主なきノラネコたちの家   作:もちごめさん

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十三話

 あの後、結局筋肉達磨の修行見学が成立することはなかった。

 

 というか、修行自体が中止されたのだ。放って続けても夜には赤髪の屋敷に戻る予定だったが、しかしシロネはともかく赤龍帝がクロカに与えられたダメージはやはり大きく、夜までの僅かな間でも放置するのは危険であると、医療の知識がなくとも明らかだった。故に、中止はほとんど必然的なものだっただろう。

 

 その必然に先陣を切ったのがゼノヴィアだ。修行バカであり、赤龍帝が起こした致命傷寸前の大事件に自業自得と呆れた彼女も、一応は仲間である者の命と修行の継続のどちらを取るかなど、さすがに天秤にかけるまでもなかったに違いない。そんな決断、最後のまともな修行の機会を放って帰還すべきだと言い出した彼女に、赤龍帝は深々感謝すべきだ。ボクと、特にクロカは、正体の秘密を暴きかけた赤龍帝を救いたくなどなかったのだから。

 

 ただまあ実際に死んでもらっても困るし、続けるにしても筋肉達磨の視線に精神をすり減らす羽目になってしまう。それから逃れられるメリットでもあったために、ボクたちも赤龍帝の命を優先した。しつこかった筋肉達磨に仕方がないと言わせて、なら俺が運ぼうと提案してきたタンニーンと、事情の説明やらの諸々を曹操とゼノヴィアたちに任せて見送ると、ボクとクロカの二人は後から悠々と赤髪の屋敷にたどり着き、医者だ薬だと騒がしいそこ素通りして初日の離れに腰を落ち着けた。

 なぜか日本旅館風の平屋にはやはり悪魔の気配が漂い神経がささくれ立ったが、しかし明日からはハンゾーだけに教える修行が始まり、少なくともゼノヴィアやシロネを相手にするよりも気楽になるだろうと、久方ぶりにクロカと二人でちゃぶ台もどきのテーブルを挟み、会話を交わしていたのだった。

 

 後は騒がしい本邸から流れてくる悪魔の気配に耐えてどうにか一夜を明かすのみ、であるはずだったのだが。

 

 障子を乱暴に開き、交流の邪魔をせんとばかりにどかどか上がり込んできた五人。曹操とハンゾーとゼノヴィアとシロネと、それを率いた朱乃が、現れるなり発した台詞。

 

 それを耳にした時点で、ボクは今日一日の面倒がまだ終わっていないことを半ば確信させられてしまった。

 

「……鬱陶しいにゃあ」

 

 隠さずそのまま不満の角度で呟いてしまうほど。

 

 包帯でぐるぐる巻きにされた片腕をだらりと垂らす、失神から目覚めたばかりであろうシロネへの憎悪は言わずもがなであるが、今はそれ以上に、朱乃が告げた要請がボクの苛立ちを大きくしていた。恐らく赤髪からの指示だと思われるそれの内容も、通ると考えた思考も、いつまでも纏わりついてくるようで忌々しい。

 しかし極論を言えばすべて赤髪の手のひらの上である故に、ボクはそれだけ呟き黙り込み、並んで脚を畳んだ朱乃の怯え顔をじっと睨みつけていた。

 

 そしてそんなもやもやとした苛立ちを抱えたのはクロカも同様で、ボクに続いて彼女も、朱乃めがけてさらなる追撃を加える。

 

「えーっと……あんた、なんて言ったの?なんかとっても不遜なことが聞こえた気がするんだけど、きっと聞き間違いだろうから、もう一回言ってくれる?」

 

「……わ、わかりました……。聞き間違いではないと、思いますが……」

 

 クロカに移された眼には警戒が混じったが、しかし半端とはいえ成功した追撃によって、朱乃は首を縦に振るしかない。すっと息を吸いこんで、繰り返して告げられた。

 

「……イッセー君の傷が、深すぎるのです。もちろんタンニーン殿が運んでくださったおかげで命に別状はありませんし、治せないものではありませんが、明日のパーティーまでに完治させるためには、グレモリー家の設備とアーシアちゃんの力を集中させる必要があります。つまり、白音ちゃんの治療に割けるリソースがありません……」

 

 シロネの肩に手を置きながら言い、そして怖々と、またボクに視線を向ける。

 

「だから……ふぇ、フェル、貴女に白音ちゃんの、治療を、お願いしたいのです……。身体の怪我さえ治れば、ひとまずはパーティーも問題がないですから――」

 

「えーうそ信じらんない。ほんとに聞き間違いじゃなかったみたいね。それ、本気で言ってるわけ?」

 

 遮り、クロカが見せつけるように肩をすくめた。わざとらしくため息までついてみせ、肘置きにだらりともたれかかる。

 堂に入ったその仕草はだらけているのに妙な威圧感を放って朱乃を睨み、シロネの腕の包帯を冷たく見やった。

 

「自力で歩いてここまで来れたみたいだし、要らないでしょ治療なんて。肌を隠せるようなものでも着て、パーティーでも何でも行けばいいわ」

 

 顔をしかめるシロネ。と思えば、部屋の端で正座に悪戦苦闘していたゼノヴィアが、反応して勢いよく顔を上げた。

 

「む、それは無理だぞウタさん。私たちは今着ているこの制服の他、体操着しか持ってきていないんだ」

 

「いや別にどうとでもできるだろそれは。……まあでも治せるなら、さすがに治してやってもいいんじゃねーか?見てるだけで痛々しいぜ、あれは……」

 

