アザレアの花束   作:暮れ

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 初雪。待ち合わせるのは、猫と彼女。



初雪、三毛猫、マフラー。《湊友希那》

 彼女は、いつもマフラーをしない。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 十二月。

 

 今年も、この街に雪が降った。

 例年より二日ほど遅かった初雪。液晶の向こうのニュースキャスターは今年も冷え込むことを伝えていた。

 空からしんしんと降り続ける、雪。

 その雪は地面にたどり着く度に溶けて、コンクリートに小さく染みを作っている。この分なら、降り積もるのはまだまだ先だろう。雪かきをしなくてすむのは面倒でなくていい。

 静かな空間に、僕の靴音だけが響く。空をちらちらと見ながら歩いているうちに、公園前に到着していた。

 立ち止まり、少し待つ。公園の時計は、彼女が来る時間を教えてはくれない。

 

 みゃーお。

 

 空に向けて息を吐いていると、足元で鳴き声がした。

 三毛猫の一匹。公園に住んでいる野良猫の中でも、特に僕になついている一匹。

 こんな寒い中でも外にいるなんてかわいそうだなと思いながら、手袋を外して、しゃがんで喉を撫でてやる。マンションがペット禁止でなければ、持ち帰っていただろうに。

 目を細めて気持ち良さそうに唸る猫。元々持っていたであろう名前を、僕が知らないのが残念なことだ。

 

「おはよう」

 

 突然後方から掛けられた声には驚かない。彼女が後ろから追い付いてくるのは、いつものことだから。

 下に向けていた視線を、立ち上がってからゆっくりと後ろへ向けて、その姿を認める。

 三毛猫はスラックスに頬擦りなどせず、僕の足元に座る。毛が付くのがわかっているからだ。全く、利口な猫である。

 

「おはよう、友希那。今日も寒いね」

 

 二人の吐いた白い息が空中で重なる。風に流れていった白はやがて霧散し、消えて無くなる。

 

 みゃーお。

 

 もう一度、猫が鳴く。彼女の視線が僕の足元へと動いた。

 

「あら、あなたも居たのね」

 

 喋っているセリフは落ち着いているのに、随分表情と合わない人だ。そこがこの人のかわいいところではあるのだけれど。

 

 猫が僕の足元から離れて、彼女の元へ行く。

 彼女もしゃがんで、手慣れたように猫を撫でる。その手に手袋ははめられていない。

 時間にして十数秒、彼女は猫を撫で続けた。

 

「……そろそろ、行きましょうか」

 

 さっきまで崩していた表情を手を使って戻して、彼女が立ち上がる。撫でられていた猫は、再びどこかへと去っていった。おねだりなどしない、やはり利口な猫なのだった。

 

 彼女と僕の間、距離にして一メートル半。その間を3歩で詰めた彼女は、僕と並んで再び道を歩き始めた。

 

「初雪……貴方と見るのは初めてかしら」

「知り合ったのが今年の春だからそうなるね」

 

 春。入学式から一週間経ったか経たないかの頃。今日のように、彼女と僕は公園で出会った。

 

 

 

 朝の通学路。入学式以降なつかれてしまった、あの三毛猫とじゃれていた日。

 

 ─猫。

 

 後方から掛けられた声に驚いて、しゃがんだまま振り向いた先に、彼女はいた。

 美しく長い銀髪に、すらりとした体型。一言で言えば「美少女」の類いに入るような姿。制服からして、僕の通学している高校の近く、羽丘女子の生徒だろう。

 

 こちら、正確には僕の手に撫でられている三毛猫の方を見ながら、だらしなく頬を緩めてしまう彼女。

 

 それが、僕が初めて見た「湊友希那」という女性だった。

 

 ─貴方の猫なの?

