主なきノラネコたちの家   作:もちごめさん

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何か書いて前書き埋めきゃ、と思う無意味な強迫観念。
マウス買い換えました。


十四話

「マジかよぉ」

 

 という、思わず零れたといったふうな釣り人男の呟きと同時、踏みしめる地面が大爆発した。

 

 地中から、まるで噴火でもしたかのような激しい衝撃が辺り一面を揺らし、吹き飛ばしたのだ。慣れ親しんだ『気』によって、十字路を呑み込んであまりある範囲のコンクリートが持ち上がり、爆ぜ、撒き散らされる。足元から噴出する威力と土砂に否応なく巻き込まれ、私たちの身体も一緒に宙を舞った。

 

 コンクリートの破片と建物の瓦礫、そして先行した土砂が上昇の頂点から折り返し、私たちを中心に花冠のように広がっていく。

 

 周囲を丸く覆い、伸びていく円柱の下。降り注ぐ土砂に埋もれていく小魚の群れを意識の端で認めると、次に私は向けられている殺気の存在を察知した。ちょうどよく空いた『意識の端』を割り当てて見てやれば、その正体は、私たちと同様に打ち上げられた釣り人の男。

 

 奴はこの事態でさえ、僅かたりとも竦んではいなかった。その不動の精神力と集中力を以てして、むしろ本気度の増した敵愾心を私に叩きつけている。小魚と挟み撃ちする策も崩れ、さらにはあの『気』を感じたにもかかわらず、爆発の勢いをも利用して私に迫ってくる奴の姿が暗闇の中にあった。

 一方私はその敵意に構えもしない。このまま殴られたら死んじゃうなぁ、と、他人事の気分でぼんやり思うのみだ。

 

 何故かといえばそれはもちろん、意識の大半を視線の先、真下の彼女に向けていたためであり、その姿を眼にしたが故の安堵と歓喜を心の底から噛みしめていたからに違いない。

 

 つまりは、大地の爆発そのもの。地表が剥がれ、黄土色が露出した歪なクレーターの中心に、ぽっかりと口を開ける深い縦穴。

 

 周囲を覆う大量の土砂の、その噴出口より舞い戻ったピトーの無事を、己が眼で見たためであったのだ。

 

 そんなピトーの双眸が私を捉え、次いで男に向いた。

 

 ピトーの殺意が、男を貫いた。

 

「ちィッ!!」

 

 途端、男の敵愾心に明らかな憤懣が表れる。身を捻って背後を向くのと、跳んだピトーがその少し上に到達したのはほぼ同時だった。目を凝らさずとも目視できるほどおどろおどろしい気配と密度の『気』が、次の瞬間、奴に振り下ろされた。

 

 パキン、と乾いた音がして、めきゃ、と湿気た音が鼓膜を触る。男の背の陰から外れ、飛び散った黒の破片に、付着した赤色が見えた。ピトーの拳が、奴の釣竿とその下の腕を粉砕したのだ。

 

 炸裂した、上から叩きつけるような一撃。ピトーの膂力と『気』によって生み出された威力はすさまじく、振り抜かれるとそこまでのあらゆる慣性が突き破られ、男の身体は滝に呑まれた木の葉の如く真っ逆さまに墜落して、あっというまに縦穴の暗闇に消えた。一拍の後に、耳の奥で残響する噴火の爆音に紛れて、鉄がこすれ合うような不快音が響く。

 

 突然の、噴火のような爆発。もといピトーの『気』が地中から地表までをぶち抜いた結果の一連は、それによる上昇感が消える前に決着した。

 

 男の末路にざまあみろと、平時であれば嗤っていただろうが、今は到底憂さ晴らしの余裕がない。腑抜けた充足感と安心感で頭の大半を満杯にする私は、その対象であるピトーの赤褐色の瞳を見つめ、中にある私と同色の思いに感じ入っていた。

 

 安堵と歓喜と、それから心配。

 

 目にしてしまえば、その他一切など意識に入るわけもない。

 

「ウタッ!!」

 

 殺気を霧散させたピトーの両腕が私の肩に取り付き、次いで頬を包んだ。

 

 間近で見る彼女の顔は汗と土で汚れていた。恐る恐るに私の挫傷を撫ぜ、まるで自分のことのように苦しげな顔をする。その様子に、私はたまらなくなって、彼女の胸元に顔をうずめた。

 

「……ごめんね、クロカ。遅くなっちゃった」

 

 ううん、私が助けられなかったからよ。という懺悔は、喉が詰まって口を出なかった。代わりに背へ回した左腕の力を強め、きつく、きつく抱き着く。ジャケットに付いた土の青臭さの奥に、彼女の匂いを感じる。

 

 じわじわと心地よい安らぎが、眦に滲む涙から情動を抜いていった。はあ、と服の中でため息を吐くと、ザクザクに弄られた心が平穏に落ち着いていく。上昇感がゆっくり反転し、下降感が内臓を持ち上げる気持ちの悪い感覚も、まるで気にならなかった。

 

 けれどその絶対的安心感は、主観にして数秒後、ピトー自身によって引きはがされた。

 

 彼女は落下ではためく帽子を押さえながら、私ではない方を見ている。唇をとがらせる不満。緊張感を忘れて解けた私は、その視線の先と意図を理解しつつも中々その気になれなかった。彼女の少々焦り気味の目配せで、ようやくしぶしぶながらも空気抵抗に抗い、体勢を取る。そして彼女の身体を突き飛ばした。

 

 八つ当たりの冗談で、外れればいいのに、と念じたが、叶うことなく狙い通り、宙を歩いたピトーは庇護対象四人をその両手に捕らえた。

 白音に曹操に、パニックでじたばた暴れるリアス・グレモリー。九重はちゃっかり首元にしがみついている。

 

