主なきノラネコたちの家   作:もちごめさん

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二十一話

 ふと目を開けると、遠くに剥き出しの岩肌と、中央にぽっかり空いた大穴が見えた。

 

 凡そ二十メートルほども離れた平面から、大穴はさらにその四、五倍ほども深く続いている。そんな穴の底をふと奇妙な光線が横切り、不自然なくらいに滑らかな壁面を舐めた光が、私にも降り注いだ。

 

 眩さに、せっかく開いた目を眇める。と同時に顔の上を降ってきた砂粒が転がって、私は見ていた壁が底ではなく、天井であることに気が付いた。自身が仰向けに転がっていることを認識して、続けざまに身体の感覚も蘇り、自分がどうやら岩の隙間に埋もれているということも理解する。痛みはないが、伸し掛かられている圧迫感があった。

 

 だが気付いたとほぼ同時、岩がこすれる音と共に、その圧迫感が取り除かれた。

 

 「えいっ」というかわいらしい声。眼を向けると、私を押し潰していた大岩を投げ捨てたその子の顔が、同じく私の姿を捉えてくしゃりと歪んだ。

 

「姉さまっ……!!よかった……無事でよかった……!!」

 

 白音は鼻を鳴らしながら、私の傍で膝を突いた。その手がためらいがちに伸ばされ、恐る恐るに私の手を握る。両手で包み込み、祈るように押し抱いた。

 

「せっかく……なのに、死んじゃったらどうしようって……」

 

「死ぬ?……ああ、そうね」

 

 疑問符が浮く。だが身を起こし、周囲に大量に散らばる大小無数の瓦礫片、そして大穴とその奥の光、戦闘の気配に、すぐに直前までの出来事と、自分が何をしようとしていたのか思い出した。

 

 呆けから平坦へと引き戻す。その突然の声調の変化に驚いた白音が顔を上げた。私の手は握ったまま、今度はあっちが間抜け面を晒している。

 

 その桃色の頬を、私は裏拳の平手打ちで吹き飛ばした。

 

 声も出せずに瓦礫の山を転がり落ちる白音。その無様を見物しながら私は立ち上がる。新調させた着物についた埃を払いながら、高くなった視点で改めて周囲を見回した。

 

 洞窟か何かかと思っていたが、所々にある人工物的な滑らかな壁面はどちらかといえば遺跡のようだ。長い年月で風化したようなそれらの傍に、掘っ建てだが近代建築めいたプレハブ小屋のようなものがいくつも建っている。たぶん、『旧魔王派』の兵士たちの住居なのだろう。地下深くの遺跡を間借りして暮らしているらしい。落ち目のテロリストとは哀れなものだ。

 もちろん住人はすべて魔王との戦いに駆り出されており不在だが、奴らがこんな環境で人間や現魔王たちへの憎悪を蓄えていたと思うと憐れまずにはいられない。

 

 どうせもう不要な施設であるし、いっそ派手に壊してやろう。そう考えながら、私はふもとまで落ち、へたり込んだまま驚愕の眼でこちらを見上げる白音に嘲笑を向けた。

 

「馬鹿よね、あんた。『死んじゃったらどうしよう』って、まさか私を助けようとしてたの?」

 

「あ、当たり前です……!だって、私は……」

 

 言葉は続かず、押し黙る。喉の手前で留められたその続きに、私はゆっくりと瓦礫の山を下りながら、唇を醜悪に歪めてみせた。

 

「『姉さまに媚びを売って部長の命乞いをしなければならないんですから』、ってとこかしら。だからあんな下手な芝居までして私たちに近付いたわけね。殺すよりも生贄で満足してもらう方が可能性があったから……裏切り者の汚名を被ってでも、大事な大事なご主人様を逃がしてみせる、みたいな調子?」

 

 まあそこはピトーが台無しにしちゃったわけだけど。と笑いながら、私は広がる天井の大穴を見上げた。相変わらず感じる戦闘の気配。遠くに見える地上の、その傍で今も戦っているであろう彼女を思い浮かべながら、私は続けた。

 

「仙術で操ったとかいう嘘設定出したり突き飛ばしたり、いきなり何するんだって思ってたけど……つまりピトーはあんたの思惑を読んでたってわけね。私たちの計画の内ってことにしとけば……逃げられて『作戦』がめんどくさいことにならなくて済むし、こうやって隔離すれば、自棄になったあんたに余計なことバラされずに済むもんね」

