ふと気付けば身体の、首から下の感覚が消えていた。頭だけに落下しているような感覚があって、視界も横倒しに傾き、やがて頬が地面の土を擦る。その地面も跳ねたりしながら横に流れていって、ようやく制止した時、俺は視界にそれを見た。
自分の、リゼヴィム・リヴァン・ルシファーの身体が、そこに立ち尽くしていた。
だが首がない。ぶしゅぅっと血が噴き出る様に、噴水のようだとありきたりな感想を抱いた。そして視線が行った血の噴水の奥に、さらに二つの人影を見つける。
俺が【
俺の首を切り落とした奴らが、地面に転がる俺を無関心に見ているのだ。
俺はその時、ようやく自分が殺されたことを悟った。
――殺され?
――死ぬ?
――まだ何もできてない
――まだ死にたくない
――助けて誰か
頭の中で数多の悲鳴がバチバチ弾けた。急速に尽きていく命の炎が抗おうと必死にもがき、しかし無意味に消えていく。
わかっている。けど止まらない。だって俺は、やらなければいけないのだ。
――今のつまらない悪魔を滅ぼして本来の悪魔らしい“悪”を作り直し、それを俺が統治して王に――
……いや、王様はめんどくさいな。それはまあ、先々代に倣ってもっかいガキでも作って押し付けるとして、それから……
隠居して、またあの自堕落で屍のようなつまらない毎日に……?
――あれ?
おれ、ナニがしたくてこんなことしてるんだっけ?
苦労して人間の施設に潜り込んで、わざわざあの男をたぶらかしてまで手に入れた“力”。あくせく真面目に働いて、その目的は……。
――特になくない?
――あれ、もしかしなくてもおじちゃん、謀られた?
俺は迫るプフの靴裏を見つめながらそれに気付き、そして次の瞬間、踏み潰される感覚を最後に永久に意識を消した。
めしゃぐしゃり。踏み潰され、粉砕されて飛び散る血と脳漿と頭蓋の欠片。それが足元にまで飛んできて、立ち上る悪臭が唖然とする俺を我に返した。手の聖槍を握り締め、高まる浄化の【オーラ】が頭の中をクリアにする。
そうして認めた現実。ユピーがリゼヴィムの首を切り落とし、そしてプフがその頭を踏み砕いてとどめを刺した一連の光景。それはリゼヴィムの【
恐らく彼らが出現したときに見えた魔法陣は【
だがそれを知る由もないサーゼクスはその眼に未だ困惑を映し、ボロボロの身体でなんとか上体を起こすと、プフとユピーへ余計に増した警戒をぶつけた。
「なぜ……!?君たちは、リゼヴィムが生み出した魔獣……リゼヴィムが主人であるはずだろう……!?いやそもそも、【
得体の知れない敵がさらに得体が知れなくなった。俺たちがピトー戦っている間ずっと戦い、そして滅せられなかった敵ゆえに、僅かながら恐怖心も混じっているように見える。それを向けられた二人、ユピーは、言葉もなくサーゼクスのほうに振り向いた。
同時、背中の肉が変形して伸びる。黒歌の念弾を弾き飛ばした鞭の拳。それが瞬時に飛び出てサーゼクスを襲った。
早業で、しかも距離が離れている上にピトーの能力に拘束される俺にはどうしようもなかった。そして満身創痍のサーゼクスにも。鞭のパンチはサーゼクスの顎を捉え、打ち上げた。寸前に辛うじて魔力でガードしたようだが、その程度で完全に防げるようなものではない。吹っ飛び地面を転がり、そして気を失ったのか動かなくなった。
だがユピーは殺すつもりでパンチを放っていた。それを防御され、殺しきれなかったということ自体が不満なのだろう。舌打ちし、その脚がサーゼクスを追おうとする。
それは、不味い。隠し続けた奥の手、タイミングがあまりよくないがサーゼクスを殺させないためにもここで切るかと、俺は内に【念】を練り上げた。
が、その時ふと眼に入る。ユピーのパンチの風圧に押されたのか、とうとう傾き倒れるリゼヴィムの身体。首のないそれが頽れてうつ伏せに倒れ、拍子に血に濡れた首元から零れ落ちた何かがユピーの足元に転がった。
(あれは――ッ!!)