 恐らくたぶん耳の力で帽子が飛んでいくことを防いでいるのであろうその器用さへの関心を幼女への嫉妬で埋めながら、悪魔と違って飛行手段を持たない私たちは瓦礫共々、引力に従って縦穴に落ちていった。

 

 落下は数秒続いた。距離にして三十メートルほどか。減速も効かないフリーフォール。

 

 叩き落とされた男よりは随分マシだろうが、着地の瞬間、それなりの重力が全身を襲う。四人も抱えて私の三倍近い衝撃を身に受けているはずのピトーは、なんでもなさそうに底に降り立っていた。

 

 続いて降ってくる瓦礫のあれこれを避けながら、私は周囲を見回した。

 

 どうやら、地下鉄の線路上にいるらしい。ピトーのぶち抜きで配電経路も壊れたのか辺りは真っ暗だが、視線を下げれば瓦礫を逃れたレールがいくらか見えていた。建ち並ぶ柱で分かたれた逆車線も合わせて、半円チューブの空間はそれなりに広い。近くに大きな駅でもあるのだろう。

 

 地上まで抜けた天井のおかげで、辛うじて人間の夜目が利く程度の明度は残されていた。故に私は堂々とピトーの傍まで歩み寄り、その首筋にべったりとしがみつく九重を、無情に引っぺがしてやった。

 

「フェルッ!フェルぅ……ッ!うう、ウタ、フェルがぁ……」

 

 号泣して顔をぐしゃぐしゃにするという、私にはキャラと年齢的に許されない狂喜っぷりを表する彼女。耳にしたピトーは「ああ……」と呟き、白音と曹操を地面に横たえ、リアス・グレモリーはポイっと捨てると、私の腕から九重を抱き上げた。

 

「危うく忘れちゃうところだった。ねえ九重、八坂からの伝言があるんだけど――」

 

「は、ははうえの!?フェ、フェル、ははうえは、ぶじなのか!?」

 

 途端に涙を止め、しゃくりあげながらも必死に言葉を押し出す九重に、ピトーはほんのり優しげな調子で答える。

 

「うん。今頃は、どこかは知らないけど安全な所にいるはずだよ。あの『念魚』……ボクを食べたでっかい魚ね、あれ殺して脱出したら、ちょうど同じのに八坂が絡まれてて……助けたんだけどだいぶやられちゃってたから、無理矢理一人で逃げさせたんだよ。せめて九重を、って言ってたけど、どう考えても連れての転移は無理だったからさ。んで、伝言だけど――」

 

 しゃがみ、曹操の傍に下ろす。

 

「座標のマーキングしてだって。気脈を使えって言ってたけど、できる?」

 

 それはちょっと、幼子には難しいのではなかろうか。無茶ぶりに思えたのは九重も同じだったらしく、瓦礫に腰かけさせられる彼女は、何を言っているのか理解できないというふうにぽかんと口を開けて呆けた。

 

 だがすぐに引き結び、ごしごしと両目の水滴を拭った。彼女なりに母親の信頼を感じ取ったのか、正念場の決心で何とか涙を堪え、頷いてみせる。

 

 それを見届けると、私もピトーも身体ごと後ろを向いた。

 

 ようやく瓦礫と土砂の落下も治まり、騒々しさが残響に消えた土煙の中。奴は世間話でもするかのような悠揚迫らぬ調子で、その変わりのない濁声をトンネルの中に響かせた。

 

「チビに頼らざるを得ない程度には、かぁ。妖怪退治も案外やれるもんなんだなぁ」

 

「なんだ、生きてたの。やっぱり空中じゃあ中々威力出ないにゃあ。身体も乗らないし」

 

「……よく言うぜぇ。こんなにしやがったくせによぉ」

 

 もやを払い、現れた男。その右腕は、上腕の真ん中から歪に腫れ上がり、へし折れていた。

 

 平たく潰れた骨が内に突き抜け、絶え間なく血を垂れ流している。見せびらかしているつもりなのかふらふら振り、拍子に赤黒い塊がべしゃりと落ちた。

 骨と一緒に肉もすり潰されたのか。とすればもはや使い物にならないだろう。ピトーの一撃から命を守った代償に、それは気色の悪い肉の塊と化していた。

 

 それほどの惨状でも、やはり奴は悠然を失っていない。地面に転がる黒い破片を拾い上げ、吐かれたため息が漂う砂塵をかき混ぜた。

 

「いい竿だったんにぃ……ったくぅ……ちゅーかよぉ、エロいほうのねーちゃん、【箱車誘魚(ハイエースフィッシュ)】ちゃん殺したってマジなんかぁ?一編飲み込まれたらぁ、もう力業でどーにかなる問題じゃねぇしぃ……それにぃ、たぶん十分も経ってねぇだろぉ?……もしか団長が言ってた魔法ってぇ、眼鏡のねーちゃんじゃなくてエロいねーちゃんの仕業だったんかぁ?」

 

「答えてあげてもいいけどさぁ、代わりにオマエらの仲間の女、どこにいるのか教えてくれる?」

 

「……じゃあいらねぇ。タネ明かしは結構さぁ。……地下から一発でこんな穴開けるようなバケモンにぃ、理屈教わってもしょーがねーかんなぁ」

 

 ぽっかり空いた大穴を仰ぐと、男は破片を投げ捨てる。怒気の滲んだピトーの素面に二度目のため息を吐いてから、背後の瓦礫の山に呼び掛けた。

 

「まぁ、ここいらが潮時だなぁ。……生きてっかぁ、団長」

 

「……ああ」

 