 

 私が一瞬抱いた危惧は、すべて気のせいであったのだ。

 

 こっそり息を吐き、言ってやって視線を戻すと、白音は表情の驚愕に怯えを含ませ始めていた。ふるふると、幼子のように首を横に振る。

 

「ち……違います……。私、そういうつもりじゃなくて……」

 

「何が違うの。私とピトーが『ウタ』と『フェル』の正体だってこと、あんた黙ってたんでしょ?ご主人様を見逃させるための交渉材料にするために。……けど残念。あの野武士が勝手なことしたせいで段取りは狂っちゃったけど、やることは変わらない。知っちゃったあんたを生かしておく理由もないわけなのよ。そういう意味でも、生き残りたいなら、やっぱりあんたは私を殺すべきだったわね」

 

「殺す……違う、違うんです……!そういうんじゃない……!」

 

 本当に子供に戻ってしまったかのようだ。怯えた顔で駄々をこねるようにひたすら首を振る白音。

 

 その目の前に、私は飛び下りた。足音にびくりと身を強張らせる白音を声を漏らして嘲笑い、屈んで、耳元に口を寄せた。

 

「私を殺せる力量なんて、そもそもあんたにはないけどね」

 

 姿勢を戻し、今度は右足で蹴り飛ばした。

 

 プレハブ小屋まで吹き飛び、激突した衝撃で粗末なつくりが崩壊する。鉄板やらが崩れる耳障りな音の中に、白音の苦悶の呻きが聞こえた。

 

「返り討ちに合うだけだから……そっか、そう考えれば一縷の望みに賭けるっていうのは道理よね。少しでも多く助かる可能性、教えたこと、ちゃんと覚えてるみたいじゃない」

 

 蹴りが突き刺さったお腹を抱えながら、鉄材の山に半ば埋もれた白音の眼が持ち上がり、私を見た。

 

 未だに呆然と驚愕を映していた。攻撃されたという事実にすら頭が追い付いていないらしく、せっかく言ってやった嘲りもろくに頭に入っていないらしい。こっちが何度も『殺す』と言っているのに、反撃どころか逃げるそぶりすら全く見られない。

 

 信じられていないのか。ならその理由は、やはり私を見るその眼と同じなのか。

 

 笑みが保てなくなって、私は唇を噛み、地を蹴った。一跳びで白音の下に着き、そしてすれ違いざまに再び蹴った。

 同じくお腹。抱える両腕の隙間を貫き、白音の身体がまたいくつかの小屋を打ち壊す。しかしどうやらダメージは大きくないらしく、吹き飛ばされながらも顔は私に向いていた。

 

 そしてやっぱり、その感情は変わっていない。見てしまい、確信した私は拳も握り込み、続けて休まず襲い掛かった。

 

「――『纏』で防御はできてるみたいだけど……耐えるばっかじゃどうにもならないわよ……ッ!」

 

 真正面で殺意を吐き掛け、大振りのストレートを一撃。モーションとでようやく白音も反応し、顔に飛んできたそれを腕でガードした。が、威力は受け止め切れずに押され、バランスを崩して倒れる。

 

 私はそこに追撃のもう一発を引き絞りつつ、白音の視線を捉えて無理矢理笑った。

 

「それとももしかして、ほんとに反撃する余裕もないのかしら?私、格闘は苦手なんだけどねッ!」

 

「うぐ……っ!」

 

 ガードの上から力任せに地面に叩きつけた。これはさすがに効いたようで、苦悶が表情と声に漏れる。

 

「あんた、『戦車(ルーク)』の駒貰って悪魔に転生したんでしょ?高い攻撃力と防御力、そうまでして手に入れた力ってこんなものなの?ほら、やり返してみなさいよ!」

 

 苦いものを噛みしめながら、連打。押し倒した白音に連続で拳を振り下ろす。続き、伝わる威力が、踏みしめる小屋の床材にひびを入れた。

 

 何十発か、殴ってやっても尚白音は一切の反撃をしてこなかった。ただ耐えるのみだ。切れかけの息を呑みこみ、私は最後の一発を大きく振りかぶった。

 

