扉を押し開けた先の空間、豪勢なシャンデリアがぶら下がる大きなホールの中では、多くの悪魔と人間たちが料理や飲み物を片手に談笑のざわめきを響き渡らせていた。
まるで上流階級のパーティーのようだ。バックにクラシックでも流れていればきっと奴らは中央でダンスを踊っただろう。がしかし実際、今回の催しの主目的はそれではなく、記念式典と発表会。悪魔と人間の間での条約がやっと纏まり、それを祝して二つの種族の融和を説く、ということらしい。
ボクたちの目的、若手ハンターと若手悪魔のレーティングゲームとは、つまりそのための余興の一つであるのだ。
より見世物の要素が強まったわけで気に食わないが、ここまで来てしまった時点でもう逃げられるものではない。それに注目という意味でもコカビエルを倒してしまったボクたちには今更だろう。扉が開いた音に気付いてこちらに振り向き、そしてボクたちの顔を見てひそひそ内緒話を交わし始める貴族悪魔どもから苦労して意識を外し、深呼吸して疼く気を静めたボクは、代わりにクロカと、彼女と話す同行者たちへと眼を向けた。
「さ、どうかにゃ桐生。これがキミの知りたがっていた、ゼノヴィアたちが生きる悪魔の世界。大したものじゃないでしょ?」
眼前のパーティーに気を取られていたおさげ髪が、びくっと跳ねてボクを見る。京都で悪魔の存在を知ってしまった一般人、学園の女生徒である桐生藍華は、いかにも緊張しきったふうに硬い表情をしたまま、ぎこちなく言葉をささやいた。
「……いや、十分大したものだと思うけど。こんなに煌びやかだし、それにさっき乗ったロープウェイで見えちゃったんだけど、この建物……っていうかこの島、空に浮かんでるみたいだし……」
自身の常識では、とてもじゃないけどフェルさんみたいに平気な顔はできそうにない、とでも言いたげに見上げてくる桐生。それを隣のクロカがケラケラ笑った。
「まあ、空中都市アグレアスっていったら冥界でも指折りのだものね。何でも
「そりゃあ、豊かではあるようだけど……そうじゃなくてさ」
呟き、桐生は己の両手に眼を落とす。そして次いで、眼前の着飾った悪魔や人間たちを見て言った。
「今更だけど私、場違いじゃない?悪魔の人とかウタさんやフェルさんみたいに、魔力に……【念】?そういう超能力なんて持ってないし、かといって人間の偉い人たちみたいに仕事でってわけでもない。アーシアやゼノヴィアっちが心配だってだけなのにさ」
「別に気にすることじゃないわよそんなの。おめでたい場なんだから楽しく騒いじゃえばいいの。ほら、あの子らみたいにさ」
「……あの子ら?」
小首をかしげる桐生と一緒に、ボクもニヤニヤ笑いのクロカが示す方向を見やる。ホールの隅、料理類が配膳されたテーブルの陰に隠れる二人の男の姿があった。だらしなく鼻の下を伸ばしているのは悪魔を知った一般人のもう二人、松田と元浜だった。
「ああ冥界!ああ悪魔!誰も彼も若くて美人でドレスもエロくてたまんねぇ!一誠の奴、俺たちに黙ってこんな楽園を……!」
「おおおっ……あの金髪ツインテールの子、小柄ながらなんて肉体の黄金比!上から85、59、84!きょろきょろ誰か探してないでこっち見て、そんでその露出のないドレスの下をまくってみせてくれっ!」
なんて鼻息を荒くしながら、こっそり興奮を叫んでいた。
桐生と一緒についてきていたはずだが、いつの間にあんなところに行っていたのだろう。しかしそれはさておき、見たままの感想。あれはどう見ても不審者だ。
ボクでもわかる。となれば同じ人間の桐生にそのヤバさ、所謂“偉い人物”たちのパーティーで変態行為を働くことの社会的リスクにも意識が向いた。背後の出入り口、そこを守るガードマンたちに二人の行為がバレていないことを一瞬確かめ、桐生は素早くその回収へと向かう。うまく気付かれぬよう人の間をすり抜け、二人の下にたどり着くや否や頭に拳骨。鈍い音を鳴らしてから、引きずるようにして連れ戻してきた。
