主なきノラネコたちの家   作:もちごめさん

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二十四話

 戦慄に振り向く。音がした場に死体が二つ、立っていた。

 

「――ッ!! なんで、まだ動いて――!!」

 

 プフとユピーだ。あちこちが欠損し、顔すら定かでない壊され切った肉体が、まるでゾンビのように起き上がってこっちを向いている。

 

 そして、声がした。今度は反対の方向、振り返った私の後ろから。

 

「能力を掛けなおした。それだけだ」

 

「ッッ!!? ヴァーリッ!!」

 

 “王”の声。驚愕に叫んだ曹操とほぼ同時にヴァーリは目覚めた“王”を神器(セイクリッド・ギア)の力で封じようとしたが、弾かれる。そしてその頭上、【凝】を以てして得た視界に映る、【黒子舞想(テレプシコーラ)】ではない念人形。プフとユピーの死体をも操るそれが、かつての白音の時のように今発動し、“王”を動かしていた。

 

 一誠に“力”を削り取られる前に、“王”は自身にそれを仕込んでいたのだ。ピトーを救えるということばかりに気を取られてその気配に気付けなかったことに、私は全身の血が凍り付くような慄然とした動揺と共に気が付いた。

 

 そして内から爆ぜるような勢いで引き上げられる“王”の“力”が、物理的な衝撃となって周囲の私たちを弾き飛ばす。それと同時に“王”の頭上の念人形と、それからヨタヨタ歩みを進めたプフとユピーの死体を動かしていたそれも消え、二体が再びぐしゃりと崩れ落ちる。

 

 “王”は、そんな二体にゆっくりと、手をかざした。

 誰かに向けて、呟くように。

 

「余は――死ねぬ」

 

 プフとユピーの死骸が、その時、光に溶けた。

 そして二体をかたどるその光はどんどん収縮を始める。肉体と、そこに残った“力”を諸共凝縮させているのだと気配でわかった。その理解の頃には光は随分小さくなり、“王”の手の中に収まる二つの小さな玉に変わってしまう。

 

 “王”はそれを、じっと見つめ、そして静かに呷った。

 

 途端、嵐が吹き荒れた。

 

「ッッ!!!」

 

 “王”の身から、あるいは神にも届くパワーアップを遂げた私たちをしても圧倒的と思えるほどの、あまりに強大凶悪な“力”の圧が噴き出した。

 

 “王”は食べた“力”を己のものとする能力を持っているというが、間違いなくそんなものじゃない。残っていたとしても死体同然な二体の“力”では、取り込んだ程度でこれほどのパワーアップになるはずがないのに、しかし目の前の現状、私の感覚は、あり得ないはずの気配を間違いようもなくはっきり感じてしまっている。

 

 オーフィスの半分の“力”を持つ私、そして彼女の手で新たな“力”に目覚めた一誠やヴァーリをも、この“王”は上回る。

 

『そん、な……!!』

 

「――我……よりも、グレートレッドよりも……!!」

 

 世界における“最強”の序列を一段下げてしまうほどの“力”。文字通りの“バケモノ”が、私の目の前に立っていた。

 

 次元の違う“力”に震えが走る。“王”がこれほど強いわけが、ピトーを救うことがこれほど難しいわけがないと、信じられないという思いが目の前のそれを否定しようとする。しかしそれを許さないほど、溢れ出るその“力”ははっきりしていた。

 

 はっきりと、奴から“王の“力”が放たれていた。

 

「なん……だよ、このパワーアップ……禁手(バランス・ブレイカー)なのか……!!」

 

「……あるいは俺の覇輝(トゥルース・イデア)に当たるものか、はたまた赤龍帝君たちのような特例か……。いずれにしろ、馬鹿げてる……!」

 

 違う。息を吹き返した一誠と曹操が“王”の“力”を評するが、その認識ですら足りない。なにせ次元(・・)が違うのだ。奴の“力”、強さはもはや、私たちに測れるところにはない。嵐に見舞われた人間が、それが過ぎ去る時を家に籠って待つように、それは根本的に立ち向かうモノではない。

 

 それほどの、()ではなく違い(・・)を、私や白音のように仙術が使えるわけでも、オーフィスのように元々“王”に近い“バケモノ”のレベルにいたわけでもない一誠と曹操は理解できていない。しかもこの天災には意思があり、纏うのは悪意をなみなみと湛えた邪悪な【気】。それが目の前に立っていることを、一誠と曹操は認識できていないのだ。

 

 そして、ヴァーリもそうだった。

 

「――真なる赤龍神帝(アポカリュプス・ドラゴン)、グレートレッド以上……!! ははっ……いいじゃないか。そこが真なる白龍皇の――“最強”の、頂か――ッッ!!」

 

 己を奮い立てる声が、次の瞬間、私が振り向くと同時に飛び出した。

 

 制止の言葉はそもそも出ない。ただ眼だけが彼を追い、そして発動させる力を眼にした。

 

『Venom!!』

 

 “王”の“力”、肉に骨に魂までが減じ始めた。徐々に徐々にと、その勢いは緩やかだが、着実に弱体化が進む。急激に崩れるそれらは、さっきまでの(・・・・・・)()であれば(・・・・)その体勢を崩し、隙を作ることができただろう。

 そして続く一誠との連携は、“王”に確かなダメージを与えることができたはずだ。

 

「ヴァーリ!! 悪いけど、俺も参戦させてもらうぜ!! ――“王”のとんでもない防御力……普通の攻撃じゃ碌にダメージが通らないってことはわかった!! なら、これならどうだッ!!」

 

『Penetrate!!』

 

 と音声が響き、握り締められた拳が、ヴァーリの【減少】の力を受けたまま佇む“王”へ叩きつけられた。

 