 いつも通りのズレたゼノヴィアに続いて、正座ができない彼女を揶揄っていたハンゾーも、ツッコミついでにシロネへの心配を口にする。言葉はボクたちの悪魔嫌いでやんわりとしているが、さすがに彼の善性は哀れに思わずにはいられないのだろう。

 

 その気持ちはわかる。がしかし、それ以上にボクたちの憎悪と、それを一端にした苛立ちは大きかった。憐れみなどで発言を覆すはずもなく、そしてそれは苦渋の表情を見せた朱乃も理解の内。故に彼女は早々にそれを持ち出した。

 

「これは……取引と、捉えてもらって構いません」

 

「……はあ?これ以上何を取引するってのよ」

 

 せっかく修行の依頼を終わらせたのにと、疲れた顔でクロカはひらひら手を払う。朱乃は怯えを除けてクロカに向くと、毅然と言った。

 

「皆が目撃していますから、イッセー君がフェルに何をしたのかは知っています。彼があの技、【洋服崩壊(ドレス・ブレイク)】をフェルに使ってしまったことに関しては、動けない彼に代わって私からお詫びします」

 

「あんたの詫びなんてどうでもいいわ。赤龍帝からもね。あのにやけ面、曹操以上に見たくないから」

 

「……同レベルとか言われるよりはマシだが……そもそも比較対象に俺を持ってくるなよ」

 

 曹操の引き攣ったにやけ顔を無視して、クロカは朱乃を見やったまま、その眉をひそめる。

 

「この際だからついでに言うけど、あんたたち、あの変態赤龍帝にどんな教育してんのよ。魔力まで使って女の服を引ん剝くとか……悪魔になったら良識まで吹っ飛んじゃうわけ?」

 

「い、いえ……あの子がスケベなのは、その……元から、なのよ……。人間だった頃から、覗きやセクハラの常習犯で……」

 

「……それはそれで呆れるわ、色々と。そんなのを眷属にしたあんたたちの親玉、やっぱりイカれてるんじゃない?」

 

 その言葉で朱乃は息を詰めたが、しかし怒りが詰まった喉を突破する間を与えずに、クロカは続けた。

 

「だってね、そっち悪いんだってわかってるなら、普通はもう厚かましく取引だとか言えないわよ。……また辱めを受けろって言ってるようなもんだわ」

 

「ッ!そういう……『どっちが悪いから』っていうのを終わらせるための取引なのよ!」

 

 段々冷たさと鋭さを増し、威圧感と相俟って本当に身を刺しそうになった視線で、クロカは取引と聞いた時からずっと内にため込んでいた憤りを吐き出した。

 不発の怒りも併せて、朱乃のおとなしそうな印象から大きく外れた大声が上がり、一つ深呼吸の間を置いてから、彼女はクロカを睨み返す。

 

「さっきも言ったけれど、この件の過失がこちらにあることは私も、主人のリアスも認めるところです。けれど……貴女がやった報復に関しては異議があるわ!」

 

 興奮で赤みが増した顔に、押し隠された怒りと怨みの表情が姿を見せる。膝の上で握り締めた拳にその衝動だけは押し込めた朱乃は机に身体を乗り出し、不動で寝そべるクロカに詰め寄った。

 

「明らかにやり過ぎよ!あと少し、運び込まれるのが遅れていたら、本当に危なかったのですよ!?いくら服を脱がされそうになったからって、それで命が危うくなるほどの手傷を負わせるだなんて信じられません!……貴女はイッセーの顔も見たくないと言いましたが、私もそうです。正直に言って、イッセーを殺しかけた貴女とこうして話をしているだけで、はらわたが煮えくり返りそう……!……できることなら、同じ苦しみを味合わせてやりたい……!」

 

「……ふぅん。仇討ちがしたいなら、いいわよ?相手になってあげる。ねえゼノヴィア、仕掛けたのはこいつだって、ちゃんとリアス・グレモリーに報告してよ?」

 

 だが恐らく、ゼノヴィアもシロネも、ボクたち以外の全員は元々取引の内容を聞かされていたのだろう。身体を起こして『気』を練り始めたクロカに曹操を除いた四人は冷や汗ををかいていたが、しかし誰もそれを諫めることはなかった。

 

 なぜなら、朱乃にはその怒りの衝動を解き放つメリットも実力も、度胸もない。ボクも、恐らくクロカもそれを確信している故に、脅かすだけして、気圧され気味の激情に歯を噛む朱乃の続きを待った。

 

 しばらくするとようやく朱乃は身を引いて、悔しげに歪めた口元から、絞り出したような声で言った。

 

「……いいえ、争うつもりは、ありません。私たちが言いたいのは、つまり、双方に償うべき点がある、ということです」

 

「……罪の大きさで言ったら、段違いだと思うけどね」

 

 にやりと楽しげな笑みを作っていたクロカだったが、朱乃の台詞の後、数秒して眉を寄せながら呟くように言った。『フェル』と『ウタ』を破滅させかけたという意味のそれにも勢いはなく、どうやら彼女も取引の内容に気付いたらしい。

 

 そして、その苦虫を噛み潰したような表情から察するに、それが断れない話であることも。

 

 久方ぶりにボクに眼を向け、残った憤りの大部分を怯えに押し流される朱乃が、それでもどうにか口を開いた。

 