「せめて時と場所は選びなさいよ、あんたたち。身内が人類と悪魔の関係を台無しにした、なんてことになるの、私は嫌だからね」
「最悪、赤髪か眼鏡の眷属ってことにすればいい。同じ制服着てるんだから、案外バレないんじゃにゃい?」
「……いやダメじゃないそれ。何も変わんないわよ」
とほんの一瞬、恐らくボクの言う“眼鏡”が学園での支取蒼那であることを悟り、桐生は呆れたように肩をすくめた。思いのほか強烈だったらしい拳骨に未だふらつく松田と元浜はわけがわかっていない様子だが、その顔はこころなし困惑しているようにも見える。
残念ながら試みはうまくいかなさそうだ。「そう?残念」と呟いて、ボクはその制服のほう、桐生たち
少し遅れてクロカも気付いた。ボクの視線を追い、そして表情の明るさが増す。ボクが眼を少し下げた頃、相手の一人もこちらの姿を発見して手を振った。
「お、いたいた!おい兵藤、お探しの変態仲間、フェルさんとウタさんが連れて来てくれたぞ」
「そ、そうか、匙。……よう、松田、元浜」
眼鏡のほうの眷属悪魔、匙に呼ばれ、赤龍帝もボクたちの方へ振り向く。だがその表情と語調はどこかおっかなびっくりしており、軽く手を上げ挨拶するのみで足はボクたちへと向こうとしなかった。
が、その時、そのさらに後方から出てきた影が四つほど、ほとんど押し退けるようにして赤龍帝の背中から現れた。
「おおフェル、なあ聞いてくれよ!ゼノヴィアに白音ちゃんにクラピカだけじゃなく、ゴンとキルアすらもう能力手に入れてるんだよ!同期で何もないのもうオレだけ!アイデアはあるから、いい加減オレにも【発】の修行をさせてくれぇっ!」
「えっと……ハンゾー、白音さんはともかく、オレとキルアの能力はまだ全然完成してないんだよ?特にオレなんて【硬】のパンチってだけだし……」
「オレのもまだ殺傷能力とかはないしな。……ってかハンゾー、お前昨日から思ってたけど、【発】一つでどうしてそこまで盛り上がるんだよ。キャラ変わってね?」
「変わって悪かったな!オレだってお前たちみたいな自分だけの必殺技が欲しいんだよ!だってかっこいいだろ!?」
変なふうに熱が入り過ぎてしまっているハンゾーにボクと、そしてゴンとキルアは気疲れのため息を吐き出した。
昨日から、どころかそれ以上前からずっと言い続けているその欲求。それは続けざまに同期と再会して自身の遅れを見せつけられたことにより、とうとう周囲から向けられる訝しげな視線すら遮断して叫べるまでに膨れてしまっていたらしい。
まだまだ他に教えるべき部分は多いのだが、そうまで言うならおとなしく【発】の修行、系統別のそれをやってやるべきだろうか。どうやらゴンとキルアのほうのベテラン師匠、ビスケットはそうしているようだし。
その成果が二人の纏う【念】であるなら、ボクも指導の熟練者に倣うべきだろう。そんなことを考えながらゴンとキルアと一緒に項垂れるハンゾーを見下ろしていた。
するとその頃、影のもう一人であるシロネが、唯一残って赤龍帝の背をこちらまで押しやってきた。かなり緩慢な、気の進まなそうなその足取りが松田と元浜の前で立ち止まり、眼を明後日の方向に向けたまま口にした。
「えーっと……二人とも、来てくれてありがとうな。正直、悪魔だってことがお前たちにバレて、嫌われるんじゃないかとか思ってたんだよ……」
拳骨から正気を取り戻した二人が顔を見合わせ、赤龍帝のその言葉に呆れたふうに鼻を鳴らす。二人の手が、赤龍帝の両肩を叩いた。
「バーカ、そんなことで俺たちがお前のダチをやめるかよ」
