主なきノラネコたちの家   作:もちごめさん

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三話

 妖怪の警ら隊と一応の和解を果した後、時間の迫っていたボクたちは結局九重の観光案内の世話にはならず、遅いおやつにお勧めの八つ橋だけを買って旅館へと向かった。

 

 そして到着した三日間の宿は、事前に聞いていた話通りホテルではなく古い旅館。年季の入った木造の三階建てで、灯るオレンジの灯りと相俟って妙な温かさを感じさせる面構えだった。出迎えてくれた従業員たちもみんな和装であり、導かれて中に入れば内装も和の一色にまとまっていた。

 イメージできる“日本の旅館”のお手本のような建物で、学生をまとめて放り込むには少しばかり場違い。だからこそ気配が目に付いた。

 

 出迎えてくれた数人を含め、中で働く従業員も、恐らくすべて妖怪だ。何時かの料亭のように、直接手の届く範囲で悪魔を管理しておきたいという大きな意図が見える。

 

 より苛烈になったという悪魔に対する警戒心の、ボクという監視に続く一端。常に見張られ続ける三日間、彼らはさぞ息苦しい思いをすることになるだろう。

 と思いながら宛がわれた部屋へ向かう彼らを見送ったのだが、しかしどうやら全員、自分たちが妖怪の監視の檻に入れられていることに全く気が付いていないようだった。

 

 人の姿を取る妖怪の変化に違和感すら抱いていない。その原因は修学旅行の興奮か、少し前に妖怪たちに剣を向けられたことももはや記憶の彼方であるようで、人の生徒たち共々部屋に通され腰を下ろした後、そのままぎゃあぎゃあと遠慮なく騒ぎ始めてしまっていた。

 

 だからといって何を思うわけではないが、間抜けな連中だと呆れるばかり。ともかくそうしてボクの初日の仕事は終了し、警ら隊という問題は残るもひとまずお守から解放された。翌朝になるまでは旅館の妖怪たちが彼らの面倒を見てくれる。

 

 となれば空いた時間、ボクは約束を果さねばならなかった。ゼノヴィアとハンゾーに言ってやった、修行をつけてやるというそれ。旅館のほど近くの竹林に二人を集め、ひとまず今の力量の確認ということで【纏】と【練】をさせていた。

 

 ただしそこには、仕事にも約束にも当てはまらない九重までもがついてきていた。

 

「ふぅ、ふぅ……どうじゃフェル!私の【念】、すごいじゃろっ!?」

 

 ゼノヴィアとハンゾーと同様に【纏】と【練】を使ってみせ、頬を紅潮させた九重が自慢げに胸を反りながら期待の眼差しをボクに向けた。

 褒めろという主張で、実際、結果はそれに値する。【気】の練り方も力強さも精度も、驚くべきことにゼノヴィアとハンゾーの二人に全く劣るものではなかったのだ。

 

 【周】の刀を受けた時にも感じたが、子供にしては素晴らしいの能力だといえるだろう。だからボクは、そもそもなんで九重が修行の輪の中に加わっているのかという疑問はひとまず脇に置き、四年経ってもまだまだ小さなその身体を抱き上げた。

 

「うん。すごいよ九重。まさかこんなに強くなってるとは思わなかったにゃ」

 

「ほんとにな……歳でものを言うつもりは元からねーけど……ゴンやキルア然り、ガキのくせにすげーよな」

 

「……そういえば前にも言っていたが、そのゴンとキルアというのはハンターの仲間か?買っているんだな」

 

「まーな、同期のダチだ。今頃はオレたちみてーに【念】の修行でもしてんのかね」

 

 過去に出た名前を思い出すゼノヴィアに、ハンゾーは疲労の息を吐き、眼を細めて竹の葉に覆われた空を見上げた。

 

 そんな二人、そして話のほうの二人にも、九重はボクの腹にわさわさ尻尾を動かしながら得意げに鼻を鳴らした。

 

「そのゴンとキルアとやらは知らんが、私がすごいのは当然じゃ!フェルに聞いたが、そこの悪魔もお前も【念】を学び始めて一年も経っていないんじゃろう?なら四年間ずぅっと頑張ってきた私が負けるはずがないのじゃ!」

 

「四年間……なるほど、それならあの【周】も頷けるな。……木刀と真剣とはいえ、一方的にボロボロにされたのはちょっと悔しかったんだぞ……」

 

 口をへの字にしたゼノヴィアが、竹に立てかけてある折れた木刀へ眼を向ける。土産物屋で買ったばかりであるはずのそれは、もう使いものにならないだろう。

 【念】の技量は、見たところ同程度。なら後は武器の問題であり、であれば折れるのは木刀のほうであることは当然。旅行の思い出を早くも失ってしまったゼノヴィアに気持ちだけ憐れみを向けて、ボクは手袋が滑ってずり落ちそうになる九重の身体を支え直す。

 

 ハンゾーはそんなゼノヴィアの肩を叩きながら、しかし関心は全く別方向に、ボクへ呟くように言った。

 

「だが正直、オレは四年間ずっと【念】の修行にかまけちゃいらんねーぞ。ハンターになったのは隠者の書を探すためだし……いつになったら免許皆伝になれんだかな」

 

「うん?そもそも四年なんかじゃ利かないにゃ。ボクだって【念】を極めたなんて言えないんだから」

 

「極めるだとか、簡単に言えることじゃねーってのはわかってるよ。けどだから、一定のレベルっつーか……例えばお前、九重ちゃんの刀を腕で受けて圧し折ったろ?ああいうくらいの、とりあえずは一人前と認められる、って具合な」

 

 応え、【念】は奥が深い、の言葉を復唱しようとすると、ハンゾーは頭を掻いて視線を水平に戻し、そうじゃねーよと呆れて首を横に振った。言われてみればその通り、とにかく戦えるようになるまでと言いはしたが、指導に明確なゴールを定めていなかった。

 

