アカデミーに入学してから半年ほどが経った頃。
日々の授業と、父上との修行。その両方が軌道に乗ってきた。
アカデミーの方は順調に新たな知識をえることができた。なかでも特に興味があったのが歴史の授業である。なんせここ最近ではおさまったが、少し前まで戦乱の歴史をたどってきた世界だ。その内容を学ぶのはちょうど前世の戦国時代の歴史を学ぶ感覚に近く、面白かった。
体術の授業や組手では、父さんじきじきに教えを受けていることもあり、その実力はメキメキと伸びていると思う。クラスメイト相手ならほぼ負けることはなくなった。
しかし問題もある。クラスでの友人関係である。
上辺の付き合いなら問題はないのだ。だが深い関係になれるかというとそうもいかない。なんせ向こうは前世で言うところの小学生、こっちは実質高以上である。話が合うわけがない。
そんなこんなでアカデミーでは絶賛ぼっち中なのだ。
なんだか悲しくなってきたので話題を変えよう。
父さんとの修行だが、これがまたためになる。父さんは上忍ということもあり、知識や技術の底が知れないほどにレベルが高い。また、その教え方は理論的で、学ぶ側としてもとてもやりやすい。
学んでるのは主に体術と水遁術で、未だ基本の範疇をでないが、それでもここ半年の自身の成長を実感できるほどだ。この調子でいけば、いずれ父上を超えることもできるのでは?などと考えながら日々の修行にとりくんでいる。
印を結ばない遁術についても調べたことがある。
やはりというか僕の性質変化は水だった。そのこともあって、現状水遁の術でしか試してないが、基本となる水遁であれば印を結ばずとも発動できるようにはなった。それどころかある程度の形態変化ーー水を槍状にしたりする分だったら自由に形態変化させられるようにもなった。これには教えていた父さんも驚いているようだった。
そもそも、形態変化とは厳しい修行の末にある程度、形が決まったものにできるというもので、全くの縛りなしに形態変化させられるというのは見たことがない。というのは父上の談である。
以前からチャクラの形態変化にはチートじみた才能があるのは自覚しているので、これは所謂異世界特典なのだろうか。それとも生まれ持った才能なのだろうか。
どちらにしたって強くなるのはいいことだと。僕は思考を停止させた。
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やなぎカオルにとって自身の息子、やなぎナギサの存在は異質なものであった。小さな頃から教えもしないのにチャクラを練り始め、それどころか上忍である自分から見ても高度なチャクラコントロールをして見せていたのだ。
それはアカデミーにはいってからも同様で、自身が修行についたのは、そもそも息子の能力を正確に把握しておくためであったのだが、これがまた驚きに満ちていた。水手裏剣という、基本の忍術ではあるが、印を結ばずに忍術を使ったのである。
これは本来熟練度の高い忍術の印を省略、または簡略化するものだが、これには長い修行とセンスを必要とする。アカデミー生ができていいような技ではないのだ。
そのことをナギサに問い詰めたところ、
「練習してたら、普通にできたよ」
と当然のことにように答えたので、少し頭を抱えてしまった。
それどころか、修行をしていくうちにそれ以上のことーー印を結ばずに水を自由に形態変化させるという離れ業を見せつけられた。
あれを始めて見せられた時、おそらくオレの口は大きく開いていただろう。それほどに驚かされた。
確かに術の形をある程度変えたり、印を結ばずに忍術を使うという技術はあるが、ナギサのそれはそれらの技術とは比べ物にならないほどに高度であった。
その時点で下忍、あるいは暗部への推薦を考えたが、ナギサの性格を考慮してそれもやめた。
息子は基本的に争いを好まない優しい性格の持ち主だと知っていたからである。
自分のような忍者になりたいなど言う息子ではあるが、実際に忍者になるには向かない性格であるとカオルは考える。
その幼さゆえにそのことは伝えてないが、いつか知らせねばならない時が来るだろう。
しかし忍者としての才にこの上なく恵まれていることは事実であるため、このことはカオルを大きく悩ませているのだ。
親としては忍者にはならないでほしいが、里のことを考えるならばそうともいえないのである。
そんな父の思いも知らず、目の前の息子は修行に励むのであった。