「ですから、そういう問答をしないための痛み分けです。イッセー君の怪我の件については、私たちはもう何も言いません。その代わりに……フェルは、白音ちゃんの治療をしてください。……今後のしこりを残さないよう、清算してしまおうと……そういう、事です……」

 

 ならボクが受けた【洋服崩壊(ドレス・ブレイク)】の清算はどうなるんだ、と思わずにはいられないが、しかし口にはできなかった。奴らの中では未遂に終わり、そこまで大きな非を持たないと認識されているらしいその部分で騒ぐのは、それこそ『フェル』と『ウタ』の破滅に近付くばかりであるし、それを抜きにしても、赤龍帝を殺しかけたという罪と並べられるものではない。

 

 少なくとも今この場では、そうだ。この痛み分けとやらは、【洋服崩壊(ドレス・ブレイク)】の非とシロネの治療という徳を合わせて、ようやく赤龍帝の殺害未遂への赦しと釣り合うという認識の下で組まれた提案なのだ。

 

「厚顔無恥って言葉がぴったりだね、ソレ。……ふん。いいよ、直せばいいんでしょ?」

 

 眼をやらずともクロカの嫌そうな顔が見える。もちろんボクだって、屈するのもシロネを直すのだって嫌だが、しかし抵抗するのもここ辺りが限度だ。

 

 それは正義でも正しさでもなく、ただの立場。悪魔に支配されるこの冥界に於いて、赤髪の持つそれはとてつもなく大きい。殺害未遂という大義名分がある以上、魔王の妹の上級悪魔の肩書が一声鳴けば、悪魔のすべてが動くことだってありえなくはないのだ。コカビエルの一件だって、実際そうなりかけた。

 

 だからつまり、最初から赤髪の手のひらの上。それが受け入れ難いものだろうが、最終的には逆らえない。毎回これだ。雇われてここにいる以上、結局は赤髪の言うことを聞くしかない。憎悪と怒りを呑み下せねば、破滅するのはこっちのほう。クロカのためにもならない依頼を引き受けてしまったことには、もう後悔しかなかった。

 

 そんな内心を知ってか知らずか、提案に頷いたボクを見て、朱乃とシロネがほっと安堵の息を吐いた。まあこの際、もう何も言うまい。これ以上は負け犬遠吠えだ。

 だからボクは、喉元まで出かかった燻りを静めるため、その矛先を変えて胡坐の脚を組み替えた。

 

「けど一つ、聞いておきたいことがあるんだよね。朱乃」

 

 名前を呼んでやるなり怯えに逆戻りして、朱乃の眼がボクにビタリと張り付く。言葉が出ない注目を返事と見做して、続けて彼女の眼を覗き込んで聞いた。

 

「シロネを直すのは、ボクなんだよね?仙術が使えるウタじゃなくて」

 

「……え、ええ……。そうよ……」

 

 『気』の問題だけでなく肉体的な損傷も、仙術は癒すことができる。ただし自己治癒力を高めて回復を早めるそれはあくまで気力回復の副次的なものであり、効果はそこまで高くない。少なくとも、折れた骨を一日で支障なく繋げることは不可能だ。

 いや、実際クロカの力量ならそうでもないのかもしれないが、そう思えるのはボクがクロカの全力を把握しているからだ。だから、それを知らない奴らがクロカに治療を頼まなかったことには納得がいく。だがしかし、だ。

 

「じゃあなんでボクに頼んだわけ?」

 

 人も悪魔も、生物であれば凡そすべてを修理することができるボクの能力、【人形修理者(ドクターブライス)】。フェルとして使える数少ない能力の一つだが、しかし治療のための能力である故に、実戦で使ったことは皆無に等しい。そもそもボクは『フェル』である間、ダメージは絶対回避が常であったし、クロカも、人間界での仕事で怪我をすることは滅多になかった。能力を使わねばならないほどの深手はなおのこと、京都で戦った時くらいだ。

 それだって誰も見ていない部屋で、曹操にも見張らせた。つまり『フェル』の【人形修理者(ドクターブライス)】という能力を知る者はごく限られる。少なくとも、赤髪たちや悪魔が知っているはずがない情報だ。

 

 なのに朱乃は、ボクがシロネを治療できると知っている。自力で知れるはずがないとなれば、教えたであろう犯人は一人だけだった。

 

「……曹操、オマエ、ボクの能力をしゃべったんだ」

 

 怒りを込めて首を動かし睨んでやれば、曹操は一瞬目を見張った後に、いつも通り芝居がかった調子で軽く首を振ってみせた。

 

「だってね、フェル、こういう時のための治療能力だろう?ハンゾーの言う通り、治せる手段があるのに治さないなんて、それはさすがにあんまりじゃないか。俺には到底、黙っていることができなかったんだよ」

 

「あんた……!それでもほんとに念能力者!?あんまりだとか、そういう問題じゃないでしょ!人の能力、それも『発』なんて生命線をそんな軽々と……ありえないわ!」

 

 ボクが詰ってやる前に、所業を知って、途端に苛立ちのやり場を見つけたクロカが怒声を叫んだ。そしてボクが言いたかったこともおおむねその通り。戦闘面での不利にはあまり繋がらないが、下手に知られて余計な虫が寄ってくるのは厄介だ。

