主なきノラネコたちの家   作:もちごめさん

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二十話

 僅かに意識が蘇った。見えるのは冥界の懐かしい空色と、目下の崩壊した市街。自分はどうやら空を高速で飛んでいるらしく、瓦礫の山は激しい濁流のように次々と後ろに流れ去っていく。

 

 戦火に焼かれた浮遊都市アグレアスの街並みだ。その光景を、ボクはモニターの画面でも眺めるように見つめていた。

 

 身体の感覚は全くなかった。羽ばたく悪魔の羽も空気を切る手足も、ボクの意識とは関係なく動かされている。ボクの、ネフェルピトーの肉体は、今、ボクの手の中にはなかった。

 

 が、それらのことにボクは不安を感じていない。思うところは、何もない。

 

 故にただ、蘇った意識は動く肉体が映す視界をそのまま、寝起きのような微睡みの中で感じていた。が、その時不意に他人事の視界が振り向いた己の背後、そこに映る光景は一転してボクの傍目の感覚を揺るがした。

 

 瓦礫の山を駆けボクを追いかける、黒歌と白音の姿がそこにあった。悲愴な表情だった。ボクでなくなったボクを見上げるその顔を、必死に怒りで覆い隠そうとしているように見えた。

 

 もうとっくにボクのものではない心臓が、きゅっと痛むような感覚がした。

 

 気のせいだ、とは、言えそうにない。この痛みはきっと、ボクが“人”であろうとした、その名残だ。黒歌と白音に貰ったそれを捨て去りたくないと、ボクの中の“人”が悲鳴を上げているのだ。

 

 けれどそれは“キメラアント”とは混ざり合わない。だから“人”と“キメラアント”、どちらかは捨てるしかない。

 そうしてボクは後者を取り、前者を捨てることを決めた。ボクの王直属護衛軍という生まれながらの宿命は、“キメラアント”を捨てることを許さなかった。

 

 だからこれ以上、二人を想うことは許されない。心を揺らすことさえも、許されることはない。

 

(ボクの全て……“王”のために……)

 

 そのための存在であるボクは、故に再び、ゆっくりと(意識)を閉ざした。

 

 

 

 

 

「はっ、はぁ、はぁ……やっと、追いついた……!!」

 

「こ、ここ……スタジアム……?」

 

 “王”の後を追いかけて私と白音がたどり着いたのは、最初に奴が現れたあの大きな決闘場。その、崩れ去った残骸の上だった。

 

 私が気を失う前、最後に見た光景から、スタジアムはさらに破壊されてしまったようで、もうほとんど跡形も残っていない。周囲を囲む観客席も軒並み崩れ去り、開けた平面の上にはいくつかの瓦礫の山が作り上げられているのみだ。そこに数時間前は何千人もの観客が詰めかけていたなどと、初めてこの光景を目にする者に言っても信じられはしないだろう。

 

 それでも私たちが、そこが戦いを繰り広げたあのスタジアムだとすぐさま理解できたのは、中央で僅かに残った舞台の上に、ピトーが“王”を宿してしまった結界が残っていたからだった。

 

 卵のような形のそれは、周囲の瓦礫の砂塵で薄汚れてはいるものの、形を保ってそこにあった。直立する楕円の形、穴とヒビだらけの側面から弧を描き、頂上の丸い先端までがしっかりと見て取れる。

 

 そしてその上に、ピトーが、いや“王”が、降り立っていた。

 

 羽がしまわれ、閉じていた眼がゆっくり開く。再び露になった赤褐色色のきらめきは、ほの暗い【気】の気配と共にやはり冷たい荘厳を纏い、私と白音を見下ろした。

 

 胸が締め付けられるように痛んだ。あの眼の中に、やはりピトーを感じることができない。そのことに涙が零れそうなくらいの悲しみと、不安を感じた。

 

