城ヶ崎家の長男坊はグレました 作:万里子
まだ明るいのにつく街灯。
いつも通っていた道がどこか違く見える。
風をいつもより強く感じるのはどうしてなんだろう?
空を見上げれば、星々は離ればなれだ。
近づこうとしては流れていく。
なんとなく君に会いたくなったから、僕は急いで流れることにしたんだ。
遠い昔の記憶はあまり鮮明ではない。物心がついたときには、姉の眩しいくらいの笑顔が側にあったのを覚えている。
僕は十六年前の十二月二四日、埼玉県内の大学病院で生を受けた。
僕には年子で一つ年上の姉がいて、子供は三人!意気込んでいたらしく産後のホルモンバランスの乱れなんてものともせず、せっせと子作りに励み、あっという間に僕を身篭ったという。
母の話では、僕は赤ん坊のころから身体の弱かった僕は、病院を嫌い、調子を崩す度に連れていくと、たちどころにぐずりだしたと言っていた。
僕がしょっちゅう病院通いをしていた三歳の年の七月三十日、妹が生まれた。名前は莉嘉。
妹は幼少時の頃から、その名に劣らず愛らしい少女だった。顔立ちが端正で活発に走る子だった。
いつも三人で前髪を額の上でちょこんと結んでいて、クジラの噴水のような頭をしていた。見知らぬ人から「可愛いお嬢ちゃん達ですね」といわれるのが母はまんざらでもなかったようで、僕は違うと言おうとすると、目にも留まらぬ速さで僕の口を噤んでいた。
その代わりに僕にこっそりポテトチップスを買ってくれたので僕はそれから否定をしなかった。
母の交渉術はポテチで成り立っていた。
四歳の誕生日。
僕は母から一冊の赤い表紙の本をプレゼントされた。不治の病を抱える少女の絵本だった。
母が「これを読みなさい」と説明すると、幼い僕はすぐには受け取ろうとしなかったらしい。
幼い僕は自分がどのようにして、生まれ、これからどのように生きるのか本能的にわかっていたのかもしれない。
振り返ってみれば、僕の<真実と理想のギャップ>に苦しめられた人生はここから始まったのだ。
その絵本は、最終的に少女は死んでしまうという物語だった。とても幼な子の僕には読ませるものではなかったと思う。
だってそうだろう?姉や後述する妹は今でもこの絵本を読もうとはしない。
それでも僕はその絵本から希望を見出し、その喜びが大きな推進力となり、病院に通うことにも文句を言うことはなかったという。
しかし、両親は僕のそんな姿を見るのは「苦痛だった」と口をそろえる。
まるで何かに取り憑かれたように、本を何度も読み返して、その度に破滅に希望を見出した四歳の子どもは「恐怖の象徴」として深く焼き付けられていたのだと思う。
そのころの僕は身体も安定し始め、病院に通うこともなくなっていた。
中学一年生の一学期の夏休み、僕の身体にある変化が起きた。
本の虫となっていた僕は、いつも利用している県内の大型書店で書籍を買い、家まで帰る駅のホームでのことだった。
電車がくるまであと二分というとき、突然左目に違和感をおぼえた。外光を異常にまぶしく感じ、何だろうかと目をこすったり、瞬きを繰り返しているうちに、左後頭部下の首筋と左目の奥がズキズキと痛み始め、まぶしさに耐えられず目を開けていられなくなり、左目から熱い涙がジワジワとにじんできてしまった。
これは、例の「発作」の予兆かもしれないと僕は思った。
じつは、夏休みが始まってまもなくの明方、突然左側頭部がすさまじい痛みに襲われていた。左耳奥と左目奥の延長線が交差するあたりに、火掻き棒を差しこまれ、押し当てられるような強烈な痛みで、身動きすらとれないほど。激痛は二十分ほど続き、治まったあとは脂汗をぬぐうことも忘れ、いま自分に起きたものは一体何だったのか、と放心したように考えていた。