 

 ─いいや、一週間前くらいからなつかれてしまっただけです。飼えれば良かったんですけどね。

 

 通学中だというのに、二人して猫に釘付け。灰色の制服の彼女がこちらに近づいてきた。

 

 ─……私も、撫でていいかしら。

 

 ─それはこいつに聞かないとわかりませんよ。

 

 そう言って、三毛猫を彼女の方に向かわせてやる。

 最初こそ心配したものの、もともと人懐っこい性格だったようですぐに彼女にじゃれ始めた。

 

 それを幸せそうな顔で撫でる彼女は、少なくとも僕にはごく普通の女子高校生に見えた。

 

 それから僕らは、暗黙の了解のように毎朝公園で待ち合わせをした。

 

 

 

 時間は決まっていない。たまに彼女と会わないまま遅刻しかけたこともあったし、長期休業の間は会わない日の連続だった。

 それでも、約八ヶ月に渡って彼女との奇妙な関係は続いている。

 

「……そういえば、なんでマフラーしないんだっけ」

「持ってるマフラーが肌に合わないの」

「…歌に影響とかは」

「無いわ。ちゃんと喉は大切にしてるもの」

 

 彼女の歌声を聴いたのは、今年の文化祭だった。彼女と朝以外の時間に話したのも、それが初めてだったはず。

 

「それならいいけど」

 

 それっきり返ってくる言葉はなく、そのまま二人並んで、しんしんと降り積もる雪の中を歩く。

 十五分。それがあの公園から彼女の女子高までの徒歩での移動時間。

 

 一緒に通うようになった理由はなんだったか。

 ……ああ、別に大した理由はなかったな。たまたま通う方向が一緒だったってだけ。

 別々に登校するよりも、一緒に登校した方がつまらなくはないだろうって僕が提案したはずだ。

 

「そろそろね」

 

 右隣から響いた彼女の声で、顔を前に向ける。

 目視できる距離に、彼女の通っている女子高が見えてきた。

 

「……………」

 

 無言のまま、彼女が小走りになる。当然僕の隣はがら空きになり、彼女と僕の間の距離は大きくなっていく。

 さっきまでほのかに暖かさを感じていた右隣に、冷たい風が吹き抜けていく。

 学校の前まで着くと、彼女はいつも僕から離れる。

 僕としても女子高で話題になるのは避けたいので好都合ではあるのだが、いかんせん寂しさを覚えてしまうあたり僕はそれなりに彼女を大切に思っているのだろう。

 

 彼女との別れを惜しむように小走りに走る姿を眺め続ける。

 不意に、彼女が振り向く。

 目が合って、ちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめる彼女は、そのままこちらに声をかける。

 

「また、明日」

 

 ─彼女の世間的な評価というのは、僕の知る彼女とは正反対だ。

 世間でもてはやされる歌姫も、蓋を開けてみれば一人の女子高生なのだと、一体どれだけの人が知っているだろうか。

 

「ああ、また明日」

 

 振り返り、僕に向けて微笑んだ彼女の表情はあまりにも綺麗で。

 マフラーをしてなくて良かった、なんて、その表情を見ながら思うのだった。

 

 

 僕は、彼女の笑顔に恋をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高校二年、冬。

 

 彼女との付き合いも、一年と八ヶ月になる。

 去年よりも二日早かった初雪の中、腕にビニール袋を抱えながら彼女を待つ。

 

 みゃーん。

 

「今日も寒いな、リゲル」

 

 足元にやって来るのは、いつもの三毛猫。

 リゲルとの付き合いも一年八ヶ月。野良猫にしてはかなり健康に過ごせているのではないだろうか。

 名前がついたのは、今年の一〇月。雲の無い夜にこいつと会ったとき。

 空に流れたオリオン座流星群がとても綺麗で、オリオン座で最も明るい星になぞり「リゲル」と名付けた。

 

 名前を呼ばれることが嬉しいのか、リゲルは前にも増して僕らになつくようになった。

 

「おはよう」

 

 後ろからの声。

 いつも通り……ではない。最近となっては珍しい方だ。

 リゲルがその声に反応して、僕の手の内から逃げていく。

 リゲルはどうやら、彼女の方が好みなようだ。オスかメスかわからないが、まあ好む匂いというのはあるのだろう。

 

