主なきノラネコたちの家   作:もちごめさん

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お久しぶりの一月ぶりです。
想像の十倍くらい評判が良かったので、調子に乗って続き書きました。
なおしょっぱなから文章配分を読み違えたので少し短めです。
あと前五話分の誤字脱字報告ありがとうございました。(いまさら)

3/13 本文を修正しました。


第二部 交差のしっぽ
一話


 狭い個室の中で、私はマニュアルの紙束を片手に魔導装置と格闘していた。

 

 一畳もないその空間に所狭しと並ぶ機器の数々。これが速度計であれが魔力計。こっちのレバーは制御装置で、その逆側のがうんともすんとも言わない魔力供給装置。頭上のランプは空調関連、右が防御術式、左は――

 

「だからつまりどうやって動かせばいいのよ!」

 

 冥界と人間界を繋ぐ列車を強奪して数十分。運転席にて、私の脳味噌にとうとう限界が訪れていた。

 

 衝動のまま、分厚過ぎてどこを読めばいいかわからないマニュアル投げ捨てようと振りかぶり――踏みとどまる。眼前のフロントガラスに映る私は落ち着くために深呼吸しようとしたものの、吐く息は大きなため息に変わってしまっていた。脳疲労で頭がずんと重い。

 

「やっぱりこっちはピトーに任せて、私が見回りするべきだったんだわ……何が身体を労わって、よ。あれからもう二月(ふたつき)もたった上に、【人形修理者(ドクターブライス)】も絶好調だったじゃない。敵の一人や二人、潜んでいても後れを取るわけがないし。ていうか、どうせ労わるなら身体じゃなくて頭にしてって話よね。まったく……」

 

 憂鬱な気持ちになりながら椅子に寄りかかると、私は再び表紙を開く。目に飛び込んでくる活字は痛いほどで、急がなければと思うもそれを辿るペースは上がらない。内容は全くと言っていいほど頭に入らず、手持ち無沙汰の思考はぼんやりと、この二ヵ月の平穏とは言い難い日々を思い返していた。

 

 一時たりとも気が休まらない逃避行だった。あの時、ピトーが悪魔の一隊を撃退したあの事件は、案の定悪魔の上層部に伝わっていたらしく、合計すれば四度、私たちは悪魔たちの刺客に襲われた。

 

 私とピトーの距離もなくなり、私も足手まといから脱却したことも相俟って何とかそれらは殲滅された。ただ、四度目の襲撃時、幾人かには逃げられてしまった。

 

 最初からそういう手はずだったのだろう。

 

 私ではなくピトーを探していたらしい奴ら。思えばピトーの人相はもちろん、能力も姿形に関しても悪魔側に情報はなかったのだ。

 

 上層部は、確実に情報を手に入れるために物量での足止めを敢行した。

 

 幾人もの転生悪魔。元人間である故に神器(セイクリッド・ギア)を生まれ持っていた者も、そうでない者も、今までの刺客よりあからさまにランクは落ちるが、しかし物量で勝る彼ら。その肉の壁に隠れるようにして奮闘を監視していた指揮官らしき悪魔たちは、壁の半分ほどをただの肉塊に変えたその瞬間、突然四方に逃げ散った。

 

 当然追った。しかし二人ぽっちではどうしようもなかった。

 

 私とピトーが共に行動していることを、悪魔たちは当然理解しただろう。主もその眷属も、多数の悪魔を屠った『はぐれ悪魔の黒歌』と、悪魔を喰らう狂暴で貪欲な『変異キメラアント』が手を組んでいると。

 

 別件であったはずのターゲットが一つにまとまっている。私たちの討伐に割かれるリソースは統合され、襲撃はより一層苛烈さを増すだろう。今も眠るときでさえ常に気を張っているというのに、これ以上ともなれば、仙術での気配探知が間違いなく手放せなくなる。寝ても起きても二十四時間使い続けるとなれば、さすがに私も耐えられない。ちなみにピトーの『気』での探知はむしろ目立つので論外だ。

 