「忘れたのか一誠、俺たちは女体という名の神秘を探求する同士!たとえ種族が違おうと、俺たちのエロスは永久に不滅だっ!」
「っ……!松田、元浜……!」
感極まって涙ぐむ赤龍帝が二人と肩を組む。これだけ見れば感動的な場面のようだが、中身が故に釣られて泣く者は彼ら以外にいなかった。
その中で一人、同じような境遇でありながら置いてきぼりにされた桐生が、ジト目で赤龍帝たちの抱擁を眺めながら言った。
「どこかの副生徒会長が喜びそうな光景ね。……まあいいけど」
「ん……?副生徒会長って……?」
疑問符を浮かべる匙は無視して、桐生は少し俯き、ボクを見上げた。
「それよりフェルさん、一誠や白音ちゃんたちが居る今のうちに確認しておきたいんだけど……これからみんなで戦うのよね?悪魔と人間の、親善試合って名目で。確か特殊なルールがあるとか……なんていったかしら」
「“ダイス・フィギュア”ね」
クロカが答えた。傍らのシロネも頷く。
相変わらずそっちを向けないボクは、視線を移した桐生を見下ろしたまま、続くそれを聞いた。
「お互いの
「ああそう、それよ。……あくまで試合だし、京都の時みたいな殺したり殺されたりじゃない、格闘技みたいなものだってことはわかってるんだけど……大丈夫よね?」
「さあ、どうかしら」
なんて悪戯っぽく言うクロカに顔をしかめる桐生。その反応を愉快そうに笑って、クロカは続けた。
「まあ知り合いだったら適当に手加減もしてあげられるけど、こればっかりは駒の出目次第ね。私は
「そんなことないです、ウタさま。私は今回、駒価値2個分の
シロネが首を振って言い、視界の端に映したクロカが目を瞬かせる。「そうなの?」と首をかしげると、頷くシロネと、そして傍の匙が口を出した。
「今回は色々な眷属から選抜したチームだからな、色々補正が入ってるんだよ。俺も本来は
「ん?ああ、確か俺は……駒価値3って言われたかな。木場は変わらなかったけど……あ、あと部長が
変態三人でまだ続いていた抱擁から顔を出し、赤龍帝が記憶を探って思い出す。はっきりと聞いてしまった数字に匙の表情が曇るが、しかし基準としては実際のところ妥当だろう。二者を比べれば赤龍帝に軍配が上がるのは明らかだ。赤髪と眼鏡のほうも。
だがそんなことよりも驚きだったのはその人数、発覚した悪魔チームの内訳十二か十三人の内、赤髪の眷属が本人含めて五人も含まれていることの方が驚きだった。しかも赤髪が
正直、そもそも勝負になるかすら疑わしいほどのレベル差だ。
「へえ……こっちはまあ、得物で適当に分けられたって感じよ。あんたたちが会ったっていうジークフリートと、ゴンとキルアの姉弟子のジャンヌは
顔見知りを言うなら他にもクロカと同じく
何ならこのゲオルグ一人でも悪魔チームの蹂躙は可能だろう。そうなった場合、仮にも両種族の友好のための親善試合でそんなことになってしまえばどうなるのか。どちらの思惑にも興味はないが、もし起こればボクにとっても大変心躍る事態となるだろう。
故に驚き。面子を聞いて喉を鳴らした渋顔の赤龍帝を、ボクは見つめた。次いでクロカの声がそれを追い、その方向へと向けられる。
「そんでフェルは
「……だね」
それが無くてもボクが“王”などと、そんな恐れ多いことはしたくない。だからこそアーサーというルフェイによく似た金髪の男にも思うところがありはしたのだが、あくまで
そんな心境すらクロカには告げられていないから、ボクへ向いたクロカの声色は少しぎこちない響きを帯びていた。
我が事のように自慢げに、しかし一方、その共感は合致しているのかという不安を、ボクへと問いかけている。そしてボクはそれに答えない。言葉にしてしまえばそれが二人の事実になってしまいそうで怖かった。
せめてクロカにはそう思ってほしくないのだ。そうして場に沈黙ができたから、その粗暴なだみ声はよく通った。