 あれが直せるのならこれも直せ、なんて展開が容易に想像できる。曹操もわかっているだろうし、もちろん能力の暴露がその者への信頼を大きく損なう行為であるという一般常識だと、きちんと理解しているだろう。にも拘らず言ったのは、ボクとクロカへの度の過ぎたちょっかいではなく、恐らく善意によるものだ。クロカとシロネの確執を知る一人である奴は、クロカの気持ちを慮って、シロネと接する機会を増やそうとしたに違いない。能力の暴露による信頼の喪失よりも、二人を引き合わせた感謝のほうが高いだろうと踏んだのだ。

 

 それは二週間前のボクになら通用しただろう。だがクロカがシロネの存在を必要としていないと知れた以上、もう賛同は得られない。

 

 クロカの容赦ない怒号とボクの他意ない憤りに、曹操も朧気にそのことを悟ったようだった。見張った目に驚きを見せ、瞬きしながらボクとクロカを交互に見やり、疑問符を浮かべる。しかしその先は棚上げすることに決めたらしく、動揺で少しぎこちないながらも笑みを作って小首を傾げた。

 

「……まあ、うん、確かに少し軽率だったな、すまない。だがそれにしても……ウタは随分機嫌が悪いな。そう怒鳴らないでくれよ」

 

「機嫌?機嫌が悪いって?むしろこれで機嫌がいい方がどうかしてるわ!あの変態赤龍帝にあんなことされて、かと思ったら朱乃は図々しいし……おまけにあんたにまで裏切られたんだもの!」

 

「……裏切りときたか。赤龍帝に関しては、俺がいなかったらもっと大変なことになってただろう?それでどうにか帳消しにしてくれよ。痛み分けだ」

 

「あんたが言うと余計にムカつくわね!大体……【邪龍の黒炎(ブレイズ・ブラック・フレア)】だっけ?あんたが赤龍帝の魔力にもっと早く気付いていれば……ぐぅ……あの変態、ぶっ殺して止めれたかもしれないのに……!」

 

 それを言うなら自分が早くに気付けていれば、という自爆で口ごもったクロカを、曹操は腕組みしながら半分呆れて笑う。その眼が頑なにボクを見ないのは、その自爆がボクにも言えることだからだ。びっくりするほど弱いあの赤龍帝に警戒心を持てというのも難しい話だが、魔法陣が生地の向こう側で見えなかったとはいえ、あれは気付いてしかるべきだった。

 痛い目を見ただけにもう気を許すことはないが、とにかく赤龍帝の行為は全員が予想だにしなかったもの故に、曹操にだけ責任を押し付けることもできない。理解して歯噛みするクロカは、しかしそれを呑み込むことに失敗した。自分で言った通り、イライラの三重苦が祟ったのだろう。

 

 彼女は曹操に苛立ちと屈辱感の入り混じった眼を向けたまま喉の奥で何度か唸ると、突然限界を迎え、勢いよく立ち上がって曹操を指さした。

 

「もうッ!!……いいわよ!話は終わり!ここからは身体でわからせてあげる!今日という今日はボッコボコにしてあげるから、表出なさいよ曹操!」

 

「……今日はもう何を言っても駄目そうだな、頭が沸騰してる。……ま、いいだろう。しばらく試合もしていないしな、ストレス発散の相手になってやる。朱乃さん、庭を使うが、いいか?」

 

「……え?あ、は、はい、どうぞご自由に……」

 

 怯えで凍り付く朱乃が、また一時解凍されて頷く。曹操はキザににこりと微笑むと、次いで期待の視線を投げていたハンゾーとゼノヴィアに応えて尋ねた。

 

「そうと決まれば、ついでだ。ゼノヴィアとハンゾーも来るといい。念能力者同士の戦闘を見ておくのも、いい修行になる」

 

「お、おう!見る見る!ゼノヴィアばっかりがあんたたちの戦う姿を見てるってんで、オレも一度はって思ってたんだ!……サイラオーグ、だったか、あの人とフェルとの戦いも、結局流れちまったし……」

 

「そういえば、ハンゾーは尽く戦いの場にいなかったな。しかし、念能力者同士というのは私も初見だ。ぜひ見たい――っとと……」

 

 腰を上げる曹操に続いて、二人も迷うことなく立ち上がる。正座の痺れでふらつくゼノヴィアに腕を引っ張られて巻き添えを食らうハンゾーを、曹操は愉快そうに笑った。クロカの方は全く変わらずむすっとしたまま、ボクの背後を歩いて通って鼻を鳴らした。

 

「……わかったわよ、見学でも何でもすればいいわ。私も仙術じゃなくて『念』だけで戦ってあげる。槍折っちゃったんでしょ?ちょうどいいハンデだわ」

 

折られた(・・・・)、だがな。そこの悪魔嫌いに。……しかし、本当にいいのか、仙術なしで。純粋な『念』では、武器がなくとも俺の方が上だ」

 

「武器があっても私の方が上よ。神器(セイクリッド・ギア)使ってようやく対等ってところかしら。しばらくやらないうちに力量差も計れなくなっちゃったの?」

 

「その言葉、そっくりそのまま返してやろう。格下とばかり戦って、勘が鈍っているんじゃないか?コカビエルとの戦いも、気つけにはならなかったらしいな。なら俺が現実というものを見せてやろう」

 

「……言ってなさいよ中二病!」

 

「……ちょっとは黙れ性悪のへそ曲がり!」

 

「もういいから、二人とも早くやってきなよ」

 

 何か別方向に勃発しそうな予感を感じ、ボクは口に割って入って背中の方を押してやった。暴れられる二人に対して一人でシロネの治療をせねばならないことには少々の妬ましさがあるが、かといってこのまま続く罵り合いに、そのため息を引き延ばされるのはごめんだ。