 暗い声色と一緒に、コンクリートの一枚岩が持ち上がった。どかされ、その下から現れたのはもちろん、声の主たる憎き毒ナイフの青年。『本』も毒ナイフも手にしていなかったが、それでも相当の警戒を抱きつつ、満身創痍に起き上がるその出で立ちを目にする。

 

 シルバに随分やられたのだろう。その身体には土汚れの他にも打撲痕や出血痕などが見て取れる。ボロボロだ。

 範囲的には穴の外で戦っていたはずだが、そのせいで崩落に巻き込まれたらしい。自分の功績と全く関係がないが、無様に少し溜飲が下がった。

 

 口元に嘲笑を露にしてやっているうち、難を逃れたらしい当のシルバが上空より降ってきた。私たちより少し近くで山積みの瓦礫を踏み砕いた彼に、敵二人は注意を向ける。

 

 青年は静かな敵意に眉を寄せ、男のほうは変わらず片頬を上げながら、私たちを一巡に見やる。それを受けてピトーは得意の体勢にて低く構え、害意の『気』を全身に燃やした。

 

「ボクさ、今結構虫の居所が悪いんだよね。お預けされるし、それも悪魔が原因だし」

 

 臨戦態勢の殺気に、私すらも背が跳ねる。爆発する禍々しい『気』。リアス・グレモリーの短い悲鳴に続き、暴虐の気配が背筋をゾクゾクと駆けのぼる。

 

「ウタの腕も頬も、オマエたちの仕業でしょ?……ちょっとやりすぎても、文句は言わないよね?」

 

 引き絞られた弓のように、ピトーの気配が張り詰めた。瞬間我に返り、構える。

 

 どうせ連携などしないだろうが、シルバも加えれば三対二だ。しかも私は今度こそ適正の立ち位置。片腕が使えないのはイーブンとしても、片方は既にかなりのダメージを負っており、もう片方は能力の要を失った状態。圧倒的な優位だ。

 

 戦えば、『ウタ』と『フェル』でも負けることはそうそうありえないだろう。あの時咄嗟に使った魔力パンチさえ誤魔化しきれば、何も変わらず、平穏のままですべてが丸く収まるのだ。

 

 意識に蘇った戦意に伴い、遅れて訪れた実感が、口元の嘲笑を純粋な喜びの形に変える。しかしされども油断せず、と、抜けた気を今更のように引き締めた、そのやたらに遅い対敵の決心に気付いたわけではないだろうが、男はピトーの邪気と緊張の空気感をものともせず、ニヤニヤと厭らしい笑みのまま、これ見よがしに苦笑で喉を鳴らしていた。

 

「文句なら是非とも言いたいねぇ。ねーちゃんと殺りあうとかぁ、おっかなくてたまんねぇしぃ……いやぁ、ほんとになぁ」

 

 言いながら、男は潰れたほうの右肩に手を掛けた。やはり痛むのか、揉み解すような手つき。特別おかしな動作ではない。

 

 だが、男がそれをした途端、青年のほうに動揺が走った。

 

「サンペー……」

 

 尊大の薄れた低い声色が、肩を揉む男の腕を掴んだ。

 

 思わず出てしまった手と言葉だったのだろう。青年は直後に口を噤み、顔をしかめる。中身はたぶん、一色の後悔だ。纏う『気』は、今までの達人然とした静けさからかけ離れて不安定に乱れ、その普通でない精神状態を露にしている。

 

 私だけでなくピトーとシルバも感じ取ったほど、はっきりとした変化。しかしそれはすぐに立ち直った。

 

「生かすべきは個人ではなく、旅団(クモ)

 

 男の言葉。青年の眉間に寄る皺がさらに深まり、ただでさえ光の乏しい暗がりで、表情に陰がかかる。

 

「……しゃきっとしてくれよぉ、団長。おめぇが定めたこのルール、おいらはそいつが気に入ったからぁ、今ここにいるんだぜぇ?」

 

「……わかっている」

 

 俯いたまま、青年はしばらくの間立ち尽くしていたが、やがて何かを断ち切るかのように、ふっと掴んだ腕を離した。閉じられたその口が薄く開き、呟かれた小さな声を、私たちの聴覚が辛うじて捉える。

 

「――すまなかった」

 

 男は口角を大笑の域にまで引き上げた。

 

「後は頼んだぜぇ……クロロ」

 

 それが号令代わりであったのか、表情に反して静かな声が通った瞬間、青年は突然、踵を返して走り出した。

 

 逃走。頭に置いてはいたが、寝起き同然で締まりきっていない思考回路ではその突発に追いつけず、反応が一歩遅れる。鋭い害意を保ち続けたピトーとシルバが、青年の行動とほぼ同時に足元の瓦礫を爆散させる姿を、私は放散させた視界で目にしていた。

 

 逃がすと思ってるのか、と言わんばかりに、怒りで『気』を昂らせるピトー。位置関係的にその前に出るシルバも、気配からは読み取れないが、暗殺者として静かに殺意を燃やしているだろう。

 

 そんな二人が、数瞬駆けてすぐに、たたらを踏んで足を止めた。

 

 そのころになって気を取り戻した私は、仙術を通してそれを見た。笑う男の、その溢れ出る圧。言うなれば『覚悟』が、二人の警戒心を叩き、追跡の選択を打ち砕いた。

 

 それは、ごきゃ、と、骨が外れる音と共に、

 

「そーいや、まだ名乗っちゃいなかったかぁ」

 

 按摩の指が、肩の付け根に沈んだ。

 

 白のシャツが鮮血に染まる。歯を剥き出しに笑いながら、男の左腕で『気』と力こぶが盛り上がり、右腕が伸びていく。いや、引きちぎられていく。

 