 一誠の新たな力は、いわば【透過】。“王”が纏う【気】の守りに元来の装甲である肉体の防御力をすり抜け、直接その肉体を叩く。そういうパンチであったはずだ。

 

「『Penetrate』」

 

 “()の声で(・・・)、音声が鳴った。そして一誠の表情が、戦意に満ち溢れたそれから一転、唖然としたものに変わる。

 

「へ……!?」

 

 一誠のパンチが、空を切った。命中させたはずの、“王”の身体をすり抜けて。

 

 続く。

 

「『Boost』」

 

 “王”の“力”が増した。【減少】によって削られた“力”や肉や骨や魂、すべてが個別に増し、一瞬で元の状態に引き戻される。そして戻った【気】が、信じ難い事態に硬直する一誠へと、見せつけるようにゆっくり落ちる。

 

『Divide!!』

 

 故にヴァーリが間に合った。割り込み、“王”の無造作な攻撃に【半減】を用いて受け止めようとする。だが半分でも有り余る【気】は撫でるようなその攻撃でも尋常でない威力を生み、ヴァーリは一誠と共に容易く吹き飛ばされた。

 

 宙でなんとか勢いを留め、浮遊するヴァーリは“王”を見つめる。【透過】と【倍化】の力。その発生源へ、彼はあり得ないものを見るような眼を向けた。

 

「まさか……なぜ、貴様が赤龍帝の能力を……!? それに――」

 

「……俺よりも、使いこなして進化させてやがる……のか……? どうして……」

 

 理解が及んでいない二人。しかし私はすぐ思い至る。食らった相手の“力”を己が物にできるなら、その能力だって奪えてもおかしくはない。そして“王”はそんな進化の前、暴走して巨大なドラゴンと化していた一誠が殺された時に彼を食らっていた。

 だから一誠の、赤龍帝の能力が使えるのだろう。そしてこの推測が当たっているなら、他の、“王”が食べた二体の能力も使えるはずだった。

 

 “王”の腕がボコボコと顔のように膨れるのを眼にして、その時、私の中の白音が反射的に飛び出した。

 

『ダメッ!!』

 

 一誠たちに向け、“王”の手のひらに開いた口から念弾が放たれる。白音はその前に立ちふさがり、仙術でもってそれを受け止めた。受けた手のひらと、そして全身に伝わるすさまじい衝撃と威力。吹き飛ばされるのはどうにか堪えたが、踏ん張る脚が徐々に押される。そこで私も半ばの自失から意識を取り戻し、背の二人へ叫んだ。

 

「ッ――さっさと逃げなさい!! 下手したら爆発して皆吹っ飛ぶわ!! だから私が抑えてられるうちに、早くッ!!」

 

「な……ッ!! 逃げられるか、今更……!! どういうわけかは知らんが、奴が赤龍帝の能力を使うのなら、俺はそれを超えるだけだッ!!」

 

 ヴァーリが反発し、手を念弾へと向けると、白龍皇の力を発動させた。

 

『Divide!!』

 

「『Boost』」

 

 しかし【半減】した念弾は、すぐさまその威力を取り戻す。“王”の力だった。ヴァーリのように直接念弾に触れずとも、その【気】に【倍化】が発動する。

 

 無意味だ。しかも“王”は現状維持以上の【倍化】を使っていない。どこかに逸らす余裕もなく受け止めるだけで精いっぱいなその威力で、私をここに留めているのだ。

 

 悠然とこちらに歩みを進める“王”を念弾越しに見つけ、故に私は振り向き二人にこの状況のマズさを訴える。

 が、声が出る前に、私の両頬のあたりを魔力の弾丸が貫いた。

 

「がッ――」

「ぐは――」

 

 一誠とヴァーリが同時に後傾し、倒れた。一瞬の思考の硬直。起きた事態を理解すると、私の頭は機械仕掛けのように正面に戻った。

 

 “王”の顔が、間近にあった。

 

「むぐッ――!!?」

 

 反応する間もなく、口を塞ぐようにして頬を鷲掴みにされた。同時に抑えていた念弾が、役目は終わりだと解除されて消滅する。その脅威からは解放されたが、しかし“王”に掴まれ、そしていくらもがけどその手が小動もしないほどの【気】を纏っている事実が私の思考を消し飛ばした

 

 代わりに感情的な感覚が間近の“王”を、ピトーの顔を見つめ、私に冷静を与えた。いつもの彼女。そのもう一方の手、ボコボコ膨れていた腕と手が、私の胸元へと近づいてくる。

 

「……余は――」

 

 ピトーの表情が、一瞬歪んだ。

 

「――“王”は、“王”であらねばならぬのだ」

 

 手のひらの顔、人形の顔が私に押し付けられ、 瞬間、私の【気】が吸収される感覚が始まった。

 

 我に返る。と同時に思い出すのはピトーの能力。相手の攻撃を吸収し、依り代としてその人の人形を具現化して操る【形代浄瑠璃(ジェスターマリオネッター)】。赤龍帝の力のように進化したものがこれなら、この後に待つのは“王”の操り人形と化した自分かもしれない。

 

 生まれる拒絶の意思が、半ば無意識のまま仙術で抗った。

 

「――ッッ!!」

 

 私の【気】を吸い尽くそうと伸びる“王”の腕を反射的に両手に掴み、引きはがそうとする。しかし“王”はその身体能力もとうに私を凌駕して、いくら力を込めても腕は止まらず私に触れてしまった。同時に仙術も、能力に込められた圧倒的なぶ厚さの【気】であまりに重く、その浸食は能力自体まで届かず妨害が叶わない。

 

