本当ごめんなさい。よく考えれば、そこそこ酷い目に遭っていることに気がつきました。という訳で筆者はラストダイブに行って来ます。
でも血小板ちゃんの柔肌が傷つけられることは今後もないのでご安心ください。
ここは昇降機のある部屋の中。
これから何が起こるかも知らずに、今日も血小板は元気いっぱいです。
「わぁ、くしゃみの時のアレにそっくり……あっ!ねぇ、ボンドルドのお兄さん!もしかしてこれでアビスの上まで行けるの?」
【くしゃみ
鼻の奥に付着した埃やウイルスなどの異物を体外に排出しようとして起こる反応的な反応。その他にもアレルギー反応や、こよりで鼻腔をくすぐったり、コショウを吸い込んだり、太陽を見たりといった刺激を受けると発生する。】
くしゃみの時のアレというのは、気管支に入った異物を粘液カプセルで閉じ込めて、上へと運んだアレのことです。
カプセルが球形か円柱形かの差はありましたが、血小板の言った通り概ね似たような外観です。
ですが、双方は全く真逆の機能を備えていました。
「逆ですよ。その昇降機はここからすぐ下、深界六層に行く為のものです。降りた先は袋小路なんですが、色々試すのに丁度良い深さでしてね。私の箱庭なんです」
ご丁寧に、今きみが首を乗せているのは断頭台だ、と宣告するボンドルド。
しかし血小板は、上昇負荷の恐ろしさや六層の呪いについて殆ど知りません。
ボンドルドを信頼しているが故に、自分の首に刃が当てられているなどカケラも考えていません。
ですので、ボンドルドの死刑宣告、或いは死刑よりもっと悍ましい宣告に対しても、小さく首を傾げるだけでした。
「どうして、下に行くの?」
「アビスを登りたければ、まず呪いをなんとかしなければなりませんからね。
これから血小板には、上昇負荷を体験してもらいます。耐えられればそれで良し。もし無理でも、研究結果を元に呪いの仕組みを解き明かすことが出来るのです」
「下に降りても大丈夫なの?」
「安心してください。かつてナナチも同じ実験をしましたが、ご覧の通り健在です。それどころか、祝福まで手にすることに成功しました」
重要な情報を語らずに、希望的なことばかり述べるボンドルド。
そのやり口は悪質な詐欺師そのものでしたが、彼には悪気も騙すつもりもありません。
必要でないことを語らなかっただけなのです。
ナナチに実験が行われる迄に何人もの子供達が死ぬか成れ果てになっている、なんて情報は、ボンドルドには至極どうでもいいことでした。
ナナチに実験が行われた際に一緒に非検体となった少女は成れ果てとなった、なんて情報も、同じくどうでもいいことでした。
ボンドルドに、人の姿形や生き死にに対する拘りはありません。
だから血小板の見て呉れがどうなろうと、血小板の命が失われようと気にはしません。
「心配しないでも大丈夫ですよ。君は必ずアビスの上、地上まで連れて行くと約束します」
例え、血小板がどんな姿に成ろうとも。
例え、血小板が二度と動かなく成ろうとも。
地上に連れて行くことは、簡単に出来るのですから。
ボンドルドと血小板の様子を、ナナチは後ろから祈るように見ていました。
(頼むぜ血小板、死なないでくれ)
血小板の生存を願うナナチ。
幼い子供が実験に使われることに良心が痛んだとか、少し会話して情が湧いたとか、そんな慈悲深い思いがあった訳ではありません。
寧ろナナチは、血小板に対して悪感情を抱いてすらいました。
渾身の脱出計画をおじゃんにされてしまった以上、それも仕方のないことです。
では一体何故、無事を願っているのかというと——
(オイラの命綱ぶった切ってくれやがったんだ、その分働いて貰わなきゃ気が済まねぇ)
——血小板を脱出計画に利用しようと考えていたからでした。
単独での脱走が無理なら、協力者を募ればいい。
アビスから出たいという願望を持ち、かつ小柄な割に非常に高い身体能力を持つ血小板は、ナナチにとってとても都合の良い存在でした。
ナナチがお膳立てしたとはいえ、一度イドフロントを脱走した実績もあります。
これを逃す手はありません。
(オイラとミーティの未来はお前に掛かってんだ。お願いだから死んでくれるなよ)
ボンドルドが語った通り、血小板の命運はまだ完全に尽きたわけではありません。
人ではいられなくとも、ナナチの様な成れ果てとして生き残れる可能性はゼロではないのです。
そして、その僅かな可能性は、ナナチの命運の一つでもありました。
ミーティを解放する為には、何としてでもイドフロントを脱出しなければなりません。
ナナチは、血小板の小さな双肩に希望を託しました。
しかし、そんな希望はあっさりと潰えて消えることとなりました。
(おい、ウソだろ!)