小さなアンテナだった。うっすらと、よくよく見なければわからないくらいの微かな【オーラ】を纏った物体。リゼヴィムに突き刺さっていたのだろう、それ。
俺は打って変わって迷いなく、奥の手ではなく【七宝】、【
当然ユピーは反応し、その場を飛び退く。しかし狙いのアンテナは一瞬にして粉砕、欠片も残さず消え去った。
代償として先手を入れる前にプフとユピーから怒りの眼を向けられたが、まあ致し方ないだろう。どのみちだ。それくらい、あのアンテナが一瞬でも長く存在するのは不味かった。
なぜならそれは、この騒動がハンター協会、人類の謀略である証拠だから。
正しくは一人の男によるものだろうが、一方そっちの証拠は手元にないし、これからも存在しないだろう。それに余所から見れば個人も全体も違いはない。
つまり人類の“悪”を巷間に晒しかねない危険物だ。運のいいことにもうこの場に意識ある悪魔関係者はいないが、それでも何かの拍子に伝わってしまう可能性はなくはないだろう。
そうなる前に、プフとユピーに気付かれる前に抹消できたことに覚える安堵は噛み殺しつつ、俺は二人の敵意に不敵の笑みを返してやった。
「わかったかい?敵に背を向けちゃ、危ないんだ。他ごとに意識を向けるのは敵を完全に倒しきってから。こんなことを注意するなんて落第もいいところだが……まあ、二人とも生まれたての赤子なんだ。一度くらいは大目に見てあげようか」
幼子を諭すような口調で放つ挑発。二人の意識をサーゼクスから離すためのあからさまなそれは、見事に二人の激怒を釣り上げた。あながち間違っていないのも要因で、だからこそ苛烈なものとなった殺意が振り向き、俺を射抜く。
が、邪悪なものと化す二人の顔を、前に進み出てピトーが制した。
「いいよ、二人はあっちの掃除で。曹操はボクがやる」
端的な言葉は、二人の怒りをピトーにまで向けさせた。
「おい、どういう意味だそりゃあ」
「まるで我々ではアレの相手をするには不足だと、そう言っているようにも聞こえますが」
「そう言ってるんだよ、プフ。ユピーもにゃ」
しかし視線を受け止めて、ピトーはなおも断言する。その毅然に二人は怒りを困惑に変えたようだ。
そしてそこから見える信頼関係と仲間意識。ピトーと彼らが顔を合わせたのは俺よりも後で、しかも言葉を交わしたのは初めてであるはずなのにその度合い。同じキメラだとしても、それだけではあまりにも不自然なほどで、故に俺は抱いていた確信に次いでもう一つ、新たに気付く。どうせならそれも探ってやるかと、息を吐きつつ不敵を演じ続けて言った。
「いいじゃないか、手伝ってもらえば。わざわざタイマンを張る必要なんてないだろう?それに……一人で勝てると思っているのか」
「……オマエこそ、ほんとにボクを倒せると思ってるのかにゃ?今までだって勝ったことないのに」
「勝てるさ」
言い切る。確かに現状、身体能力では劣ったままだし、そもそもピトーの能力である人形を通じて身体の動きを止められているが、だからなんだというのだ。そう、眼で威圧する。
実際、勝算はあるのだ。本気のサーゼクスを相手に見せたあの“力”、今は鳴りを潜めているが、もし再び表に出てきたとしても対応できるはず。
「それ、
“力”の源がそうであれば、俺の能力で操れる。無論操作のために条件をクリアする必要があるし、その内容も、現場を二度も見ているピトーには凡そ把握されているだろうが、それでもその“力”を封じ、むしろ弱点へと変えられる手札を俺が持っている事実に変わりはない。
現状、有利なのは俺の側だ。
「掌握して、暴走でもさせれば一発だ」
だから不敵の笑みも、まるっきりの虚勢ではなかった。追い詰められているのはピトーたち。
しかしそんな俺の自信に対し、返ってきたのは寒々しい眼差し、冷たい憤りの眼だった。
少し面食らう。“怒り”が来るとは思っていなかった。それも三人が一斉に。