 それどころか、逆に仙術を介して“王”の【気】、キメラの本質たる邪気が、その魔の手を私へと向ける感覚に気が付いた。その浸食は止められない。抗えない。

 

 “王”と私の【気】が、その時繋がった。

 

 そうして私が感じたのは、“王”そのもの。ピトーに取り付き乗っ取った神器(セイクリッド・ギア)の【気】であったはずだ。

 

 憎い敵。私からピトーを奪った“悪”。そのはずなのに――何故だろうか。私はその邪気に、

 

(――あ、れ……? これ、あったかい――)

 

 ほっと微睡んでしまいそうな懐かしさを、感じてしまった。

 

 暖かいはずも安堵できるはずもない、それは確かに奴の【気】であるはずだ。しかしそれが確かな事実であるように、“王”であるはずの奴に感じる懐かしさもまた事実で、現実。

 邪悪の中に感じるその温もりは、私と、そして内の白音にも、ピトーのそれを思い起こさせた。

 

(なんで――“王”の中に、ピトーの意思が、混ざって――?)

 

 そうではない。“王”の“力”にある意思は“王”だけだ。ピトーの意識はそれに塗りつぶされ、到底感じ取れないほど深くに沈んでいる。この懐かしい温もりは、確かに“王”のものだ。

 

 だから理解が及ばない。しかし与えられる安堵感は強制的に私から抵抗の意思も力も奪い取ってしまって、私は“王”の、いわば魂を見つめたまま、そこに自身の“力”が吸収されていくのをただ見つめることとなった。

 

 だが、

 

「【覇輝(トゥルース・イデア)】ッッ!!!」

 

 光が私たちを貫いた。

 

「かは――ッ!!」

 

 圧倒的な祝福の力が叩きつけられ、身体の芯までを焼かれるような痛みとそれとが合わさり、私を安堵の茫洋から締め出した。【気】も大いに乱され“王”との繋がりも乱暴に断ち切られ、同時、【気】の吸収も外れて弾き飛ばされる。

 踏ん張りどころか立つ意識も追いつかず、そのまま私は尻餅をついた。しかし眼は“王”を見つめたままだった。そして()は、平然としたまま。曹操の【覇輝(トゥルース・イデア)】を受けながら何の影響も受けず、曹操の方を見やって佇んでいる。

 

 ため息を吐くように、言った。

 

「……曹操、貴様の相手は後でしてやる。大人しく待っておけ。それとも……貴様も、死ぬか?」

 

「……いいや」

 

 曹操は片眼を押さえたまま、息も絶え絶えに短く言った。【時空を支配する邪眼王(アイオーン・バロール)】に加えて【覇輝(トゥルース・イデア)】の消耗で、もう限界なのだろう。立っていることさえやっとな様子で、戦うことなどとてもできないに違いない。

 

 故の“王”の言葉だった。しかし首を横に振った曹操は、続けて大きく深呼吸をした。

 

「だが、もういい……。正攻法で倒すのは、もう諦めた」

 

 そして持ち上がった曹操の表情。決死の決意した顔に、“王”の眉が僅かに寄る。

 

 次いで、曹操のその眼が私たちを見やり、言った。

 

最後の手段(・・・・・)だ。尻拭いは手伝ってくれよ?」

 

「最後の、手段……っ?」

 

 曹操が言い放ったその台詞は、私の心に言い知れない不安を生じさせた。

 

 それはつまり、“王”を殺す手段が存在する、という意味。そして今まさにそれを使うことを決意した言葉だ。そのことに不安を抱く要素など何一つなく、むしろ希望に胸を高鳴らせてもいいはずなのに、しかし私の心中にそれらはなく真逆の感情ばかりが渦巻いている。

 

 何故なのか、理由はわかっている。“王”のせいだ。“王”が放つ、あの懐かしい温もりのせいだ。

 あれが私たちの心をかき乱す。白音も、その困惑に呑まれてしまっている。“王”に対する感情がぐちゃぐちゃにかき乱されて、もはや好悪もわからない。

 

 そんな感情の混沌に見舞われる私たちが繰り返した震える声に、曹操は僅かに怪訝そうな顔をした。すぐにそれを深刻そうな険しい表情に変え、聖槍を地面に突き立てると片手を持ち上げた。

 

「……これは、ある一家の者に発現した新種の神器(セイクリッド・ギア)だ。俺はそれを神滅具(ロンギヌス)級の、しかも最上位に位置するレベルのものだと思っている。その能力の本質は――」

 

 視線が移り、曹操は“王”を見つめて言った。

 

「――他人の願いをなんでも叶えること」

 

 そして私を見下ろす形で佇む“王”が、曹操を見つめ返した。

 

 その眼に警戒の色は欠片も浮かんでいなかった。無関心、と言っていいふう。

 しかし“王”以外には驚愕に足る一言で、リアスが、私に拘束された九重を抱えつつ、倒れ伏す一誠とヴァ―リの介抱の手を止め、呆然と顔を上げた。

 

「願い、を……? そんな神器(セイクリッド・ギア)、聞いたことも――」

 

「【時空を支配する邪眼王(アイオーン・バロール)】と同じ新たな神器(セイクリッド・ギア)だからな、それはそうだろう。加えてこれは、それがあまりに強力で、しかも万能であった故に秘匿されてきたんだ。なにせ文字通り、願いをなんでも(・・・・)叶えられる。使い方は誰にでも、いくらでも思いつけるだろう」

 

 “王”を見つめたまま応えた曹操は、手のひらをゆっくりと“王”へと向けた。そこに、たぶん仙術使いである私たちでしかわからないだろう緩やかさで、僅かずつゆっくりと【気】が集められていく。