 故に私は冥界からの脱出を提案した。そもそもここは悪魔の領地。無駄に広大かつ未開なせいで実感は湧かないが、敵のおひざ元なのだ。この地にいる限り、追手の悪魔はいくらでも寄って来る。留まるよりも、悪魔たちの勢力外に逃げてしまったほうが安全なのだ。

 

 というそれらしい理で、私はピトーを説得した。

 

 実際のところ、襲撃が永遠に続くわけがないのだ。なにせ悪魔は今現在、絶滅危惧種とまで言われるほど数が少ない。悪魔の駒(イーヴィルピース)によって増えつつあるものの、やはり人的損失は奴らにとって大きな痛手だ。

 

 もちろん騒ぎを起こし続ければその限りではないだろうが、おとなしく隠れ潜んでいれば、いずれは捜索の規模も縮小するだろう。先も述べたが、冥界はその地のほとんどが未開の原生林だ。広さ的には地球とほぼ同等なうえに、海がない分陸地は四倍近い広さがあった。

 

 おまけに私たちは二人とも気配を消すことができる。一度悪魔たちの眼から逃れれば、それ以降隠れ続けることはさして難しくないのだ。

 

 しかし、私にはどうしてもその未来を受け入れることができなかった。

 

 周りには木しかなく、気持ちの悪い空気を吸って息を潜めながら、原始的な生活を終わるまで続ける。これは本当に『生きている』というのだろうか。

 

 ピトーにとってはそうかもしれない。でもそれは知らないからだ。

 

 ピトーは、生まれてから今までの三ヵ月近く、この原生林以外を見たことがない。彼女はかわいい衣服も、おいしい料理も、温かいベッドも、賑やかな人の喧騒も、知らないのだ。

 

 次元間の転移など魔法陣なくして私に使えるはずもなく、知る魔法陣で飛べる先は例外なく悪魔の拠点であることを考えれば、人間界に行くためには必然的に既存の移動設備を使わざるを得ない。無論危険も大きい。馬鹿正直に提案してもピトーに却下されるのは目に見えていた。彼女は、私を危険な目に合わせることを承知しないだろう。

 

 私は、私のせいでピトーの世界を狭めてしまいたくなかった。

 

 私の存在が彼女の重しになってはいないかと、もう二度とそんなことを考えずに済むように、私は嘘をついてでもそれを決行したのだ。

 

 記憶を頼りになんとか小さな悪魔の街にたどり着き、持ちうる『力』を総動員してこっそり街に、そして目当ての駅内に侵入し、すったもんだの末に駅内の悪魔を全員闇討ちした挙句、この列車を強奪してしまったのだった。

 

 さして使用頻度は高くないであろうこの列車と、ひいては駅内に新たな人が来ることはそうないだろうが、だからといって長居をしていい理由にはならない。たとえ救援を呼ぶ間もなく倒したとしても今は明け方。いつが人員交代の時間なのかは知らないが、そう遠いことではないだろう。

 

 そしてこの現実に戻ってくる。元来『努力』というものが苦手な私はもちろん勉強も苦手であり、なし崩し的に活字嫌いの特性を身に着けてしまった今となっては、文字で埋まった紙面一枚を見ることさえ億劫だ。

 

 別に全部を読破する必要はない。あとはこの列車のシステムを起動する方法さえ見つかれば、有り余る魔力で冥界を脱出することができるのだ。

 

 それを探すためにもう何十分と脳味噌を酷使し続けているわけなのだが――

 

「あ゛ー、もう無理!ギブアップ!助けてピトー!私、頭痛い!」

 

 時間がないとはわかっていても、できないものはできないのだ。

 

 私は小さな背もたれに目一杯体重をかけて背を反らすと、逆さの視界に憎たらしいマニュアルの紙束を掲げ、半目でそれを睨め付けた。

 

 もう駄目だ。もうこれ以上、一文字たりとも読む気がしない。

 

 きちんと章分けすればいいものの、そこまで書くかと作者を怒鳴りつけたくなるほど丁寧に、そしてメモ帳のように思いつくまま乱雑に書きなぐられたこの紙くず。今すぐ焼き捨ててやりたい気分だった。

 