「ゴマ粒みたいな可能性でもせっかくのチャンスなのに、このままじゃ、普通に殴り殺されちゃうわよ……!」

 

 しかし白音は何もせず、私の拳はその身体を貫いた。

 

「………」

 

 ひび割れていた床材が粉々に砕け散った。半開きになった白音の口が、つっかかりながらも必死に呼吸を繰り返している。

 

 拳にへばりついた柔らかい肉の感触から逃れるようにして、私は白音の上から退いた。立ち上がり、一歩二歩と後退る。

 

 もう疑いの余地はなく、勝手に歯軋りが鳴った。

 

「あんた……まだ見逃してもらえると思ってるのね」

 

 だからつまり、私が昔の通りの優しい姉のままだと、そう信じている。

 

 リアス・グレモリーや赤龍帝たちですら打ち消したそれを、未だ持っているのだ。よりにもよって白音自身が。

 

 酷く腹立たしく思った。

 

「……五年前のこと、もう忘れちゃったってわけ」

 

 深呼吸の後、それでも抑えられなかった思いが顔を出す。

 

「『こっちに来ないで』、『一緒に行きたくない』、『関わらないで』。全部あんたが言ったのよ?ここまで言われて、私がまだあんたたちの言う『優しい黒歌』のままでいるとでも思うわけ?……それにあの元バカマスターのこと、あんた好きだったんでしょ?そりゃそうよね、あいつが私を眷属にしたから、いいもの食べていい寝床で寝られるようになったわけだし」

 

「……あ……ぐ、うぅ……」

 

 呻き声を上げながら、白音が身体を起こそうとしている。眼は怯えの一色だ。

 

 私は続けて冷たい呼気を吐き出した。

 

「だから、それを全部ぶち壊した私が憎かったのよ。それに、聞いてるわよ。馬鹿な悪魔共に責められて病んじゃったんだって?可哀そうね。……それもこれも全部私のせい。なら白音、あんたは私を憎んでるのよ。自分を不幸にした、姉の黒歌をね」

 

 「なのに」と呟く声が震えた。

 

「なにを都合のいい事ばっかり信じてるのよ……!最後には私が改心して、許しを求めるとでも!?馬鹿にしないでよ!あの時、元バカマスターたちを殺したことを、私はこれっぽっちも後悔してない……!これからあんたを殺すことだって……!何一つ、悔いてなんかいない!だって私もあんたが憎いんだもの!」

 

 感情に押されて『気』が荒ぶる。増大したそれを身に纏い、下がった足を再び前に踏み出す。

 

 喘ぐ白音へ殺気をぶつけた。

 

「だから、さっさと諦めてかかってきなさい。もうあんたの憎悪を真正面からぶち壊してやらないと気が済まないのよ!」

 

 だが白音は怯えるでも怒るでもなく、叫んだ。

 

「違うんです……ッ!!」

 

 思わず気圧されてしまうほど、強い否定の言葉。真に迫った訴えに、滾った戦意が引いてしまう。

 

 それほどの迫真で私を退け、白音は受けたダメージで身体を震えさせながらたち上がった。傍に残った鉄骨柱を支えに身を起こし、苦しげな呼気を吐き出す。そしてもう一度大きく吸い込み、その眼の迫真を、私に向けた。

 

 あらわになる。

 

「わたし、姉さまが主さまを殺した理由を、知っているんですッ!!」

 

 ドクン、と全身に響くほど大きく、心臓が拍動した。血が巡り、熱くなる。一瞬にして私の思考は止まり、だが数舜後、辛うじて残った理性が頭に冷水を流し、引き締められて思い出した。

 

「……ああ、はいはい。力に溺れるあまり、殺しの衝動が抑えられなくなった、ってやつね。凡そその通りよ。邪気に呑まれたのもそうだし、殺したかくなったから殺したの」

 

 憎悪が故の殺しだった。でなければわざわざ窯焼きで苦しめたりはしない。

 だがそれが何だというのだ。叫んで痛みがぶり返したのか、お腹を押さえて歯を食いしばる白音に、私は嘲笑の笑みを取り戻した。

 