 となれば最低限、ラインを決めるとするのなら、

 

「んー……まあ、【(リュウ)】が使えるようになったら、かにゃ?」

 

 後は【堅】もそう。それら二つがまともに使いこなせれば、戦闘面での不安はあらかたなくなるだろう。いっぱしの念能力者と呼んで差し支えない。

 

「じゃ、今日はそれをやろうか。【堅】のつもりだったけど、そっちはボクがいなくてもできるだろうし」

 

「……【流】も気になるが、しかしフェルさんがいなくてもというのは本当か?【堅】、なかなか上達しないんだが……」

 

「そりゃそうだにゃ、【堅】は持続時間を十分伸ばすだけで一ヶ月はかかるって言われるし。で、いい?そもそも【流】がどういう技なのかっていうことだけど――」

 

 と、いつかのおざなりな指導を思い出すのか不安そうに言うゼノヴィアを真実で突き放してから、ボクは改めて、そこにあるだろう聞き覚えのない新たな技への期待を見せるハンゾーを含めた彼女らに、何たるかを教えてやるべく口を開いた。

 

 だが言葉が喉を出る前、腕の中で九重が優越感に浸ってドヤ顔をした。

 

「ふふん、念能力者というくせに【堅】も【流】も碌に知らないのか!やっぱり悪魔はダメダメじゃ!……いいか?【流】というのは攻防併せ持った重要な技、高等応用技の一つなのじゃ!身体の一部に【気】を集中させる【凝】、それを応用して、コントロールすることによって、えっと、攻撃と防御を素早く入れ替える……じゃよな、フェル!」

 

「うん、大体そう」

 

 途中で言葉が怪しくなり、諦め投げ渡してきた九重に頷いて、ボクは気を取り直して続けた。

 

「教えた【凝】は【気】を眼に集中させて【念】を見破るものだったけど、あれは突き詰めれば九重の言う通り、【気】を一部に集中させる技。だから二人ならもうできるはずだよ。それを素早く、戦闘に合わせて効率的にやる、っていう技の総称が【流】って呼ばれてるにゃ」

 

 例えば攻撃するとき、全身にまんべんなく【気】を纏ったパンチより、拳に【気】を集中させたパンチのほうが当然威力は高くなる。防御にしても見切れるのなら【堅】より【気】の消耗は少ないし、余った分の【気】を別に回せば同時に攻撃することもできるのだ。

 

 そうやって【気】を各所に振り分け、攻防力とするその技術。【堅】と共に、ある程度のレベルの戦闘では必須技能となるからこそ、一人前といえるボーダーラインだった。

 

 ――ということを長々説明してやって、意欲の高まったゼノヴィアがぐっと両手を握り締めた。

 

「なるほど!つまり適度に加減をするということか!マスターすればデュランダルの悲劇を繰り返すこともなくなるな!」

 

「ちょっと違うけど……まあキミはそれでいいや。っていうか、“デュランダルの悲劇”?あの試合のこと?」

 

「……オレらが思ってたより気にしてたんだな、ゼノヴィア」

 

 納得ついでに悪乗りするハンゾーに、ゼノヴィアは明るくなった顔を赤くした。ぶんぶん頭を振って振り払う。

 

 今度こそ何の話かわからない九重はさすがに渋い顔になってしまったようで、ボクの腕をぺしぺし叩いて抱擁から降りると、ハンゾーとゼノヴィアの傍でボクに振り向き、声を張り上げた。

 

「そんなこといいから!早く【流】修行がしたいのじゃ!私、知ってるだけでやったことはないから……っ!」

 

 慌てて余計なことまで口走ったと両手で口を押さえる九重。ハンゾーとゼノヴィアは、しかし気にせずそれもそうだと息を吐いて切り替えた。弟子のそれを取り戻し、ゼノヴィアはボクを見やって肩を回す。

 

「なら早く始めよう!戦いに合わせてというなら、やり方は今度こそ実戦か?」

 

「となると組手……でも一人余るな」

 

 お前が相手するのか?とハンゾーの眼が訪ねて来るも、しかし無用の杞憂。ボクは三人から二、三歩退いて、手ごろな太さの竹に手を触れた。

 

「組手はもうちょっと後かにゃ。まずは……うん、ボクが指示するからその通りに【流】してみて。右拳に八十、全体に二十、みたいに」

 

 言いながら、触れた竹を【念】で切り倒す。倒れる竹がかき鳴らす葉音に、ちらりと一瞬旅館のほうを気にしたゼノヴィア。九重も驚き目を丸くして、ハンゾーは呆れのため息をつきながら、やがて落ち着き各々構えを取った。

 

 ボクは倒した竹の切り株を椅子代わりにして座り、皆を見回す。どうやらハンゾー以外は格闘術に難がありそうな構えだったが、しかし目を瞑った。どうせ二人は武器主体、組手も武器を使うのだろうから別に構うまい。

 

 しかしとにかくまずは自分の身体でできるようになってからだ。【周】との併用で躓かないかという一抹の不安はひとまず忘れることにして、ボクは緊張の様子を見せ始める三人へ告げた。

 

「じゃ、改めて……右拳に八十、全体に二十」

 

 そうして修行が開始され、何度か不備の指導を挟みつつ、三人は【気】を操り続けた。

 

 

 

 最初は【気】の配分も移動速度も残念な有様だったが、しかしやがて皆コツを掴み始める。最も早かったのはやはりハンゾーで、彼はすぐにスムーズに【気】を移動させることができるようになっていった。反してゼノヴィアは、その大雑把な性格から細かい調整に苦心気味。その二人の真ん中程度の速度で上達していった九重も、ハンゾーに遅れて多少覚束ない部分はあれど、やがて指示通りの【流】に成功した。

 

 故に後はゼノヴィア。彼女が成功すれば、次は一段階レベルを上げて時間制限でも付けてみようか。

 【気】の連続使用による疲労で汗を流す三人を見守りながら、竹の少ない面積に座るボクは思考を巡らせた。その背後、竹藪の中を進む二人分の足音が聞こえてきたのは、ちょうどその頃だった。