「座席に使われるネジの規格とか、果てしなくどうでもいいわ……」

 

 所々に挟まれていた豆知識的な解説のおかげで無駄に知識を付けた私は徒労感を吐き捨てる。

 

 屍のごとき脱力感で哀れな椅子をギイギイ鳴らしていると、憎き紙くずの向こうから彼女の呆れ果てた声がした。

 

「それは確かにボクもどうでもいいと思うけど……第一なんでクロカはそんなこと調べてるの?そういう雑学は、まずは『レッシャ』を動かしてから後でゆっくり調べればいいと思うんだけど。どうせ人間界に行くには時間がかかるんでしょ?」

 

「好きでやってるんじゃないわ!この紙くずが悪いのよ!もう!」

 

 やけくそに叫んで紙くずを放り出す。バサバサ羽ばたき宙を舞ったそれを、運転室の戸を開けたピトーがキャッチして、私は口を尖らせた。

 

「見てよそれ。びっしり活字で絵も図も一つもないのよ?目次だってないし、そもそも目次でまとめられるかも怪しいくらいぐっちゃぐちゃだし、書いた奴の神経疑うわ」

 

 怪訝そうな顔をして、ピトーは紙くずに目を落とす。ペラペラとページをめくって流し読みする彼女に、私は身を起こすと「そういえば」と尋ねた。

 

「見回りは終わったのよね?客車は大丈夫だった?」

 

「うん。どこにも何も潜んでなかったし、クロカが言ってた盗難防止の術式ってのもちゃんと解除しといたよ。魔力の扱いはまだ苦手だけど、案外大したことなかったかにゃ」

 

 こともなさげにそう言って見せるピトーに、私はついジト目を向ける。貴族が使うような豪華さはないとはいえ、これだけ大掛かりな魔導具たちにかけられた術式が『大したことない』訳がないだろう。

 

「さいのう!ホントに何度言ったかわからないけど、それピトーがすごいだけだから!」

 

 苦手というのはピトーの基準であって、世間一般には当てはまらない。今の彼女の魔力の腕は、一線級の悪魔のそれと比べて遜色ないだろう。

 

 あらゆる要素に於いて、ピトーは上達速度が尋常でなく速いのだ。『気』の面も魔力の面も、私が追い抜かれるのはそう遠いことではないかもしれない。

 

(それは……ちょっとやだな)

 

 悔しさ半分寂しさ少しで、私は椅子をくるりと回して計器の上に頬杖をついた。

 

 と同時に肩口からピトーの頭が伸びてきて、驚く私を気にも留めずに計器の端、赤くて丸いボタンに手を伸ばした。

 ポチっと押すも何も起こらず、そのあからさまなボタンを初期にいじったことを思い出した私は、頬杖つく手を入れ替えて言う。

 

「ほら、ダメでしょ?それだけそれっぽいのになんにも起こらないし、だからマニュアル調べたんだけど御覧のありさまで、もうお手上げって感じ」

 

「うん?そう?たぶんこれで動くと思うんだけど」

 

 首を傾げるとピトーはボタンを押したまま、その下部のレバーに手をかけた。

 

 それもまた、触ったことがあるものだ。取っ手と一緒に握りこむタイプの誤作動防止装置が付いていて、どうやっても動くことがなかったと記憶していた。

 のだが、

 

 がちゃん

 

 と、レバーはあっけなく作動して、一拍の後にブウンと唸るような音がしたかと思うと、まるで応対がなかった供給装置の丸い玉が、魔力を求めて淡い光を放ち始めた。ちょうど頬杖の腕がそれに触れていて、常態の魔力が僅かに吸い取られると、沈黙を貫いていた魔導機器たちが途端に息を吹き返す。あっという間に一畳未満の空間を賑やかに染めてしまった。

 

「ええ……」

 

 私の頭痛はいったい何のためだったのか。頬杖からずり落ちてあっけにとられる私に代わり、ピトーは制御装置のレバーを握るとそれを引く。急発進に身体が後ろへ引っ張られ、次いで揺り戻しが計器に押し倒した。

 