「修行で教えてあげたでしょ?邪気っていうのはそう特別なものじゃないの。誰でも持ってる負の側面、それが『気』として表面化したしただけのモノ。取り込んじゃえば影響されちゃうけど、いきなり見知らぬ憎悪が降って湧いてくるわけじゃない。元から持ってる負の感情が影響されて、膨れちゃうだけなのよ。だから元バカマスターを殺したのも、あんたのことが憎たらしいのも、邪気で狂わされたわけじゃない……全部私自身の、本物の意思」

 

 だから私が『優しい黒歌姉さま』だということは、絶対にありえないのだ。わかっただろうと、私は無意識に胸元を握り締めていた手を解き、腕を組んだ。

 

 もう、私を信じる理由はなくなっただろう。そう思った。憎悪の状況証拠と殺意の自白、殺気を浴びせて態度まで示してやった。これで私を信じ続けるには、もはや狂人にでもなるしかない。

 

 だが私を見つめる白音の眼は、やっぱりそのまま、澄みきっていた。

 

「やっぱり……。ならきっとそれは、私のため、なんですよね……?」

 

 本心からの言葉であることが明らかなそれは、容易に私の喉を詰まらせた。

 

 反論が出て来るはずもなく、硬直する私に白音はよろよろと歩み寄りながら、続ける。

 

「主さまを殺すことが、なんで私のためになったのかは……わかりません。主さまと姉さまの間に、眷属の皆さんとの間に何があったのかも、私にはわからない……。あの頃は、そんなこと気にもしなかった。だから姉さまが主さまを殺した時も、考えすらしなかったんです……。仙術のせいで私のことが嫌いになってしまったんだって、ずっと思っていました……」

 

 頼りない足取りながらもすぐ近くまでたどり着いた白音が、私の眼を覗き込んだ。

 

「でもあの時、姉さまは泣いてた」

 

「……泣いてた……?」

 

 自分と同じ金の瞳を見つめ返しながら、呆然と呟く。泣いていた?意味がわからない。

 

「……涙なんて、流すはずがないでしょ。だいたい、なんで今――」

 

「後から、思い出したんです。京都で攫われた時、拳銃使いの女性に、たぶん念能力で記憶をのぞかれた時に」

 

 それはあのパクノダという女のことだろうか。拳銃ばかりでどんな能力を持っているのか謎だったが、記憶を探る能力者だったらしい。

 

 そしてその事実は繋がって、クロロが私たちの正体に気付いた理由も明らかにした。記憶の中の黒歌を見ていたから、連想しやすかったのだろう。さすがにそれだけで気付いたわけではないだろうが、きっかけではあったはずだ。

 

 結果正解にたどり着いたということは、精度も悪いとは思えない。そんな能力に見せられたというのなら、私の涙も思い違いなんかではないのだろう。私は実際にあの場で涙を流していたということになる。

 

 その内にあったものも、見透かされているということだ。

 

「私に拒絶されたことに流した涙。私を、想ってくれていたから、傷ついたから、流れた涙、だったんでしょう……?」

 

 語尾も眼も震えている。おぼつかない足取りが、恐る恐るのそれに見えた。

 

「だから……だから私……」

 

 手がお腹から外れ、私へとゆっくり伸びてくる。何かを求めているかのようだ。

 

 私はそれを、勢いのあまり裏返ってしまった哄笑で払い除けた。

 

「あははっ!何よあんた、それで自分が殺されないって考えちゃったの?誘拐犯の能力で見せられたものを信じちゃったわけ?どんだけおめでたいのよ!」

 

 びくりと震え、白音は弾かれるようにして手を引き戻した。足も下がり、怯えの度合いも増す。

 

 だが嘲りが功を奏してしまったのかすぐに気を取り戻し、首を振った。

 

「わ、私、そんなんじゃ……でも、私は、本当に――あぐッ!」

 

 反射的に身体が動き、白音の言葉の続きを蹴り飛ばした。またも地面に転がった彼女をゆっくり追いながら、私は大きく息を吐く。

 

 そんなに知りたいのなら、事実を教えてやるべきだ。

 

「まあ、あの頃の私は確かにあんたの言う通り、『優しい黒歌姉さま』だったわ。それは認めてあげる。あの元バカマスターが自分の戦力にって、白音を……あんたを仙術に目覚めさせようとしてたのよ。私が反対するもんだから、命が危うくなりかねない危険な方法で無理矢理、ね。だからぶっ殺したの。ついでに今まで散々こき使われた分も上乗せして」