 けれどもそれも、“王”さえ倒せば解消されるはずなのだ。奴さえ倒せば元のピトーが私の下に戻って来てくれる。その想いを心の支えに、私は身に【念】を滾らせた。

 

 白音も【気】を練り、揃ってみせる戦闘態勢。戦うその意思は、しかし次の瞬間、“王”からは返っては来なかった。

 

「――余が貴様らをここまで導いたのは、貴様らの身を害するためではない」

 

 静謐だった水面に一つの水滴を落とすように、“王”がピトーの声で呟いた。

 

 身の内で渦を巻く【気】が、それだけで凍り付いたように固まった。情動が止まり、私の眼は“王”を凝視する。

 

 ピトーの身体は結界の上に膝を立て、腰を下ろした。いかにも隙だらけといった無警戒をさらけ出し、続けて、私たちへ発した。

 

「黒歌、白音。二人とも近う寄れ。話がある」

 

 “王”が、そう言った。

 

 目の前のピトーから発せられたそれを、私は遅れて認識し、理解した。途端、一転して燎原の火の如き勢いで【念】が巡り、怒りが噴き出す。

 

「お前が――ッ!!」

 

「姉さまっ!?」

 

 白音の咄嗟の制止は届かず、私の【念】は顕現した。

 

「お前が!! その姿と声で、私たちの名前を呼ぶなッ!!」

 

 出現した無数の黒い念弾、【黒肢猫玉(リバースベクター)】は爆発する怒気に背を押され、今までにないほどの勢いで“王”に向かって放たれた。

 

 だがそもそも元がたいして速度のない私の念弾は、加速したとしても“王”にとってなんて事のないものだったようで、見切られ、無造作な腕の一振りで全てが爆散させられる。【念】も怒りも、まとめて弾けて散る【気】の残滓。その間から、“王”の冷たい眼が変わらず無感情に私を射抜いた。

 

「……見事。ピトーの記憶にある通り余には縁なき力ではあるが、それほどに至るまでの研鑽は並大抵のものではなかったであろう。褒めて遣わす」

 

「こ、の……ッ!!」

 

 その眼と声。全力の攻撃をこともなさげに防がれても、それらが私の憤怒の鎮火を許さない。歯が軋むほど食いしばられ、そしてまた生じた怒りを原動力に、私の操作する念弾の残滓が力を取り戻した。

 

 四方に散った残滓がそれぞれ纏まり、小さな四つの念弾となって再び“王”に襲い掛かった。それに気付き、眼で追う“王”もさすがに打ち落とすには手が足りないと判断したのか、結界の弧を滑るように飛び降りる。

 

 しかし沸騰しかけの私の頭でも、その行動は予想の利く範疇のもの。腰を下ろした状態ではそれくらいしか回避方法がないことは白音にだって読めただろう。そして飛び下りたその瞬間、落下というそれ以上の身動きが取れない状態がまたとないチャンスであることも、容易く理解が及んだはずだ。

 

 故に私は“王”を睨みつけ、白音に対して声を張り上げた。

 

「白音ッ!!」

 

「ジャン、ケン――」

 

 白音は既に【気】を集中させていた。二つの念能力、【空想崇拝(ソウルトランス)】と【猫依転成(ドッペルオーバー)】を発動。動きと、そして【気】を記憶の中のそれに変え、

 

「パー!!」

 

 引いた拳に溜めた【気】を、念弾にして放った。

 

 白音のコピー能力。数日の間ともに修行し、記憶したゴンの念能力だ。念能力といっても練り上げた【気】を状況に応じて三つの形に変え使うだけのシンプルなものだが、そのシンプルさ故、白音の地力がそのまま反映される。私同様決意を胸に抱く彼女が放った【念】は、以前見たゴンのそれよりもより強力な輝きを放ち、ちょうど着地する直前の“王”に命中した。

 ように見えたが、やはり通用はしなかった。手足に代って尻尾がしなり、打ち払われた念弾は容易く弾けて消えた。

 