 気が抜けて起き上がる力も出ず、突っ伏したまま顔だけそちらを向いた私と、ピトーの眼が照明の光越しにかち合った。

 

「ね?ちゃんと動いたでしょ?書いてあることが間違ってるわけじゃないんだから、要点だけ拾っちゃえばいいんだよ。うーん、そんなに難しいことかにゃあ?」

 

「だからさいのう!」

 

 脳味噌の出来に関してはもう負けているのかもしれない。そっちはもう諦めがついているが。

 

 ともかく、列車を動かすことには成功した。これであとは列車に不具合が起こらないか、あるいは燃料の私かピトーが魔力切れでもしない限り、十分ほどで人間界側の駅に着くだろう。

 

 進行方向に空間の裂け目が開き、フロントガラスいっぱいに広がる不可思議な異空間を物珍しげに眺めるピトーを横目に、私はようやく身を起こした。

 

「それじゃ、一応人間界に着いてからの予定を確認しておきましょ」

 

「うん」

 

 生返事のように返されるも、ここ三ヵ月の経験からこの状態でもピトーの注意がきちんとこちらに向いていると知っている私は、魔力を玉に与えながら構わず続けた。

 

「まずこの列車。人間界のどこかはわからないけど、たどり着くのは悪魔の支配する土地であることに間違いないわ。もちろん駅内に警備だっているだろうし、隠しようもないデカブツで堂々侵入するわけだから、さっきみたいに気付かれる前に暗殺ってことは無理よ。確実に戦闘になるから、大丈夫だとは思うけどちゃんと準備はしておいてね。それでホントの意味で人間界に出た後は、すぐに『絶』で気配を消して、できるだけ速く悪魔の勢力圏から出ること。一度出ちゃえば悪魔もそう簡単には追ってこないはずよ。人間界は――」

 

「いろんな勢力が混在して縄張り争いしてるから、だっけ」

 

 異空間の鑑賞はもう飽きたのか、ピトーがガラスから離れて機器の上に腰を下ろした。

 

 うまいことスイッチ類を避けて無駄な器用さを発揮するピトーに私は頷く。

 

「そう。悪魔の土地の近くに他の神話勢力がいることはまずありえないし、敵対してる堕天使や天使、教会はもっと無い。必然的に勢力圏の外は人間が統治してる空白地帯になってるはずなんだけど、そこで大規模な捜索とか、悪魔が事を大きくしちゃうと、他の神話体系とかに付け入られる隙になっちゃうのよ。特に教会と堕天使連中なんかは鬼の首を取ったみたいに騒ぐでしょうね。光の剣とか振り回しながら」

 

 私も、そして悪魔の血が入っているピトーも光の類は大敵だ。そいつらに追われる未来がこないことを祈りつつ、私は続けた。

 

「だからとにかく急いで逃げなきゃってわけ。悪魔側に捕捉される前に勢力圏から出られれば、まあしばらくは安全よ。奴らは単身じゃ『絶』に対応できないから」

 

「んー。でもさ、人間にはいるんでしょ?『絶』を見破れる『念能力者』」

 

 ピトーが胡乱げに首を傾げ、その卓越したバランス感覚を以って計器の上で胡坐をかく。

 

「クロカの話はもちろん納得できる。さっさと逃げるべきってのは、ボクもそうだと思うよ?けど、悪魔と堕天使と教会の連中は居ないにしても、人間、『念』を使える『ハンター』は居るかもしれない。クロカの話を聞いてる限り、軽く見てるみたいでボク心配なんだよね」

 

「ああ、『ハンター』ね。確かに総本山の『ハンター協会』は悪魔退治の仕事もしてるし、一人くらいいる可能性がないわけじゃないけど……うん。こう言っちゃうのもなんだけど、所詮人間よ。肉体強度も生命力も身体能力も、私たちよりずっと低い。超常の存在から加護を受けているわけでもないし、もし『絶』を見破られても一人や二人、大した障害じゃないわ。たとえそいつが神器(セイクリッド・ギア)を持っていたとしても。

 ピトーは人間を見たことがないから、心配になる気持ちもわかるけどね」

 