 

「あ……主さまが、私を……?」

 

「信じられない?そうよね、世の中に出回ってる話じゃ全部私が悪いことになってるし。別に信じなくてもいいわよ。信じられないくらい、あのろくでなしはあんたにとって初めて出会った『良い人』だったものね。……おかしいったらないわ。あのクズ野郎の笑顔を信じ切って、疑いもせずに呑気に暮らしてたなんて」

 

 そういった汚いものから白音を隔離していたのは私自身であるわけだが、それからは眼を逸らして責め立てる。これは今までの答え合わせ。白音に、自身がしてきた行いを確認させるためのものなのだから。

 

 だから私は絶望と苦悶がごちゃ混ぜになって蹲る白音に、躊躇なくもう一度、後ろ蹴りを食らわせた。

 

「それでまだ(・・)私が白音を愛してるなんて、どうして思えるわけ?」

 

 小屋、と言うには他と比べて少々大きい建物の外壁を白音の矮躯が突き破り、柱にめり込み辛うじて受け止められた。私も追って入る。どうやら上官か何かが使う家らしく、平兵士の掘っ建て小屋と比べてちょっぴりの豪華さを一巡り見やってから、柱ごと白音を張り飛ばした。

 

 居間らしき空間のソファーがへし折れるのを見つめながら、私はさらに拳を握る。

 

「あんたを助けに行ったあの時は、確かにまだあんたを愛してた……!クズの元バカマスターと無能の眷属どもに振り回されて苦しかったけど、あんたがいたから頑張れた……!白音のためだから、今までずっと頑張ってこれた……ッ!……そう思ってたら、あの裏切り……。せっかく一緒に逃げようって迎えに来てやったのに、『こっちに来ないで』よ?差し出した手をひっぱたかれて、それでもう一回助けようなんて思う馬鹿がどこにいるのよ……!」

 

 拳を振り下ろす。やはりガードされたが、それでも貫き響く痛みで白音の身体が硬直した。その襟首を掴んで持ち上げ、無理矢理身を起こさせた。

 

「しかも無理に助けに行ったせいで逃げる途中に殺されかけるし、踏んだり蹴ったり。……まあそのおかげでピトーに会えたわけだから、これに関しては感謝するべきかしら。一応言っとくわ、どうもありがとう」

 

 ふらふらと辛うじて二本足で立つ白音の胴を、アッパーで打ち上げる。

 

「だからこそ、私はあんたは殺さなきゃなのよ。……わかった?私たちに媚び売っても、あんたが助かるなんて道は万に一つもない。私が、必ず殺す」

 

 興奮のためだろう、震える拳を、とどめの一撃として向けた。

 

「今の私は……白音の姉じゃないのよ!!」

 

 振るわれた。寸前、ぴくりと反応した白音にガードされてしまうも、ふらついた脚では受け止め切れるはずもなく、威力に押された身体は内壁を打ち壊した。そのままよろよろと後退し、地面に転がる木片に足を取られて尻もちをつく。

 

 今度は恐らく、寝室だ。木片は、突き抜けた私の打撃の威力で粉砕されたベッドなのだろう。見れば周囲には布切れと、幾らかの羽毛が宙を舞っている。

 

 居間も然り、想起させられる()の感覚に隔意が震えた。

 

 私はまた長く息を吐き、妖力を使った。手の中に火車を生み出し、さらに『力』を注いで大きく育てていく。

 

「ここまで言ってもまだ信じたいなら、もう知らない。……知ったことじゃない。あんたが信じる黒歌も全部、ここで焼き尽くしてあげる」

 

 いらないものは燃やしてしまえばいい。いかにしつこくても、なくなってしまえば迷うこともない。

 

 灼熱の温度を手のひらに感じながら、私はそれを、床に叩きつけようとした。

 

 だがその直前、白音が叫んだ。

 

「なら……なんで私を助けたんですか……!!」

 

 火車が一息で消し飛ばされた。思わず妖力のコントロールを失ってしまうくらい、その叫びに混じった『怒り』は、容易く私の心臓に突き刺さった。

 

 ただちょっと凄まれただけなのに、なんでこんなにも動揺しているんだ、と理性が呆れて肩をすくめる。だが頭の中では虚勢を張れても、心は全く落ち着かず、怯えた。

 

