世界は腐敗に満ちていた。
足の踏み場もないほどのコープスたちであふれている。どのコープスも中央にあるどろりとした球体めがけて行進し続けている。巨大な水たまりのような、泥のような、強烈な刺激臭がする黒いものが蠢いていた。鳥肌が立つのは当然のこと、アサヒは大きく後ろに下がる。悲鳴はナナシの手に遮られ、我に返ったことで居場所を知らせるフレンドリーファイアは免れた。ありがとナナシとアサヒは申し訳なさそうに肩をすくめる。ナナシはいつものことだと流した。
無数の蠢く死体の塊。不気味なうめき声。状態異常に備えて呪文を唱えるチロンヌプの愛らしい鳴き声を合図に、ゾンビの弱点と相場が決まっている火炎攻撃がもたらされた。ある者は銃で、ある者は魔法で、ある者は斬激で。あまりに多くのコープスたちである。広範囲魔法を使われたらその威力はどれだけ重ねがけされることか。精神を集中させていたナナシにアサヒがエールを送る。幼なじみの応援ににやりと年相応な笑みを浮かべた。
足りないマグネタイトは流した血の分だけ供給されたダグザのマグネタイトで補う。超特大の異界魔法がコープスたちをおそった。
「さっすがリーダー!やるじゃん!オレも負けてらんないな!」
目に見えて蒸発したコープスたち。パーティの志気は上昇する。ふたたび大砲のような広域魔法のために準備する体制に入ったナナシの邪魔をすまいと、彼らは思い思いの攻撃方法で戦果を稼ぐ。
コープスの目撃情報が多発していた。特定悪魔の大量発生は異変の兆候だとご指名である。依頼主が阿修羅会の時点で知らなかったハレルヤはきょとんとしていた。ボスのオレが知らないってどういうことだと一悶着あったのは別の話、あるべき手段で跡を継がなかった若き2代目の苦難は続く。
閑話休題。
困ったことに目撃情報は地下である。コープスそのものは呪殺魔法に気をつければ問題はない。さほど驚異の悪魔ではない。しかし数が尋常ではないのだ。焼いても焼いても減らない悪魔。さすがにナナシほどの威力は望めない彼らでも、数を積み上げればそれなりに目減りする。
最期の遺体を焼き払い、ようやくコープスの群は消滅した。
お疲れさま、とアサヒがナナシにチャクラドロップを渡す。いいかげん飽きてきたお馴染みのあめ玉を砕き、ナナシは息を吐いた。オレもほしいとよってきたハレルヤの分はチロンヌプが諸共強奪してしまう。おいこらチロ、と逃げまどう唯一の仲魔を追いかけ始めたハレルヤを笑っていたノゾミはスマホをみる。トキはノゾミを見上げた。
「また逃げられた・・・」
「そーね、コープス多すぎて近づけないもの、仕方ないわよ」
「で?あの球体はなんだったんだ?まだわかってないのか?」
「調査中ですって」
「シェーシャの時はすぐ判明したのに今回はずいぶんと遅いじゃないか。また発生地が送られてくるのか?きりがないな」
これで数日をまたぐ任務である。さすがにガストンもうんざりと言った様子でグンニグルによりかかる。ナナシ以外マツダの存在が忘れ去られた彼らは、シェーシャの討伐の功績が商会本部の技術力だと刷り込まれている。そんなオーバーテクノロジーがあるわけもなく、コープスを呼び寄せる謎の黒い球体をたたく任務はまだまだ続きそうだ。
ようやくチャクラドロップにありつけたハレルヤは、大きく息を吐いた。
「なあ、リーダー。ぶっきみだよな、あの丸い奴」
たしかに不気味である。クリシュナを封印したあの球体ではないが、浮遊しながら静止し、こちらになにもしてこない。攻撃しても手応えがない。特定の攻撃以外は吸収するらしい。しかもターンごとにランダム。弱点アナライズが機能しないせいで破壊前に逃げられてしまう。コープスを呼び、なにをするでもなく中央に鎮座するのは非常に不気味だ。ナナシが告げるとそれもあるけど、とハレルヤはいう。
「なんかドクドクいってるだろ、あれ。近づくとどんどんおっきくなるのがなんかこえーと思わねえ?」
世界の繭の心臓部を思い出す、とハレルヤは顔をしかめた。鼓動だ。脈打つ鼓動だ。あの球体の中に何かいる。それだけは確かだからより不気味でたまらない。そう告げるハレルヤはふと周囲の視線が集中していることに気づいた。
「え、なんだよ、お前等」
「心臓の音?なに言ってるんだ、コープスどものうめきしか聞こえないだろ」
「同感だ」
「ちょ、それほんとなの、ハレルヤ?私、そんな音聞こえないよ?」
「あ、人間には聞こえないとか?」
「いいえ?アタシも聞こえないけど」