「一人や二人、じゃなかったら?もし『ハンター』が徒党を組んであの時の悪魔みたいに襲ってきたら、一人一人は脆弱でも数は脅威だって、あの泥仕合で嫌ってほど思い知った」

 

「それは、そうだけど……」

 

 しかし、このまま悪魔の領地に留まるよりは百倍マシだ。

 

 元より悪魔の手から逃れるための逃避。動かなければ冥界を脱出した意味がないのだ。どうやったって『ハンター』と出くわすかもしれないという可能性は排せない。小さな危険は無視する以外にないだろう。

 

 そんな少々の憤りで言い淀む私に、ピトーが小さく首を振った。

 

「別に、さっきも言ったけどボクだってわかってるんだ。どう行動したって百パーセント安全にはならないし、いるかもわからない『ハンター』の存在を疑うより、悪魔の群れに追われる危険性を重視するほうがずっと理にかなってるってことは。

 でもさ、クロカの言う通りボクが人間ってのを知らないだけなのかもしれないけど、やっぱり不安なんだ。クロカのその、『大した障害じゃない』って油断がキミを殺してしまいそうで……」

 

 目尻を下げてうつむき気味にそう言うピトーの尻尾が、その内心を表すかのようにへにょんと垂れ下がる。

 

 その様子に憤りはたちまち行き場を失くし、私はせめてもの抵抗にそっぽを向くと、喉を鳴らして独り言を呟くかのように言った。

 

「ま、まあ、確かに、長く悪魔の価値観に浸かってたせいで甘く見過ぎてるってことはあるのかもしれないわね!なら……そう、神滅具(ロンギヌス)が待ち構えてるくらいの気概で行きましょ!それなら慢心の余地はないわ!」

 

「『カミ』を殺せる神器(セイクリッド・ギア)ね……最初の頃にボクが殺した『グリーブ』よりも強力なんでしょ?うーん、それはそれで見てみたいかにゃー」

 

「……私が悪かったから縁起でもないこと言わないでよ。世の中には『フラグ』ってものがあるんだから」

 

「うん?『ふらぐ』ってナニ?旗とは違うの?」

 

 と、なんやかんやでいつも通りのお茶らけた空気感に逆戻り、フラグについて懇切丁寧に教えること数分、唐突に、私もピトーもそれに気付いておしゃべりをやめた。顔を見合わせ、小さく頷く。

 

 予兆なく突然に、フロントガラスに映る異空間の模様に亀裂が入ったのだ。

 

「ようやくだ。じゃあ、手はず通りにね」

 

 糸くずのような裂け目の奥に車止めが見えるよりも早く、ピトーは言うと屈んで運転室を出て行った。

 

「ええ。落っこちないよう気を付けてね」

 

 角に消えるピトーの尻尾にそう告げると、私も裂け目の向こうから見えないようしゃがみ、手探りで制御レバーを握ると列車の速度をゆっくり落とす。

 

 ほどなくして裂け目、異空間の出口にこのデカブツ列車がさしかかる。目視はできないが、仙術により感じる気配で駅員らしき悪魔が一人、停車場にのろのろ侵入する列車に警戒しながら近寄ってくる姿が確認できた。

 

 がしゃん、と、ほとんど車止めにぶつかる形で列車が停止する。駅員が振動にビクリと首をすくめて、恐る恐るの足取りで先頭車、つまり私がいる運転室のガラスを覗き込んだ。

 

 無論、それを予期していた私は悪魔から見られない位置に身を隠している。しかし、となれば駅員悪魔の目に映るのは無人の運転席のみだ。異様極まりない。

 

 当然悪魔は異常事態を認識し、誰もいない運転席を凝視したまま通信の魔法陣を展開して、恐らく警備に事態を知らせるため口を開く。

 

 まさに隙だらけのそこを、列車の屋根からピトーのツメが刈り取った。

 

 たとえ無人の異常に夢中になっていなくとも、反対側の扉から列車の外に出て、しかも全くの視界外に潜んでいたピトーに、非戦闘員たる駅員が対応できることはなかっただろう。

 