プフもユピーも漂わせる【オーラ】はピトーとよく似て酷く不気味なもので、それらが敵意を以ってこちらを向くとさすがに慣れも役に立たない。身が震え、しかし寸前で聖槍を両手に握って抑え込み、嫌が応にも戦闘態勢を取って低くなる姿勢から、俺はプフとユピーを見上げて言った。
「……ピトーだけじゃない。プフにユピー、君たちもそうだ。サーゼクスたち相手には暴力と、そしてその再生能力で渡り合えたようだが……それはむしろ俺に対した時、弱点だ」
「……あぁ?」
怒りがほんの少し薄れ、滲む訝しげな表情。プフもユピーも、どうやらピトーと違って自覚はないらしい。
(まあ……そりゃそうか)
やはり二人とも生まれたて。そして再生能力は彼らの認識では生まれ持った能力だ。
造られている最中、埋め込まれるものを知れるはずもない。
「それは九分九厘
元々はリアスの眷属であるギャスパーの幼馴染、ヴァレリー・ツェペシュが所持者であった
「三個がセットになっている亜種のものでな、俺が抜き取った。だから見覚えがある」
「……にゃるほど、それで……」
と、深呼吸と一緒に憤りを吐き出したピトーにとっても、やはり二人の再生能力は異様に感じるものだっただろう。正体が明らかになり、納得の様子を見せる。その様子に【
だがどうであれ、嫌悪までには至らないようだ。あくまでそれは“核”だけの話であるから。
「死者蘇生すら可能な
“核”を除いた他の全ては紛れもなくピトー由来、つまり、正真正銘“キメラアント”だ。
ピトーのみしか生まれなかったというキメラアントの近衛兵、“護衛軍”は、ある意味で【
このプフとユピーは紛れもなく、“
ただ、しかし。
「ある意味でピトー、お前の息子たちというわけだ。よかったな、お望みのものができたじゃないか」
“
俺はそう思う。だがピトーにとっては、違う。
結局のところ、“人とキメラは交わらない”。そういうことなのだろうか。
「……言われてみれば、そうかもね。そっか、“家族”って、こういうもののことなのかにゃ」
「ケッ、プフが一人増えちまった。勘弁してくだせぇよ、“女王”サマ」
首を傾げるピトーを、ユピーが口上のみで敬う。そこには特別の温かみはないが、俺のように温度がないというわけでもない。
確かに彼女らを繋げている“楔”、黒歌や白音よりも大切であるらしいそれは、プフも引き込み俺に牙をむく。
「いい加減しつこいですよ、ユピー。……ともかく、我々の中に
プフがピトーに、なぜか試すような視線。送られて、ピトーは俺から微塵も眼を動かさず、
「うん、そうだにゃ。
小さな声が間を開け、そう言った。
酷く無機質な声だった。動揺を刺激されるが、思考の深くに付く刺さる前に頭を振って追い出す。
ピトーはまた一つ間を開け、血の気を戻して続けて言う。
「……それよりも、曹操。キミの
それはピトーの言う通り、能力の発動条件。ある程度、どころではなく、ほぼほぼ正確に把握されていた。
能力の詳細が割れている、という不利。
「もちろん俺の技量で覆す、と言いたいところだが、さすがに身のほどはわきまえてる。実際のところは聖槍と念能力、必殺の武器が二本になったというだけの話だ」
だがそれでも、俺の勝機は消えなどしない。
「だが……ピトー、俺の能力を見抜いて攻略した気になっているようだが――」
生憎、
「相手の
ピトーの表情が久方ぶりの動揺を見せた。ガキかと思いつつも持ち上がる己の頬を叱りながら、俺は一息に、練った【オーラ】を発露する。
「見せてやろう……俺の、最後の切り札ッ!!」
発動させた
比類なきほど強力無比。しかしその詳細を教わったネテロ会長に言われるまでもなく、俺はその“力”の欠点を理解することになる。
発動に呪文の詠唱が必要。さらには宿る“遺志”の気分次第で発動するモノが異なり、挙句にそもそも発動しなかったりもする。