 僕も立ち上がり、彼女の方へ向き直る。

 

「おはよう、友希那」

 

 二人の吐いた息は空中でぴったりとは重ならず、いくらか僕の息が空に近い。

 出会った頃と挨拶は変わらないのに、身長差は少しばかり広がってしまった。

 

 こうして会うのは何週間かぶりになる。

 彼女は、春の間にバンドを組んだ。疎遠になっていた幼馴染ともまた仲良くするようになったらしく、僕と会わない日は、その幼馴染と登校しているとのこと。

 

 ああ、でも。

 バンドを組んだ当初と、それから少しした後。その期間は毎日一緒に通ったっけ。

 あの時期は、彼女が朝現れる度に心を痛めたけれど、今はそんなことはない。

 

 僕の挨拶に、いつかのような沈んだ顔ではなく、柔らかく微笑んで返してくれた彼女は、僕が腕に抱えているものを見て頭を傾げた。

 

「………あら? それはどうしたの?」

「ああ、これね。はい、一足早いクリスマスプレゼント」

「私に?」

 

 疑いながらもきちんとプレゼントを受け取ってくれる彼女。僕の消えていった二万円も、役目を果たすときが来たようだ。

 ガサガサと音を立てながら、ビニール袋からソレを取り出す。

 

「……マフラー?」

「…君の首元が寒そうに見えて仕方がないんだ」

 

 彼女は、今日もマフラーを着けていない。

 どうにか彼女の肌に合うマフラーはないものかと検討を重ねて、結局検索エンジンに頼るハメになった。情けないことである。

 

「……これ、高かったんじゃないかしら?」

「ブランドモノだし、まあそれなりに」

 

 早速マフラーを取り出して見る彼女。

 マフラーは表が白、裏がグレーのリバーシブル。白黒の方が普段着にも合いやすいという知恵袋からの入れ知恵だ。

 

「……随分と長いわね……」

「あー、長さ分かんなくてさ」

 

 首に二周巻き付けても腰まで長さがある。いささか長すぎたかもしれない。

 まあ、長いのを買ったのはわざとなんだけど。

 

……マフラー……首ったけ……

「………友希那?」

 

 口元まで隠してボソリと呟く彼女。

 モゴモゴした声では、残念ながら何を言っているのかわからなかった。

 

「…いいえ、なんでもないわ。行きましょうか」

「……リゲルがおもむろに寂しそうにしてるけど」

 

 随分と慌てたように言う彼女に、足元にいたリゲルが尻尾を落とした。

 僕が指摘すると、ハッとしたようにしゃがんでリゲルを撫で始めた。

 

 しんしんと降り積もる雪。

 二人してしゃがんで、一匹を愛でる。

 

「……マフラー、ありがとう。凄く肌に合うわ。大切にする」

「本当かい? それはよかった」

 

 今年の初雪。

 彼女は、僕がプレゼントしたマフラーを着けた。

 

 長いマフラーは、首ったけ。

 

 スマホに教えてもらった、小さな知恵。

 

 

 僕なりの、不器用な思いの伝え方。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女と出会って、三度目の初雪が降った。

 

 僕は受験生。彼女はバンド活動を続けるらしく、進学はしないのだそう。

 互いに忙しくて、もう二年前のように頻繁に会うことは少なくなってしまった。

 

 空に消えるため息に感情が溶けて行く。

 僕のうちに燻る火種は、いつの頃から在ったのだろう。

 寒さに似つかわしくない感情と共に彼女を待つ。

 

 みゃーん。

 

「お前との付き合いももうすぐ三年か……なあ、リゲル」

 

 みゃー。

 

 懐かしむような声が、分かったか分からずか………いや、こいつは利口だからきっと分かっているんだろうな。

 

 応援するようなリゲルも、いつもよりずっと頼もしく見える。そんなリゲルの喉を、初めて会ったときのように撫でてやる。

 気持ちよさそうにうなり声をあげるリゲル。随分と声も低くなったものだ。

 