 するりと首が落ち、噴き出す血がガラスを汚す。それを通して室内に入る光のせいで、辺りの機器がほんのり赤みを増したころ、ただっぴろいホームを挟んで対角線上に存在する階段の先から複数人の慌ただしい足音が駆け下りて、その中ほどで呆然と立ち止まった。

 

 背の高い空間で、声が反響して響き渡った。

 

「ほ、本部に連絡を――」

 

 その続きは、周囲の悪魔のどよめきと悲鳴に変わった。ピトーによる殺戮が始まったのだ。

 

 一度彼女に接近を許してしまえば、十把一絡げの悪魔など相手にもならない。『キメラアント』の昆虫という特性からくる肉体の強度は飛び来る魔力弾を容易に防ぎ、四肢の剛力は悪魔の肉を紙きれのように切り裂いてしまう。

 

 果敢に、いや、無謀にも立ち向かっていく者から死んでいく。血しぶきが巻き上がるたびに悲鳴の数が減ってゆき、とうとう、その惨劇に負けた悪魔が一人、怯えに囚われ羽を広げた。

 

「ひぃッ!こ、こんなの無理だ!お、おれはまだ、死にたくねぇ!!」

 

「なッ!ば、バカ野郎!!連携を乱すんじゃねぇ!!」

 

 味方の悪魔の、半ば裏返った必死の制止も耳に入らないようで、戦場に背を向けたそいつは一目散に踵を返し、階段へ羽ばたいていく。

 

 ピトーはそれを追おうとはしなかった。代わりに、制止を叫んだ悪魔の頭を殴打で消し飛ばし、天井すれすれを飛ぶ逃亡兵をつまらなそうに見上げていた。

 

 その様子に、たぶんピトーが遠距離攻撃手段を持っていないとでも思ったのだろう。肩口から振り向いたそいつはピトーがただ見ているだけだと気付くと、恐怖心の隙間から流れ込んだ幻想の優越感にこれまたあっさり負けて、口の端を間抜けに釣り上げた。

 

 自身以外の悪魔が皆死んでいることにも気付かず、そいつは腕をぶるぶるふるわせながら振り向いて、手に持つ槍を引き絞った。目をぎらつかせ、ピトーばかりを映していた。

 

 バカな奴だ。もう少し冷静に周りを見れていれば、その背後に展開された私の魔法陣に気付くことくらいはできただろうに。

 

「んあ?」

 

 知能指数が低そうな声で口を開けるそいつの背に、超短距離転移を成功させた私の掌が触れていた。

 

 のろのろと、アホ面を晒しながらそいつは振り返る。握りしめている槍の穂先が未だピトーに向いていることに多少の苛立ちを覚えながら、私は一息吸って、それごと『気』を身体に叩き込んだ。

 

「ごへあ!」

 

 汚らしい断末魔。口と目と、体中の穴から途端に血を噴出したそいつは、撃たれた鳥みたいに、受け身も取れずに地に落ちる。

 

 指の一本も動かせはしないだろう。奴の体内では今、私が乱した奴自身の『気』が、気脈はもちろん、魔力の源から筋肉内蔵、果ては生命そのものまでを滅茶苦茶に引っ掻き回している。

 

 体外の『気』を操ることは仙術の本質だ。植物なんかの、自然にある『気』のように何の制約もなく自由に操作できるわけではないが、意志ある生物であろうとも直に触れさえすればこの通り。ピトーが使う『念』と違い、物理的な破壊力には乏しい仙術だが、対生物に限ってはそれに劣らぬ殺傷力を誇る。

 

 もし奴に『念』の心得があればこれほど簡単にはいかなかっただろうが、魔力という元来の『力』を崇拝する悪魔に生まれ、しかも碌に使われない駅の警備に甘んじているような下級悪魔が、『念』などという知名度の低い技術を知っているはずもなかったのだ。

 

 ごしゃっと、頭から階段に激突した奴は、脱力に身体を振り回されながら段差を転げ落ちる。私が悪魔の羽で落下に制動をかけると同時に、ピトーに足蹴で逆回転を加えられた奴が今度は階段を飛翔し、天井でバウンドした後、上階にてようやくその生命を終えた。

 