「幽霊にもな!」
「えっ、えっ、なんだよそれ!?余計に怖いじゃねーか!なあなあ、リーダー!リーダーは聞こえるよな!?な!?」
ナナシはうなずいた。えーうそ、とアサヒは驚く。みんな似たような反応だ。幻聴ではないとわかって安心したのかハレルヤはうれしそうだ。しかしナナシの表情は硬い。休憩を宣言したナナシに従い、パーティはばらける。ナナシはハレルヤを呼んだ。
「どーしたんだよ、そんな顔して?」
「ハレルヤ、ひとつ聞いていいか?」
「ん?なんだよ、改まって」
「ハレルヤが阿修羅会に入ったきっかけ、もう一度教えてもらっていいか?」
しばらくの沈黙あと、あー、とつぶやいたハレルヤは頬をかいた。
「べつにいいけど?まじでどうしたんだよ、リーダー?」
「いいから話せ。そしたら決める」
「なんだよそれ。ま、いいけどさ、もう公然の秘密だし」
ハレルヤは不思議そうに語る。堕天使の父親と人間の母親の間に生まれた半人半魔だ。その秘密を物心つく頃から教えられ、決して明かすなと言われた。ばれたら想像を絶する迫害が待っている。女手一つで育てた母親はある日ハレルヤを残して蒸発した。極貧生活だったから、常に飢えとの戦いだった。阿修羅会のタヤマに(おそらく赤玉製造機として)拾われ、デビルチルドレンだったから犠牲にはならなかったが、構成員になった。目立たないように生きてきた。なんで知ってること話さないといけないのか、ハレルヤは疑問を投げた。
ナナシはハレルヤをみる。ハレルヤはたじろいだ。この目は一度見たことがある。三竦みだったヤマトでフリンの声に呼応して特攻する人たちを止めようとして石を投げられた時に見た目だ。苛烈な色を宿していながら驚くほど感情が凪いでいる。ものすごく怖い目だ。真実だけを容赦なく見通している。
「喉、乾かないか。最近」
「は?え、なんで?」
「いいから」
「あー、うん、まあ?月に1度、くらい?無性にのどが渇くときはあるけど。やっぱ悪魔の力を解放する回数増えたから、疲れてんじゃね?我慢したらなんとかなるよ」
ナナシは目を細めた。スマホで何かを確認する。
「もし任務が夜まで長引いたら帰れ」
「えっ、なんでだよ、リ」
「静かにしろ、聞かれたら困る」
「お、おう、ごめん?」
ナナシは声を落とした。
「最初に言っとく。あれはコープスじゃない」
「は?え、まじで?」
「よく似てるが違う。あれはスライムだ。種族としてのスライムじゃない。マグネタイトが足りなくて実体化できなくなった悪魔のなれの果てなんだ」
「まじか。え、でもなんで隠してるんだよ?」
「あのスライムは今の東京にはいちゃいけない悪魔なんだ。今の東京は実体化できなくなるなんてまずない」
「なんか原因があるってことか?」
ナナシはうなずいた。
「もしかして、あれが原因、とか?」
「ああ。あれはマグネタイトを吸収してる。あいつらは引き寄せられてるんじゃない。枯渇したマグネタイトを回収しようと寄り集まってるんだ」
「え、え、じゃあ、あの中にはそのマグ、なんとかってやつがたくさんあるってことだよな?やばくね?」
「だから帰れって言ってるんだ」
「なんでそうなるんだよ?」
「お前が悪魔の力を使えるからだよ。今まで経験したことない飢餓に耐えられるのか?」
「・・・・・・ああ、そういう」
「そういうことだから、」
「やだね」
「おい、ハレルヤ」
「心配すんなって、リーダー。やばくなったら逃げるからさ」
しばらくの押し問答の末、無理矢理押し切ったハレルヤはクエストを続投した。実際にその飢餓を経験したとき、幼少期に似たような感覚があったことを思い出すのはここで確定したのである。シェーシャの大穴により月の概念が復活した東京では、満月になるたびに悪魔が高揚して我を忘れることなど閉鎖空間東京育ちのハレルヤは知るわけがないのだ。
「・・・・・・マグネタイト貪るのもいいかげんにしろ、バカ野郎」
「りー、だ、っ!?」
緑の光がこぼれ落ちる。離れろ、と殴られ、あわてて距離をとる。ナナシは痛みに顔をゆがめながら、無理矢理広範囲魔法を発動した。球体はとどめの一撃により砕け散る。生まれ落ちるはずだった何かは、怒りにまかせたナナシの煉獄によって塵も残さず焼き払われた。口の中に残る鉄の味。拭っても拭ってもとれない鉄の香り。むせかえるような鉄のにおい。ハレルヤはそれを知っている。脳裏をよぎる強烈な頭痛のあと、ハレルヤは意識を手放した。伸ばされた手にかみついた痕が残っていたのが最後の記憶だ。