 私の攻撃と合わせて奴の表情どころか【気】にすら僅かな動揺も生じさせられない事実が私の眉を歪ませるが、しかし“王”が強いことなど、赤龍帝を一蹴する姿を見た時から、もっと言うならその肉体がピトーのものである時点でわかりきったこと。簡単に倒せるわけがないのだと、意識を引き締め直す私は、弾けた白音の念弾の光芒に紛れて術式を組み上げた。

 

 “王”の足が地に着くのと同時に、その足元に術を発動させる。出現する魔法陣は魔力、魔術、妖術、仙術、それから【念】も、持ち得る力を全てミックスさせた一品だ。ごちゃ混ぜで、完全に扱い切れているとは言い難いほどこんがらがっているが、その分複雑で解きにくい。

 

 その力が大きな五本の鉤爪になって、“王”を掴むように地面から突き出した。

 

「そこで、死ぬまでおとなしくしてなさいよ!!」

 

 しかし、飛び出した爪が“王”の、ピトーの身体を戒めるその寸前に、【気】が頭上に具現化した。

 

黒子舞想(テレプシコーラ)

 

「――ッ!!」

 

 “王”を操り、着地直後の無理な体勢からあっさりと爪の間をかいくぐって脱出させてしまったその人形は、ピトーが操るものと全く同じだった。バレリーナのような、黒くて細身の念人形。

 

 しかしそれを生み出した者の眼は紛れもなく冷酷で、“王”のものだ。

 

 姿、声、【気】に続き、

 

「能力、まで……っ!!」

 

 怒りのあまりに手が止まってしまうほどの激情が、私の中で荒れ狂った。

 

 やはり、許せないのだ。その力、その声、その身体を、まるで自分のモノ(・・)のように扱う“王”が。

 

 その激情が固まって、やがて更なる殺意に生まれ変わった頃だった。

 

「……気は済んだか?」

 

 “王”がそう呟いた。

 

 一切の揺らぎのない眼が私を、静かにじっと見つめていた。その言葉と、そしてあれだけ攻撃されたというのに怒気も戦意も何一つ見せない“王”に息を詰まらせる私たちを前にして、奴はさらに言った。

 

「貴様らが、この身を殺すではなく捕らえようとしていることはわかった。それがピトーを想ってのことだということも」

 

 そして、地面に腰を下ろした。ピトーの能力を解除し、同じ体勢で、無防備に。

 

「故に……機会をくれてやろう。二人とも、余に下れ」

 

 “王”はあっさりと、そんなことを言った。

 

 怒るどころか、仲間になれというその言葉。道理に合わない。“王”にとって悪魔は自身を誕生させなかった原因で、ピトーに私を含めた悪魔を受け入れさせなかった憎悪の、その根源であったはずだ。

 

 正反対の物言いにますます困惑と、そして怒りが、処理しきれないほどの勢いで私を襲った。そんな私と白音めがけて、“王”は淡々と続ける。

 

「ピトーは、すべてを捨てて余に肉体を明け渡した。それ自体は当然のことだ。ピトーは余の臣下として、そのために生み出されたのだから。……しかし、あまりに長き時が過ぎた。余の存在しない五年間。今日に至るまで貫き通したその忠義には、報いてやらねばならぬ」

 

「むく、いる……?」

 

 白音が恐る恐る、疑問符を付ける。その単語の、その意味は。

 

「ピトーは黒歌と白音、二人が死ぬことを望んでいない」

 

 ピトーは“王”に乗っ取られても尚、私たちを想ってくれているということだ。

 そのことに深い安堵が広がる。今まで、あるいは本当に私たちの絆など忘れ去って“王”の下に行ってしまったんじゃないかと、そういう恐怖をも怒りに覆い隠してきたからだった。それが杞憂だったと、全くそんなことはなかったのだとわかったことが嬉しい。やはり“王”さえいなくなれば、ピトーは私たちの元に戻って来てくれるのだ。