あまりの欠陥だ。そう捉え、そして同時に癪に障った。聖書の神だろうが何だろうが、どうして自分でないものに自分の“力”を管理されなきゃならないのか。
なら俺が、その
転じて、そして持ち得る念の才能、天才と評される全てを費やして、それは完成した。
【
「発動しろ、【
聖槍の聖なるオーラが退魔の力となり、辺り一帯に溢れかえった。
規模も出力も圧倒的なものだ。眩い光はすっかり崩れ去ってしまったスタジアム全体を包み込む。そしてそれが及ぼすのは、“魔の者の弱体化”。
サーゼクスたちも巻き込むが、不幸なことに今となってはその心配は不必要だ。故に念によって操り、繰り出させた全力全開の“力”はプフとユピーほどの強者にも間違いなく影響を及ぼした。
が一方、戦闘経験が豊富なピトーは怯んでたたらを踏むプフとユピーとは異なり、俺が聖槍に【オーラ】を集中させたその瞬間にすでに動いていた。
飛び込み、手に収めたのは氷の棘で地面に縫い付けられていた俺の人形で、退魔の光から守ったそれを指の糸でぶら下げ戦闘態勢。おかげで磔も解けて身体は動かせるようになったが、成果としては最低限に近い。
「……
「……この人形の芯になってるのは、あの時受けた【
その眼がちらりとプフとユピーを一瞥する。二人とも聖なる力に焼かれて苦しげだ。脂汗をかいて膝をつきながら、しかし受けている苦痛以上に憎悪を俺へ向けてきている。
当のピトーも、見かけは平然としているがその実、内心は彼らと大して変わらないはずだ。肉体は光に焼かれ、相当の負荷を負っているはず。なぜなら人工
言葉を返す前に、それに少しだけ疑問が芽生える。
(……何か使えない理由でもあるのか……?)
例えば、強力ゆえに聖なるオーラ以上に身体へ負荷をかけてしまうから、とか。余裕からの出し惜しみなんかでないことを祈りつつ、俺は一つ息を吐き、掲げる槍を再び手元に引き寄せ、構えを取る。
「ともかく、これでわかってもらえただろう。『どうやって何十秒も身体に触れ続けるのか』、つまりこういうことなわけだ。ついでにプフとユピーも排除できる優れものだよ」
「ぐぅ……!!この程度、慣れればなんということもありません……!!排除できるなどと――ッ!!?」
憎悪を源に立ち上がり、威勢よく叫ぶプフと、そしてユピーが戦闘態勢に入る前に、俺は二人に【
「さ、お望みのタイマン、最終決戦だ。ピトー――行くぞッ!!!」
そして練り上げた“力”の数々と共に、ピトーへ渾身の攻撃を打ち込んだ。
始まり、そして振るわれる神速の攻撃がいくつも重なり、たちまち烈風を巻き起こした。だがそれらが渾身、手札の全てを使っての全力でも、【
故に自然と、攻撃の手段は身体を使わない遠距離攻撃に偏っていく。【七宝】、邪炎、聖槍による光の攻撃。特に意志のみで自在に操ることができる【七宝】が主となり、ピトーの速さを攻略せんと打ちかかった。
とはいえ【
早速の膠着状態。しかし一度ミスして攻撃を食らえば、身体能力の差で俺は致命傷を受けるだろう。しかしその逆はない。遠距離攻撃では、例え聖槍のオーラといえどそこまでのダメージにはならないのだ。
(――つまり、現状はやはり俺が不利……!!)
しかし、それもいつものことだ。故に理解した瞬間、俺の脳は一つの策を思いつき、すぐさま実行した。
「【
【
そしてもちろん、その先にいるのは先回りした俺の槍。首を切り飛ばすように振るわれて、しかし当然の如く少し身をかがめただけで躱された。
さらに繋げる連撃も、腕を操作されて当たらない。空振りにされた攻撃をかいくぐり放たれたカウンターを【
「……いやに攻撃が単純だ。曹操、何を狙ってるのかにゃ……?」
「さあね……!案外、他に手がないのかもしれないぞ!」
誤魔化そうと試みるが、当然鵜呑みにはしないだろう。しかしそれでいい。俺が有する決定打は【
そうして、一瞬でいい。ほんの一瞬、そちらに注視させ、飛翔する【七宝】をピトーの意識から外させることができれば――
(――糸口ッ!!)