その五日後にも、夜、寝床に入ってすぐに同様の痛みが訪れ、激痛が治まるまで歯を食いしばって耐え続ける。それを僕は「発作」と呼んでいた。
その予兆を感じた僕は、降車口に近い空席に移動する。痛みはぐんぐんと強まり、五分もしないうちにピークに達した。うつむいて腕組みをして耐え、他人から見ると寝ているように装った。
滝のように何本も流れる汗を背中に感じながら、ひたすら目的とする駅の車内アナウンスを待ちつづけた。
電車が駅に到着すると、周りに気づかれないように立ちあがり、降車口に一番近い手りを掴んだ。扉が開き、片足を踏み出しても、頭に全神経が集中していたせいか足にまったく力が入っておらず、コンクリートのホームに両膝から激突するように倒れこんでしまった。
「大丈夫?」といくつもの声がかかり、あっという間に数人の乗客に抱え起こされ、目の前のベンチまで連れていかれた。
おそらく転んだ程度に思われたようで、「大丈夫です。ありがとうございます」と答えると、まもなく人の気配はなくなった。
激痛は四、五十分続いただろうか、気がつくと駅のあたりは夕立に濡れていた。
激しく降りしきる雨を見つめながら、こりゃえらいことになったと思った。
残痛でジンとほてったままの左目から、一滴の熱い涙が流れる。
それからというもの、四、五日に一回はその発作が訪れ、次第にその間隔が縮まっていき、とうとう一日一回へと、四日が三日に、三日が二日に徐々にせばまり、とうとう一日一回となってしまった。
この偏頭痛の発作のせいで外出もひかえなければならなくなり、夏休みは家にこもって読書に明け暮れることになったのだ。夏休みも半ばになると、発作が一日に二回、三回と頻繁に起きるようになり、もはや家族に隠し通すこともできなくなっていた。
尋常でない苦しみ方を見た母は、ただごとではないと感じたようで、僕を大学病院へ連れていく。そのときは口にしなかったが、僕も母も脳腫瘍を疑っていたようだ。
しかし、精密検査を受けても脳に異常は認められず「原因不明の強度の偏頭痛としか申しあげられないし、特別な薬もありません」と、医師から告げられました。
両親は、悪い病気ではなかったことに大いに安堵していた。しかし、当の耐えがたい激痛にもかかわらず、治療法も薬も本人にはもっと切羽つまった問題で、ないとなると先行きが暗い──と肩を落としていた。
すると、発作はその後半月ほど続き、突然パタリとなくなったのだ。
一過性のものだったにちがいない、と有頂天になって喜んだ。
──終わったんだ!!
ほっと胸をなでおろしたときの解放感はいまも憶えている。
しかし、決して、"終わりなどではなかった"。
季節は、冬に差しかかろうとしていた。
そしてまたしても、その発作は容赦なく襲いかかってきたのだ。
今度は最初から一日三回から五回の激しい偏頭痛が起こり、痛みや症状は夏休みと同じだったけど、それが二ヵ月近く続いた。
冬休み中はいいとして、厄介なのは学校のある時期。
登下校時に発作が起きれば、バス停であろうが駅であろうが、ベンチを見つけておかまいなしに横になり、痛みに耐えつづける。たとえ遅刻しても、それどころではないといった感じで、罪悪感のかけらもなかった。
授業中に発作が始まれば「トイレに行く」と告げ、個室に鍵をかけて治るまで耐えた。
休憩時間に始まれば、一人屋上へと向かい、途中の踊り場で横になった。どちらの場合も行方をくらませて教室に戻るわけだから、叱られるのは当然。
僕は別段言い訳せず、毎度だんまりを決めこんでいたので、次第に教師も問いつめるのをめるのをあきらめていき、クラスメートは退いていくばかり。
まったくもって、暗うつとした冬だった。
それでも、もちろん僕には姉と妹がいた。
家に帰れば元気いっぱいな母がいたし、趣味が僕と同じ父もいた。