 

 故に、

 

「そう、思ってるなら――」

 

 結局、私の怒りは変わらないのだ。

 

「あんたがこの場で消えなさいよ!!」

 

 私たちと同じくピトーを想っている、などと抜かす“王”へ、私は爪の力を火車、黒い炎に変えた攻撃を放った。

 

 五つの火車が“王”の背中に襲い掛かる。“王”はそれを避けれなかった。いや、避けなかった。攻撃をわかっていながら地面に腰を下ろし続けていた奴の姿が、次の瞬間、巨大な火球に呑み込まれる。爆発し、初めてまともに奴を捉えた攻撃は、しかし私に歓喜も何も与えない。衰えを知らない私の激情はさらに続けて【黒肢猫玉(リバースベクター)】を発動させ、遠距離武器の念弾ではなく、頭によぎる曹操の戦いぶりから薙刀のように変形させて、爆炎めがけて地面を蹴った。

 

 影が見えた途端、それに切りかかる。影、目にした“王”は、やはりほとんどダメージを受けていない様子で一歩引いて斬撃を躱したが、代わりに空を切り裂いた私の切り払いが爆炎を断ち切った。

 

 晴れる炎。視界に現れた“王”に次々薙刀で切りかかり、その尽くを躱されながら、私は吐き出し足りない怒りを叫ぶ。

 

「あんたさえ死ねばッ!! 全部元通りになるのよ!! 全部今まで通り……私も白音もピトーも、曹操もハンゾーもゼノヴィアもみんな死なない……みんな幸せ!! ピトーのためを思うなら、それが一番いいに決まってるでしょ!!?」

 

「……それは叶わぬ。余は覇道を……世界の統一を、為さねばならぬ」

 

 私の攻撃を回避し続けているというのに、息一つ乱れない“王”が言う。そのすぐそばに、仙術で気配を紛れ込ませた白音が近寄って、そしてその手が“王”に触れるか否かのところで、能力を使った。

 

「【雷掌(イズツシ)】ッ!!」

 

 多大な危険を冒して放ったそれは、今度はキルアの能力だ。電気に変換された【気】が白音の手で弾け、そして“王”の身体を駆け巡る。

 

「統一……世界征服が、あなたの目的なんですか……!? そんなことのために、ピトーさまを――ッ!!」

 

 肉体を貫く電流は、本来ならスタンガン。つまり、一瞬だが生物の動きを止められるはずだった。しかし、

 

「そうだ」

 

 短くそう応えた“王”の動きは一瞬たりとも止まることなく、動いた尻尾が白音の身体に触れ、そして押しのけた。

 

 電流はぶ厚い【気】の防御を貫けず、身体の表面を流れただけだったのだろう。故の滑らかな一撃は殴打ではなかったが、それでも白音の小さな身体は吹き飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられる。

 

 横目に認めて“王”のその認識、赤子の児戯をあしらうが如き扱いと、それを跳ね除けられない現実が、私の攻撃を荒くした。力が入り過ぎ、からぶった一閃の勢いの身体を持っていかれる私を、“王”はまた、殺意なく腕で押し退けた。

 

「ぐ……っ!!」

 

 それでも薙刀が砕けて霧散し、白音と同じく大きく押し戻された。地面を転がりなんとか体勢を取り戻し、膝を突きながら急いで顔を起こして“王”の動きを捉えようとする。

 

 しかしその必要もないくらい、未だ“王”はその場にただ佇んでいた。静かに、何事もなかったかのように続ける。

 

「キメラアントは、その生態によって余にあまねく種の全てを集約した。悪魔も人間も、吸血鬼や死神やドラゴンすら、余を育む揺り籠に過ぎない。余は、この世すべての生命の惜しみない奉仕を受け、たどり着いた賜物。生まれながらの……唯一絶対の“王”なのだ」