見つけ、俺は強く大地を踏みつけた。
「聖槍よ!!」
全くの射程外から、突く。恐らく【
「ッ――!!」
空気を揺るがし、挙句に余波で地面を削りながら聖槍から放たれたのは、聖なる力の光線だった。退魔による弱体化のために割かれた力はそのままだが、しかし余りだとしてもそれはいわば神の一撃。突如として放たれたそれは、さしものピトーにも戦慄をもたらした。
故に眼にし、回避に身体が動いたのは、いつもよりもほんの少し早かった。【
逃す手はなかった。
(【
輝く。閃光がピトーの頭上の【
そして光線を回避してのけたピトーも、【
「く――ッ!!」
しかしバランスを崩してもピトー自身の卓越したバランス感覚が戦意を支え、突撃する俺を迎え撃たんと動いた。
身体は後傾しながらも腕が伸びる。半端に作られた拳は聖槍を止められないだろうが、それでも減殺して致命傷を遠くのものにするはずだ。
そんな目算。しかしするまでもなく、俺とてこれだけの策でピトーを倒せるなどと思っていない。打った手にはまだ先がある。
槍と拳の間に、周囲を飛翔していた【七宝】の一つが割り込んだ。だがピトーの拳は止まらない。それを弾き飛ばして事を成す意思、俺が【七宝】を囮に切り込もうとしていると見抜き、その上で真正面からぶち抜くつもりであることを、込められた【念】がをはっきりと示している。
その選択は当然だ。なぜなら割り込んできた【七宝】は今まで幾度も撃退せしめた威力重視の【
そう見越したからこそ、俺が、ピトーが【七宝】から意識を外した隙に位置を入れ替えていたことは、その全てがまったく同じ外見であることも相俟って彼女に感付けるはずもない。唯一の付け入る隙だった。
「がッ――!!?」
【
横殴りにされ、ただでさえ不安定だったピトーが完全に体勢を崩した。最後の一歩を踏みこむ。同時に【七宝】の
その切っ先はピトーに致命的な損害を与えられる。もはや人形に妨害されることもなく、いっぱいに伸ばした腕が突きを放ち、もう少し、あと僅かな距離で貫く――
はずだったその直前、ピトーの【
「――!!!」
音すら置き去りに、極光を放つ聖槍は躱された。首筋の肌の表面を掠めて焼き、しかし怯みすらさせられず、返しにピトーの爪が瞬く。
「―――」
辛うじて防げはするはずだった。槍を操り柄で受けられる攻撃。反撃できたとはいえピトーにも余裕はないようで、距離を取りたい故の牽制のようなものだった。
だから俺も、それに乗って仕切り直すことはできた。【
(だが――)
それではピトーの想定内。この時俺の頭からは、戦闘の“理”がきれいに消え去ってしまっていた。
代わりにあったのは、“ピトーに勝ちたい”という、それだけだった。
ぞぶッ、と、右耳に音が響いた。同時に眼前、さらに一歩を踏み出した先のピトーが驚愕の眼で俺を凝視する。
「オマエ、腕――」
俺はピトーの攻撃を防がなかった。つまり、右腕が飛んだ。掴んでいた聖槍も明後日の方向に弾き飛ばされる。
ピトーを打倒できる武器の片方である聖槍と、そして片腕を犠牲にして詰めた距離。容易く手が届くほどのそれは、もちろん【
(忘れたか?)
それは油断だ。
(お前がくれた、とっておきのがあるだろう――!!)