「おい、そこの人間。今
野郎、と言う割にボクへ向くその視線は“女”を見ている。不快故にその眼を切るため仕方なく振り向くと、色黒で顔に刺青のある、見覚えのない悪魔の男が立ってボクを見下ろしていた。
「……そうだけど、何か用?」
顔を合わせると滲み出る尊大さ、そして特有の気配が漂ってくる。奴が純血の貴族悪魔であることを悟るのと、嘲るような大笑が爆発したのは同時だった。
「く……ハハハハッ!!マジか!!あの野郎、こんな娼婦みてぇな女にビビってやがんのかよ!!バアル家の無能じゃなくて不能だったってか!!」
「ッ……!あんた、確かゼファードル・グラシャボラス……!サイラオーグさんをそんなふうに言って、ぶん殴られたのにまだ懲りてねえのかよ!」
赤龍帝が眉を寄せ、そのゼファードルなる刺青を睨めつけた。口元に描かれていた弧がスッと逆を向き、刺青は一転して忌々しげな声を吐く。
「黙れ、転生悪魔風情が……!!赤龍帝だか何だか知らねえが、グラシャボラス家次期当主の俺様に舐めた口きいてんじゃねえ!!……それに、あの時はちょっと油断してただけだ!レーティングゲームで戦えば、あんな無能野郎なんざ屁でもねえよ!!」
「だとしても、それを口に出すべきではないわね。負け犬の遠吠えにしか聞こえないわよ、生憎だけど」
と、新たな女の声。こちらも見知らぬ、しかしはっきりとわかる気配を放つ長髪眼鏡が割り込み、赤龍帝と刺青を振り向かせた。
貴族悪魔どうし、刺青と長髪眼鏡は睨みあって嫌味を交わす。
「あ゛あ゛!!?誰が負け犬だクソアマ!!アガレスのお嬢さんは股は硬いくせに頭は緩いのかよ!!俺がいつ、誰に負けたって!!?」
「旧魔王派が襲撃してきたパーティーで、サイラオーグに、でしょう?ほんの一月前の話だというのに、もう忘れてしまったの?……はあ、こんなバカが同じチームだなんて、私、なんて不幸なのかしら」
「ハッ!不幸なのは不幸なのは俺の方だぜ!なんだって魔王様は選抜チームにこんな雑魚を選んだんだかな!ま、俺が
「……残念ながら、それは単に得手不得手の問題じゃなくて?あなたみたいな脳筋は突撃しかできないようだけれど、私はきちんと頭を使えるの。これも一つの魔王様の恩情ね」
「文句を言うか感謝するか、どっちかにしやがれ蝙蝠女が!!」
「それはあなたも同じでしょう!?」
ヒートアップしていく二匹の舌戦。ゴンたちや桐生たちといった人間組のみならず、いつの間にか赤龍帝も放って繰り広げられる戦いには、もう誰も手出しができなくなっていた。
もっともボクも、恐らくクロカも、こんな雑魚同士の喧嘩に口を挟もうなんて元から考えてもいなかったが、しかしとはいえ目の前で続くそれがいい加減鬱陶しく思えてきたころ、騒ぎを聞きつけまたしても二匹、貴族悪魔どもがやってきた。
「……またか、ゼファードル、シークヴァイラ。今度は何を騒ぎ立てている」
「ここは悪魔と人間の未来のための大切な場なのよ?なのにこんな時でも喧嘩って……大変なことをしている自覚はあるのかしら」
筋肉達磨と赤髪が、顔を険しくしながら現れた。だが諫められた二匹には全く反省の色はなく、むしろ度合いの強まった憎悪を、赤髪へと吐き捨てた。
「偉そうなこと抜かしてんじゃねえよグレモリー、バアル!!コネ野郎どもがよ!!」
「あらどうも、魔王様の妹様?眷属もたくさん選ばれ、自身も
その棘に、赤髪は思わずといったふうに身を跳ねさせた。次いで気まずそうに歪み、眼が逸れる。
代わりに筋肉達磨がその前に進み出た。
「二人とも、何度も言うが場をわきまえろ。内心はどうであれ、それを大声で吹聴することは己にとっても悪手であることを理解した方がいい」
「事実を言って何が悪ぃ!!実際、喜色の悪ぃ仮面の眷属を
「……あれ?