 

 合わさりちょっとイライラしながら向けた眼に、クロカと曹操は途端に口を閉じた。逃げるみたいに背を縮め、こちらも気まずげなハンゾーとゼノヴィアを引っ張って、四人そろって障子の外に出て行った。

 

 ぴしゃりと閉じた和紙張りの影が遠ざかる足音。その音も聞こえるということは、少し離れた庭からの戦闘音だってもちろん聞こえるだろう。やっぱりボクだけ生殺しだ。

 

 一人だけ置いてきぼりにされたことはあまりない。どう取り繕ってもため息が出た。加えてシロネだと、大きく肩を落としてから眼をやる。

 

 シロネは、クロカの影が消えた障子の端に、まだ視線を措いていた。それにまたもやが溢れそうになるのを寸前でどうにか堪え、ボクはもう一つため息を吐いてから、能力を発動させた。

 

 大きく穏やかな瞳でシロネを見下ろす大きな人形、【人形修理者(ドクターブライス)】。突如真上に出現したそれにはさすがに目を見開いて反応し、シロネと朱乃は同時に驚きの悲鳴を漏らした。

 

 ボクはそのまま、念のための予備であるためにあまり肌触りのよろしくないマントの背中側――のさらに下に隠した尻尾――から【人形修理者(ドクターブライス)】に伸びるヒモを引きずってシロネの隣に移動し、腰を下ろした。宙に浮いて自分を見下ろす謎の人形に気を取られるあまり、その時までボクに気付かなかったシロネの眼が、驚愕で弾かれて、半ば唖然としながらこっちを見る。

 

「『絶』は……できないんだよね、たぶん。まあ、いいか。呑まれないように、精々お祈りでもしてるといいよ」

 

「……え、えっと……あの――ッ痛!!」

 

 口を半開きに目を瞬かせる彼女と混乱のままでいる朱乃が何かを言う前に、ボクはシロネの、隙間なく包帯を巻かれた腕を乱暴に持ち上げた。

 

 数時間前、気絶していたシロネを見た時から大体その負傷の程度は察していたが、しかし直接触れてみれば、その骨の予想以上の惨状に驚いた。まさにただの肉塊だ。単なる骨折ではなく、肘から指の先まで粉々の粉砕骨折。痛みに呻くのだって当然だろう。やせ我慢だとしても、今まで痛そうな様子を見せなかったことが奇妙なくらいの重傷だ。

 

 【人形修理者(ドクターブライス)】から伸ばした手で包帯を切り取ってみれば、それは確信に変わった。この様子なら、当初想定していた完治までの時間を大幅に伸ばさざるを得ない。発現したての頃より治すまでに掛かる時間は格段に短くなったが、それでも凡そ二十分は必要だろうと思われた。いったいどんな修行をすればこんなことになるのだろうか。

 おかげでボクはその二十分もの間、燃費の悪いこの能力で『纏』も『練』も封じられることになる。襲われてどうにかされるとは思わないが、しかし余計な危険を背負わされたことに変わりはなかった。

 

 全く、本当に忌々しい。シロネへの憎悪をますます募らせながら、ボクは治療のために能力を操り続けた。

 

 肉に食い込んだ骨の破片を繋げて元に戻すという、その作業を繰り返して幾らか慣れ始めた頃、ボクはふと、またしてもシロネの苦悶の呻きが聞こえていないことに気が付いた。余裕が出てたので顔を上げて見てみれば、彼女は朱乃のように顔を青くして施術の現場を見つめるでもなく、いつかの角度のまま、その方向に眼を固定されている。

 

 シロネは、痛みよりも何よりも、クロカと曹操の戦いにばかり気を取られていた。治療への集中から帰った聴覚に意識を向けてやれば、その方向からはやはり打撃音やら破裂音やら、実に楽しそうな戦闘音が聞こえてくる。

 

 思わず顔が歪み、ボクはついその表情を換えぬまま、唸るようにシロネヘ言った。

 

「そんなに、気になるの」

 

 肩が震え、シロネはボクに振り返る。眉が下がっていた。

 

 ボクは障子のほうに眼をやったまま、淡々と続けた。

 

「『念』勝負だし、それにしたって『凝』とかのレベルじゃない。音だけ聞いても参考にはならないよ」

 

「……あの……はい……」

 

 何か言いかけ、しかし口から出さずに頷くシロネ。骨接ぎのために開いた腕に落ちた視線はやはり上の空であり、納得していなことは明らかだったが、クロカたちを気にされるよりは顔も歪まずに済んだ。

 

 とにかく片付けた問題に息を吐き、ボクも再び視界からシロネを外して治療に戻した。そのまま治療完了までそのままおとなしくしていて欲しかったのだが、しかし数分としないうちに、シロネは余所にやっていた思考で、さっき黙ったことを考え直してしまったらしい。彼女はゆっくりと顔を上げ、つられてボクも眼を持ち上げた。

 

 それが、少しまずかった。揺れそうな視線をどうにかボクに向けるシロネの眼とボクの眼が合ってしまい、震えて開いた口から出た言葉が、真正面からボクの動揺に突き刺さった。

 

 寂し気で且つ悲しげに、シロネはボクに尋ねた。

 

「フェルさま……ウタさまは、どういう方なのですか……?」

 

「……それは、どういう意味?」

 