 誰も何も言えぬ中、皮膚と僅かな脂肪、筋線維に血管が順に千切れて分かれ、とうとう落ちる。男は肩から血と、伸びた繊維を垂らしながら、捥ぎ取った己の腕のその肘前を、ジャグリングの要領で投げ、掴み直した。

 

 笑顔に血と脂汗を混ぜて作られたその狂気に、私たちは竦み、動くことができなかった。

 

 そんな三人の中で、最初にフリーズから解放されたのは私だった。邪気への慣れ、それもあるが、その悪念に塗れた『気』が左腕を流れて捥がれた右腕に集い、腕だったもの(・・・・・・)に変えようとしている気配に、気付いたことが大きかった。

 

 ギラギラ光る眼で、男は『気』に輝く手の中の腕を振りかぶる。その筆舌に尽くしがたい迫力が、私の意識を絡め取る。

 

「冥土の土産に教えといてやるよぉ。フェルウタシルバ、耳の穴かっぽじってよぉーく聞きやがれぇ」

 

 赤く塗れた袖がすっぽり抜け、その下の素肌に、血濡れを逃れた黒い模様が見えた。

 

 蜘蛛の入れ墨だ。

 

 脳内で、聞き覚えのある事件と合致する。クルタ族なる少数民族を襲った盗賊団。そいつらの象徴。その名前。

 

 出る前に、男の迫力ある間延び声が轟いた。

 

「おいらはサンペー=キリツチ!『幻影旅団(げんえいりょだん)』が八番の色男さぁ!そんなおいらの最後の大勝負!しかとその目に焼き付けてぇ、仲良く『念魚』ちゃんのエサになっちまいなぁ!!」

 

「――フェル下がってッ!!」

 

 私の悪寒戦慄に間もなく、男の『気』が形を成す。捻じれて潰れ、変化した右腕だったもの。

 

 男は掲げたそれを、この上ない悪意を、地面に叩きつけた。

 

終末違漁(ビリ)

 

 短い筒のような『元腕』が爆ぜた、瞬間、既知も未知もあらゆる『念魚』が大量に、波打つ地面から溢れかえって飛び出した。

 

「「「――ッッッ!!!」」」

 

 一匹でも十分に厄介なのに、あまりにも多い。トンネルの半円を埋め尽くさんばかりの大波に、私を含めた全員が息を凍らせた。

 

 能力の発動地点に最も近かったシルバが、反転する間もなく魚群に呑み込まれた。私の悲鳴で一瞬早く動いたピトーでようやくギリギリで回避できたくらいの、圧倒的な勢いと物量の能力。

 

 しかもそれは、躱せば終わりの単なる攻撃ではない。ただの始まりの一端だ。

 

 シルバを捕らえる波から外れたでかいウツボが一匹、後ろに跳んだピトーを追って大口を開けていた。

 

 他にもいくらか『念魚』が弾き出されていたが、数多と転がる形貌(けいぼう)よりも、ピトーを喰らおうとしている鋭い歯に意識が向く。冷水のように走る恐れに慄く最中、後ろ跳びした不安定な体勢に追いつかれ、咬みつこうとしたその上下の顎を、彼女は寸前で鷲掴みに受け止めた。

 

 突進の勢いに押されながらも、ピトーはなんとかウツボを押し留める。手を離すわけにもいかず、自力での撃退は些か大変だろう。

 

 ピトーが長い間動きを封じられるのは得策でない。あるいはそれも私情だったのかもしれないが、ともかく私は一瞬回した思考にそう言い訳して、仙術を使った。周囲の『念魚』たちの位置関係を頭に入れつつ、ウツボを消し去るために前へ出る。

 

 その一歩目が出た直後、充満する奴の『気』からより濃い塊を見つけ出し、私は思い切り右へ胴を捩った。

 

 放った蹴りが、『隠』の見え辛い『気』、仙術風に言えば自然のものに近い『気』を弾いた。続いて飛んできたもう一撃には、左腕の防御が間に合う。

 

 気色悪くも肌同士が触れ、やっぱりか、と忌々しさで蹴りの足を支えに回す。

 

 男は『隠』を解きながら、同じく残った左腕で私の腕を押していた。

 

「やっぱぁ、ねーちゃんに不意打ちはどーやっても無理っぽいなぁ。自信なくすぜぇ」

 

「……釣らないと、具現化できないんじゃなかった、かしらね……ッ!」

 

 『絶』でもしてくればいいんじゃない?という、口を突きかけた煽りは苛立ちと一緒に呑み込んだ。代わりの言葉を言いながら、ささくれ立つ言葉尻に冷静を呼びかける。

 

 男は、そんな私の苦々しい顔に、満面の圧で答えた。

 

「言ったろぉ?『制約』と『誓約』だぁ。覚悟決めて代償払えばぁ、抜け道くらい作れんだぁ――っとぉ!」

 

 競り合いから突然、男は身を引いた。勢い余って前に出そうになる身体へ踏ん張りを入れる私の眼前に、入れ替わるようにしてピトーの打撃が空を切る。

 

 『些かの大変』は、どうやら一人で解決してしまったらしい。彼女はバックステップで逃げた男を視線に追うや否や、軸足一本で舵を切り、勢いそのままに一息で距離を切り詰め、攻め入った。

 

 威力でも気配でも、男を凌駕するピトーの『気』。そのまま貫けば、また男に致命傷を与えることができるであろう一撃は、しかし命中の遥か手前でぴたりと止まった。

 

 双頭の鮫だ。

 

 曰く、死ねば爆発を引き起こす『念魚』。威力も規模も不明である現状、私はともかく、下手をすれば白音たちにも爆発の威力が届きうる。何よりピトーはダメージを受けられない。

 