 

「おお、九重はここに居ったか。皆も探したぞ」

 

 姿を見つけ、疲れて萎んだ九重の表情に生気が戻る。ボクもそっちに振り向くと、柔らかな微笑みが九重に次いで向けられた。

 

「久しいの、フェル。元気そうで何よりじゃ」

 

 足元に転がる青竹に眼を落とし、八坂は呆れたふうにそう言った。

 

 そしてその後ろに控えている、見覚えのあるお面の妖狐をもボクは発見する。警ら隊の件であることに気付き、まあ多少は反省を示すため切り株から降りて落ちた葉で埋まった地面を踏んだ。

 

「うん、久しぶり、八坂。それで、用件はやっぱり?」

 

「それもある。後は九重の迎えと……個人的にも主の顔を見たかったのでな」

 

 だからわざわざ自ら来たのだと言う八坂。だがその前の台詞に、母親の登場で綻んだ九重が少し険しくなった。膝元に駆け寄る脚の勢いが落ちて止まり、悲しそうな顔が八坂を見上げる。

 

「母上……お迎えって、私もう帰らなきゃいけないの?せっかくフェルと修行してたのに……」

 

「我が儘を言うでない、九重。もう夜中じゃ。それに……うむ、早く寝て早く起きねば、明日フェルたちに京を案内してやれなくなるぞ?」

 

「っ!あ、案内……いいの!?母上!」

 

 八坂は優しく頷き、九重の内心を見透かしたようにそう言った。姫の立場や警らの役目もあるだろうに、それを許す笑み。やはり娘には甘いものなのか。

 

 喜ぶ九重と、しゃがんでその汗まみれの顔をハンカチで拭く八坂。するとその触れ合いを慮ってこっそりと、ゼノヴィアがボクに耳打ちをしてきた。

 

「……なあフェルさん、私は今回の修学旅行に当たって部長に、『特に八坂という人物には失礼のないようにすること』、と言われているんだが……もしかしてこの女性が、そうなのか……?」

 

「うん、そうだよ。九尾の八坂、京都の妖怪たちの首領」

 

 それは赤髪だって忠告するだろう。ヤツ本人が散々迷惑をかけたのだから、その眷属までもがとなればいよいよもって立場がなくなる。

 

 そのことを理解しているかいないのか、「やはりそうなのか」と身を正すゼノヴィアは神妙な表情。続いてハンゾーが息を吐いた。

 

「“お(ひい)さま”なんて呼ばれてっからそうなのかとは思ったけど、マジで姫様だったんだな、九重ちゃん。……で、オレたちそんな相手と戦っちまったわけなんだけど……」

 

「ああ、そうじゃった。まずはその話を済ませておかなくてはな」

 

 潜めた声でも八坂の狐耳には届いていたようで、言われた言葉にハンゾーの背がびくっと伸びた。つられてゼノヴィアも固まって、刑の執行を待つ罪人のような不安げな面持ちを八坂に向ける。

 

 そんな二人に八坂はクスと一つだけ息を鳴らし、腰を上げて二人と、そしてボクに顔を向けた。

 

「とはいえ、そう心配せずとも罰は与えぬよ。明確に決めを破ったわけでもなし、数分間フェルの下から離れただけじゃからな。損害もまあ、フェルが折った刀と鳥居以外には起こらんかった」

 

「あー……うん、それに関してはごめん。ちょっと余裕がなかったんだにゃ」

 

「構わぬ、鳥居は直せばよいし、刀にしても元々買い替えようと思っていた頃じゃった。……そもそも武器も持ってほしくはないんじゃがな、親としては」

 

「で、でも母上。私、戦えるようになりたいのじゃ……」

 

 と不意に会話の標的になってしまった九重が、許しを求めて八坂の袖を引く。その途中、なぜかボクの方をちらりと見やって顔を赤くしてしまう九重に目をやって「わかっておる」と頭をなでると、彼女は一つ咳払いをした。

 

「ともかく、此度の一件は不問に処す。……戦闘に関しても、悪魔に対する嫌悪でこちらが過敏になってしまった面もある。じゃから、今度は双方より注意せよ。問題を起こさぬように、な」

 

 後半がボクたちと、そして背後の妖狐に向けられる。深く腰を折る姿に、ボクも一応会釈で返す。

 

 ハンゾーとゼノヴィアもほっと息をつき、それで空気にあった緊張も解けて消えた。目的の一つを完了した八坂は軽く肩をなでおろし、頷くと、赤くなったまま顔を伏せる九重の手を取る。金髪の上でペタンと倒れる狐耳を見やりながら、言った。

 

「では九重、妾と共に家へ帰ろう。早く風呂に入らねば、そのままでは気持ち悪かろう?」

 

 八坂は握った手の下、汗を吸った九重の巫女装束風の着物を眼で示す。言われて意識したのか、持ち上がった九重の顔が不快に歪んで逆の腕の長い裾をひらひら振った。

 しっとり湿気ったその質感に渋々頷きかける。が直前、竹林の隙間から微かに届くオレンジの光を眼に捕らえ、ハッとなって再び八坂を見上げた。

 

「そうじゃ母上!お風呂!帰る前にみんなでお風呂に入ろう!そこの宿で、な?フェルも一緒に!」

 

 困り顔をする八坂。原因たる期待の眼差しは、次いでボクにも向けられる。

 

 せめてそれだけでも、という懇願。やたらと必死で叶えてあげたくはあるのだが、しかし駄目だ。

 

「んー、ごめんね九重。それは無理」

 

「なっ……なんでじゃ……?」

 

 九重は悲しそうに眉尻を下げた。それについ後ろめたさを刺激され、頭の中にあった適当な言い訳が思考の奥に消える。代わりに、ぽろっと口から零れ出た。

 

