世界は漠然とした痛みに満ちていた。
「待って、止まって、フツオ」
彼女は、突然そう叫ぶ。東京に核兵器が墜ちる、30秒を切っている。なにしてんだよ、とワルオが苛立ったようにどなる。死にたいのか、と焦りが先行するあまり、言葉尻はさらに鋭い。いつもはたしなめるヨシオもさすがに彼女を咎める。
「なにを言っているんだ、はやく逃げよう」
転がり落ちるように階段を駆け下りていたフツオは、ぐいぐいと押し戻し、手をふりほどこうとする彼女の手をきつく握りしめた。彼女はぶんぶん首をふる。今にも泣きそうな顔で、お願いだから止まって、と彼女は何度も繰り返す。フツオは無理矢理立ち止まろうとする彼女に引っ張られる形でアメリカ大使館の廊下で止まった。ワルオたちはフツオと彼女を放っておけず、戻ってくる。すれ違うスタッフは、不思議そうに見つめている。仲間にすらトールマンは核兵器のことを話していない事実に愕然とするしかない。
「このままでは二人とも死んでしまうわ。せめて、あなた達だけでも生き延びて!」
そう切り捨てて、言葉をきる。彼女の言葉にフツオは目を丸くした。その意味をさとり、ヨシオたちの血の気がひく。なかでも顔面蒼白なのはフツオだ。一瞬呼吸を忘れた。それだけ衝撃だったのだ。ふざけるな、そう思った。これは怒りだ。ここまで少女に強烈な殺意を抱きかねないほど、怒り狂っているのは、この現状をどうすることもできない自分への無力さ。理不尽さにあらがう力をもつ彼女に対する劣等感や嫉妬。さまざまな要因が一気に爆発した、そんなどうしようもない感情の爆発だった。
ワルオ達はなにもいえず、双方を見つめている。すべてが崩壊する、足下もろとも崩れ落ちるような、奈落の底に突き落とされたような感覚が走る。それは絶望だった。誰よりも守りたいと願った少女が、手をふりほどき、祈るように胸に手を当てるのを目に、フツオはあわてて彼女にやめろと叫ぶ。勢いに任せた言葉だけが先走る。今までフツオが押し殺してきた感情があふれる。
誰よりも彼女の隣にいたい。誰よりも信頼されて、誰よりもみていたい。親友であり、相棒であり、愛する人でありたい。レジスタンスの誰もがほしがった、でもできなかったその場所にいられることが何よりも幸福だった。そんな彼女に言われたくなかった。それだけは聞きたくなかったのに。
フツオは完全に我を忘れていた。未だかつてないほどの激情に任せた、支離滅裂な叫びだった。フツオは英雄にも救世主にもなった覚えはない。なるつもりもない。ただ彼女とともにあれるなら。憤りをにじませた言葉を聞いて、彼女は無責任なことをするけど許してほしいとはいわないと笑った。
「ふざけるな」
それはエゴだとあざけることができれば、どれだけ楽だろうか。君は最低だとせせら笑えたら、どんなに愉快だろうか。でも、そんなこと、世界がひっくり返ったって、できるわけがないのだ。もうほどんど嗚咽混じりの泣き声である。なんとか絞り出す言葉は精一杯だった。
「君は今どんな顔をしてるかわかるか?泣いてるじゃないか」
「でも、時間がないわ」
彼女からとほうもないマグネタイトの光が迸る。あまりの輝きにフツオは目を細めた。瞼の裏に残像が残る。フツオは彼女の名前を呼んだ。手を伸ばしたが、届かない。
彼女がなにをしようとしているのかはわからない。でも、これが永遠の別れだとフツオは悟った。ちくしょう、とフツオは叫ぶ。フツオにガイア教の討伐を依頼してきたアメリカ大使のトールマンは、魔神トールの転生体だった。ガイア教の統帥であるゴトウに手をかける寸前、天使勢力の目的が黙示録の再現という途方もない陰謀だと聞かされた。その真意を訪ねて再びアメリカ大使館を訪れたフツオたちを待っていたのは、ICBMの発射というトールの最期の悪足掻きだった。
「さよなら、フツオ」
彼女は自らの命と引き替えに、瞬間転移の魔法を唱えた。フツオの視界は黄金色の螺旋に包まれた。
199X年10月某日、悪魔に制圧された東京に向けて、A国からICBMが打ち込まれ、それが合図となり世界中で核戦争がはじまった。のちに大破壊と呼ばれることになる核ミサイルの雨により、世界各国の主要都市は崩壊。その影響による急激な気象の変化はかつての人口を20%にまで減らし、かつての大都市の面影は忘れ去られることになる。旧都市部において生き残ったのは予知していた一部の組織、シェルターに逃げられた人々のみ。シェルター以外はすべて、悪魔が闊歩する世紀末と化した。
一番被害が大きかったのは、やはり東京である。国会議事堂めがけて落とされたICBMははるか上空で爆発、太陽の表面と同じ高熱で地下鉄はもちろん周辺はすべて焼き払われ、巨大なクレーターだけが残された。屋外にいた人々は即死、屋内にいた人々も放射能と爆風に晒され為すすべがなかった。爆心地付近では、人々が蒸発した。地下室やシェルターに逃げ込めた幸運な人々、地下街を歩いていた、あるいは地下鉄に乗っていた人々は助かったが、悪魔が侵入する事件も相次いだため、放射能が残る地上を歩くしかないという悲劇もあった。東京の持つ首都機能は完全に崩壊した。
