ? だからボクたちでするなら交尾
「そっそれは! この親にしてこの子ありってやつだからっ! そういうことは恋人同士になってからするものだからっ!!」
なぜか興奮した様子で群がる猫たちをかき分けながら、私の吐き出したクッキーを拾い集めるピトーに必死に首を振る。粉もかかってしまったんだろう。煙たそうに眉を寄せる彼女は、立ち上がり、空いた皿にクッキーを戻すと、私の必死に首をかしげる。
「そう? でも赤龍帝なんかはことあるごとに欲情して、誰これ構わず子作りしようと――」
「いいから! お願いだから、あれを参考にしちゃだめだから! ほらもう夕方だし、そろそろ帰りましょ!」
話題を断ち切るべく、私は瞬時にそう決めた。せっかく落ち着いたのに、また妙な方向に話が向かってしまうのはごめんだ。火が出たように熱い顔を振って立ち上がる。叩きつけた万札にたじろぐ店員を「おつりは迷惑料!」と言って振り切ると、ピトーの手を引き店を出た。
空は私の体内時計の通り、夕日で赤く染まっていた。道を行くのは仕事終わりらしい人々。いつもの町の風景。
だけど、妙に熱い。羞恥心で血行が良くなっているのだとしてもな気温。地球温暖化ってやつなのかと、いつの間にか浅く呼吸を繰り返しながら、私は道に出た。
その一歩目にまた違和感。地面が傾いているように感じた。足元に見えるはずのアスファルトがどんどん歪んでせり上がって、私の身体から平衡感覚が消えると同時、意識までもが歪んで解けた。
「う……あ……?」
目を開けると、見覚えのない天井が広がっていた。冥界の空みたいに妖しい色でぼんやり輝く、安っぽいシャンデリアが垂れ下がっている。私はどうやらそんな一室で、ベッドの上に寝かされているみたいだと気が付いた。
柔らかすぎて手が埋まるマットレスに手を突いて身体を起こす。掛け布団が身体の上を滑り落ち、胸元にひんやりとした空気が吹き込み、ぶるりと震えた。どうやらシャツのボタンがいくつか外されはだけていたらしい。なんで、と思うもしかし、思考はすぐに溶けるように消えた。
頭の中が、何やらふわふわと霞がかっている。自分が知らない部屋のベッドに寝ていた理由もわからない。直前の記憶が思い出せず、その疑問すら、やがて思考の底に沈んでしまう。
ただ、熱い身体が妙に息苦しく感じた。周囲を見回す。点いていないテレビと小さな冷蔵庫、見かけだけは高級品っぽいソファとテーブル。見知ったものは、やっぱり何もない。
ピトーの姿も、部屋の中には見えなかった。
気付いて、途端に心細くなった。布団を押しのけ、巨大なベッドの上を四つん這いで降りる。絨毯を足で踏んで、その時、音に気が付いた。
水音。シャワーの音だ。導かれ、私の脚はふらふらとその方向へ歩いていく。バスルームらしい扉までたどり着く頃、水音が止んで今度は代わりに柔らかな衣擦れの音が聞こえていた。
そして、感じ取るいつもの気配。焦燥が意識に滲んで、私は築けば声も掛けずに扉を開け放ち、その奥で裸で髪をふいているピトーの胸に勢いよく抱き着いていた。
「んにゃっ!? クロカ……?」
驚いた声が頭に降ってくる。そしてしっとり濡れた硬い肌に感じる、ボディソープの香りに混じったピトーのにおい。
本物だ。ここにいる。そのことに、少しだけ焦燥が解け始めた。
鼻で深く深呼吸してその存在を堪能し、硬いながらも柔らかい双丘に顔を押し付け、私はより強く、放すまいとピトーの身を抱きしめる。するとピトーの声色が、少し心配の色を増して私に零された。
「よかった、目が覚めたんだ。キミが食べたお菓子、猫用のおやつでマタタビがかかってたって店員が言ってたんだけど……んー……やっぱり、大丈夫じゃなさそうだにゃぁ、まだ……」
「ん……」
ピトーが何か言っているけれど、頭には入ってこない。ただひたすらにくっつく私を、ピトーは半分呆れたふうに笑って抱き上げた。
お姫様抱っこみたいな恰好。ベッドまで運ばれて、そっと下ろされた。彼女を抱きしめる私の腕も緩み、寝かされた私はピトーを見つめる。
彼女は濡れ髪を垂らしながら、私の顔を覗き込んで穏やかに微笑んだ。
「酔っぱらってるみたいな状態だから、寝ていれば治るよ。大丈夫」
「あ……」
伸びた手が私のおでこを撫でる。優しい、揺り籠の中にいるみたいな安心感が私を襲った。
そしてそれは、すぐに私から離れようとしていた。身支度のためだ。全裸のピトーは私から慈愛の眼差しを外し、バスルームに向けている。
置いて行かれてしまう。そんな恐れが噴き出して、私は思わず遠ざかりつつあったピトーの手を捕まえて、力加減も忘れて引き寄せてしまっていた。
「んにゃあっ!?」
再びピトーが悲鳴を上げる。そして再び私の顔はピトーの双丘に押し付けられた。
ピトーは慌てて起き上がろうとする。それを私はやっぱり抱き着いて留めた。
「ちょ、ちょっと、クロ――」
「ヤダ」