 

 わかるだろう、と、私に向く“王”の眼がそう告げる。確かに、キメラアントの摂食交配という生態は、ユピーに見たようにあらゆる生物を取り込み進化を続ける。すべての生物の血を束ねるキメラアントの血、その王であれば、“この世の王”を名乗っても許されるのかもしれない。

 

 ピトーが“王”のために生まれたように、“王”もまた、その目的を遂げるために生まれたのかもしれない。

 

「だから、自分が一番偉いって……何をしてもいいんだって、そういうこと……? ――ふざけないでよッ!!」

 

 それが変えようのない運命であろうが、そんなものには全くもって意味がない。ピトーの身体を取り上げていい理由には、到底ならない。

 

「“王”だから……だからなんだっていうのよ!! ならしょうがないって、私たちがそう諦めるって、“王”を受け入れるだなんて、本気で思ってるわけ!!?」

 

 “王”が、ほんの僅かではあるがこの時初めて眉を動かし、表情を作った。

 

「……聞く耳を持たぬか」

 

「当たり前じゃない!!」

 

 吠え、同時に私は再び“王”へ向かって突っ込んだ。今度は手に薙刀はなく、無手。その分の【気】で両の拳を覆いながら、次々殴り掛かる。やはりそのどれもが空のみを打つ手ごたえを感じながら、怒りのまま、私は危なげなくすべてを躱す“王”の、私を見つめ続ける冷たい眼差しを、睨み返して貫いた。

 

「だいたい、何が“王”……何が統一よ!! そんなもの、とっくの昔に潰えてるわ!! あんたの母親、“女王”が、あんたをお腹に宿す前に巣ごと滅ぼされたあの時から!!」

 

 “王”は間近でその言葉を叩きつけられても、動揺の一つもしなかった。

 

「そうよ……あんたはそもそも、この世に生まれてすらいない!! 生まれる前に母親も仲間も殺されて、生き残ったのはピトーだけだった……!! 奉仕の賜物だとかいうキメラアントの血を、あんたは最初っから継いでなんていないのよ!!」

 

「知っている」

 

 そして、短くそう答えるだけだった。

 

 私の憤りは独りでに、拳を振るう力をさらに強めた。

 

「ッそれに!! 今のあんたは神器(セイクリッド・ギア)じゃない!! キメラアントどころか、人間の手で造られた武器の一つ……!! あんたはあの時生まれるはずだった……ピトーの“王”になるはずだった“王”ですらないのに……っ!!」

 

「知っている」

 

 再び、全く変わりのない調子で“王”はそう答えた。私はその声に、曹操から盗み覚えた武術の理も頭から飛ばしてしまう。繰り出す殴打が大振りでお粗末なものになり果てて、空振りの勢いのまま身体が流れた。

 

 二歩、三歩と躓いて、途切れた連撃。向けてしまった背中越しに、疲れよりも怒りで荒くなる息を吐き出し振り向いて、私は叫ぶ。

 

「ならッ!! なんでそんな奴が、ピトーを弄ぶのよッ!!」

 

 “王”は自らが“王”でないことを知っていた。

 

 肉体も血も持たない、ただの()だけの存在。ピトーが仕える“王”足りえない存在だ。

 だから覇道とやらが成しえない夢であることも、奴にはわかっているはずなのだ。奴がそれを使命と定めたその想いもただ人間に作られたものであり、価値のないものであることも。

 

 彼は、“力”という皮を被っただけの紛い物の“王”。そうであると知るのなら、何故そうまでして“王”であろうとしたのか。なぜピトーは、そんな存在に身を捧げてしまったのか。

 

 ――どうして、私からピトーを奪ってしまうの

 

 それは、

 

「余は、それでも“王”であるからだ」

 

 短く、単純な理由だった。

 

 そして私は、それを認めることができなかった。

 