「助けた……って、だってそれは、あんたが元バカマスターに殺されるかもって、そう思ったからじゃない……!」

 

 そんな話ではなく、言葉で誤魔化せるような話でもなく、起き上がりながら向けてくる白音の眼が私の心の奥までもを見透かしていると、そう確信してしまったからだった。

 

 事実で隠した私の本心。遮ることなどできず、それが白音の口から告げられた。

 

「姉さまは、今も私の知ってる優しい姉さまのままです……!」

 

 痛みに喘ぎながらも静かに、しかし確固たる確信と共に言い、白音は私に歩み寄る。その一歩の度に私は後退り、居間の半壊した机に止められると、乾く喉から言葉を押し出した。

 

「そんなわけ……ないじゃない。今までの話、聞いてなかったの……?」

 

 だが皮膚を薄皮から一枚ずつ剥いでいくかのように、白音は続ける。

 

「聞いていました。私のせいで姉さまがどんな思いをしたのかも、わかっているつもりです……。でも……それで姉さまが、本当に私を見限っていたのなら、私は京都で攫われたまま、助かることはなかったはずです……!」

 

 そうだ。私が白音を五年前から憎めていれば(・・・・・・)、あの救出劇は起こらなかった。私がそれを望めば白音を殺すことだってできたのだ。

 

 なのに私はあの時、白音に裏切られてからも、白音を救うことを望んで動いていた。

 

「私たちがコカビエルに襲われた時だって、そうです……。無視していれば、少なくとも私は死んでいた。……それについさっき、ピトーさまに穴に突き落とされた時も、降ってくる瓦礫から私を守ってくれたでしょう……?代わりに自分が瓦礫に押しつぶされてしまうことも厭わずに……。姉さまが、殺したいほど私を憎んでいるっていうなら、自分を犠牲にそんなことはしなかったはずです……!」

 

 私の真正面に立ち、食いしばった歯の隙間から、「けど」と私の怯えを射貫く。

 

「姉さまは、ウタさまに名前を変えても、ずっと私を守ってくれていた……!傷つきながら……ずっと……!それが……それが私の大好きな姉さまの証でなくて、いったい何だっていうんですか……ッ!!」

 

 だから私は、本心では白音を憎んでなんていないのだ。

 

 白音はそれを知ってしまっていた。私を攻撃しなかったのも、そもそもリアス・グレモリーたちを裏切ろうとしたのも、そのため。『優しい黒歌姉さま』なら、何を言ったとしても、妹を殺すことだけは絶対にしない。それがわかっていた。

 

 その通りだ。

 

「……私が、憎まなければならない(・・・・・・・・・・)って思うほどのことを、姉さまにしてしまったことは、わかっています。文句を言う資格も、許してもらう資格もないことは……。でも……姉さまがもう私を愛せないのだとしても……」

 怒りが徐々に冷め、代わりに悲しみが染み出してくる白音。私は、じっとそれを見つめていた。

 

「せめて、それだけは――」

 

 確信し、諦めた私の内心は、さっきまでの怯えが一転して冷たく冷えていた。

 

「……『優しい黒歌姉さま』が、そんなに大切なわけね」

 

 どれだけ否定しても私の心はあの時のまま、『優しい黒歌姉さま』なのだ。

 

 心の根底にそれがあるから、あのまま白音への憎悪を身に纏っていても、結局私は白音を殺せなかっただろう。だから私の心の奥に『優しい黒歌姉さま』がある限り、白音が殺されることはない。それは正しい。どれだけ言葉とフリで脅そうが、私は白音を憎悪することができなかった。

 

 ずっとそうだ。白音を捨てようと決意した京都での出来事から今日この時まで、口と身体では拒絶できても、私と白音の間にある『姉妹』という繋がりは絶てなかった。修行の依頼はお金という免罪符一つで受け入れてしまったし、コカビエルとの戦いだってそう。修行も、オーバーワークだろうが骨折だろうが放っておけばよかったのだ。

 

 なのにウタの正体がバレてからも、そして今も、殺すという最後の一線だけは越えることができなかった。

 

 私は、心の奥では常に白音を想っていた。

 

 私の本心は、『白音の姉』でいたいのだ。

 

 それを白音も、そして私も知っていた。

 