核兵器の高熱や爆撃は悪魔をも飲み込んだ。炎に強いはずの悪魔でさえ、核兵器の持つ強烈な磁気嵐により形成していた生体磁気の性質をもつマグネタイトが化学反応を起こして周囲に四散。その影響で肉体を保てなくなるまで一気に枯渇してしまう。マグネタイトの枯渇はスライム化を引き起こし、待っているのは崩壊だ。魔界に逃げ込めさえすれば安全だと確信するのは当然で、東京と魔界をつなぐゲートを求めて、東京中の悪魔が防衛省地下にあるヤマトに殺到、護衛していた悪魔討伐隊は多くの人間が命を落とすことになる。核の嵐が収まると、東京中に広がった死のオーラにひかれ、魔人をはじめとした多くの強力な悪魔がふたたびヤマトからあふれ出すことになる。大破壊を生き延びた人々は、戻ってきた悪魔の犠牲になってしまったのである。
そして、悪魔の中でも高位な存在は、東京のいたるところ、特に竜脈が走っていたり、古くからの霊地を居城にして、勝手に統括し始めたのだった。
日本に墜ちたICBMはひとつではない。予告なく行われた戦争の火種は拭われていき、記録さえ残っていないがそれだけは事実だ。米軍基地などが破壊され、日本中の霊地が活性化した。各地で地震が相次ぎ、火山活動が活発になり、壊滅的な被害を免れて政府機能を代行していた関西区と旧都市である関東区は完全に分断されてしまう。東京は復興のめどが立たないとして、放置されることになったのだった。核爆発と火山活動により巻き上がった大量の粉塵が太陽の光を遮り、核の冬が到来。気温が急激に下がり、雪の結晶が肥大化、この年はすさまじい大雪となった。その結果、関西区も悪魔との争いや連日の大災害に疲弊し、自分たちが生き残ることに精一杯となる。黒い雪に埋もれた東京に救いの手をさしのべる者はいなかった。
絶望する東京の人々に救いの手をさしのべたのが、奇跡的に助かった組織の一つがメシア教である。東京崩壊前は、唯一神の奇跡を謳い、黙示録の到来を警告する様はキリスト教系の新興宗教としておもしろおかしく取り上げられることが多かった。時代錯誤な非常に排他的な要素が強い思想だったからである。しかし、神の啓示により黙示録の到来に備えており、伝承に知られた天使の加護により教会に悪魔が入ってこられない事実は被災者であり悪魔の搾取される側になり果てた人々にとって理想郷だった。「聖職者」の集まりであり、人々を惑わす悪魔やそれに荷担する邪教の信者と戦うことが彼らの使命だった。弱者を救済することに見返りを求めないのがルールであり、悪魔を撃退してくれる彼らはとても頼りになる存在だったに違いない。率先して被災者の救済や支援に回ったため、生存者の心の支えになった。しかし、それがマッチポンプであることを知っていた組織がある。ガイア教である。これは様々な新興宗教の団体が連合を組んでいるが、活動するために法人格を獲得した際につけた名称だ。勢力を拡大するメシア教に対抗して作られた組織だが、実際は共通の目的にあつまった緩やかな同盟でしかない。どこの宗教なのかはそれぞれの団体による。なかでもガイアーズ教団は武装闘争を信条とする急進派であり、若い教徒は怒りにまかせて悪魔とともにメシア教会を襲撃。度重なる暴挙に、しだいに怒りを露わにした被災者達は入信する者、あるいは武装して自衛を申し出る者が増えていく。メシア教も天使の加護だけでなく武装ようになっていった。メシア教を頼っていた被災者の怒りを買ったガイア教は邪教として追われることになってしまう。
そんな世界となり果てた20年後の東京をまだ彼らは知らない。
東京は、世界はこうしてひとつの時代を終えた。核兵器が東京に直撃し、暴風と轟音に巻かれて死ぬはずだったワルオとヨシオは、気づけば金剛神界という時空を越えた先にある異世界に倒れていた。この世界の主だという役小角という男の頼みを聞けば元の世界に帰してくれると聞いた二人は、フツオの仲魔たちを回収しながらフツオを探した。だが、どこにもいない。彼女が決死の想いで紡いだ彼の生を、無情にも摘み取ろうとした者がいたからである。
フツオだけが東京に取り残され、肉体を失ってしまったのだ。思念体となったまま消えゆく寸前で《理》をねじ曲げられ、別の宇宙に存在する金剛神界に転送されたのである。
「ここは、どこだ?」
幾度も夢に見た世界だ。真っ白な思念体の状態のフツオに、語りかけるのは同じ真っ白なマネキン状態のヨシオでもワルオでも彼女でもない。でもフツオは知っている。
「あんたは、スティーブンさん」
「や、久しぶりだね」
「あんたがここにいるってことは、ここはターミナル?」
「残念ながら違うよ、フツオくん」