血小板が入れられたのは、ナナチから見て左側のガラスケース。
忘れもしません、そこはかつてナナチの親友、ミーティが入れられた場所でした。
それはつまり、あの悪夢が再び繰り返されることを意味しています。
(血小板は、押し付けられる側……)
反対のガラスケース入っている生物は、黒い布を被せられていて中身が確認できません。
形から察するに、人ではないようです。
ですが、右側に何が入れられようが結果は変わりません。
このまま昇降機が起動すれば、呪いは余すことなく全て血小板に降りかかります。
そうなれば、アビスの呪いは血小板から何もかもを奪い去ってしまうでしょう。
少なくとも、意思の疎通はもう二度と出来なくなる筈です。
(マズい、なんとかしねーと!)
その瞬間、ナナチの瞼の裏に、あの日の光景がフラッシュバックしました。
恐怖が足を竦ませます。
絶望が心を蝕みます。
そして、ナナチは声を出すことができませんでした。
「では、始めましょうか」
ボンドルドの手が、昇降機のスイッチにかかります。
(ダメだ!間に合わない……!)
伸ばされた手は空を切りました。
そして——
ドサッ
——血小板は、まるで人形の様に力無く倒れ伏しました。
「……どうしました、血小板?」
異変に気付いたボンドルドは、スイッチから手を離し血小板の方へ振り返ります。
そして、血小板からの反応がないと分かると、急いで昇降機へと向かいました。
ガラスケースの中では、血小板が息を荒くして横たわっています。
ボンドルドは、ぐったりとした様子の血小板に話しかけました。
「血小板、聞こえますか?」
ボンドルドの声に、血小板はピクリと瞼を動かしました。
薄っすらと見える視界からボンドルドの姿を認めると、弱々しく唇を動かして言葉を紡ぎます。
その声は酷く掠れていて、聞き取るのがやっとなくらいに小さなものでした。
「からだ……うご、かな……い」
「何処か、傷みはありますか?」
「だい、じょ……うっ、うぅ……!」
「……大丈夫ではなさそうですね。
医務室へ運びます。担架を用意してください」
苦しそうに呻く血小板の姿は、とても痛々しいものでした。
その姿を見れば、誰であろうと即座に重体だと判断するでしょう。
ボンドルドは、祈手達に指示を出した後、自らの手で血小板を優しく担架に乗せました。
そして、祈手に一言二言指示を出すと、運び出される血小板に付き添って部屋を後にしました。
「はぁ……」
部屋に1人残されたナナチは、安堵の溜息を吐きました。
緊張していた体から急に力が抜けたようで、その場にヘナヘナと座り込みます。
「んなぁー、どうにか間に合ったみてぇだな」
そう呟くと、ナナチは懐から何かを取り出しました。
それは、小さな瓶でした。
中身は半透明で、薄っすらと黄味を帯びています。
ラベルには深界生物の名前と、危険物につき取り扱い注意という旨の警告文が書かれていました。
「どうせ毒を盛るならあいつに盛ってやりたかったなぁ。血小板には悪いことしちまった。
でも、これを飲んでもたかだか数日動けなくなるだけだが、あの実験をやった日にゃ、下手すりゃ2度と動けなくなっちまうし。だから勘弁してくれよな」
そう、血小板が突然倒れた原因は、ナナチが盛った毒だったのです。
そして毒を盛った理由は、当然ボンドルドの実験を妨げる為でした。
時間は、ボンドルドがナナチを見つけた所まで遡ります。
血小板で実験を行うと言われ、ナナチは舌打ちしそうになるのを堪える為に奥歯を強く噛み締めていました。
この時、ナナチは既にイドフロント脱出を血小板に手伝わせる算段を立てていたのです。
苛立ちが表に出ないよう、努めて冷静なフリをしながらボンドルドの指示を待ちます。
「私は実験の準備をしているので、ナナチは血小板を呼んできてください」
チャンスだ、ナナチはそう思いました。
この機を逃したら、もう血小板が助かる道は永遠に失われるでしょう。
去って行くボンドルドの背中を見送りながら、実験をやり過ごにはどうしたらいいか頭を捻りました。
(今から脱出しちまうか……?
いやダメだ、どう考えても下準備に最低でも10日はかかる。10日だ、10日以上血小板に手を出させない様にするにはどうすればいい?考えろ……何か、何か方法はないか……)
しかし、あのマッドサイエンティストがそう簡単に実験を止める筈はありません。
必死に思考を振り絞り、ボンドルドを止める方法を模索します。
そして、実験風景や、実験前後の会話を思い出している時、ナナチはあることに気付きました。
(そうだ……実験前には必ず健康診断をやってた。体調不良で血小板が倒れれば、実験を中止するしかないはず!)