二匹のにらみ合いに、ふとクロカが思い立った疑問を口にする。確かにパッと見ればその首の角度の通り、筋肉達磨の強さはこの中で頭一つ抜け出たもの。であれば刺青と同格に収まっているのは違和感でしかない。
恐らく、強気な態度を崩さない刺青とてそのことには気付いているだろう。むしろ強がりは他より強く意識させられていることの証明だ。だから奴は真っ先にこちらに振り向き、顔に血を上らせて吠え立てた。
「こいつが、無能のバアルが
しかしホールいっぱいに響き渡り、パーティー参加者のほとんど全員の注目を引き付けた絶叫は、その瞬間、一息に止められた。
筋肉達磨の威圧だった。独学ながらに鍛え抜かれた【念】、そこから発せられる【気】が害意までもを含んで刺青へとっ向けられている。たぶん奴は、自身を頭から両断せんとする長大な大剣を幻視したことだろう。
そしてそれほどに重厚な圧は周囲のざわめきすら押し潰し、静寂の中で筋肉達磨は口を開いた。
「いい加減にしろ、ゼファードル。俺とリアスのことは、最悪構わないが……人間やハンターに対するその物言いは目に余る。もう一度言うぞ、改めろ」
「ッぐ……!な、んだよ、自分の思い通りにならないことがそんなに気に食わねえか……!!またあの時みてえに俺をぶん殴るかよ!?」
引けた腰で辛うじて胸を張り、再び吠え返す刺青。しかしその勢いは子犬の如き弱々しさで、筋肉達磨に対抗できるものでは全くなかった。
「そんなことはしない。お前は今日のゲームの大切な仲間なんだからな。一人欠けた状態で勝てるほど、彼らは甘い相手ではない」
僅かに上がった眼がボクを見る。そして横に滑り、長髪眼鏡に言った。
「シークヴァイラ、君もそのことを理解しておくべきだ。特に今回の人選、君の頭なら目的も予想がつくだろう。反抗は得策でないと思うが」
「……目的、ね。私の眼には既に破綻しているように見えるのだけど。……でも別に、反抗なんてしたつもりはないわ、私は。絡んできた狂犬をあしらっていただけだから」
一瞬だけ赤髪を睨んでから、長髪眼鏡は身体ごと眼を逸らした。背を向け片手を振って別れを告げながら、息を呑むパーティー参加者の間を去っていく。
「では、失礼するわ。そろそろゲームの支度を始めなければならないから」
横顔も後姿に消えて、やがて人影の合間に隠れて見えなくなる。さらにそれに刺青までもが、歯を噛み砕かんばかりに食いしばった忌々しげな獣面で後に続いた。
「チッ……お覚えてろバアル!!ハンターどもをぶっ飛ばしたら次はてめえの番だ!!本物のレーティングゲームでぶちのめしてやるからな!!」
いかにも負け犬の遠吠えといった捨て台詞を残して消えていく。その姿を見送ったことでようやく周囲の静寂も消え去って、再びざわめきに満たされる。その内容の半分ほどはさっきの諍いに起因するものへと変わったが、しかしどうであれ、ボクたちへの注目も薄れ始める。
故にやっと息をついたハンゾーが、安堵を込めて呟くように言った。
「ふぅ……さすがに貴族悪魔の登場にゃ胆が冷えたぜ。トラウマが……。あんな風に言われたのに、フェルもウタもよく平然としていられたな」
「あんな雑魚に一々構っててもしょうがないにゃ」
無論、向かってきたなら大義名分で殺してやったが。
だから筋肉達磨には余計なことをしてくれたという落胆しかなく、続けて聞こえた好戦的な含み笑い的な声に、ボクが返すのはしらけた視線のみだった。
「雑魚、か。確かに、貴女ほどの力があれば奴程度の相手、片手で足りるだろうな。だが俺はそう易々とやられるつもりはない。……
言うと、筋肉達磨もまた背を向け立ち去った。取り残された赤髪。奴はまだ気まずそうな顔をしていたが、しかしそれらを頭を振って追い出すと、深呼吸してからいつもの図々しい調子を取り戻した。赤龍帝とシロネを見やり、それからボクたちへも向けて告げる。
「それじゃあ、私たちも失礼しましょう。準備とそれから作戦も……考えないといけないから。それから桐生さんたち、いい席を取っておいたから、アーシアたちと一緒に観戦を楽しんで――」