 偶然ではないだろう。ピトーの事情には気付いていないだろうが、周囲を巻き込む攻撃を避けていることは、たぶんすでに悟られている。計算ずくの行動であるのなら、この硬直も、狙って作られた隙。

 

 しかしわかっていても避けられない。悪魔にとっての光力くらい、どうしようもない弱点だ。

 

 そう理解できているからこそ、私の動揺は後を引かずに治まった。鮫に隠れて投げられたピンク玉がピトーに命中し、瞬時に敵意を灯した鮫が彼女に襲い掛かる様子を眼にしてもパニックを起こすまでには至らず、その集中で横合いから回り込んで突き出された男の拳を、何の問題もなく見切って躱した。『念弾』で牽制しつつ、ピトーの援護に向かうつもりでいた。

 

 そのはずだったのだが、

 

「――がッ……!?」

 

 身を翻して躱したはずのショートアッパーが、何故かボディーブローに変わって腹に突き刺さっていた。

 

 急所からは外れていたことが唯一の幸運か。痛みに耐えつつ保った意識で、私は大きく後ろに跳び退った。

 

 私を呼んでいるのだろう切迫した様子のピトーが、集まる『念魚』たちの中に取り込まれる。助けねばと思っても、ダメージはそれを許してくれない。それほどの威力。肉体的にも精神的にも怯んだ私は、続く男の追撃に全力の防御という選択を取っていた。

 

「あっははぁッ!!おいらも結構やるだろぉ?体術で言やぁ、団長よりも()えーんだぜぇ!!」

 

 重ねられた強打で急造のガードが捲れ上がる。拳を構えるその狂気的な笑顔に、私は自身の戦慄に気が付いた。

 

 こいつは、今まで手を抜いていたのか。

 

 『念魚』込みでも、完全後衛型の私が食らいつける程度の力量でしかなかったはずだ。なのにさっきの攻撃。威力も速さもタイミングも、何もかもが違っていた。全く見切れず、気付いた時にはフェイントに引っ掛かっていた。

 

 能力を使った様子はない。地力の差、としか言いようがないだろう。

 

 己の『死』が、間近に垣間見えた。

 

「――ウタ!!」

 

 鼓膜に叩きつけられた一声に押されて、私は仙術にピトーの意図を見出した。ほんの一瞬停滞した思考に続き、息を呑む間もなく反射的に頭を下げる。

 

 ちょうど側頭部があった場所を、拳ほどの瓦礫片が貫いた。左側から私の陰を越え、突如男の眼前に現れた礫。しかし男は動揺なく射線から頭をずらし避けると、引き絞った拳の『気』を膨らませた。

 

 それでも『避ける』という動作の分、時間は稼げた。私が体勢を取り戻すには足りないが、ピトーがそこに割り込むだけの間は、作り出すことが叶ったのだ。投石で開けた隙間から『念魚』を無理矢理押しのけ、這い出た彼女がそれを足場に跳躍する、それだけの時間は。

 

 不安定な足場からの攻撃も、拳本来の威力とスピードは無いにせよ、かなりのダメージを与えるだけの威力を秘めていた。男の横面に飛ぶ、ピトーの『気』の圧。礫のようには避けられない。致命の隙を晒す私への攻撃をやめ、大きく距離を取らざるを得ないはずだ。

 

 奴はそうするだろうと、私は確信していた。奴の本領は、『念魚』を利用した連携攻撃。言ってしまえば、囮を使ったチキン戦法(・・・・・)

 

 リスクを冒すような性格ではない。事実、腕を失う前の戦い方はそうだった。

 

 隠された力量を眼にしていても、そんな思い込みがまだ、私の中に存在していた。

 

「――!?」

 

 二度目の痛撃は、声すら詰まる衝撃と激痛を伴った。

 

 男はピトーの攻撃を避けなかった。顎に受け、横にのけぞり口から血を噴いているにもかかわらず、膨れた『気』を内包する拳は、殴られた勢いをも使って伸び、私の鳩尾近くにめり込んでいた。

 

 身体が浮き、数歩分押し飛ばされる。両脚が言うことを聞かず、着地で縺れて頽れた。窒息寸前の息苦しさと激痛にお腹を抱えて喘ぎ、呆然と視線を上げると、こっちを見る男の片目。

 

 その狂気の笑みの中に、私は、さっきにはなかった強い殺意を、見つけた。

 

 本気で、私を殺す気なのだ。さっきのような、日和見でなく。

 

 全身に冷や汗が浮いた。

 

「コイツ――ッ!?」

 

 憤激するピトー。地面で支え、もう一撃をと『気』を揺らがせた彼女は、しかし直後、振り絞った膂力を振るわずに身を捻った。

 

 ジャケットの脇腹をピンク色が掠めた。通過し、地面に突き刺さったのは、引き裂かれた塊を抜け出した鰹の『念魚』。傷を負いかねない攻撃は躱すしかない彼女は、突然の高速に反応して拳を引いた己の反射に、歯を噛み砕かんばかりに軋ませた。

 

 男は当然の如く、その隙に身体を前傾させた。遅れて放たれたピトーの攻撃を悠々潜り、私との距離を詰めてくる。

 

 うずくまり、身体の制御を失った現状では、回避も防御もしようがない。遮るものなく、一直線に叩きつけられる『死』のイメージ。

 

 それは逆に、私の精神を冷静にした。

 

 直截的で明瞭な邪悪故、ピトーとの暮らしで培った『慣れ』に引っ掛かった、とでも言うべきか。動揺を溶かし、思考を平常にすることに成功する。

 

 そうして取り戻した戦闘意識で、私は『念弾』を作り出した。

 

 手に、ではない。イメージのしやすさ的にも、使えればそれに越したことはないのだが、今手のひらは明後日のほうを向いている。だから『気』を灯したのは、口の中だ。

 