 

「人間だけでなく、悪魔や天使や堕天使、神器(セイクリッド・ギア)に興味がない他の神話勢力ですらよだれを垂らす代物だ。露見すれば、一家は世界から狙われることになる。そうならないために、万が一にも知られないため、何かのはずみで発動することすらないように、俺は【神は人の為ならず(セイクリッド・アドミン)】でそれを封じた。俺は一家に、封印の鍵を任されているわけだ」

 

 手に集中された【気】が、その時、眩い光を放ち始めた。ついさっき、“王”に対して使っていたものと同じ【気】の流れ。【神は人の為ならず(セイクリッド・アドミン)】が、発動する。

 

「その信頼の全てを裏切って、俺は今、封印を解く。だから、文字通りの“最後の手段”なのさ……!!」

 

 最後の一言、一気に押し出したようなその声は、視線こそ“王”を睨んだままだが私へ向けてのものだっただろう。無秩序にかき乱された感情に戸惑う私たちへの叱責と共に、次の瞬間、奴の【神は人の為ならず(セイクリッド・アドミン)】の光が一際強まり広がった。

 

 曹操が神滅具(ロンギヌス)の最上級レベルと言ったのも納得の、強烈な“力”の波動が周囲に轟いた。一度に顕在する“力”の量でいえば、曹操の【覇輝(トゥルース・イデア)】を遥かに凌ぎ、一誠の【(インフィニティ)・ブラスター】すら上回っているだろう。

 それを費やす、“何でも願いを叶える力”。能力によってその持ち主から引き出した輝きを、曹操は“王”に向けつつ、今度こそ私へその決死の顔を見せ、そのままに気迫を叫んだ。

 

「これは言った通り、他人の願い(・・・・・)を叶える能力だ!! 俺一人では使えない!! だから黒歌、お前が願え!! お前が――」

 

 “王”を、殺せ。その声が、酷く遠ざかって聞こえた。

 

 わかっているのだ。それをすれば、私たちはピトーを取り戻せるのだと。ただ一言、“王”を殺すと言えばすべてが解決するのだと、放つ輝きの強大さで能力を確信した思考も正しくそこに着地している。

 

 だがやはり、

 

「う、あッ……!!」

 

 どうしても、“王”を殺める言葉は出てこなかった。

 

 その意思すら生まれない。温もりが、敵意の全てを解かして理性を孤立させる。感情を伴わない事象のみで動くには、感じる懐かしさが重すぎた。

 

 白音もそうだ。頭が真っ白で、その思考も働いていない。故に私たちは、曹操の懇願染みた叫びを浴びてもどうすればいいのかわからず、ただ呻き声を漏らして立ち尽くすのみだった。

 

「黒歌ッ!!」

 

 鬼気迫った曹操の声と顔が怒りを混ぜ、何度も私に訴えるが、それでも私たちの愛憎の混沌が鎮まることはない。そんな有様は、曹操だけでなくオーフィスとリアスから見限られるに十分な醜態だった。

 

「っ……!! 曹操!! つまり、ただ貴方に願えばいいのね!? なら黒歌と白音でなくてもいいんでしょう!?」

 

「――ああッ!! もう誰でもいい!!早くッ!!」

 

「なら、我が――」

 

 リアスの切迫した問いに頷き、ならばとオーフィスが前に出た。曹操が携える輝きへと、息を吸いこんだ。

 

 それが吐き出される直前、九重が飛び出した。

 

「だ、だめぇッ!!」

 

「ッぅ……! なぜ、邪魔する……!?」

 

 手足を縛められたまま、芋虫のように飛び跳ねオーフィスに体当たりした九重。幽霊である彼女の身体にはすり抜けてしまうが、突然の凶行に驚く彼女の言葉は止まる。

 

 お腹から地面に叩きつけられた九重はやはりその理由など答えられず、ただその“王”に死んでほしくないという感情のみで繰り返した。

 

「だめ……だめなのじゃ、“王”さまを殺したら……っ! こ、これが私のなかのキメラの血のせいでも……それでも――!」

 

「九重……っ!! ごめんなさい。でも“王”さえ倒せば――」

 

 彼女のその想い、キメラの呪縛も解けるからと、辛そうに寄せた眉を決意の形に引き締めたリアスの声。それはしかし、半ばで力づくに止められた。

 

 目にもとまらぬ速さで閃いた“王”の指。放たれた小さな魔力の弾丸が、彼女の頬を貫いた。

 

 小さいとはいえ、それは“王”の魔力。今やこの世界で最も強い存在の害意だ。たらりと頬から流れる血は、リアスにその痛み以上に激烈な恐怖を与えた。

 

「う、は……あぁ……っ」

 

 震える膝が崩れ落ち、涙を浮かべてへたり込むリアス。血の気の引いた彼女の顔を、“王”はその眼に流し込むように見つめて告げた。

 

「貴様の滅びの魔力にも、もはや興味はない。控えておれ。あとで殺してやろう」

 

 次いで、

 

「貴様もだ、抜け殻」

 

「……っ!」

 

 オーフィスを見やると同時に、“王”の【気】がまた増した。

 

 それは怒気。露にしたのは子供をしかりつけるような、そんな僅かなもの。しかしこれもまた私たちの尺度ではそのプレッシャーはすさまじく、“力”のほぼすべてを失っているオーフィスが耐えられるものではない。その動きがぴたりと凍り付いたかのように固まって、その一瞬後、背を向けリアスと失神している一誠たちの下に逃げ帰った。その背に隠れて震え、声はそれ以上ない。

 