温存していた【
【七宝】の最後の一つ、【
いわば
「が、ぐァ……ッ!!!」
とうとう倒れる。勢い余ってもつれ合い転がるが、決して離れない。ようやく止まり、遅れてやってきた右腕の灼熱を全身の高揚感で掻き消す俺は、馬乗りになったピトーを見下ろし、血混じりの唾を撒き散らしながら叫ぶ。
「十秒、いや……十五秒ってところか……!!ハッ!!やはりその人口
「っ……十五秒、死ぬよ、曹操……ッ!!」
青い血を零しながら、苦しげなピトーが言う。だが今更、考えるまでもない。
「死なないさ……俺はもう、あの時とは違うんだよ……!!」
ピトーと初めて出会い、そして鼻っ柱を叩き折られたあの時。あの頃。
俺とピトーの血が混ざり、地面に広がるのは赤紫色だ。頭に響く脈動とゆっくり霞みゆく視界を意識しながら、俺の心には闘志が溢れんばかりに噴き出していた。
見張られたピトーの目が、ゆっくりと諦めを帯びたように閉じる。あと五秒、そう感じた時だった。
「がッ!!?」
突然、背に衝撃が走った。身体が浮き、流血のせいで力も入らず、槍から手が離れてしまう。
慌てて掴み直そうとするが踏ん張りがきかないことも相俟って、俺は衝撃に押し退けられてピトーの上から転げ落ちることとなってしまった。
地面を一回転し、体勢を取り戻した。そうしてバッと見上げ、眼にした背中の衝撃の正体。
「サイラオーグ……ッ!!」
と、その頭上にピトーの人形が浮いていた。
操作し、今までリング上の結界の中に潜ませていたのだ。こういう場面に備えて。
(やられた……!!とうに食われたと思っていたが……)
しかしどうやらそんな跡はなく、しかも死んでいないようだ。【絶】がされていた状態から、一息に膨れ上がる【練】に移行したことからそれは明らか。腹部が大きく損傷した【
その頭上、ピトーの“他人を操る念人形を作り出す能力”は大して精度がよくないことは知っているが、脅威だ。それに何より、ピトーが腹に突き刺さった槍を引き抜き、自由を取り戻してしまった。消耗もこちらの方が大きく、ここにきて敗色濃厚となったことを、俺は理解せざるを得ない。流れる血から、タイムリミットももう間近。
考える余地もなく、短期決戦を仕掛ける以外になかった。突っ込み、操られたサイラオーグの拳を難なくすり抜け、ピトーに肉薄する。拳を握り、放った。
「な……ッ!!」
外れた。いや、
空振りした拳の先に、ピトーの指に吊り下げられ、操られている
(あの時破壊したのは、ミルたんの人形か……!!)
やっと気付くも、もう遅い。狙いを動かされた俺の拳は、導かれるようにピトーの手にある俺の人形を捉え、破壊した。たちまち中に封じられていた邪炎が噴出し、襲い来る。
回避は間に合わない。迎撃も、聖槍を失い、残る手段の【念】や【
ならばもう一度、捨て身で攻めるしかない。今度の犠牲は右腕ではなく全身だが、攻撃は元々自分の“力”である邪炎。耐えればいい。
耐えられる保証も、耐えたとしてピトーを倒せる力が残る保証もなかったが、かといって“引く”選択肢は元からなかった。実情でも心情でも、俺は前に踏みでる。闘志だけが燃えていた。
その時だった。ピトーと眼が合った。
「……強くなったね、曹操」
敵意も狂気もなく、なぜかそれは、俺に優しげなものを感じさせる呟きだった。
(あ……)
瞬間、俺の中の闘志がフッと消えた。穏やかに音もなく、しかし燃え尽きてしまったかのように唐突に。
何をしているんだと、邪炎を前にする身体がそう叫んだ。だがもう耐えてやるなんて気力はなくなっている。しかもそれは、悪くない気分だった。
(もしかしたら……)
ふと気付く。
(俺が求めていたのは勝利じゃなくて……これだったのかもしれない)
わからぬまま、そんな感傷に似た想いが心に浮かび、そして直後、目の前を黒い炎が覆い尽くした。
痛み。潰れた視界。吹き飛ばされて転がる身体。感覚に触れるのを最後に、俺の意識は急速に遠ざかっていった。だがその寸前、
「――ぶちょう……?」
赤龍帝、兵藤一誠の呆然とした声が傍で聞こえたような気がした。