 手に越したことはない、ということはつまり、手でなくても『念弾』は生み出せるということ。極論、足だろうが腹だろうが脳天だろうが、『気』を纏える範囲であれば、『念』を使うことに支障はない。

 

 それにしても口の中とはさすがに品がなさすぎるような気もするが、気にしている余裕はない。攻撃のために流れる男の『気』を眼に映しつつ、私は開口と同時に『念弾』を放った。

 

 口から吐き出せるようなサイズで、且つ息を吹きかけるような発射。弾速も何もあったものではない射撃だったが、ダウンしたはずの敵が口から攻撃を吐いてくるなど、そうそう予想できるはずもない。

 

 そして突然目の前に現れた『念弾』を避けられるほど、男の反射神経は人離れしたものではなかった。

 

「お――ぶほッ!!」

 

 『念弾』は、吸い込まれるかのように男の顔面に命中した。

 

 小さな威力が頭に叩きつけられ、当然攻撃はそこで途切れる。追いついたピトーのフォローをも腕に受け、男は吹き飛ばされた。

 

 だがしかし、私の『念弾』もピトーの攻撃も、大したダメージにはなっていだろう。どちらも言わずもがな、威力不足。おまけにピトーの攻撃に至っては防御までして見せたのだ。すぐに体勢を取り戻し、また襲い掛かってくることは想像に難くない。冷静で以て巡ったその思考は、明白を帯びて確信した。

 

 また、同じような事態が繰り返されるであろうことも。

 

「……ウタ」

 

 ピトーの手を借りながら顔をしかめて立ち上がる私の苦悶を、彼女の声が追い風となって思考の冷静に押し上げる。

 

「アイツを殺すには、手が足りない。……曹操の奴、どうにか起こせない……?」

 

「……戦いながらじゃ……難しい、わ……」

 

 引きつるように痛む肺を苦労して落ち着けながら、私はそれを口にすると、一緒に明るみに出た不利を苦々しい思いで見つめた。

 

 あまりにも『念魚』の数が多く、あまりにも男の体術的技量が高い。

 

 ピトーの力を以てしても容易には切り抜けられない『念魚』たちの妨害と、私では到底敵わない近接戦闘能力を持つ男。ここから生み出されたのがこの惨状だ。

 

 釣竿で具現化するくらいのペースであれば、私は『念魚』、ピトーは男で分担して、容易く撃破できただろう。しかし数と力量、二つの想定外であっという間に瓦解した。私は『念魚』に手が出せず、ピトーは男に手が出せない。悪循環だ。抜け出すにはどちらかが『想定外』を破るしかない。

 

 私が男を打倒するのは、無念極まることだがたぶんもう不可能だ。フェイントにも気付けないあれをどう攻略すればいいのか、見当もつかないし、何よりお腹への一撃がかなりのダメージを残している。目が追い付いても、そのころには殴り殺されているだろう。

 

 さりとてピトーのほうも現実的ではない。彼女ではどうやったって倒すことができない、鮫という大きな障害もさることながら、大変なのはその数だ。大半はシルバへ引き寄せられているが、はぐれ者もまた多い。今ピトーに敵意を向けている『念魚』だけでも相当数だ。加えて奴の『覚悟』の影響か、気が立っているように見える『念魚』たち。近くにいるだけで襲われかねないような状態だが、奴は気にしたふうもなく、お構いなしに動き回っていた。察するに、『念魚』を引き寄せる能力の反対、遠ざける能力か何かを持っているのだろう。切り替えて扱えるのだとすれば、自由自在とまでは行かずともかなりの精度で『念魚』たちを操ることができるはずだ。奴の能力の穴を突くことも、限りなく難しい。私の貧相な力と発想では、何の足掛かりにもなれはしない。

 

 だからもう曹操に頼るしかない。ピトーに言われるまでもなく、わかっていた。

 

 あいつの使った黒い炎。多数を相手取れるあの能力が、現状、数の『想定外』を突破し得る唯一の手段。

 

 攻撃力はともかく、防御性能の高さは既に証明されている。撃破ないし、男への直接攻撃ができればなお良いが、そうでなくてもシルバに使ったあの時のように『念魚』を隔離できるというだけで、十分すぎるほど有用だ。背後に庇う白音たちを気にする必要もなくなるし、今度こそ真に二対一を作り出すことができる。崩してさえしまえば、もうあの男は大した脅威ではない。不利の中でも、それだけは確かなのだ。

 

 未だに意識を飛ばしている曹操を叩き起こせば、それは実現するだろう。だが――

 

「――させるとぉ、思うかぁ?」

 

 と、俯き加減に笑った男が瞬間左手を閃かせ、複数のピンク玉を投げ放った。頼りなく揺れる身体に鞭を打ち、前に出る私。しかし仙術が効果を及ぼす一歩手前、そのピンク玉たちの一つが他を巻き込み、突如として破裂した。

 

 鰹の『念魚』だった。角の先端でピンク玉を突き破り、臭いの粒子を纏って瞬く間に飛来する。その切っ先は狙うピトーに掠りもせず、本体も彼女の手に握りつぶされて消滅したが、マーキングの効力は押し付けられたまま健在だ。

 

 皮切りに襲い来る『念魚』の大群。ピトーではもちろん、傍にいた私でも対処しきれないほどの数。『念魚』だけに集中すれば、もしかすれば活路を開くこともできるかもしれないが、男が私を狙っている以上、生き残るためには防御を固めないわけにいかない。

 

 この、手に余るほどの物量攻撃が続く限り、曹操を目覚めさせることは、不可能に近いほど難しいのだ。

 