 時間にして一分ほどで、ホーム内での蹂躙は終了した。仙術に私とピトー以外の気配がないことを確認し息をつくと、滝のように階段を流れ落ちる血の海を避けて手すりの上を上るピトーに、私は胡乱げな眼差しを向けた。

 

「最後の、私が出張る必要なかったと思うんだけど」

 

「最後だからこそ、クロカに花を持たせてあげようって思ったボクの親切心だよ。大して強いのもいなかったしね」

 

 剽軽ににっこり笑うと、ピトーは赤色から逃れた石材の灰色に降り立つ。不服に眉を寄せてみせるも見切られているために効果はなく、私を放って先に進む彼女を恨みがましく睨め付けながら追いかけた。

 

「そういうのを『おせっかい』って言うの!もう、たまには私に主導権渡してくれたっていいのに」

 

「まあね、ボクはクロカの介助であんなことやこんなことまで見たし知ってるわけだから、あんまりいい反応はできないと思うけど、それでもいいならどーぞ?」

 

「そっ……それを持ち出すのは卑怯よ!反則!あれは、あの頃はその……まだピトーを人として認識してなかったというか……と、ともかく!そっちがそのつもりなら私にだって考えがあるわよ!この間、襲撃の悪魔から服を剥ぎ取った時、一緒になって着替えてみたらピトーってば、服の前後が上も下も逆だったじゃない!やたらセンスも悪かったし!」

 

「んむむ、センスとは失礼な。血に浸ってないのを見つけるだけでも大変だったんだよ?クロカがもうぼろきれの着物は嫌だって言うから、きれいなのを譲ってあげたのに……服の前後は、着てたやつの首が百八十度回ってたからで……服を着るのだって初めてだったし……」

 

「初めてって、じゃあピトーが最初から着てるジャケットと短パンみたいなのはどうなのよ」

 

「これは……生まれた時から着てたから……」

 

「ダメだわ。ピトーの生態に私の常識が通じない」

 

 なら今身に着けているそれは文字通り身体の一部なのか。いやでも感触は普通の布だったしなぁ。などとくだらないことを夢想しながら無駄口を叩き合い、しかし慎重さだけは失わずにゆっくりと駅内を進む。

 

 幸いなことに残敵もトラップの類も存在せず、飾り気のない四角形のチューブのような一本道の通路を抜けると、また現れた階段の先に両開きの無骨な扉が見えた。

 

 そこが人間界の入り口であることを象徴でもしているのか、閉じられた扉の上部には魔力ではなく電気の照明が備え付けてある。チカチカと時折明滅し、長らく交換された様子のない電灯が、扉ごと暗闇を頼りなく照らしていた。

 

 車両からして過去に乗った貴族用のそれとは比べるべくもなかったが、ここはそれ以上に物悲しい。庶民が使うものには装飾どころか補修の金すら回さないのだろうか。貴族制の闇を垣間見た気分だった。

 

 悪魔の、ほの暗い側面だ。

 

 連鎖的に、白音の姿が頭によぎった。

 

 元バカマスターへの怨恨が蘇り、繋がってしまったその不安を、私は頭を振って払い落とす。どのみち、もう当分は会いにも行けない。我が愛すべき妹がどのような境遇に置かれているのかなど、益体のないことを考えても心苦しくなるだけだ。

 

 しかし、一度宿ってしまったそれは思考を切り替えることを許してくれない。

 

 自責と、そして恐れが見る見るうちに膨れていく。

 

 今、白音はどうしているのだろう。私がそうだったように、辛い目にあってはいないだろうか。衣食住は大丈夫だろうか。

 

 そもそも、まだ生きているのだろうか。

 

 例えようのない悪寒が全身を貫いた。

 

 あり得ない話ではない。元々白音は私の身内という身分で冥界に暮らしていた。その肩書がなくなれば、白音はもう一人の妖怪でしかない。転生悪魔ですら差別の対象となるような悪魔社会が白音をどう扱うかなど、正直想像がつかなかった。

 

 けれど、今の私に白音を助けに行くことはできない。物理的にも、そして心情的にもだ。

 