「……そうよ、あんたにもバレちゃったわね、私の気持ち。憎みたくても、どうしても心の底からは憎めない。どこまで行っても私たちは姉妹で、家族で……心底から憎み合うなんて、端からできないのかもね」

 

 ため息と一緒に言った。私を見上げる白音の顔が呆け、そして緩やかに喜色が咲き始める。

 

 私の心の『優しい黒歌姉さま』は、それを嬉しいと思った。

 

 

 

「それが一番憎たらしいのよ」

 

 

 

 私の殺気が周囲に吹き荒れた。白音の身体が本能的に恐怖し、私の正面から逃れるように跳ぶ。

 硬直したその身体を、私は殺気に身を任せて打ち据えた。

 

 さっきまでのように吹き飛びはしない。筋力頼りのそれではなく『念』での攻撃だからこそ、攻撃の威力はすべて白音の肉体に浸透した。逃げようとした脚がたたらを踏み、背が折れ、咳き込む音に水音が混じった。

 

 己の手のひらに吐き出された血を見つめ、白音は呆然と呟いた。

 

「あ……れ……?ねえ、さま……?」

 

「あんたの言う通りよ、白音。私はホントのところ、別にあんたを憎んじゃいないの。そりゃあ言われたことに思うところはあるけど、たった一人の妹だもの。急に嫌いになんてなれないわ。……元バカマスターの時も京都の時もコカビエルの時だって、大事な妹を守りたいっていう根底の想いは同じ……『優しい黒歌姉さま』な私が、白音を憎むどころか、殺すなんてできるはずがないじゃない」

 

 白音の顔が持ち上がり、本能に感じる恐怖に感情が追い付いたのか、その表情が呆然から恐怖に変わっていく。心の中に悲しみが広がった。それが、私の憎悪をまた膨らませた。

 

「私が本当に憎いのはね……私に白音を憎ませてくれない、この『優しい黒歌姉さま』なのよ……!!私そのもの(・・・・)が、私はこの世の何よりも憎くてたまらない!!」

 

 怒りの衝動でもう一度拳を握る。白音を殴った感触で未だじくじくと痛むそれ。『念』で塞ぎ、再び白音へ振るう。

 

「ピトーのために、あんたを憎まなきゃいけないのにッ!!」

 

 肉にめり込んだ。飛び散った血が、初めて腕を濡らした。

 

 身体が震えた。

 

「……ずっと私の心に居座って、ずっと私の邪魔をするの。消さないでだなんて……そもそも、消せないのよ。白音のお姉ちゃんだった今までの生は。けど私は、それを消さなきゃならない。白音を憎みたいのに、憎まなきゃならないのに……憎ませてくれない。自分の望みを自分が邪魔してるって、どう?おもしろいでしょ?私の頭の中」

 

 白音を殺したい自分と守りたい自分とが常にせめぎ合っている。だから感情ですらも殺しの手前で怯んで止まる。

 

 滑稽以外の何物でもないだろう。口から吐く憎悪と心の内にある想い、そのちぐはぐに、みんな気付かないはずがない。

 

 赤龍帝もリアス・グレモリーも、白音も、そして――ピトーも、だからみんな、引きずり出そうとする。私の本心は憎悪か愛か、どちらなのかと。

 

「私は……ピトーの家族であるために、白音を憎まなくちゃいけない。悪魔は全部、捨てたいの。けど……できない。私の心にとって、白音はずっと妹だから」

 

 未だどちらにも傾かないその天秤がピトーにも知られているから、だから彼女は私を試すのだ。白音(悪魔)を愛しているのか、それとも自分と同じように悪魔(白音)憎んでいるのか、自分と白音、どちらかを選べと言っている。

 

 今までずっと捨てられず、選べなかったから、だからたぶん、白音共々私を穴に突き落とした今回が最後のチャンスだ。この場は、もう二度とない。

 

 だから、どれだけ痛くてもやらねばならない。

 

 逆の拳を握り締めた。

 

「ッ……!!私は……!!ピトーを裏切らない……!!今度こそ今までの私を殺して、証明してみせるッ!!」

 

 私はピトーと同じバケモノで、だから家族なのだと。

 

「……私が白音のお姉ちゃんで、白音を憎んでいなくても、殺したくなくても、そんなの関係ないの」

 