「……見られたくないんだよね、身体」

 

 半ば真実が混ざってしまった。直後ほのかに後悔がよぎるも、タイミングよく、勝手に想像力を働かせたゼノヴィアによって遮られた。

 

「そういえば夏休みの時も見たことはなかったな。傷跡でもあるのか?戦いの傷は戦士の誉れだと思うが……というか治せばいいだろう?フェルさんの――んぐぅ!」

 

「ばっかお前!人の能力、しかもこいつのを無暗にしゃべるなって!それに……アレだ!フェルも一応女なんだから、そういうのは気にするもんだろうよ?」

 

「むぐ……私も女なんだが」

 

 余計なことまで出そうになったゼノヴィアの口を慌てて塞ぎ、ハンゾーは視線をあちこち彷徨わせるもどうにかフォローを捻り出した。男が女に女を解くという、急ごしらえで少々お粗末だが、しかし九重にもそれが触れてはいけない問題だということは伝えられたようだった。息を呑み、気まずそうに眼を逸らす。

 

 が、期待は終わらず、おずおずと再び視線が戻った。

 

「なら……なら、ご飯を一緒に食べたい。なあフェル、それならいいじゃろ……?」

 

「……まあ、それなら」

 

 さすがに断れるはずもない。ちらと八坂に眼をやれば、仕方がないと諦めの表情。根負けして苦笑に変わった微笑みを九重と、それから背後の妖狐に向けた。

 

「しょうがない子じゃ。わかった、そうしよう。……ついでに風呂も済ませてくる故、お前、先に帰っておれ」

 

「……かしこまりました」

 

 少し長い間があったが、妖狐は再び腰を折り、背を向けすぐ竹藪の闇に消えた。そして願いが叶った九重と、ご飯と聞いて思い出したように腹の虫を鳴らし始めたゼノヴィアに挟まれるボクは、呆れのため息を吐いてそれに頷いた。

 

「じゃ、修行もここまでにしよう。……別にゼノヴィアは勝手に抜けて構わないんだけどにゃあ」

 

「それをしたら二度と教えてくれなくなるだろう!?それくらいの常識はある!しかしとにかく夕食……の前に風呂か?私たちも汗まみれだからな」

 

「ってかオレたちが一緒に食えるってわけじゃねーだろ。いいもん食えるのは九尾のお二人とフェルだけだ。あーいいなー、羨ましーなー」

 

 その、どこからどう見ても催促のチラ見。真に受けてショックにあんぐり口を開けるゼノヴィアを、八坂は愉快そうに笑った。

 

「よければ二人も一緒にどうじゃ?せっかくの宴だというのに、我ら三人だけというのはあまりに寂しいでな」

 

「っ!本当か――ですか!?」

 

「えっいいんすか!?そりゃぜひとも!」

 

 ある意味対極的な二人の反応は、八坂の笑いをまた深くした。それでも声は抑えて喉を鳴らし、恐らく笑みに歪んでいるのだろう口元を袖で隠す。

 

「では、行こうか。早くせねば料理人が帰ってしまうやもしれん」

 

 残業代を弾んでやらねばな、と続けながら、八坂は九重の手を引いて竹林をかき分けたその九重が逆の手でボクを捕まえ、一緒に引かれて修行の場を後にする。踏む枯葉の音が背後にも続き、その二人も、見るまでもなく“ご飯”に胸を躍らせているがわかった。統領である八坂が用意せよと言うのだからおいしくないはずがない、ということなのだろう。

 

 八坂も九重も、皆食事が楽しみであるようだ。そうでないのはボクだけ。ボクにとっての“おいしいご飯”とは悪魔の肉であり、それ以外は酷く薄味でおいしいとは思えない。

 喰らったディオドラとかいう貴族悪魔の味を未だ舌が覚えてしまっているから、このところ以前にもまして普通のご飯が憂鬱だった。

 

(……なんでかにゃあ)

 

 本当に、なんでなのだろう。なんでボクは、未だにキメラアントなのだろうか。

 

 些細なきっかけで顔を出すその苦悶。キメラでいる意味、“王”に仕えることは今後もうできないのだから、ボクはそれを捨て去りたい。そのためにクロカたちと離れているのだというのに、食事も風呂も、突きつけられるだけで芋づる式に引きずり出されてしまう。

 

(なんでボク、こんなに悪魔が嫌いなんだろう)

 

 もはや憎悪は、クロカとの繋がりを妨げる邪魔なものでしかない。“王”を奪われた憎しみと怒りなんて、ボクも忘れてしまいたいのだ。

 

 だというのに容易に頭の中を満たしてしまう感情。いない存在に抱く想い、忠義なんて、無駄でしかない。消してしまったほうがよほど意味があることは明らかだった。

 なのにどうしても、何年経ってもそれができない。感情の面でも理屈の面でも、ボクはキメラを捨てたいと思っている。なのにできないから、ボクはずっと立ち止まったままだった。

 

 時間の流れも、ボクの背を押してくれることはないのだろうか。かしゃかしゃ重なる足音に紛れれてこっそりため息を吐き、ボクはちょうど竹林を抜け、煌びやかな旅館の灯りに目を眇めた。

 

 

 

 それから四人と別れて自室に帰り、身体を拭き清めてから九重たちとの夕食に赴いた。風呂場で赤龍帝が覗きをしてきたのだと怒るゼノヴィアの話を肴に料理を胃に押し込み、家に帰る九重と八坂を見送ってから眠りに就く。慣れない布団で若干の寝不足になりつつ夜を明かし、赤髪の眷属として他の悪魔たちと共に朝練習をこなすゼノヴィアと、それに付き合うハンゾーを眺め、ついでに曹操と報告なんかを交わし終わると、時間は午前九時。修学旅行の二日目が始まった。