 “王”はそれで本当に興味を失い、この中で唯一戦意を保つ者となってしまった曹操へとその眼と【気】のプレッシャーを向ける。重圧に曹操は顔を歪め、片手で聖槍をきつく握ると、はばかることなく私たちへ舌打ちをした。

 

「クソッ!! どうしてこうなる……!!」

 

 吐き捨てるようなその声色に混ざったのは悔恨。もっと早くに、黒歌と白音がおかしくなる前にこの最後の手段を使っていれば、という苛立ち。

 

 最もな怒りだと思う。応えなければとも思う。がしかし、やはり今尚どうしても、“王”の死を望むことが私たちにはできない。その言葉がどうしても口にできない。

 

 口にすれば“願いをなんでも叶える能力”がそれを叶え、“王を殺してしまうから。殺してしまえば、“王”から感じる温もりが途絶えてしまうから。

 

「何故だ?」

 

「――ッ!!?」

 

 驚きで、びくりと震えるように身が跳ねた。聞こえた声と、そして気付けば私の顔を覗き込んでいた赤褐色の瞳。間近に、ピトー(“王”)の顔が現れていた。

 

 いつの間にここまで近づいてきていたのか。全く気付けず接近を許してしまったが、しかし彼を敵とすら認識できなくなっている私が感じた驚きはさほどのものではなく、むしろ傍に感じる温もりに安堵すら覚えてしまった故に、警戒は僅かに身を引いただけでその声に応じていた。

 

「……なぜ、って……?」

 

「何故突然、余を殺すことを躊躇った?」

 

 まっすぐに見つめる赤眼には、声の通り、心底不思議だと首をかしげていた。

 つまり“王”は認識していない。彼にすら、私の感じるこの懐かしい温もりは理解の及ばないものであるということだ。なら私たちが理解できる道理はない。

 

 むしろ教えてくれと、縋りたい思いさえした。しかしその想い、感情が手に伝って“王”へと伸びかけたその瞬間、響く衝撃音と聖なる力がそれらを遮る。仕掛けた聖槍の攻撃を腕で受けられた曹操が、憎悪を帯びた眼光を“王”へと向けた。

 

「『何故』だと……? 白々しい……お前(キメラ)のせいだろう!! 九重と同じように、黒歌たちもそっちに引き込みやがって……ッ!!」

 

 かつてに見た覚えがないほど、曹操はその憎悪を露にして槍を振るった。“王”の【気】に易々と弾かれ、傷一つ付けられていないことを理解しながら尚、攻撃を続ける。

 その聖なる槍に眼の力、闇を纏わせ神と魔神の聖魔を成した一撃を、奴は放った。

 

「皆を――返せッッ!!」

 

 しかし、あるいは【覇輝(トゥルース・イデア)】による破壊すら上回る絶技は、全く変わらず軽々と“王”の【気】に防がれた。

 

 それどころか“王”は、曹操のその一連の攻撃に一瞥すらくれることはなかった。その眼はずっと私たちに、その内心を覗かんと集中していた。

 

 “王”の身体から光の粒子が溢れ出て、私に纏わりつく。“王”は曹操の槍を受け止めたまま僅かに目を伏せ、呟くように口にした。

 

「いや……躊躇った、ではなく、その気が失せたか……? 黒歌と白音双方から、僅かな警戒と……安堵……?」

 

「っ! まさか、私たちの心を……!」

 

 読んだのか、と白音が気付いた。粒子の能力なのだろう。仙術の感覚に【念】の【気】を感じる。

 

 そしてその【気】が、やはり温かい。包まれてしまって、もはや曹操のように戦意など抱けるはずもなかった。

 

 この安らぎを捨てるくらいなら、もうこのままでいい。そう思えるほどで、薄れかかった意志がとうとう消え去ってしまう。その寸前だった。

 

 曹操が私に叫んだ。

 

「白音、黒歌も……ッ、お前たちはそれでいいのか!? こいつに安堵なんて……そっち(キメラ)になって、それでいいのかッ!?」

 

「……だって――」

 

 それほど失い難いのだ。

 

 今、“王”を失えば私はどう感じるのだろう。白音が私に捨てられ、私が白音に見限られた時のような、あるいはずっと昔、私たちの母親が二度と戻ってこなかった時のような、永遠に落ち続けるような喪失感。そんな絶望に見舞われるだろうことは容易に想像がつく。それほどに、“王”の温もりは私たちの深くへ食い込んでしまっていた。

 それを無理矢理引きちぎられる痛みを、私たちは何度も味わわされ、忘れられない。もうそんな思いをしたくないという気持ちは、二人分合わさってより強い。少なくとも、曹操の言葉では緩みすらしないほど硬かった。

 

 ただ、それほどの絶望との対比故に、それ(・・)が私たちの頭から飛んでいた。

 

「お前が望まなければ、ピトーはもう戻ってこないんだぞッ!!?」

 

 ハッとして目を見開いた。視界、眼前でじっと私を見つめるその顔は、ピトーではあるがピトーではない。温もりも、ピトーのものではなく“王”のもの。

 この安堵の中にあるものはピトーの形に開いた穴を埋められるのかもしれないが、しかしそれは絶対に、ピトーではないのだ。

 

 そのことに今更気付き、そして、脱力した私の身体に力が戻った。

 

 ――私が取り戻したかったのは、ただの温もりでも安堵でもない。

 

「お前は、ピトーを救うために戦ったんだろう!!?」

 

 彼女の存在だ。一緒に過ごすあの日常を、私は取り戻したいのだ。

 

 だから戦う。私を認めてくれた彼女に隣にいてほしいのなら、立ち上がらねばならない。彼女を救うそのためなら、

 

「――“王”の温もりは、捨てないといけない……っ!」

 

「………」

 