「……栄光を、諦めきれないってわけ!? 御大層なこと言ってたくせに、結局それ!? なら何回でも言ってあげる!! あんたは“王”じゃない!! そのふり(・・)をしてピトーを騙して、統一なんていう叶うはずのない望みのために殺そうとしてる……ッ!! そんなあんたがピトーに報いるだなんて、冗談にもならないわ!!」

 

「……そうか」

 

 歯を食いしばる私への応えもまた、短く単純なものだった。しかしその応えの前、しばし空いた間に、“王”はその脚を前に出す。

 

「まあ、好きに受け取れ」

 

 その一歩目で、次の瞬間“王”の姿は掻き消えた。

 

 と思った時にはお腹に衝撃。私の両足が土から離れ、大地と、そしていつの間にか目の前にいた“王”の姿が、遠ざかりつつ後傾して視界の下へと沈んでいく。

 遅れて、私は自分が“王”に殴り飛ばされたのだと気が付いた。

 

「姉さ――くぅ……!!」

 

 ちょうどそこにいたらしく、白音が私の背を受け止めてくれた。がすぐ、遅れてやってきた鈍痛に腰が折れる。「ね、姉さま、平気……!?」と私を案じる白音にも応えられないほど、息が詰まる痛みに喉が鳴った。

 

 だが、しかしその程度だ。つまり今までは私たちの攻撃を避けるばかりで一切反撃してこなかった“王”の初めての攻勢は、それでも尚、全く全力ではなかったことを示している。全力であったなら、奴のあの【気】は私の胴体を消し飛ばしていただろう。

 

 “王”は、この期に及んでまだ同じ言葉を吐き続ける。そのための、子の頭に軽く拳骨を落とすような、そんな拳だったのだ。既に自然体に戻っていた“王”は、苦痛の怒りを眼だけでぶつける私に向けて、静かに言葉の続きを言った。

 

「貴様らがピトーを想っていることはよくわかった。ならばこそ、理解しろ。貴様らのその想いが報われるのは、もはや余の手を取った時のみだ。余に歯向かおうとも、ピトーは貴様らの元には戻らん。……二度、言わせるな。黒歌、白音。二人とも潔く、余のものとなれ」

 

「そ、れは――!!」

 

 絶対に呑めない。引き攣る喉と身体から押し出した意思は、“王”の表情を僅かに陰らせた。

 

 少しの間が開き、“王”はさらに言い連ねる。

 

「……特別に、余の傍に控えることを許そう。キメラですらない者には、本来であれば叶うはずのない名誉である。……余には、これ以上の譲歩は思いつかぬ」

 

「だとしても、です……!」

 

 それが“王”の理屈すら曲げたことなのだとしても、受け入れることはできない。受け入れるわけにはいかないのだと、その思いは私よりも白音の方が強かった。

 怯えによる震えは私を支える手に残るが、けれども私たちのその想いを、叩きつけるように口にした。

 

「ピトーさまは……私たちは、“人”です……! もうキメラアントじゃない……! みんなと一緒にいられない運命は、やめにしたんです! だから……だからもう、私たちを振り回さないで! ピトーさまを、“キメラアント”から解放してあげてくださいッ!」

 

「人……」

 

 “王”が呟く。私もその時ようやく苦痛を呑み下し、立ち上がって言った。

 

「あんたに下っても、私たちの、“人”のピトーは返ってこない……それがすべてよ……!! あんたを倒して、ピトーを“王”の呪縛から、“キメラアント”の運命から取り戻す。そのために、私たちはここにいるの……!!」

 

 “王”さえいなくなれば、きっとピトーにとっての“王”、ピトーの中に蘇ったキメラアントもいなくなる。そうすることが、それだけが、今の私たちの望みだ。だから、引くわけにはいかない。

 

 “王”に敵わないのだと、わかっていても。

 

「……愚の骨頂だ」

 

「だからって――」

 

 諦める気はない。そう、何度でも言おうとした。がその前に、“王”の言葉が続いた。

 