ナナチは急いで薬品棚のある部屋へと向かいました。
そして移動しながら、実験の付き添いで得た知識から、即効性があり致死性の低い毒を脳内にリストアップします。
更に、その中でも後遺症や痕跡が残り難いものを厳選しました。
薬品棚へと辿り着くと、奥へ進み危険物の保管されている棚を物色します。
「あった!こいつならいける!」
ナナチは1つの瓶を手に取り、満足そうに独り言ちました。
その後ナナチは、ボンドルドの指示通りに血小板を呼び出すと、ただの水と偽って毒入りの水を血小板に飲ませたのでした。
「にしても、何で毒が効くのにあんなに時間がかかったんだ?分量間違えたか?」
瓶の中身を眺めながら、ナナチは呟きました。
もし血小板が普通の人間であれば、この部屋に辿り着く迄に倒れていたでしょう。
しかし、ナナチは知らないことですが、血小板は人間ではありません。
なので、毒薬を飲んだ時の症状も人間とは異なるのでした。
「健康診断もやらねーし、全くお陰で肝が冷えたぜ。まぁいいや、血小板は……ん?」
その時、ナナチの長い耳が異音を捉えました。
(あいつら戻って来たのか、もしかして聞かれたか?)
咄嗟に口を押さえ、ボンドルド達が出て行った扉を見つめるナナチ。
しかし、どうやら音の発生源は違ったようで、扉が開くことはありません。
こちらに向かって来る足音もありませんでした。
ズズッ、ズルルッ
今度はさっきよりハッキリと聞こえました。
何かが擦れるような音です。
「そこかっ!」
音の発生源が分かったナナチは、後ろを振り返ります。
視線の先には、片方が空になった昇降機。
そして、もう片方にはモゾモゾと動く黒い布がありました。
そう、音の発生源は、先程血小板が入れられていたのとは逆のガラスケースでした。
見ると、被せてあった布がずれて中身が半分飛び出しています。
それを見て、ナナチは少なからず驚きました。
「何だありゃ、何であんなもんを実験台に……?」
疑問を口にするナナチ。
布がずり落ちて、中身が完全に姿を現します。
それは、肉体の半分がひしゃげて無残な姿になった成れ果てでした。
「……グゥゥ、グゲッ」
血で赤黒く染まった成れ果て。
その頭部と思しき場所には、何故か真っ赤な帽子が被せられていました。
ここは誰かの体の中。
今日も細胞たちは、元気に働いています。
「だーかーらー、さっきから言ってるだろう!上皮付近にあって勝手な増殖してないんだったら、その内角質と一緒に破棄されるから、放置していいんだって!絶対に攻撃しないでよね、分かった!?」
ガチャン!!
受話器の向こうから聞こえてくる怒鳴り声を無視して、通話は乱暴に切られました。
通話を切った細胞は不機嫌そうに椅子に座り込むと、気分を落ち着ける為にティーカップを持って紅茶を一口啜ります。
「どうかしましたか、ヘルパーT司令」
【ヘルパーT細胞
外的侵入の知らせを受け、戦略を決める司令官。キラーT細胞に出動命令を出す。】
ヘルパーT司令と呼ばれた細胞は、呼び掛けてきた細胞の方へ顔を向けると、相好を崩して猫撫で声で語り始めました。
「それがさー、聞いてよ制御生Tさん。あの脳筋が攻撃させろ攻撃させろってうるさいんだ。せっかくのティータイムが台無しだよねぇ、まったく」
【制御性T細胞
T細胞の暴走を抑え、免疫異常を起こさないよう調整する。】
普段ならばティータイムではなく仕事中だとつっこむ所ですが、制御性T細胞にはそれよりも気になることがありました。
「攻撃ということは、外敵が侵入したんですか?」
「ああいや、どうやら傷口付近の一般細胞の姿が唐突に変質したらしい。異常事態ではあるけど、今の所害はないし、暫くは様子見かな」
「そうですか。一般細胞が突然変異……」
制御性T細胞は、不吉な予感に表情を曇らせました。
今日はここまで。
どうでもいい話
・ナナチが血小板の身体能力が高いことを知っている理由は体力テストのデータを見たから。
・ナナチが血小板がアビスを出たがっていたのを知っている理由は本人に聞いたから。
・ボ卿が健康診断をやらなかったのは血小板の健康状態を判断出来ないから。
・ラストのは何も考えずに適当にぶち込んた、あまり気にしないでok
・階段から転げ落ちてからずっと首が痛い。
血小板が遭遇した酷い目一覧
・アビスに放り出される
・ボンドルドと遭遇してしまう
・成れ果てに襲われトラウマになる
・解剖されかける
・実験材料にされかける←new!!
・毒を盛られる←new!!
誠に申し訳ありません。