死神イシュタム。マヤ神話の自殺の女神である。首にロープを巻き付けてぶら下がる首吊り死体の姿で現れる彼女が好むのは、自殺した者、戦死した者、生け贄、神官。両目は閉じられ、顔は腐り始めているが、導きに応じた者はあらゆる苦しみから解放されて暮らすことが約束されているという。
その死神が閉鎖空間東京のあるシェルターに拠点を置いてから、もう25年が経過していた。頻繁に目撃されるようになってから、もう長いことたっている。25年も続く悪魔同士の対立や人間同士の覇権争いに疲弊しきった人々に呼応して呼び寄せられたのではないか、と言われているが定かではない。
甘美な死の言葉に誘われた数え切れない人々の命を奪っていき、その結果が集団自殺である。いや、ある意味無差別の殺戮と言った方がいいのかもしれない。生存者がいない今、当時のことは闇の中だ。人々の営みが忘れ去られたシェルターは、備蓄も十分確保されたまま時が流れた。
天使と悪魔の全面戦争を間近に控え、避難シェルターの確保に追われるハンターの例に漏れず、ナナシに依頼されたのはそんな曰く付きのシェルターだった。貴重な食料源である悪魔はもちろん植物まで確保できなければ、いずれ人は飢えて死ぬ。現況であるイシュタムを掃討しなくてはいけない。
送られてきたデータを入力する。ナナシたちは未踏の地であるターミナルに転送された。転送完了の電子音が聞こえる。ナナシたちが立て付けの悪い扉を開くと、真正面には機械が鎮座していた。悪魔の姿は見えない。
低いコンピュータの唸る音が響いている。静寂が支配する薄暗いこの空間ではやけに響いた。あたりを警戒しながら、電源を探る。ターミナルにほど近いところにスイッチがあった。あたりが一様に明るくなる。コンピュータの前には大きなモニタが設置され、電源が復旧したことでスイッチが入ったらしい。砂嵐のあと、ノイズ混じりの映像が流れ始めた。引き寄せられるようにナナシは前に経つ。
それはニュースや新聞、今は無きマスメディアの情報を乱雑にまとめた映像だった。
2010年頃から奇怪な事件が立て続けに起こり、猟奇的な殺人事件が多発し、行方不明者が急増する。不穏な、オカルト的な噂が流布しはじめる。震度5以上の大きな揺れがありながら震源地が特定できない奇妙な地震が東京を中心に頻発した。吉祥寺は謎の大災害に巻き込まれ、政府は戒厳令を発動、自衛隊によって封鎖されてしまう。地震はやまない。交通機関は寸断され復旧のめどが立たず、避難命令が出たが輸送手段のめどが立たないのか連絡がない。混乱した人々はSNSや掲示板で情報を求めた。しかし、信憑性ある情報は真っ先に死に、根拠のない無作為な言葉に埋め尽くされていく。そのうち、DSC、通称悪魔召還プログラムと呼ばれるアプリとANS、通称悪魔分析プログラムというアプリが勝手にスマホや携帯、ノートパソコンにダウンロードされる事件が相次ぐ。そして、某国から発射された核攻撃、それを防ぐように覆い尽くされる岩盤の動画が降り注ぐがれきに埋められたところで映像は終わっていた。
「なにこれ、なんだか怖いね」
「ずいぶんと古い映像が残ってたものね。まさか当時の映像が見れるなんて思わなかったわ」
「なんかこえーな」
「そうだね。今は岩盤って邪魔でしかないけど、あのときはそうじゃなかったのかな」
ナナシは沈黙したまま、静かに愛刀に手をかける。
「どうしたの、ナナシ」
「さがってろ、アサヒ。新手だ」
ナナシの視線の先には黒い死神がいた。いつの間にか消えたモニタ。その中から現れたのは討伐依頼がでているイシュタムで間違いないだろう。
「貴方たちもこの世界の苦難から逃れたいのね、かわいそうな人の子よ。死は誰にでも平等にやってくる。さあ、手を取りなさい。いきましょう、無の世界へ」
妖艶にほほえむ死神の声が響きわたる。イシュタムが手をかざすと、その先に魔法陣が形成され、チェルノボグ、ピュートーン、ラクシャーサが召還された。
「勝手に決めつけんじゃねーよ。オレの人生がどうかなんてオレが決めるんだよ。てめーに決められてたまるか」
ナナシの返事は即答だった。たった1年しか学べなかった師匠の遺言が今のナナシを形作っている。
何事も最後まで諦めるな。決して諦めなければ、いつか希望が見える。そして、希望は決して人を見捨てない。
今は亡き戦友からの言葉だと聞いていた。いつかナナシに託したいとも言っていた。その理由を知ることは永遠にないが、それでも構わない。
「オレは諦めが悪いんだよ。少なくても、お前の手を取った奴よりはずっとな。だからここで死ね。今日からここは錦糸町の奴らの避難所だ」
すさまじい閃光が炸裂する。閃光弾にも似た特大魔法の洗礼を皮切りに、ナナシたちの死神狩り、掃討作戦は始まった。
イシュタムたちの討伐には半日を要した。
最後の1体を撃破し、遺物を回収したナナシたちは錦糸町の人外ハンター商会に帰還する。任務を終えた証として、スマホの写真を提出すると、提示された通りの報酬と貴重な能力アップのお香が支給された。