彼女の胸の中で言葉も断ち切る。このままがいい、何も変えたくない、この安らぎは。頭の中はそんな思いでいっぱいだった。
尚も私から離れようとするピトーを抱きしめたまま、私はベッドの上でくるりと転がり、上下を入れ替え馬乗りになった。彼女の尻尾に私の尻尾が絡みつく。腕を離して押し倒した彼女を見下ろして、胸の苦しみを押し出した。
「行かないでよ……」
私をまっすぐ見つめるピトーは、丸い目をぱちぱち瞬きさせた。何を言っているんだ、とでも言うような顔。見ていられなくて、私はまたピトーに抱き着き、彼女の胸に頬を押し付けた。
「……エッチも、していいから……。私の傍から、いなくならないで……」
また捨てられないためなら、それくらいどうってことなかった。ピトーが何かを言う前に、その胸の頂を口に含む。彼女の身体がビクンと跳ねて、鼻が鳴るみたいな小さな喘ぎ声が漏れ出した。
吸いつき、唇で食むたびにピトーは反応したけど、彼女はすぐにそれを抑え込んだ。手が、私の頭を優しく撫でた。
暖かい。髪の毛を梳くようにされる度、不安が溶けて消えていくようだった。
「……いなくならないよ。ボクにだって、クロカが必要だからにゃ」
静かに、その言葉が耳朶に流れる。それは穏やかな安堵になって私の心を揺蕩わせ、いい子いい子と私を寝かしつける手のリズムが、ゆっくりと目を閉ざさせる。
ピトーに与えられる睡魔は抗い難く、抗おうという気すら起こさせず、私はピトーのにおいと温もりに包まれながら、腕の中でいつしか眠りに落ちていた。
「ふぁ……」
というクロカのあくびと一緒に胸の上の重さが消えて、ボクの意識も目覚めを迎えた。
閉じる瞼を微睡みから引きずり出し、ボクは薄く目を開ける。カーテンの隙間から差し込み、部屋を薄ぼんやりと照らす朝日。小鳥の鳴き声がガラス越しにかすかに聞こえるそんな中、クロカはボクの隣で身を起こし、寝ぼけ眼を擦っていた。
また一つあくびをする。ぼんやりした様子で周囲を見回す彼女に、ボクはいつも通りの習慣で気怠く囁いた。
「……おはよ」
「ぁふ……おはよぉ……」
朝に弱いボクたちの、普段の光景。ただ、場所は本拠地とするマンションでも、駒王町での拠点でもない。どこにでもある、所謂ラブホテルの一室だ。
クロカもそれに気付いたらしく、気分悪そうに額を押さえながら、目を細めた。
「……ここ、どこ……?」
「ホテル」
答える。
「猫カフェでクロカが食べたお菓子、猫用のおやつだったんだよ。かかってたマタタビを一気に摂取したから……急性アルコール中毒みたいになったのかにゃ? 倒れちゃったから、運んできたんだよ。……覚えてる?」
「マタタビ……うぅん……あんまり……猫カフェ、行ったんだっけ……いや、行ったような……って、ホテル……?」
半ば記憶が飛んでしまっているらしいクロカ。彼女はしばらく頭をふらふら揺らして思い出そうと苦心していた様子だったが、やがてふと、思い出せずともそれに気付く。
周囲を再び見回して、眠気のはじけ飛んだ眼が冴える。隣で布団をかぶったままのボクに、彼女は恐る恐るに顔を近づけか細く尋ねた。
「わ、私何も覚えてないんだけど……私、変なことしてないわよね……? いやその……ラブホテル、でしょ……?」
やはり、どうやらマタタビにやられてからのことは完全に忘れ去ってしまっているらしい。その前の事象すらあやふやなのだから、当然のことか。
あのクロカをを覚えているのは、ボクだけ。
「何もなかったよ」
だからボクは枕の上でゆるゆる首を横に振った。
恐らく、教えれば彼女は羞恥からそれを謝り、否定するだろう。ボクとてあの告白が酔っぱらいの戯言同然に効力を持たないことはわかっているが、しかし、ならばもったいないじゃないか。
心の内に秘めることにして、素知らぬ顔で続けて説明する。
「酔って倒れたって言ったじゃにゃい。今までぐっすりだったよ。……で、大丈夫? 意識ははっきりしてる?」
「う……ん、ちょっと頭痛い……」
「じゃあシャワーでも浴びてきなよ。まだ身体にマタタビがくっついてるのかも」
「……そうするわ」
呟くように言って、頭を押さえるクロカはベッドを出てバスルームへと向かった。閉じられる扉を眺めながら、ボクは小さく息を吐く。
彼女があの時を覚えていないなら、それでいい。少し青くなった彼女の顔にため息が漏れても、それでいいのだ。
(だって……わざわざ教えるのは、僕もちょっと恥ずかしいし……)
クロカの舌使いの感覚と甘い熱が残る胸の突起と、その奥でむず痒く拍動する心臓。
やっぱりマタタビが残っていたのか、ボクは熱を持つ顔を手で扇ぎ、それでも冷却されない温かさを抱えたまま、布団を押しのけ隠していた裸身を晒し、脱ぎ捨てっぱなしの服を取りに向かった。
以上、ピトーと黒歌の恋愛的イチャイチャでした。
ただあくまで番外編なので、本編とはアレな感じです。よろしくお願いします。
そして感想ください。