 相も変わらずボクは赤髪眷属たちの担当。ハンゾーも、桐生たち人間組も一緒にいる。ただその内の男二人、松田と元浜が、赤龍帝を交えて何か不埒なことでも考えているのか、カメラを片手にだらしなくニヤついていることが、また昨日のような騒動を起こすんじゃないかという不安の材料でもあった。

 

 二度目となれば、さすがに何かしらのペナルティが下るだろう。そのカメラのレンズが和装の金髪親子に向いているのだから、心配はなおのことだった。

 

「見よフェル!あれが金閣寺じゃ!ピカピカで綺麗じゃろう?」

 

「正式名称は鹿苑寺じゃ。その舎利殿となる。……で、実はあの舎利殿、何度か燃えて再建されたものでの、実は当時は三層目にしか金箔が貼られておらんかったそうじゃ。そのさらに昔には二層目にも貼ってあったという説がある故の変更らしいが、違うという説もまた存在する。さてはて、本当はどうだったのじゃろうな」

 

 と、恐らくは真実を知っているはずなのに含み笑いを浮かべる八坂と、ボクの手を引っ張りながら池の向こうの金色の寺を指さす九重。

 その姿は二人とも人間のもの。彼女らは役に立たないハンゾーの代わりに、人に化けて観光案内をしてくれていた。

 

 九重は昨日の通りだが、それに八坂が付いてきたのは少々意外。一人で行かせるのは心配だということらしいが、それを部下に任せなかったのは、ボクの自惚れでなければボクとの交流のためであるのかもしれない。とにかくそういう理由で新たに加わった二人と共に、ボクたちは京都を歩き、そして観光の定番だというこの庭園にたどり着いたのだった。

 

「おお!これが金閣寺!銀閣寺と違って本当に金色だ!アーシア、記念写真を撮ってくれ!」

 

「はいゼノヴィアさん。でも、ちょっと待ってくださいね……」

 

 眼を輝かせて寺と池を背に陣取るゼノヴィアに、振り回される元聖女の金髪は応えた。そして後方、八坂のはだけた着物の衿から覗く真白い双丘に眼を奪われている男たちへ足を向け、どこか寂しそうに下がった声色で赤龍帝の気持ちの悪い顔を覗き込んだ。

 

「あの……イッセーさん、その、カメラを貸していただけませんか……?」

 

「うへ、うへへへへ……なんて眼福……なんて素晴らしきおっぱい……ああ俺、京都に来てよかった……」

 

 だが赤龍帝には聞こえていないようだった。眼は八坂の胸元だけを映し、頭の仲まで性欲で染まっている。

 

 傍らで同じように突っ立ったまま、同種の欲望を向けている松田と元浜もそれをにやけた口元からデロデロ零した。

 

「すげぇよマジで……八坂さん、泊まってる旅館のオーナーがこんなわがままボディだったなんて……」

 

「しかもあの格好……!見てくださいと言うかの如き北半球……!圧倒的、圧倒的感謝……!」

 

 挙句に手を合わせて拝み始める二人。九重のことは八坂のインパクトのおかげで眼中にないようでなによりだが、頭のおかしな言動は止まらず、鼻息はますます荒くなる。

 

「だからこそ……昨日は惜しかったよな。苦労して見つけた露天風呂の除き穴、バレるのがもうちょっと遅けりゃ、ゼノヴィアだけじゃなく八坂さんの生おっぱいと生尻も拝めただろうに……」

 

「それだけじゃなくてお前、もっともっとなトコロまで見れるかもしれんぞ……!エロDVDの、モザイクの向こう側まで……!!」

 

「お、おお……!俄然やる気になってきた!松田、元浜!俺たちの学園生活で最大のチャンスだ今日こそリベンジするぞ!!」

 

「「おう!!」」

 

「せめてこっそり話せこの馬鹿者ども!!」

 

 ボルテージの上がった馬鹿はとうとうゼノヴィアの耳に届き、そしてキレた。間近で聞かされ顔を真っ赤にする金髪を背に庇い、怒声に慄く男たちを、こちらも少々赤くなった顔で睨め付ける。

 

「しかもこの往来で……見ろ、変に注目されているじゃないか……!」

 

「べ……別にいいだろ、何かしたわけじゃないし……」

 

「そ、そうそう!俺たち今日はまだ何もしてねえぞ!」

 

「そもそも昨日のだってお前の馬鹿力で仕切り板ごと吹っ飛ばされて碌に見れなかったし、罰にしても俺と松田が気絶してる間に一誠がまとめて代わりに受けたんだろ?ならお前に口出しする権利があるのか!」

 

「むしろないわけがないじゃないか!!」

 

 注目を気にしていたのはボクの言葉があったからなのだろう。浅くにしか据えられていない意識は容易く消え去り、怒声はよほど周囲の観光客の関心を引き付けた。

 

 その分羞恥と合わさりますます顔に血の気が上り、いかにも爆発寸前といった雰囲気。喉元まで出かかった更なる怒声を懸命にこらえる彼女に、それを傍から呆れ顔で見ていた桐生が寄り添った。

 

「まーまー、お説教は私に任せてよゼノヴィアっち。私たちのお風呂の後、フェルさんとの修行帰りにやられたって話よね。……まあ私が言えることじゃないかもしれないけどさ、兵藤。それに松田も元浜も、覗きもそうだけどそのために板に穴開けるとか、普通に器物破損じゃない?程度は知っとかないといずれ捕まるわよ」

 

「あ、開けたんじぇねえよ!穴開いてるのを見つけたんだ!なあ元浜!?」

 

「お、おう!板に張り付いて探し回って、そしたら植え込みの奥にあったんだよ。半分腐ってたから、それを風邪ひきそうになりながらちょびちょび広げて――」

 

「……それ言い訳になってないと思うわよ」

 

 削って広げたのなら結局器物破損だ。それごと吹っ飛ばしたというゼノヴィアのほうが罪状は重いのかもしれないが、しかしともかく釈明の余地はなく、もう話すことは何もないと、ゼノヴィアは桐生の気遣いを払い除けて元浜の手から問答無用にカメラを奪い取った。