「楽しめるかどうかはわかんないけどね」
歓迎の台詞に空いた言い淀みの間。それに気付いて最中に悟るまで至ったクロカが、ニヤニヤ笑いで赤髪を遮った。
「……なんだよ、俺たちじゃ勝負にならないとでも言うのかよ……!」
赤龍帝は、嘲りの意味を自分たちとの力量差と捉えてムッとする。自覚はあったようで感心だが、しかしクロカの言わんとすることは少し違う。差なんてわざわざ口にするまでもないくらい、メンバーを知った時点でわかる程度のことだ。
だから赤髪もクロカの言葉に憤りではなく、図星を突かれたような顔をした。クロカはそれでますます楽しそうに、クックッと笑みで喉を鳴らした。
「じゃあ聞くけど、あんたたちの
腕組みしながら「まさかディオドラ・アスタロト、二階級特進したわけでもないんでしょ?」と肩をすくめて煽りを言う。が、一方の赤龍帝と、そしてシロネもその中身に気が付いたようだった。一様に眉が下がる。
赤髪は、ため息交じりに答えを言った。
「……ヴァーリよ。ヴァーリ・ルシファー。ここ最近絶不調の、ね」
悪魔の
付け加えればそれが肉体的なものではなく精神的なものであることが、余計に事態をややこしいものへと変えてしまっていた。
「確か、ピトーと旅団にボッコボコにされちゃったんだっけ?それでしょぼくれちゃったんだとか」
「しょぼくれた……というより、不貞腐れた、の方が正しいように思うわ。ウタの言うように、以前の旧魔王派征伐の折、黒歌たちとの戦いで敗れたことが、彼の中の……そう、“戦い”というものを変に変えてしまったようなのよ。それまでの彼なら強敵と戦う機会を、それこそ所属する陣営を変えてまで望んで欲していたはずなのに……」
「今では興味もなくしちゃったって?……白龍皇に覇気がなくなった、って聞いてたけど、どうやら思ってたより酷そうね。なまじ強いからコケるの初めてだったんでしょ」
嘲笑うクロカ。彼がボクに幾らかの痛打を与えたためか、その印象は以前よりも悪くなっているようだ。
ともかく、赤髪たちもそんなヴァーリの状態を知るからこそ、言い返す言葉を失くしてしまったようだった。味方だというのに思うところができてしまうほど、度合いも酷くあるのだろう。
「……今日に備えて魔王様も彼を元気付けようと、古巣からアザゼルを呼んだりしたのだけど……あまり効果がないようなの。ねえフェル、もしかしたらなのだけど……貴女の能力って心の傷も治せたり――しないわよね、ごめんなさい」
「なに馬鹿なこと言ってんのよ」
正確には、あるいはできない事もないかもしれない。頭蓋を開いて脳の感情を司る部位をうまく切り離せば、きっと不貞腐れることはなくなるだろう。
ただしもう二度と元に戻らないが。そんなことをヴァーリが受け入れるはずはないし、そもそもボクもやる気はない。無駄とわかっているだろうに思わず尋ねてしまうほど、赤髪も切羽詰まっているようだ。
代わりに赤龍帝が吠えそうだったので、ボクは会場の奥のほう、人と悪魔の海のどこかにいるのだろうそいつを探しつつ、赤髪へ言った。
「そういえば、アザゼルを呼んだって。アイツ、悪魔にとっては敵じゃなかったかにゃ?」
「え?……ええ、そうなのだけど……魔王様がいずれは天使や堕天使とも同盟を結びたいと考えていることは知っているでしょう?だから元々、対話の窓口は開いているのよ。その縁でヴァーリの不調を伝えたらアザゼルが手を貸してくれる運びになった、ということらしいわ」
「……ふぅん、そんなことで総督自らが敵の懐に?白龍皇って親不孝者ね」
つまらなそうに呟き、鼻を鳴らしたクロカは、次いで頭を一振りしてから息に変えて吐き出した。
「まるで手のかかるクソガキの王子様みたい。大事に大事に扱われて、それこそゲーム自体があいつのために用意されたくらいに過保護にされてるのに、本人は見向きもしない」
「……実際、そのための催しなのよ」
赤髪もつられてため息を吐く。
