フリンは走っていた。堕天使の王と神の戦車となったかつての友を屠るため、彼は力を必要としていた。東京の民から希望をかき集めるために奔走した。決戦への覚悟を固め、力を貸してくれる者の前に行くため、銀座に赴いた矢先の強襲である。
誘い込まれた場所が場所である。想定外の事態に動揺が隠しきれないが、最悪なことに正体不明の敵にとっては最高の戦場らしい。乱入した第三勢力なんて初戦から難敵をぶつけてくれる。こんなところで手の内を明かすのは避けたいが、考慮することが多すぎる。
ため息を飲み込んだ瞬間、鼓膜を震わせる轟音が響いた。即座に距離を詰めると、なにかが破裂する音がした。一種の安堵と危機感がよぎる。膨大なエネルギー体はいかようにも姿を変える。どれも厄介な術式だ。体の自由を拘束する特性ばかりが目立つ。フリンの護衛のハンターたちは次々離脱し、そこに打ち込まれる特大の雷撃。人の焼ける不快な匂いがただよっている。どれだけの人間を屠ってきたのか、わかったものではない。背後にあった気配が消えた。事変を悟ったフリンは視線を走らせる。どこにいった。
『やあ、フリン』
ぞわりと悪寒が走る。勢いよく振り返ると、そこには褐色の青年がいた。かなり距離をとっていたはずだが、彼がフリンの場所を看破するのははやかった。フリンは悪魔を呼び出し銃弾を連射させるが、奇妙な曼荼羅が浮かび上がり強固にされた黄金色の輝きに防がれてしまう。被弾した形跡もない。フリンは追尾してくる雷撃を叩き落とす。ド派手な音を立てて砕け散る高層ビル。貫通した衝撃は想像に難くない。期待はしていなかったが、生かして帰す気はないらしい。撤退が叶うなら今すぐにでもここから撤退したかったが、彼は許してくれないだろう。
それでもフリンは走るしかない。
進行方向に現れたのは曼荼羅の障壁だ。衝突する寸前で方向転換し、悪魔にまたがり体を翻す。そして悪魔の力を宿したマサカドの太刀の斬撃が炸裂した。しかし、曼荼羅の向こうの彼を傷つけるには至らない。純然たる悪意は、邪悪さを持たない。光は邪悪に侵された者にしか絶大な効果を及ぼさない。堕天使でも天使でもない以上、純粋なダメージしか与えられない。予想をはるかに超える速さで接近し、フリンの武装の合間を縫って、切断しようとする。フリンは伝家の宝刀を抜いた。どうにかかわすことができた。倦怠感に襲われながら嫌な汗が伝っていく。連発は出来ない。他の仲間に連絡を取りたいが、その猶予すら彼は与える気はないのだろう。連絡で来たところで無意味だ。展開する結界が重厚になっている。
『鬼ごっこは終わりかい?』
フリンは全速力で駆けた。大量の黄金色の閃光が舞う。それに追従する形で彼は追いかけてきた。それを確認したフリンは辺りに自然の力を宿した球をばら撒いた。爆発音がして、閃光が走り、辺り一面が氷結と化す。すぐに身を隠し、悪魔の力を借りて直下から太刀を振り下ろした。鈍い音が響く。悪魔は暴風でフリンに迫る彼に一撃を叩き込む。産み落とされた風は曼荼羅を前に散開した。近くの屋上に着地し、体制を整えたフリンは呪詛をばらまく。爆発的に四散した光。曼荼羅が解けた。不愉快で耳障りな音が舞い、鮮血が辺りに散る。できるならそのまま絶命させたかったが、そこまでぜいたくは言えない。これでフリンの攻撃に全力で防衛してくれるはずだ、ここから距離をとって、形勢を立て直せばあるいは。
微かに聞こえた声は、何かを発動させる。生存本能が悲鳴をあげている。フリンが避けられたのは、ほぼ反射的だった。周囲にあるものが粉みじんになる。自らの存在を貶めたかの神への憎悪は、フリンの考える以上に強大だった。復讐心を滾らせた一撃が過ぎ去った周囲が瓦礫と化す。冷静さを失いながらも、精細さを欠きながらも、フリンは太刀を振るう。物言わぬ骸になるのは、友たちをこの手で屠ってからだ。許されざる蛮行だけは阻止しなければならない。ここで終わるわけにはいかない。
『どうしたんだい、フリン。もう終わりかい?』
クリシュナは防御などしなかった。躊躇せずフリンの目前まで踏み込み、その大剣を受け止めた。じわりと血がにじむ。目が細められる。積み重なった瓦礫から現れた黄金色の閃光がフリンを貫いた。フリンは吹き飛ばされて滑落する。
『なぜって顔をしてるね、フリン』
「何が目的なんだ」
彼は愉快に口元を釣り上げる。
『目的?そんなもの、君が一番わかってるはずさ』
焦点が合わない。完全に感覚がやられている。嬉々としてこちらを見下ろす緑は、フリンが今まで一度も見たことががない狂気に満ちている。身を焦がすほどの激情を滾らせながら彼はフリンに笑いかけた。四散したはずの部位が回復していくのを目撃する。そこまでの絶望をみせられて、フリンは眉をよせた。
『さあ、起動してみるといい。それが君の答えだ、フリン』
銀座の交差点だった。見上げるほどの岩が鎮座している。その上には影がおちて表情が見えない彼の姿がある。荒れ狂っていた殺気など、想像すらできない穏やかさを纏っていた。
フリンは太刀を手にする。汗がつたう。震える手が太刀をにぎる。
あたりを静寂が支配した。
マサカド公の声が聞こえない。
フリンは動揺のあまり顔がひきつる。
恐怖が先立つ。あってはならない事態だった。
彼の高笑いが聞こえる。
『救世主になる覚悟が足りないんだよ、君には』
刹那の後悔は幾度もあったが、それ以上に覚悟は決めていたし、殉じる決意はたしかに本物だったはずだ。でもマサカド公の声が聞こえない事実がフリンの心を侵食する。脳天からの雷撃が辺りを焼いた。
遠くで錦糸町で出会った少女と少年の声、そしてたったひとりの同郷の少女の悲鳴がする。フリンは意識を手放した。