 曹操の気絶の要因は、主に神器(セイクリッド・ギア)を使用したことによる疲労。つまり『気』の過度な消耗だ。私の、極々軽い、羽で撫でるようなチョップ一つが失神のきっかけになってしまうくらい、体力気力がすっからかんの状態。この戦闘中、自然に目を覚ますことはまずありえないだろう。

 

 だからこそ、曹操による攻略法を実現するためには治療の必要がある。そしてそれ故に『不可能に近い』だ。

 

 施術方法自体の難易度は、さして高くない。空になった『器』に、仙術で『気』を分けてやればいいだけだ。自身の『気』の質と流れを操る技は、『四大行』で言うところの『纏』。基礎中の基礎に相当する。

 

 だが時間がかかるのだ。注ぎ口たる『精孔』に、一度に詰め込める『気』の量は限られているし、そもそも基本的に噴き出す方面への一方通行の孔だ。そこに復活に足るだけの『気』を送ろうとしたら、短く見積もっても十秒は奴の身体に触れている必要がある。襲われている最中では、到底それだけの時間を作り出せない。『念魚』か男の妨害が私を殺すことは、想像するまでもない。

 

 結局それで行き詰まるのだ。私が自由に動くために、まず私が自由に動けるようにならねばならない、という、つまらない冗談のような『詰み』の状態。私では、何をしようがこの膠着を破れない。

 

 そう、私では。

 

「――ッ」

 

 ちらりと、背後に眼を向ける。粘液と格闘し、ようやく滅することに成功したウナギの残滓を通して見えるのは、我が愛すべき妹、白音の姿。

 

 あの子なら、と思う。

 

 曹操と同様、『気』不足に陥っている彼女。推察するに原因はこの地の気脈によって『精孔』が中途半端に開いたためだと思われるが、どちらにせよ、見つけた時には体内の『気』を吐き出しきってしまっていた彼女は、その時から今に至るまでずっと『絶』状態にあった。経過時間と猫魈としての体質的にも、目覚めるのは曹操よりもずっと早いはず……いや、姉妹として私と同じ程度の才があるなら、もういつ目覚めてもおかしくないくらい回復しているだろう。曹操ではなく白音を起こすようリアス・グレモリーに言えば、それであの子は起きるはずだ。

 

 曹操の治療は仙術さえ使えれば大して難しくもなく、あの子には仙術の資質がある。私にできずとも白音ならば、このどうしようもないどん詰まりを、解消することができるのだ。

 

(でも――)

 

 そんな、確実(・・)にこの上なく近い方法を思いついていても尚、私の頭はそれから目を逸らし、別の手段を模索し続けていた。

 

 認めてしまえば、それはあの時の繰り返しになるのではないか。そう思えたからだ。

 

 今でも鮮明に思い出せる。白音のあの、怯え切った拒絶の表情。

 

 私のせいで、あの子はたぶん、仙術を恐れ嫌っている。私があの子の前で虐殺を繰り広げたことは、忘却したい悪夢でしかないだろう。リアス・グレモリーが『念』や仙術の知識は疎か、『気』のことさえ碌に知らなかったことがその証拠。無菌室のように、仙術に関しての一切を周囲から遮断していたに違いない。

 

 だから、仙術を強要せねばならない方法は気が進まない。

 

 それしか方法がないとなれば、あの子がどれだけ嫌がろうが使ってもらうほかない。意思を無視して強制するという行いはつまり、私が最も忌避する元バカマスターと同じ所業なのではないだろうか。あの子の心の傷をこじ開け、侵し、ただの道具のように扱うということは、あの子の心を再び殺すことと同義ではないだろうか。

 

 そうしてしまえば、私はまた、白音を見捨ててしまうことになるのではないだろうか。

 

 もう持っていてもしょうがない、『黒歌』の良心が、邪魔な自己中心的未練が、頭と心にしつこくこびりついていた。

 

 ピトーと私が生きるためには、消さねばならない。私もそう願っている。だが消えない。どれだけ必死に擦っても、消えない。奥深くまで染み込んで、絡まってしまっているようだ。これではどれだけ洗おうが落ちるわけがない。

 

 もう、いっそ――

 

 削ぎ落してしまうしか――

 

「ウタ!!避けろッ!!」

 

「は……ッくぅ!!」

 

 物思いに埋没しつつあった意識が一瞬で浮上し、回避とはいかないまでも迫るそれを叩き落とした。

 

 地面に這うレールに着弾し、不快音で圧し折る。ピトーの声があるまで気付けなかったのは、それが『念弾』だったからだ。射線上に見知らぬ『念魚』。開いた口から砲身らしき筒が覗いていた。

 遠距離攻撃タイプだろう。今のところ、小魚の群れに次いで相性が悪いと思われる。

 

 しかしまあ、防げる分、脅威度は遥かに下。初見故に反応できなかったが、わかってしまえばもうこんな失態は冒さない。次はもっとうまく対処できる。と、胸中に湧く動揺をなだめた。

 

 だが次など訪れない。一瞬の後、私はそれに気付いた。

 

 男の拳が放つ拳圧と『気』の威力が、『念弾』の逆側から振るわれる気配。

 

(しまっ――)

 

 ピトーが言ったのはこれのことか、と己の潜考を悔いるも遅く、避けようもなく唸った攻撃は、重く私の顔面を打ち抜いた。

 

「―――」

 

 世界が揺れる。眼前の光景が砕け、度なしの眼鏡が飛んでいく。レンズの破片に、血の筋を噴く自分の顔が反射していた。

 

 意志力のみの踏ん張りで、倒れこむことだけはなんとか回避した。ふらふらと定まらない平衡感覚に歯を食いしばり、来るであろう追撃に身構える。が、見切ることも叶わない猛撃は、いつまで経っても襲ってこなかった。

 