 あの時のように、またバケモノなどと呼ばれてしまえば私はどうすればいいのだろう。

 

 そうなれば、たぶん今度こそ決定的なまでに私と白音の関係が破綻する。胸の内に秘めていたあの鬱屈がすべてを飲み込み、私の中の白音を永久に消し去ってしまうだろう。

 

 それは、私が自らの手で白音を殺す、ということだ。白音への愛情が姉としての義務感にすり替わり、消えてしまう。

 

 見殺しにするよりもよほど耐え難い結末と対峙する蛮勇を、私は持ち合わせていなかった。

 

 それに何より、ピトーをそんな危険に巻き込むことができない。

 

 もしも私が対峙する覚悟を決めたとして、再び白音に会うためには悪魔社会の奥底に入り込むしかない。ピトーも、気恥ずかしいがついて来ようとするだろう。

 

 確かにピトーは強い。私も、ありえない話だがピトーと戦うとなれば全力を出す以外に勝ち筋はなく、それでも尚勝敗は五分五分であろう。

 

 悪魔の中には私より強い者が、悔しいことだがそれなりにいるのだ。特に超越者などと呼ばれる魔王は神にも等しい強さを持つと言う。

 

 たったの二人でそんな奴らと鉢合わせしてしまえば、間違いなく死ぬ。

 

 ピトーが死ぬ。その一点だけで蛮勇を打ち消すに値する。

 

 怖いのだ。これ以上、自らの手で何かを失うことが。

 

 白音しかりピトーしかり、私はもう二度とあんな思いをしたくない。あの時の絶望は私の心に傷跡を残したままだった。もう血を噴いていなくても、ふとしたきっかけで恐怖が身体を覆ってしまう。

 

 ピトーが、ピトーのこの手が、消えてなくなってしまうかと思うと私は怖くてたまらなくなる。ピトーの手の、この熱が――

 

 ようやく気が付いた。

 

「クロカ?」

 

 無自覚にも、私はいつの間にかピトーの手を握っていた。

 握りこんだ力は思いのほか強く、ピトーが不思議そうに私の顔を覗き込んでいる。

 

 平時の三倍近い手汗を分泌する自分自身に一瞬思考停止に陥った後、それの意味するところを察した私は、悲鳴を上げてしまいそうになる羞恥心をなんとかなだめ、繋いだ手はそのままに大慌てで弁明した。

 

「あっいやこれはちがくてその……ぜ、『絶』をしたらお互いにどこにいるかわからなくなるかもしれないじゃない?だからで……うん、それだけよ……?」

 

 顔に血が上ってゆく。身体が火照ってさらにじっとりと汗ばんだ私の手を、ピトーが優しげな笑みで握り返した。

 

「にゃふふ……まあ、そうだね。知らない土地ではぐれちゃったら大変だもんね」

 

 なんだそのにやけ顔は。

 などとツッコミの一つでも入れてやれればいくらかは気が晴れただろう。すべてわかってますよと言わんばかりのその表情に、ツッコめるだけの度胸があればの話だが。

 

 結果的に、私は顔を真っ赤にしながら、被害の拡大を抑制するためにピトーから顔をそらす以外の抵抗をすることができず、恐らくニマニマと笑われながら仲良く手を繋いで階段を上る羽目になったのだった。

 

 恒久にも思えた上昇が終わり、相変わらず手を繋いだまま私たちは人間界への扉にたどり着く。さすがに横を向いてばかりいるわけにもいかず、正面を向いて、シンプルかつ重厚そうなその両開きを見やった。

 

 板チョコのような色味と凹凸をしたそれは冷たく佇んでいる。窓も、当然ドアスコープもない扉の取っ手に、私たちは同時に手を伸ばした。

 

 一秒とかからずに魔力の錠も解除して、期待するピトーに根負けした私は彼女と顔を見合わせた。

 

「クロカの故郷、『ニホン』だっけ?近くに出るといいね」

 

「う、うん。そうね……」

 

 やっぱり頭の出来ではもう敵いそうにない。

 

 すっぱり諦めることを心に誓い、私たちは勢いよく世界の入り口を開け放った。




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