 それが、ウタの人柄が知りたい、という今更な意味合いでないことはすぐにわかった。シロネの感情は世間話のようなそれではなく、もっと深刻なもの。眼を捉えられて逃げることもできず、尋ね返す。

 

 シロネはそれにまた言葉を詰まらせ、振り払うように鋭く息を吸いこむと、答えた。

 

「フェルさまは……いえ……フェルさまとウタさまは、お互いのことを、どういう存在だと思っているのかなって……その……ウタさまが、フェルさまと一緒にいると、邪気の問題が解消されるとおっしゃっていたので……」

 

 ますます顔色を暗くしながら綴られたその理由に、ボクは疑問を抱かずにはいられなかった。

 

 確かに、仙術使いが邪気を恐れるのは当然だ。クロカも、そしてあのネテロさえも、手を焼いている様子だった。完全に排除できるものではなく、せめて影響を少ないものにすべくやりくりせねばならない。

 その方法の一つにクロカがボクの存在を上げてくれたのは、少々くすぐったいが嬉しい。だからボクの何がクロカに良い影響を及ぼしたのか、知りたく思う心理は理解できる。

 

 だがなぜ、ボクにとってクロカがどういう存在なのか、なんてことを訊くのだ。

 

 何の意味もないはずだ。クロカの邪気にボクが役立つのは、クロカがボクの存在に何かしらを感じているから。ボクがクロカに邪気を消す『力』を浴びせている、なんてことではない。むしろ浴びせているという点では、邪気塗れらしいボクの『気』、『力』は逆効果だろう。

 

 だからつまり、シロネのその問いはクロカへ向けるもの以外全くの無意味。さらに言えば、これはそもそもボクとクロカの間だけで成立しているわけであり、シロネにぴたりと当てはまるわけでもない。ボクにすり寄ってもシロネの邪気の問題は解決されないのだ。

 

 そんなことはわかっているはずだ。なのに深刻そうに訊いてくる。意味不明で、だから疑問だった。

 

 だから、ボクだってすぐに答えることができなかった。

 

 その答えは、ボクが未だに出せないものだったからだ。

 

 ボクは硬い唾を呑み込んでから、意図不明のその質問に、クロカに提示された答えを言った。

 

「まあ……『家族』、かな」

 

「……家族……」

 

 僅かに見張られたシロネの眼が繰り返し、歪んで、腕よりもさらに深くに俯いた。

 

 どう捉えたのか、隠れた顔は見えないが、しかしそれがボクとクロカの関係だ。

 自分で言っても信じられないそれが、ボクの知る唯一の呼称。いつかこれに自信を持てればと望みながら、シロネには触れられたくないその悩みを口にすれば、数舜後に頭の中でごちゃごちゃと絡まった。

 

 そこに無遠慮に手を突き入れられれば、ボクでなくても憤りを覚えただろう。だが思案顔を残したまま言ったその内心が気づかれることはなく、故に不運なことに、朱乃から軽い疑問を引き出した。

 

「家族……血が繋がっているようには見えませんが、つまり――」

 

 続く言葉は耳にする余裕もなく、望みの否定に、ボクの喉は自分でも気付かぬうちに怒りに塗れた低い唸り声を吐いていた。

 

「そっちもでしょ、血が繋がってないのは。むしろキミたちの方がお笑いだよ。あの時から、随分数も増えたみたいだし……また『家族』も増えたんじゃない?」

 

 シロネの白い頭をこれ見よがしに見やり、鼻で笑ってやった。

 

 過剰反応の上、八つ当たりであることはわかっていた。それこそ四年前から、それは理解している。それでも朱乃が、赤髪たちがそう言えば、憎悪を抜きにしても、ボクは歯を剥く以外にない。

 

 ようやく能力と治療の光景に慣れて緩んでいた気をボクの急変に吹き飛ばされた朱乃は、息を呑んでから眉根にしわを寄せ、軋む口を動かした。

 

「それの……何がおかしいのです……?白音ちゃんだけでなく、私たち眷属は皆仲間、家族も同然です……!そのことを、貴女にとやかく言われる筋合いはありませんわ!」

 

「にゃは……筋合いなんてなくても、言わずにいられないくらい笑えるんだよ。節操なしに、眷属にした傍からみんな『家族』にするなんてそんな薄っぺら、ごっこ遊びにしか見えないね。外側だけでも一緒くたに包んでやらないと仲良くまとまれないみたい」

 

 上級悪魔の下僕にしては仲がいい、なんて言っても所詮は耳障りのいい言葉で幻惑しているだけ。そうであると、せめて言葉だけでも笑ってやらねば、ボクの望みの立つ瀬がない。

 

「……ああ、にゃるほど。駒を与えて悪魔に変えたから、みんな自分の子供だって理論?悪魔の駒(イーヴィル・ピース)が血の代わりなわけだ」

 

「血なんてッ!……そんなものに、何の意味もありません……!大切なのは、そんなしがらみなんかではない……駒がなくたって、私とリアスの絆は途切れたりしないもの」

 

「血が、しがらみかぁ……。じゃあキミ、どうして赤髪を『家族』だなんてなんて言うの?『駒がなくたって』って言うなら、それは他人、友達止まりだよ。まぐわう予定があるわけでもないんだからさ」

 

「お互いがお互いにとって大切な存在かどうか……愛しているかどうかという……家族の条件は、その一点のみです……!……四年前と変わりませんね、フェル。私たちの……リアスの愛の、いったい何がそんなに気に入らないのですか……!」