 力も頭もすべてを費やして固めた防御から、その不可解に引き寄せられた警戒が外を覗く。それが認めた状況は、思考もおぼつかない揺れた脳でも悟れてしまうほど、明らかなものだった。

 

 土砂の下に埋もれたはずの小魚の群れが、すぐ近くまで迫っていた。

 

 遅れて回復した嗅覚からは、攻撃された顎あたりを中心に強烈な生臭さが漂っている。消そうがもう間に合わず、ふらつく身体であろうは回避もできず、防御力的にも体力的にも耐えることはできない。

 

 ――ならば

 

 回避も防御も妨害も叶わないのなら、迎え撃つ以外に選択肢はない。

 

 本能的に理解した私の手が、迫りくる『群れ』の前に、導かれるようにしてかざされる。続いて纏う防御分の『気』が集合し、掌に輝きを編んでいく無意識の意思を、私は目撃した。

 

 シルバが使ったものよりも大きく、激しく荒れ狂う『気』。

 私の身体を覆い隠すほどの『念弾』と、直後、『群れ』が激突した。

 

 雨のように降り注ぐ衝撃で、ただでさえ頼りない両脚の踏ん張りが揺らぎ、数歩分後退する。がくんと揺れた頭と左腕で危うい均衡が乱れ、手元を離れそうになる『念弾』の盾。身体を預かる本能が盛大に打ち鳴らした警鐘で、私はようやく、理性と思考能力を取り戻した。

 

 慌てて身体に力を入れなおし、盾の射出を押し留める。自身がひとりでに捻り出した対応策。私は、さすがにこれほどの危機なら魔力を使うべきではないのかと、内心で無意識の判断に驚愕しつつ、しかし案外とうまく機能していることに、自画自賛のような境地を味わっていた。

 

 『念弾』の盾に自らぶつかり、倒されていく小魚の『念魚』。その度私の『念弾』の威力も削がれているはずであり、『群れ』の物量からすれば数秒とかからずにどこかしらが突破されるだろう、という予想が目撃の瞬間に抱いた感想だった。のだが、反してこの盾はデッドラインの数秒を過ぎても尚、一匹どころか残骸の一かけらも逃さずに、次々突撃してくる『念魚』を消し飛ばし続けている。

 

 まるで仙術で消したかのように、跡形もなく空気に溶けていくのだ。いっそ、『念弾』が小魚たちの弱点であったのかと、思わずにはいられないくらいきれいに、一切の痕跡を残さず、自然の『気』の中に紛れて見えなくなってしまう。

 

 ――いや、待て。

 

 なぜ『念弾』で仙術のように倒せているのだ。『念』では人の『気』を自然の『気』に分解することなど、できはしないはずなのに。

 

 ――私は今、どっちを使っているのだろうか?

 

 判別がつかない。

 

 無意識が生み出した、思っても見なかった現象。忌避どころか歓喜してしかるべき取っ掛かりだったが、つい数舜前まで途切れていた思考回路になだれ込んだ疑問思索の数々は、少々許容量を超えた勢いとなって精神を席捲してしまった。

 

 それは、手の中の不安定な奇跡的現象を崩すのに十分な動揺だった。

 

 戦慄が走った。

 

 美しいマーブル模様を描いていた『力』が整然から外れ、解けて消えていく様を眼にした瞬間、

 

「――伏せてッ!!」

 

 盾が霧散し、私は『念魚』の濁流に呑み込まれた。




オリジナル念能力

終末違漁(ビリ)】 使用者:サンペー=キリツチ
・具現化系能力
・自身の肉を元に念魚を具現化する爆弾を作り出す能力。
元にした肉の量が多いほど多くの念魚を具現化できる。サンペーは本来太公望の漁場を使わなければ念魚を具現化できないが、この能力はその制限を無視する能力。故に反動としてこの能力で具現化した念魚は今後二度と具現化できなくなる。
・ちなみに現実世界でいう『ビリ』とは電気ショック漁法のこと。今回の能力は爆破漁法に近い。どちらも原則禁止されている漁法なので、よい子のみんなはマネしちゃダメ。

【念魚避け(仮称)】 使用者:サンペー=キリツチ
・具現化系能力
・エサ玉の能力とは逆に念魚を寄せ付けないための能力。
他人に贈与することもできる。具現化されたものの造形は不明(考えてないとも言う)

双頭爆発鮫(ファンタスティックシャーク)】 使用者:サンペー=キリツチ
・具現化系能力
・一つの胴体に二つの頭を持つサメのような念魚。倒されると爆発し、頭が分かれて二匹のサメとなり再び敵に襲い掛かる。時間経過で分かれたサメも双頭となり新たな双頭爆発鮫となる。
・チェーンソーが弱点。

【小魚の念魚(仮称)】 使用者:サンペー=キリツチ
・具現化系能力
・イワシのような小さな念魚。特殊な能力はないが一度に大量に具現化することが可能であり、群れを成せば脅威度は跳ね上がる。
・【群体弱魚(ショウタイフィッシュ)】という一応の名前がある。

【大きなウツボのような念魚(仮称)】 使用者:サンペー=キリツチ
・具現化系能力
・ウツボのような念魚。特殊な能力はないが、大きく狂暴。咬合力が高く咬みつかれると危険。
・【暴虐頭魚(ギャングフィッシュ)】という一応の名前がある。

【念弾を放った念魚(仮称)】 使用者:サンペー=キリツチ
・具現化系能力
・大きなテッポウウオのような念魚。口の中に砲があり、放つ念弾はそれほど威力はないが狙いが正確。
・【砲雷撃魚(スナイプフィッシュ)】という一応の名前がある。

最近自分の書いているものが面白いのかわからない病を患ったので感想ください。

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