スティーブンは笑った。フツオはこの男の本名をしらない。スティーブンは、DDSネットというの掲示板の管理人であるこの男のハンドルネームだからだ。そこはパソコンが大好きな人たちが集まりコミュニティを形成している場所であり、連日連夜様々なゲームやソフトが公開され、活発な活動が行われる土壌が形成されていた。199X年に自分でハンドベルトの小型コンピュータが自作でつくれる高校生のフツオも、もちろんその掲示板の常連だった。忘れもしない10月某日、スティーブンからデビル・バスターというゲームが公開されたことが、今のフツオをデビルサマナーたらしめている。高校生の友人が作ったプログラムだというそれをブラッシュアップし、より洗練されたゲームにしようと言う呼びかけに、フツオ達は色めき立った。そして完成したDDS。意味深なコメントとともに常連の掲示板の管理人からメールで送られてきたとなれば、自慢のパソコンに入れて遊びたくなるのがマニアというものだ。ただのゲームだと思ってやりこんでいたプログラムが、東京を跋扈する悪魔の解析や交渉という驚異的な威力を発揮するだなんて誰が思う。
「ターミナルじゃない?じゃあ、魔界?」
「似たようなものだが似て非なる」
フツオは疑問をとばす。
スティーブンが井の頭公園近くにあった、防衛庁の外郭団体である量子物理学研究所のスタッフであり、瞬間転送装置というオーバーテクノロジーの開発に関わっていたのは本人から聞いていた。物質を電子情報に置き換え、瞬間的に移動させる画期的なシステムの開発者は、悪魔召還プログラムの生みの親だ。本人曰く行方不明になったある高校生のプログラムを拝借しただけらしいが。ついでに、ターミナルが謎の暴走を起こし、ありえない座標と転移ルートを開き、存在しないはずの虚数の座標から悪魔が転移してきたのがすべての始まりだということも知っている。悪魔との邂逅によるトラブルで車いすになったことも。いうなればターミナルが現実世界と魔界をつなげてしまったことがすべての始まりだった。本来なら即座に中止になるはずだったターミナル計画は、スティーブンの上司だったゴトウが継続を宣言したことで続行されてしまった。このままでは悪魔が世界にあふれかえり、すべてが終わってしまう。そう悟ったスティーブンは悪魔召還プログラムを完成させ、ターミナルの技術を外に流出させたはいいが、彼ができたのはここまでだった。言葉こそ濁しているが、ガイア教の息がかかった病院に幽閉されていたスティーブンを助けたフツオはなんとなくその末路を悟っていた。
「ここは金剛神界だ」
「こんご、?」
「異世界と言った方がいいだろうか。すまないね、私はこれ以上の干渉は許されていないのだ、フツオくん」
「僕は、死んだのか?あの世はずいぶん殺風景なんだな」
「《志半ばで力つきし者よ、これより先は、魂が還るところ。恐れることはない》フツオくん、幾度も臨死体験をしてきた君は、今回この言葉を聞いたかい?」
「いや、聞いてない」
「つまりはそういうことだ。本来君があるべき場所に還れるなら、私はなにもしなかった。それすら絶たれた。これはあるまじきことだ。偽りの神でありながら《理》への冒涜だ。だから私は君をここに呼んだ」
「ヨシオやワルオは?それに彼女は?」
「それは私が説明すべきことではない。君の目で確かめるべきことだ。違うかい?君があるべき姿を取り戻したらすぐにでも帰してあげよう」
「僕はなにをすればいい」
「君はまずゆっくりと休むことだ。お休み、フツオくん」
「わかった」
フツオの魂は眠りについた。
そして、フツオは目を覚ます。なにか、衝撃が走った気がしたのだ。飛び起きるとスティーブンがいた。驚かせただろうか、すまないね、と彼はいつものように食えない笑みをたたえて笑っている。
「これで準備は整った。君が肉体を取り戻すには、協力者が必要だ。彼の承認は得ている。安心していい」
「僕はなにをすればいい?」
「君はこれから夢を見るだろう。そして目覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている。君はとまどい迷うだろうが、道は自分で切り開くしかない。なにが正しく、なにが正しくないのか。決めるのは自分の意志だ」
スティーブンはひとりつぶやく。誰かの転生体だという自覚はあるが、今の自分の記憶がない。それが今のスティーブンの原始の記憶だ。父を亡くし途方に暮れていた幼い男の子に、シベリアンハスキーの子犬を渡したかつての自分を思い起こし、スティーブンは瞑想を始める。
「君を待ち受けるのは光の元に選ばれし民の法と秩序か、力を頼る者共が相争う混沌か。君の天秤に二つを乗せて、こぼれ落ちないように歩むか。それは君が決めることだ」
スティーブンの前に扉が現れる。
「さあ行くんだ、フツオ君。そこでナナシという少年を訪ねるといい」