 頬を殴られよろめき、一際大きな血の塊を吐き出す白音へ、私はその心を押し潰しながら言う。白音を想う気持ちとピトーを想う気持ちは同等で、しかし交わらないから、片方が欲しいなら、もう片方は諦めなければならない。どちらかを選ばなければならないのだ。

 

 私はもう、捨てられたくない。

 

「だから白音、私はあんたを殺すわ。あんたは別に、いなくなっても構わない。『優しい黒歌姉さま』共々、絶対に完全に殺し尽くして忘れ去る。白音との家族を捨てて、私はピトーとの家族を手に入れるのよッ……!!」

 

「………っ!!」

 

 ゆっくりと持ち上がり、私に向きつつあった白音の顔を、私は妨げるようにしてまた殴った。

 

 無駄に力が入り過ぎたのか、浮いた白音の身体が家の壁にめり込んだ。がっくりと頭が垂れるが、自身の血で汚れた服の胸は確かに上下している。

 

 まだ殺せていない。荒い息と震えっぱなしを身体を無理矢理動かして、私は一歩ずつ白音へ近づいた。

 

「……まだ、生きてるの。しつこいわね……」

 

 なら今度こそ確実に殺せるように、頭の中を空にして『念』を練る。機械的に増幅させた『気』を右手にすべて集中させる。眼は、動く胸の心臓へ向いた。

 

 集中するあまり、そこに埋め込まれたのであろう悪魔の駒(イーヴィル・ピース)の気配すらも感じた。己の身体にも存在するそれに、救いのように憎悪が湧いた。

 

「……あんたも私も、悪魔に関わったのがそもそもの間違いだったのよ。あの時、私があのクズ野郎の口車に乗らなかったら……もしかしたらこんなことしなくても、済んだのかもね」

 

 白音の下までたどり着き、ゆっくりと拳を引いた。これを叩きつければ、間違いなく白音は死ぬ。いかに私の意思が弱くとも、『戦車(ルーク)』の防御力があろうと、一切合切を貫き、破壊できる。

 

 これで終わりだ。その時ふと、白音の口から言葉が漏れた。

 

「……そうかも、しれません」

 

 それだけで、拳は動きを止めた。引き絞られたままぴたりと静止する。

 

 白音は、垂れた髪の毛の隙間からそれを見ていた。私が気付き、眼を合わせると、続けた。

 

「私は何もできなかったから……ううん、何もしなかったから、姉さまの傷に気付けなかった。……間違ったのは、私です。だから、もう元に戻れない」

 

 私は思わず身を引いた。これから殺されるというのに白音の眼には相も変わらず抵抗の意思が見えず、そして何より、酷く穏やかだった。

 

 彼女は既に、すべてを受け入れていた。

 

「わかっています……。私の間違いが、許されるものではないことは……。……虫のいい話だってことは」

 

 埋まった両腕が引き抜かれる。一緒に身体も壁から脱し、私を見上げる。そして……床に手を突いた。

 

「私はただ……もう一度姉さまに会いたかった。会って、ごめんなさいって謝りたかったんです……。……ほんの少しでいいから、姉さまの本心が知りたくて……リアス様を裏切ってでも、姉さまを二度裏切りたくなかったから……」

 

「……なんで、謝るだなんて……」

 

 衝撃に、思わず私の心からも言葉が漏れ出る。白音はそれを噛みしめ、静かに目を伏せた。

 

「もう、私は十分です。こんな私を、姉さまがまだ想ってくれていたって、それを知れただけで……満足です……。それが捨てられるものだとしても……これが、償いになるのなら……」

 

 身を起こし、立ち上がる。直立で、両腕はだらりと垂れ下がったままだ。

 

 私に殺されることを受け入れ、白音はその首を差し出した。

 

 構えたままの私の拳が激しく震え出した。聞こえてくる自分の呼吸音が荒くなり、目の前がぐらぐらと揺れ始める。憎悪なんてものは、とうの昔に押し流されていた。

 

「姉さま」

 

 白音が、私に微笑みかけた。

 

「ピトーさまと、いつまでもお元気で」

 

 涙が滴った。

 

 震えを噛み潰し、痛みを押し潰し、心を殺し尽くして、

 

 『死』が、振り下ろされた。




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