 僅かに眉を下げ、無言でゆっくりと顔を離す“王”を、私は殺したくはない。しかし“王”を殺すことは目的でなく手段。その先に遂げたい想いが強くはっきりと眼に映ったから、私たちの中で天秤が傾いた。

 

 私たちは、やはり“(キメラ)”よりも“ピトー(人間)”の方が大切だ。

 私たちのピトーを取り戻す。だから、そのために必要であるのだから――

 

「“王”は……消えて……ッ!!」

 

 私たちはそう願うしかないのだ。

 

『あい』

 

 と、少女の声のような音がうっすらと頭の中で鳴った気がした。

 そして次の瞬間、曹操の手の光、願いを叶えるその能力の“力”が、周囲一帯に広がった。

 

 全員が光に呑み込まれる。視界に入る全てを白く塗りつぶしたそれは“王”の姿すら溶かすように包み込み、やがて直視できないほどの光量が集中した。

 

 それに感じるすさまじい“力”は今や地響きすら起こすほどで、それほどの“力”が今“王”を蝕み殺しているのだと、実感するには十分だった。そしてその実感は、私の心にあの耐えがたい喪失感を与えるにも十分。かざした腕で光から庇う両目から、私と白音の涙が滴り頬を伝った。

 

 “王”が、死ぬ。あの暖かな邪気が、消える。そうして――

 

 パリン、と、何かが砕けるような音がした。

 

 直後に、周囲を埋め尽くしていた光も、まるで風船が弾けるように一瞬にして消え去った。視界が元に戻る。リアスたちが怯えながら、光の影響で眼を瞬かせている。

 

 彼女たちは、まだまともに見えていないのだ。そして“王”の威圧に怯え切ったままであり、だから曹操の様子にも気付いていなかった。

 

 奴はとうとう魔法力も【気】も気力もすべての力を使い果たしてしまったようで、地に両手を突き苦しげな呼吸を繰り返している。全身にはびっしょり汗をかき、その身体も心なしか縮んでしまったようにも見える。

 

 そして何よりその表情は、絶望を描いて()を凝視していた。

 

「――お……まえ……ッ、まさか……!!」

 

 見上げた先は【気】も魔力も気配も、何一つ変わっていない。私にもそのことがわかる。故に、見止めたくない現実が見えてしまう。

 

『そんな……』

 

 白音が呆然と呟く。信じられないという思い。しかし、現実だ。

 

 “()”の眼が、私を見つめてその口からため息のように冷厳を吐き出した。

 

「……貴様も……結局、そうか」

 

 私の願いは、“王”に効いていなかった。

 

 喋っているそれは“王”だった。取り戻したはずの“ピトー”はどこにもない。光に呑み込まれる前と、何一つ変わっていない。

 

 向けられる失意の眼差しが、私から希望も絶望も意思すらも、何もかもを残らず攫っていった。

 

神器(セイクリッド・ギア)無効化(キャンセラー)……ッ!!」

 

 歯を食いしばる曹操の台詞も、もう意識には上らない。頭に残ったのは己に向けられた“王”の失望の表情と、そこにはないピトーの面影。我欲を追った結果“王”に見限られ、“ピトー”は戻らなかったという事実だけだ。

 今、私には何も残っていない。“王”の温もりもピトーとの幸福もすべて失い、空っぽ。取り返しのつかない間違いを冒した私の心が、真っ黒に沈んでいた。

 

「リゼヴィムも……食ったのか……ッ!! 俺たちに対する、鬼札として……!!」

 

「……貴様の強さは嫌というほど理解している。切り札の、さらに最奥に何かを隠しているだろうという予想程度、とうの昔についている」

 

「『とうの昔に』だと……?! どういう――」

 

 曹操の言葉はそこで途切れた。眼にもとまらぬ速さで一瞬にして曹操の背後に回り込んだ“王”が、ギロチンを待つかのように垂れた曹操の首に軽く手刀を放ち、その意識を刈り取ったのだ。

 

 糸が切れたように倒れ込む。その様子も、私の目には映っていない。しかし見下ろした曹操から“王”がゆっくりと私の元へ戻り、呆然と見つめる虚空の間に割り込んで、そこでようやくその姿を認識した。

 

 恐怖も何も、すべての機会を失ってしまった私はもはや感じないが、ただ、先のないそれに感じる冷たさは、“王”を殺すと決めた時よりもずっと強かった。

 

「余は、死ぬわけにはいかぬ。それは余のためではなく、ピトーのために」

 

「――ピ、トー……っ」

 

 その名前に身が震えた。僅かに残った悲しみが疼く。

 “王”は冷たい眼で私を見つめたまま、静かに語るように続けた。

 

「ピトー自身のために、余が必要なのだ。余がいなければ、奴はピトーとはならぬ。黒歌、白音、貴様らが求めるピトーも、余なしでは存在せぬのだ」

 

 呼吸が一つ。“王”はその眼の冷酷に、僅かな影を落とした。

 

「つまり貴様らは――ピトーの死を願ったのだ」

 

「そん……な、こと……ッ」

 

「否定することなど許さぬ。ピトーや貴様らが何を望もうが、ピトーがキメラアントであることは不変の事実。そこから眼を逸らし続ける貴様らが求めるのはピトーではなく、己に都合のいいただの願望だ」

 

 それは何度目だろうか。ピトーはキメラアントだと突きつける“王”。そしてそれ故に、キメラアントにとって絶対的な要である“王”を殺す行為がピトーを殺すことと同義であると、展開するそんな理屈に辛うじて白音が反発する。がしかし、“王”の冷たい失意がそれを押し潰した。

 圧し、そして“王”は自らの身体に、ピトーの身体に触れ、続けて触れているその手を握り締めた。

 