「貴様らはなぜ眼を逸らす。なぜ理解しようとせぬ。……そのようなことは決して叶わぬのだということが、なぜわからぬ」

 

「叶わないなんてこと、ないです! 私たちは、あの時約束を――」

 

「キメラと人は、決して交わらぬ」

 

 白音の言葉すら切り捨てて、“王”は淡々と言う。

 

「幾度となく理解させられたであろう。黒歌、貴様らが冥界の森で悪魔どもに襲われた時も、京都の街で赤髪と対面した時も、そして今も。……挙句に一度、貴様はそれを認め、キメラアントを受け入れようとしたはずだ」

 

「っ……」

 

 ピトーの記憶を覗いたのか、“王”の口から飛び出た出来事の数々。言い返そうとしたが、言葉が詰まった。

 

 悪魔は食料であり、憎悪の対象。それが彼女にとっては当たり前。変えることはできなくて、だから私はあの時、自分自身を変えようとした。白音と共に“人”を殺し、“キメラアント”になろうとしていた。そうすることでしか、ピトーの隣には在れないと思っていたからだ。

 

 けれどピトーもまた、自らを変えようとしていた。

 

「ピトーは……“キメラアント”でありながら、“人”であろうとしてくれた……!!」

 

 だから私が白音を殺すのを止めた。

 

「私も白音も、ピトーも、“人”なの……!! 私たちは家族だって、そう信じてる……!! 一緒に、そうあろうって決めたんだもの!!」

 

 五年間共にいて思い知った。ピトーは“キメラアント”だ。でも“人”にだってなれる。ピトーがそう願ってくれているなら、必ず。

 

「キメラと人は、一緒に在れる……ッ!!」

 

 白音を生かしたピトーの想いを、決して否定などさせない。

 

 “王”は、その身の【気】を威圧するようにゆっくりと増幅させながら、返した。

 

「何度言えば悟る。ピトーがキメラである事実は決して変わらぬ。ならば余が“王”であるように、ピトーもまた、その定めを捨て去ることなど叶わぬ」

 

「そんなこと、ない――ッ!!」

 

 “王”が拳を引き、腰を落とし、構えまで取る。今までの受け身とは違う明らかな戦闘態勢は、無理矢理に私の心に激烈な恐怖心を生じさせた。

 

 散り散りになりそうな気をどうにか引き締める。振り払いきれない恐怖心も決意で押し潰し、ピトーのためにというその一心で、私も発動させた能力と共に“王”を見据えて構えた。

 

 その時だった。同じく決意で身を奮い立たせる白音が、その存在に気付いて声を上げた。

 

「っ! 姉さま、後ろから敵が……!」

 

 気配で感じ、私も見つける。あの魔獣だ。ピトーと同じキメラアントを象った、作られた生物。その一体が、どこか心ここにあらずといった様子で二歩なしを動かし、よろよろとこちらに近付いてきている。

 確かに、幾度と戦った敵の姿だった。故に白音はその登場を、新たな敵の参戦とと捉えて警戒心を露にしたのだろうが、その未熟な仙術はその内にまでは届いていないらしい。

 

 それはトンボのような姿をした、【魔獣創造(アナイアレイション・メーカー)】のキメラもどきだった。そして、その中身の気配。

 

「九重か」

 

「え……?」

 

 呟き眼を向ける“王”に、気の抜けた声で瞬きをする白音。だが次の瞬間、トンボの背が割れた。まるで羽化のように内側から身体を破り、現れるのは狐の尻尾。

 

 たぶん念能力だったのだろう。被っていた死骸の皮を脱ぎ捨てて、九重はその全身を私たちと“王”との間に晒す。そして私たちには目もくれず、

 

「――王、さま……」

 

 眼帯のない目の横長の瞳孔が、“王”を見つめて畏れと怯えでぎゅっと歪んだ。




“王”の正体。

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