 雪を踏む音。時々コンクリートを踏みつける音。

 後方から、彼女の足音が聞こえた。

 

「おはよう」

 

 去年から変わらず、寒くなる度にあの長いマフラーを巻く彼女。

 彼女はそのまま僕の前に回り込んできて、しゃがむ。

 二人の距離は、彼女の歩幅一歩分もない。

 

「おはよう、友希那」

 

 二人の頭に、しんしんと雪が降り積もる。

 二人に挟まれて撫でられるリゲルは幸せそうに目を細めている。

 

 雪の降る日は、決まって街が静かになる。

 朝の静寂の中、僕らは言葉を交わすことなく向かい合う。

 初雪は、柔らかく二人を包む。

 

「……行きましょうか」

「……ああ、そうしようか」

 

 彼女と共に立ち上がると、足の痺れが響いてきた。しゃがんでいたせいだろう。

 踏ん張って、体勢を整える。足元を見ると、まだ彼女はリゲルを撫でていた。

 最後に両手で撫でて、口惜しそうに彼女も立ち上がろうとする。

 

「……っあ……」

「………えっ」

 

 初雪に足を滑らせたのか、足の痺れが予想以上だったのか、その両方か。

 いや、あるいは、いつまでも足踏みをしている僕らへのプレゼントだったのかもしれない。

 

 偶然に受け止めた彼女の身体は、やわらかくて、小さくて、暖かくて。

 

「……っ?!」

 

 思わず、両の腕で抱き締めてしまった。

 

 そのまま、二人で固まる。

 時間が流れるのが遅い。腕にすっぽりと収まった彼女は時折身体を動かすも、力が込められていない。

 僕は到底、放すつもりはなかったし、彼女も本気で抜け出そうとはしなかった。

 

「………………」

 

 不意に、彼女の腕が動く。

 直後、コートの上から何かにしめつけられるような感覚に襲われた。

 不快ではない。もちろん苦しくもない。

 

 

 彼女が、抱き返してくれたのだから。

 

 

 ドクリと、心臓が跳ねる。

 彼女は僕の胸に抱えられているのだ。きっとこの音も聞かれてしまっているだろう。

 

 足元で、リゲルが鳴く。

 その声を合図に、二人とも一度離れる。

 

 そう、一度。

 

「ねえ」

 

 彼女が口を開く。

 

「なんだい?」

「このマフラーの正しい使い方、わかったの」

 

 そういって、僕が答える間もなく首に手を回す。

 マフラーのあまり部分、彼女の腰まで伸びていた部分が、僕の方に飛んできた。

 

 そのまま有無を言わせず僕の首にマフラーを二周回す。

 一つのマフラーを二人で使う。

 そんなことをした僕と彼女の顔の距離は、もう五センチもない。

 

 耳に触れそうな程近い距離で彼女が呟く。

 

「この長いマフラーは、こうやって、貴方と私を繋ぎ止めるためにあるんだって。私だって、贈り物のマフラーのジンクス位、知っているわ」

 

 そう呟く彼女の頬は赤い。目の前にその顔があることが何より愛しい。

 きっと、僕の頬も赤く染まっていることだろう。

 

 

 首ったけ。

 

 

 マフラーのあまりの長さは思いの大きさ、なんて。日本人ならではのロマンチックな思考。

 

「行きましょうか」

「……歩調の心配は、無いね」

「二年も一緒に歩いてきたんだもの。今更でしょう?」

 

 珍しく、リゲルが後をついてくる。足元を先に行ったり、後に行ったり。ぶつからないように歩いてくれる。

 

「友希那」

「何かしら」

 

 いつもの、短い会話。

 これが終われば、また静かに二人で歩き出すのだろう。また、お互いのことを考えながら歩くのだろう。

 

「好きだよ」

「ええ、私も」

 

 いつもとは違う道。

 首に巻かれたマフラーは、きっと外れることはない。

 

 

 彼女と出会って、三度目の初雪。

 

 

 彼女は、僕の恋人になった。

 

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