 

「とにかく!次にやったら拳骨だけでは済まさんからな!よく覚えておけ一誠!それに二人も!……ほらアーシア、行こう。写真を撮ってくれ」

 

「……あ、はい」

 

 手渡され、直視はできないが三人へ会釈して、金髪は肩を怒らせるゼノヴィアに続いて背を向けた。

 

「最初っから拳骨で済まないようなことされたと思うんだけど……」

 

 という赤龍帝の情けない声が背を追って、終わりに話題から身を引いていたハンゾーと聖魔剣が慰めと、説教の続きにかかる。同性故かあまり勢いのないそれにはもちろん三人とも反省は見えず、気圧されていた表情はふてぶてしくも笑みに戻った。

 

 そんな様を、怒声に注意を引かれてボクと同様眺めていた九重は、軽蔑しきった調子でふんと鼻を鳴らした。

 

「……やっぱり悪魔は愚か者ばっかりじゃ。露天風呂の仕切り板を壊すなど、いったい何が楽しいのじゃ」

 

「楽しいのはそれじゃないと思うけど……まあ、いいや。ボクも上手いこと説明できないし。ねえ八坂?」

 

「……妾もできんよ。いやしかし……うむ、いずれはせねばな。男の眼というのは、知っておかねば」

 

 不安そうな眼が娘を見る。恐らく覗きが発覚した直後もこんな感じだったのだろう。この場にはいなかったようだが、子供を好く輩や獣の部位を好く輩だって世の中には存在しているのだ。

 

 警戒心が足りていない。だがそれをキミが言うのかと、ボクは男たちの注目を集める八坂の胸元へ、白い眼を向けた。

 言葉を発する必要もなく、言わんとすることを捉えた八坂が苦笑する。

 

「妾はよい。そもそも……九尾という種が、そういう存在であるわけじゃしな。癖のようなものじゃ」

 

「じゃあ、九重も将来そんな格好するのかにゃ。……なんか不格好になりそうだけど」

 

 声を潜めて片目を瞑る八坂。ボクは釈然としない内心で肩をすくめ、八坂のはだけまくった和服を身に纏う九重を想像する。小さくなだらかな体躯に……うん、完全に服に着られている。

 

 そうして脳内に思い浮かべ確かめるボクを、キョトンと見つめ次いで愉しそうに喉を鳴らす八坂と、頬を膨らませた九重が否定した。

 

「ぶ、不格好なわけがないのじゃ!私だって、もうちょっとしたら母上みたいにおおきくなるもん!」

 

「くふふ……そうじゃな、九重は妾に似て美人さんじゃから、きっと似合うようになれよう。子の成長はまだまだ止まらんよ、フェル」

 

 そうなのだろうか。当たり前だろうと笑う彼女に反して、ボクはそう言われてもいまいちピンとこない。当然これ以上大きくなる九重も想像できず、首を傾げて二人から眼を外した。

 

 少し遠くでゼノヴィアが写真撮影に勤しむ池の柵、それに手を突きもたれかかり、金色の寺を眺める。理解の及ばないそれへの思いは小さなため息と一緒に吐き出して、その頃に、追ってボクの隣に手を突いた八坂が言った。

 

「そういえば、ウタはどうしておる。仲違いしたわけではないのじゃろう?」

 

 ボクとクロカが今までずっとコンビで仕事に当たってきたことは、彼女のみならずボクたちを知る誰もが知るところ。どちらかを雇えばもう片方も必ずついてくるという認識故に、八坂は首を傾げた。ボクはそれに、少し言い淀んでから答えを押し出す。

 

「……元気だよ。シロネ、っていたでしょ?今は手分けして、ボクと同じようにそっちを鍛えてる。グリードアイランドっていうゲームの中で」

 

「ゲームの中……?とは、どういうことじゃ?」

 

「プレイすると、肉体ごとゲームの世界に吸い込まれるんだよ。でも、んー、ボクもやったことがあるわけじゃないから想像だけど、裏京都みたいな異空間なんじゃない?入るための条件がゲーム機の前で【練】をするだけなんて簡単なものだから、【念】以外の力も働いてるって考えるのが自然かにゃ」

 

 人外か、それとも魔法使いかは知らないが、念能力者の集団という噂のある製作者たちはそれらの協力を得てゲームを作り上げたのだろう。

 

 一般販売されたとはいえ限定百本の念能力者専用ゲーム。八坂がその名にも首を傾げたのだって無理もない。おまけにゲーム機という単語にもあまり馴染みがないようで、表情は理解しきれていなさそうなままだった。

 

 一方九重にはある程度の知識があるようで、ふぅむと悩ましげに眉尻を下げる母親に代わってボクの胴に抱き着いた。

 

「楽しそうじゃ!フェル、じゃあ今度そのゲーム……白音というのはあの時寝ていた猫又なのじゃろう?あいつも一緒というのはちょっとだけ……だけど、うん、一緒にやりたいのじゃ!どのハードじゃ?」

 

「ハードはともかく、ソフト自体が高いから買うのは無理だと思うよ。定価は58億で、ボクが買った時はその五倍近くしたから」

 

「58億!?その五倍ということは、つまり……」

 

 指折り計算し、その大きすぎる金額に一周回って呆然とする九重。現実味がない出費をしたボクへ、困惑の顔を向ける。

 

「……フェルって、お金持ちだったんじゃな」

 

「おかげで貯金もすっからかんになっちゃったんだけどね。だからとにかく……ああでも、同じ機体を使うなら可能かにゃ。マルチタップっていうのを使えば一つのソフトで三人以上もプレイできるって、ウタが言ってたような……」

 

「っ!じゃあ、今度遊びに行ってもいいか!?フェルとウタの家はどこなのじゃ!?」

 