 

 顔を歪めていた朱乃が、上に険峻な目つきを被せてボクを責める。その眼にボクは、内心の苛立ちを隠し損ねた。

 

 だってその通り、四年前からずっとだ。

 

 血の繋がりがないかない『家族』。血で結ばれた繋がりでないそれが、ボクには理解できない。

 それはどうすれば見えるのか、どうすれば結べるのか。知っている赤髪が、だから妬ましくてたまらなかった。

 

 だから赤髪が、さっき出会った筋肉達磨よりも、駒王学園の結界前で見た眼鏡悪魔よりも憎たらしい。ボクがずっと求めているものを、よりにもよって『王』を殺した悪魔が理解し軽々振るっているその現実に、憤死しそうなほど腹が立つ。

 

 【人形修理者(ドクターブライス)】のおかげで『念』が使えない状況でなければ、また独りでに手が出ていただろう。眼もどうにかシロネの腕に落としたまま、頑丈なはずの手袋が軋むほどの力で握り締めた拳の力を、ボクはなんとかやり過ごして、声だけの失笑に変えた。

 

「にゃるほど、にゃるほど。思えば赤龍帝以外、みんなそうだね。朱乃、キミも」

 

「……なにが、です」

 

「『大切な存在』ってやつ。キミたちみんな、それが赤髪しかいないんだ。他はなくしちゃったから」

 

 封じられた攻撃の代わりに口撃のほうを放ってやると、朱乃の顔が凍り付いたように固まった。ついさっき想起してしまっていたために何を言っているのか察したらしく、固まった眼はどこでそれを知ったのだと戦慄していた。がしかしその出所は単純、ハンターサイト。シロネの周囲の情報には大抵お金を払っている。

 元から教えてやるつもりはないが、どのみち動機が動機である故に言えず、無視して朱乃に口角を引き上げた。

 

「朱乃の場合は……確か、バラキエルだっけ。母親も死んで、父親とも絶縁状態。そこを赤髪に釣り上げられたわけだね」

 

「そ……んな……ッ!」

 

 朱乃の眼の奥で怒りがわだかまる。凍り付いた身体を粉砕せんと小刻みに震える彼女に、内心の怒りを覆った作りっぱなしの笑みで鼻を鳴らす。

 

「……何かの本にもあったけど、人に好かれる簡単な方法はその人の傷に寄り添うことって、まさにその通りだよね。それでキミたちみんな、赤髪に唆されちゃったんだ」

 

「……そ、唆されたなんて……きっかけはそうだったとしても、それから築いた絆が、わ、私たちには――」

 

 捨てた父親に意識を取られて歯切れ悪い朱乃にはもう話す気にならず、無視して俯くシロネへ向けた。

 

「シロネもそういうクチなんでしょ?邪悪なクロカを見限ったんだから」

 

 静かに垂れ下がっていたシロネの頭が、その言葉にぴくりと反応した。ゆっくりと持ち上がる彼女に、ボクは湧いた衝動のまま吐き続ける。

 

「キミが悪魔に転生したって聞いた時は、やっぱり赤髪が取り込んだのかって思ったけど、まあ凡そその通りだったね。姉を捨てて空いた穴を、赤髪で埋める。上級悪魔の翼の下は、クロカのそれよりもずっと安全だから。……シロネにとって、姉はもうクロカじゃなく、赤髪なわけだ」

 

(……そう、きっと、そういうことなんだろう)

 

 自分で紡ぎ出した罵りの言葉が、思っていたよりもずっとすんなり、納得に落ちてきた。

 

 もしそうであるなら、クロカが心の深くで求め続けるシロネは、もうどこにも存在しない。すでに挿げ変わってしまっているのだ。クロカの妹であるシロネは、とっくの昔に死んでいた。

 

 クロカの諦めが無くても、クロカの心に在れるのはボクだけだ。

 

 シロネが赤髪の眷属になることを選んだことによって、そうなった。

 そしてそれは、もしかしたらボクとクロカにも当てはまる関係なのかもしれない。傷に寄り添うことが、シロネと赤髪が『家族』なら、すなわちボクとクロカも『家族』であるということ。

 

 そうであるならさっきまでの揚げ足取りめいた言葉の数々も取り消してやろう。もう、クロカの『家族』から蹴落とされることを恐怖せずに済むのだから。

 

 そうしてついたため息の弛緩は、一瞬のことだった。

 

 シロネの顔が持ち上がり、ボクを見たその眼の、まっすぐな物言い。

 

「黒歌姉さまの代わりを、リアスさまに望んだことはありません」

 

 はっきりと、純粋な言葉の中に見えたのは、否定ではなく硬い意思だった。赤髪とクロカなんかを一緒にするな、ではなく、赤髪とクロカは別のものなのだ、というそれは、ボクがそうであると、否、そうであれと思い込んだ安堵を、真正面から一蹴し、粉々に打ち砕いた。

 

「フェルさまの……おっしゃる通り、黒歌姉さまは悪人として亡くなりました……。けど……そうだとしても、私の姉さまはクロカ姉さまだけなんです。……許されないことなのだとしても、私は……姉さまを……」

 

「大丈夫よ、白音ちゃん。どんな事情があろうと、肉親を想う気持ちまで禁じはしないわ。私も――いえ……邪気に呑まれる前までは、黒歌は良い姉だったのだもの。恋しく思うことは、何も悪くない」

 