「ピトーは人間であるという貴様らの言葉。耳と尾があり指は四本、甲殻の肌と関節に青い血を通わせ、何より悪魔を憎悪し喰らうこのピトーを、貴様らは否定しているのであろう? ……本質(キメラ)を否定し、取り除いた先。まばらな残骸で作り上げられるのは、ピトーとは似ても似つかぬ何かでしかない。それはピトーの死と、何一つ変わりない」

 

 手が解かれ、私たちに向けられる。

 【気】がそこに集い、撒き散らされる邪悪が視界いっぱいを覆った。

 

「そんな貴様らにピトーを救うことなど、端から不可能だったのだ。だが……それも仕方のないことなのであろう。余たち(キメラアント)貴様ら(人間)が理解し合えぬことは……不変の事実であるのだから」

 

 絞り出すように、“王”は最後にそう言った。

 

 しかし一方、微かに目を伏せる“王”とは逆に、私はその時、ほんの少しだけその垂れた首を持ち上げた。

 それはただ、単純な疑問だった。“王”がキメラで、人間とは混ざり合わないというのなら――

 

(――この温もりは、いったい誰……?)

 

 “王”の邪気が、今尚ピトーのそれのように温かく感じるのはなぜなのか。

 失われゆくその最後に、それだけが気になった。

 

「待つのじゃッッ!!」

 

 間近まで迫る“王”の邪気を虚無感の中でただ見つめる私の鼓膜に、必死な九重の声が響いた。

 

 ノロノロとそっちに眼を向ける。術が解けて両手足の自由を取り戻した九重が、恐怖に震えながら“王”の前に立っていた。

 

 圧倒的な力にあちする本能的な恐怖、そしてキメラの血故の畏怖に抗って“王”に正面から立ちふさがり、彼女はもう一度、キメラの混じった目を涙目にして叫ぶように言った。

 

「お、お願い、だから……っ、もう、やめるのじゃ……っ! これ以上、殺し合うのは……! 曹操は倒したんだから、黒歌たちは殺さなくてもいいじゃろう!? “王”さまが望んでないことを、わざわざする必要はないはずじゃっ!」

 

「………」

 

 言葉を返すことはなく、しかし迫る手は止まり、私を見つめ続ける“王”。

 その、邪悪とは程遠い慈しみの色も、やはり私にはわからない。キメラの“王”がなぜ、そうなのか。

 

 噛み合わない。

 

「それに……そうじゃ! 黒歌と白音も、本心では“王”を殺したいなんて思っていないのじゃ! 願いの言葉のためらいはそういうことのはずじゃろう!? のう、黒歌、白音! お主らにもきっと、私みたいにキメラの血が――」

 

 私たちに向き、必死な表情の中に微かな希望を見出した九重は、しかしその瞬間に“王”に吹き飛ばされた。

 

 薙ぎ払う尻尾が彼女の身体を掬い上げ、墜落した彼女は毬のように弾んで気を失う。動かなくなったその小さな身体を一瞥し、“王”は再び私に【気】を、殺意を向けた。

 

「……どちらにせよ、だ。貴様らの“愛”がピトーを殺すのだから、もはや殺す以外にない。余はピトーの望む“キメラアント”の“王”である故に――」

 

 その殺意に宿る深い悲しみは、表情にもはっきりと表れている。九重の言った通り、敵であるはずの私たちを殺すことに対する、明らかな忌避。

 

 そもそもだ。その忌避や何度も私たちを引き込もうとした動機自体には、“五年もの間ピトーが貫き通した忠義に報いる”という理由があるが、しかしなぜ、たかが臣下のためにここまでするのか。

 己を曲げ、譲歩し、拒絶されても尚繰り返す。“王”はなぜそこまでピトーを想っているのだろう。私と白音のためとはいえ“王”が悪魔に対してこうまで心を砕くことは、他でもないピトーが望まないはずなのに。

 

 思い返せばすべてがそうだ。“王”の行為はすべて“王”らしからぬものだった。言葉を重ね、慈愛を重ね、そして今、叶わなかった慈愛に苦悶している。

 

 “王”はあまりにも“王”ではなかった。

 

 なら、彼は誰なのだろう。

 ピトーを想うがために戦う、その心は、“誰か”に似ていた。

 

 否、

 

「――我が“母”の、そのために」

 

 私たちと、同じじゃないか。

 

 なんということはない。それはただ、大切な人を守りたいから(・・・・・・・・・・・)。私たちと“王”のその想いに、いったい何の違いがあるだろう。

 

 気が付いた。九重の想いもわかった。私たちは()を“(キメラ)”としてしか見ていなかった。

 

 ピトーの血から生み出された()は、今や一人の誰か(人間)なのだ。

 

「――ねぇ、王さま」

 

 静かな白音の声に、王は怪訝そうな顔をした。見つめるその眼に映る、穏やかな自分の表情。そして続いて、私が訊いた。

 

「あなたの、名前を教えて?」

 

 その瞬間、

 

「……っ!」

 

 瞠目した王が、一瞬だけ嬉しそうに微笑んだような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 ひたひた、ひたひた。足音がする。閉じた意識が微かに開き、隙間から、ボクはここ(・・)に“王”が訪れたことを悟った。

 

 すべてが終わったんだろう。そう思った。

 

 “王”の覇道を阻む障害の全てを、“王”は殺し尽くしてきたのだ。確信する理由は単純。それこそが“王”であるから。

 

 “王”とは、絶対。この世の全てを統べ、支配することが許された唯一の存在。その行く道を妨げる不遜な愚か者の尽くを弑し、何人にも妨げることは叶わず、頂へと登り詰めることを運命付けられている。