「今は駒王町に部屋を一つ借りてるよ。遊びに来るのはいいけど……あそこ悪魔の巣窟なんだよね。大丈夫?」

 

 認めるかどうかはともかく、悪魔にとってあの町は自分たちの領土。他勢力の者が足を踏み入れるのなら何かしらの交渉は必要だろう。

 

 そもそもいつの間にこんな話になったのかと、適当にしゃべった自分に呆れつつ、ボクは来る気満々である九重から眼を離し、八坂へと尋ねた。彼女はしばし悩む様子を見せた後、その真剣の表情を滑らかに微笑に崩した。

 

「申し入れれば、あの魔王は無下にはせんじゃろう。主らハンターの楔はしっかりと食い込んでおるようじゃしな」

 

 朗らかな表情で朗らかとは言い難い裏の事情に触れる八坂。あまり細かな情報は伝わっていないだろうが、やはり見るものからすればそれは明らかな事実であるようだ。

 

 だがとにかく八坂が認めるなら、ボクにももう言うべきことはない。九重が喜ぶのならそれは好ましいことであるし、ボク自身も、慕ってくれる彼女と交流を深める機会は望むところだ。その時の前に部屋は片付けておかないと、と記憶にメモ書きをした。

 しかしその内側、容易に想起させられるクロカとシロネの存在が、同時に時期をを尋ねようとしていたボクの口を閉ざした。九重と、そして二人と一緒、そう考えると途端に気分は反転し、重たくなってくる。

 

 そんな内心など知る由もなく、八坂が言った。

 

「しかし……ウタがあの娘の鍛錬か。確か悪魔に転生しておったはずじゃろう?良い方向に向かっておるようで安心じゃ」

 

「……良い方向、かにゃあ……」

 

 ボクにはそう評することができない。二人の仲は戻っても、ボクはまだ一人だ。

 

 八坂は首を横に振る。

 

「良い方向じゃ。少なくとも、悪い結果にはならんじゃろうよ」

 

「……なんで?」

 

「フェル、主がきちんと悩んでおるからじゃ」

 

 などとよくわからないことを言い、ボクの頭を撫でようとする八坂。不意のことで、寸前に慌てて手を伸ばして止めると、苦笑しながら、八坂の手がボクのその手を包んで握った。

 

「主とウタと白音にどんな問題があるかは知らぬが、そこに悪者がおるはずもない。悪意は存在せぬのじゃから悪い方向に転げ落ちることもなかろうて。……気張れ、母親じゃろう」

 

 ボクを見つめる眼は優しく、しかし力強くボクの背中を叩いた。相変わらず言っている意味はよくわからないが、頼もしさで少し心が軽くなる。どうにかなるんじゃないかと、そう思える。

 

 前々からだが、この人の、この妙な包容力は何なのだろう。薄れる心のもやもやを感じながら、ボクは包まれた手を見つめた。

 

「適当なこと言ってる?ママ友とかいうのもそうだけど、本気かどうかは怪しいところだにゃ」

 

「少なくとも、友であることは事実じゃろう?友人の悩みにいい加減など話さんよ」

 

 むず痒くなり、ボクはそう言う八坂から手を引き抜いた。笑って誤魔化している彼女に言い返してやるべく、しかし言葉は友は否定し難く考える。

 そして結局当たり障りない皮肉が生まれ、言おうとした。

 

 その瞬間、ボクは敵意を感じた。

 

「……?フェル、どうかしたか?」

 

 急に固まり、感じた気配に意識を集中させるボクを、八坂が不思議そうに見やる。ばれないよう、帽子の中で注意して耳を向けるボクは、しかし無視して彼女と九重に背を向けた。

 

 一瞬溜め、そして跳んだ。突如突進してきたボクに目を見開く赤龍帝たち。その頭上を飛び越え、

 

 振るったボクの掌底は、同時に赤龍帝たちに飛び掛かった男を地面に叩き落とした。

 

「おっ、ごっほおおおぉぉぉッ!!お腹!!お腹つぶれちゃうぅッ!!」

 

 掌底が命中した腹部を抱えて、いかにも怪しいフード付きマントが石畳の上をごろごろ転げまわった。めくれた裾から見えた内側は、どうやら神父のような格好だ。

 

 あまりにも場違い。奇声と暴力の気配も相俟って、周囲の人間が何事かとざわめき始める。だがそれ以上に大きな動揺が悪魔たちの顔に浮いて、よろよろ起き上がるその男を見つめていた。

 

「お……前、やっぱり、あの時見た人影は……!!」

 

「人影?一誠、お前が言ってたのって、男のことだったのかよ!?……てっきりまた女の尻追っかけてったんだと思ってたぜ……」

 

 悪い、と平謝りしながら警戒心を見せるハンゾーと同じく、悪魔の仲ではいち早く、赤龍帝がそれを敵と認識する。敵意を向けられながら、流血沙汰はまずいかと加減した掌底のダメージやり過ごした男は、ゆっくりと顔を上げた。拍子にフードがズレて頭から滑り落ち、その長い白髪と、小ばかにするように歪む切れ長の赤眼が日に晒された。

 

「……はいそうですどうもどうもクソ悪魔くん。お久しぶりでごぜーます。お腹の贅肉すり潰されてスリムになった超絶新生のスーパー神父」

 

 邪悪な笑みと、ちぐはぐに整った敬礼。ふざけたその口が裏返る。

 

「フリード・セルゼンの登場でぇっす!よろしくぺろんちょ!」

 

 舌を出して名乗った男、フリードは、ボクを透かして背後の悪魔たちにそれらを向けた。

 そしてそれは、容易く悪魔たちの敵意を剥き出しにさせる。聖魔剣の声が、いち早く憎悪までもを帯びて言い放たれた。

 

「フリード……!!なぜ君がここにいる!?捕まったはずだろう!!」

 

「……まさか、堕天使どもの襲撃か!?」

 