「魔王様たちにとっても、それに大王家にとってもヴァーリは最も次期魔王に相応しい。その血筋も能力も、そして人間との友好の象徴としても。……だから望む望まないにかかわらず、ヴァーリには“王”としての自覚を持ってもらわなければいけないのだけど……それ以前の問題なのよね」
僅かな間があって「まあ、貴女たちにこんなことを言ってもしょうがないのだけど」と、少々泳ぐ眼で付け加えるその様子。言わなくていいことまで言ってしまった、いやそもそもこの話題自体言うべきではなかったと気付いた赤髪は、やがて冷えてきた頭で動揺と一緒に眼を閉ざすと、静かに深呼吸した。
そして数秒、開かれると同時にすっと切り替えられたその眼はシロネと赤龍帝へ向き、改めてホールからひっそり伸びる通路、筋肉達磨どもが消えていったを示して言った。
「……さて、もう時間も迫っているわ。イッセー、白音、匙も、他の皆が待っているでしょうし、行きましょう」
「あ……はい、部長!俺もヴァーリの奴に発破かけないとっすからね!」
「二天龍の繋がりで奮起してくれるといいんですが……。それじゃあ、ウタさま、フェルさま、失礼します」
目線に手を引かれて、シロネと赤龍帝と匙は頷き、歩き始めた赤髪に続いてこの場を発った。だが数歩、先頭が止まって赤髪の顔がこちらに振り向く。
気丈な笑みが言った。
「お互い、いいゲームにしましょう」
ボクもクロカも返事をしなかった。単に赤髪に言葉を返すのが嫌だったという理由もあるが、それ以上に、嘘でなければ“そうだね”なんて言えるはずもない。
だってこれは、余興だ。
ヴァーリの件と同様に、思惑があるのは人間側も同じ。疲れ切っている奴には気付けるはずもなく、そのまま人影に消えていく。
眼を離し、ボクはゆっくりと瞬きしてから、ようやくクロカに振り向いた。
「そろそろボクたちも行こうか。遅いとか怒られても面倒だし」
「……正直、怒られるのはもう回避不可だと思うわよ。ホールにもうメンバー一人もいないし」
「あれ、そう?」
ならいっそとことんまで遅れてやろうか、なんて悪戯心が揺れるが、目にしたクロカの表情で掻き消える。ほんの一瞬息を呑んだような緊張。ボクがなかなか眼を合わせなかったことに起因するものだろうが、頭には別の嫌なものがよぎってしまう。
それに、こんな悪魔だらけの場に望んで居続けるなんて狂気の沙汰だ。そういうことに切り替えて、ボクはクロカから再び眼を外し、ハンゾーたち観戦組へとやった。
が、眼にしてすぐ、悩みが馬鹿らしく思えてしまう。
「……キミたちも、赤髪の席なら軽食くらい貰えるんじゃにゃい?」
些か投げやりになってしまうボクの口調に、いつの間にかテーブルの上で食事会を楽しんでいた彼らがうぐっと喉を詰まらせた。
男連中の間で大食いでもしていたのか、パンパンに膨れた頬のものを呑み下し、それぞれ顔を見合わせる。
「そう……だな、行くか!料理もうなくなっちまったし!」
ハンゾーが固めの作り笑いを皆に向ける。言葉の通り、テーブルの上の皿をよくよく見れば、少なくないそれの中身はほとんどが空だ。隣のクロカが少しだけ残念そうに見つめているのが気配でわかる。
しかしどうやらまだ食欲が満たされていないらしいゴンとキルア、食べ盛りの子供二人はまるで気に留めず、皿に残った料理の僅かな残骸に、その煌めく眼をやった。
「じゃあさ!あの肉料理、また食べれるかな!?ハンター試験で食べたクモワシくらいおいしかったんだ!」
「オレはあっちのデザートがよかったな。お菓子なら結構食べてきたと思ってたけど、こっちのは全然違ってた。なあウタ、冥界の食い物ってみんなこうなのか?」
「……まあ、うん。植生も生態系も、人間界とは何から何まで違うからね。今みたいに人間が簡単に冥界へ行けるようになる前は、冥界産の食材って人間界ではバカが付くほど値が張ったのよ」
それは食材に限らず、例えばそれが乗っていた皿も、テーブルクロスも、テーブルそのものも。この場にないものはすべて人間界には存在しない資源。