 だから“人間”である黒歌たちもまた、“王”を阻もうとする不遜な愚か者になる運命。彼女たちを“王”が殺さない理由はなく、故に“王”が治める世界の選別は平等に、定められた通りに彼女たちを殺すのだ。

 

 だからきっと、実際にそうなった。それが終わったから、“王”ボクの下にやってきている。

 

 なら、

 

(もうボクも、“王”に殺されるべきだ)

 

 無気力なボクの意識は、そう願っていた。

 

 ボクの役目はもう終わったのだ。

 

 今日まで生き延び、そして肉体なき“王”に己が身を捧げる。それがボク、“王直属護衛軍”のピトーの役目であり、それを遂げた今はいわば用済み。

 ならボク自身を終わらせたって“王”への不忠にはならないはずだと、ボクはそう考えていた。

 

 だってもう、生きていたいと思えないのだ。黒歌も白音も、曹操たちももう死んでいるのなら、彼女たちのいない世界を“王”の意識の隙間から眺める生などは嫌だった。

 

 彼女たちを失った悲しみと、彼女たちが存在しない世界を見続ける絶望。そんなものに囲まれて生きたくはない。それに自罰的な思いもあった。そもそもボクが“王”に身体を捧げなければすべては起こらなかったのだから、つまり彼女たちの死はそうしなかったボクの責任。その償いにはボクという意識の消滅では到底足りないだろうが、それでも罰が欲しかった。

 

 それを、自ら動かず“王”にただ願っている時点で、ボクに許される資格なんてものはないのだろう。しかしその願いの想いは“王”に対する不忠。“王”の意に背くことができないよう、“キメラアント”にそう造られたボクにはどうすることもできず、故にボクにはそもそも心の中だけで願う以外のことができない。ならやはり、ボクは黒歌たちと共には在れない

 

 ここまで至っても尚、ボクは己の根幹(“キメラアント”)を捨てられない。ボクは“キメラアント”であり、黒歌たちのような“人間”にはなれないのだ。

 

(だから……どうかもう、ボクを――)

 

 “王”さま。

 

 “王”の顔がその時見えて、続く言葉はぴたりと止まった。

 

 その眼は、何の変哲もない慈しみを湛えていた。

 

「……ピトー。余は、今理解した。余がすべきことを。余が、いったい何者であるのかを」

 

「おう……さま……?」

 

 変わらぬ無表情で言う“王”が、ボクを静かに見つめている。それはボクの知っている、いや、望んでいる“王”とはかけ離れた姿だった。

 

 その重圧、気迫、すべてが穏やか。ボクに黒歌や白音と過ごした平穏を思い出させる()はボクの下に跪き、そしてまるで縋るようにボクを見上げた。

 

「ピトー、余に……名を付けてほしい」

 

「……名、を……?」

 

 名。名前。“王”の――いや、彼の名前。

 

 頭にふと、彼の【気】の眩い光がよぎって、浮かんだ。

 

「――メルエム……」

 

 口にする、その名前。メルエムは、噛みしめるようにその音を繰り返した。

 

「メルエム……。そうか。それが余の、名前か」

 

 ゆっくりとメルエムは腰を上げた。立ち、それから何も言わずにボクに背を向け歩き出す。だがその数歩目、足が止まり、何でもない声色だけがボクへと言った。

 

「余は、“王”ではなく“メルエム”だ。だからピトー」

 

 振り向く。その顔が、穏やかに微笑んだ。

 

「貴様も、“人”として生きるがよい」

 

「っぁ……」

 

 なんだ。

 

(“王”も、ボクと同じだったのか)

 

 涙がとめどなく溢れ出る。悲しいとも嬉しいともつかない、胸を潰されるような感慨がボクを襲う。

 けれど嫌とは感じなかった。だからボクは頬を伝って零れる雫を拭うこともしないまま、嗚咽を堪えて“王”に深く叩頭した。

 

 頭を地に着け涙の染みを作りながら、ボクは“王”が光の中に去りその姿を消す時まで、そうし続けていた。

 

 

 

 

 

 身体の感覚が戻った。身体に纏わりつく冥界の空気と、そして周囲の、ボクを心配している気配を見つける。最も近く、俯き加減で眼を閉ざすボクの顔を覗き込むようにしているのは、黒歌と白音だ。

 

 胸が温かくなる。息苦しさは、今は奥に引いていた。そしてボクは、ゆっくりと閉じた眼を開く。

 光が入ったその瞬間に、息を呑む黒歌と白音の顔が見えた。そこにはすぐ涙が滲み、破顔する。堪えきれずといったふうに二人が同時にボクに抱き着いてきた。わんわん泣きながら、よかったと、嬉しいと喜びの言葉を口にしてくれる。

 周囲には、曹操を始めに九重やリアス、一誠とヴァーリもその顔に安堵と喜びを浮かべている。それらにゆっくりと眼を巡らせて、そして再び黒歌と白音に、泣いて崩れてぼやけた二人を、ボクは思いっきり抱きしめた。

 

「……ただいま……っ」

 

 二人はほとんど泣きながら、

 

「「おかえり……!」」

 

 そう言って、強くボクの身体を抱き返した。




願いを叶える神器(仮称)
・ハンターハンターにおいてアルカが所持していた能力。拙作では神器由来のもの。
それ以外に特に違いはない。

これにて拙作は完結となります。感想や評価をくださった方々、そしてここまでお付き合いくださった方々、今まで長編作を完結までもっていけたことがない私が三年半もの間書き続けてこれたのは皆様のおかげです。本当にありがとうございました!
正直色々ときつくて疲れ果てていますが感想は最後まで欲しています。ください。
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