 その怒気に気を取り戻し、しかし動転してそんなことを言ってしまうゼノヴィア。一瞬の後に気付き、口を閉ざすももう遅く、そのさらに背後の桐生と松田と元浜が困惑の声を漏らした。

 

「え……堕天使?悪魔とか、何かのゲームの話?ていうか、その人知り合いなの?ゼノヴィアっちも兵藤も」

 

「ってか木場もだし、なんかあったのか?結構ぶっ飛んでる奴みたいだけど」

 

「いやしかしそんなことよりもだ松田!お前は見れたか!?頭の上を跳んだ時のフェルさん!ズボンだったが股間がドアップ!ほんのりうっすらと、パンツの線が浮いていたような――」

 

 とそこまで言って、三人の身体は同時にぐにゃりと弛緩した。それだけでなく周囲の観光客たちも、皆一斉に頽れる。

 

 八坂の妖術だ。どうやら混乱になる前に眠らせてしまうことに決めたらしい。一通り終えると、静かに前へ進み出た。

 

「して、フリードと申したか、主。何用じゃ。人の身でありながらこちら側の事情に通じているのなら、当然ここがどのような土地かも承知しておろう」

 

「当然ご承知しまくっちゃってまっすよ、ブツが九本の欲張りクソ狐さま。知ってるからほら、丸腰のふるティーンでござんすよほらぁ!」

 

 叫んでマントの留め金を外し、前を広げてカソックを見せつける。確かに教会の悪魔狩りが携帯する光の剣も銃もそこにはないが、しかしそんなことはわかりきったことだ。所持していれば京都に入ろうとした時点で弾かれる。

 馬鹿にしていることは明らかだ。八坂は眉を顰めるにとどめたが、しかし九重には受け流せなかったらしく、八坂の隣でぽぽんと生え出た狐耳と尻尾を怒りで立てた。

 

「貴様ッ!!人間だからと調子に乗って変なことばかり言いおって!!この京で騒ぎを起こすなら、何者であろうと許さんぞ!!」

 

「おおう、今度はチビッ子のクソ狐さまじゃあーりませんか!でもでもぉー、か弱い僕に腹パァン食らわしてきやがったのはそっちのドスケベ不審者ゴリラおねーさんなんですよぉ。どうせあの下、クッソエグい格好とかしてる露出狂なのよぉ!ああ怖いわぁ!」

 

 気持ちの悪いねこなで声がボクに向いて、それで九重の怒りはもう言葉では表現できないほどになってしまったらしく、黙り込む。

 代わりに赤龍帝が左手に神器(セイクリッド・ギア)を出現させ、握り締めたそれをフリードに向けながら言った。

 

「フェルさんも、八坂さんもわかったろ?こいつは敵で、クソ野郎だってこと!だからあの時はレイナーレに、次はコカビエルに従って、それでヴァーリが捕まえたはずだ!なのにここにいる、ってことはお前……!!」

 

「いやー、さすがに堕天使の下で働くのは懲り懲りたんですわ。ちゅーわけで天才フリードちゃん、その際を遺憾なく発揮してすたこらさっさと決めさせていただいた……と言えればよかったんだけど、させてもらった、って感じなんすよねぇ」

 

 赤龍帝の台詞に、ボクはようやくコカビエルとの戦いでヴァーリが連れて行った神父がこのフリードであることを思い出した。しかしその間もなく、適当な口調から放たれる事実。

 

 奴を堕天使から逃がした何者か。恐らく、奴はその思惑で赤龍帝たちを襲った。

 

 だからもちろんボクの存在は考慮の内で、そのまま戦えば赤龍帝一人だけでも撃破は可能であろう程度の実力でしかない奴に、手札はもたらされていた。

 

「だがだがしかし、おまけで素敵パワーも貰ったのでフリードちゃんは大満足です!なので大満足ついでに、俺様を二度もボッコにしてくれたクソ悪魔どもに復讐がしたくて、はるばる再び極東まで飛んできたってわけなんですた」

 

 懐から、何やら銀色の筒のようなものを取り出した。手のひらに収まるサイズのそれが握り締められ、皆が警戒する。だがそれはボクたちに向けて振るわれるでも、投げられるでもなく、

 

「超絶新生スーパーフリード、見せちゃります」

 

 自身の首に突き立てた。

 

 ぷしゅっ、と微かに空気の漏れるような音。どうやら筒は注射器であったらしい。

 

 ドーピングの類ということだ。例えばあの“オーフィスの蛇”のような、パワーアップアイテム。だが関係ない。どれだけ基礎能力が向上しても、素材はあの程度。

 

「片付けるけど、いいよね八坂」

 

 怨みだとかは知らないが、悪魔に戦わせるわけにもいかない。その気満々であった悪魔たちを手で制し、八坂に一応の確認を取る。

 

「……致し方あるまい。任せよう」

 

 フェルに使えない結界術やら何やらで忙しい彼女が渋々に頷くのを横目に見て、そしてボクは【気】を練った。

 

 殺す必要もない。気絶させ、堕天使をゆするネタにでもしようか。そんな当然の余裕を以てして、ボクはフリードに視線を戻した。

 

 そして、

 

「―――」

 

 思考が止まった。

 

 フリードの身体がボコボコ膨れ、カソックを突き破って変化していく。

 

 肥大化し、カメレオンのようにギョロギョロ動く両目。背にはカのような薄く透明な羽が生え、腹は蜘蛛のように丸く膨らんで八本の脚が皮膚を突き破り生えてくる。そしてサソリの尾が、骨を割り砕くような異音と共に形成された。

 

 いくつもの生物が混ざった、まさしくキメラの姿。

 眼にし、感情までもを堰き止められるボクの目の前で、バケモノのそれへと変わったフリードの顔が嗤った。

 

 ――【神の不在証明(パーフェクトプラン)




フリード君の台詞難しすぎ問題。
キメラ化(オーダー・ブレイク)については第二部五話で触れられているのでなんやそれと思われた方はそちらへ。
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