このストレスの溜まる学校生活に限界を感じ始めていた僕は、中学二年生が終わろうとしていたある日、社会勉強と頭の中で言い訳をして、東京に行こうと家出を試みたことがあります。
それはまったく計画性のないものだったんだけども。
父の引き出しに二十万円近く入った封筒を偶然に発見し、家出を思い立った。一見衝動的な決断のようではあるけれど、おそらくは募りに募った解放された世界へと行きたいという思いが、自分では気づかないうちに破裂寸前まで膨らんでいたのだろうね。
苦痛だった中学生活から逃れたい、という気持ちも一因だったかもしれない。
明日、この金がまだここにあったら決行だ。
そう心に決めて、すぐに家出の準備に取りかかった。
下着とソックスをセットに、洋服上下を一組、石けん一個と筆箱。
それだけで小さなスポーツバッグはすでに満杯になってしまって。
持って行きたかった栞の挟まった本は断念した。
手荷物が二つになるのが、嫌だったんだ。
やがて両親と姉妹が帰宅し、家族で夕食となったのだけれど、胸のうちに秘めた家出の後ろめたさから、ほとんど会話も交わさないまま、そそくさと二階の自室に引きあげた。早々と布団にもぐりこみ、暗がりの天井をぼんやり見つめながら、東京での未来を映しだそうとしたけど、そこには何も浮きでてはこなかった。
当時の僕は、東京でも行けば僕のナニかが変わって、今の生活が激変するんだという変な自信だけはあった。
いまふり返れば、その浅はかで幼い考えに苦笑してしまうけど。
結局、無計画な家出は失敗に終わった。
僕がいなくなったことに気づいた両親は、友人宅をめぐる大捜索をしたのですが、最も手厳しい追及を受けたのが、僕の学内での唯一の友だちであった雄司だった。
親友の雄司が真相を知らないはずがないと、両親は見抜いていたのだろあ。
問われた雄司は「知らない」と答えつづけましたが、両親はその嘘を確信し、雄司もまた、両親に自分の嘘を見破られているとわかったうえで、徹底的に黙秘を押し通したそう。
「そんな嘘が通用するとでも思ってるの!?
親友の雄司君が知らないはずないでしょう!」
両親も必死だった。相当ねばったものの「ああ、この子は口を割らないだろう」と感じたそうで、おそらく彼はそういう決意の目をしていたのだと思う。
荒れていた青春時代の僕と、ほとんどの行動をともにしてくれたのが雄司だった。
温厚さ、誠実さ、明るさ、冷静さ、明晰な頭脳ー。どれをとっても僕には遠くおよばないものばかり。僕がぶっきらぼうな対応をして、けんかを起こしそうになれば、危険を承知で体を張って止めようとしてくれたことも数えきれない。
何か騒動が起こるたびに、なぜこんな場面にこいつがいるんだろう?こいつはこんな所にいる人間ではないのに?なんて僕は呑気に思っていた。
これまで僕が道を誤らずにすんだのは雄司のおかげだと思うのだ。
彼は、いまも変わらない僕のただ一人の「英雄」なんだ。
こんなに長々と小恥ずかしくなるようなことも交えて僕のことを話したのに特に理由はないんだ。
これからある会話の中でわざとらしく紹介するのがプロトタイプにはまるようで嫌だなんて思ったわけじゃない。
違うから。オーケー?
まあ、物語のプロローグらしく僕が独占して話した方が手っ取り早かったんだ。
今の僕がどうだとか、姉や妹との距離感とか、僕は実はもう高校二年生だってこととか、僕の性格が変わったなんてことはこれからわかるだろうし、今の僕が説明なんてしなくたって次の僕が説明するだろうからいいよ。
次の話から本編だ。
次はもっとポップな感じになると思う、重い話なのかな?じゃあやめべなんて考えないで、少し興味があったら次も読んでくれたらいいな。
そんな重い話にはならないだろうからさ。