翌日、同じ依頼がナナシのスマホにやってくる。どうやら取り残しがいたらしい。あらかた掃討したはずなのだが、珍しいこともあるものだ。召集に応じてくれた仲間たちを首を傾げながらも、もう一度シェルター内に再侵入する。イシュタムは平然とした様子でナナシたちの前に立ちふさがる。どうやら同じ個体のようで、ナナシに聖なる光でなぶられた憎悪から真っ先に攻撃してきた。少々苦戦しながらもなんとか撃破し、出現場所とおぼしきコンピュータやディスプレイを丁寧に破壊し、ふたたびナナシたちは帰還する。報酬はやや減少したが、復活したイシュタムのデータを提出した分が補填され、全体的には黒字になった。
さらに翌日。
今度こそ、別のクエストを受注しようと試みたナナシだったが、飛び込んできたのは再々調査の依頼である。3度目ともなれば嫌な予感しかしない。案の定、イシュタムが復活したという悲報である。埒があかない。これは一度相談した方がよさそうだ。ナナシはみんなを召集した。さすがに3回も同じ任務が続くとうんざりといった様子の面々だが、イシュタムの討伐が先である。
すっかりなれてしまった討伐のルーチンをこなし、ナナシはあたりを見渡した。
「やっぱりどこか別の場所から転送されてるのかしら?」
「でも回線は見あたんないぜ?」
「魔法の遺物はわからん。お前たちに任せる。オレは見張りでもしてるから、何かわかったら呼べ」
「ああ、わかった。よろしく」
「いわれなくても」
「回線はすべて切断したはずだ。転送は考えられない」
「そうだよねえ。うーん、でも私パソコンに詳しくないしなあ。どう思う?ナナシ」
投げられた質問に、ナナシはぺたぺたと冷たい機械をさわりながら、考えているから静かにしてくれと告げた。うん、とうなずいたアサヒはあたりを見渡す。
『なにを悩んでいる、小僧。よく考えろ。ターミナルはそもそも魔界からエネルギーを供給しているんだぞ。壊したものはもはや選択肢には入らないはずだ』
「それはわかってる」
ナナシは上を見上げる。煌々と電灯があたりを照らしていた。
「アサヒ」
「なに?」
「伏せてろ」
「え?って、きゃあっ!?」
おもむろにガラクタを投げつけたことで、火花が散る。ガラスの砕け散る音がして、あたりは一瞬で真っ暗になった。
「ちょ、おい、リーダー、なにしてんだよ!?」
「うるさい、ハレルヤ。静かにしてくれ」
「でも・・・・」
「いいから」
悲鳴をあげそうになって、口をふさがれていたアサヒは、ばしばし手をたたく。赤らむ顔は見えていないだろうが、恥ずかしいものは恥ずかしい。息を殺す後ろ姿を手探りで探り当て、手を離してくれとのばそうとした。だんだん目が慣れてくる。そのうち、電気が復旧したのか、あたりは明るくなった。アサヒはあわててナナシから離れる。ナナシは我関せずと上を見上げたままだ。
「やっぱりか。本命はこっちだ」
「どういうこと?ナナシ」
「そーだぜ、リーダー。ちょっと教えてくれよ、一人で納得してないでさ」
「イシュタムを復活させてる奴がわかったんだよ。犯人はこいつだ」
ナナシがにらむのは電灯だ。疑問符がとぶ2人を後目に、ナナシはノゾミを見上げる。
「ここの電気はどっからか知ってるか?」
「うーん、そうねえ。さすがにそういうことは、本部に聞いた方が早いんじゃないかしら。フジワラさんがターミナルを設置したはずだもの」
「じゃあ、聞いてくれ」
「聞きたいことは貴方が聞いた方がいいんじゃない?」
「オレの向こうにアキラを見てる奴なんて二度と会いたくねえよ」
「ふう、仕方ないわね。メール送るから待っててくれる?」
「なるべく早く。イシュタムがまた復活しちまう」
「はいはい」
ノゾミは苦笑いして、メールを送る。
10分ほどして、人外ハンター商会から返事がきた。
今から25年ほど前のこと。今はなきメシア教との抗争で劣勢になっていたガイア教の過激派が、封印していた邪神を復活させようとした時の儀式の遺産がまだ生きていることが判明した。このシェルターを管理する自立した独立発電所とコントロールするコンピュータに仕込まれた悪魔召還プログラム。それが諸悪の根元である。発電で得たエネルギーをマグネタイトに変換することで、イシュタムを何度も復活させている。このプログラムにはセキュリティがくまれており、そこにハッキングするウィルスをマツダが放ったところである。これから発電所の場所を教えるから、そこにいるであろう本体のイシュタムを討伐してほしい、ときた。
「えーっと、つまり、発電所は壊しちゃだめってこと?」
「そうなるわね。これから避難するのに、ライフラインが使えないと大変だもの。仕方ないわ」
「えー、でも面倒だな。イシュタムが人質にとったらどうすんだよ、発電所」
「我々がイシュタムと戦うのはこれで4度目だ。その分利がある。問題はないだろう」
「ナナシ、なにか策はないのか?」
「マツダがDDSを止めてるんだ。その間はイシュタムは復活できない。再起動する前に無力化してしまえばいいだろ」
「無力化ってどうするの?」
「仲魔にすればいい」
「は?」
おそらく誰もが同じような声を出していたに違いない。
そして彼らは、ナナシに召還されたオベロンによるセクシーダンスを拝む羽目になる。魅了状態になったイシュタムは前後不覚なまま、オベロンとナナシの甘言に乗せられ、あっさりと仲魔になってしまったのだった。
ウィルスと人智の及ばない戦いを繰り広げたイシュタムがそのウィルスを取り込むことでさらなる進化を遂げ、電霊として再臨していたと知るのはその後だ。故郷の楽園に帰るため新たな体を再構築し、スマホを自由に闊歩してはダグザに怒られているのだがそれはまた別の話である。