ボクの念能力【
そこまでを見届けて、とうとう気を抜くことを許されたボクは、腹の傷を押さえて膝をついた。
【
「死なないでくださいよ、ピトー。
「ふ、ふぅ、ん……死なない、にゃ。
荒れる呼吸の最中に応える。より一層不機嫌なユピーまでもが、忌々しそうに曹操を睨み、舌打ちをした。
「あの野郎……オレたちは分身なんぞで十分とかほざいた挙句、ピトー一人に殺されやがって……ああクソ!イライラするぜまったくよォ!」
「まだ息はありますよ、彼。じきに死ぬでしょうが」
「んなこたァわかってんだよ!お前はわかるだろプフ!……クソッ!もういい!ここらの掃除はこれで終わりでいいんだろ?オレは外を片付けて来る。この死にぞこない共はお前らで……」
と、険しい眼をプフに向けていたユピーは怒りを紛らわすように頭を掻きむしり、なおも治まらないそれを発散するために脚を外に向けた、その途中で言葉を止めた。
プフと、ボクもつられてその原因、ユピーの視線の先を見る。
「……ゼノヴィアも、生徒会長も……みんな……ぶちょう……」
赤龍帝が、赤髪の傍に膝をついていた。その眼は虚ろ。目の前の光景を受け入れられずに彷徨っている。
見ただけで言うのなら、何でもない光景だ。力ない悪魔が一匹、首を垂らして殺されるのを待っている。ただそれだけ。
しかしボクもプフもユピーも、それを感じていた。
『ゆるさなイ』
赤龍帝の少年の声と、内に宿る憎悪の声が重なった。
『ゆルさナイ』
対して肉がついているわけでもないその身体が、内側からドラゴンの【気】に押されて膨れ上がり、変化する。
『ユルサナイィィィィィッッッ!!!』
“覇”が、巨大な人龍の姿となってそこに顕現した。
「【
その名を思い出す。と直後に赤龍帝はその巨体で一息に跳んだ。一直線にボクめがけて。
その突進はあまりに素早く、巨体も相俟って消耗したプフやユピーには止められなかった。ボクも、回避ができなかった。
「が、ああぁッッッ!!?」
なす術もなく、咬みつかれた。鋭い歯がとてつもない咬合力と合わさってボクの肌を噛み砕き、食い破ろうとしている。
抵抗できない。血と一緒にどんどん力が抜けていく。死の冷たい予感が腹の底から這い上って来る。
(――いや、だ……!!)
こんなところで死ねない。何のために黒歌たちを裏切ったというのだ。ここで死ねば、それすら無意味になってしまう。
だが使命を想う一方、ふと思う。
無意味だからこそ、これはある意味、罰なんじゃないだろうか。
黒歌の想いを裏切った、その報い。自業自得じゃないかという諦め。
(なら――)
ボクは、何も成せずに消えるべきじゃないか。
眼を閉じた。消えゆく意識。だがその暗闇の中に、
(あ……)
“光”が、見えた。
――お、う……?
オリジナル念能力
【
・操作系能力と【黄昏の聖槍】の【結】
・一定時間身体に触れ続けることにより、対象の神器のシステムを掌握できる能力。
曹操が、自身に宿る【黄昏の聖槍】に封じられた聖書の神の遺志を操作するために造ったもの。他人の神器を操作できるのはあくまでこの副産物。
一度掌握した神器は誤作動や強制解除させることはもちろん、所持者から抜き取ることも、逆に植え付けることも可能。
【|形代浄瑠璃《ジェスターマリオネッター】 使用者:ネフェルピトー
・具現化系能力、特質系能力
・対象の行動を制限する人形を具現化する能力。
第一段階はただの藁人形であり、それに対象の魔力や【気】など、力の一部を吸収させることにより、対象の姿を模した人形へと変化する。この状態になると人形と対象の状態がリンクし、例えば人形の手を上げさせれば対象の手も上がり、縫い留められれば同じく動かせなくなる。
人形が破壊されれば能力は解除されるが、代わりに吸収されていた力が呪いとして対象へと跳ね返る。本人と繋がった呪いであるため逃れることはできない。
これにて更新終了。
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