 言葉を押し留めたように言い淀んだシロネの肩を抱き、朱乃が囁く。背後のその声に、シロネの顎の力がググっと強まった。

 

 朱乃には見えない、言いたいことを我慢しているような表情。それが示すものが、安堵を突き破り恐怖にまで手を伸ばしてくる。

 

「……私は、守られてるばかりで……もう、後悔したくないから、せめて強くなりたいから、だからリアスさまの眷属になったんです……!」

 

 ――後悔(・・)せめて(・・・)、そんな単語が出て来るはずがない。

 

 シロネはクロカを忌み嫌っているはずなのだ。赤髪も言っていたではないか、クロカに裏切られたせいで心を病んだと。

 シロネにとってクロカは、自身の境遇をどん底に突き落とした、死して尚憎い仇敵であるはずだ。そうであるから、奴はクロカを捨てたはずなのに……。

 

 シロネヘの憎悪の根底が、どうして今更ボクの中で揺れているのか。

 

 揺れて急速に傾いて、『まさか』という動揺が駆け巡る。聞きたくないが、聞かねばならない。自身の居場所が崩れ落ちてしまいそうな恐れを振り切って、ボクは縮こまった己の舌を、使命感を以てして動かした。

 

「……じゃあ、シロネは……クロカのことを、どう思ってるの……?」

 

 シロネはまた歯を噛みしめて押し黙ると、言葉を選ぶようにゆっくり口を開け、そして答えた。

 

「ずっと変わっていません。クロカ姉さまは、姉さまです。恋しいとは、もう思えないし、そんなことを思ってもあの時に戻れるわけじゃないけど……もう一度会うことができたらって、考えることはあります……」

 

「白音ちゃん……」

 

 呟き、憐れみの眼を向ける朱乃には、恐らくその言葉が『優しさ』に聞こえたのだろう。恋しいとはもう思えないほど堕ちてしまった姉だが、しかしそれでも救いたいという、そういう意味合いだと思ったはずだ。

 だが背後から抱き着いていた彼女には、シロネの感情が見えない。だから言葉の真意が『せめて』の『後悔』であることもわからない。悪人であるクロカを恋しいと言うことができない立場でも、それでももう二度と会えないクロカに会いたいと思わずにはいられないほどの想い。

 

 シロネにはまだ、クロカへの『愛』と『家族』が残っていた。

 

 それはきっと、ボクとクロカの出会いのきっかけを、そっくりやり直せてしまうほどの量が。

 

 クロカの諦めとか、『家族』と信じることができないボクの意識とか、そんな問題は端から意味がなかったのだ。クロカの心の欠落、空いた『家族』の穴は、ボクで無理矢理埋めようとせずとも元通りにできてしまう。シロネがそこに収まり、再び、クロカが本来望む『家族』を取り戻すことができる。

 そうなれば、ボクはもうクロカの『家族』には収まれない。シロネが抜けた穴にシロネが収まれば、もう隙間など僅かも空きはしないだろう。ボクは恐れた通りに蹴落とされ、クロカとシロネ、二人だけの『家族』から締め出される。

 

 それは、嫌だ。受け入れがたい。ボクはもっと、クロカに必要とされていたい。だが、それが本来だ。本来クロカが持ち、求めた形。ならボクは、それを叶えなければならない。

 

 自分を殺してでも、相手のために尽くすこと。それがボクにとっての『愛』、ボクが示せる唯一の『家族』の証なのだから。

 

 ――そんな『家族』は、嫌だけれど。

 

 ボクは、決心した。少し影の入ったシロネの眼から視線を外し、腕に向ける。ちょうど治療が終わり、開いた腕の傷が塞がる。役目を終えた【人形修理者(ドクターブライス)】が解除されて溶けるように消え、それに気付いたシロネが自分の腕をゆっくりと動かした。

 

 痛みも動かしにくいことも全くないことに、朱乃と一緒に感嘆の息を吐き、そしてボクに頭を下げた。

 

「あ、あの、フェルさま、ありがとうございま――」

 

「ウタと曹操は、まだ戻りそうにないね」

 

 しかし遮り、ボクはぴったり閉じたままの障子へ眼をやった。何をと、困惑して顔を上げる彼女には応えぬまま、腰を上げて部屋の真ん中に陣取るちゃぶ台を持ち上げる。

 

 座布団や座椅子や肘置きも一緒に部屋の隅に追いやり、広くなったそこでボクはようやくシロネに言った。

 

「あっちはまだ修行中なのに、それまで待ってるのも不公平でしょ?だからボクも、四人が帰ってくるまで教えてあげる。格闘術とか、技の一つくらいなら覚えられなくもない時間だろうし」

 

「え……ええと……」

 

「なに?いらない?」

 

「い、いえ……!ぜひ、教えてほしいです!」

 

 初めてボクのほうから教えを薦められたことが驚きだったらしい。胡乱げな顔でそれを見つめる朱乃は、何か良からぬことを企んでいるのではと疑っているのだろう。

 

 企みであることは否定しない。けれどそれは酷く小さく、我ながら未練がましいだけのものだ。クロカの『家族』を譲り渡す代わりに、せめて少しでも二人の仲に自分の存在を残したい。そんな想いが微かに顔を出しただけだ。

 

 ボクは感情で詰まってしまいそうな喉で呼吸して、やはり大嫌いなシロネの腕を取り、乱暴に引っ張り起こした。




各日更新終了。
そしてお話の準備も完了(長い)
次話から三部の本体(なんなら二部からの本体)
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