なるほど“V5”が冥界の地を欲するはずだと、ボクは二人の反応に、ようやくその実感を得たような気がした。
だが当然そんなことは一般人の意識にあるはずもなく、比較すれば若干グロッキーになってしまっている松田と元浜が、膨れたお腹をさすりながらうへぇといったふうに眉を歪めた。
「二人とも、まだ食うのかよ……。その身体によく入るな……」
「お、俺たちはもう限界だ。さすが、年下でもプロハンター……」
「馬鹿ねぇほんと。張り合って無理するからよ」
一人優雅にグラスを傾けていた桐生が、それを置いて呆れの息を吐く。そして空いた両の手で、二人の背中を押しやった。
「じゃあ、私たちももう行くわ。フェルさんウタさん、二人とも応援してるからね」
「……ちゅーか、俺たちはやっぱり人間側を応援すべきなのか?それとも一誠たちが居る悪魔側……?」
「オレたちはクラピカもいるし断然人間側だけど……んなことどうでもいいだろマツダ。好きにやればいいさ」
運ばれていく松田にそう言いやってから、キルアはその後を追って行った。ハンゾーとゴンも、ボクたちに手を振ってから去る。
とうとうクロカと二人になって、それからボクは眼で示し、一緒に控室のほうへと向かった。赤髪たちが通った通路の対面にある、同じく目立たない廊下。貴族悪魔をなるべく避け、あるいは気配を消しながらその最中を泳ぎ切り、その入口へと到着する。
するとその傍に着物姿の小さな人影が、待ち伏せに疲れたように俯きがちな格好で佇んでいた。
「……九重?」
声をかけるか一瞬迷った。が、その一瞬の隙に口は名前を呼ぶ。結果弾かれたように顔を上げた九重の隻眼が、ボクを見つけて嬉しそうに輝いた。
「あっ、フェル!よかった、ここで待っていたら会えると思ったのじゃ!応援しに来たぞ!」
「……そう、ありがとう。八坂は一緒じゃないの?」
「母上は……ぱり……ぱりすとん?とかいう名前の人間たちとお話ししておる。フェルに会いたかったから、私だけ待っておったのじゃ!」
その言葉がなぜか自慢げなのは、周囲の貴族悪魔たちの存在なのだろう。大嫌いなそれらの眼に耐えて頑張って待っていたのだ、というそれ。
褒めるべき……なのだろうか。その姿を認めざるを得なかったくせに、ボクの中の九重に対する態度は定まらない。その存在を自分の中でどう受け止めればいいのか、胸の奥が疼き出したのは修学旅行のあの時からだ。
それに、クロカは気付いて首を傾げた。
「……ああ、九重なのね。久しぶり過ぎて気付かなかったわ。身長とかもそうだけど……その眼帯、なに?」
右目の眼帯だ。八坂のセンスか着物に似合う和風のそれは、キメラのものとなった異形の眼を隠すためのもの。
「うむ、これか?これは――」
と生地に手を当て、自慢げな頬に笑みも加えて答える九重。だからボクは、それを遮った。
「お洒落なんだよね。うん、似合ってるよ九重」
「……ん、ふふふ……!そうか?そうじゃろう、そうじゃろう!今日のは一番のお気に入りじゃ!」
嬉しそうに笑うその姿、塞がれた眼の奥に、ボクは出会ったばかりの頃のクロカに抱いたような、身体の奥底からくる口渇感に似た感覚を味わっていた。
もはや今のクロカには感じることのできないそれだった。意識して、返す笑みが歪になってはいないか不安になる。
「あー……そっか、そういう……。まあ、九重もそういうお年頃よね」
「……?お年頃って何のことじゃ?」
クロカは何やら生暖かい眼で何でもないと首を振り、そしてボクの手を掴んだ。そして引きつつ、背中越しに九重へと告げる。
「とにかく、応援ありがと。急がなきゃならないから悪いけどお話はまたあとでね!」
早足に廊下を進んでいった。振り向けば、煌びやかなホールを背景にした九重が「頑張るのじゃー!」と両手を上げて振っている。
それに独りでに伸びかけた手は、ボクのクロカへの執着がキメラアントへの想いの代替でしかなかったことを、改めて強く意識させた。
感想ください。